ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

Archive for the ‘平和’ Category

ネパール共産党とドゥンゲル恩赦(4)

5.平和か正義か?
ウジャン殺害事件が難しいのは,それが内戦としての人民戦争の中で,交戦中の一方の勢力たるマオイストの作戦の一環と見られる余地が全くないとは言い切れないからである。

人民戦争終結のための「包括和平協定」(2006年)には,戦時の諸事件は「真実和解委員会(TRC)」等の和平機関を設置し,そこで解決を図るとの取り決めもある。マオイスト側は,党幹部もYCLなどの傘下諸組織も,ウジャン殺害事件は人民戦争中のスパイ絡みの「政治的な事件」だから,TRCで解決されるべきだと繰り返し主張してきた。

それなのに,もしウジャン殺害事件が戦後,通常の裁判所で「刑事犯罪」として裁かれ処罰されることになれば,他の同様の行為も「刑事犯罪」となり,責任追及は他の党幹部にも及ぶ恐れがある。マオイストとしては,これはどうしても未然に防止しなければならない事態である。

他方,被害者側からすれば,ウジャン殺害は異カースト間結婚に絡む殺人であり,殺人事件として裁かれ処罰されるべきだし,たとえ仮に人民戦争の一環だとしても,ウジャン殺害は国際法が禁止する人道に反する虐殺行為であり,戦争犯罪として裁かれ処罰されるべきだ,と主張している。内外の人権諸団体は,この観点からウジャン側を一貫して強力に支援している。ウジャン側のこの主張も,もっともである。

ウジャン殺害事件は,理念的には,平和と正義の相克の問題である。平和と正義は,同時に実現されるのであれば,それが理想である。が,現実には,いくらそれを願い努力しても,そうならない場合が少なくない。

平和のため正義を,正義のために平和を,ある程度断念せざるをえない場合が,現実には少なくない。悲しく苦しく無念な事態だが,不完全な人間の業であり宿命として観念せざるを得ないのではないだろうか。

■カトマンズポスト2016-11-21

*1 British Embassy Kathmandu, “Information Pack for British Prisoners in Kathmandu Prisoners pack template – 2015,” 1 July 2015
*2 Rajeev Ranjan and Jivesh Jha, “Pardoning criminals: Nepal’s communism model?,” Lokantar, 2018-06-29
*3 “Students, cops clash in Tanahun,” Kathmandu Post, Jun 12, 2018
*4 Yubaraj Ghimire, “Next Door Nepal: Reading the reprieve Presidential pardon to Maoist leader points to the threat of authoritarianism,” Indian Express, June 4, 2018
*5 “New laws for pardon, waiver, suspension, commutation of sentence sought,” Himalayan, June 03, 2018
*6 “Investigation into war crimes gets tougher under new govt ‘Former rebels wielding new-found political influence to hinder probe’ , “ Kathmandu Post, May 31, 2018
*7 BINOD GHIMIRE, “Dhungel freed despite criticism,” Kathmandu Post, May 30, 2018
*8 Ananta Raj Luitel, “SC refuses stay order in president’s pardon for Dhungel,” Republica, May 30, 2018
*9 Binod Ghimire, “Nepal Communist Party leader Dhungel freed despite criticism,” Kathmandu Post, 30 May 2018
*10 “President pardons Dhungel, decision condemned,” Republica, May 30, 2018
*11 Yubaraj Ghimire, “Nepal President Bidhya Devi Bhandari, PM OLi under fire for pardoning Maoist murder convict Dhungel,” Indian Express, May 30, 2018
*12 “Nepali Congress objects to Dhungel’s release,” Himalayan, May 29, 2018
*13 “Murder-convict Dhungel gets presidential pardon,” Kathmandu Post, May 29, 2018
*14 “SC seeks govt file on Dhungel pardon,” Kathmandu Post, May 29, 2018
*15 “SC refuses interim order against govt decision to grant amnesty to Dhungel,” Kathmandu Post, May 29, 2018
*16 “SC to hear Dhungel’s case today,” Kathmandu Post, May 28, 2018
*17 “Hearing on govt decision to offer amnesty to murder-convict Dhungel on Monday ,” Kathmandu Post, May 27, 2018
*18 “Apex court show-cause to government on Dhungel clemency bid,” Kathmandu Post, May 26, 2018
*19 “Don’t misuse the presidential pardon,” Review Nepal, May 25 2018
*20 “Writ at SC against recommendation to waive remaining jail sentence of Dhungel,” Kathmandu Post, May 24, 2018
*21 Yubaraj Ghimire, “Nepal: Oli government prepares for clemency to ex-Maoist leaders serving jail term,” Indian Express, May 24, 2018
*22 “Republic Day pardon recommended for Balkrishna Dhungel,” Himalayan, May 22, 2018
*23 Kosh Raj Koirala, “New ordinance to extend term of TRC, CIEDP by a year,” Republica, January 4, 2018
*24 “Demonstration in Okhaldhunga demanding Dhungel’s release,” Kathmandu Post, Nov 1, 2017
*25 “CPN (MC) demands prompt release of Dhungel Kathmandu,” Kathmandu Post, Oct 31, 2017
*26 “YCL demands immediate release of Dhungel,” Kathmandu Post, Oct 31, 2017
*27 “Murder convict leader Bal Krishna Dhungel arrested, sent to Dillibazaar prison,” Kathmandu Post, Oct 31, 2017
*28 “Contempt of court writ filed against IGP Aryal,” Kathmandu Post, Oct 24, 2017
*29 “Court to govt: Arrest murder convict Bal Krishna Dhungel,” Kathmandu Post, Apr 14, 2017
*30 “Issue arrest warrant against Bal Krishna Dhungel: SC orders IGP Aryal,” Kathmandu Post, Apr 13, 2017
*31 DEWAN RAI, “Supreme Court asks police again to arrest Dhungel,” Kathmandu Post, Dec 26, 2016
*32 “Government eases criteria for clemency,” Himalayan, May 07, 2016
*33 “No amnesty to Bal Krishna Dhungel: SC,” Kathmandu Post, Jan 7, 2016
*34 Pranab Kharel, “SC to begin fresh hearing on appeal against Dhungel,” Kathmandu Post, Sep 5, 2014
*35 “Jail-sentenced former Maoist cadre arrested & jailed,” Kathmandu Post, May 13, 2014
*36 “NC, UML reiterate stance against presidential pardon to Dhungel,” Kathmandu Post, Nov 14, 2011
*37 Pranab Kharel, “SC stays Cabinet decision to pardon lawmaker Dhungel,” Kathmandu Post, Nov 13, 2011
*38 Pranab Kharel, “To pardon or not to pardon, Prez ponders,” Kathmandu Post, Nov 13, 2011
*39 “Oppositions to raise Dhungel’s issue in House today,” Kathmandu Post, Nov 11, 2011
*40 “Lawmakers warn govt over Dhungel plea,” Kathmandu Post, Nov 11, 2011
*41 “Serious lapses in parties’ PR lists,” Kathmandu Post, Nov 11, 2013
*42 “RPP-N chair against clemency to Dhungel,” Kathmandu Post, Nov 10, 2011
*43 “Rights groups to protest if Dhungel pardoned,” Kathmandu Post, Nov 10, 2011
*44 DEWAN RAI, “Apex court denies clemency to murder convict Dhungel Issues mandamus order to send Maoist leader to prison for life,” Kathmandu Post, June 24, 1998

