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京都の米軍基地(116):現場に切り込まない朝日「現場へ!」(1)

朝日新聞が,シリーズ「現場へ!」で4回にわたり,京丹後の米軍基地を取り上げている。執筆は谷田邦一記者(防衛問題担当)。

米本土防衛の最前線・京都(朝日夕刊/朝日デジタル)
[1]基地受け入れ 「苦渋の決断」(4月27日)
[2]支えあいの地域 分断憂える(4月28日)
[3]交付金 過疎地に大きな恩恵(4月30日)
[4]厳しい軍務担う「良き隣人」(5月1日)

この記事から受けるメッセージは,証言等の全体構成・配列と記述の含みを読み取り整理すると,こうなる。
[大前提]米軍基地は国策であり,国益のため地元は受け入れざるをえない。
⇒基地を受け入れると,様々なトラブルで地域が分断される。
⇒基地は,交付金など,大きな恩恵を地域にもたらす。
⇒基地と地域は「良き隣人」たれ。地域はまとまり基地を受け入れよ。[結論]

この記事が,大筋でこのように要約されるとするなら,これが「地球貢献国家」を掲げる朝日社説と軌を一にしていることは明らかである。しかしながら,このような記事が,本当に「現場へ!」と深く切り込み,問題の真相を探り出し,広く読者に伝えることになっているのであろうか?

【注】良き隣人(good neighbor):隣人・隣国として友好(善隣友好)を図る人や国。米国ではF・ローズベルト大統領が1933年,「良き隣人政策」を宣言。沖縄では「県内在住の米軍人のこと」(琉球新報HP)。

【参考】谷田記者の京都での講演(会場:同志社大学)
テーマ「日本の弾道ミサイル防衛が抱える諸問題」,主催:京都安全保障フォーラム,2019年12月14日
みんなの自衛隊イベント

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2020/05/08 at 13:33

朝日の変調と変節

高級紙・朝日新聞は,育ちがよく,修羅場経験が少なく,危機管理が出来ていないらしい。誤報はジャーナリズムにつきものなのに,従軍慰安婦記事,原発事故吉田調書記事など,疑問が出された自社記事の検証,訂正,謝罪が中途半端で,後手,後手,見るも無惨な有様だ。

朝日変調の兆しは,かなり前から見られた。共通するのは,”売らんかな”の軽薄なセンセーショナリズムだ。たとえば,
 ▼血液型政治家判断、朝日の本性
  血液型性格判断,朝日はB型
  天声人語の血液型性格論
  血液型優生学を粉砕せよ
  朝日の血液型優生学
  カースト差別より危険な血液型差別
 ▼朝日と佐野氏の優生思想:「ハシシタ 奴の本性」の危険性 [注]ハシシタ関連記事は「週刊朝日」
  肉体文学としての「ハシシタ 奴の本性」 
  ゴシップで売る朝日と佐野眞一氏の名前
  佐野氏の執筆責任放棄と朝日の表紙かくし

 ■本性丸出しの週刊誌表紙

また,変節と断罪せざるをえないのは,「社説21」(2007年5月)とそれ以降の一連の自衛隊海外派兵翼賛記事。
 ▼海外派兵を煽る朝日社説
  良心的兵役拒否国家から地球貢献国家へ:朝日の変節
  集団的自衛権: 9条のたが外し,先鞭は朝日
  朝日社説の陸自スーダン派兵論
  スーダン派兵で権益確保:朝日社説の含意
  南スーダン陸自交戦寸前,朝日記事の危険な含意
  自衛艦をソマリア沖に派遣せよ,朝日社説

朝日新聞は,これらの変調・変節などを除けば良識的ジャーナリズムであり,その存在は日本にとって貴重だ。朝日が読者離れで経営危機に陥り破産しても,独立派の良識的言論は毎日新聞が継承するであろうが,たとえそうであっても全国紙一社ではあまりにも心許ない。

朝日には,誤報はきちんと紙面で検証,訂正,謝罪する覚悟を固めた上で,「常識」と「良識」を堅持し,勇気を持って真実に切り込んでいただきたいと願っている。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/09/12 at 12:11

カテゴリー: 文化

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集団的自衛権: 9条のたが外し,先鞭は朝日

安倍首相が,「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)」の報告(5月15日)を受け,憲法解釈を閣議決定により変え集団的自衛権の行使を可能とする基本方針を,5月15日の記者会見で表明した。

集団的自衛権とは,要するに攻守軍事同盟のことであり,同盟国の戦争に参戦する権利義務に他ならない。現実には,ほとんどの場合,同盟国アメリカの戦争や軍事紛争に,日本が参戦する義務を負うということ。このような集団的自衛権は,日本国憲法がまったく想定していないものであり,これが解釈で認められるなら,憲法など有名無実,日本は法治国家ではなくなってしまう。

これは戦後日本の憲政を根本から覆す,いわば「政治クーデター」のようなものだから,良識派・朝日新聞が紙面の多くを費やし,解説し批判しているのは,当然といえよう。5月16日付朝刊の1面には立松朗政治部長「最後の歯止め外すのか」,8面には「安倍首相会見要旨」,9~11面には「安保法制懇・報告書全文」,そして16面には社説「集団的自衛権・戦争に必要最小限はない」が掲載されている。要するに,「9条のたがを外すな」(社説)ということ。ところが,それにもかかわらず,朝日の記事や論説は,どことなく腰が引けており,緊迫感がない。なぜか?

いうまでもなく,それは,護憲的“independent”ジャーナリズム陣営の中から「9条のたがを外す」先鞭をつけたのが,他ならぬ朝日新聞だったからである。サンケイ,読売,日経などが,9条改正を唱えるのは,それなりにスジが通っており,賛同はできないが,理解はできる。ところが,朝日は戦後一貫して護憲を売り(商売)にしてきたにもかかわらず,風向きが変わり始めると,社として憲法解釈変更ないし解釈改憲を行い,大々的に宣伝し,自衛隊の海外派兵のラッパを吹き始めた。朝日新聞は,自ら率先して「最後の歯止め」,「9条のたが」を外してしまっていたのだ。

このことについては,幾度も批判したので,繰り返さない。以下参照。
  ・良心的兵役拒否国家から地球貢献国家へ:朝日の変節
  ・丸山眞男の自衛隊合憲論・海外派兵論
  ・海外派兵を煽る朝日社説
  ・朝日の前のめり海外派兵煽動
  ・自衛艦をソマリア沖に派遣せよ,朝日社説
  ・平和構築:日本の危険な得意技になるか?
  ・スーダン派兵で権益確保:朝日社説の含意
  ・軍民協力に前のめり,PWJ
  ・転轍機を右に切り替えた朝日主筆
  ・朝日社説の陸自スーダン派兵論(再掲)
  ・スーダン銃弾供与問題と露払い朝日新聞
  ・南スーダン陸自交戦寸前,朝日記事の危険な含意

朝日の論説や記事に緊迫感がないのは,朝日も同じ穴の狢だから。「最後の歯止め外すのか」,「戦争に必要最小限はない」,「9条のたがを外すな」――これらは,なによりもまず朝日自らが,自らに向かって,投げかけるべき言葉であろう。

