ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

Archive for the ‘ネパール’ Category

紹介:「ネパールのビール」

図書館で『ネパールのビール』というタイトルの本を見かけたので,借りてきて読んでみた。といっても,「ネパールのビール」は,338ページもの大著に収められた多数のエッセイの一つで,ほんの4ページ余にすぎない短編であった。

いささか,あっけにとられたが,「ネパールのビール」そのものは,大著タイトルとして選んで冠されるのももっとな,感動的なーー文芸春秋特集の意を酌むなら「泣かせる」ーーエッセイであった。

▼日本エッセイスト・クラブ編『ベスト・エッセイ集 ネパールのビール』文芸春秋,1991
*初出:吉田直哉「ネパールのビール」,『文芸春秋』1990年1月号(特集・私がいちばん泣いた話)
ネット掲載「ネパールのビール」全文
  ■91年版『ネパールのビール』

1.「ネパールのビール」梗概
著者は,1985(昭60)年夏,テレビ番組撮影(*1)のためドラカ村(*2)に行き,10日ほど滞在した。ドラカ村は海抜1500mで,斜面に家々が散在,人口は4500人。電気,水道,ガスなし。車道もなく,人びとは荷を背負って移動。

そのため,著者らは,車道終点のチャリコットからポーターを雇い,約1時間半かけ機材や食料をドラカ村まで運んでもらった。ビール(瓶ビール)は重いので,諦めた。

*1 NHK衛星第1「NHK特集・ヒマラヤ・ドラカ村でいま」1986年1月15日10:15~11:00
*2 ドラカ村はチャリコットから約4㎞,いまは道路が付き,バス停もある。
  ■チャリコット~ドラカ村(Google)

撮影で大汗をかいたあと,著者が,ビールを冷やして飲みたいなと口にしたのを,村の少年チェトリが聞き,自分がチャリコットから買ってきてあげると申し出た。

チェトリ少年は遠くの小さな村出身で,ドラカ村に下宿して通学。下宿の薄暗い土間で自炊し,そこで勉強もよくしている。

そのチェトリ少年に,著者は夕方お金を渡し,チャリコットまでビールを買いに行ってもらった。少年は,夜の8時ころ,ビール5瓶を背負い戻ってきた。

翌日も,ビールを飲みたくなった著者は,ビール1ダースぶん以上のお金を渡し,買い出しを頼んだ。

ところが,出掛けた少年は,いつになっても帰ってこない。村人や学校の先生に相談すると,そんな大金をあずけたのなら事故ではなく逃げたのだ,といわれた。これを聞き,著者は,大金で子どもの一生を狂わせてしまった,と深く後悔した。

いたたまれない気持ちで過ごした3日目の深夜,少年がヨレヨレ泥まみれで帰ってきた。チャリコットには3本しかなかったので,山を4つ越えたところで7本買い足したが,帰りに,ころんで3本割ってしまったと,べそをかきながら3本の破片を見せ,釣銭を差し出した。

そんなチェトリ少年を抱きしめ,著者は泣き,そして深く反省した。

2.「泣かせる」が特異ではない話
以上が,「ネパールのビール」の概要。たしかに感動的な「泣かせる」話だ。少年が,著者のために買ったのは瓶ビール10本。3本は割れてしまったとはいえ,重い。それらを背負い,山を4つも越え,持ち帰った。3日目の深夜まで,山道を何時間歩いたのか。お駄賃がもらえるとしても,たかがしれている。想像を絶する忍苦!

著者は,あろうことか,そんな少年を疑ってしまった。それだけに,帰ってきた少年を見て,著者が感動して泣き,深く反省したのは,もっともといえよう。

このように,「ネパールのビール」は感動的な泣かせるエッセイだが,そこで描かれているような出来事は,決して特異なものではない。ネパールを訪れたことのある日本人なら,多かれ少なかれ,幾度も同種の体験をしているはずだ。

3.泣くに泣けない話
私自身も,「ネパールのビール」とほぼ同じころ,初めて訪ネしアンナプルナ・トレッキングをしたとき,同じようなことを体験した。

ポカラから乗客鈴生りジープで川沿いをさかのぼり,ダンプス登り口で下車。さあ出発と前を見ると,絶壁のような急登。恐れをなし躊躇していると,たむろしていた地元の人々が次々と声をかけてきたので,人のよさそうな少年の一人にダンプスまでの荷揚げを頼んだ。年齢ははっきりしないが,日本の中学生くらい。小柄だが,重い荷物の大部分を背負ってくれた。日当は驚くほど安く,たしか2,3百円くらい。それでも荷物を担ぎ,断崖のような山道をどんどん登って行った。