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/07/14 at 16:07

ネパール共産党とドゥンゲル恩赦(3)

3.ドゥンゲルへの恩赦
オリ内閣は,全国の刑務所から提出された約1000人(正確な人数不明)の恩赦候補者リストの中から816人を恩赦対象者に決定し,5月29日の共和国記念日にバンダリ大統領がその816人に恩赦を与えた。ビルクリシュナ・ドゥンゲルもその一人。

ドゥンゲルは終身刑(禁錮20年)だが,前述のように収監期間は通算8年を超え,改正されたばかりの刑務所規則の刑期40%以上経過の要件をギリギリ満たしている。そして,むろん行状も良好と認められた。こうして,ドゥンゲルは共和国記念日恩赦を与えられ,釈放されたのである。

このドゥンゲル恩赦につき,オリ首相は,それは「定められた手続きにしががったもの」だと述べた(*4)。

ドゥンゲル自身はというと,釈放されるとすぐネパール共産党事務所に行き,支持者を集め,自分は人権キャンペーンで「ドル稼ぎ」をしている人権活動家らの謀略の犠牲者だと演説し,無実を訴えた(*4)。

■ドゥンゲル(FBより)

4.ドゥンゲル恩赦への反対
(1)ウジャン親族
ドゥンゲル恩赦に対し,被害者ウジャンの妹サビトリ・シュレスタは,「政府は犠牲者家族の言葉に耳を傾けようとはしないばかりか,逆に,犯罪者への配慮をますます強めさえしている」と述べ,ドゥンゲル恩赦を非難した。家族は,国連人権委員会に,この問題を訴える予定だという(*10)。

(2)ガガン・タパ議員(NC)
コングレス党のガガン・タパ議員は,連邦議会で,ウジャン恩赦に反対し,こう演説した。

「虐殺犯釈放のような恣意的決定は,王政期にのみ行われていた。首相は,意のままに恩赦を与える国王ではない。もし政府がドゥンゲル釈放の決定を直ちに撤回しなければ,わが党は街頭に出て抗議活動を始めるだろう。」(*10,12)


 ■がガン・タパのドゥンゲル恩赦批判FB(5月29日)

(3)ユバラジ・ギミレ
ジャーナリストのユバラジ・ギミレは,ドゥンゲル恩赦をUML・MC合併によるNCP政権成立の背後にある密約の履行の一環と見る。

ギミレによれば,2005年和平交渉の頃,インドとEUがマオイストの政権参加による和平を働きかけたのに対し,アメリカは王室に期待し働きかけた。その頃,あるアメリカ外交官が「王政は権威的とはいえ民主的な制度に改めうるが,マオイストは全体主義であり変えようがない」と語ったが,その警告が,ネパール共産党が議会三分の二に近い大勢力になったいま,現実化しつつある(*4)。

