ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

Archive for the ‘文化’ Category

山に展望台,街に人造動植物:ネパールの景観破壊

ネパールでは,山や丘の上に展望台をつくったり,道路わきや広場に人造動植物モニュメントを設置するのが流行っているという。観光客や買い物客を呼び寄せ,村おこしや街活性化を図るのが目的だろうが,自然・文化景観の観点からの反対も少なくない。

1.いくつかの事例
(1)山上の展望台
▼第1州:イラムの山の上に,予算8千万ルピーで展望台建設予定。
▼第3州:12の山の頂上に,予算1億8千万ルピーで展望台建設予定。
▼ポカラ:「サランコット開発5カ年計画(予算2億9千万ルピー)」で市近郊にケーブルカー,展望台,公園,ヘリポート,博物館,ホテルなどを設置予定。

[批判]
「連邦,州,地方自治体の権力亡者たちが,われわれの苦労して働き納めた税金を,あちこちの山の上に無用な展望台を建てるのに浪費している。彼らのスローガンは,『1つの丘に1つの展望台』。・・・・惨めなカネの浪費というべきか,バカらしい嘲笑のタネというべきか。」(*1)

「サランコットからの景観は比類なきものなのに,1千万ルピーもかけて,そこに展望台をつくるとは,まったく信じがたいことだ。」(*2)

「ネパールの山々は,もともと世界で最も高い山々だ。頂上からの景色は自然の絶景だ。それなのに,そこを20メートルばかり嵩上げすることに何の意味があるのか。そんなものではなく,これらの山々には,公衆トイレ,快適な宿,ゴミ処理施設など,もっと適切なものをつくるべきではないか。」(*1)

211122aKathmandu P, 2021/9/3

(2)コンクリやプラスチックの人造動植物
▼各地の道路わきや広場:コンクリ(コンクリート)やプラスチックで,コブシや沙羅の木,蓮の花,ニンニク,タマネギなどが造られ,設置されている。
▼ウダイプル:コンクリ製のブタ(予算600万ルピー)。
▼モラン郡:世界最大のコンクリ製牝牛

[批判]
「中央政府や地方自治体の役人たちは,『観光振興』を名目に巨額の予算をつけ,交差点や公園にコンクリやプラスチックのレプリカを設置している。」(*3)

「村でも町でも新しいことが流行り始めた。交差点や公園などにコンクリやプラスチックの造形物を設置することだ。」(*3)

211122bonlinekhabar.com, 2021/4/21
(3)万里の長城
カトマンズ北方のヘランブでは,観光振興のため,60kmにも及ぶ巨大な人造壁の建設が計画されている。

[批判]
「コンクリ製の塔や神話上の人物,あるいは石造りの壁などを見に,わざわざ訪ネする観光客がいるとは思われない。」(*1)

2.欧米や日本でも
山上の展望台や広場の人造モニュメントは,ネパールではいま急増し始めたばかりだが,欧米や日本では,はるか以前から設置されてきた。

たとえば,ヨーロッパ・アルプス。幾度かトレッキングに行き,急峻な山岳の迫力や山麓の絵のように美しい光景に魅了されたが,その一方,いたるところにケーブルカー,展望台など人造物が設置され,しかも景観とはそぐわない奇抜なデザインや色も少なくなく,いたく失望させられた。

たとえばモンブラン(モンテビアンコ)には,仏伊両国側から頂上近くまでケーブルカーで登り,そこの展望台から周囲を見回すことが出来る。が,それで何が得られるのか?

ケーブル終点の展望台は標高3777mもの高所! 観光客はすぐ高山病の症状に襲われ,寒さで震え上がる。見えるのは,相対的に――3777mも――低くなってしまった山々。氷河はあっても,山々の風景そのものは平凡。観光客は暖房の利いた軽食店や土産物屋に駆け込み,金を巻き上げられ,早々に,ケーブルカーに駆け戻り,下山することになる。

日本にも,そんな高山観光施設が,いくつもある。

が,山にしても地域にしても,有名なところは,まだましだ。悲惨なのが,そうでないところ。大金をかけ観光施設を設置しても,赤字垂れ流しで維持するか,さもなければ放置・荒廃,あるいは撤去だ。残るは,自然・文化景観の無残な破壊と赤字だけ。