身軽になった私は,おとぎの国のような風景をながめ,写真を撮ったりしながら,休み休み登って行った。そんな私を,大きな荷を背負った地元の人たちが次々と追い抜いていく。女性の方が多く,背負っている荷の中にはコーラやビールのビンが何本も見られる。いかにも重そう。上方の村々に運び上げているのだ。

そうこうするうちに,荷物をもち先に行った少年のことが気になりだした。ダンプスの村で約束通り待っていてくれるだろうか? まさか持ち逃げなどしていないだろうな,などと。わずかの手当てしか払っていないのに,こんな心配。われながら情けなかったが,ダンプスに着くと,そこで少年がちゃんと待っていてくれた。「ネパールのビール」の著者のように泣きはしなかったが,私も,大いに反省させられた。

ダンプスで1泊し,さらにランドルンで1泊,そして最終目的地のガンドルンまで登った。この間,道端の茶店やロッジでビン入りのコーラやビールが売られているのを目にしたが,それらを運び上げる地元女性の姿が目に浮かび,どうしても買って飲むことは出来なかった。

ところが,ガンドルンで歩き回り疲れ果てて,夕方,ロッジに戻ると,無性にビールが飲みたくなり,とうとう一本買って飲んでしまった。うまかった! が,それだけに自分のあまりの意思の弱さが情けなく,やりきれない罪の意識にさいなまれることになった。

はるか下方の登り口から,いやひょっとしたらポカラの町から,女性や少年を含む荷揚げの人々が,何時間も,いや時には何日もかけて,背負い運び上げてきた重い瓶ビールや瓶コーラを,町よりは少し高いとはいえ当時の日本人にとっては全く気にならないほど安い値段で買い,一気に飲んでしまってよいものか? 私の一瞬の,のど越しの快は,ネパールの荷揚げの人々の労苦に見合うものなのか? それは,事実上,彼らの人間としての尊厳を無視した傲慢な搾取を意味するのではないのか?

日本人とネパール地方住民との間には,1980年代中頃にはまだ,想像を絶するほどの生活格差があった。当時,ネパールの地方に行くと,日本人は多かれ少なかれ優越感に捉われるのを禁じえず,と同時に,そうした優越感から行動しているのではないかという自己猜疑に取り憑かれ,不安になる。たとえば,日本であれば,15歳の少年に徒歩往復3時間もかかる遠方に夕方ビールを買いに行かせようとは思いもしなかったであろうし,また,小柄な少年にわずか2,3百円のはした金で重い荷物を背負わせ急峻な山道を登らせようともしなかったはずだ。

ここには,ビールを買ってきてくれた少年や荷揚げをしてくれた少年を疑ったことへの反省だけでなく,それらよりも根源的な自己の優越的地位そのものへのどうしようもない罪悪感があるように思われる。泣くに泣けない自責の念。

1980年代中頃のネパールは,訪ネ日本人の多くにとって,他者との関係において自己を改めて見直す試練の場でもあったのである。

  ■ダンプス~ガンドルン(Google)

4.道徳教育教材としての「ネパールのビール」
「ネパールのビール」は,一見,起承転結の明確なエッセイなので,道徳教育の課題文として多くの学校で使用されてきた。対象は主に2年生。たとえば,次のような報告がある。

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埼玉県立総合教育センター 第2学年○組 道徳学習指導案
1 主題名: 誠実な生き方
2 資料名: 「ネパールのビール」 出典( 自分を考える」あかつき)
4 ねらい: 自分で考え、決めたことは誠実に実行し、その結果に責任をもとうとする心情を養う。

安芸高田市立向原中学校 道徳科指導案 第2学年指導者:上田 仁
主題名:人間のすばらしさ(よりよく生きる喜び)
教材名:「ネパールのビール」
筆者とチェトリくんの生き方の違いを対比させることを通して,人間の醜さに気づくと共に,人間の持つ強さや気高さを信じ,人間として誇りある生き方を見いだそうとする道徳的心情を育てる。

岩手県立総合教育センター 第2学年 道徳学習指導案 指導者:伊藤千寿
主題名:信頼感
内容項目:人間の強さと気高さ、生きる喜び
資料名:「ネパールのビール」
人間は信頼に値すると思う相手に対してであっても、状況によっては疑いの気持ちをもってしまうことがある。それは気持ちの弱さとも言えるが、よほど相手を知り尽くしているのでない限りは仕方がないことでもある。しかし、それを超える誠実さに触れることによって、疑ってしまったことを悔いたり、相手が信頼に値する人間であることを再認識したりすることもある。そのような経験を繰り返す中で、自分も弱さをもっていることを認めたうえでそれを乗り越えることのできる可能性を信じられるようになり、そのことがやがて喜びをもって生きていくことにつながると考える。

