ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

老老介護,事始め(6):戯作者の如く

高齢の母は,認知症が進んでいるが,これは必ずしも知力それ自体の衰退を意味しないように思われる。

理解力や構想力は,古い記憶が斑状に失われ,新しい出来事の記憶も持続しないので,首尾一貫した体系的な形,ないし常識的に了解可能な形では示されない。それらは,残された記憶の何かへの刺激を引き金に,「間欠泉」のように突如噴出する。時間も空間も自在に飛び越え,様々な物事が結び付けられ,あるいは切り離され,そこに創作も付け加えられ,物語が組み立てられ,語られる。常識はずれ,非常識。だが,それだけに,かえって奇想天外,驚かされ,感心させられることも少なくない。

たとえば,転居。村の自宅での独居は無理となり,都市近郊の私の家の近くのアパートに引っ越してもらったのだが,転居の理由をいくら説明しても理解し納得してもらうことはできなかった。帰ろうとしてアパートを出て徘徊を何回も繰り返し,2,3か月たってようやく,村に帰ると言い張ることが少なくなってきた。

そして,おそらく自分自身を納得させるためであろうが,転居の理由がいくつか考えだされた。まったくもって不思議なことに,繰り返し説明し,最も自然で分かりやすい「息子に面倒を見てもらうための転居」は,一度も口から出たことはなかった。

母が語り始めた転居の話には,大きくまとまったものとしては二つある。一つは,町広報を読んでいたら,町が老人のためにアパートを用意し,家賃も電気・水道も全部無料で提供すると書いてあったので,それなら,と自分でここに移ることにしたという話。財政逼迫の町にそんな余裕はないはずだが,低家賃の町営住宅はあるので,おそらくその募集案内が出ており,それを読んだのだろう。「町営」,「安い」という印象が強く残り,それらが自分の転居と結びつき,「全部無料」へと変わり,それなら転居し使ってやろう,ということになったらしい。そのため,危険防止のため外出を制限したり包丁などを隠したりすると,「こんな不便なところなら,借りなければよかった」と愚痴を繰り返しこぼすようになった。

もう一つの話は,村の自宅の離れに移ったという説明。たしかに村の自宅には独立した離れが二つあり,移ろうと思えば,移れる。が,この話は,無料町営住宅以上に荒唐無稽。離れであれば,目の前に母屋があるし,まわりは田畑や山林である。いまのアパートは公園内の緑豊かで静かなところにあるとはいえ,風景はまるで違う。ちょっと考えれば,そんなことはすぐわかるのに,そこには全く思いが及ばない。そして,自宅の離れに移ったことを前提に,話を論理的に,理路整然と組み立てていく。一番の関心は,何といってもコメ。前述のように,無茶をするのでコメは隠してある。すると「コメがない,コメがない」と大騒ぎし,母屋に行って台所からとってくる,と言い張る。朝から晩まで毎日,何回も何回も。むろん,ご飯を出せば,すぐケロリと忘れてしまう。

これら二つの話は,常識からすれば無茶苦茶,ぶっ飛んでいる。が,お話としては,よくこんなことを思いつくなぁ,と感心するほどイマジネーションに富み,夢に満ちている。時空を自在に往来できるファンタジー。あるいは,貧困な高齢者生活保障に対するアイロニー。

認知力の衰えで常識の縛りが解け,思いが自在に天翔ける。自由な戯作者の如し。

■ネパールでも高齢化加速(Kathmandu Post, 16 Sep 2016)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/05/05 @ 14:52

カテゴリー: 社会

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