ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

ガディマイ祭:動物供儀をめぐる論争(6)

4.動物供儀擁護派の主張
新聞記事やネット配信では,動物供儀反対派の意見が圧倒的に多く,擁護派の意見はそれほど多くは見られない。管見の限りでは,最初に紹介する「動物と人々のフォーラム(Animal People Forum)」のインタビュー記事におけるガディマイ寺院司祭の説明がもっとも詳しく説得的であった。以下,このインタビュー記事を中心に,いくつか動物供儀擁護派の議論を紹介する。

(1)マンガル・チョーダリ(ガディマイ寺院高位司祭,ガディマイ祭始祖とされるバグワン・チョーダリの10代目子孫,2016年10月インタビューの記録)

「ヒンドゥーの伝統には,無殺生(アヒンサー)のようなものは何もない。パシュパティナート寺院に行ってみよ。そこでは毎日,9頭の水牛が供儀されている。われわれは,高裁や最高裁へも出廷し,この問題につき見解を述べた。わが方の弁護士は,法廷において,われわれの伝統を阻止しうる者は誰一人いないことを明確に論証した。
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最高裁は,われわれの主張を認める判決を下した。その判決文を,われわれは保有している。ネパール政府とガディマイ運営委員会および地域社会は,三者とも,最高裁判決に従うことに合意した。すなわち,動物供儀の日程を予告し,[動物検査のための]チェックポスト設置を公告し,これにより供儀の儀式をきちんと管理運営していくということだ。これにより人々は,一般の食用であれ供儀用であれ,いかなる肉を持ち込むのであっても,事前にそれをチェックポストで申告しなければならないことになった。[このように管理運営されることにはなったが]動物供儀そのものが禁止となったわけではない。・・・・
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寺院運営委員会には,供儀を止めさせる権利は全くない。・・・・われわれが,この伝統に従い供儀をやれと唆したり命令したりしているのではない――人々自身が願い,行っているのだ。何千もの供儀動物を連れてくる人々もいれば,お米を握りしめ持ってくる人もいる。
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人はみな,それぞれ異なる自分の文化を持っている。われわれは,お供えを持って来いと人々に呼びかけはしない――人々は,それぞれ自分自身の願いをもち,ここにやってくる。われわれは,ナワドゥルガとカーリーに犠牲を捧げる。すべての神々に動物を捧げるわけではない。
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すでに述べたように,人々は自分自身の希望で供儀動物を持ってくる。その彼らを打ち据え,追い払うようなことは,われわれにはできない。たとえわれわれが自分たちの力で動物持ち込みを止めさせることが出来るとしても,それで問題解決ということにはならない。政府高官ですら,動物を持ってくるのだ。聞くところによると,カトマンズへは,毎日,50~100台ものトラックが供儀用水牛を載せ運んでくる。ニワトリも同様。グルたちは,あちこちで,[もし供儀をしなければ]投獄してやると脅されてきた。私でさえ,かつて最高裁で,そう要求されたことがある。供儀を褒めたたえるのは,われわれではない。それは,彼らの選択なのだ。
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ネパール最高裁は,この祭りをもっと整然と行うため,共に力を合わせ協力すべきだと提案してくれた。
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悲惨なのはむしろ,カトマンズで毎日,動物が屠殺されていることだ。われわれは,[カトマンズの]5つ星ホテルに滞在したことがある。夕食や昼食には,チキン,卵,牛肉,羊肉が出された。われわれはベジタリアンなのに,ホテルはそのような料理を出したのだ。動物たちが,このように食材として扱われているのに,だれもそれを非難しない。そのくせ,彼らはわれわれを非難するのだ。
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ここには,人々がたくさんのお供えを持ってくる。われわれは,彼らの求めに応じなければならない。それは,カルマの命じるところである。われわれは,人々がここに持ってくる動物たちを供儀しなければならないのだ。
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ネパールの仏教徒は,自分では殺さなくても,肉は食べているのではないか。北部ネパールでは,彼らは動物を崖から突き落とし,動物が死ぬと,身体を切り刻み,食べてしまう。ネワール社会でも,人々は仏陀を拝んでいるが,毎日のように肉を食べている。もし殺さないとすれば,肉はいったいどこから来るのか? こういったことを,われわれは見てきたのだ。」(*27)

■Animal People Forum HP(*27)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2020/01/02 @ 09:36