【参照】西部中学校「道徳の授業~ネパールのビール~」2018年2月28日

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中学2年道徳科の課題文としてであれば,「ネパールのビール」がこのような読み方をされるのも,もっともかもしれない。

5.もう一つの読み方
しかしながら,その一方,人それぞれの考え方や行動は,その人の生まれ育ってきた環境に大きく規定され(存在被拘束性),それが原因で解消の容易ではない誤解や対立が生じることにも目を向けるようにすることが必要であるように思われる。

異文化,異社会,異国家等の間の相互理解や和解は,そう容易ではない。「ネパールのビール」も,よく読めば,それを暗示しているように思われる。これは,永遠の課題と覚悟せざるをえない。

道徳教育では,学習レベルに応じた形で,相互理解の困難さ,その場合の対応の仕方ーー単純明快な解答のない場合の問題への対処の仕方ーーについても議論し,考えを深めていくべきではないだろうか。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2021/08/06 at 10:49

第三の性パスポート,ネパールなどに倣い米でも

アメリカ国務省が6月30日,パスポートの性別欄に「X」を追加すると発表した。「M(男)」でも「F(女)」でもない人びとは,「X」を選択できるようになる。いわば「第三の性パスポート」。今年中に実施の予定。

このような「第三の性パスポート」は,ネパールをはじめ印,濠,加など数か国がすでに採用しており,米政府もそれらの国の「第三の性パスポート」は承認している。
 【参照】第三の性パスポート,ネパール発行開始 性的少数者の権利,先進国ネパールから学べ M・F・X:ネパール「第三の性」旅券発行へ 「第三の性」パスポート,最高裁作成命令

また,米国内でも,20州以上が性別「X」選択可能な身分証明証を発行しているし,控訴裁判所も「X」選択可能パスポートの発行命令を出している。

バイデン政権は,性の多様性容認への内外のこのような流れに掉さし,「史上最多のLGBTQI+を政府関係者に任命」(在日米大使館)したのに続き,このたびは「第三の性パスポート」の採用に踏み切ったのであろう。

それにしても,「性」は,人間のアイデンティティの根源にかかわるだけに,難しい。現在のところ,人びとは,その「性」により,「」または「」だけでなく,「LGBTQI+」としても区分されているらしい。

 L = レスビアン(女性同性愛者)
 G = ゲイ([主に男性」同性愛者)
 B = バイセクシュアル(両性愛者)
 T = トランスジェンダー(性別違和)
 Q = クィア/クエスチョニング(Queer/Questioning,性自認未定ないし不選択)
 I = インターセックス(男女両性身体)
 + = その他の様々な性

あまりにも複雑。正直,よくわからない。「性」は,厳密に定義しようとすればするほど多様となり,したがってそれぞれの「性アイデンティティ」を尊重して人びとを公平に処遇しようとすればするほど社会の仕組みも複雑とならざるをえない。

しかし,そんな方向に突き進めば,早晩,にっちもさっちも行かなくなるのは目に見えている。

そこで,いっそのこと「性」の区分や記述を一切なくしてしまえ,といった極論が出されることになる。もともと「性」など無限に多様なのだから,その多様性を尊重すべきなら,「性」を一切問わないのがもっとも公平ということになる。たとえば,トイレを性ごとに無限に多様化できないのなら,性別を問わない「万人共用トイレ」にしてしまえ,ということ。

が,こうした性区分撤廃論はちゃぶ台返し,問題を振り出しに戻すだけにすぎない。非生産的。われわれとしては,ややこしくて面倒だが,「LGBTQI+」という形でいま提起されている問題に,一つ一つ誠実に取り組み,よりよい解決策を模索していく以外に方法はあるまい。

このような「性」多様化の問題は,何かにつけ外圧で動く日本にとっても他人事では済まされない。たとえば,アメリカは「LGBTQI+の権利を擁護する米国」を掲げ,在日米大使館主催「LGBTQI+の権利向上をめざそう~アメリカと日本をつないで~」などを開催している。

おせっかい,余計なお世話という気もしないではないが,「人権」は,いまや「大砲」以上に強力で有効なアメリカ外交の手段。照準が向けられているのは中国だけではない。日本政府も,いずれ「第三の性パスポート」を発行し,そして,もう一つの「せい=姓」についても「夫婦別姓」法制化という形で多様化せざるをえなくなるだろう。

