ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

Archive for the ‘宗教’ Category

ガディマイ祭:動物供儀をめぐる論争(2)

1.2019年ガディマイ祭の概要
今年のガディマイ祭は,12月3日に水牛,翌4日に他の動物が供儀された。その供儀動物数は,報道によりかなり異なるが,おおよそ次の通り(*1,5,7,8,13,16,23,24)。
【参拝者]150万人以上
【警備要員]警官1千人,武装警官3百人
【供儀執行係]200人
【供儀動物]水牛 3千~6千5百(山羊,鶏等を含め総数?)
 [2014年 水牛 3千5百(山羊,鶏等を含め総数20万)]
 [2009年 水牛 1万(山羊,鶏等を含め総数25~50万)]

この150万人もの参拝者の約7割はインドから来た人々であり,供儀動物の多くも国境を越えインドから持ち込まれたものである。その意味では,ガディマイ祭は,ネパール人というよりもむしろインド人のための祭りという色彩が濃いとみてよいであろう(*25,26)。

ガディマイ祭において最も重要なのは,いうまでもなく水牛供儀である。今年も,数千頭の水牛が,寺院近くの柵で囲まれたクリケット場(ないしサッカー場)ほどの広場に集められ,12月3日,供儀係約200人によりククリ刀で次々と首を切り落とされていった。

供儀後の水牛については,頭は供儀数確認のため残し(確認後の扱い不明),胃腸など不要部分は穴を掘り埋めてしまう。肉や皮や骨は利用されるが,報道では具体的な利用方法がいま一つはっきりしない。
 ・肉は,供儀した人々がプラサド(供物)として食べたり持ち帰ったりする。皮は,寺院に納められて売却され,祭り経費に充てられる。(寺院高僧,Animal People Forum, 3 Dec)(*28)
 ・人々が持ち帰るか,商人に売却(Reuters, 4 Dec)(*14)
 ・カトマンズに運び,売却(New York Times, 6 Dec)(*23)
 ・インドとネパールの会社に売却(WIKI)
 ・持ち込み供儀した人々や他の参拝者らが食べたり持ち帰ったりする。(Animal People Forum, 3 Dec)(*27)
 ・チャマール(ダリット)の人々が持ち帰り,売ったり加工したりする。ただ,最近は,引き取り拒否が増加(Kathmandu Post, 2 Dec)(*10,28)

ネパールでも現在は,認可された処理施設で衛生的に処理された肉以外の取引は法律(Animal Slaughterhouse and Meat Inspection Act, 1999)で禁止されている。ガディマイ祭では,水牛以外に山羊や鶏が供儀され,大量の肉や皮が残される。冬で寒いから大丈夫とされ,供儀者や地域の人々が周辺で食べたり持ち帰ったり,あるいは商品として売買しているようだが,これには法的にも衛生的にも問題があるとされている。

■2019年ガディマイ祭FB(12月4日)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2019/12/29 at 17:43

ガディマイ祭:動物供儀をめぐる論争(1)

ガディマイ祭(गढ़िमई पर्व , गढ़िमई मेला)が,この12月3,4日を中心に,約1か月にわたり開催された。

この祭りは,5年ごとにバラ郡バリヤプルで開催される世界最大の動物供儀祭。総数数十万にも及ぶ,おびただしい数の水牛,山羊,雄鶏などが寺院近くの広い供儀場に連れてこられ,ガディマイ女神に犠牲として捧げられる。

この祭りについては,このブログですでに何回か紹介した。以下では,今年のガディマイ祭について,賛否を中心に紹介する。重複や,情報錯綜による矛盾もあるかもしれないが,ご容赦願いたい。

ガディマイ祭関連ブログ記事
動物の「人道的」供犠:動物愛護の偽善と倒錯
動物供犠祭への政治介入:動物権利擁護派の偽善性
血みどろのゴルカ王宮
インドラ祭と動物供犠と政教分離
ガディマイ祭:動物供犠と人間の業(1)
ガディマイ祭:動物供犠と人間の業(2)
ガディマイ祭:動物供犠と人間の業(3)
ガディマイ祭:動物供犠と人間の業(4)
ガディマイ祭:動物供犠と人間の業(5)
ガディマイ祭:動物供犠と人間の業(6)
ガディマイ祭:動物供犠と人間の業(7)
ガディマイ祭:動物供犠と人間の業(8)
ガディマイ祭:動物供犠と人間の業(9)
ガディマイ祭:動物供犠と人間の業(10)
ガディマイ祭:動物供犠と人間の業(11)
動物供犠停止か? ガディマイ祭
ガディマイ祭動物供犠,最高裁禁止命令

