ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

Archive for the ‘教育’ Category

紹介:「ネパールのビール」

図書館で『ネパールのビール』というタイトルの本を見かけたので,借りてきて読んでみた。といっても,「ネパールのビール」は,338ページもの大著に収められた多数のエッセイの一つで,ほんの4ページ余にすぎない短編であった。

いささか,あっけにとられたが,「ネパールのビール」そのものは,大著タイトルとして選んで冠されるのももっとな,感動的なーー文芸春秋特集の意を酌むなら「泣かせる」ーーエッセイであった。

▼日本エッセイスト・クラブ編『ベスト・エッセイ集 ネパールのビール』文芸春秋,1991
*初出:吉田直哉「ネパールのビール」,『文芸春秋』1990年1月号(特集・私がいちばん泣いた話)
ネット掲載「ネパールのビール」全文
  ■91年版『ネパールのビール』

1.「ネパールのビール」梗概
著者は,1985(昭60)年夏,テレビ番組撮影(*1)のためドラカ村(*2)に行き,10日ほど滞在した。ドラカ村は海抜1500mで,斜面に家々が散在,人口は4500人。電気,水道,ガスなし。車道もなく,人びとは荷を背負って移動。

そのため,著者らは,車道終点のチャリコットからポーターを雇い,約1時間半かけ機材や食料をドラカ村まで運んでもらった。ビール(瓶ビール)は重いので,諦めた。

*1 NHK衛星第1「NHK特集・ヒマラヤ・ドラカ村でいま」1986年1月15日10:15~11:00
*2 ドラカ村はチャリコットから約4㎞,いまは道路が付き,バス停もある。
  ■チャリコット~ドラカ村(Google)

撮影で大汗をかいたあと,著者が,ビールを冷やして飲みたいなと口にしたのを,村の少年チェトリが聞き,自分がチャリコットから買ってきてあげると申し出た。

チェトリ少年は遠くの小さな村出身で,ドラカ村に下宿して通学。下宿の薄暗い土間で自炊し,そこで勉強もよくしている。

そのチェトリ少年に,著者は夕方お金を渡し,チャリコットまでビールを買いに行ってもらった。少年は,夜の8時ころ,ビール5瓶を背負い戻ってきた。

翌日も,ビールを飲みたくなった著者は,ビール1ダースぶん以上のお金を渡し,買い出しを頼んだ。

ところが,出掛けた少年は,いつになっても帰ってこない。村人や学校の先生に相談すると,そんな大金をあずけたのなら事故ではなく逃げたのだ,といわれた。これを聞き,著者は,大金で子どもの一生を狂わせてしまった,と深く後悔した。

いたたまれない気持ちで過ごした3日目の深夜,少年がヨレヨレ泥まみれで帰ってきた。チャリコットには3本しかなかったので,山を4つ越えたところで7本買い足したが,帰りに,ころんで3本割ってしまったと,べそをかきながら3本の破片を見せ,釣銭を差し出した。

そんなチェトリ少年を抱きしめ,著者は泣き,そして深く反省した。

2.「泣かせる」が特異ではない話
以上が,「ネパールのビール」の概要。たしかに感動的な「泣かせる」話だ。少年が,著者のために買ったのは瓶ビール10本。3本は割れてしまったとはいえ,重い。それらを背負い,山を4つも越え,持ち帰った。3日目の深夜まで,山道を何時間歩いたのか。お駄賃がもらえるとしても,たかがしれている。想像を絶する忍苦!

著者は,あろうことか,そんな少年を疑ってしまった。それだけに,帰ってきた少年を見て,著者が感動して泣き,深く反省したのは,もっともといえよう。

このように,「ネパールのビール」は感動的な泣かせるエッセイだが,そこで描かれているような出来事は,決して特異なものではない。ネパールを訪れたことのある日本人なら,多かれ少なかれ,幾度も同種の体験をしているはずだ。