*1 ANTONY J. BLINKEN(SECRETARY OF STATE), “Proposing Changes to the Department’s Policies on Gender on U.S. Passports and Consular Reports of Birth Abroad,” PRESS STATEMENT, JUNE 30, 2021
*2 在日米国大使館と領事館「LGBTQI+の権利を擁護する米国
*3 “U.S. protects the rights of LGBTQI+ people ,” ShareAmerica -Jun 3, 2021
*4 アメリカ大使館「バイデン政権、史上最多のLGBTQI+を政府関係者に任命
*5 “U.S. to add third gender option to American passports,” nbcnews.com,July 1, 2021
*6 Kate Sosin, Orion Rummler, “U.S. to add ‘X’ gender marker on passports,” June 30, 2021

■インドのパスポート申請書

■ネパールの出入国申請書

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2021/07/04 at 16:44

紹介:「ヒマラヤに呼ばれて」

児童文学作家による「ネパール人との深い交流」の体験を描いた長編ノンフィクション。
 ▼さとう・まきこ「ヒマラヤに呼ばれてーこの世に偶然はないー」ヒカルランド,2018

著者は1991年,43歳のとき,「な~んとなく」ネパールへトレッキングに出かけ,その自然と文化と,そしてとりわけ人に魅了されてしまう。

「ネパールの貧しい少年を母として見守ることになった筆者。マン[上記少年」をはじめとするネパール人との深い交流の中,筆者の生活や価値観は大きく変わっていく」(表紙キャプション)

このようなネパールとの関わり方は,ネパールに出かけたことのある日本人の多くにとって,著者ほど深くはないにせよ,多かれ少なかれ自ら身をもって体験したことであり,したがって本書を読むと,そのことが懐かしく,また時には自責の念に駆られつつ,思い起こされるにちがいない。

私の場合,初めてネパールに行ったのは著者のほんの数年前,ルートも,著者のその後の訪ネの際のものと合わせると重なる部分が多い。

ロイヤルネパール航空(RNA)ーーカトマンズーーポカラーーフェディーーダンプスーーランドルンーーガンドルン

本書を読んでいると,私自身の初の訪ネの際の途方もない当惑と驚きと感動の日々を追体験しているようであった。

(C)谷川昌幸

Written by Tanigawa

2021/06/26 at 17:29

[新刊]現代ネパールを知るための60章

現代ネパールの主要分野につき,それぞれの専門家が新資料に基づき記述した本が出版された。全体の構成は以下の通り。

日本ネパール協会編『現代ネパールを知るための60章』明石書店,2000円
Ⅰ ネパール概観
Ⅱ 現代政治の激動
Ⅲ 経済の変化と海外労働
Ⅳ 開発・農業・インフラ
Ⅴ 保健医療
Ⅵ 教育
Ⅶ ジェンダー,社会的包摂
Ⅷ 時代への対応:少数民族,宗教
Ⅸ 生活の場,文化からの対応
Ⅹ 伝統と信仰
ネパール地図(州名と郡名)/年表/参考文献

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2020/06/10 at 14:45

カテゴリー: ネパール

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コロナ危機深刻化のネパール

ネパールはいま,コロナ(コビド19)感染拡大と,ロックダウン(封鎖)長期化による生活苦という二重の危機に直面している。

ネパールのコロナ感染は,全国対象の厳しいロックダウンが3月24日に発令され,現在も継承されているにもかかわらず,拡大の一方だ。WHO統計によれば,6月7日現在,累計で感染者3,235人,死者13人。


 ■ネパールのコロナ感染者累計/日毎感染者数(WHO)

このネパールの状況は,国境を接する隣国インドの現状と当然,連動している。インドでもコロナ感染拡大は続き,6月7日現在,累計感染者246,628人,死者6,929人に達している。危機的状況だ。


 ■インドのコロナ感染者累計/日毎感染者数(WHO)

このような状況をみると,ネパールにとって全土ロックダウンはやむを得ない緊急措置といえるが,それが長期化すると,人々の生活に深刻な影響を及ぼす。仕事はなくなり,学校は閉鎖,病気になっても病院は手いっぱいで診てもらえない。生活そのものが危なくなり始めているのだ。

特に深刻なのが,出稼ぎ労働者,日雇い労働者,零細商工業者など,経済基盤の弱い人々。ロックダウンが始まると,彼らはたちまち仕事を失い(コロナ失業),生活苦に陥ってしまった。

地方も大変だ。カトマンズなど都市部で働いていた多くの人々が,仕事を失い,徒歩など四苦八苦して,村へと帰っていった。インドから,そして湾岸諸国など海外からも,失業した出稼ぎの人々が,何とか国境を越え,続々と村に帰ってくる。村に彼らを受け入れる余力はあるのだろうか? 出稼ぎ送金なしで村はやっていけるのだろうか? いや,そもそもネパール国家経済は,国外出稼ぎ送金激減でも,やっていけるのだろうか?