140516a ■朝日新聞「地球貢献国家」

【参照】小田嶋隆「行く手に翻るのは赤い旗のみか?」日経ビジネス,2014年5月16日

日経は,啓蒙された利己心の立場に立つだけに,朝日などよりも,はるかに「現象」を鋭く見抜いている。たとえば,小田嶋氏のこの記事。関連する部分の要点は,以下の通り。

安倍首相の解釈改憲への手順は,「もう何カ月も前から各メディアがつとに予想していたことだった」。メディアは,それを詳しく報道することで,解釈改憲の「先触れ」をした。

「これまで、各紙が様々な角度から切り込んできた集団的自衛権に関する記事は、新聞読者に注意を促して、国防や解釈改憲についての議論を喚起することよりも、これからやってくる事態に驚かないように、あらかじめ因果を含めておく狙いで書かれたものであったように見えるということだ。」

その証拠に,自民党元重鎮や保守系論客が,大手メディアではなく「赤旗」で,次々と議論を始めた。その「背景には、安倍政権に対して、真正面から反論する場を提供してくれる媒体が、もはや赤旗ぐらいしか残っていないことを示唆している」。

「いずれにせよ、新聞各紙は、発足以来、安定して高い支持率を誇る安倍政権に対して、正面からコトを構える闘志を失っているように見える。」

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/05/16 at 11:56

南スーダン陸自交戦寸前,朝日記事の危険な含意

朝日新聞(4月21日)が,南スーダン「UNMISS」派遣陸自隊長・井川賢一1等陸佐の単独インタビューを掲載している。それによれば,井川隊長は,2014年1月5日,派遣(派兵)全隊員に武器・弾薬を携行させ,「各自あるいは部隊の判断で,正当防衛や緊急避難に該当する場合には撃て」と命令している。一応,「正当防衛」か「緊急避難」となっているが,避難民等を交えた混乱状態で戦闘が始まれば,そんなことの判断は事実上不可能だ。まさしく危機一髪,交戦寸前だったわけだ。

 140421a140421b ■UNMISS派遣陸自(防衛省HP)

この事態について,朝日は,例のごとく,ヌエ的態度に終始している。見出しは次の通り。
 [1面]陸自PKO隊長 射撃許可/南スーダン,銃撃戦迫り/1月,発砲に至らず
 [2面]PKO変化,日本板挟み/国連,武器使用を容認/安倍政権 基準見直し検討
     記者はこう見た 法改正か撤退か国民的議論を
 [7面]井川陸自隊長 一問一答「隊員死なせられない,最低限の自衛の必要,考えた」

一見,中立のようだが,朝日が,武器使用容認に傾いていることは、記事全体をみれば,そのニュアンスでわかる。たとえば,特ダネインタビューをとった三浦記者は,「記者はこう見た」において,こう書いている――

--------
 施設内で暮らす避難民は約3万人。守るのはルワンダなどの部隊だ。装備や隊員たちの熟練度は見るからに自衛隊の方が上回つている。それでも,自衛隊員たちは避難民を守るための武器使用が許されない。もし自衛隊がいながら,すぐそばで避難民の虐殺が起きた場合,国際世論は「仕方ない」と見なすだろうか。・・・・
 事実上の内戦状態にある南スーダンで,自衛隊はこれまで通りの構えで国際社会から期待された任務を遂行できるのか。現地を取材した私の考えでは選択肢は二つしかない。憲法解釈の見直しやPKO協力法などの改正によって派遣部隊に避難民を守るための武器使用を認めるか,現地が内戦状態にあることを認め,「停戦」を前提とする現行法を順守して南スーダンから撤退するかのどちらかだ。(朝日新聞4月21日)
--------

井川記者は,「国民的議論を」と逃げているが,ここでは一言も,自衛隊の海外派遣(派兵)それ自体が違憲であることには触れていない。それもそのはず,朝日新聞は,そのような原則的な立場をきれいさっぱり放棄してしまい,いまでは「地球貢献国家」を社是としているからだ。

「地球貢献」のために自衛隊(軍隊)を派遣せよとラッパを吹いておきながら,イザとなったら,「国民的議論を」とは,あまりにもおめでたい。朝日記事からは,国連が武器使用を容認したのだから,法改正し自衛隊も武器使用できるようにせよ,という願望が透けて見えてくる。

つまり,こういうことだ。安倍首相の目玉政策,「積極的平和貢献(Proactive Contribution to Peace)」を最も効果的に支援しているのは,産経でも読売でもなく,朝日だということ。朝日が,お上品に,「美しい国」の「積極的平和貢献」への道の露払いをし,準備万端整ったところで,それ行けドンドン,けばけばしいアナクロ復古調軍楽隊が行進するわけだ。

はなばなしいのはプカプカ,ドンドンだが,所詮それはそれだけのもの。常識も良識もある国民多数は,それだけでは浮かれ,ついて行ったりはしない。ところが,朝日が,もっともらしい理由をつけ,判断留保しているように見せつつ,お上品に,ジリジリと立ち位置を後退させていくと,国民の多くは,それが「いまの良識」かと思い,朝日とともに後退し,そのうち「日本を取り戻し」軍国主義に復古することもアナクロとは見えなくなってしまう。

対韓中ヘイトスピーチと同様,復古軍国主義も,同調を始めたら,これほど爽快なことはあるまい。朝日は,そのための露払いをしているように見えてしかたない。思い違いならよいが,もしそうでないなら,朝日の責任は重大といわざるをえない。

[参照]
スーダン派兵で権益確保:朝日社説の含意
スーダン銃弾供与問題と露払い朝日新聞
朝日社説の陸自スーダン派兵論(再掲)
良心的兵役拒否国家から地球貢献国家へ:朝日の変節
自称「右翼軍国主義者」の「積極的平和主義」:安倍首相の国連演説
自衛艦をソマリア沖に派遣せよ,朝日社説

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/04/21 at 19:07

スーダン銃弾供与問題と露払い朝日新聞

1.韓国軍への武器(銃弾)供与
安倍政権の軍国主義化は向かうところ敵なし,特定秘密保護法を電光石火で成立させ,今度は,12月4日発足の国家安全保障会議(NSC)において,12月23日,スーダン派遣陸自銃弾1万発の韓国軍への供与を決定,ただちに閣議決定し,同日,引き渡した。この銃弾引き渡しについて,読売新聞は,こう報道している

—(以下引用)——————
井川1佐などによると、日本時間の22日未明、ジョングレイ州のボルで活動する韓国隊の隊長から、「ボルの活動拠点内には1万5000人の避難民がいる。敵については北から増援も確認。1万発の小銃弾を貸してほしい」と電話で要請があった。日本側が小銃弾を引き渡したところ、23日夜、韓国隊から「ボルの宿営地と避難民を守るために使う。本当にありがとうございました」と連絡があったという。(読売新聞12月25日
—(以上引用)——————

この武器(銃弾)供与は,明白な違憲違法。まさか引き渡し後の追認閣議決定ではあるまいが,歴史に照らして,その疑いですら払拭しきれないほど危険な軍事的冒険である。

そもそも軍隊(自衛隊)が海外派兵(派遣)されれば,このような事態は当然予想されること。状況がさらに切迫すれば,今回と同じ「緊急の必要性・人道性」(官房長官談話12月23日)を理由に,自衛隊が直接戦闘に参加することすら十分あり得る。