3.泣くに泣けない話
私自身も,「ネパールのビール」とほぼ同じころ,初めて訪ネしアンナプルナ・トレッキングをしたとき,同じようなことを体験した。

ポカラから乗客鈴生りジープで川沿いをさかのぼり,ダンプス登り口で下車。さあ出発と前を見ると,絶壁のような急登。恐れをなし躊躇していると,たむろしていた地元の人々が次々と声をかけてきたので,人のよさそうな少年の一人にダンプスまでの荷揚げを頼んだ。年齢ははっきりしないが,日本の中学生くらい。小柄だが,重い荷物の大部分を背負ってくれた。日当は驚くほど安く,たしか2,3百円くらい。それでも荷物を担ぎ,断崖のような山道をどんどん登って行った。

身軽になった私は,おとぎの国のような風景をながめ,写真を撮ったりしながら,休み休み登って行った。そんな私を,大きな荷を背負った地元の人たちが次々と追い抜いていく。女性の方が多く,背負っている荷の中にはコーラやビールのビンが何本も見られる。いかにも重そう。上方の村々に運び上げているのだ。

そうこうするうちに,荷物をもち先に行った少年のことが気になりだした。ダンプスの村で約束通り待っていてくれるだろうか? まさか持ち逃げなどしていないだろうな,などと。わずかの手当てしか払っていないのに,こんな心配。われながら情けなかったが,ダンプスに着くと,そこで少年がちゃんと待っていてくれた。「ネパールのビール」の著者のように泣きはしなかったが,私も,大いに反省させられた。

ダンプスで1泊し,さらにランドルンで1泊,そして最終目的地のガンドルンまで登った。この間,道端の茶店やロッジでビン入りのコーラやビールが売られているのを目にしたが,それらを運び上げる地元女性の姿が目に浮かび,どうしても買って飲むことは出来なかった。

ところが,ガンドルンで歩き回り疲れ果てて,夕方,ロッジに戻ると,無性にビールが飲みたくなり,とうとう一本買って飲んでしまった。うまかった! が,それだけに自分のあまりの意思の弱さが情けなく,やりきれない罪の意識にさいなまれることになった。

はるか下方の登り口から,いやひょっとしたらポカラの町から,女性や少年を含む荷揚げの人々が,何時間も,いや時には何日もかけて,背負い運び上げてきた重い瓶ビールや瓶コーラを,町よりは少し高いとはいえ当時の日本人にとっては全く気にならないほど安い値段で買い,一気に飲んでしまってよいものか? 私の一瞬の,のど越しの快は,ネパールの荷揚げの人々の労苦に見合うものなのか? それは,事実上,彼らの人間としての尊厳を無視した傲慢な搾取を意味するのではないのか?

日本人とネパール地方住民との間には,1980年代中頃にはまだ,想像を絶するほどの生活格差があった。当時,ネパールの地方に行くと,日本人は多かれ少なかれ優越感に捉われるのを禁じえず,と同時に,そうした優越感から行動しているのではないかという自己猜疑に取り憑かれ,不安になる。たとえば,日本であれば,15歳の少年に徒歩往復3時間もかかる遠方に夕方ビールを買いに行かせようとは思いもしなかったであろうし,また,小柄な少年にわずか2,3百円のはした金で重い荷物を背負わせ急峻な山道を登らせようともしなかったはずだ。

ここには,ビールを買ってきてくれた少年や荷揚げをしてくれた少年を疑ったことへの反省だけでなく,それらよりも根源的な自己の優越的地位そのものへのどうしようもない罪悪感があるように思われる。泣くに泣けない自責の念。

1980年代中頃のネパールは,訪ネ日本人の多くにとって,他者との関係において自己を改めて見直す試練の場でもあったのである。

  ■ダンプス~ガンドルン(Google)

4.道徳教育教材としての「ネパールのビール」
「ネパールのビール」は,一見,起承転結の明確なエッセイなので,道徳教育の課題文として多くの学校で使用されてきた。対象は主に2年生。たとえば,次のような報告がある。

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埼玉県立総合教育センター 第2学年○組 道徳学習指導案
1 主題名: 誠実な生き方
2 資料名: 「ネパールのビール」 出典( 自分を考える」あかつき)
4 ねらい: 自分で考え、決めたことは誠実に実行し、その結果に責任をもとうとする心情を養う。

安芸高田市立向原中学校 道徳科指導案 第2学年指導者:上田 仁
主題名:人間のすばらしさ(よりよく生きる喜び)
教材名:「ネパールのビール」
筆者とチェトリくんの生き方の違いを対比させることを通して,人間の醜さに気づくと共に,人間の持つ強さや気高さを信じ,人間として誇りある生き方を見いだそうとする道徳的心情を育てる。

