ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

紹介:三瓶清朝『みんなが知らないネパール―文化人類学者が出会った人びと』(2)

2.言葉と社会構造
本書の第2章11では,ネパールにおける言葉と社会構造の関係が分析されている。

言葉といえば,それが私たちの個人的および社会的生活と不可分の関係にあることは,古来,常識中の常識であった。聖書もこう述べている。「初めに言があった。言は神であった。万物は言によって成った。言によらずに成ったものは何一つなかった」(ヨハネ福音書)。

私たちは,何かあるもの(それ自体としては認識できない或るもの)に名(言葉)を与え,他と関係づけ,秩序づけることによりはじめて,それをそれとして認識する。はじめの名づけが神によるのか,それとも何かひょんな偶然か何かで人間が行ったのかは,わからない。それはわからないが,いずれにせよ,言葉使用ないし名づけが関係づけ,秩序づけと同義であることは,明白である。

しかし,言葉は日常的に使用するものであり,繰り返し使用していると,当初の作為的な関係づけ,秩序づけの意識が薄れていき,言葉で創り出した関係や秩序が「自然なもの」と思われるようになってくる。いわゆる「第二の自然」である。

この関係や秩序が「第二の自然」となってしまったところでは,それを批判し人為的なものだと説くのは容易ではない。そうした場合,具体的な事例をあげ,一つ一つ丁寧に実証し反省を促していく以外に方法はあるまい。

本書の「ことばと社会構造」の部分は,そのような実証的研究を目的としていると思われる。ネパールの人々は,相手を呼ぶとき,どのような語を対称詞として使うのか? 対称詞の使い分けと社会構造は,どのような関係にあるのか? 以下,要点を抜粋する(timiやtaは原文では音声表記)。

「カトマンズ市内の,教養のあるバフン族の男性の対称詞の使い方から比較して見ると,田舎のパンチカル村のバフン族はダヌワール族[低カースト少数民族]のおとな(おじいさん)に対して目下のものに使われるtimiや,手に負えない動物に向かって,つまり犬以下のものにしかも怒ったときに使う対称詞taを使うというのである。パンチカル村のバフン族はダヌワール族を犬以下扱いにしていることがよくわかる。ダヌワール族を強く軽蔑していることがわかる。しかし,これがバフン族の伝統的なことばの使い方である。」(68)

「バフン族は,ことばによって異カースト(異民族)を強く軽蔑し侮辱し,結果として劣位者(または犬)を支配し屈服させ服従させることを子どものときからじょうずに学ぶ。反対に,ダヌワール族にしてみるとバフン族という異カースト(異民族)からtimiや,犬以下にしか使われない対称詞taを使って軽蔑され侮辱され服従させられるように毎日,学ぶ。父や祖父がこのように軽蔑され侮辱され服従させられることを毎日,子どもの時から学ぶのである。軽蔑や侮辱,服従をおとなしく受容するように子どもの時から学ぶ。」(69)

「ことばの使われ方の中に社会構造(社会組織,社会的仕組み,社会的上下序列)が反映されて,ことばを使えば使うほど社会構造が心の中に刻み込まれる・・・・。」(70)

ここで指摘されている,このような言葉と社会構造(社会秩序)との相関関係は,ネパールだけでなく,どの社会にもある。日本でも,極端な例を挙げるなら,こともあろうに仏教僧侶が,社会で差別されている人々にあからさまな「差別戒名」をつけ,差別の維持拡大,永続化に大きな役割を果たした。ヒンズー教司祭のバフンの言葉の使い方と,本質的には,何ら変わりはない。

言葉と社会構造がこのような相関関係にあるとするなら,社会の不正な差別をなくすには,差別的な制度や行為そのものに加え,差別的な言葉,いわゆる「差別用語」をも無くさなければならないことになる。

しかしながら,これは容易なことではない。先述のように,言葉は文化であり人々の魂や精神と一体不可分の関係にあるからである。たとえば,「man」を「he」で受け,「人=男」とみなし,女性を「人」扱いしない慣行。それによれば,人間の権利(rights of man)は「男の権利」だから,女には権利はないことになる。投票権の男性限定は20世紀半ばころまで広く見られたし,実質的参政権ともなると日本をはじめ多くの国でまだ男性同等とはなっていない。

それゆえ「man=he(人間=男)」という言語使用慣行を改めなければならないのだが,「man」は一般名詞として広く使用されてきており,その作為的な使用制限や意味変更は極めて困難である。

努力はされている。いま注目すべきものの一つが,世界最新憲法の一つである「ネパール憲法」(2015年)の公定英訳。大統領,議長,首相などを受ける代名詞として,「he or she」または「he/she」を用いている。しかし,これではまだ男性(he)優先と恐れたのか,ときには「she or he」または「she/he」あるいは「s/he」が使用されている。いや,それどころか,一つの条文の中で「he/she」と「she/he」が交互に使用されているところさえある。エライ,立派! ネパールは,そこまでして,言葉による差別をなくし,差別的社会構造を矯正しようとしているのだ。日本も,頭を垂れ,見習うべきである。

しかしながら,ネパールをはじめとして,そうした努力はみられるにせよ,日常生活における言語使用慣行の変更が難しいことに変わりはない。言葉そのものに拘泥しすぎると,「he or she」「he/she」「she or he」「she/he」「s/he」のように煩雑になったり,終わりなき「ことば狩り」に陥ったりする。「chairman(議長)」を「chairperson」に変えるくらいはよいとしても,「history(歴史)」は「his story(男の歴史)」だから使うなとか,「manhole」は差別的だから「personhole」に変えよといった主張になると,正直,ちょっと待って,そこまでしなくてもと思えてくる。日本語にも,差別的を理由に使用禁止や言いかえの対象になっている言葉が多数ある。もっともなものも少なくないが,たとえば「子供」は「供」が差別的だから「子ども」とせよとか,「障害者」の「害」は悪い意味なので「障碍者」か「障がい者」とせよといった要求になると,ちょっと首をかしげざるをえない。(「障」を残し,「害」を「碍」やひらかなに変える根拠は?)

このように,言葉使用の作為的変更には複雑で難しい問題が少なくないが,明白に差別的な言葉については,改めるべきだし,それは比較的容易でもある。ネパールも,憲法公定英訳のように,作為的に変えやすい部分については,意欲的に変更しつつある。日常的な対称詞使用差別も,いずれ改められていくのではないだろうか。


 ■ネパール憲法 ネパール語正文/公定英訳

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/06/18 @ 16:20