ネパール評論 Nepal Review

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ネパール地方選を中国援助

プラチャンダ首相が訪中し,3月27日,習近平主席と会談した。会談後,中国政府は,ネパールの5月地方選に対し,1億3千6百万ルピーの援助をすると発表した。

あれあれ,ネパール政府は,次の選挙では外国援助を受けないと宣言していたのではなかったかな?(参照:地方選,5月14日投票)それを知ってか知らずか,よりによって人民民主主義の中国が多党制民主主義のネパールの選挙を支援する。興味深い。

一方,この中国による選挙支援には,世界最大の選挙民主主義国インドをバックにするマデシ諸党が猛反発,中国政府を激しく非難している。ネパールでは,地方選ですら,国際政治と密接不可分なのだ。難しい。

■在中ネ大使館HPより

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2017/03/31 at 22:40

地方選,5月実施?

ネパールの代議院議員任期は5年だが,経過規定(憲法296条)により現議員(立法議会議員)の任期は2074年マーグ月7日(2018年1月21日)まで。はや1年を切っている。したがって,代議院議員選挙の準備を急がなければならないが,それには,なによりもまず州,郡,町村の選挙を行い,正統な地方政府を構成しておくことが必要である。(上院の方は議員の大半が地方と州の長や議員から互選されることになっており,町村や州の正統な政府が成立していなければ,そもそも選出できない。)

これは,政治的にも実務(事務)的・経済的にも,たいへんな大事業である。へたをすると,国家そのものが選挙倒産しかねない。本当に,実施できるのだろうか?

準備は進められている。立法議会(連邦議会)は1月25日,「改正選管法」と「有権者登録法」を可決した。そして,地方(स्तनिय),州,連邦の3レベルの選挙を実施するに必要な他の法令や制度の準備も急いでいる。

しかし,州については,マデシ諸勢力が現行憲法付則の州区分に強硬に反対,議会ではこの部分の改正につき議論が続いている。州区画は,事実上まだ確定していないといっても過言ではない。この状態で,どのようにして州議会選挙を実施するのか?

地方レベルの村(गाउँ)や町(नगर)も,当然,どう区画するかをめぐり,タライを中心に,大混乱している。現在,地方自治体は町が217,村が3117あるという(CBS2002では町58,村3915)。「地方制度再編委員会(LLRC)」は1月6日,これらを719に再編・統合する答申書をプラチャンダ首相に提出した。

このLLRC答申は,地方自治体を「人口と地理」を基準に719に区分している。これに対し,タライ諸勢力は,「人口」を基準に区分すべきだと主張している。タライは人口が多い。タライは,答申では719自治体のうち30%しか配分されていないが,「人口」だけを基準にすれば,少なくとも45%は配分されることになる。これは,州区分争いと同じ構図だ。町村は生活に近いだけに,州区分以上に再編・統合は難しいだろう。(日本では平成大合併の後遺症がなおも継続中。)

 ▼1町村の区画基準人口(LLRC,2016年10月)
  地 域  村(ガウン) 町(ナガル)
  山 地 13,000    17,000
  丘 陵 22,000    31,000
  タライ 40,000    60,000

現状はこのような有様なのに,プラチャンダ首相は,必要な法令を成立させ,5月半ばまでに地方選挙を実施すると繰り返し明言している。自らの手で地方選挙を断行し,これをてこに,州議会選挙と連邦議会選挙を実施しマオイストを勝利に導きたいと考えているのだろう。

しかし,本当にプラチャンダはこれらの選挙を実施できるのであろうか? あるいは,かれ,または他党の誰かがこれらの選挙を実施するとして,それでネパールの財政はもつのであろうか? 

ネパールに設計主義的な選挙民主主義(選挙原理主義)を押し付けた国連や西洋諸国は,責任を免れない。必要なカネとヒトの支援を惜しむべきではあるまい。

170129■松本の姉妹都市カトマンズ(同市HPより)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2017/01/29 at 16:59

制憲議会選挙2013(13):パンドラ狂宴後の幻滅

選挙運動期間が昨日(16日)終了し,街は静かになった。キルティプルでは,自家用車とバスは完全ストップ,警察車両,清掃車,水運搬車などごくわずかの車と,バイクが走っているだけ。高原の清浄な空気と静けさ。ヒマラヤ全山がくっきり見え,絶好のピクニック日和だ。

対照的に,選挙はパンドラ狂宴後の落胆と幻滅の陰鬱な空気の中。投票に託す夢はほとんど聞かれない。いったい何のための選挙なのか?