岩手県立総合教育センター 第2学年 道徳学習指導案 指導者:伊藤千寿
主題名:信頼感
内容項目:人間の強さと気高さ、生きる喜び
資料名:「ネパールのビール」
人間は信頼に値すると思う相手に対してであっても、状況によっては疑いの気持ちをもってしまうことがある。それは気持ちの弱さとも言えるが、よほど相手を知り尽くしているのでない限りは仕方がないことでもある。しかし、それを超える誠実さに触れることによって、疑ってしまったことを悔いたり、相手が信頼に値する人間であることを再認識したりすることもある。そのような経験を繰り返す中で、自分も弱さをもっていることを認めたうえでそれを乗り越えることのできる可能性を信じられるようになり、そのことがやがて喜びをもって生きていくことにつながると考える。

【参照】西部中学校「道徳の授業~ネパールのビール~」2018年2月28日

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中学2年道徳科の課題文としてであれば,「ネパールのビール」がこのような読み方をされるのも,もっともかもしれない。

5.もう一つの読み方
しかしながら,その一方,人それぞれの考え方や行動は,その人の生まれ育ってきた環境に大きく規定され(存在被拘束性),それが原因で解消の容易ではない誤解や対立が生じることにも目を向けるようにすることが必要であるように思われる。

異文化,異社会,異国家等の間の相互理解や和解は,そう容易ではない。「ネパールのビール」も,よく読めば,それを暗示しているように思われる。これは,永遠の課題と覚悟せざるをえない。

道徳教育では,学習レベルに応じた形で,相互理解の困難さ,その場合の対応の仕方ーー単純明快な解答のない場合の問題への対処の仕方ーーについても議論し,考えを深めていくべきではないだろうか。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2021/08/06 at 10:49

紹介:「ヒマラヤに呼ばれて」

児童文学作家による「ネパール人との深い交流」の体験を描いた長編ノンフィクション。
 ▼さとう・まきこ「ヒマラヤに呼ばれてーこの世に偶然はないー」ヒカルランド,2018

著者は1991年,43歳のとき,「な~んとなく」ネパールへトレッキングに出かけ,その自然と文化と,そしてとりわけ人に魅了されてしまう。

「ネパールの貧しい少年を母として見守ることになった筆者。マン[上記少年」をはじめとするネパール人との深い交流の中,筆者の生活や価値観は大きく変わっていく」(表紙キャプション)

このようなネパールとの関わり方は,ネパールに出かけたことのある日本人の多くにとって,著者ほど深くはないにせよ,多かれ少なかれ自ら身をもって体験したことであり,したがって本書を読むと,そのことが懐かしく,また時には自責の念に駆られつつ,思い起こされるにちがいない。

私の場合,初めてネパールに行ったのは著者のほんの数年前,ルートも,著者のその後の訪ネの際のものと合わせると重なる部分が多い。

ロイヤルネパール航空(RNA)ーーカトマンズーーポカラーーフェディーーダンプスーーランドルンーーガンドルン

本書を読んでいると,私自身の初の訪ネの際の途方もない当惑と驚きと感動の日々を追体験しているようであった。

(C)谷川昌幸

Written by Tanigawa

2021/06/26 at 17:29

良書廃棄へ向かう自治体図書館

近くに中規模の市立図書館分館(蔵書約20万冊)がある。便利なので月2,3回は利用するが,行くたびに相当数の蔵書が廃棄されているのを目にし,驚いている。

蔵書廃棄は,一応,「リサイクル」の名で実施されている。図書館で不要とされた(と思われる)本が,リサイクル棚に並べられ,誰でもタダで持ち帰ることが出来る。「捨てる」のではなく,「リサイクル」であり「再利用」だという名目で,行われているのだろう。

しかし,図書館利用者の側からすれば,たとえ「リサイクル」名目であれ,廃棄されれば,もはやその本は無くなり,利用できなくなる。不便だ。(同じ本の新版買い替え所蔵もあろうが,多いとは思われない。また,複本所蔵で廃棄後何冊か残る場合でも,後述のような問題がある。)

図書館の蔵書廃棄は,書庫不足が最大の理由であろう。限られた収納スペースに,どの本を並べておくか? 悩ましい問題である。

図書廃棄は大学図書館ですら行っているので,自治体図書館だけの問題ではないが,廃棄される本(と残される本)の質という点では,自治体図書館の方がはるかに深刻だと思われる。

図書館が新しい本を買い不要な本を廃棄するときの評価基準は,大学図書館の場合は教育研究にとっての必要性だろうが,自治体図書館の場合は何であろうか?

