Archive for the ‘国際協力’ Category
紹介:安倍泰夫『ネパールで木を植える』(5)
5 大震災と森林による生活安全保障
ネパールでは,10年に及ぶ人民戦争が2006年に終結,2008年に連邦民主共和制となり,2014年には制憲議会と政党内閣が成立した。ネパールが,この民主的新体制の下で生活の安定・開発促進へと向かい始めた矢先の2015年4月,ゴルカ地方を震源とする大地震が発生した。
この地震の被害は,死者8964人,被災者500万人余など,甚大であった。建物も,民家だけでなく寺院,学校,ビルなど,多くが全壊・半壊の大被害を受けた。
著者の植林事業地域でも,震源地が近かったため,甚大な被害が出た。トリスリ・バザールの町は崩壊,「植林センター」をはじめ村々の家屋の多くも倒壊した。が,植林した森は無事であった。
村人たちは,備蓄食料が失われてしまったので,森に植えたマンゴーやパパイヤの木の実を食べてしのいだ。森にはまた,水や再建用資材もあった。
「大地震で家が壊れても,森は不死身だった。根はしっかり土をつかまえ,水を保持する。泉が湧く。・・・・生長した木を使って被災者用の仮設も作られた。植林の効果は着実に現れている。」(300頁)
日本でも,森林は,つい数十年前までは,村の生活基盤の一つであった。私の村でも,炊事用・暖房用のマキ,家屋新築・改築用木材,キノコ用ホダ木,売却・収益用木材など,ほとんどすべて自分たちが植林し育てた私有林や共有林から取ってきていた。そして水も田畑には山からの流水を,また自宅用には井戸水か,裏山の湧水をパイプで引き込むかして,使用していた。
もしあの頃,日本の山々がネパールのようであったなら,村の生活はネパールのそれと大差なかったであろう。水不足のため農業は過酷であり,子供であった私も,遠くの川まで毎日,灌漑用や飲用の水を汲みに行かされていたに違いない。
『ネパールで木を植える』を読むと,「外材」を無尽蔵であるかのごとく輸入し使い捨てにしている今の日本人の暮らし方が,自然に反し,「持続可能(sustainable)」ではないことがよくわかる。
日本の山々は緑豊かなように見えるが,現実には,山林の多くは手入れされることなく放置され,荒れるがままである。日本の山林も危機にある。本書は,私たち自身の日本の山々のことを考えるためにも,読まれるべきである。
■イラム(谷川2015/01/28)
谷川昌幸(C)
紹介:安倍泰夫『ネパールで木を植える』(3)
3 植林事業の大切さ
著者は,ネパールの山々の乱伐による荒廃と,それに起因する水不足・下痢蔓延を目にし,植林による森林再生事業に取り組んでこられた。30年にも及ぶ事業で,100万本もの苗木が植えられ,55万本が活着,森林が広がっていった。地域住民の生活・健康はむろんのこと,大きくは地球温暖化防止の観点からも,その業績は高く評価される。
私がネパール山地の荒廃を目にしたのは,1980年代半ばのこと。何の予備知識もないまま,初めてネパールを訪れた私にとって,ネパールはまるで神秘の国,驚きは想像をはるかに超えていた。
その一つが,山地の風景。文字通り「耕して天に至る」。日本の比ではない。丘や山は極限まで開墾され,田や畑になっていた。しかもなお,いたるところで伐採,開墾が行われている。
その結果,たとえば,どこに行っても急峻な山腹にはたいてい山崩れが見られたし,村々では女性たち―少女から老婆まで―が真鍮製の大きな水瓶を抱え,遠くの水場から休み休み水を運び上げているのに出会った。ヒマラヤをバックに絵にはなるが,見るに忍びない村の生活の現実であった。
こうした山地の開墾・荒廃はいたるところで見られたが,強く印象に残っている地域の一つが,著者の植林事業地トゥプチェ(トリスリバザール北方)の手前の「カカニの丘」周辺。
カカニは標高2030m,カトマンズから北へ25km位。そこへ出かけたのは四半世紀前。道はまだ狭くデコボコ,車はオンボロだったが,それでも首都から遠くはない。そのカカニに向けカトマンズから出て目にした丘や山は,下からほぼ頂上まで見事に開墾され,田畑や住居地になっていた。しかも,わずかに残った森林でさえ,あちこちで伐採され開墾が進められていた。いまいけば,丸裸になっているに違いない。