ネパール政府はむろん,ロックダウンによる失業を救済するための対策は考えている。中央政府は困窮家族に食料など支援物資を配布しているし,カトマンズ市も困窮失業者に週2回,公共事業の仕事を割り振り,経済的支援をしている。が,これらの支援事業は焼け石に水,拡大一方の困窮家族の救済には到底足りていない。労働問題専門家のガネシュ・グルン氏(国家計画委員会元委員)は,こう警告している。

「政府は,何ら対策も立てずに,ロックダウンを延長した。これが続けば,コビド19よりも飢えで死ぬ人の方が多くなるだろう。*3」

このような状態でロックダウンが続き,収入が減り生活が苦しくなってくると,店を開けるなど,あちこちでロックダウン無視が増えてきた。商工会議所,私学連盟などもロックダウン緩和の要望を出した。ロックダウン継続は,このままでは困難な状況になってきたのである。

これに対し,政府は,「公衆衛生非常事態」宣言を準備している。これが発令されると,政府は,民間の施設,人員,組織(NGO,INGOを含む)をコロナ対策に動員することが出来る。根拠は,公衆衛生法,感染症法など。強権的とも見える政府への強力な授権措置である。

その一方,政府は,ロックダウンの具体的な緩和策も検討している。I・ポクレル副首相を長とする「コロナ危機対策センター」が準備しているのは,ロックダウンを6段階で緩和していき,70日以内に完全解除する案。生活,健康,教育,経済など,それぞれについて必要性が高く,感染拡大リスクの低い部分から順次規制を解除していく計画であり,それ自体は現実的で合理的なものといえよう。

しかしながら,難しいのは,コロナ感染抑え込みと行動規制緩和が目論見通り両立するか,という問題。上掲のコロナ感染推移図を見ると,ネパールは,インドと同様,まだ感染拡大期にあり,ここで人々の行動規制を緩和することには大きな危険が伴うであろう。

他方,ロックダウン長期化が,ネパール社会全体に深刻な打撃をもたらすこともまた確かである。どうすればよいのか? 日本などより,はるかに難しく困難な状況に,ネパールは置かれていると見ざるをえないであろう。

*1 Aditi Aryal, “Thousands of Nepalis without food or shelter await entrance at the Karnali border,” Kathmandu Post, May 26, 2020
*2 “Feed the hungry”, Editorial, Kathmandu Post, June 5, 2020
*3 Anup Ojha, “Thousands of people are struggling under lockdown but government has offered no real solution,” Kathmandu Post, June 3, 2020
*4 Tika R Pradhan, “Government is considering plans to ease the lockdown but there’s no decision yet,” Kathmandu Post, June 6, 2020
*5 “Nepal’s Covid-19 tally reaches 3,448 with 213 new cases on Sunday,” Kathmandu Post, June 7, 2020
*6 Binod Ghimire, “Private schools to lobby government to resume classes next month,” Kathmandu Post, June 7, 2020
*7Makar Shrestha, “Lockdown forces a family into destitution,” Kathmandu Post, June 7, 2020
*8 KASHI KAFLE/MARIE-CHARLOTTE BUISSON, “Agriculture: Can it provide relief to returnee migrants and vulnerable populations?,” Himalayan Times, June 03, 2020
*8 RAM KUMAR KAMAT, “Health ministry pitches for declaring health emergency,” Himalayan Times, June 06, 2020
*9 “KMC set to launch ‘Cash for Work’ scheme,” Himalayan Times, June 06, 2020
*10 “UNLOCKDOWN: The lockdown has outlived its usefulness, it is time to get a move on,” Editorial, Nepali Times, June 3, 2020
*11 Nasana Bajracharya, “Nepal lockdown continues leaving scores hungry. But, there are a few who feed them,” english.onlinekhabar.com, May 16th, 2020
*12 “India Coronavirus Map and Case Count, New York Times, June 7, 2020

谷川昌幸(C)

 

Written by Tanigawa

2020/06/09 at 09:23

ポーデル元下院議長に旭日大綬章

日本政府は4月29日,2020年度春の叙勲において旭日大綬章をポーデル(राम चन्द्र पौडेल)氏に授与すると発表した。受賞外国人2人のうち,他の一人はマイクロソフトのビル・ゲイツ氏。親授式はコロナ感染流行のため延期。