自治体図書館の選書には,一市民としての推測にすぎないが,選書委員会のようなものがあるにせよ,実際には地元住民からの要望が強く働いているのではないかと思われる。自治体図書館は,身近な施設なので,住民の声をまず第一に聞かざるをえない。その結果,優先的に購入されるのは――
・受賞,映画化などで話題になっている本。
・地元利用者からの購入希望の多い本。
・住民自身は自分の金では買いたくはないが,ちょっと見てみたいハウツー本や実用書。旅行案内,料理本,生活相談,健康本,人生訓,冠婚葬祭解説など。

自治体図書館は,民主的であればあるほど,住民の声を聞けば聞くほど,これらの本を重点的に買う。しかも,ベストセラーなど,話題になり要望が強ければ強いほど,同じ本を10冊,20冊と大量に買い込む(複本購入)。

その結果,書架(書庫)はすぐ満杯になり,利用の少ない本が押し出され,リサイクル(廃棄)に回される。そして,書架は,ベストセラー本(すぐ忘れられ,残されるのは結局1,2冊だが)や「すぐ役に立つが自分では買いたくない」実用書,あるいは一定の政治的傾向をもつ――政治的要望の根強い――時事政界本などに席巻されるということになる。

自治体図書館が,実際に,どのような本を新たに購入し書架に並べているかについては,図書館に行って直にご覧いただくか,あるいは各図書館ホームページの新規購入図書案内でお確かめ下さい。

以下は,最近,近所の上記中規模市立図書館分館に行ったとき,たまたま目にし,タダでもらってきた本のごく一部である。私にとって,図書館は,館内書架よりもリサイクル(廃棄)本棚の方が魅力的になりつつある。

宮原寧子『ヒマラヤン・ブルー』
ヤンツォム・ドマ『チベット・家族の肖像』
重廣恒夫『エベレストから百名山へ』
シュタイニッツァー『日本山岳紀行』
坂田・内藤・臼田・高橋編『都市の顔・インドの旅』
渥美堅持『イスラーム教を知る事典』
梅棹忠夫『二十一世紀の人類像』

太田昌秀『沖縄の民衆意識』
萱野茂『イヨマンテの花火』
野口武彦『江戸のヨブ』
戸沢行夫『江戸がのぞいた<西洋>』
大林太良編『岡正雄論文集 異人その他』
加賀乙彦『ザビエルとその弟子』
ライシャワー『ライシャワーの見た日本』
佐竹靖彦『梁山泊』

吉田洋一『零の発見』
筒井清忠編『新しい教養を拓く』
吉本隆明『世界認識の方法』
小田実『生きとし生けるのものは』
田口裕史『戦後世代の戦争責任』
佐渡龍己『テロリズムとは何か』
中村光男『風俗小説論』
日野啓三『書くことの秘儀』

D・ブアスティン『クレオパトラの鼻』
N・サーダヴィ『イヴの隠された顔』
ユング『タイプ論』
池上俊一『動物裁判』
カリエール『外交談判法』
ヴァイツゼッカー『良心は立ち上がる』
W・J・パーマー『文豪ディケンズと倒錯の館』
M・ブーバ=ノイマン『カフカの恋人 ミレナ』
デカルト『方法序説』
トマス・ペイン「コモン・センス」
J・S・ミル『ミル自伝』
・・・・・・・・
■最近入手の図書館リサイクル本

【参照】「これから日本のあちこちに新しい「コモン」が生まれてゆくと思います。そのときに核になるものの一つは書物になるだろうと思います。書物は私有になじまない財であり、それゆえ新しいコモンの基礎となることができる。」,内田樹「倉吉の汽水空港でこんな話をした。」2021-02-08

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2020/11/03 at 16:37

カテゴリー: 教育, 文化,

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京都の米軍基地(118):現場に切り込まない朝日「現場へ!」(3)

4.戦略としての米語会話
このことは,米軍側が熱心で,地元の要望も強い米語会話(英会話)交流を見ると,よくわかる。米軍人・軍属が,米語(英語)を地元の子供や大人に教える。米軍はお手本とすべき先生,住民は無知な生徒!