そもそもUML・MC合併は,マオイスト戦争犯罪の免責が前提条件であった可能性がある。強大政権党NCPの報復を恐れ,人権活動家らは沈黙し始めたし,真実和解委員会(TRC)もいまや「牙なし」状態となってしまった。最高裁人事でさえ,NCP寄りとなっている(*4)。ギミレはこう述べている。

「絶対多数を持つ新党が結成されKP・オリ政権が成立すると,政府は虐殺の罪で終身刑に服している元マオイスト幹部の元議員に『大統領恩赦』を与えるため,権力を行使し始めた。」(*21)

「[当局筋によれば]与党幹部の指示に従い,刑務所当局は様々な罪で投獄されている他の800人の受刑者に加え,良好な態度を理由にバルクリシュナ・ドゥンゲルにも恩赦を与えるよう勧告した。」(*21)

「刑務所規則によれば,大統領恩赦を受けられる受刑者もいるが,虐殺,レイプ,人身売買および汚職の罪を犯した者は除かれる。これは,ビドヤ・デビ・バンダリ大統領にとって,一つの大きな試練となっている。バンダリ大統領は法を厳守しなければならないし,また,より重要ともいえるが,マオイスト指導者だったバブラム・バタライが6年前首相だったときドゥンゲルへの恩赦を彼女の前任者ラム・バラン・ヤダブ大統領に勧告したとき,ヤダブ大統領はそれを拒否していたからである。」(*21)

「マオイスト幹部バル・クリシュナ・ドゥンゲルの大統領恩赦釈放は,10年に及ぶ内戦期の人権侵害で有罪とされ,あるいは責任追及されているマオイスト幹部すべてに対し,恩赦を与えるか,あるいは責任免除とするかへの前兆と見られている。」(*4)

■ユバラジ・ギミレ(FBより)

(4)ディネシュ・トリパティ弁護士
ドゥンゲル恩赦に反対し法廷闘争を展開しているのが,憲法,行政法,人権問題が専門でカトマンズ大学法学部講師を務めているディネシュ・トリパティ弁護士。法廷闘争は複雑で前後関係がはっきりしない部分もあるが,報道によれば,彼の法廷闘争の大筋は以下のとおりである。

ドゥンゲル恩赦は,前述のように,かつてバブラム・バタライ首相(2011年8月29日~2013年3月14日)が2011年11月8日閣議決定したが,ウジャンの妹サビトリ・シュレスタが11月10日最高裁に閣議決定取り消しを求めて提訴,これを最高裁は11月23日認めていた。そのとき,最高裁は,恩赦は恣意的,無制限であってはならないし,また国際法で禁止されている重大犯罪への恩赦は認められないと命令していた。

今回,内閣が2018年共和国記念日恩赦にドゥンゲルを含める方針であることが明らかになると,トリパティ弁護士は5月24日,ドゥンゲル恩赦を認めないことを求める訴えを最高裁に提出した。

この訴えに対し,最高裁は5月28日,政府に対しドゥンゲル恩赦釈放に関する関係文書の提出を命令し,その審理を29日11時から行うことを決めた。ところが,審理開始直前の午前9時,政府はドゥンゲルを釈放してしまった。

そのため最高裁は6月26日,ドゥンゲルへの恩赦そのものへの最終判断は留保しつつも,ドゥンゲル釈放停止の仮処分については,すでに釈放されているとして,トリパティ弁護士の訴えを棄却した。これにつき,トリパティ弁護士はこう批判している。

「この恩赦は司法制度への攻撃である。重大な人権侵害事件が裁判所審理中であるにもかかわらず,恩赦を与えるような権限は,政府にはない。」(*9,cf.*5)

またオム・プラカシ弁護士も,こう問題提起している。

「ドゥンゲルは,いまもなお犠牲者家族を脅している。犯罪者の釈放は,犠牲者家族の安全をさらに危うくさえしているのだ。」(*10)

■トリパティ弁護士(カトマンズ大学HPより)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/07/13 at 15:23

ネパール共産党とドゥンゲル恩赦(2)

2.ネパールの恩赦規定
選挙直前の2017年10月31日にドゥンゲルを収監したディリバザール刑務所は,翌2018年に入ると,共和国記念日恩赦(5月29日)実施の政府方針に従い恩赦候補者名簿を作成,それを2018年5月20日頃,政府に提出した。ディリバザール刑務所からは26人,そのうちの一人がドゥンゲルであった。

ネパールの恩赦は,民主主義記念日(2月19日),共和国記念日(5月29日),ダサイン祭(9~10月2週間ほど)などの祝祭日に行われる受刑者の刑罰免除である。王政期には,文字通り国王の「思し召し」により恩赦が与えられていたが,現在は,内閣の勧告に基づき大統領が実施することになっている。