2019年ガディマイ祭FB

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2019/12/28 at 19:31

奄美の自然とその破壊(3)

3.カトリック信仰の村々
予備学習なしだったので全く知らなかったのだが,奄美にはカトリック教会がたくさんある。カトリックは,ある意味,柔軟であり,伝統文化をうまく取り入れ,地方ごとの特色ある教会をあちこちにつくっている。奄美でも,そうした趣が見て取れる。

奄美のキリスト教は,1891年にパリ外国宣教会フェリエ神父の来島に始まり,以後,各地に教会が建てられ信者も増えていったが,国粋化・軍国化につれ信者迫害が激しくなり,教会施設も破壊されたり事実上没収されたりした。また戦争末期には,空襲を受け,名瀬聖心教会などが破壊された。奄美の教会は,そうした苦難を乗り越え,今日に至っているのである。現在の信者数は人口の6%ほど。ちなみに長崎は4%余。

今回は,それら奄美の教会のうち,通りすがりに目にした大笠利教会,瀬留教会,知名瀬教会の3教会を見学してきた。

いずれも南国奄美らしい趣のある教会で,たまたま来られていた信者さんが教会の由来や現状について親切に説明して下さった。

▼大笠利教会
■礼拝堂
■歴代司祭
■ガスボンベ利用募金箱

▼瀬留教会
 

▼知名瀬教会
■全景
■玄関
■マリア像

▼奄美の教会(名瀬聖心教会HPより

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2019/09/14 at 11:09

カテゴリー: 自然, 宗教, 文化, 旅行

Tagged with , , ,

老老介護(16):永遠の平和へ,自然に

100歳近くの母の介護をしていると,人間も,自然な形であれば,他の動植物と同じように生命力が徐々に衰え,器官があちこちで機能停止していき,最終的な死へと向かっていくのだなぁ,と日々実感させられる。老衰による死は,他の動植物の死と同様,自然にして平和なものであるにちがいない。

たとえば樹木は,小枝が枯れ始め,大枝も一本また一本と枯れ,やがて幹が枯れ死んでいく。あるいは猫は,最近の過保護ペット化し自然=本性=本能を失った猫でなければ,視力・聴力や運動能力が次々と衰え,エサを食べなくなり,やがて死期を本能的に悟ると,家人の前から立ち去り,不幸にして他の動物に捕食されさえしなければ,そこで立木が枯れるのと同じように自然に死んでいく。かつての農家のネズミ対策用飼い猫はたいていそうであった。自然で平和で安らかな死!

母は,認知症になったため,老化・衰弱が加速しているようだ。認知症により神経回路があちこちで故障し始めたためか,言動の総合的な抑制均衡がとれなくなり,いわゆる「常識」を失い,「異常な言動」の頻度が増し,程度も激しくなっていった。精巧な機械の無数の歯車のうちのいくつかが壊れたり外れたりし始めたため,それらと連動している他の歯車が急停止や急回転を始め,制御できなくなったようなものだ。

たとえば食欲。数年前,記憶部分に加え満腹感の部分の神経回路が故障したためか,食欲が異常に昂進,むやみやたらと食べ始めた。当然,下痢をする。が,それでも食べる。しかたないので,ごはんやおやつ(菓子,果物など)を隠すと,捜し回り,冷蔵庫を縛っている鎖でさえ強引に切断しようとする。あるいは,玄関の錠を壊し,外に出て,近くにあると思い込んでいる(記憶の部分的喪失と混乱)「うどん屋」に行き,うどんを食べようとする。摂食行動を制御する満腹感回路や記憶回路が故障したため,食欲の歯車が空転を始め,回転数を無限に上げていく。(参照:老老介護(15):過食から寡食へ

あるいはまた,椅子を廊下に出し放置。以前は,掃除のとき椅子を出し入れしていた。ところが,掃除と椅子の出し入れとを関連付ける回路がどこかで切れ,椅子を廊下に出すという歯車(行為)だけが空転するようになった。椅子を誰かが部屋に戻すと,その都度,また廊下に出す。戻しては出し,戻しては出し,数分おきといったことさえあった。