そもそも言語は,米語に限らず,どの言語であれ,その言葉を使う人々や社会と不可分の関係にある。言葉は,それを使用する人々にとっては,自らの「精神」や「魂」の表現である。そして,使用される言語をそれ自体として見るならば,それは,その言葉が使用される社会それぞれに固有の文化にほかならない。各社会に固有の価値観やイデオロギーとは無縁の,完全に価値中立的・技術的な道具としての自然言語は存在しない。

米語もむろん,そうした固有文化を体現した自然言語の一つにすぎない。米語は全体として,アメリカのイデオロギーや価値観によって大きく方向づけられている。その米語を,しかも米軍人・軍属が,地元住民に教える。それが何を意味するか? 特に,子供たちにとっては?

駐留米軍が自国語たる米語を教えるということは,言葉の正誤・優劣の規準はつねに彼らの側にあり,それに従って住民側の誤りを指摘し,正しい米語を使うようにさせるということだ。しかも,住民側がいくら努力し上達しようが,お手本はいつまでも本家たる米軍側にある。住民側の精神の最も深く根源的なところでの自発的隷従化!

もう少し具体的に言い換えるなら,米軍人・軍属が住民側に教えるのは,単なる道具としての米語ではなく,実際には米国の,しかも米軍に多かれ少なかれ偏った考え方,暮らし方,ものの見方を体現している特殊文化としての米語である。その米国文化,米軍文化としての米語を,駐留米軍は米語会話学習を通して住民の心の中に刷り込んでいく。駐留米軍が米語会話交流に熱心なのは,もっともだ。

ちなみに,米軍基地との連絡は,米語優先。2018年には,急患ドクターヘリを呼ぶためレーダー停波を要請したが,日本側の米語が通じなかったため停波されず,結局,ヘリは飛来できなかったことがあった。


■高校での米語会話支援(14MDB:FB2020/3/6,一部修正)/公民館での米語会話交流(在日米軍USFJツイッター, 2017/9/26,一部修正)

谷川昌幸(C)

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2020/05/10 at 11:10

ネパール中西部大学の意欲的コロナ対策(3)

3.「E大学」化への取り組み
もう一つ注目すべきは,コロナ拡大防止ロックダウンに対応するためのEラーニングと,それと組合せの国際的教育連携の推進。欧米や中国・韓国のようなEラーニング先進国であれば驚くに当たらないが,ネパールの,それも開発の最も遅れた中西部の中規模新設大学での意欲的な取り組みであり,興味深い。

NB・シン学長は4月4日,OERU(Open Education Resource for Universities)との連携協定に調印した。OERUはユネスコ機関の一つであり,世界で41,アジアでは13の大学等が参加している。ネパールでは,Nepal Open Universityにつぎ,2校目。

さらに中西部大学は,オンライン教育の充実を図るため,Turnitinとも契約した(日付不明)。学長は,こう述べている。

「地理的障害,情報不足,電力不足といった様々な困難があるが,われわれは,この大学とこの地方の教育レベルを総合的に引き上げるため,必要な協力関係や技術の向上促進のため努力している。」(“Agreement for cooperation between MU and OERU,” sajhabisaunee.comm, 4 April 2077)

中西部大学の「E大学」化は,コロナ拡大防止ロックダウンにより促進されたことは確かだが,たとえそれがなかったとしても,大学の不便な立地や低開発の現状を考えると,いずれ採らざるをえない戦略であったことは明らかである。

「E大学」化により,中西部大学は瞬時にして世界とつながり,高水準の教育・研究環境を備えることになる。学生や住民への情報機器の普及など,問題は多々あれ,この分野の変化・革新は速い。後発国の技術的優位,一気に出遅れ日本を追い越すことになるかもしれない。

■WORK FROM HOME(youtube, Apr 21)

