ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

Archive for the ‘文化’ Category

セピア色のネパール(8):ポカラ~ダンプス~ガンドルン

ネパールに初めて行ったのは1986年3月,アンナプルナ・トレッキングが目的だった。記憶は写真以上にセピア化しているが,それでも強烈な印象は変色しつつも残っている。

カトマンズからポカラへは,バスで行った。片道39ルピー(約400円),約7時間。大型バスに乗客殺到,車内に入れない人は屋根によじ登った。私も,もたもたしていて車内に入れなかったので屋根に登ったが,外国人と見て地元民乗客が車内に移してくれた。親切に痛く感謝! 山羊やニワトリも乗車していたが料金不明。

■ガードレールなし。崖下には転落車も。

バスは,デコボコ,クネクネ道をハラハラ,ヒヤヒヤさせながら走り,ところどころ,茶店があるところ(いまでいうドライブイン)に停まり,小休止をとった。トイレ休憩でもあるのだが,困ったことに茶店付近には,まずトイレは見当たらない。仕方なく近くの物陰や畑に行って用を足した。女性も同じ。強烈な「無トイレ文化」の洗礼だった!

■少し大きなバス停で小休止(町名失念)

夕方,ポカラにつき,ロッジに宿泊。ツイン30ルピー(300円位)。その頃のポカラは,カトマンズよりもはるかにのどかな,田園の中の小さな町であった。いまは50万人近い大都市だが,当時は6万人ほど。車も少なく,自然にあふれていた。ブーゲンビリアなど花々が咲き乱れ,ペワ湖は水清く,山からは飾りをつけた馬やラバの隊商が町に降りてきた。まるで,おとぎの国!

■ペワ湖岸で放牧
■ペワ湖で食器洗い

■ポカラに入ってくる隊商

ポカラからダンプス~ランドルン~ガンドルンと,トレッキングを楽しんだ。マチャプチャレやアンナプルナに感動したことはいうまでもないが,それ以上に印象的だったのは,村の風景や生活。まるで昔の日本の村を追体験しているようだった。

村のロッジ(宿屋)はごく質素であったが,それだけになおのこと懐旧の念に駆られた。ツイン,1泊4~6ルピー(40~60円位)。申し訳ないので,収穫したてのエンドウを買い求め,茹でて食べた。うまかった!

■ダンプス付近

■ダンプスのロッジ
■ガンドルンのロッジ前から望むアンナプルナ

体験は,時のふるいにかけられ,忘れがたいものだけが変形し変色しつつ残っていく。それに加え,外国人の体験は,もともと余所者の身勝手な,自分本位のものであることを免れない。そうしたことは重々承知しながらも,「後期」高齢者ともなると,古き良き昔の懐旧には,往々にして抗いがたいのである。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2022/09/19 at 16:45

セピア色のネパール(7):懐かしき暖色の古都

初めてネパールに行った1980年代後半の頃のカトマンズは,「暖色の古都」であった。

日本では蛍光灯や水銀灯が普及し,街も村も青白い光に照らされ,明るくはあるが無機質の冷たい感じは否めなかった。

ところが,ネパールでは,1990年代後半頃までは,照明はほとんどが暖色系のナトリウム灯か白熱灯,あるいは灯火であった。飛行機が日没後,カトマンズ盆地上空に近づくと,暖色に柔らかく包まれた街や村が下方に小さく見え始め,旋回,下降につれ大きくなり,ほどなくして,その暖色の街の中へと機は着陸する。

はじめてこの暖色の夜景を目にしたとき,カトマンズは,まるで不思議のおとぎの国の古都のように思われた。2回,3回と訪れると,その思いに,そこはかとない懐かしさの念が積み重なっていった。わが村や町も,戦後しばらくは,これに近い夜景だったからだ。

しかも,カトマンズ盆地の暖色系の暖かさは,夜景だけではなかった。盆地の街や村では,建物にも道路や広場にもレンガが多用されており,昼間も,暖色系の優しい雰囲気を醸し出していた。まだ車が少なかったので,レンガ敷きの道路も広場も美しく維持されていた。

レンガといえば,もう一つ忘れがたいのが,郊外のレンガ工場。一面レンガ色にくすむ広い敷地と大きなレンガ窯,そして,そこにそそり立つ異様に高い煙突。日本では目にしたことのない不思議な光景であり,訪ネのたびにキルティプルやバクタプル付近のレンガ工場を見に出かけていた。