そもそも不用意にパンドラの箱を開けたのは誰か? ネパールの人々自身ではない。いずれネパール人自身が開けることになるにせよ,それを待つことなく,自分たちの都合で,カネと功名のため,性急に,無責任にパンドラの箱を開け,有象無象を一気に解き放ったのは,西洋諸国だ。

パンドラの箱から出てきた有象無象の中でも,とりわけやっかいのが,多文化主義的民族主義選挙民主主義

西洋の「知の商人」は,そもそも民主主義と諸民族自治をお題目としていながら,ネパールの運命をネパール人自身に委ねておくことが出来ず,自分たちの都合で,それを取り上げ,西洋のもっとも「進歩的」な理論や制度を,カネで釣りながら,お節介にも押しつけ,ネパールを文化的植民地にしてしまった。

たとえば,言語。西洋諸国は,多言語主義を押しつけ,各民族の母語使用権を法制化させた。結果はどうか? パンドラの箱から無数の言語が飛び出し,西洋好みの自由競争をさせられ,たちまち自分たちのものではない最強言語=英語の支配に屈服させられた。

お題目を括弧に入れ,経過と結果を,科学的かつ客観的に分析・評価するなら,多文化主義的多言語主義は,ネパールの各民族の母語の維持強化ではなく,それらを世界言語市場に引き入れ,最強言語たる英語に屈服させるためのものであったことがわかる。何のため? いうまでもなく,ネパールをグローバル資本主義の市場とするためであり,また英語使用ネパール人を安価な労働力として使用し搾取するためである。

選挙民主主義も同じこと。ネパールも,選挙民主主義にいずれは移行せざるをえないであろう。それは,まず間違いない。しかし,短気な西洋諸国は,それを待てない。功名を焦り,パンドラの箱を一気に開け,一人一票,選挙至上主義を解き放った。

選挙が有効に機能するのは様々な前提条件が揃っているときであることを,西洋諸国は,自分たちの歴史の中でイヤというほど経験し,熟知している。しかし,そんなことは素知らぬ顔で無視し,自分たちの利益のため,選挙民主主義をネパールに押しつけたのだ。

さらに悪いことに,本来,相性の悪いはずの集団主義的多文化主義が,個人主義的一人一票選挙とセットになっている。原理的にも実践的にも無茶苦茶だが,ネパールはモルモット,「解体」さえしてしまえば,後はどうでもよい。解体後は,世界資本主義の思いのままだ。

ネパール庶民は,多文化主義も選挙民主主義も,結局,国際社会の「知の商人」や,その下働きたる新しい買弁特権階級を太らせるだけで,自分たちの生活向上には,ほとんど役に立たないという事実を,イヤというほど見せつけられてしまった。選挙は,やらされるのであって,自分たちが自分たちのためにやるのではない。

投票日直前というのに,盛り上がらず,シラケと幻滅が広がっているのは,そのためだろう。選挙への期待,選挙後の明るい展望がほとんど聞かれない。

性急にパンドラの箱を開けた西洋諸国,特にネパールを最新理論の実験台にした開発寄生知識人・専門家の責任は重いと言わざるをえない。

▼自然と伝統(第二の自然)と人為(キルティプルとその付近)

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 ■マナスルと菜の花/ヒマラヤの満月

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 ■宗教と政治/民主主義のコスト(有権者登録証発行警戒)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/11/18 at 12:31

カテゴリー: 選挙, 政治, 歴史, 民族

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制憲議会選挙2013(9):Bullet or Ballot

現在,ネパール政府(国家安全保障会議)は,選挙実施のため,軍隊,武装警察,警察の総動員態勢をとっている。
   軍   隊: 6万2千人
   武装警察: 2万9千人
   警   察: 4万5千人
   臨時警官: 4万5千人
        計 18万1千人

選挙集会や行進に爆弾が投げられ,反対派に棍棒や投石で攻撃され,立候補者や運動員が拉致されたりするのだから,軍隊や警察による厳重警戒はやむをえないとはいえる。国際社会も,それを強く支持している。

しかし,銃下の投票は,やはり異常である。健康な「平和ぼけ」の日本人は,本物の銃など見たこともないので,小銃を構えた兵士や警官に出くわすと,ギョッとし,心臓が止まりそうになる。このような「平和ぼけ」を正常とすると,ネパールの選挙は,どう見ても異常である。

 Ballot or Bullet! 投票か弾丸か!

これは,参政権なき被抑圧人民が唱えるときは,まだしも健全である。しかし,体制側が,危険性に無自覚に,その正義を大上段に唱え始めるときは,警戒を要する。

マオイストは「銃口から革命が生まれる」という毛沢東思想を掲げて人民戦争を戦い,王政旧体制を打倒した。そして,体制側となると,今度は他の体制派諸党と手を組み,西洋選挙民主主義者の積極的支援も得て,体制正統化のため選挙を実施しようとしている。今度は「銃口から投票が生まれる」のだ。

むろん,いかなる体制も何らかの「暴力装置」により最終的には担保されている。日本では,健康な「平和ぼけ」とは全く別の,脳天気な「平和ぼけ」が蔓延していて,自衛隊を「暴力装置」と呼ぼうものなら,「国賊」と罵られ,あげくは銃口さえ向けられかねない。軍隊や警察が国家の「暴力装置」たることは常識なのに,その常識を暴力により封じ込めようとする度し難い自己矛盾,非常識!