このような認知症による不可解な「異常行動」が,他にもあちこちで見られるようになり,程度も加速度的に激しくなっていった。

ところが,加速度的に空転速度を上げた歯車がいずれ擦り切れたり焼き付いたりして回転を止めるのと同様に,認知症による「異常行動」も許容範囲を超えると,終息していく。

最も劇的だったのが,食欲。無際限に食べようとする典型的な認知症過食だったのに,食欲回路が擦り切れたのか,一転して食事への関心が急低下した。ご飯を出しても,おやつを出しても,なかなか食べようとはしない。食べても,量は急減,いまでは以前の三分の一,あるいはそれ以下。これでも,あれこれ食べるよう工夫してのこと。もし以前の通りなら,ほとんど食べないに違いない。これは,食欲の存在を大前提とする疾病としての摂食障害ないし拒食症ではない。食欲本能そのものが燃え尽き,無くなり始めているのだ。(参照:老老介護(15):過食から寡食へ

他の認知症による「異常行動」も,食欲ほど劇的ではないが,頻度,程度とも減少してきた。玄関錠を壊そうとしたり廊下に椅子を出したりはまだするが,数回止めさせれば,以前のように際限なく繰り返したりはしない。何であれ,何かをする意欲そのものが失われつつある。はっきりそれとわかる老衰が始まったと覚悟せざるをえない。

母のこの老衰は,認知症のため加速されてはいるが,自然なものであり,痛みや苦しみは特にない。まだ会話もできるし,自分で歩き,食べ,トイレに行き,テレビを見る(ながめる)こともできる。が,それにもかかわらず食べなくなり,何事であれ物事への関心そのものが加速度的に失われ始めた。心身はあきらかに終末へと向かいつつある。

母の老衰は,このようにごく自然なものなので,食事についても,好物中心の食べやすい料理を作り,食べるように話しかけはするが,それでも食べなければ,無理強いはせず,そのままにしている。それが自然だから。

人も自然から生まれ自然へと返る。食べなくなった猫が,平和の裡に自然に返っていくのと同じように。永遠の平和に向かって,自然に! Zum ewigen Frieden!

▼「老衰死――穏やかな最期を迎えるには」(NHKスペシャル2015/9/20

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2019/05/17 at 18:11

カテゴリー: 社会, 健康, 宗教

Tagged with , , , , ,

ゴビンダ医師のハンスト闘争(39)

10 参考資料
 (1)マンジート・ミシュラ「希望と恐怖の物語」
 (2)グファディ「狂気の権威主義的な医師」

(3)D・カイネー「無為無策の5か月」リパブリカ,2018年8月7日

—————————————
デイビッド・カイネーは極西部出身,トリブバン大学卒。Revival Ministry Nepal ( RMN )代表。人身売買防止,貧困救済等の社会活動に尽力。「リパブリカ」,「カトマンズ・ポスト」等への寄稿多数。この「無為無策の5か月」では,オリ政府の強権化・利権化を阻止し人民の利益を実現するには,市民社会自身が立ち上がるべきだと訴えている。
*David Kainee, “Five months of inaction,” Republica, August 7, 2018
—————————————

KP・シャルマ・オリ政府は,発足後5か月を経過した。その業績は,どう評価されるべきか? 昨年の地方,州,連邦の3選挙において,人民は共産党連合(現在は統合されネパール共産党)に未曽有の大勝利を与え,これによりオリは,近年のネパールにおいて最強の政府を率いることになった。首相は,「ネパール人の幸福,ネパールの繁栄」を約束したのであり,人民は,その約束の実現に向けての確かな前進を期待した。

ところが,オリ政府は次々と問題を引き起こした。政府は権威主義だという批判もあれば,議会で三分の二を握ったため傲慢になっているという声もある。[……]

先月[2018年㋆],政府は,医学教育改革の旗手ゴビンダ・KC医師に対し,この上ない傲慢さと無神経さを示した。政府は,ケダル・バクタ・マテマ委員会勧告無視の国民保健教育法案[医学教育法案]を通そうとした。[これを阻止するための]サティアグラハを行うためKC医師がジュムラに向かうと,ジュムラ郡当局は,連邦政府の要請を受け,抗議行動禁止場所を指定した。そのため,KC医師は,地域病院の暗い部屋で抗議行動を始めざるをえなかった。