ポーデル氏は現在76歳,コングレス党の長老であり,下院議長,副首相などの要職を歴任した。ネパール・日本友好議員連盟初代会長(在任1999-2017)として,森首相ら日本側要人の訪ネ受け入れや,両国における議員交流の促進に尽力された。また昭和62(1987)年には,皇太子(現上皇)夫妻の訪ネのお世話もされている。

このようにポーデル氏の日ネ友好への貢献は大きく,当然,ネパールでは大きく報道されているが,日本では有力メディアはほぼ完全に無視,叙勲の詳細は在ネ日本大使館のプレスリリースやネパールのメディア報道によらざるをえない。コロナ騒動のせいだけであろうか?
ポーデル氏FB(4月30日)

*1 2020 Spring Conferment of Japanese Decorations on Foreign Nationals,在ネパール日本国大使館,2020年4月29日
*2 Congress leader Ram Chandra Poudel to receive Japanese honours, Kathmandu Post, 2020/04/30
*3 NC senior leader Poudel among 117 to receive 2020 Spring Imperial Decorations, Republica, 2020/04/29

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2020/05/02 at 11:24

「中西部大学」学長にTU教授指名

カルナリ州の「中西部大学(Mid-Western University[MWU] )の学長(Vice Chancellor[VC])に,トリブバン大学動物学部(キルティプル)のナンダ・B・シン教授が,3月1日閣議決定に基づき,オリ首相により指名された。ネパールの国立大学では,総長(Chancellor)は首相なので,事実上,学長(VC)がその大学の最高責任者となる。重責だ。

■MWUフェイスブック

ネパールは,マオイスト紛争(1996-2006)終結後,長年続いてきた王制を廃止し連邦共和制へと移行した。それに伴い,中央に集中していた諸権限が,新たに成立した州政府に可能な限り移譲されることになった。中央集権から地方分権への転換である。

教育も例外ではない。今回新学長が指名された中西部大学(MWU)も,それまでトリブバン大学傘下にあったカルナリ地域の中等・高等諸学校を再編統合し,2010年6月に設立された新設大学である。現在,学生は約3千人。学部・大学院も多く,この大学を核に,相対的に開発の遅れているカルナリ州の発展を自ら図ろうとする意欲的な試みと見てよいであろう。

とはいえMWUも,ネパールの組織の宿痾ともいうべき腐敗や混乱に当初から苦しめられてきた。たとえば,教職員についてはコネ人事や金銭不正がしばしば問題にされてきたし,学費については値上反対の学生諸団体が大学封鎖をした。前途多難と見ざるをえない。

そのMWUの学長に,このたびナンダ・B・シン教授が指名された。指名後,彼は「中西部大学を自立させ教育レベルを国際的なものに引き上げることにより,カルナリ州の在り方を変えていきたい」と,その抱負を語った(Collegenp, 3 Mar)。東京大学やTUでの豊富な教育・研究経験を踏まえ,MWUの所期の目的の実現に向け尽力されることを願っている。

ナンダ・B・シン教授著作
(1)「遊牧民ラウテの生活―ネパール最後の狩猟・採取民族」(『ネパールを知るための60章』2000)

(2) Endangered Raute Tribe: Ethnobiology and Biodiversity, 1997

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2020/03/07 at 16:33

カテゴリー: ネパール, 教育

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「陽春」の丹後:天橋立とネパール料理店

新年早々,所用で丹後の村に行ってきた。以前だと,この時期,厳寒で積雪も多かったが,地球温暖化のせいか,最近は,そのようなことはほとんどなくなった。この正月も暖かく,村の田畑に積雪なし。驚いたことに,民家の石垣に生えたユリらしき植物が満開の花をつけていた。
■石垣のユリ(?)

陽気に誘われ村の名所「大内峠」に行き,「股のぞき」をすると,日本三景の一つ「天橋立」が,まるで春霞に包まれたかのように,ぼんやりと中空に浮かんでいるのが望まれた。右手の高峰,鬼の住む大江山(832m)にさえ積雪なし。

5日には,近くの町のインド・ネパール料理店に行ってきた。小さな町だが,メニューを工夫し頑張っている。丹後の文化も,大きく変わりつつあるようだ。

■天橋立

■ネパール料理店

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2020/01/08 at 17:31

ガディマイ祭:動物供儀をめぐる論争(9)