西洋諸国も日本も,その選挙は「暴力装置」により安全保障されている。その限りではネパールも全く同じなのだが,それでも,こう露骨だと,肝心の選挙の正統性に疑念が生じざるをえない。「銃口から投票を生み出す」ことの危険性を,とくに西洋の選挙民主主義者は,つねに自覚していなければならない。

さてそこで,反体制33党連合の選挙粉砕バンダだが,第1日目の11月11日は,カトマンズ市内を見た限りでは,8割程度の実施状況であった。バスやタクシー,それにバイクは,かなり少ないものの,どこでも走っていた。店舗は,表通りはほぼ閉じていたが,裏通りで1/3くらい,観光地ではほぼ通常通り営業していた。

いつもなら街角にたむろしてバンダ破りを見張り,攻撃するバンダ実施派の人々も,見て回った限りでは,どこにもいなかった。全体に規制は緩い感じ。政府が公共交通機関のバンダ襲撃被害の補償を宣言しているし,主要政党や経済界,市民社会諸団体もバンダ宣言無視を繰り返し宣言している。この情勢では,バンダ継続は難しいのではないだろうか。(ただし,バンダ中の移動が危険なことは言うまでもない。地域差も大きい。)

選挙との関係については,バンダそのものよりも,むしろ劣勢を伝えられるマオイストが,バイダ派中心の33党連合の反選挙バンダを口実にして選挙延期に回る可能性の方が大きい。マオイストにとって,選挙敗北となれば,失うものが多すぎるからだ。最大限の現状維持こそ,マオイストの党利党略であろう。

投票所入場券配付は投票日直前の17日というドタバタ。バンダ以外にも選挙延期の理由は,いくらでもある。

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■旧王宮入口のバンダ閉店/ヤンガル付近の営業商店と警戒警官

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■小銃武装兵(警官?,郵便局付近)/警察警戒車両(郵便局付近)

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■ニューロード入口/ラトナ公園バス停

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■アサン占拠のNCと警戒警官(車内)/ジャタNC選挙集会

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/11/12 at 16:00

制憲議会選挙2013(7):ゼネストか商売か?

バイダ派マオイストを中心とする反選挙33党連合が,11月11日から10日間の選挙粉砕バンダ(ゼネスト)を宣言している。

日本では想像も出来ないことだが,バンダは完全ゼネスト。乗り物は人力車も含め一切禁止。店もすべて閉める。今回は犬一匹歩かせないそうだ。

もしバンダを無視すれば,車はボコボコにされ,店は破壊される。以前,何回か移動のためやむなくバンダ破りを試みたが,いたるところで攻撃され,恐ろしかった。いかにも外人といった風体でも容赦なし。本気のバンダは,戦場のようなもの。そのつもりで行動しないと,危険だ。

が,そんなバンダ(ゼネスト)を10日間もやられては,たまったものではない。そこで選挙で正統性を確保したい大政党はむろんのこと,市民社会諸団体や商工会議所(FNCCI)などもバンダ反対声明を出したし,選挙民主主義と「法の支配」を唱える西洋諸国もバンダに猛反対だ。お隣の中国ですら,選挙をやれ,と圧力をかけている。

反選挙33党連合は,四面楚歌,追い詰められ,バンダ中止の観測気球を上げ始めた。UCPN-M(プラチャンダ議長)かどこかの政党と取引が成立すれば,バンダ中止の公算もある。ただ,メンツのため,1,2日のバンダは避けられないのではないかと噂されている。

選挙は,ネパールでは,いまや官民挙げての一大産業。GDPの2.5%を占めるともいわれている*。たとえば,旗やビラを作成する広告業者。各党の旗や横断幕の見本が,所狭しと展示されている。イデオロギーは何であれ,発注政党は,上得意様なのだ。一目見てそれと分かる,産業としての選挙の典型であろう。 
  * http://www.myrepublica.com/portal/index.php?action=news_details&news_id=64136

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■看板屋店頭(バグバザール)

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■政党ビラ(バグバザール)

Written by Tanigawa

2013/11/09 at 23:36

カテゴリー: 選挙

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制憲議会選挙2013(6):英雄プラチャンダの不人気

今回の制憲議会選挙の目玉候補,「世俗共和国革命」の英雄プラチャンダ議長(マオイスト)の人気がいまいちだ。さんざん蓄財し,身内多数をごり押ししマオイスト候補として立てているからだそうだ。

プラチャンダが立候補しているのは,前述のように,カトマンズ第10選挙区。一昨日はパンガ,チョバール方面に来てキャンペーンをやったというので,昨日,現地を見に行ってきた。

たしかにマオイストやプラチャンダの巨大ポスターがあちこちに掲示してある。しかし,コングレスやUMLもほぼ拮抗している感じだ。

チョバールの丘で何人かに話を聞くと,プラチャンダの評判はあまりよくない。UMLのマナンダールの方が受けがよい。階級イデオロギーよりもカースト=民族ということだろう。

もしプラチャンダ落選ということになれば,マオイストの後退は免れない。分裂もあるかもしれない。カトマンズ第10選挙区は,目が離せない。

(以上のようなことを書くと,場合によっては,「選挙運動規則」違反で逮捕される可能性もある。選管は外国監視(選挙モニター)を自由・公平選挙にとって「必要不可欠(a must)」と公言している。外圧を利用した選挙規制。そして,規制が強化されればされるほど,規制当局の権力が強化されるのは必然。「選挙民主主義」イデオロギーによる西洋の介入強化と,それを利用した選挙管理委員会の「選管管理選挙」。ネパールの選挙は,複雑怪奇。選挙性善説に安住していると,足をすくわれるおそれがある。)