(1)ネパール共和国憲法の恩赦規定
第276条 恩赦(माफी) 大統領は,有罪判決を受けた者に恩赦を与えることが出来るし,また,いかなる裁判所,司法機関もしくは準司法機関または行政官もしくは行政機関により科せられたいかなる刑をも軽減することが出来る。

【参照】ネパール王国憲法1990年
第122条 恩赦 陛下は,裁判所,特別裁判所,軍事裁判所または他の司法機関,準司法機関もしくは行政機関が科した刑罰に恩赦を与え,またはその刑罰を猶予し,変更し,もしくは軽減する権限を有する。

(2)刑務所法令の恩赦関係規定
恩赦関係法令は複雑であり改変も多いが,英大使館「受刑者の手引き」(*1)や解説記事などによると,現在の恩赦はおおよそ次のようになっている。

内閣:恩赦実施の方針決定
⇒全国74刑務所:それぞれの収監受刑者の中から適格者を選び,恩赦候補者名簿を作成。
⇒刑務所総局:各刑務所から提出された恩赦候補者名簿を集計。
⇒内務省:必要な場合には法務省や法務長官の意見をも聴収し,恩赦名簿案作成。
⇒内閣:恩赦名簿を閣議決定
⇒大統領:内閣勧告に基づき恩赦実施。

(3)恩赦の要件
・刑期の40%以上または65歳以上の場合は25%以上を経過した者(5月6日改正以前は,刑期の50%以上または70歳以上の場合は25%以上を経過した者)
・行状の良好な者
・罰金の支払い。
・病気,心身障害等も考慮。

(4)恩赦対象外の犯罪
残虐非道な殺人,レイプ,人身売買,誘拐・人質監禁,殺人目的放火,組織犯罪,汚職,脱獄,違法薬物取引,詐欺,密輸,外国雇用関係犯罪,保護野生動物関係犯罪,考古学対象物関係犯罪,国家反逆罪,武器弾薬等関係犯罪,スパイ,人道犯罪,ジェノサイド

(5)恩赦要件緩和の理由
オリ政府は,2018年共和国記念日恩赦直前の5月6日,「刑務所規則」を改正し,減刑の上限を50%から60%に緩和した。高齢者も70歳以上から65歳以下に引き下げ,75%まで減刑可能とした。その結果,それぞれ刑期の40%または25%をつとめると,釈放可能となる。この改正は,表向きは,老齢市民法など他法令との調整を目的としたものであろうし,また,より現実的には刑務所過密対策と見るべきであろう。

現在,ネパールには全国に74の刑務所があり,収監総定員は11,500人だが,4月現在,収監総数は17,905人に達している。世界にはもっと過密な刑務所が少なくないし,日本の刑務所も定員オーバーだが,ネパールの場合,居住環境的にも財政的にも過密はもはや放置できない。そこで恩赦要件緩和となったのであろう。

が,それはそうだとしても,共和国記念日直前の恩赦要件緩和は,政権党の大物受刑者ドゥンゲルにとって,あまりにもドンピシャリ,好都合すぎる。5月6日の刑務所規則改正がなければ,禁錮20年のうちの8年余を経過したにすぎないドゥンゲルは,恩赦要件を満たさず,恩赦対象にはなりえなかったはずだ。真偽不明だが,政治的思惑が働いたと見られてもやむを得ない状況ではある。

*1 British Embassy Kathmandu, “Information Pack for British Prisoners in Kathmandu Prisoners pack template – 2015,” 1 July 2015

■ディリバザール刑務所(Google Map)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/07/11 at 15:22

ネパール共産党とドゥンゲル恩赦(1)

1.ウジャン殺害とドゥンゲル裁判
「ネパール共産党(NCP)」は,「ネパール共産党統一マルクスレーニン主義派(CPN-UML)」と「ネパール共産党マオイストセンター(CPN-MC)」が5月17日合併して発足し,現在,連邦議会下院(275)で三分の二に近い174議席をもつ巨大政権党である。(連立している連邦社会主義フォーラムと合わせると,与党は190議席,総議席の69.1%となり,憲法改正も可能。)

合併以前のUMLは,伝統的中道政党のコングレス党(NC)以上に高位カースト寡占の権威主義的政党であったし,MCは言わずと知れた毛沢東主義政党,暴力革命たる「人民戦争(1996-2006)」を戦い抜き優勢裡に和平に持ち込んだプラチャンダら党幹部になお権限が集中する革命カリスマ的政党である。したがって,これら2党の合併により成立したNCPが両党の党体質を併せ持つことになったのは,至極当然の成り行きといえるであろう。