カカニ~トゥプチェ地域の現状は,グーグル映像―乾季撮影であろうが―を見ると,おおよそ見当がつく。茶色の山地が大きく広がっている。
■カカニ~トゥプチェ地域。山地も開墾(グーグル地図2022/02/06)
谷川昌幸(c)
紹介:安倍泰夫『ネパールで木を植える』(2)
1 運命的な「声」の導き:雪崩からの生還・少女との出会い・植林事業へ
著者を植林事業へと導いたのは,運命的な「声」であった。
1974年10月,著者はラムジュン・ヒマール登山隊に医師として参加,6984mの山頂への登頂にも成功した。が,下山途中,雪崩に巻き込まれ,意識を失った。やがて意識は戻ったものの,高山病と降雪ホワイトアウトで先に進めず,極寒の雪原に横たわったまま身動きできなくなってしまった。
遭難死寸前。と,そのとき,「イェタ(こっち)」という声が聞こえ,起き上がると,前方にトンネルがあり,出口の先には登山隊テントが見えた。そのトンネルを通り,著者はテントにたどり着いた。そして,振り返ると雪が降りしきるだけ,そこにはトンネルはなかった。
幻聴,幻視だったのか? が,たとえそうだったにせよ,まさにそれらにより著者は救われ奇跡的に生還できたのだ。
首都カトマンズに戻った著者は,帰国せず,現地小児科病院のボランティア医師として働き始めた。そして1974年暮れ,休暇中に出かけたランタン・ヒマラヤ偵察からの帰途,トリスリ河畔でテント場を探しているとき,チェットリの少女を見かけ尋ねると,「イェタ(こっち)」と言って案内してくれた。
著者は,「ハッとした」。「雪原でのあの声」とそっくりだ。
この少女,14歳のドゥルガを,著者は養女とした。そして,それをきっかけとして,親族,知人,地域住民へと人間関係が広がっていった。
一方,著者は小児病院勤務を通して,子供の死の多くが汚染された川水に起因することを知り,清潔な飲料水を確保することの必要性を確信するに至った。そのためには,乱伐で砂漠化した山地に木を植え,湧水を回復しなければならない。
こうして著者は,運命的な「声」に導かれて生還し,少女ドゥルガと出会い,そして今日にまでも継続されることになる植林の大事業の開始へと向かうことになったのである。
■おび(表側)
2 運命的な出来事と人生
『ネパールで木を植える』を読んでいると,合理的には説明しきれない運命的な出来事がその後の人生に大きな影響を及ぼすこともあることが,よくわかる。人生はドラマチックでもありうる。
私も早や「後期高齢者」。75年の人生を振り返ってみると,著者ほどではないが,それでも「運命的」と思えるような出来事がいくつかあった。たとえば,穂高での遭難危機もその一つ。
数十年前の秋,上高地に行った。河童橋~明神池付近の散策が目的だったが,雲一つない晴天。そこで,つい魔が差して,軽装にもかかわらず穂高に登ることにした。ルートは岳沢小屋⇒奥穂高岳⇒穂高岳山荘。絶景にルンルン気分だったが,秋の空は急変,奥穂頂上まであとわずかのところで猛吹雪,身動きできなくなってしまった。極寒の中,じっとうずくまり,もうだめかと観念しかけたとき,突如,目の前に人が現れた。屈強な山男で,吹雪・積雪だがルートは熟知とのこと。お願いして,あとをたどらせていただき,無事,奥穂山頂にたどり着いた。山荘までは稜線沿いに少し下るだけ。文字通り危機一髪,九死に一生を得た。助けてくれた山男は,何事もなかったかのごとく,山頂から一人,歩き去った。
この穂高での山男との出会いは,植林事業に結実した著者ほどではないが,それでも私の人生において折に触れ思い起こされる運命的な出来事の一つとなった。
『ネパールで木を植える』は,それを読む人に,誰にでも多かれ少なかれ運命的な出会いや出来事があること,そして,それを忘れることなく自らに引き受け,それぞれの仕方で人生を誠実に生きる努力をすること,そのことの大切さを改めて思い起こさせてくれるのである。
■おび(裏側)
谷川昌幸(c)
紹介:安倍泰夫『ネパールで木を植える』(1)
安倍泰夫『ネパールで木を植える ドクトルサーブと命の水の物語』(信濃毎日新聞社,2022年)が出版された。著者は医師で登山家。他に『ネパールの山よ緑になれ」(春秋社,2002年)などがある。