こうしたカトマンズ盆地の暖色の優しい光景は,1990年代後半以降,急速に失われて行き,いまでは多くの地域で,日本と大差ない合理的で冷たい感じの街や村へと変貌してしまっている。

■スワヤンブより市内遠望。まだ農地や空き地が多い(1986年3月)
■旧王宮付近。建物はほとんどレンガ造り(1986年3月)
■カトマンズ市内のレンガ畳(1986年3月)
■バクタプル付近のレンガ工場(1986年3月)

【参照】煉瓦と桜のキルティプール  田園に降り立つ神

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2022/09/17 at 19:07

カテゴリー: ネパール, 社会, 文化, 歴史

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セピア色のネパール(6):写真自動補正の怪

ここまで1993年と94年の写真を数百枚デジタル化し,そのうちの十数枚をこのブログに掲載してきた。

ここで,あることに気づき,愕然とした。ーーセピア色に多かれ少なかれ退色したプリント写真が,何回も自動修正され,色彩豊かなカラー写真に蘇生しているのだ。いったい,どうしたことか?

写真の自動修正は,何段階かで行われているようだ。まず簡易スキャナーで取り込んだとき最初の修正が行われ,次にデータを写真ソフトで再読み込みし保存したとき2回目の修正が行われ,そしてブログ投稿写真をスマホやパソコンで表示したとき3回目の修正が行われているらしい。もっと多段階かもしれないが,素人の私には,この3段階しか見当がつかない。

これら写真自動修正機能のうち,今回,特に驚いたのが,スマホによる画像補正能力の高さ。私のスマホは格安アンドロイドだが,それでも投稿写真を表示させると,すべて見違えるほどカラフルになっている。高級スマホなら,もっと「美しく」表示されるに違いない。

これは,「美しい写真」を見たいという一般的な願望は叶えることになろうが,「私の中でセピア色化しつつあるネパール」の提示という,私自身の本来の意図には反することになる。

このような他者には気づかれないような,そして自分でも注意していなければ気づかないような修正や変更が,現代社会では,写真だけではなく他の情報についても,いたるところで行われている。情報はどこかで操作され,見たいと思い込まされているものを見せられているーー恐ろしい。

(補足)今のスマホには,多かれ少なかれ,被写体全体の中から見たいものや見るべきものを選択し,補正・修正し,強調して写し表示する機能があるらしい。「見たいもの」「見るべきもの」は誰が決めるのか? 写真機の,そこにあるがままの「真」を写し撮りたいという積年の悲願は,放棄されてしまったらしい。

■カトマンズ(1993年3月)カラー写真
■白黒変換した上記写真。セピア色のネパールにはこちらの方が適切かも。

谷川昌幸(c)

Written by Tanigawa

2022/09/04 at 17:17

セピア色のネパール(5):神仏と祭りのカトマンズ盆地

ネパールに行って何よりも驚いたのは,神仏と祭りの多さ。いたるところに神や仏がいるし,毎日のように,どこかで大小さまざまな祭りが行われていた。人びとの生活は神仏とともにあった。

日本のわが村でも,1950年代末頃まで,高度成長・生活近現代化の波が及び始めるまでは,ネパールのそのような生活に近い暮らしであった。

神仏は,村の寺や神社にだけでなく,山や森や川や田や畑など,いたるところにいた。村人は,古来の習わしに従い,それぞれの神仏へのお参りを欠かさなかった。神仏は無数にいて,村人と共に暮らしていた。

いまでは信じられないことだが,小さなわが村でも秋の収穫後には,それぞれの家が親戚や友人を招き,盛大に祭りを祝った。獅子舞など様々な歌舞も催され,出店さえ軒を連ね,繁盛していた。近隣の村々でも,競って,同じように祭りを催していた。

今は昔,野の神仏は大半,忘れられ,雑木・雑草に埋もれるか,行方不明になってしまっている。村の生活は近現代化・合理化され,経済化され,もはや人びとには神仏にかかわる余裕はなくなってしまった。

近現代化,合理化,経済化が普遍的な現象だとすると,ネパールもわが村と同じような経過をたどるのではないか?