【参考文献】
*1「世界最大のいけにえ祭り、ネパールで開幕 前回は動物20万頭が犠牲に」,jiji.com, 2019年12月04日 (AFP)
*2 Gadhimai Nepal, “Why To Visit Gadhimai Temple ?,” 2019/01
*3 Humane Society International, “Victory! Animal Sacrifice Banned at Nepal’s Gadhimai Festival, Half a Million Animals Saved: Gadhimai Temple Trust agrees to cancel all future animal sacrifice, urges devotees not to bring animals to the festival,”July 28, 2015
*4 Humane Society International, “Animal Slaughter at Gadhimai Festival
*5 Humane Society International / Nepal, “Animal welfare groups in Nepal join multi-faith rally to urge the government to ban religious animal sacrifice,” June 14, 2019
*6 Humane Society International / India, “Gadhimai devotees urged not to transport animals for mass sacrifice during Nepal’s Gadhimai Mela 2019,” March 30, 2019
*7 Humane Society International (HSI) India, “How We Stopped The Massacre Of Animals At Gadhimai
*8 Humane Society, “Animal sacrifice resumes at Gadhimai, Nepal, but on smaller scale,” December 6, 2019
*9 Heather Clark, “Hindu Worshipers Sacrifice Thousands of Buffalo to ‘goddess of Power’, During Nepali Gadhimai Festival,” Christian News, December 5, 2019
*10 “Gadhimai festival starts,” Himalayan Times, November 17, 2019
*11 “Around 8 million observers expected at Gadhimai Mela this year,” Himalayan Times, December 02, 2019
*12 “Despite protests from animal rights activists, tens of thousands of animals are being slaughtered in Gadhimai,” Kathmandu Post, December 2, 2019
*13 “More Than 5,000 Buffaloes Offered In Gadhimai Festival By Tuesday,” 03 Dec, 2019
*14 Upendra Yadav, “Over 1.5 million converge for Gadhimai Mela,” Republica, December 4, 2019
*15 Laxmi Sah, “Contempt of court case against govt, Gadhimai Trust for animal sacrifice,” Republica, December 4, 2019
*16 “Animal rights activists decry mass slaughtering at Gadhimai: Brutal massacre of tens of thousands of animals challenges the Supreme Court order, campaigners say,” Kathmandu Post, 2019/12/09/
*17 Hindustan Times, “Mass animal slaughter to honour goddess Gadhimai’s legacy begins in Nepal,” Dec 05, 2019
*18 Bhadra Sharma, “Nepal’s Animal-Sacrifice Festival Slays On. But Activists Are Having an Effect,” The New York Times, Dec. 6, 2019
*19 ARISTOS GEORGIOU, “THE LARGEST MASS ANIMAL SACRIFICE IN THE WORLD IS ABOUT TO BEGIN,” Newsweek, 11/27/19
*20 ARISTOS GEORGIOU, “WORLD’S LARGEST ANIMAL SACRIFICE SEES THOUSANDS OF BUFFALOES DECAPITATED,” Newsweek, 12/3/19
*21 Matt Coyle, “BLOODY MASSACRE World’s ‘largest animal sacrifice’ takes place at Gadhimai Hindu festival as thousands of buffalo slaughtered in Nepal,” 3 Dec 2019
*22 Gopal Sharma, “Thousands of animals sacrificed in Nepal Hindu ritual amid outcry,” Reuters, DECEMBER 4, 2019
*23 Samuel Osborne, “Gadhimai Hindu festival: World’s ‘largest animal sacrifice’ under way in defiance of ban,” Independent,
*24 “Nepal animal sacrifice festival pits devotees against activists,” The Guardian, 2019/dec/03/
*25 Gabriel Power, “What is the Gadhimai festival and why is it so controversial?,” The Week, Dec 5, 2019
*26 “Activists to Sue Nepal Govt for Failing to Stop Animal Sacrifice at Gadhimai Festival,” News 18, December 8, 2019
*27 WOLF GORDON CLIFTON, “Making Sense of Sacrifice: An Interview with the High Priest of Gadhimai,” Animal People Forum, DECEMBER 3, 2019
*28 Federation of Animal Welfare Nepal (FAWN), “GADHIMAI ANIMAL SACRIFICE – SHAME FOR NEPAL,” 2019/11/06
*29 Aashish Mishra, “The sacrifice of animal sacrifices: Appeasing the gods through blood-letting may slowly go out of fashion,” Nepali Times, October 12, 2018

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2020/01/05 at 23:21

ガディマイ祭:動物供儀をめぐる論争(8)

5.動物供儀の根源的意味
ガディマイ祭では,毎回,水牛だけでも数千~1万頭も供儀されてきた。見世物化・商業化し,衛生上も問題が多いといわれている。おそらく,そうであろう。

しかしながら,動物供儀には,「かわいそう」といって一方的に非難し拒絶して済ますことのできないような,歴史的・文化的・倫理的・宗教的な意味もあるのではないだろうか? 