この本では,1974年ラムジュン・ヒマール登山のときの遭難死寸前からの奇跡的生還,カトマンズの小児病院ボランティア勤務,トリスリ河畔での少女ドゥルガとの運命的出会い,その出会いに導かれての地域住民との関係拡大・深化,そしてその機縁から始められたその地域での植林の事業的展開へと記述がすすめられていく。
本書のメインテーマは植林事業であり,筆致も全体的に抑制的だが,著者のネパールでの実体験そのものが日本では想像もできないほど緊迫し予見しがたいことの連続のため,植林事業の経過報告とは思えないほどハラハラ,ドキドキさせられる。もし仮に自分がこのとき著者であったなら・・・・と,感情移入すればするほど考えさせられ,興味深く読み進むことが出来る本である。
以下,いささか読書感想文的になるが,私自身の見聞も参考に供しつつ,本書を紹介していくことにしたい。
■表紙カバー
谷川昌幸(C)
瑠璃渓の侘しい「ネパール友好館」
好天に誘われ,晩秋の紅葉めあてに,瑠璃渓(るり渓)に行ってきた。瑠璃渓は,京都・大阪・兵庫の三府県の境界付近にある,宝石「瑠璃」のように美しいと称えられてきた渓谷。特に新緑と紅葉がすばらしい。
が,美しい自然は神が創り,人間が壊す。御多分に漏れず,瑠璃渓も,自然公園に指定されているにもかかわらず観光レジャー施設がつくられ,景観が損なわれている。
その瑠璃渓自然公園の中に,一つ,風格のある木造の塔がぽつんと立っている。「ネパール友好館」だ。
説明版によると,地元,園部町(現南丹市)は1990年ころから,農業技術援助や教育・文化交流を通してネパールと交流しており,友好のシンボルとして,また伝統技術継承支援の一環として,この塔を建てることにしたのだという。ネパール人職人が,17世紀バクタプルのパゴダをモデルにして,この塔を建てた。
たしかに「友好館」パゴダそれ自体は,見事な彫刻が施され,実に美しく風格がある。しかし,それが美しければ美しいほど,観光レジャー施設の中にぽつんと立たされると,違和感を禁じ得ない。なぜ,これがここにあるのか? しかも,維持管理でさえ十分のようには見えない。これで本当に友好に寄与できるのであろうか?
谷川昌幸(C)
民主主義を教えてくれる? 誰が!
日本政治もネパールで見られていることを,前回,Nikkei Asian Reviewの記事を参照しつつ紹介したが,見られているのは他の先進諸国も同じこと。この点につき,興味深いのが次の記事:
▼カナク・マニ・ディクシト「民主主義をネパールに誰が教えてくれるのか?」『ネパリタイムズ』9月22-28日号(*1)
カナック・マニ・ディクシト(कनक मणि दीक्षित)は,著名な言論人にして実業家。国連事務局勤務(1982-1990)の経験もある。ネパールの政治腐敗を早くから厳しく批判してきたが,2016年には,それが理由とされる別件逮捕により投獄され,死の瀬戸際まで追いやられた。これに対し,内外世論は彼を強く支持,結局,彼は釈放され,闘いに勝利した。(逮捕したのは職権乱用委員会[CIAA]。 この事件は利害が錯綜しており,はっきりしない部分もあるが,大筋では以上のよう見てよいであろう。参照 *3-6)
KM・ディクシトの記事は,彼自身のこのような民主主義のための闘いを踏まえて書かれている。要旨は以下の通り。
・・・・・<以下要旨>・・・・・
私がもし今も国連で働いており,トランプ大統領演説を聞いたなら,「私は椅子から転げ落ちたに違いない」。
トランプは,広島・長崎に原爆を投下した国の大統領でありながら,得々として何百万人も殺すことになる北朝鮮攻撃を振りかざす。米国はとんでもない人物を大統領としたため,気候変動,飢餓,紛争,不寛容の拡大など,世界が直面する諸問題に対処できなくなっている。
この米国の信用失墜は,在外米公館を困らせている。9月22日,テプリッツ駐ネ大使がリパブリカ紙に「政治の浄化」というタイトルのコメントを寄せ,政治腐敗の根絶を訴えた(*2)。が,虚栄と空虚,短気で無謀,論理のかけらもない自国主権至上主義――そんなものに捉われた大統領を戴く国の大使が,どうしてネパールに腐敗撲滅を説くことができるのか?