2.朝日の海外派兵煽動
ここで批判されるべきは,朝日新聞。先に指摘したように(下記参照),そのような事態が十分にありうることをよく分かった上で,自衛隊スーダン派遣を煽り立てたのだ。(もし想定外と弁解するなら,ジャーナリズム完全失格)

朝日新聞は,変節後の社是「地球貢献国家」により,日本の軍国主義化の露払いをしてきた。朝日の「地球貢献国家」は,本質的に,安倍首相の「積極的平和主義」と同じものである。朝日が特定秘密保護法に反対したのも今回の弾薬供与を批判しているのも形だけ,実際には,押したり引いたりしながら,地球貢献国家=積極的平和主義国家実現のための露払いをしているににすぎない。

朝日は,自社の歴史から何も学んでいないといわざるをえない。

朝日社説の陸自スーダン派兵論(再掲)
良心的兵役拒否国家から地球貢献国家へ:朝日の変節
自衛艦をソマリア沖に派遣せよ,朝日社説
自称「右翼軍国主義者」の「積極的平和主義」:安倍首相の国連演説

谷川昌幸(C)

朝日社説の陸自スーダン派兵論(再掲)

Written by Tanigawa

2013/12/25 at 13:20

転轍機を右に切り替えた朝日主筆

朝日新聞1月12日付朝刊は,若宮啓文主筆の文章を,1面左8段と13面全段全ページ(広告なし)に掲載している。1面タイトル:「『改憲』で刺激 避ける時」,13面タイトル:「私の見た政治の40年」。 1月16日退任を前にしての文章ということだが,いくら主筆とはいえ,「社会の公器」たる新聞紙面を,こんな「私事」に使用してよいのだろうか?

1.無内容な「私の見た政治の40年」
13面(オピニオン)には,全ページびっしりと,1970年以降の若宮主筆の「思い」が書き連ねてある。内容的には,この間の日本政治史のおさらいであり,通読には相当の忍耐が求められる。この程度のことであれば,ネットの方が,無料で,はるかに要領よく,詳しく解説してくれている。

2.曖昧社説による進路切り替え
問題は1面の文章。そもそも「『改憲』で刺激 避ける時」というタイトルが,意味不明。改憲問題について,若宮主筆はいったいどのような意見を持っているのか? こんな風に書かれている――

「憲法9条では自衛隊の説明がつきにくいことから,憲法のあり方が論じられてきたのは無理もない。・・・・9条を改めることがすべて危険だなどとは思わない。」

この曖昧な立場から,朝日新聞は2007年の「社説21」により,自衛隊違憲論から合法論へと社説を切り替えた。朝日は長きにわたり自衛隊違憲論を採り護憲世論をリードしてきた。産経や読売の改憲論とはわけが違う。朝日変説のインパクトは強烈であり,これにより護憲派は総崩れとなった。

3.無責任な変節
この朝日の変説は,正確には,むしろ「変節」である。状況が変化した場合,説を変えることがあるのは当然だ。この場合,変説の理由が合理的に説明されるなら,賛否は別にして,少なくとも説を変えたことそれ自体は理解できる。ところが,朝日の変説には合理的な説明はなく,したがってそれは許されざる「変節」である。

若宮主筆は,こう言い訳をしている――

「少々分かりにくさがあっても9条は変えず,自衛隊は軍隊としない方がよいと結論づけ,2007年5月3日に『社説21』をお届けした。・・・・自衛隊をきちんと位置づけるため,準憲法的な平和安全保障基本法の制定も唱えた。」

「分かりにくさ」とは,いったい何か? 国家の基本法たる憲法,しかも最も危険な「軍隊」の憲法規定について「分かりにくさ」を認めながら,その曖昧な憲法解釈に基づき「準憲法的な平和安全保障基本法」で自衛隊の合法化をはかる。若宮主筆は,「平和安全保障法」の合憲性について,あるいはより根源的には日本における「法の支配」について,どのように考えておられるのか? こんな曖昧な憲法解釈で「暴力装置」たる自衛隊がコントロールできると,本当に考えておられるのだろうか?

4.右に切り替えられた進路
「社説21」あるいは若宮主筆の議論は,護憲派にとっては致命的な打撃となった。これにより転轍機は右に切り替えられたが,まさに「少々分かりにくさ」があるがゆえに,護憲派にとっては批判しずらく,改憲派にとっては攻撃しやすかった。改憲派は朝日変説の不合理を攻撃しつつ,「変節」の実は巧みに,貪欲に,すくい取った。「社説21」以降,日本世論の進路は改憲へと切り替えられ,もはや逆転は少々のことでは望めそうにない状況となっている。

「改憲で刺激」をしたのは,産経や読売というよりはむしろ,「社説21」あるいは若宮主筆である。その反省なしに,刺激を「避ける時」とは,いったいどういうことなのか? お得意のマッチポンプではないのか?

5.「社説21」の撤回を
「私事」を語る暇があったら,「社説21」を撤回し,「改憲で刺激」の元凶を自ら取り除くべきである。そもそも憲法9条に「分かりにくさ」など,みじんもない。もし分からなければ,小学校に行き,虚心坦懐に生徒に教えを請うべきであろう。

【参照】
海外派兵を煽る朝日社説
良心的兵役拒否国家から地球貢献国家へ:朝日の変節
朝日社説の陸自スーダン派兵論

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/01/14 at 11:22

カテゴリー: 平和, 憲法

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朝日社説の陸自スーダン派兵論

1.陸自スーダン派兵
政府は11月1日,南スーダンへの陸上自衛隊(日本国陸軍Japanese Army)の派兵を決めた。実施計画を11月下旬に決定し,2012年1月から陸自「中央即応連隊」200人を派兵,5月頃には本隊300人規模とする。ネパールへの陸自6名派兵とは比較にならない大部隊の本格派兵だ。

 世界展開に備える即応連隊

2.軍国主義に傾く朝日新聞
朝日新聞は,敗戦後,ハト派・良識派・平和主義者に転向したが,2007年5月3日の「地球貢献国家」(社説21)提唱により,内に秘めてきた軍国主義への信仰を告白し,一躍,海外派兵の旗手に躍り出た。時流に乗り遅れるな,イケイケドンドン,産経も読売も蹴飛ばし,向かうところ敵なしである。

今回のスーダン派兵についても,11月2日付朝日社説は,お国のために戦果を,と全面支持の構えだ。社説はこう戦意高揚を煽っている。

「この派遣を,私たちは基本的に支持する。」
「自衛隊のPKO参加は1992年のカンボジア以来、9件目になる。規律の高さや仕事の手堅さには定評があり、とくに施設部隊などの後方支援は『日本のお家芸』とも評される。アフリカでの厳しい条件のもと、確かな仕事を期待する。」

この朝日社説が,産経や読売のようなまともなタカ派の派兵論よりも危険なのは,現実をみず,リアリティに欠けるからである。朝日社説は,大和魂で鬼畜米英の物量を圧倒し,竹槍で戦車を撃破せよと命令し,忠良なる臣民ばかりか自分自身にもそれを信じ込ませてしまった,あのあまりにも観念的な軍国主義指導者たちと相通じる精神構造をもっている。朝日社説の欺瞞は次の通り。