ネパールには大地震(2015年5月)翌年に行ったきりだが,そのときの印象では,震災もあってか,カトマンズ盆地の街や村は劇的に近現代化し始めていた。道端の神仏は無くなるか排ガスまみれ。小さな社寺の中には,見捨てらたかのように見えるものが少なくなかった。

ネパールでも,日本ほどではないだろうが,国家社会全体の資本主義化が進み,それとともに人びとの生活の世俗化・脱伝統宗教化も進行していくのではないだろうか。

■ガイジャトラ/バクタプル 1994年8月

■ガイジャトラ/バクタプル 1994年8月
■ダクシンカリ 1993年3月
■ダクシンカリ近辺の村 1994年8月

谷川昌幸(c)

Written by Tanigawa

2022/09/03 at 14:17

カテゴリー: ネパール, 社会, 経済, 宗教, 文化

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セピア色のネパール(4):水の都カトマンズ

1990年代初期は,カトマンズやパタン,バクタプルはまだ,それぞれ水の豊かな盆地の小さな古都であったと記憶している。

共同水場の多くでは,水場がそこにつくられたのだから当然とはいえ,吐水口から水が出ていて,水汲み,水浴,洗濯などが日常的に行われていた。

バグマティ川やビシュヌマティ川も,汚れ始めていたとはいえ,水浴や魚取をするなど,まだ人びとの生活で日常的に利用されていた。

そのカトマンズで水場の水が枯渇し,河川がドブ川のように汚染されてしまったのは,いつの頃からであろうか? 

それは,おそらく1990年代半頃からのカトマンズ盆地の急激な人口増,都市化の結果であろう。それまでは田園に囲まれた小さな,雰囲気的には半農村的な古都であったカトマンズ,パタン,バクタプルが,民主化運動(1990年)成功後の自由資本主義化とマオイスト人民戦争(1996~2006年)による地方からの大量人口流入とにより,一つの巨大な近現代的大消費都市圏となってしまった。

水が大量に汲み上げられ,使用され,枯渇してしまい,また河川が無処理廃棄物でドブ川となってしまったのは当然と言わざるをえない。

■カトマンズ 1993年8月
■カトマンズ 1993年8月
■バクタプル 1993年3月
■ビシュヌマティ川 1995年8月

【参照】(1)The Bagmati at Thapathali as recently as the 1970s was still flowing along a broad , sandy floodplain.
(2)ゴミのネパール

谷川昌幸

Written by Tanigawa

2022/09/01 at 16:06

カテゴリー: ネパール, 社会, 経済, 文化

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セピア色のネパール(3):マルクス・レーニン・毛沢東と古来の神仏たち

ネパールに初めて行った頃,街でも村でも,共産主義の様々なシンボルやプロパガンダがヒンドゥー教や仏教の神仏たちと,いたるところで並存・混在しているのを見て驚いた。まるで共産主義が神仏と共闘しているかのようだ。

日本でも,かつて革新勢力の牙城だった京都が,これに似た状況にあった。京都には古い寺院が多く,確固とした伝統と地域社会への影響力を保持していた。また一方,京都には大学も多くあり,庶民に京都の誇りとして一目置かれ,大切にされていた。その京都の大学では当時,社会主義や共産主義を支持し活動する教職員や学生が多数いたが,庶民は「大学さんやから」とこれを黙認し,あるいは支持さえしていた。京都では,本来異質な伝統的宗教と革新的社会主義・共産主義が平和共存していたのである。

その京都を目の敵にし,京都への強権的介入を始めたのが,自民党政権。が,この中央からの介入は,誇り高き京都の逆鱗に触れた。京都の寺院勢力と社共革新勢力は,自民党中央政府への抵抗・反対で利害が一致し,従来の消極的平和共存の枠から一歩外に出て,陰に陽に「共闘」することになった。他地域から見れば,これは無節操な「野合」かもしれないが,政治的には実利があり,その限りでは十分に合理的な選択であった。

この京都の状況を見ていたので,ネパールにおける共産主義と神仏の並存・混在それ自体には驚かなかったが,ネパールにおけるそれは京都の比ではなかった。いたるところで,仏陀とその弟子やヒンドゥーの神々たちが,マルクス・レーニン・毛沢東・ゲバラらと相並び,庶民を見守っていたのだ。

政治的打算や実利は,むろん双方にあっただろう。が,実際にはそんな表面的なものではないことが,すぐに判った。多くの人々が,伝統的なヒンドゥーや仏教の生活様式ーーカースト制などーーを堅持しつつ,同時に他方ではマルクス,レーニン,毛沢東,チェ・ゲバラらのスローガンや肖像をかかげ,行進したり集会を開いたりしていた。たとえば,当時の「共産党‐統一マルクスレーニン派」も,正統的中道の会議派(コングレス党)以上に,ヒンドゥー王国の守護者たる王族と近い関係にあった。左手に共産党宣言,右手に古来の経典!