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■ビラなし壁(チョバール丘)

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■マオイスト(チョバール丘)

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■コングレス(チョバール丘)

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■コングレスとマオイスト/UML(チョバール丘下バジャンガル付近)

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■マオイスト(パンガ)

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■RPPネパール/NRPネワール国民党(パンガ)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/11/07 at 13:18

カテゴリー: 選挙

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制憲議会選挙2013(4):選挙運動観察

カトマンズの選挙運動は,いまのところ低調。日本よりも静かな選挙管理委員会「管理選挙」の様相だ。管理選挙となれば,各種コネ候補が有利となるのではないか?

というわけで,11月2日(土),某党某候補の選挙運動を突撃経過観察した。
 [選挙区]カトマンズ第5選挙区:カトマンズ市内の一部と郊外山麓
 [有権者数]55,377人
 [立候補者数]28人
 [集会と行進]5カ所。参加者:各集会数十人~百人位
 [日時]11月2日午前7時~正午

選挙区内の5カ所で集会と行進が行われ,そこに立候補者と応援有力者20数名が車で移動,演説し,行進する。最後をのぞき,候補者一行の参加時間は30~40分。あとは流れ解散となる。

最後の5番目は,山麓の村。ここでの集会と行進は長く,約2時間。起伏の大きな村をスローガンを唱えながら登り降りし練り歩く。かなりきつい。行進終点には有名俳優が顔見世にきていて,行進打ち上げを盛り上げた。

選挙区内5カ所を見て回って気づくのは,やはり選挙ビラが少ないこと。選挙という感じがしない。

次に,集会や行進は運動員らだけで,一般参加者らしき人はあまり見られなかった。行進が来ても,家の外に出て手を振ったり声をかける人は少ないし,ビラを渡しても反応はあまりない。全体としてシラケた感じ。他人事のよう。集会や行進は日本以上によく組織され手慣れた感じなので,落差がそれだけ際だつ。

集会と行進には,警官数名が終始付き添い,警戒していた。また,西洋派遣の選挙監視団が行進を「監視」していた。自国警察の警備はまだしも,外国人による「監視」は,露骨な上から目線であり,観察者としてくっついて歩いていても実にいやな感じ。独立自尊否定の「選挙植民地主義」。

グローバル資本主義の走狗「選挙民主主義」のイデオロギーに屈服し,こんな屈辱に馴れてしまったら,民主主義も何もあったものではない。外国に「監視」されなければ実施できないような選挙であれば,やらないほうがよい。外国監視下の選挙は自治の原理に反する。――と,つい余計なことも言いたくもなる。  

今回の選挙運動観察は,たまたま某党某候補者。次は,別の党の別の候補者について観察してみたい。

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谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/11/03 at 14:39

カテゴリー: 選挙, 憲法, 政党

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制憲議会選挙2013(1):イデオロギーとしての選挙民主主義

制憲議会選挙(संविधानसभा सढस्य निर्बचन २०७०)が近づいてきた。投票日は11月19日だというのに,いまだ実施延期も含め,様々な議論があるが,選管は準備を進め,主要諸政党の比例制候補もほぼ出そろい,よほどのことがない限り,おそらく選挙は実施できるであろう。そこで,あとで検索(右欄検索ツール使用)しやすいように,「制憲議会選挙2013」のタイトルの下に,関連記事をアトランダムに掲載していくことにする。

131004a 131004b ■制憲議会選挙啓発(前回)

1.市場社会化と選挙民主主義
選挙民主主義(electoral democracy)については,これまで何回か批判した。冷戦終結(1989-91年)以降,世界は自由競争市場社会化に向け大きく前進した。これは,アメリカを中心とする先進諸国が,選挙民主主義を武器として,戦略的に巧妙に押し進めてきたものだ。途上国は非民主的であり,それゆえ開発が遅れ,紛争が絶えず,悲惨で貧しい。先進国のように豊かになり,よい生活がしたければ,選挙をやり,民主化せよ。これが先進諸国の途上国に対する選挙民主主義のお説教である。

選挙民主主義がいかに欺瞞的かは,途上国の貧困は先進諸国の長年の搾取によるものであることへの反省が選挙民主主義者にはまるでないことを見てもよく分かる。今日の途上国,つまり「後進国」は,先進諸国に侵略され略奪されるまでは,例外なく豊かであった。欧米諸国,そして遅れて日本などが,自分たちは貧しかったので、豊かな「後進国」の富を目当てに軍隊を送り込み,資源や財産,あげくは人間までも強奪し,自分たちの国を豊かにしてきたのだ。

先進諸国は,軍隊で強奪しうるものはほぼ強奪した。次はソフトパワーの出番だ。こうして選挙民主主義が,軍隊により強奪し「後進国」に陥れた地域から先進諸国がさらに搾り取るための次の手段として戦略的に投入されたのである。