ネパール共産党(NCP)のこの党体質は,先のごり押し政党登録に加え,今年の共和国記念日恩赦(5月29日)によるドゥンゲル釈放をみると,さらに一層明らかとなる。

共和国記念日恩赦を受けたバル・クリシュナ・ドゥンゲルは,オカルドゥンガを地盤とするマオイスト幹部だが,人民戦争中の1998年,地元住民ウジャン・クマール・シュレスタを親族婚姻問題がらみで「スパイ」として虐殺した。裁判にかけられ,和平後の2010年,最高裁で終身刑が確定したが,マオイストの強引な介入により逮捕を免れた。彼が逮捕・収監されたのは,ようやく2017年11月選挙直前になってのことであった。ところが,選挙がらみで逮捕されたものの,そのわずか半年後の2018年5月29日,選挙で大勝し政権をとったオリ首相(NCP)がその強大な権力をバックに共和国記念日恩赦を実施,ドゥンゲルは釈放された。

たしかに,人民戦争期の事件については,通常の裁判により裁くか,それとも「真実和解委員会(TRC)」で解決するか,意見が分かれている。ウジャン虐殺事件も,マオイスト側は一貫してTRCで解決すべきだと主張してきた。他の諸政党――マオイストと連立時以外のUMLを含め――や人権諸団体は強く反対してきたが,このマオイスト側の主張にもまったく根拠がないわけではない。

そこで,そうしたマオイスト側の言い分も考慮しつつ,以下,今回のドゥンゲル恩赦の意味について検討してみることにしたい。ウジャン虐殺事件については,すでに概略を述べたことがあるので,ご参照いただきたい。
 参照:選挙と移行期正義(1):ウジャン・シュレスタ殺害事件 2017/11/19

 ▼ウジャン殺害事件 略年表
1998.06.24 マオイスト幹部バル・クリシュナ・ドゥンゲルとそのマオイスト仲間数名が,オカルドゥンガ郡でウジャン・クマル・シュレスタを「スパイ」・「人民の敵」として殺害,遺体をリクー川に投棄。
2004.05.10 オカルドゥンガ郡裁,ドゥンゲルに対し財産没収・終身刑(禁錮20年)の判決,収監。
2006.06.25 ラジビラジ上訴裁判所,郡裁判決を取り消し,無罪判決。ドゥンゲル釈放。
2008.04.- ドゥンゲル,オカルドゥンガ郡よりマオイスト(CPN-M)候補として制憲議会議員選挙に立候補し,当選。
2010.01.03 最高裁,ラジビラジ上訴裁判決を取り消し,郡裁判決支持。ドゥンゲルの財産没収・終身刑(禁錮20年)確定。ただし,議員特権により逮捕されず。以後,議員任期満了後も党に保護され2017年10月30日まで未収監。
2011.11.08 バブラム・バタライ首相(マオイスト),ドゥンゲル恩赦勧告。
2011.11.23 最高裁,ドゥンゲル恩赦手続き停止命令。
2013.11.11 選管,マオイスト比例制候補者名簿から終身刑を理由にドゥンゲルを削除。
2016.01.07 最高裁,恩赦要件明確化まで恩赦禁止を命令。
2016.04.12 D・トリパティ弁護士,不利な判決を下した判事脅迫を理由にドゥンゲルを法廷侮辱罪で告発。
2017.04.14 最高裁,ドゥンゲル逮捕を警察に命令するも,警察は逮捕せず。
2017.10.24 D・トリパティ弁護士,ドゥンゲル逮捕命令無視の警察総監を法廷侮辱罪で最高裁に告発。。
2017.10.31 ドゥンゲル逮捕,ディリバザール刑務所収監。
2017.11.- 連邦議会・州議会選挙。UML圧勝。UML・MC連立オリ政権成立へ。
2018.05.06 「刑務所規則」第4次改正。刑期短縮を「50%まで」から「60%まで」に緩和。
2018.05.20 ディリバザール刑務所,ドゥンゲルを含む恩赦候補者名簿提出。
2018.05.24 D・トリパティ弁護士,ドゥンゲル恩赦停止の仮処分を求め最高裁提訴。
2018.05.27 オリ内閣,共和国記念日恩赦決定。
2018.05.29 共和国記念日恩赦実施。ドゥンゲルを含む816人釈放。
2018.06.26 最高裁,ドゥンゲル恩赦釈放の取り消し請求を棄却。


 ■ウジャン(左)とドゥンゲル(右)(FB: No Amnesty for BalKrishna Dhungel 2011-11-11)

谷川昌幸(C)

インドはネパールの真の友人たれ:SD・ムニ(1)

ネパールの2017年選挙は,インドでも非常に関心が高く,多くの記事や分析がネット上にあふれている。左派連合大勝によるネパールの赤化,反印親中政権成立へ,といった一面的・感情的な記事が多いなか,SD・ムニのこの長文記事「ネパールの支配的勢力となった左派連合」は,バランスの取れた選挙分析であり,印政府への提言も冷静な現実的なものである。
S D Muni, “Left Alliance Now a Dominant Force in Nepal,” The Wire, 16 Dec 2017.