ネパールは,政治的にも「神秘の国」だったのだ。

■カトマンズ市内 1993年8月

谷川昌幸

Written by Tanigawa

2022/08/30 at 17:02

セピア色のネパール(1):写真のデジタル化保存

ネパールに初めて行ってから早や四半世紀。撮りためた写真も,その時々の記憶も鮮明さを失い,セピア色に退色しつつある。自然の摂理とはいえ,淋しさを禁じ得ない。

そこで,身辺整理も兼ね,写真をデジタル化し,保存することにした。

といっても,もともと記録・整理が不得手なうえに転勤・転居が重なり,写真はあちこちに散乱,撮影日時・場所の特定もできないものが多い。そのため史料的価値のない写真が大半であろうが,デジタル化すれば,少なくとも重くて嵩張る紙焼き写真は処分できる。

そう自分を納得させ,小型スキャナーを買い求め,デジタル化に着手した。以下,いくつかご紹介する。(掲載写真はスキャナー付属ソフトで自動補正済。)

■ダクシンカリ(1993年3月)
■カトマンズ(1993年頃)

参照】ネパール写真史料
*民族学博物館 ネパール写真データベース
*Internet Archive: Nepal Bhasa Historic Images

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2022/08/27 at 15:46

闘病記に学ぶ

このところ投稿が途切れがちだ。備忘録も兼ね,定期的投稿を心掛けてきたのだが,短いものであっても文章にまとめられない。体調不良が原因らしい。

もともと短身痩躯だが,幸い健康に恵まれ,数年前まで病気らしい病気をしたことがなかった。ところが,73歳頃から体調不良が出始めた。激痩せ,目と鼻の異常乾燥,右の肩・腕の鈍痛と痺れ(頚椎症),不眠(睡眠時無呼吸症)など。

たいしたことはない,と笑われそうだが,これらだけでも集中力が持続せず,資料を読み文章にまとめることが出来ない。しかも,これから先,老衰進行は宿命であり,事態のさらなる悪化は避けられない。困った。

こんな時は先達に学ぶべきだと思い,いくつか闘病記を読んでみた。いずれもスゴイ! あまりにもスゴすぎて,私にとっては,およそ実用的ではないが,それでもはるか彼方の導きの星として仰ぎ見続けることくらいは出来るかもしれない。たとえばーー

☆正岡子規『病状六尺』(1902年)
病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。僅に手を延ばして畳に触れる事はあるが、蒲団の外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。甚しい時は極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体の動けない事がある。苦痛、煩悶、号泣、麻痺剤、僅かに一条の活路を死路の内に求めて少しの安楽を貪る果敢なさ、それでも生きて居ればいひたい事はいひたいもので、毎日見るものは新聞雑誌に限つて居れど、それさへ読めないで苦しんで居る時も多いが、読めば腹の立つ事、癪にさはる事、たまには何となく嬉しくてために病苦を忘るるやうな事がないでもない。年が年中、しかも六年の間世間も知らずに寐て居た病人の感じは先づこんなものですと前置きして[この『病状六尺』を執筆する]。(新聞『日本』連載最終回は死の2日前)

☆中江兆民『一年有半』(1901年)
わたしの癌,つまり[余命]一年半は,どんな状態であるのか。病気はおもむろに病気の寸法で進んでいく。だからわたしも,またわたしの寸法でもってすこしずつ進み,わたしの一年有半を記述しているのだ。一つの一年半は病気であり,わたしではない。他方の一年半は日記であり,これがわたしである[日本の名著36]。(死の4カ月前執筆終了。『続一年有半』は2カ月前。)

220718

Written by Tanigawa

2022/07/18 at 11:27

カテゴリー: 健康, 文化,

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キリスト教牧師に有罪判決(5)

4.ケシャブ牧師訴追批判
ケシャブ・アチャルヤ牧師の逮捕・訴追については,ネパール内外のキリスト教関係諸機関が厳しい批判を繰り広げてきたことはいうまでもない。たとえば――

▼宗教の自由国際ラウンドテーブル(IRFR)公開書簡(2021年7月19日付)
「[当局の行為は]ネパール憲法の保障する法の支配を無視し,言論信仰の自由を不法に制限するものだ。このままであれば,アチャルヤ牧師の逮捕・再逮捕が悪しき前例となって,憲法26(1)条の定める安全保障がさらに掘り崩され,キリスト教徒や他の少数派諸宗教の人々は,自分たちの宗教信仰の自由を制限され,信仰の大原則を単に表明することさえ困難になってしまうだろう。」(*8)