むろん選挙民主主義は,先進諸国においては,その欠点や限界が改めて意識され始めている。ところが,途上国においては,決してそうではない。イラク,アフガン,そしてネパールにおいても,先進国押しつけ選挙民主主義は大失敗であった。にもかかわらず,その反省もなく,先進諸国は途上国に選挙民主主義を押しつけようとしている。なぜか? いうまでもなく,選挙民主主義こそは,途上国をグローバル市場に引き込むための最強のイデオロギーであり,先進諸国にとっては――途上国自身にとってではなく――最も有効かつ有益だからである。

選挙は,現代グローバル資本主義のイデオロギーであり,軍隊に代わる現代型搾取の手段として途上国に対して戦略的に用いられている。

2.必要悪としての選挙
しかしながら,難しいのは,選挙民主主義は欠陥と限界を十分意識しておれば,国家社会統合の手段として一定の有効性をもつということ。偉大な貴族保守主義者にして現実主義者のチャーチルが喝破したように,「民主主義は,歴史上存在した他の統治を除けば,最悪の統治である」。悪しき統治だが,われわれには,もはやこれしか選択の余地はない。先進諸国がケシカランのは,自分たちが限界を意識していながら,途上国に対しては,まるで万能特効薬であるかのように純粋選挙民主主義を処方し,押しつけようとする点にある。

下心は,むろん,手っ取り早く途上国を市場社会化すること。先進国企業の市場にしてしまえば,あとは,どうなろうが知ったことではない。これは,かつて軍隊や宣教師を送り込み,地域の伝統文化や言語を奪い,西洋文化や英語・スペイン語などを押しつけ,かくして「文明化」することによって世界を植民地化し搾取したのと,方法においては異なれ,目的は同じである。

3.謙虚な選挙側面協力
われわれは,途上国に対し,そのような不遜な,利己的なことはやってはならない。選挙民主主義は欠陥だらけ。にもかかわらず,選挙以外の選択肢は,今のところ,ない。この冷厳な事実を十分自覚しつつ,途上国の選挙に側面からそっと協力する。純粋選挙民主主義の劇薬を押しつけるなどといった愚行は,いかにその誘惑に駆られようとも自制し,その国,その地域に適した形の選挙に,裏方として,そっとやさしく協力する。自分たちが,数百年かかって不十分ながらやっと手にしたものを,短兵急に,途上国で無菌促成栽培しようなどと高望みしてはならない。

ネパール制憲議会選挙についても,先進諸国は,そのような謙虚な姿勢で臨んでほしいと願っている。

[参照]
穀潰しの選挙民主主義
カーター元大統領:救済者か布教者か?
ガルトゥング提案の観念性と危険性
派兵はNGOの危機,ネパールとアフガン
選挙後体制と擦り寄り知識人
選挙民主主義関係記事一覧

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/10/04 at 14:20

カーター元大統領:救済者か布教者か?

1.カーター元大統領の訪ネ
カーター元アメリカ大統領が,3月29-31日,訪ネし,ヤダブ大統領やレグミ議長(首相代行),プラチャンダ(UCPN),スシル・コイララ(NC),JN.カナル(UML),ガッチャダル(MJF)らの党首,そして市民社会の著名なリーダーらと会見した。

多くが歓迎する一方,中には辛らつな批判をする人もいる。カーター元大統領あるいはカーターセンターは,ネパールにとって,救済者か,それともアメリカ教か何かの布教者なのか?

130403 ■カーター夫妻(Carter Center HP)

2.ノーベル平和賞受賞者としてのカーター元大統領
ジミー・カーター(88歳)は,第39代大統領(1977-81)として,またカーターセンター(設立1982年)の活動を通して,世界の平和・人権・民主主義のために貢献してきたとして,2002年,ノーベル平和賞を授与された。

▼ノーベル平和賞授与理由
大統領として,イスラエル・エジプト紛争を調停した。また,カーターセンターは,紛争解決,人権保障,選挙監視,途上国開発に大きく貢献した。「カーター氏は,紛争は可能な限り国際法,人権尊重,経済発展に基づく仲裁や国際協力を通じて解決しなければならないとの諸原則を堅持してきた。」(共同,2002-10-11)

▼秋葉広島市長メッセージ(2002年10月17日)
「被爆地ヒロシマを代表し,貴殿のノーベル賞受賞をお祝い申し上げます。」

3.カーター元大統領とネパール
カーター元大統領は,ネパールについても,特にヒンドゥー教王国崩壊後,関心を高め,選挙実施や人権保障について助言や援助を行ってきた。2008年選挙の時は,選挙監視団を派遣し,報告書を出している。

今回の訪ネに先立って,1月8日,カーターは,カトマンズ・ポスト紙に「ネパール和平には選挙が必要」と題する文章を発表(カーターセンターHPにも転載),次のように述べた。

「残念なことに,選挙が2013年11月あるいは2014年春実施ということになれば,この間12ヶ月以上も,選挙されていない政府がつづくことになる。」そこでーー
  (1)選管人事を進めよ
  (2)選挙準備を進めよ
  (3)有権者登録を進めよ
  (4)選挙の方法を決めよ
  (5)選挙区画の必要な修正をせよ
  (6)選挙実施行政機構を整備せよ

選挙民主主義者カーターの(米国の)面目躍如といったところ。この考えに基づき,今回の大統領や議長(首相代行),各党・各界リーダーらとの会見においても,彼は,カーターセンターからの選挙援助と監視団派遣を提案した。政府や主要諸党は,この申し出を前向きに評価した。

4.救済者としてのカーター
このようなカーターのネパール関与を肯定的に評価し,積極的な援助を期待するのは,たとえば,自らをリベラル進歩派と考えるKC.ゴータム――
  Kul Chandra Gautam, “Jimmy Carter and Nepal,” Republica, Mar27-28, 2013.