たとえば,動物にも「人権」ないし権利を認め,「人道的」な扱いを求める動物愛護の主張の背後には,動物を食用や衣料用などに利用して生きているという厳粛な事実を直視したくないという人々の願望が隠されているのではないだろうか? あるいは,生物を理性の有無により峻別し,理性ある人間は,理性ある動物の「人権」を尊重し「人道的」に扱うべきだが,他の理性なき生物についてはそのような配慮は必要ないといった差別的生命観が,その主張の根源にはあるのではないだろうか?

穀物や動物の供儀は,日本を含め世界各地に古くからある。その挙行方法は多種多様だが,人々にとって最も大切な生命を神に捧げ,神に感謝し,その加護を願うという最も基本的な点では,みな共通しているように思う。あるいは,供儀後の穀物や肉を食べるのであれば,聖別された穀物や肉を神の前で―神から恵まれたものとして―食べ,他の生物の生命の犠牲により生きざるをえない人間の業―原罪―の許しを願う。さらには,そうした罪意識があまりないところでも,食物を神に捧げたあと,それを神の前で,神と共に食べる―神人共食―ことにより,人は神や食を共にする他の人々と親密に結びつき,神の加護の下で豊穣や子孫繁栄などを願う。このように,食物を神に捧げる慣習は,方法は異なれ,世界各地に古くからみられる。

さてそこで問題は,動物供儀が「反人道的」,「反人権的」で許されないか,ということ。動物供儀擁護派は,以上に見た限りでは,この問いに正面から答えてはいない。人々が供儀を望むから,供儀せざるをえない。あるいは,求められた供儀に応ずるのは,ヒンドゥー司祭の義務だなどと答えるのみ。逃げのよう見えてならない。

この問いにつき,私見を一言でいえば,たしかに「かわいそう」ではあるが,決して「反人道的」,「反人権的」ではないということに尽きる。

われわれ人間は,毎日,大量の動植物の生命を殺し食べて生きている。が,それら動植物の生命が奪われ食品へと加工される現場の人々以外は,生命が奪われる現場は見てはいない。動物も魚も野菜も穀物も,殺され,切り刻まれ,加工され,ビニールパックや小袋に入れられ,商品として美しく店頭に並べられ,売られ,買われていく。われわれ大多数の人間は,動植物の死骸を買い,調理して食べ,生きているにすぎない。その根源的な事実を,われわれは忌避し,見ようとはしない。

人間に食われる動植物の側からすれば,自分たちの唯一無二の生命が奪われるその峻厳な事実を見られ知られることもなく,自分たちの身体が切り刻まれ「おいしそうな」商品食品へと加工され,売買され消費されるのは,耐えがたく許しがたいことであろう。

動植物を殺して食べている事実をしかと見つめ自覚しつつ食べる人と,そこから目を背け,目の前の「おいしそうな」加工食品を食べる人。いずれが動植物の生命の「尊厳」を尊重しているのか?

むろん,そうはいっても,動物に無用な苦痛を与えてよいということにはならない。「熊いじめ」など,見世物化した「流血スポーツ(blood sports)」は,生命の弄びであり,許されることではない。また,逆に,動物の行き過ぎたペット化,愛玩化も,動物の本性・自然(nature)を否定しその尊厳を奪うものであり,決して許されてはならない。

では,ガディマイ祭はどうか? たしかにガディマイ祭にも,反対派が非難するように,見世物化した流血スポーツの要素が多々あるし,衛生面でも問題はある。そうした点は,今後,改めていかなければならない。

しかしながら,だからといって動物供儀そのものを「反人道的」とか「反人権的」とかいって禁止するのは,倫理的に道理が通らない。

ガディマイ祭反対派は,動物の代わりに「花」や「ココナッツ」を供えよ,と主張しているが,供えられる「花」や「ココナッツ」も大地に根を下ろす母体から切り離され「生命」を奪われているのだ。植物や微生物や昆虫や小動物らは,「自己意識」や「理性」をもたない(とされている)ので,人間の都合で殺してもよいということか?

不殺生(アヒンサー)は,徹底すると,生命あるものは何も食べられなくなる。人は生きるために何かを殺して食べざるをえない。あるいは,直接殺さなくても,食糧生産のため「害獣」,「害虫」,「雑草」,「病原菌」など無数の生物を「駆除」し殺している。人は他の生命の犠牲により生きている。だからこそ,その業ないし原罪の許しを請うため,いかに苦しく辛かろうが,死を直視する努力をし,神や仏や大自然など,自らの信じるもの,信じたいと願っているものに,祈るのだ。

ガディマイ寺院やダクシンカーリ寺院などにおいて敬虔に動物供儀を行うこと――それ自体は,決して禁じられるべきことではない。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2020/01/04 at 15:41

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