SD・ムニは,「防衛研究分析センター」(ニューデリー)名誉研究員,ネルー大学名誉教授。主な研究分野は国際関係論,安全保障論,南アジア地域研究。印ネパール学の権威の一人。ネルー大学,シンガポール国立大学,バナラシ・ヒンドゥー大学などで研究・教育にあたったのち,駐ラオス印大使など重要な外交実務も担った。「地域戦略研究所」(コロンボ)創立メンバー。主要著書(ネパール関係ほか):
 ・Foreign Policy of Nepal, 1973(2016)
 ・India and Nepal: A Changing Relationship, 1992
 ・Maoist Insurgency in Nepal, 2003(2004)
 ・India’s Energy Security, 2002
 ・Creating Strategic Space: China and Its New ASEAN Neighbours, 2003
 ・India’s Foreign Policy: The Democracy Dimension, 2009

以下,ムニの上記ネパール選挙分析記事の要点を紹介する。


 ■SD・ムニ(防衛研究分析センターHP)/『ネパールの外交政策』表紙/『ネパールのマオイスト反乱』表紙

—–<以下,ムニ記事要旨>——————————-

1. 左派連合の勝因,NCの敗因
2017年国会・州会選挙では,統一共産党(CPN-UML:UML)とマオイスト(マオイスト・センター,CPN-MC:MC)からなる左派連合が大勝,国会(連邦議会)下院の圧倒的多数派となり,州議会でも7州のうちの6州で強固な第一党となる見込み。選挙前夜急造にもかかわらず,左派連合が大勝できたのは,なぜか?

(1)党首のカリスマ。UMLのKP・オリとMCのPK・ダハル(プラチャンダ)は,ともに雄弁で,政治的機知に富み,強力な組織を持ち,統率力も豊か。カリスマを持つ2党首が,「ネパール人民に安定,平和,繁栄を実現すると訴えた」こと。

(2)UMLとMCは,人民戦争で激しく敵対していたので選挙協力は実際には難しいのではないかとみられていたが,選挙が始まると予想以上に協力がうまく出来たこと。

(3)NC党首の不人気。現議会第一党で政権党のコングレス党(NC)は,党首SB・デウバ首相の弁舌が貧弱で,左派連合のNC批判に効果的に反論できなかった。

(4)NC選挙キャンペーン作戦の失敗。NCは,選挙戦を通して,左派連合は全体主義だと非難攻撃したが,まったくの的外れ。UMLやMCは,これまでに党内から極左を排除する一方,政権担当も経験,民主化し他党との権力分有の術を学び取ってきた。

また,NCはUMLがマオイストと組むことを批判したが,選挙直前までは,NC自身がマオイストと連立しており,これも説得力はまるでなかった。

その一方,NCは開発計画についてはほとんど触れず,また自党による開発成果も十分には訴えられなかった。

(5)NCと他の諸党との選挙協力の失敗。NCは,左派連合に対抗するため,マデシ系や他の非共産党系諸党との選挙協力を試みたが,いずれも失敗。

(6)マデシ系諸党は,いくつかの選挙区で予想以上に善戦したものの,いつもの分裂・乱立に陥り,結局,左派連合の大勝は阻止できなかった。

(7)国民民主党(RPP)など,立憲君主制ヒンドゥー教国家への復帰を唱える諸党の惨敗。多くの党幹部が落選し,比例区でも3%以下となり全国政党の資格喪失。

2.ネパール人民の選択は「新しいナショナリズム」
左派連合の大勝は,ネパール人民が「共産主義」を選択したことを意味しない。選挙で示されたネパール人民の意思は,「新しいナショナリズム」である。

「この新しいナショナリズムは,政治の安定と平和,速やかで総合的な開発,そしてインドに対する正当な権利の主張の三つを柱としている。」「新憲法を採択したネパール人民は,いま秩序と安定と開発を求めているのである。」

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/01/06 at 15:25

選挙と移行期正義(2):マイナ殺害事件

国会・州会ダブル選挙(投票11月26日/12月7日)との関係で注目される移行期正義のもう一つの事例が,2004年のマイナ・スルワル(मैना सुलुवर)殺害事件である。この事件も,選挙が近づいてきた今年になって大きく動き始めた。容疑者は,ウジャン殺害事件とは逆に,マオイストと戦っていた王国軍(国軍)の側の将兵7名。(事件概要は下記*14ほか参照。)


 ■マイナ(*18) /人民戦争期の強制失踪者数(2054BS=1997AD, *12)

1.マイナ虐殺
2004年2月12日,カブレ郡ポカリチャウリのリナ・ラサイリ(17歳)がレイプされ殺されているのが発見された。その前(どのくらい前かは不明),リナの叔母デビ・スヌワルが,王国軍軍人がリナを捕らえ殴っているのを目撃していた。そして,そのことを周りの人々に話し,それが地方紙に掲載された。国軍にとって,デビは不都合な目撃者ということになる。

5日後の2月17日,パンチカルのビレンドラ平和活動訓練所駐留国軍のN・バスネット大尉ら将兵12名がカレルトクのデビの家にやってきて,彼女を捕らえようとした。ところが,そのときデビは不在で,父のプルナと娘のマイナ(15歳)が家にいた。そこで部隊はデビを出頭させよと命令し,マイナもスパイ活動に加担したとして彼女を基地に連行した。