E教育プログラム(Nepalgatha, Apr 3)

4.地方大学グローバル化の一範例
ネパール中西部大学のコロナ対策は,以上のように,たいへん意欲的なものである。その取り組み姿勢は,グローバル化時代の中小規模地方大学にとって範例の一つたりうるといってもよいであろう。課題は多々あろうが,改革の成功を期待している。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2020/05/01 at 09:32

ネパール中西部大学の意欲的コロナ対策(2)

1.中西部大学のコロナ対策
MWUのホームページを開くと,臨時のCOVID-19情報ページに自動的に移動する。ここには,学生や地域住民にとって必要なコロナ関係情報が要領よく表示され,その下方に,大学が実施してきた緊急対策が文章,画像,動画で分かりやすく紹介されている。
・学長メッセージ
・コロナ関係広報/連絡先
・コロナ対策啓蒙ポスター/動画
・大学製造消毒液の無料配布
・教職員・学生のコロナ対策ボランティア募集
・自宅Eラーニングの解説(文章/動画)


コロナ情報トップ

2.消毒液製造・配布と産学協同への展望
ここで注目すべきは,第一に,大学が自ら学生・教職員ボランティアを募集し,協力して消毒液を製造配布していること。製造は科学技術学部実験室で行われ,とりあえずボトル1千本余が地域の貧困住民や防疫関係者らに配布された。配布にあたっては,NB・シン学長が率先して現地に出向き,学内ボランティアと協力して消毒液を配り使用方法を説明した。

この消毒液の製造・配布が,直接的にはコロナ感染防止のための緊急措置であることはいうまでもないが,学長によれば,これは単にそれだけにとどまるものではない。

NB・シン学長は,こう説明している。これからの大学は,卒業証書授与に安住するのではなく,真に有能な自立的人材の育成を目標としなければならない。その第一歩として,消毒液などコロナ感染予防用品の製造配布を行っている。大学製消毒液はISO基準を満たしており,市場出荷も可能だ。この事業をきっかけとして,大学は産学協力を推進し,学生には産業と具体的に関係づけ大学での学習をしてもらう。大学は,中央省庁とも連携を強め,地域経済発展のための基盤となることを目指している。

■大学製消毒液の配布(Nepalgatha, Apr 13

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2020/04/30 at 15:03

カテゴリー: 経済, 健康, 教育

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ネパール中西部大学の意欲的コロナ対策(1)

ネパールの中西部大学(Mid-Western University [MWUまたはMU])が,意欲的な新型コロナ(コビド19)対策に取り組んでいる。

MWUは2010年再編新設の国立大学で,本部はカルナリ州スルケットにあり,学生は約3千人。教育学系,理工学家,人文社会系,商学系,法学系のコースはあるが,医学部はない。

MWUのあるカルナリ州は,ネパールでも最も低開発の中西部地方に位置し,教育も普及していない。中西部のHDI(人間開発指数)は0.548(2017年),識字率は43.71%(2001年)。

MWUは,その中西部カルナリ州の中規模新設大学だが,3月初旬着任のナンダ・B・シン学長(VC)の強力なイニシアチブの下,いち早く緊急のコロナ対策に着手する一方,それを一時的事業にとどめず,大学と地域社会の総合的開発の重要な契機ととらえ,その観点から事業を継承発展させようとしており,たいへん注目される。
【参照】「中西部大学」学長にTU教授指名 コロナ禍のネパール

■MWU HP, Top(Apr 30)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2020/04/30 at 11:31

「中西部大学」学長にTU教授指名

カルナリ州の「中西部大学(Mid-Western University[MWU] )の学長(Vice Chancellor[VC])に,トリブバン大学動物学部(キルティプル)のナンダ・B・シン教授が,3月1日閣議決定に基づき,オリ首相により指名された。ネパールの国立大学では,総長(Chancellor)は首相なので,事実上,学長(VC)がその大学の最高責任者となる。重責だ。

■MWUフェイスブック

ネパールは,マオイスト紛争(1996-2006)終結後,長年続いてきた王制を廃止し連邦共和制へと移行した。それに伴い,中央に集中していた諸権限が,新たに成立した州政府に可能な限り移譲されることになった。中央集権から地方分権への転換である。