▼メルヴィン・トマス(Christian Solidrity Worldwide 代表)
「ケシャブ牧師への嫌疑には全く根拠がない。彼の扱いは,正義に反する重大な過ちである。・・・・ネパールには,宗教信仰の自由への権利の保護促進を図っている国際社会の努力を尊重していただきたい。」(*8)

▼タンカ・スベディ(Religious Liberty Forum Nepal 議長)
「アチャルヤ裁判では,民主的世俗的ネパール憲法のもとでの最初の判決が下された。その判決は,ネパール憲法の精神を掘り崩すものであり,不当である。言論の自由や信仰告白の自由を台無しにし,少数派を抑圧するものだ。」(*14)

▼B.P.カナル(Nepal for the International Panel of Parliamentarians for Freedom of Religion or Belief ネパール代表)
「アチャルヤ逮捕の経緯だけをみても,その逮捕が不当なもので,キリスト教に対する計画的な行為であったことは明らかである。」(*14)

ここでB.P.カナルが指摘しているように,ケシャブ・アチャルヤ牧師の逮捕・訴追は,おそらく「計画的な(pre-planned)」権力行使であろう。妻ジュヌ牧師もこう指摘している。

▼ジュヌ・アチャルヤ牧師
「ケシャブ牧師の逮捕・有罪判決は,キリスト教社会全体に対する警告です。彼らは,ケシャブを処罰すれば,その有罪判決を見てキリスト教徒たちが学ぶだろう,と考えています。」(*14)

5.宗教と構造的暴力
ケシャブ牧師の逮捕・訴追につき,キリスト教会側が,内外声をそろえて,信仰の自由への権利を根拠に,ネパール政府当局を厳しく批判するのは,もっともである。信仰の自由は,もっとも重要な万人に保障されるべき基本的人権の一つである。

が,一方,その信仰の自由といえども,社会の中で行使されるのであり,社会の在り方と無関係ではありえない。

とりわけネパールのように,世界的にはむろんのこと,国内社会に限定しても,経済,教育,健康など多くの領域において構造的暴力の犠牲になっている人々がまだまだ多い場合には,たとえ信仰の自由といえども,その現状を十分踏まえ行使されなければならない。

たとえば,次のような報告。善意に疑いはないが,非キリスト教徒のネパールの人々がこれを読んだら,どう感じるか? いわずもがな,であろう。

「世界クリスチャンデータベースの数字によると,ネパールは世界で最もキリスト教人口が増加している国の一つだ。・・・・

改宗は違法のままだが,ほとんど実効性はない。キリスト教団体は社会的支援などのために入国し,その多くは活動とともに福音を伝えた。・・・・

C4Cの提携宣教団体『救い主だけがアジアの人々を贖う(SARA)』のテジュ・ロッカ牧師は,『彼らは病気の人や壊れた家族を見つけては話し掛けて祈りました。すると奇跡的にその人たちが確信を持ち,キリストに従い始めたのです』と述べた。『彼らは人々に,幾らかの食料と衣服を寄付しました。そのため,人々は彼らに耳を傾け始めたのです』」(*3)

【参照1】
*3 なぜネパールには、世界で最も急成長している教会があるのか, christiantoday.co.jp,翻訳:木下優紀, 2016/02/09
https://www.christiantoday.co.jp/articles/19022/20160209/nepal.htm
*8 Religious freedom groups call for dropping of charges against pastor in Nepal, LiCAS, 2020/07/28
https://www.licas.news/2020/07/28/religious-freedom-groups-call-for-dropping-of-charges-against-pastor-in-nepal/
*14 Pastor in Nepal Sentenced to Prison under Proselytism Law, Morning Star News, 2021/12/28
https://www.licas.news/2020/07/28/religious-freedom-groups-call-for-dropping-of-charges-against-pastor-in-nepal/

【参照2(2022/01/28追加】
「それでも、明治政府が天皇を「万世一系」「神聖不可侵」と定義したことには歴史的必然性があることは僕も認めます。幕末にアジア諸国を次々と植民地化してきた欧米帝国主義列強の圧倒的な経済力・軍事力の背景には白人種を人類の頂点とみなすキリスト教的コスモロジーがありました。だから、日本が列強に対抗するには、黒船だけではなくキリスト教にも対抗しなければならなかった。・・・・僕は神仏分離による日本の伝統的な宗教文化の破壊を悲しむものですけれども、「一神教文化に対抗する霊的な物語を創造しないと列強に対抗できない」という政治判断自体にはそれなりの合理性があったと思います。」内田樹「天皇制についてのインタビュー」『月刊日本』2022年2月号