そんなところが,日本中,いたるところにある。

211122dモンブラン・ロープウェイ
3.先進国の景観破壊から学ぶべきこと
先進諸国の環境保護派・景観保護派は,自分たちの,これまでのすさまじい環境・景観破壊には頬かむりして途上国にお説教するきらいがあるが,彼らの主張そのものには耳を傾けるべきところも少なくない。

ネパールの人造構造物による山岳観光開発や地域振興も,いくつかは成功するかもしれないが,他の大部分は失敗し,無残な残骸と負債を残すだけとなるだろう。

先進諸国の失敗から学ぶべきことは,少なくない。

*1 “EDIFICE COMPLEX, We need more health posts, affordable medical care and quality schools. Not more statues of mythical figures, and view towers,” Editorial,Nepali Times,July 26, 2019

*2 “The decline in Nepali public aesthetics; Why are we spending millions on view towers on hilltops, where the view is already worthwhile?,” Kathmandu Post, September 3, 2021

*3 Rabindra Ghimire, “‘More trees’for less greenery: The ‘concrete’ irony in Nepal’s cities,” english.onlinekhabar, April 21, 2021

*4 “Five-year master plan mooted for extensive development of Sarangkot,” Himalayan, Dec 16, 2017

*5 Umesh Pun, “Nepal’s tallest Shiva statue being built in Pokhara, expected to boost religious tourism,” Republica, November 9, 2020

*6 日々のネパール情報
 ▼ネパールの巨大猫|新宿3D猫にネコに負けてないかも!
 ▼ハッティチョウク、ガイダチョウク(象の交差点とサイの交差点)/チトワン・ソウラハ

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2021/11/23 at 11:47

紹介:米澤穂信『王とサーカス』

タイトルに「ネパール」関係の語がないので見逃していたが,この本は,王族殺害事件(2001年6月)で緊迫するカトマンズを舞台とするフィクション。文庫版で472頁もの大作であり,ミステリ分野で高く評価され,三つの賞を授賞している。

米澤穂信『王とサーカス」東京創元社,2015年;創元推理文庫,2018年
 ☆週刊文春「ミステリーベスト10」2015年,第1位
 ☆早川書房「ミステリが読みたい!」2016年,第1位
 ☆宝島社「このミステリがすごい!」2016年,第1位

1.梗概
文庫版カバー裏面の作品紹介:
「海外旅行特集の仕事を受け,太刀洗万智はネパールに向かった。現地で知り合った少年にガイドを頼み,穏やかな時間を過ごそうとしていた矢先,王宮で国王殺害事件が勃発する。太刀洗は早速取材を開始したが,そんな彼女を嘲笑うかのように,彼女の前にはひとつの死体が転がり・・・・・・ 2001年に実際に起きた王宮事件を取り込んで描いた壮大なフィクション,米澤ミステリの記念碑的傑作。」

さらに詳しくは,下記ネット記事参照:
*「王とサーカス」ウィキペディア


2.コメント
この作品は,長編のわりには最後の「なぞ解き」部分が少々手薄な感じがするが,ネパールに関心をもつ私としては,王族殺害事件がらみのミステリとして,面白く読み通すことが出来た。特に興味深かったのは――

(1)カトマンズの街や日本人向けロッジの雰囲気が,よく描かれている。王族殺害事件前後の頃は,たしかにそんな感じだった。

(2)この本のメインテーマは,王族殺害事件そのものではなく,その事件の――とりわけ外国メディアによる――報道の仕方の方にある。

太刀洗の取材に,王宮警備の国軍准尉はこう応える。「お前はサーカスの座長だ。お前の書くものはサーカスの演し物だ。我々の王の死は,とっておきのメインイベントというわけだ」。

ここで准将は,サーカスの演し物のように,報道はより強い刺激を求める読者の期待に応えることを目的としているのか,記者の使命とはいったい何なのか,と問いかけている。本書のタイトルが「王とサーカス」となっている所以も,ここにある

このときは,太刀洗は,この真っ向からの問いに全く答えられなかった。その彼女が,彼女なりの答えにたどり着いたのは,王宮事件とは無関係の麻薬殺人を王宮事件絡みの暗殺特ダネとして報道することをすんでのところで免れたあとのことであった。物語の結末部分で,つまり謎解きがすべて終わった後で,太刀洗はこう語っている。