そもそも社説タイトルの「PKO,慎重に丁寧に」と,上掲の「基本的に支持する」「確かな仕事を期待する」のアジ演説が,ニュアンスにおいて矛盾している。

政情不安なスーダンへ大軍を送る。その危険性は,たとえば「治安が不安定な地域でのこれほどの長距離輸送は経験がない」と 朝日自身も認めている。このような危険なところに軍隊を出せば,当然,自他を守るための武器使用が問題になる。ところが,社説はーー

「武器使用問題は、日本の国際協力のあり方を根本から変えるほど重要なテーマだ。今回の派遣とは切り離して、時間をかけて議論するのが筋だ。」

と逃げてしまう。「時間をかけて議論する」あいだに,陸自隊員は現地で危険に直面する可能性が極めて高い。どうするのか? 結局,朝日は根性論,大和魂作戦なのだ。

これに対し,はるかに合理的・現実的なのが,自衛隊である。2日付朝日の関連記事によれば,自衛隊自身は,「自衛隊内では『出口作戦も大義名分も見えない』との不満もくすぶる」「自衛隊幹部は『ジュバ周辺もいつ治安が悪くなるかわからない』」と,批判的だ。もし自衛隊員が朝日社説を読んだら,きっとかんかんになって怒るにちがいない。――堂々たる日本国正規軍を危険な紛争地に派遣しながら,武器を使わせないとは,一体全体,どういう了見だ,大和魂で立ち向かえとでもいうのか。奇襲や特攻を「日本のお家芸」と自画自賛した大日本帝国と,丸腰平和貢献を「日本のお家芸」と賞賛する大朝日は,その精神において,同じではないか,と。

現代の自衛隊は,大和魂や竹槍,あるいは奇襲作戦・特攻作戦などは,はなから信じていない。朝日が大和魂平和貢献をいうのなら,朝日社員を一時入隊させ,スーダンに派遣してやろうか,といったところだろう。自衛隊の方が,朝日よりもはるかに合理的・現実的である。
  参照:スーダン派兵で権益確保:朝日社説の含意

3.自衛隊の世界展開とPKO5原則
朝日新聞は,自衛隊(Japanese Army)の本格的世界展開を煽っている。そもそも朝日には,「PKO参加5原則」ですら,守らせるつもりはない。

▼PKO参加5原則(外務省)
 1.紛争当事者の間で停戦合意が成立していること。
 2.当該平和維持隊が活動する地域の属する国を含む紛争当事者が当該平和維持隊の活動及び当該平和維持隊への我が国の参加に同意していること。
 3.当該平和維持隊が特定の紛争当事者に偏ることなく、中立的立場を厳守すること。
 4.上記の基本方針のいずれかが満たされない状況が生じた場合には、我が国から参加した部隊は、撤収することが出来ること。
 5.武器の使用は、要員の生命等の防護のために必要な最小限のものに限られること。

朝日社説はこんな表現をしている。「武力衝突の現場と派遣先は離れているものの、ここは派遣直前まで、5原則を守れるかどうかを見極める必要がある。」

イケイケドンドンと煽っておきながら,「5原則を守れるかどうかを見極める必要がある」とごまかし,武器使用は「時間をかけて議論するのが筋だ」という。それはないだろう。参加5原則など,朝日には守らせる意思はないのだ。スーダン派遣を先行させ,自衛隊員に犠牲が出るか,武器使用が現実に行われてしまったら,その事実に合わせ社説を修正する。大日本帝国の世界に冠たる「お家芸」であった,あの既成事実への追従の古き良き伝統を,朝日は正統的に継承するつもりなのだ。近代的な合理主義・現実主義の立場に立つ自衛隊が怒るのは,もっともだ。

4.「良心的兵役拒否国家」の原点に立ち戻れ
いまさらこんなことを言っても朝日は聞く耳を持たないだろうが,それでもあえていいたい。朝日は,「地球貢献国家」(社説21,2007年5月)を撤回し,それ以前の「良心的兵役拒否国家」の原点に立ち戻るべきだ。

朝日が煽動する「地球貢献国家」が危険なのは,軍民協力が前提であり,その結果,必然的に軍と民が融合し,日本社会がじわじわと軍事化されていくこと。しかも,世界展開する米軍の代替補完として,世界から,つまりアメリカから,期待されており,時流にも乗っている。

日本が朝日の提唱する「地球貢献国家」になれば,たとえば日本の巨大な政府開発援助(ODA)が平和維持作戦(PKO)と融合し,見分けがつかなくなる。そうなれば,紛争地や政情不安地帯で活動する多くの非軍事機関やNGOなども,当然,軍事攻撃の対象となる。

そして,危なくなれば,NGOなどは,軍隊に警護を依頼するか,撤退するかのいずれかを選択せざるをえなくなる。 こうして,また開発援助や非軍事的平和貢献活動が軍事化され,それがまた軍事攻撃を招く。悪循環だ。

もしスーダン派遣自衛隊員に犠牲者が出たら,朝日新聞はどのような責任を取るつもりか? 靖国神社に御霊を祭り,その「お国のための名誉の戦死」を永遠に称えるつもりなのだろうか?

■スーダン派兵で権益確保:朝日社説の含意
■海外派兵を煽る朝日社説
■良心的兵役拒否国家から地球貢献国家へ:朝日の変節
■丸山眞男の自衛隊合憲論・海外派兵論

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/11/02 at 14:11

丸山眞男の自衛隊合憲論・海外派兵論

丸山眞男(丸山真男,1914-1996)は,平和主義者のイメージが強いが,実際には冷徹な現実主義者であり,いわゆる「平和主義者」ではなく,自衛隊についても憲法前文による合憲化や積極的な海外派兵を説いていた。

1.「楽しき会の記録」
たとえば「楽しき会の記録」での丸山発言(『丸山眞男手帳56』2011.1)。これは1990年9月16日午後,丸山宅近くのホテルで開かれた「楽しき会」の録音テープを『手帳』編集部がおこしたもので,丸山自身の著作ではない。丸山は自分の文章についてはきわめて慎重で,一字一句おろそかにしなかった。その反面,少人数での座談は大好き饒舌であり,それらの多くは没後『丸山眞男座談』(9巻,岩波,1998),『丸山眞男回顧談』(上下,岩波,2006),『丸山眞男話文集』(4巻,みすず,2008-9)などにまとめられ出版されている。

これらの記録は丸山自身の著作ではないが,それだけにかえって彼の考えがストレートに出ている。特にこの「楽しき会の記録」のような丸山自身の校閲を経ていない発言記録は,彼の生の声,彼の本音をうかがい知る貴重な資料といえよう。録音テープからの文章化も丸山研究者や練達の編集者が当たっており,十分に信頼できる。

では,丸山は1990年の「楽しき会」において,自衛隊について何を語ったのか?