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2022/01/15 at 17:58

キリスト教牧師に有罪判決(2)

キリスト教牧師に有罪判決(1)

1.ネパール法の宗教規定
ネパールにおいて,宗教の在り方は,憲法と刑法により次のように規定されている。

(1)ネパール憲法(2015年)
・ネパール国民(राष्ट्र, nation)は「多宗教(複数宗教)」(3条)。
・ネパール国家(राज्य, state)は「世俗的(धर्मनिरपेक्ष, secular)」(4(1)条)。「『世俗的』は,古来の(सनातनदेखि, since ancient times, from the time immemorial)宗教・文化の保護および宗教的・文化的自由を意味する」(4(1)条)。
・すべての人は自分の宗教を「告白し,実践し,守護する自由」を有する(26(1)条)。
・宗教の自由の行使において,「何人も,公共の福祉・良識・道徳に反する行為,または他の人をある宗教から別の宗教に改宗(धर्म परिवर्तन, convert)させる行為,または他の人の宗教を妨害する行為を行ってはならないし,また行わせてもならない。そのような行為は法により処罰される」(26(3)条)

ネパール憲法は,以上のように「宗教の自由」を認めているが,その一方,その自由には「世俗的」と「改宗」の語による大きな限定が付されている。

「世俗的」の方は,国家による古来の宗教の保護をも意味する。したがって,もしこの側面が強調されるなら,ネパールは伝統的ヒンドゥー国家に限りなく近いことになる。

また,宗教を変更(改宗)させることが,このような無限定な形で禁止されてしまえば,宗教にかかわること,あるいは宗教者がかかわることは,なにも自由には出来ない恐れがある。そうなれば,それは,布教の法的禁止と,事実上,同じことになってしまいかねない。

(2)刑法(制定2017年,施行2018年)
ネパールの刑法(刑法典)は,憲法に基づき,宗教に関する刑罰を次のよう定めている。
・寺院・聖地等への加害の禁止(155(1)条)。違反は,3年以下の禁錮および3万ルピー以下の罰金(155(2)条)。外国人の場合は,刑期終了後7日以内に国外退去(155(3)条)。
・会話,文字,図画,サイン等により他者の宗教感情(धार्मिक भावना)を害することの禁止(156(1)条)。違反は,2年以下の禁錮および2万ルピー以下の罰金(156(2)条)。
・他者の古来の(सनातनदेखि)宗教を故意に害することの禁止(157(1)条)。違反は,禁錮1年以下または/および1万ルピー以下の罰金(157(2)条)。
・他者を改宗させる(धर्म परिवर्तन)ための一切の行為の禁止。違反は,5年以下の禁錮および5万ルピー以下の罰金。外国人の場合は,刑期終了後7日以内に国外退去(158(1)(2)(3)(4)条)。

刑法では,以上のように,憲法の一般的な宗教関係規定が,より詳細かつ具体的に罰則付きで明文化されている。

したがって,もしこれが宗教活動の規制に向け厳格に適用されれば,言論,出版,集会から社会・教育事業などまで,あらゆる活動が,宗教にかかわるとみなされると自由には出来ないことになってしまう。規制当局にとっては,まことに使い勝手のよい刑法ということになる。

(3)自由権規約(国際法)
ネパールは,「自由権規約(市民的及び政治的権利に関する国際規約)」を1991年に批准しており,したがってネパール国家にはこれを遵守する義務がある。

自由権規約は,思想,良心,宗教について第18,19条で次のように定めている。
・すべての者は思想,良心,宗教の自由への権利を有する。
・何人も単独で又は他の者と共同して,公に又は私的に,礼拝,儀式,行事及び教導によってその宗教を表明する自由を有する。
・何人も宗教選択は自由であり,宗教的強制は受けない。
・宗教の自由は,公共の安全等,必要な場合にのみ,法律により制限される。
・表現の自由は,口頭,手書き,印刷,芸術形態など自ら選択する方法で行使できる。

ネパールの憲法と刑法の宗教規定は,先述のように正当な人権としての宗教的自由を不当に制限するための法的根拠とされる恐れのあるものであり,したがって,もし仮に現実にその方向での解釈・運用に傾いていくならば,それは国際社会のこの自由権規約に抵触することになってしまうであろう。

Nepal Law Commission

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2021/12/31 at 17:07

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