ビレンドラ平和活動訓練所では, B・カトリ中佐,N・バスネット大尉,S・P・アディカリ大尉,A・プン大尉など7名の将兵がマイナの尋問にあたった。方法は酸鼻の極み。頭を水中に沈める水攻めや,濡れた身体に電流を流す電気ショックを繰り返した。そして,ようやく「自白」を得たあと,マイナに目隠しをし,後ろ手に縛り,基地内の部屋に監禁した。しばらくすると,激しい拷問を受けていたためマイナの容体が急変,医師が来る前に死亡してしまった。

国軍部隊は,拷問発覚を恐れ,逃亡に見せかけるため,すでに死亡していたマイナを背後から撃ち,警官を呼んでそれを見せたうえで,遺体を近くの空き地に埋めた。

国軍部隊によるマイナ連行後,家族や村人は,マイナを探し回ったが,軍も警察もマイナの拘束を否定,行方は分からなかった。結局,国軍がデビにマイナの死と遺品が警察に保管されていることを告げたのは,ようやく2004年4月に入ってからであった。

 ■現在のビレンドラ平和活動訓練所(同所HP,2017/12/01)

2.軍法会議での審理
国軍は,マイナ事件の解明を求める内外の声の高まりを放置できなくなり,翌2005年3月,国軍内に調査委員会を設置した。そして,その報告に基づき,関係将兵を軍法会議にかけた。

2005年9月8日,軍法会議は,マイナの尋問方法と遺体処理手続きの誤りを認め,政府には15万ルピーの遺族賠償金の支払いを,またB・カトリ中佐,S・P・アディカリ大尉,A・プン大尉の3名には6か月の禁錮と,5万ルピー(カトリ中佐)ないし2万5千ルピー(他の2名)の遺族賠償金の支払いを言い渡した。しかし,禁錮については,裁判中拘束されていたとして判決後の収監はなされなかった。また重要な役割を果たしたとみられるN・バスネット大尉は,なぜか軍法会議にはかけられなかった。マイナの死は,故意の拷問によるものではなく,「事故」ないし手続き上の過失とされたのである。

3.司法裁判所での審理
軍法会議の判決は出たが,マイナ家族はこれを不当として2005年11月13日,カブレ警察に,軍法会議有罪判決の3名と,N・バスネット大尉の4名をマイナ殺害容疑で告発した。しかし,軍の妨害で,捜査は進まなかった。

そこで母デビは2007年1月10日,最高裁に,マイナ殺害事件調査を関係諸機関に命令することを求める訴えを出した。その結果,経緯は錯綜するが,いくつかの進展が見られた。2007年3月23日=警察がパンチカル軍基地敷地内に埋められていたマイナの遺体を掘り出し調査。5月8日=最高裁,軍法会議に対し関係書類提出を命令。7月=最高裁,マイナ事件は司法裁判所で審理することを決定。9月20日=最高裁,郡警察と郡検察に対し,マイナ事件を3か月以内に調査するよう命令。

(1)カブレ郡裁判所の判決
翌2008年1月31日,カブレ検察は,マイナ家族の告発した軍人4名を殺人罪でカブレ郡裁判所に起訴した。これを受け,郡裁判所は4軍人の逮捕状を出したが,彼らは逮捕されなかった。それどころか,N・バスネット大尉は少佐に昇進し,チャドPKOに派遣されてしまった。

2009年9月13日になって,カブレ郡裁判所は,ようやくN・バスネット少佐(当時大尉)の停職,カブレ郡検察と軍による関係調書の作成を命令した。しかし,その後も,軍の抵抗によりマイナ事件審理は進まず,郡裁判所が本格的に審理を再開したのは,2016年1月になってからである。

ところが,今年に入り選挙が日程に上り始めると,マイナ裁判も大きく動き始めた。2017年4月16日,カブレ郡裁判所が,B・カトリ中佐,A・プン大尉,S・アディカリ大尉の3名に対し,禁錮20年の判決を言い渡した。ただし,当時の政治状況と故意ではなかったことを考慮し禁錮5年への減刑が望ましいとの補足意見を付していた。また,N・バスネット大尉については,命令に従っただけだとして,無罪とした。この無罪判決については,アムネスティなどが不当だとして厳しく批判している。

(2)最高裁審理へ
 このカブレ郡裁判所判決に対し,国軍は2017年9月22日,判決は誤りだとして,棄却を求める訴えを最高裁判所に提出した。これを受け,最高裁判所はこの11月5日,カブレ郡裁判所に対し,マイナ事件裁判関係書類の作成提出を命令した。

4.選挙とマイナ殺害事件裁判の行方
以上が,マイナ殺害事件の18年余の長きにわたる経緯の概略である。この事件の当事者は国軍であり,マオイストが当事者であるウジャン殺害事件と同様,現在においても,その扱いは政治的に重大な意味を持ちうる。