オリは,KC医師の品位を汚すようなことを言った。人民の守護者として働くのではなく,自国の高貴な魂と敵対する権力者としての立場を,オリは自ら選び取った。KC医師が意識を失ったときですら,政府はそれを無視した。市民社会やメディアからの圧力が大きくなり始めてようやく,政府は交渉に転じ,結局は彼の諸要求を受け入れることに同意した。このときまでに,以前は愛国的指導者と見られていたオリの評価は,大きく損なわれてしまった。いまや彼は,コネ資本家どもの守護者と見られるようになった。

[オリ政府は公共交通や開発基金など他の諸課題についても,当初は改革を掲げたものの,実際には実行しなかった。……]

ウジャン・シュレスタ殺害事件で]有罪判決を受けたバル・クリシュナ・ドゥンゲルに対する大統領恩赦についても,政府は,多くの人々が指摘してきたように,マオイスト幹部と結託して,これを承認した。司法は政治化されてしまった。首相をはじめ大臣たちは,言葉でも行動においても,傲慢であり不寛容である。2006年人民蜂起において中心的な役割を果たしたわれわれ市民社会は,身内第一の諸政党とは距離を取り,自らを復活させる必要がある。[……]

■RMNフェイスブック

■Jeremy Snell, “David of Nepal,” (Video)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2019/05/15 at 18:44

桜の宝塚

7日の日曜は,絶好の花見日和。最近は身内の介護で遠出できないので,自転車で近くの桜を見に行ってきた。

今年の桜は,完璧な一斉開花。美しいというよりは,たじろぎ,息をのむほどの生命力の噴出発現。その一気に咲いた無数の花々を見ると,いやでも散り際の潔さ,美事さを思わずにはいられない。

桜は,厳しい冬を耐え忍び,本格的な春の到来を待ち望む日本人の心情に,たしかに最も自然に,最も力強く訴えかける日本の花である。それだけに,利用価値も,むろん絶大だったのだが・・・・。(参照:花の宝塚とゼロ戦と特攻顕彰碑


■「宝塚大歌劇場・花のみち」入口/宝塚大歌劇場


■花のみち(歌劇場前)


■宝塚音楽学校(TMS)/阪急電車


■宝塚大橋東詰/同左

■宝塚大橋西詰/伊和志豆神社

■平林寺/同左

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2019/04/08 at 10:46

カテゴリー: 自然, 宗教, 平和, 文化

Tagged with , , ,

ゴビンダ医師のハンスト闘争(22)

6.第15回ハンスト
 (1)なぜジュムラでハンストか?
 (2)決死のハンスト(i)
 (3)決死のハンスト(ii) ①ハンストと延命治療
 (4)決死のハンスト(iii) ②それほど苦しくない断食(以上前出)
 (5)決死のハンスト(iv) ③強制摂食:人道名目の拷問

(6)決死のハンスト(v) 
④強制摂食:いくつかの事例
A. 西洋近世・近代の奴隷と病人 西洋には自殺を大罪とするキリスト教の強固な伝統があり,それが多かれ少なかれ西洋における強制摂食正当化の宗教的・倫理的根拠となってきたと見てまず間違いはないであろう。

強制摂食の事例としてよく知られているのが,アフリカから新大陸へ奴隷を輸送する奴隷船内で行われていた強制摂食。食事を拒否し自殺しようとする奴隷がいると,建前としては自殺は大罪なので,また実利的には大切な商品としての奴隷に死なれては困るので,強制的に口を開けさせる器具(speculum orum, gavage)を使用して口をこじ開け,食物を胃に流し込む強制摂食が行われていた。フォアグラや北京ダック(填鴨)と同じ。技術的には古来,周知の方法だ。

一方,奴隷以外の人については,西洋では,食べないのは何らかの「病気」とみなされ,食べさせるための治療器具が開発・改良され,「患者」への強制摂食が始まり広がっていった。19世紀には,収容所や刑務所でハンストが始まれば,いつでも強制摂食を実施しうる状況が出来上がっていたのである。(*11)


■キリスト教では自殺は絶対悪(412teens.org)/奴隷強制摂食用器具(National Museum of Denmark)/フォアグラ強制給餌(Stop Force-feeding)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2019/02/26 at 18:12