2日連載の長い文章において,KC.ゴータムは,カーターとカーターセンターに対し,積極的な介入と支援を,以下のように要請している。

「カーターセンターがネパールに深く関与し,またジミー・カーターが個人的にも我が国の平和プロセスに大きな関心を持たれていることを知り,私はたいへん嬉しかった。カーターの選挙監視,紛争解決,そして『平和を求め,疾病と闘い,希望を構築するために』は,世界的な経験に裏付けられ,信頼されている。そのカーターの賢明な助言は,ネパールにとって極めてタイムリーなものであり有益なものであろう。」

カーターセンターは,卓越したネパール分析を発表してきた。平和プロセス,制憲議会選挙,憲法制定,地方平和委員会,土地改革と没収土地返却,アイデンティティ政治などについて。

「特に,選挙管理委員会に関するレポートと勧告は,洞察に富むものだった。ジミー・カーターが,ネパールをはじめ,世界のいたるところで平和,民主主義,開発を促進するため崇高な努力をされてきたことを,全面的に支持し,深く信頼している。たしかにカーターを偏狭なアメリカ主義者・キリスト教代弁者と見る人もいるが,私には,このような皮相な見方は受け入れられない。カーターは,米政府の政策に反対する立場を幾度か勇敢にとったし,キリスト教会については,少女や女性にたいする差別を正当化したとして,教会との関係を公に拒否し切断した。これは事実であり,私はそれを尊敬している。」

今回のカーター訪ネの意義を,ゴータムは次のような観点から説明している。
  (1)制憲議会選挙の準備。選挙は民主主義にとって最も重要。
  (2)連邦制を新憲法の中に書き込むこと
  (3)経済発展,法の支配,人間の安全保障の促進
「カーターが,ネパールで会談する人々に,これらの課題について率直に語り,明確なメッセージを与えてくれることを期待する。」

そして,具体的な要望としては――
  (1)制憲議会選挙の監視
  (2)地方選挙の実施勧告。地方選挙は15年間実施されていない。
  (3)人権保障,特に「真実和解委員会」の適正な運営。マオイストや軍にたいする全面免責は認められない。加害者を処罰し,正義を実現するための支援をしてほしい。
  (4)包摂民主主義を促進し,社会的公正を前進させること。
  (5)連邦制の実現。「私は,カーターが,その世界的経験に基づき,ネパール人にこう助言てくれると確信している――すなわち,平等,包摂参加,社会的公正へのわれわれの正当な要求は,アイデンティティ連邦制と同一視されても混同されてもならないということである。」
  (6)経済の発展と平等の促進

130403a ■カトマンズのカーター元大統領(Carter Center FB)

5.布教者としてのカーター
これに対し,カーターやカーターセンターの活動に懐疑的なのが『テレグラフ』の「ジミー・カーター来訪,疑惑の旅」(Telegraph, Feb.18, 2013)

「第39代米大統領ジミー・カーターは,非キリスト教世界へのキリスト教宣教活動で知られている。そのカーターが,2013年3月28日,また訪ネするとネパール外務省が発表した。

ジミーは,2008年制憲議会選挙の時,自ら選挙監視を買って出て訪ネした。その制憲議会は,2012年,憲法をつくることなく解散してしまった。

思い起こしてみよう。カーターは,制憲議会選挙がまだ終了していないのに,ソルティーホテル記者会見において,早々と,選挙は『自由で公平』に行われたと,宣言した。

また,各種報道によれば,1982年設立のカーターセンターは,ヒンドゥー王国崩壊後,ネパールにもその活動を広げ,直々の指導の下で,密かに,この国にプロテスタント・キリスト教を宣教してきた。実に怪しい訪ネだ!