腐敗撲滅は正論だが,ネパール人は腐敗に無自覚だなどと思われては困る。ロックマン・シン・カルキに対する勝利,ゴビンダ・KC医師の不屈の闘い,ハリ・バハドル・タパの腐敗告発記事,そして各メディアによる多数の調査報道。腐敗絶滅には,高尚な一般論を唱えていてもダメだ。それは,われわれ自身の経済成長,平等,社会正義に必要不可欠な,われわれ自身の取り組むべき課題だ。「同じく,民主主義が必要なのは,他の民主主義国がネパールに勧めるからではなく,ネパール人自身が,自分たちの理解と経験からそれを善いものと知っているからだ。」
「高尚な哲学の原理原則も,世界に対する優越感ではなく謙虚さをもって,折に触れ語られて悪いことはないが,ネパールには歩む道を教えてやる必要があるなどとは,誰も考えるべきではない。」
「この開発主義後(post-development)世界[脱開発世界]においては,設計図や事業をわれわれに不断に提供し,世界に向けわれわれのことを報告し続けるような『外交-援助者(diplo-donor)』はまずいないだろう。いまやネパールは,自分自身の諸価値に基づき,ネパールの在り方を世界に示さなければならない。ネパールで進行している社会的政治的激変に気づかず,ネパールから学ぶべきを学ばない世界は,そのぶん損をしているのだ。」
「これからはのネパールは,民主主義を褒めたたえるような外交使節らの助言を従順に聞き入れるようなことは,すべきではない。」
「憲法を制定し様々な選挙を実施した今,次に取り組むべき大きな課題は,腐敗なき統治の実現だ。ここぞというときは,そしてまた地政学的状況が結局は良い統治を必要とするなら,利権目当ての政治屋や権力ブローカーがいても,外国の大使にそばに立っていてもらう必要はないだろう。」
・・・・・<以上要旨>・・・・・
さすが,不屈のリベラル愛国者,カナク・マニ・ディクシト! ネパール政治が,いまなお身内コネ,お友だち忖度で歪められ,利権がはびこっていることは百も承知だが,それでも近年の様々な改革努力を見ようともせず,旧態依然,父権主義丸出しでネパールに介入しようとする先進諸国の尊大な態度には我慢がならない。
ネパールは自らの力で国を造っていく,世界はネパールの経験から学ぶべきだ――これぞ本物の愛国者の矜持ではあるまいか。
*1 Kanak Mani Dixit, “Who teaches us democracy?,” Nepali Times, 22-28 September 2017
*2 Alaina B Teplitz, “Cleaning up government, Republica,” September 20, 2017
*3 カナク・ディグジト氏,CIAAが逮捕
*4 カナク・デクシト氏逮捕報道について:CIAA報道官
*5 デクシト氏釈放を首相に要請,世界新聞協会
*6 カナク・デクシト氏逮捕の事実経過:ヒマールメディア
谷川昌幸(C)
「一帯一路」喧伝のUNDPネパール
このところ「UNDPネパール(国連開発計画ネパール)」が,中国主導の「一帯一路」を連日,ツイッターなどで大々的に宣伝している。ネパール・メディアを見る限り,中国本国より国連の方が熱心にさえ見える。
UNDPは2016年9月19日,「一帯一路」を中国と協力して推進する了解覚書に署名した。そのための「行動計画」にも合意している。了解覚書に署名したヘレン・クラークUNDP総裁(元ニュージーランド首相)は,署名後,こう述べている。
「一帯一路計画(BRI=Belt and Road Initiative)」は,経済成長と地域協力のための強力な基盤(platform)であり,途上国を主とする40億人以上の人々を対象としている。・・・・それは,持続的発展のための重要な触媒となり,また加速装置ともなりうるものである。」(UNDP HP, 2016-09-19)
手放しの賞賛といってもよいであろう。権威あるクラーク総裁(在職:2009~2017年)が,こう号令をかけているのだから,「UNDP中国」はむろんのこと,「UNDPネパール」も「一帯一路,万歳!」となるのはごく自然な成り行きである。
これはやはり中国外交の勝利とみてよいであろう。UNDP拠出金(2016年)は,第1位=日本,第2位=EU,第3位=米国であり,中国は上位30位以内には入っていない。それなのに,米国は「アメリカ・ファースト」で国内向きとなり,米追従の日本も中国のような壮大な世界構想は示せない。
古来,世界の新たな秩序をつくり平和と繁栄を実現しようとするのは,新たな覇者。世界秩序の中心は,西洋から中国へと,いま大きく転換しはじめたのではないだろうか?