教育も例外ではない。今回新学長が指名された中西部大学(MWU)も,それまでトリブバン大学傘下にあったカルナリ地域の中等・高等諸学校を再編統合し,2010年6月に設立された新設大学である。現在,学生は約3千人。学部・大学院も多く,この大学を核に,相対的に開発の遅れているカルナリ州の発展を自ら図ろうとする意欲的な試みと見てよいであろう。

とはいえMWUも,ネパールの組織の宿痾ともいうべき腐敗や混乱に当初から苦しめられてきた。たとえば,教職員についてはコネ人事や金銭不正がしばしば問題にされてきたし,学費については値上反対の学生諸団体が大学封鎖をした。前途多難と見ざるをえない。

そのMWUの学長に,このたびナンダ・B・シン教授が指名された。指名後,彼は「中西部大学を自立させ教育レベルを国際的なものに引き上げることにより,カルナリ州の在り方を変えていきたい」と,その抱負を語った(Collegenp, 3 Mar)。東京大学やTUでの豊富な教育・研究経験を踏まえ,MWUの所期の目的の実現に向け尽力されることを願っている。

ナンダ・B・シン教授著作
(1)「遊牧民ラウテの生活―ネパール最後の狩猟・採取民族」(『ネパールを知るための60章』2000)

(2) Endangered Raute Tribe: Ethnobiology and Biodiversity, 1997

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2020/03/07 at 16:33

カテゴリー: ネパール, 教育

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AI化社会の近未来(5)

(5)教育のAI化
教育は,積極的かつ継続的に個々の対象に関与するという点では,裁判よりもAI向きかもしれない。

もともと「学ぶ」は「まねる」ことであり,「習う」も「なれる」「まねる」ということ。AIは,つねに蓄積・更新しつつある膨大な学習情報の中から,それぞれの学習者個々人に最適なものを選んで与え,学ばせる。そして,学習者が失敗したら,その原因を分析し,誤りを修正させる。AIは怒ることも倦むこともない。人間の教師よりもはるかに懇切丁寧な個別指導が可能だ。

入試は,人間によるよりもAI入試の方が迅速,公平,安価であることはいうまでもない。AIには受験生の「人間性」が判断できないなど非難されるかもしれないが,要するそれは採点者の個々人の根拠なき「好み」による選考の自己弁護にすぎない。入試は,公正たろうとすれば,AI丸投げでよい。採点者の主観が排除されるから。


Keith Lambert, Education World, nd. / KRISTIN HOUSER, Aug. 27, 2018

Andrew George,Jul 27, 2019

(6)AIによる翻訳,文章作成,作曲,ゲーム対戦など
AIは,これまで人間にのみ可能と信じられてきた文学や音楽や絵画の創作にさえ進出し始めた。

翻訳では,AIはすでに実用レベルに達している。たとえばGoogle翻訳。無料だが,瞬時に世界のいくつもの言語に翻訳し,文字や音声で結果を知らせてくれる。まだ不自然な部分が少なくないが,いずれ日常レベルでは問題なく使用できるようになるだろう。音声翻訳機も多数販売されている。外国語学習はもはや不要。


POCETALK / Easy Talk

文章作成も,マニュアルのような実用文であればほぼ問題なく,またニュースのような報道記事であっても相当のところまで,すでにAIでやれる。むろん主観的要素の強い小説や詩ともなると,もう少し難しいだろうが,それでもAIが古今東西の作品を手あたり次第読み込み,人間心理と合わせ分析を深めていけば,いずれ人間よりもAIの方がより感動的な小説や詩を書くことができるようになるだろう。

 *「ここまでできる!AI(人工知能)によるライター代行ツール4選」2019.01.05
 *David Ibekwe & Fraser Moore, “AI will soon write better novels than humans, according to a computer scientist,” Bussiness Insider, Mar. 18, 2018,

作曲については,すでにAI作曲アプリがいくつも開発され,使用されている。音楽は,音階,和音,リズム,音色等の組み合わせだから,文章よりもはるかにAI向きだ。もしAIが既存の曲を網羅的に読み込み,音楽を聴くときの脳波変化等と組み合わせ分析していくと,人間作曲以上に人間を感動させる名曲を作曲することがAIにはできる可能性が高い。すでにAI作曲の作品を収録したCDも相当数発売されている。たとえば,”I Am AI”。