2.現実主義者としての丸山眞男
丸山眞男は,周知のように,主体的市民の成熟を説く近代主義者であり,「暴力」を手段として使う政治家の「政治責任」を問う冷徹な現実主義者であった。決していわゆる「平和主義者」ではない。

その丸山からすれば,たとえば仙谷官房長官の「自衛隊は暴力装置」という国会答弁(2010.11.18)を非難攻撃し辞任に追い込んでしまった自民党の行為は,笑止千万であろう。警察や軍隊が国家統治の「暴力装置」であることは常識であり,それを口汚くののしり,鬼の首を取ったかのようにはしゃぎ回るのは,およそ大人の政党たる自民党らしくない。自民党は退化し,おしゃぶり(政権)を取り上げられ,だだをこねている幼児のような政党になってしまった。丸山であれば,おそらくそう考えたにちがいない。丸山は,政治においては「暴力」を手段として使用せざるをえないという冷厳な事実を見据えていた。丸山は決していわゆる「平和主義者」ではない。

したがって,自衛隊についても,現実主義者(ウェーバー的現実主義者)としての丸山は,現実主義的な認識をしているとは思っていた。しかし,この「楽しき会の記録」を読むまでは,晩年の丸山が憲法前文による自衛隊の合憲化や積極的な海外派兵を唱えていたことは,まったく知らなかった。うかつと言えばそうだが,これには,正直,驚いた。

3.人民の自己武装権
1990年の「楽しき会」において,丸山は30年前の著作「拳銃を・・・・」(1960,『丸山集8』)を引き合いに出し,「国民の自衛権」を全面的に擁護している。

「拳銃を・・・・」によれば,アメリカ憲法修正2条(1791)は「武器を保持し武装する人民の権利」を保障しているが,それは元来「人身の自由」を最終的に担保する「個々人の武装権」であったし,現在もなお原理的にはそうである。アメリカ憲法は,自由を守るための個人の武装権,人民の自己武装権を認めているのである。

ところが日本では,秀吉の刀狩り以来,人民は武装解除されていき,今では丸裸にされている。また,権利や民主主義も日本では闘いとられたものではなく,既製品として輸入され国民に与えられたものである。したがって,日本人は権利や民主主義が危うくなっても,それらを守るために闘う気力も戦うための武器も持たない。

“私達は権力にたいしても,また街頭の暴力にたいしてもいわば年中ホールドアップを続けているようなものである。どうだろう,ここで思い切って,全国の各所帯にせめてピストルを一挺ずつ配給して,世帯主の責任において管理することにしたら・・・・。そうすれば深夜にご婦人を襲う痴漢や,店に因縁を附けるに来るグレン隊も今迄のように迂闊にはおどせなくなるだろう。なにより大事なことは,これによってどんな権力や暴力にたいしても自分の自然権を行使する用意があるという心構えが,社会科の教科書で教わるよりはずっと効果的に一人一人の国民のなかに根付くだろうし,外国軍隊が入って来て乱暴狼藉をしても,自衛権のない国民は手を束ねるほかはないという再軍備派の言葉の魔術もそれほど効かなくなるにちがいない。日本の良識を代表する人々につつしんでこの案の検討をお願いする。”(p.281)

このピストル配布武装論は,「権利のための闘争」の覚悟,あるいはより直接的には再軍備反対のための断固たる決意を説くためのレトリックのようにも見えるが,しかし私には必ずしもそうとは言い切れないように思える。丸山は,本気で,権利が国家から,あるいは外国から侵害されそうになったとき,最後のギリギリのところでは,個人や人民は武器を取って戦うべきだ,と考えていたのではないか。私にはそう思われる。

4.「国民」の自衛権行使の合憲性
丸山の「楽しき会」発言(1990)は,30年前のこの「拳銃を・・・・」(1960)とまったく同じ人民武装論の立場からなされている。

“外国が入ってきたらどうするのか,と。女房を犯されてどうするのか,と。そんなに言うのなら,各戸にピストルを配れ。そうしたら婦人も安心して夜間に外出できる,と。襲ってきたらやればよい。正当防衛ですよ。”(p.17)

“軍隊は国民の独立[のため]なんだ。個人の独立なんだ。・・・・市民が武器を取って自分を守るんです。”(p.20)

丸山は,「個人」の自衛権・武装権を認め,さらに「国民」の自衛権・武装権も認める。ただし,この「国民」の自衛権は,「国家」の自衛権とは異なる。

“国家の自衛権と国民の自衛権を区別しなければいけない。・・・・国民が自己防衛するのは憲法は許していますよ。完全に合憲です。ピストルを持とうが何をしようが。国家が国家として国家の軍隊を行使してはいけないとだけ,現在の憲法は禁止している。”(p.22)

論旨明快。丸山は,政府専制化や外国侵略に対し,個人やその集合である「人民」ないし「国民」は自衛権を持ち,武器を取って戦ってよいし,戦うべきだ,そして日本国憲法もそれを認めている,と明言している。

それはよく分かる。しかし,そこから先がよく分からない。つまり,「国民」の自衛権・軍隊と「国家」の自衛権・軍隊が,はたして区別できるかどうか? 日本攻撃に対する国民蜂起と国家防衛戦争が区別できるかどうか? 理念的・概念的には区別できるが,実際には多くの場合「国民」の軍隊と「国家」の軍隊は区別できないのではないか?

むろん丸山も,「こうした[アメリカ憲法修正2条の定めるような人民の]武装権が集合体としての『国民』の自衛権に,さらには『国家』の自衛権へといつの間にか蒸発して」しまう危険性を十分に自覚していた(「拳銃を・・・・」p.279)。

しかし,危ないと分かりつつも,近代主義者・現実主義者としての丸山は,個人・人民・国民の自衛権・自己武装権を認めざるをえなかったのである。

5.憲法前文による自衛隊合憲化
ここから,丸山眞男は,日本再軍備反対運動・戦後平和運動の代表的イデオローグでありながら,自衛隊容認,さらには自衛隊海外派遣(派兵)の提唱へと,勇敢にも,いやあまりにも大胆に,突き進んでいく。

丸山によれば,憲法9条は「国家」の自衛権・交戦権を放棄しており,したがってそれを前提とする現在の自衛隊は違憲である。ところが――

“憲法の前文を引用すれば,前文の趣旨に自衛隊を解釈すればジャスティファイできる。”(p.21)

これは重大な発言である。「前文の趣旨」が何かは直接的には説明されていないが,おそらくそれは日本および世界の諸国民の平和的生存権を保障するための軍隊であれば,ジャスティファイ(正当化)できる,ということであろう。憲法前文は,「全世界の国民が,ひとしく恐怖と欠乏から免かれ,平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とのべ,「日本国民は,国家の名誉にかけ,全力を挙げてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」と宣言している。この平和的生存権を守るための自衛隊であれば合憲ということ。それ以外には,考えられない。

6.グローバル化と海外派兵の合憲性
この丸山眞男の自衛隊合憲論は,彼のグローバル化時代の到来という時代認識に裏打ちされている。

“今や世界のシンボル・パワーズがみんな自分の国を自分の国の軍隊では守れなくなった。主権国家の軍隊という意味が全く歴史的に変わった。それと戦争概念の変化があるでしょ。”(p.29)

つまり,いまやグローバルな「ワン・ワールド」が現れつつあり,そこでは――

“国際連合は,世界の警察の役目で制裁するの。・・・・国内警察と同じように,違法行為を犯した奴を世界の警察が捕まえて裁判するんだ。それは警察であり軍隊なんだ。[イラク制裁では]それを主権国家が代用しているのがおかしいの。・・・・これは特定の国家群ではなく,グローバルな国際連合の行為なんです。警察と同じなんです,国連が。軍事行動を取るなら,世界警察としてのみ是認される。”(p.30)

丸山は,平和的生存権保障のための自衛隊を合憲と見なし,さらにそのための国連の軍事行動への自衛隊派遣(派兵)も合憲と考えるのである。

7.丸山「海外派兵論」の危険性
丸山の議論は,結局,国連軍ないし国連警察が成立するなら,日本は自衛隊をそこに参加(派兵)させうるし,積極的に参加(派兵)させるべきだ,という結論になる。しかし,現実には国連軍はまだ成立していない。では,どうするか?