ネパールのコミュナル平和にお慈悲を,ジミー!・・・・

カーターが,周縁化された諸集団の人々とも会い,イエス礼拝を説くかどうかまだわからないが,識者によれば,少なくとも小政党指導者たちに圧力をかけ,新憲法で改宗勧誘を合法化させようとすることは,確かだという。

ともあれ,カトマンズへようこそ。客人は限度をわきまえよ。ネパールは,まだ孤児にはなっていない。」

『テレグラフ』は,『人民評論』と同じく,保守派メディアだから,多少,割り引くとしても,巷にこのようなカーター批判が少なくないこともまた,事実である。

6.外に援助を求める不幸
救済者であれ布教者であれ,あるいはカーターであれ誰であれ,援助を外に求めざるを得ないのは,ネパールの不幸である。援助者が悪人であったり援助策が誤りであれば,こんな悲惨なことはない。しかし,たとえ仮に援助者が善人,援助策が正しかったとしても,これはもともと自立精神を危うくするものであり,たとえ痩せ我慢であれ,可能な限り援助の申し出は断るべきであろう。

幕末維新の日本が,多少,誇れるのは,西洋人を自ら厳しく選考し「お雇い外人」として雇用したこと。幕末日本と西洋との落差は,現在のネパールと先進諸国との落差の比ではないが,それでも福沢諭吉の言葉を借りるなら,「独立自尊」を貫こうとした。のちに日本は本来の「独立自尊」から外れ,視野狭窄,夜郎自大に堕し破滅したが,「一身独立して一国独立す」の気概そのものは,個人にとっても国民と国家にとっても忘れられてはならないことである。

先進諸国は,ネパールの「独立自尊」を尊重できないのなら,援助は断念すべきであろう。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/04/03 at 22:30

ガルトゥング提案の観念性と危険性

訪ネ中のガルトゥング教授のインタビュー記事を「ヒマラヤン・タイムズ」(2月14日)が掲載している。教授は平和学の権威であり,国際社会の平和政策にも絶大な影響力をお持ちだが,もし記事が教授の発言を正しく伝えているとするなら,教授のネパール政治分析と政策提案には落胆せざるをえない。いやそれどころか,ネパールにこれまで深く関与されてきたことを考えると,教授の諸提案はいささか無責任なような印象さえ禁じ得ない。

1.政党利己支配(partyocracy)
ガルトゥング教授によれば,ネパール政治は,マオイストの国政参加後も「政党利己支配(partyocracy)」の強化を除けば,他は何も変わっていない。

「一国家,二軍隊,王制と[国王の]直接専制支配はもはや存在しない。しかし,事態は以前と同じだ。憲法制定の見込みはなく,議会もなく,選挙された政府もなく,和平プロセスを担う機関もなく,不平等の改善もない。民主主義はなく,あるのは政党利己支配(少数の政党が議会制民主主義の諸制度を危険に陥れる政治的疾病)のみだ。」

この現状認識は,一般に広く共有されている。常識といってもよい。

2.アイデンティティ連邦制
そこで次に,少し具体的な話になる。まず連邦制だが,ガルトゥング教授は,以前からアイデンティティ(カースト/民族)による州区画を説かれていた。

教授は,そのアイデンティティ連邦制がいまも望ましいといいつつも,ここでは世界の25の連邦国家のうちアイデンティティ州区画をしているのは4カ国(印,マレーシア,ベルギー,スイス)だけだと認め,「ネパールにとって参考になる別のモデルは,マレーシアとインドの連邦制の組み合わせであろう」と提案されている。

意味不明。ひょっとすると,これは,インドもマレーシアも英植民地であったから,植民地時代の区画(スルタンやラージャの領地)を州区画とせよ,ということかもしれない。しかし,ネパールは,両国とちがい,有史以来独立国であり,植民地にはならなかった。あるいは,プリトビナラヤン・シャハ王の頃の小王国領を州区画にせよとでもいうのであろうか? まさか! よく分からない。

そもそも,マレーシアは立憲君主制のイスラム教国であり,中央権力が強い。また,インドもユニオン(連邦)権力が強く,単一制に近い連邦国家として知られている。ガルトゥング教授は,両国のどこがネパール連邦制のモデルになるといわれているのか,さっぱりわからない。

3.「カトマンズ・ゲーム」
中央政府権力の強いマレーシアやインドをモデルとせよと提案される一方,ガルトゥング教授は,カトマンズ中心主義(Kathmandu-game)を打破せよ,と主張される。

教授によれば,国王,ラナ家,封建領主らはみな,「カトマンズ・ゲーム」に明け暮れてきた。そしていま,政党が同じことをしている。制憲議会解散も憲法制定失敗も,カトマンズが地方を支配するための陰謀だ。「国王もラナ家も封建領主も一つのことではほぼ同じ考えだった――人民を搾取せよ。」

教授は,これは悪質なガンのようなものであり,直ちに治療しないと「新しい暴力」が始まるだろう,と警告される。

「もし治療するつもりなら,人民の三分の二の下層の人々を引き上げる必要がある。」

中央集権国家をモデルとせよといいつつも,カトマンズ中心主義がガンであり,治療しないと再び暴力紛争が始まると警告される。いったい,どうすればいいのだろうか?