■UNDP in China HP/UNDP in Nepal Twitter(2017-05-14)
谷川昌幸(C)
ネパール地方選を中国援助
プラチャンダ首相が訪中し,3月27日,習近平主席と会談した。会談後,中国政府は,ネパールの5月地方選に対し,1億3千6百万ルピーの援助をすると発表した。
あれあれ,ネパール政府は,次の選挙では外国援助を受けないと宣言していたのではなかったかな?(参照:地方選,5月14日投票)それを知ってか知らずか,よりによって人民民主主義の中国が多党制民主主義のネパールの選挙を支援する。興味深い。
一方,この中国による選挙支援には,世界最大の選挙民主主義国インドをバックにするマデシ諸党が猛反発,中国政府を激しく非難している。ネパールでは,地方選ですら,国際政治と密接不可分なのだ。難しい。
谷川昌幸(C)
多国間共同訓練に自衛隊参加
ネパールで多国間共同訓練(GPOI)「シャンティ・プラヤ3」(3月20日~4月3日)が始まり,日本の自衛隊も「中央即応集団」の隊員2名が教官として参加している。(中央即応集団はUNMINにも派遣された。)
【参照】ネパールでのPKO訓練に日本も参加;カーターセンターと米太平洋軍とネパール(2)
GPOIは,2005年度から始まった米国支援の国際平和活動のための訓練プログラム。アジア地域では,米国太平洋軍主導で,ネパール,バングラデッシュ,カンボジア,タイ,インドネシア,マレーシア,モンゴルで開催されてきた。
ネパールでの訓練作戦名「シャンティ・プラヤ[プラヤス]」は,「平和への努力」の意。第1回はGPOI発足以前の2000年だが,GPOI発足後はそのプログラムとして2013年に第2回が実施され,そして現在,3回目が実施されている。
今回の「シャンティ・プラヤ3」の実施場所は,以前と同様,パンチカルの「ビレンドラ平和活動訓練センター」。参加国はパキスタン,バングラディシュ,スリランカ,タイ,インドネシア,マレーシア,ベトナム,ガーナ,オーストラリア,英,米,日など28か国で,参加人員は計1024人。
この「シャンティ・プラヤ3」訓練はネパール国軍主催,米太平洋軍後援ということになっているものの,実際には米軍主導の感は否めない。開会式ではハリー・ハリス・Jr米太平洋軍司令官が,「名誉ある平和」のための「平和への努力」を訴え,「ネ米関係は強力であり,さらに強化されていく」と語った。また,A・B・テプリッツ駐ネ米大使も,米国による「シャンティ・プラヤ」支援の意義を力説した。
「シャンティ・プラヤ3」は,たしかに国際平和活動のための訓練だが,実施場所のパンチカルはチベット国境の近く。そのような場所での米軍色の濃い訓練に,日本政府は陸自最精鋭の中央即応集団から教官2名を派遣している。面白く思わない国もあるのではないか?
■米太平洋軍司令官・駐ネ米大使・プラチャンダ首相(米大使館HP)
*1 “Shanti Prayas-III begins today,” Kathmandu Post, Mar 20, 2017
*2 “Exercise Shanti Prayas III kicks off, 28 countries taking part,” Himalayan Times, March 20, 2017
*3 “Exercise Shanti Prayas –III,” nepalarmy.mil.np/covernews1.php?
*4 “Global Peace Operations Initiative (GPOI),” US Department of State
*5 “Shanti Prayas Exercise Commences in Nepal,” U.S. Department of Defense, March 21, 2017
谷川昌幸(C)
友愛の原点としてのネパール,鳩山元首相
鳩山由紀夫元首相が訪ネし,カトマンズで3月18日,ネパール商工会議所幹部と会い,水力発電所への投資の可能性などについて協議した。その後,ポカラに行き,21日に現地で記者会見,投資環境の整備,中小企業の育成,観光開発の促進などについて語った。また同日,カトマンズに戻って,プラチャンダ首相とも会っている。
鳩山元首相はAIIB(アジアインフラ投資銀行)委員であり,ネパールへの関心も高い。日本では,MK・ネパール元首相ら,訪日ネパール要人と会談しているし,訪ネの際(2006年1月,2013年9月など)には,大統領,首相ら政財界要人とも繰り返し会談している。ネパールは,鳩山元首相にとって,特別な国のようだ。ヤダブ大統領やレグミ首相と会談した時,彼はこう述べている:
私からは,「日本とネパールの外交関係が樹立されたときの日本の首相は祖父一郎であり, 父威一郎は外相としてネパールを訪れ,私は友愛の原点はネパールにありと思って訪れた。 三代に亘って縁を戴いていることに感謝している」と話したところ,大変に喜んでくださ った。(鳩山「ネパール旅行記」,『友愛』526号,2013年11月10日)
*1 “Japan’s ex-PM Yukio Hatoyama in Pokhara,” The Himalayan Times, March 20, 2017
*2 “Japan’s ex-PM stresses on investment-friendly atmosphere,” The Himalayan Times, March 21, 2017
*3 “Former Japanese PM Hatoyama pays courtesy call on PM Dahal,” Annapurna Post, Mar 22, 2017
谷川昌幸(C)
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