“グローバルな安全保障だけが安全保障であって,軍事同盟は対立するものなんです。軍事同盟を否定するのが国際連合の政治。つまり,世界の警察軍だけを認める。ただ現実問題として主権国家が存在しているから,主権国家の軍隊の力を借りる。”(p.33)

冒頭で丸山は現実主義者だといった。ここでは,その丸山の現実主義が,議論を徐々に危ない方向へと向けていく。

“国連をエフェクティブeffectiveにしようと思ったら,国籍を離脱した国連軍を作るほかないんです。ただ,主権国家はなくならないから,軍人が国連軍から脱退した時には,前の国籍に戻すという保証がなければ,ちょっと困ります。”(p.18)

自衛隊も,当然,国連に派遣され「国連直属の軍隊」になるのであれば,「そうすれば,憲法に違反しない」(p.19)ということになる。しかも,先の説明によれば,国連軍から脱退すると,日本の国籍に戻る。たしかに現実的だ。しかし,そんなことをして本当に大丈夫か?

国連軍がまだ成立していないからといっても,PKO(PKF)の場合,指揮権は国連(総会・安保理)にあり,各国からの派遣軍はその指揮に服する。つまり国連警察軍といってもよい。とすれば,自衛隊のPKO派遣(派兵)は合憲となり,任務終了とともに日本国自衛隊に復帰することになる。自衛隊の活動は世界大に拡大し,国連フィルターを通して自衛隊の自己増殖が始まるのではないか?

丸山にはそうした躊躇は全くない。それどころか,彼の現実主義は,ここに止まらず,さらに議論を危険な方向へと前進させる。

“国籍離脱が無理なら,ぎりぎりの現実論は,さっきの話のように,自衛隊を二つに分けて,国連協力隊と今までの自衛隊と。”(p.34)

“国連協力隊法案のなかにその一条を入れる。今の自衛隊を二つに割って,一つを国連協力隊と名付けると。国連協力隊には自衛隊員以外も参加できるというのがあれば,なおいい。そうすると国連軍に近づくから。”(p.35)

丸山は,「楽しき会」の最後で,自衛隊の国連協力(国連軍参加)について,こう述べている――

“それが日本国憲法の精神だ,と言うんですよ。国内向けには,それがナショナル・インタレストだ,本当の意味で。”(p.36)

現実主義者らしい考え方だ。しかし,本当にこんなことをやってよいのだろうか? かつて明治憲法体制下で顕教(天皇統治)と密教(立憲君主制)の二枚舌が結局は顕教支配を招いたように(久野・鶴見『現代日本の思想』1956),自衛隊海外派遣は国益だという顕教と,それがこれからの世界益だという密教の使い分け二枚舌が,結局は日本国益のための自衛隊海外派兵という分かりやすい顕教の支配になってしまわないだろうか? 「本当の意味で」と限定されていても,国益は国益であり,「国内向け」に使えば,日本国益のために自衛隊を派遣する,となってしまうのは必定ではあるまいか?

私は,この「楽しき会」記録が公刊されるまで,丸山がこのような生々しい発言をしていたことを知らなかった。超国家主義の完膚無き批判者,非武装中立の提唱者,安保闘争支持の代表的知識人,戦後民主主義の旗手――その丸山眞男が,条件付きとはいえ,自衛隊合憲論・海外派兵論を唱えていたとは! これはショックだ。

8.丸山「海外派兵論」と朝日新聞の「変説」
ここでもう一度,「楽しき会」のメンバーを見てみよう(○印は出席者)。
 ○丸山眞男(1914-1996):東大法学部,政治学,日本政治思想史
 ○安東仁兵衛(1927-1998):構造改革派,『現代の理論』発行
 ○石川真澄(1933-2004):朝日新聞,朝日ジャーナル
 ○岩見隆夫(1935-):毎日新聞,サンデー毎日
 ○筑紫哲也(1935-2008):朝日新聞,朝日ジャーナル,TBS
  堤 清二(1927-):辻井喬,西武・セゾングループ
  冨森叡児(1928-):朝日新聞
  松山幸雄(1930-):朝日新聞

そうそうたるメンバーであり,いわゆる進歩派・良識派知識人の会といってよい。ここで丸山が,憲法前文による自衛隊海外派遣合憲論を語った。ジャーナリズム,特に朝日新聞への影響は大きかったのではないかと推察される。では,この「楽しき会」開催(1990年9月)前後の世界情勢,日本情勢はどのようなものであったのか?

 1989 ベルリンの壁崩壊
 1990 イラク軍クウェート侵攻,「楽しき会」
 1991 湾岸戦争勃発,ソ連崩壊
 1992 PKO法成立
 1993 55年体制崩壊,EU成立
 2001 PKO法改正によりPKF参加凍結解除
 2006 自衛隊法改正で自衛隊海外活動が「本来任務」に
 2007 陸自中央即応集団(CRF)設立
    朝日新聞社説21(5月3日)が「地球貢献国家」提唱

この年表から分かるように,「楽しき会」開催の1990年前後を境に,世界も日本も劇的に変化したことが分かる。近代主権国家からなる世界はベルリンの壁崩壊(1989)とソ連崩壊(1991)により終わりの秋を迎え,EU成立(1993)に象徴されるような,超国家的地域共同体やグローバル社会の形成へ向けて大きく方向転換した。

日本でも,保守対革新の55年体制が1993年に崩壊し,政治情勢が流動化,新しい体制への模索が始まった。丸山が1990年に語ったように,世界の構造が大きく変わったのであり,93年の日本政治の構造変化もそれを受けたものであったのである。

そして,ここで特に注目すべきは,自衛隊をめぐる議論がやはりこの頃を境に大きく変化したことである。1992年には国際平和協力法(PKO法)が成立,自衛隊の海外派遣が認められ,2001年には同法改正により平和維持軍(PKF)参加凍結も解除された。さらに2006年の自衛隊法改正により,自衛隊の海外活動が「本来任務」とされ,2007年にはPKOに対応するための部隊「中央即応集団(CRF)」も設立された。ここでは「民軍協力」が本格的に導入され,2007年のネパール国連ミッション(UNMIN)派遣ではCRF配属の陸自隊員が「個人の資格」で派遣され,以後,UNMIN指揮下で活動してきた。

この流れを追認し,さらに強くそれを後押ししたのが,2007年5月3日の朝日新聞「社説21」である。ここで朝日は従来の「良心的兵役拒否国家」を放棄し,「地球貢献国家」を社説として採用し,自衛隊の積極的海外派遣を唱え始めた。これは自衛隊をめぐる議論に決定的な影響を与えた。以前から自衛隊合憲・海外派遣を唱えてきた産経新聞や読売新聞ではなく,それに真っ向から反対してきた朝日新聞が「変説(変節?)」したからである。

この90年以降の日本の防衛政策の変化や朝日新聞の「変説」は,少なくとも外見的には90年の丸山「楽しき会」発言に沿ったものである。では,丸山はこの防衛政策の変化や朝日新聞の「変説」にどのような影響を与えたのか?