そもそも人民の三分の二の生活を引き上げることができるのなら,誰も苦労はしない。ネパール人民の三分の二,つまり1800万もの人々の生活を,いったいどのような方法で向上させるのか? 強力な中央権力なしにそんなことができるのか? 教授からは,具体的な提案は何もない。

4.人民投票による連邦制
ガルトゥング教授の提案は,矛盾と観念論に留まらず,とんでもない危険へと人々を導いていく。つまり,政党は「草の根」に働きかけよ,と扇動されるのだ。

「どの政党も組織も政府も,草の根の人々とは結びついていなかった。」

連邦制は,少数の政党だけで決められるものではない。人民にはかり決めるべきだ。つまり「人民投票が方法としてはよいだろう」という。

しかし,これは変ではないか? 多数決では決められないから,あるいは決めてはいけないから,という理由でカースト/民族自治の連邦制を提案しておきながら,結局は,数で決めよ,というのだ。

たかだか601人の議会で決められなかったことが,どうして膨大な数(2千万以上?)の有権者人民によって決められるのだろうか? 決められるとすれば,手品か奇跡だ。具体的な州区画も権限分配も決めずに,「連邦制に賛成・反対」といった観念論投票をやるのだろうか? やってやれないことはないが,実際には,このような投票は無意味なばかりか,限りなく白紙委任に近く,危険でもある。

5.マオイストは地域を変革せよ
ガルトゥング教授は,政党は「カトマンズ・ゲーム」ではなく「草の根」と結びつくべきだという考えから,マオイストに対しても「草の根」への働きかけを提案される。

「マオイストへの私の提案は,ネパールを全体として変えようとするな,地域社会に焦点を当てよ,ということにつきる。」

教授は,マオイストがこれまで村や町で何をしてきたか,よくご存じのはずである。地域の「草の根」の人々は,マオイストが中央政界に活動の重点を移してくれたので,やっと一息ついているところだ。

それなのに,教授は,そんな「カトマンズ・ゲーム」はやめ,村や町の「草の根」の人々の生活に介入し,変革せよ,と提案される。

「草の根」民主主義が,ノルウェーや欧米の国々,あるいはひょっとすると日本でも重要なのはよく分かる。しかし,状況を無視して理念を押しつけるのは,「原理主義」であり,危険である。かつて各地に設立された「人民政府」こそが,マオイストにとっては「草の根」民主主義ということになるのではないだろうか? その原点に立ち戻れということなのだろうか?

6.最高裁長官の首相任命に反対
ガルトゥング教授は,最高裁判所長官の暫定首相への任命にもまた,人民の直接表明した意思によらないとして,真っ向から反対される。それは,「専門家(エリート)支配(technocracy)への動き」であり,「政党利己支配への反発(reaction)」にすぎないというのである。

しかし,この議論も,現実を見ない観念論である。第一に,「草の根」から「人民意思」がどう形成されるのか,そして,現在のネパールでそれがどこまで可能か,といった基礎的な議論がない。まさか,選挙(投票)により「人民」の「意思」が表明されるなどといった楽観論はおとりではあるまい。

選挙がある程度有効に機能するには,多くの前提条件が満たされている必要がある。アメリカやその意を体する国連は,選挙すれば「人民意思」が発見され,それに基づく統治は民主政治だなどと無責任なことをいい,それを途上国に押しつけてきたが,これは根拠なき「選挙民主主義(electoral democracy)」である。選挙過信や「人民意思」の実体化ほど危険なことはない。ガルトゥング教授には,「草の根」民主主義と「選挙」民主主義の間の十分な架橋がないように思われる。

第二に,現在のネパールの三権のうち,正統性をかろうじて残しているのは,大統領と最高裁判所長官だけである。議会(立法権)はなく,政府(内閣,行政権)は次の政府へのつなぎ役にすぎない。政党はもちろん,2008年4月選挙に基づくものにすぎず,現在の人民の意思など代表してはいない。2012年5月末以来の無議会政治によりバタライ首相が正統性をあらかた失ってしまったことは,これまたいうまでもない。

この状況で,選挙をするとすれば,結局,大統領の下での選挙か,それができないのであれば,次善の策として,最高裁長官あるいはその選任する者を「破綻国家の管財人」のようなものとして選挙を実施するしか,選択肢はあるまい。しかしながら,最高裁長官の場合,司法権・行政権分離の原則からすると難しい問題もあるので,やはり国家元首としての大統領の下での選挙が最善であろう。民意を代表しない諸政党の談合首相任命よりも,大統領の下での選挙の方が,正統性と透明性ははるかに大きい。

ガルトゥング教授は「専門家(エリート)支配」と批判されるが,政治の場では,大統領委任独裁や,それに準ずるエリート統治が選挙民主主義よりもはるかに安全で効果的なことが決して少なくない。

議会はなく,政党も民意を代表していないとすれば,現行憲法で正統性を持つ大統領が選挙管理政府を率いらざるをえないのではないだろうか。

7.政官民有力者とのカトマンズ会談
ガルトゥング教授は,滞在中に,カトマンズで,大統領閣下をはじめとする政府高官,政党指導者,市民社会リーダー,専門職団体リーダーらと会談されるという。地方の村や町での「草の根」の人々との対話の有無については,記事には記載されていない。

――以上は,あくまでも「ヒマラヤン・タイムズ」のインタビュー記事に基づく批評である。おそらく,記事は,ガルトゥング教授の発言を正確には伝えていないのであろう。後日,大幅な訂正記事が出るにちがいない。もしそうなら,改めて,教授の正確なお考えを紹介することにする。

【参照】ガルトゥング教授関連記事

谷川昌幸(C)