今回の国会・州会ダブル選挙でいずれの勢力が勝利し,それがマイナ殺害事件裁判にどう影響するか? 移行期正義の観点からも,この選挙は注目されるところである。

*1“Maina Sunuwar murder case: SC orders Kavre court to produce documents: Three ex-Nepal Army officials were sentenced to life in prison in April,” Kathmandu Post, Nov 7, 2017
*2 Victor Talukdar, “Nepal Army challenges Kavre District Court verdict in Maina Sunuwar murder case, SC calls for case documents,” The aPolitical, 07/11/2017
*3 International Commission of Jurists & Amnesty International, “OPEN LETTER TO THE ATTORNEY GENERAL OF NEPAL: PURSUE APPEAL IN MAINA SANUWAR’S CASE,” 19 May 2017
*4“Maina Sunuwar murder: Nepal soldiers convicted of war-era killing,” BBC, 17 April 2017
*5 Advocacy Forum Nepal, “The District Court Kavrepalanchowk Convicts Three out of Four Army Officers Accused of Maina’s Murder,” 17 April 2017
*6“Maina Sunuwar murder case: Court awards life imprisonment to 3 NA officers,” Kathmandu Post, Apr 17, 2017
*7 INSEC, “Maina Sunuwar Murderer Gets Life Imprisonment,” April 17, 2017
*8 Nabin Khatiwada, “Kavre court slaps life term on 3 NA officers, acquits Basnet,” Republica, April 17, 2017
*9“Nepal: Ensure Truth, Reparation and Justice: 8th Anniversary of the Killing of Maina Sunuwar, 15,” Human Rights Watch, February 17, 2012
*10 Human Rights Watch, “Joint Open Letter to Prime Minister Khanal of Nepal on Persistent Impunity,” 2011/05/24
*11 Brad Adams (Human Rights Watch) , “Nepal’s elusive justice,” The Kathmandu Post, September 16, 2011
*12 INSEC, “Profile of Disappeared Persons: Profi le of the persons subjected to enforced disappearances during armed confl ict in Nepal (From February 13, 1996 to November 5, 2006),” 2011
*13 Meenakshi Ganguly (Human Rights Watch), “Nepal: Torture vs Democracy,” Open Democracy, February 18, 2010
*14 Advocacy Forum Nepal, “Maina Sunuwar: Separation Fact from Fiction,” 2010
*15 Human Rights Watch, “Nepal: Hand Over Murder Suspect to Police: Army Officer Accused of Murder Removed as UN Peacekeeper,” December 14, 2009
*16 Amnesty International, “Nepal: Major accused of torturing girl to death must be arrested,” 8 December 2009
*17“How Maina was killed,” Nepali Times, 01 SEPT 2006 – 07 SEPT 2006
*18 United Nations Office of the High Commissioner of Human Rights in Nepal, “The torture and death in custody of Maina Sunuwar,” December 2006

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2017/12/01 at 13:41

京都の米軍基地(113): 軍機への恐れ

軍機(軍事秘密)への警戒は,外国では,身を守るため必要不可欠なことだ。軍隊や軍事施設をうっかり撮ってしまったり,それらに不用意に近づいたりすると,カメラを没収されたり,スパイ容疑で拘束されたりする恐れがある。万が一,スパイ容疑で起訴されると,反証は難しく,重罰を覚悟せざるを得ない場合が少なくない。

幸い日本は,非武装平和憲法を持ち,建前としては軍隊を保持してこなかったので,日常生活で軍機を気にする必要はほとんどなかった。戦前日本のような,あるいは多くの諸外国にみられるような軍機の息苦しさ,重苦しさから,戦後日本の人々は解放されていたのである。

ところが,ここにきて雲行きが怪しくなってきた。2013年12月には特定秘密保護法が成立。日本でも,軍隊や軍事施設に不用意に近づくと,拘束され,処罰されかねない状況になってきた。いまのところ,望遠レンズ付カメラで自衛隊基地や米軍基地を撮影しても,それだけでは,とがめられたり拘束されたりすることはない。しかし,この状態がいつまで続くか?

皮肉なのは,軍機と言いつつも,他方ではグーグルなど,先端技術で,軍隊や軍事施設のかなりの部分が丸裸になっていること。日本三大秘境の一つ,丹後半島も,グーグルはバッチリ撮影し,世界に向け広く公開している。解像度,革命的に向上。

(1)グーグル・ストリートビュー(2013年9月撮影)


 ■これらは2013年9月撮影のグーグル・ストリートビュー。上が空自用地,下が米軍用地。このビューは現在も使用されており,新旧の比較に便利。

(2)グーグル航空写真(11月13日閲覧)
■空自「司令部地区」・九品寺(穴文殊)・米軍基地

(3)空自「岳山レーダー地区」

 ■グーグル航空写真(11月13日閲覧)/九品寺からの遠望(11月6日撮影)

(4)九品寺(穴文殊)参道入口の異物
■監視装置?(11月6日撮影)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2017/11/13 at 17:20