丸山は,良識派・進歩派・革新派・護憲派の知識人や政治家に大きな影響力を持っており,多弁な彼がもし90年「楽しき会」発言と同趣旨の発言を別の機会に何回もしているとすると,それを聞いた人々から彼の考えが周辺に広まっていった可能性は十分にある。

特に注目すべきは,朝日新聞「変説」との関係である。「楽しき会」のメンバーには,朝日新聞系の重鎮が4人も含まれている。彼らが丸山に深く傾倒していたことは言うまでもない。具体的なことは,もちろん分からない。しかし,90年の丸山発言と朝日の「地球貢献国家」がよく似ていることは確かである。両者の間になんらかの関係があるのではないかと見られても不思議ではない。

9.丸山眞男と現実主義の陥穽
丸山には,通俗的現実主義を鋭く批判した「現実主義の陥穽」(1952,丸山集5)という論文がある。現実主義者の丸山であるからこそ,通俗的現実主義の危険性をよく認識していた。では,丸山自身の自衛隊合憲論・海外派兵論はどうなのか?

グローバル化時代における「新しい戦争(非正規戦争)」の拡大という「現実」への現実的対応という,「現実主義の陥穽」に陥っているのではないか? 国連を利用した自衛隊自己増殖の正当化理論となっているのではないか?

丸山がいうように,グローバルな「ワン・ワールド」が現れ「世界警察」の必要性が高まりつつあることは認めつつも,それでもなお自衛隊の海外派遣(派兵)には懐疑的とならざるをえない。それは,日本の平和にとって,本当に賢明な選択なのだろうか?

■参考資料
朝日新聞社説21(2007年5月3日)

提言 日本の新戦略―地球貢献国家を目指そう

15.自衛隊の海外派遣

国連PKOに積極参加していく・自衛隊が参加できる国連PKO任務の幅を広げる

・平和構築のための国際的部隊にも限定的に参加する

・多国籍軍については、安保理決議があっても戦闘中は不参加が原則

憲法の前文(資料6)は、日本だけでなく、世界の人々が平和に暮らす権利を重くみた歴史的な宣言でもある。紛争のあった国の再建を手伝う「平和構築」は、前文の精神に沿うものだ。

民族紛争、内戦などで疲弊、破綻(はたん)した国は、和平合意後も社会が不安定な場合が多い。暴力によらずに対立を解決していくためには、民主主義制度の整備や法の支配の確立が大きな鍵を握る。近年、国連主導で平和を持続し、国を再建していく「平和構築」が世界各地で進められてきたのはそのためだ。

「平和構築」は第一に、そこで暮らす人々のために進める。だが同時に、国際的な安全保障での意味も大きい。内戦などで法の支配が崩れると、テロや麻薬、武器密売などの犯罪組織が拠点を置く。そこから脅威が世界に散らばり、「世界の弱点」となる恐れがある。対応策として「平和構築」を進める必要がある。

「平和構築」には行政官やNGOの人たちを含む文民の活動がふさわしい仕事が多い。だが中には、武器を持った実力部隊でないと危険な時期や場所もある。そこに自衛隊の出番がある。

自衛隊の派遣は、日本にふさわしいものでなくてはならない。現地で歓迎され、実際に「平和構築」に役に立つ。あくまで憲法前文のような普遍的な理念に基づく派遣であって、「米国とのおつき合い」だけで海外に自衛隊を送るべきではない。そこで次のような諸点を前提に進めるべきだと考える。

国連PKOは、紛争終了後の平和構築の柱である。だが、他の先進諸国に比べて、自衛隊の派遣件数はまだまだ少ない。日本の参加先をもっと増やし、任務の幅も広げるべきだ。

日本は92年に国連平和維持活動(PKO)協力法を制定し、まずカンボジア復興で自衛隊を派遣した。その後もゴラン高原、東ティモールなどの国連PKOに参加してきた。これまでの参加は、紛争で壊された施設の復旧、医療活動などの人道復興、後方支援だった。

01年に同法は改正され、凍結されていた本体業務への参加が解除された。停戦や武装解除の監視、緩衝地帯での駐留、巡回などが本体業務にあたる。まだこの分野での参加例はないが、今後は協力していくのが適切だろう。

安保理決議に基づき、厳密に規定された任務を進めていくうえでのやむを得ない発砲などは、犯罪を抑える警察の武器使用に近い。武力行使にあたるような使用を認めないのは言うまでもない。

慎重に実績を重ねつつ、将来的には現在のPKO法では認めていない、国連や公的施設の警護などにも範囲を広げる道も探る。治安情勢や自衛隊の練度などを踏まえ、派遣の是非は個々のケースごとに決めるのは当然だろうし、さらにどんな条件が必要かを考えたい。

同じ平和構築でも近年は、国連PKOではなく、国連安保理決議に基づく国際部隊が配置されるケースが増えている。治安の変化に臨機応変に対応する必要性などから、国連ではなく国際部隊に参加した国の現地司令官が指揮するものだ。ただ、任務の内容としては公共施設の復旧、医療活動など国連PKOとあまり変わらない内容のものも含んでいる。

日本としても、こうした国際部隊について、国連PKOにおける後方支援に準じるものであれば、参加するケースがあってもいい。平和構築活動における日本の選択肢を広げるためだ。

その場合、国会の事前承認、武力行使の禁止などの厳しい条件を設けるべきだ。政権転覆が目的の「有志連合」による攻撃など正統性を欠く行動、たとえばイラク戦争のようなものには決して加担しない。そうした戦争の後の平和構築にも基本的に参加しない。

最後に、自衛隊は戦闘中の多国籍軍には後方支援であっても参加しない。この原則は今後も貫く。

例外中の例外が考えられるとすれば、(1)誰の目にも明らかな国際法違反(領土の侵略など)があり、(2)明確な国連安保理決議に基づいて、国際社会が一致する形で集団安全保障(軍事的制裁)が実行され、(3)事案の性格上、日本の国益のためにも最低限の責任を果たす必要がある、といった要件をすべて満たす、極めてまれな場合でしかない。

ただし、その場合でも、自衛隊が協力できるのは、憲法で許容される範囲内の後方支援に厳格に限定されるべきであり、国会の事前承認を大前提としなければならない。

こうした枠組みの中で自衛隊が技量を発揮し、日本らしさをアピールしたい。

資料6 憲法前文(抜粋)
○われら(日本国民)は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う

○われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する

■参照
海外派兵を煽る朝日社説
良心的兵役拒否国家から地球貢献国家へ:朝日の変節

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/02/13 at 21:20

スーダン派兵で権益確保:朝日社説の含意

谷川昌幸(C)
朝日新聞はいったいどうなってしまったのだろうか? 25日付社説「スーダンPKO・目立たぬからやめるとは」は,陸自ヘリ部隊のスーダン派遣断念を非難し,積極派兵政策への転換を要求している。
 
スーダンには,2008年から中央即応集団の陸自隊員2名が派兵されている。そこにヘリコプター部隊も派遣することが,検討されていた。熱心にヘリ部隊派遣を唱えたのが,今回も外務省。砲艦外交で,外交力を増強しようという魂胆なのだ。
 