絵画についても,同じこと。「AI画家」が描いた肖像画、4800万円超で落札(CNN, 2018.10.26)。

AI勝利が明確になったのが,ゲーム対戦。チェスに始まり,将棋,囲碁でも,人間はAIには勝てなくなった。しかも,敗北後,人間側がAIの差し手をいくら分析しても,なぜ駒をそのように動かしたのか理解しきれない場合が少なくない。AIがブラックボックス化し,人間支配の外に出始めたことは明らかである。

 *「チェスではロボットに決して敵わないことを人間はほぼ受け入れたが、今度はそのロボットですら、他のロボットには決して敵わないことを受け入れざるを得なくなった。」JACKSON RYAN, CNET Japan, 2018年12月10日 

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2019/08/23 at 15:33

ゴビンダ医師のハンスト闘争(39)

10 参考資料
 (1)マンジート・ミシュラ「希望と恐怖の物語」
 (2)グファディ「狂気の権威主義的な医師」

(3)D・カイネー「無為無策の5か月」リパブリカ,2018年8月7日

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デイビッド・カイネーは極西部出身,トリブバン大学卒。Revival Ministry Nepal ( RMN )代表。人身売買防止,貧困救済等の社会活動に尽力。「リパブリカ」,「カトマンズ・ポスト」等への寄稿多数。この「無為無策の5か月」では,オリ政府の強権化・利権化を阻止し人民の利益を実現するには,市民社会自身が立ち上がるべきだと訴えている。
*David Kainee, “Five months of inaction,” Republica, August 7, 2018
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KP・シャルマ・オリ政府は,発足後5か月を経過した。その業績は,どう評価されるべきか? 昨年の地方,州,連邦の3選挙において,人民は共産党連合(現在は統合されネパール共産党)に未曽有の大勝利を与え,これによりオリは,近年のネパールにおいて最強の政府を率いることになった。首相は,「ネパール人の幸福,ネパールの繁栄」を約束したのであり,人民は,その約束の実現に向けての確かな前進を期待した。

ところが,オリ政府は次々と問題を引き起こした。政府は権威主義だという批判もあれば,議会で三分の二を握ったため傲慢になっているという声もある。[……]

先月[2018年㋆],政府は,医学教育改革の旗手ゴビンダ・KC医師に対し,この上ない傲慢さと無神経さを示した。政府は,ケダル・バクタ・マテマ委員会勧告無視の国民保健教育法案[医学教育法案]を通そうとした。[これを阻止するための]サティアグラハを行うためKC医師がジュムラに向かうと,ジュムラ郡当局は,連邦政府の要請を受け,抗議行動禁止場所を指定した。そのため,KC医師は,地域病院の暗い部屋で抗議行動を始めざるをえなかった。

オリは,KC医師の品位を汚すようなことを言った。人民の守護者として働くのではなく,自国の高貴な魂と敵対する権力者としての立場を,オリは自ら選び取った。KC医師が意識を失ったときですら,政府はそれを無視した。市民社会やメディアからの圧力が大きくなり始めてようやく,政府は交渉に転じ,結局は彼の諸要求を受け入れることに同意した。このときまでに,以前は愛国的指導者と見られていたオリの評価は,大きく損なわれてしまった。いまや彼は,コネ資本家どもの守護者と見られるようになった。

[オリ政府は公共交通や開発基金など他の諸課題についても,当初は改革を掲げたものの,実際には実行しなかった。……]

ウジャン・シュレスタ殺害事件で]有罪判決を受けたバル・クリシュナ・ドゥンゲルに対する大統領恩赦についても,政府は,多くの人々が指摘してきたように,マオイスト幹部と結託して,これを承認した。司法は政治化されてしまった。首相をはじめ大臣たちは,言葉でも行動においても,傲慢であり不寛容である。2006年人民蜂起において中心的な役割を果たしたわれわれ市民社会は,身内第一の諸政党とは距離を取り,自らを復活させる必要がある。[……]

■RMNフェイスブック

■Jeremy Snell, “David of Nepal,” (Video)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2019/05/15 at 18:44

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