これに対し消極的だったのが,やはり防衛省・自衛隊。ヘリ部隊を派遣すると,低速・低高度のヘリは,格好の攻撃目標となり撃墜される危険性が高い。そんな危ないことはできないというのだ。この自衛隊の判断は極めて合理的であり,非難の余地は全くない。
 
ところが,朝日社説はこの防衛省・自衛隊の姿勢を「残念だ」と非難する。その理由は,まず第一に,国連や米国――本音は米国――を失望させるから。米国はケニヤ系のオバマ大統領が隣国スーダンの平和構築支援に熱心であり,外務省としては,ヘリ隊員を人身御供としても米政府のご機嫌を取りたいのだろう。
 
第二の理由は,変節朝日の自己正当化のためであろう。朝日は,数年前,自衛隊海外派兵論へと社説を180度転換した。それまでの「後ろ向き」「内向き」の社説(良心的兵役拒否国家)を,「前向き」「外向き」(地球貢献国家)に切り替えたのだ。それ以来,朝日は社をあげて自衛隊海外派兵イケイケドンドン,25日社説でもヘリ部隊スーダン派遣を「前向き」に検討してきた民主党政権を誉めたたえ,それに抵抗してきた防衛省・自衛隊を「内向き」と非難しているのである。
 
第三の理由は,社説では直接言及されてはいないが,資源確保である。周知のように,スーダンは石油など地下資源が豊富であり,中国などがPKO部隊(約300人)を送り込み,争奪戦を繰り広げている。朝日もそんなことは十分わかっているが,それには口をつぐみ,平和構築の美称で臭いものにふたをして,ヘリ部隊派遣を強行させようとしている。中国に後れをとるな,日本も派兵して資源の確保を図れ,というわけである。
 
やや深読みかもしれないが,これが朝日社説の真意だとすると,朝日は過去から何も学んでいないことになる。そもそも朝日は自己の戦争協力を検証し,それに基づき戦争責任を認めたはずである。これは「新聞と戦争」という特集記事として掲載され,あとで単行本『新聞と戦争』(朝日新聞社,2008)として公刊された。
 
 
この本については,井上ひさしが「過去の自己の活動を,驚くほど厳しく自己点検している」と高く評価している。また,赤澤史朗教授(立命大)も,朝日の戦争協力の事実を確認しした上で,この朝日の検証記事を高く評価している。
 
 「朝日新聞社が満州事変を契機に戦争支持へ社論を転換させ、戦意昂揚を煽る紙面作りをしたことは、従来から指摘されていた。その際、緒方竹虎など朝日新聞の首脳部の意図は、軍との協調関係を築きながら、他方で軍への批判や抵抗の芽も残しておこうとするものだったのかも知れない。しかし彼らには、どの地点で踏みとどまるべきか、どうしたら反撃に転じられるかということへの、見通しも勇気も欠けていたように見える。
 新聞社の戦争協力は、ずるずると多方面に広がっていった。戦争のニュース映画の製作と各地での上映、女性の組織化と国策協力への動員、文学者とタイアップした前線報道や帰国講演会など、そのいずれもが新聞の購読者の拡大につながるものだった。
 さらに進んで朝日新聞では、満蒙開拓青少年義勇軍の募集を後援し、戦争末期には少年兵の志願を勧める少国民総決起大会も開催している。そして新聞社が植民地や満州で、さらには南方占領地などで、新聞を発行し経営の手を広げるのにも、軍との良好な関係は大いに役立ったのである。」
 「日本の15年戦争は、マスメディアの協力なしには遂行できなかった。しかしこれまでその戦争責任を追及した研究は、外部の学者や元記者によるものであった。その点で朝日新聞が、自社の戦争協力を検証した「新聞と戦争」シリーズは、画期的な仕事といえるように思う。高齢の新聞社OBを探し出して取材する手法は、新聞社ならではのものであった。07年4月から1年間夕刊に連載されたそれは、日本ジャーナリスト会議の大賞を受賞し、連載をまとめた本書は570ページを超える大著となった。」 (http://book.asahi.com/review/TKY200807290119.html
 
朝日は自己の戦争協力・戦争責任を明確に認めた。では,それならどうして25日社説のような記事が書けるのか? 『新聞と戦争』と25日社説とは,どのような関係にあるのか? 朝日には,ハトとタカが同居しているのではないか? 朝日は,遺憾ながらジキル博士とハイド氏,危険な二重人格新聞ではないか?
 
■関連記事
 
スーダンPKO―目立たぬからやめるとは(朝日新聞社説 20107.25)
 南北統一の維持か、南部の独立か。アフリカ大陸のスーダンは、来年1月に実施する住民投票で岐路を迎える。20年以上にわたった悲惨な内戦が終結した後の和平プロセスの節目である。
 その支援のために、日本は国連スーダン派遣団(UNMIS)への陸上自衛隊ヘリコプター部隊の派遣を打診されていた。投票箱を運んだり、選挙監視要員を動かしたりといった活動に、国連や米国は期待を寄せた。
 しかし、菅政権は派遣を見送った。アフリカ内陸部にヘリ機材を送る困難さや安全性を主な理由に挙げている。
 破綻(はたん)国家再建の試みとして、世界の注目を集める国連平和維持活動(PKO)だけに、残念だ。
 スーダン南部では、2005年の内戦終結に伴い、70カ国近くのPKO要員約1万人が停戦監視や難民支援などにあたる。日本も08年から自衛官2人をUNMIS司令部に派遣してきた。
 「PKOへの積極参加」を掲げる民主党政権は、政権交代後、自衛隊によるインド洋での洋上補給活動を中止する代わりに、スーダンPKOへの部隊派遣を前向きに検討してきた。
 ところが最終的に、北沢俊美防衛相が100億円にのぼる経費や準備期間の長さなどをあげ、積極的だった岡田克也外相を押し切る形となった。
 気になるのは、防衛省が「自衛隊の評価につながらず、士気も上がらない」と、アピール度の低さを理由に難色を示した点だ。
 あまりに内向きな発想だ。まず考えるべきは、スーダンが日本の役に立つかどうかではない。日本がスーダンの役に立てるかどうかだろう。
 平和構築の大切さをわかっているのか。そんな疑いさえ抱いてしまう。平和構築は、民族紛争や内戦などで疲れ切った人々に救援の手をさしのべるためだけではない。
 国家が破綻していくのを放置すれば、国際社会へのとばっちりは計り知れない。テロや犯罪組織の温床となり、世界の安定を脅かす。平和構築は、それを阻む国際的な安全保障の意味合いが大きい。各国が協力する取り組みにできる範囲で加わる。それが回り回って日本の安全にもつながる。
 平和構築は「日本の存在感を世界に示せるかどうか」といった計算ずくで判断するべきことではない。
 今年のハイチ派遣でPKOの参加規模は増したものの、国際社会の期待はなお大きい。連立政権の複雑さや普天間移設問題の混迷があったとはいえ、鳩山由紀夫前首相、菅直人首相はもっと指導力を発揮できなかったものか。
 スーダン和平は住民投票を無事終えたとしても、さらに幾多の障害が予想される。まだまだ外からの支えが必要だ。菅政権は、次なる支援策の検討に大きな判断を示してもらいたい。
 

Written by Tanigawa

2010/07/25 at 15:43