《「私は・・・・・」
仏陀の目が見降ろしている。
「ここがどういう場所なのか,わたしがいるのはどういう場所なのか,明らかにしたい」
BBCが伝え,NHKが伝えてなお,わたしが書く意味はそこにある。》(451頁)

報道は,たしかにそのようなものかもしれない。が,そう思う一方,ハラハラ・ドキドキの長編ミステリの終え方としては,少々,物足りない感じがしないでもなかった。

(3)先進諸国のネパール援助の独善性・偽善性の告発。これは,幾度か,かなりストレートな形で出てくる。

サガル少年(太刀洗の現地ガイド)「よそ者が訳知り顔で俺たちは悲惨だと書いたから,俺たちはこの街で這いずりまわっている」。
――――「外国の連中が来て,この国の赤ん坊が死んでいく現実を書き立てた。そうしたら金が落ちてきて,赤ん坊が死ななくなってな」「仕事もないのに,人間の数だけ増えたんだ。」「増えた子供たちが絨毯工場で働いていたら,またカメラを持ったやつが来て,こんな場所で働くのは悲惨だとわめきたてた。確かに悲惨だったさ。だから工場が止まった。それで兄貴は仕事をなくして,慣れない仕事をして死んだ」

先進国による無邪気な,善意のネパール貧困報道やネパール援助が,ネパールをさらに苦しめ悲惨にするーーたしかに,そのような情況が,以前のネパールには,ときとして見られたことは認めざるをえない。忸怩たる思い。

【参照】
ナラヤンヒティ王宮博物館,再訪
王宮博物館と中日米
王宮博物館の見所
CIAと日本外務省-王族殺害事件をめぐって
バブラム博士,茶番のようです
王制復古の提唱
国王の政治的発言,日本財団会長同行メディア会見
退位で王制継続勧告,米大使
ビシュヌの死
王室と軍と非公然権力の闇
日本大使館の王室批判禁止警告 

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2021/11/15 at 08:58

米国「性別X」パスポート,ようやく発行

米国務省が10月27日,「性別X(エックス)」パスポートを初めて発行した,と発表した。「LGBTQI+の人を含め、全ての人の自由と尊厳、平等を推進する」ためとのこと。

米国パスポートでの「性」選択は,これまでもかなり自由であった。出生証明書,既取得パスポート,州身分証明書などに記載済みの「性」とは異なる別の「性」の選択が可能だったし,性別変更には医療機関発行診断書も不要。そこに今回,いずれの性でもない「X」選択の自由(権利)が追加されたのだ。

「X」は,要するに「性」を区別しないということ。区別し,区別されなければ,より自由で便利ともいえるので,「X」選択はおそらく増加するだろう。そして,そうなっていけば,性区別を大前提とする既存社会そのものも大きく変わっていかざるをえない。スポーツの男女別,学校・会社・議会における男女別,等々。

そして,「性」が多様化・自由化すれば,「」絡みの日本の「」も,もちろん自由化せざるをえないだろう。

【参照】
第三の性パスポート,ネパールなどに倣い米でも
第三の性パスポート,ネパール発行開始
性的少数者の権利,先進国ネパールから学べ
M・F・X:ネパール「第三の性」旅券発行へ
「第三の性」パスポート,最高裁作成命令
ツクツクの女性運転手さん
制憲議会選挙2013(37):指名議席争奪
セックス超先進国ネパールに未来はあるか?
第三の性,公認

*1 U.S. Department of State, “Selecting your Gender Marker.”
*2 「男性でも女性でもない「性別X」のパスポート、米国務省が初発行」CNN,2021.10.28
*3 「性別「X」の旅券、初発給 来年から本格運用―米」時事,2021年10月28日
*4「米、初のLGBTQ旅券「Xジェンダー」選択肢」日経,2021年10月28日

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2021/10/29 at 17:56

紹介:「ネパールのビール」

図書館で『ネパールのビール』というタイトルの本を見かけたので,借りてきて読んでみた。といっても,「ネパールのビール」は,338ページもの大著に収められた多数のエッセイの一つで,ほんの4ページ余にすぎない短編であった。

いささか,あっけにとられたが,「ネパールのビール」そのものは,大著タイトルとして選んで冠されるのももっとな,感動的なーー文芸春秋特集の意を酌むなら「泣かせる」ーーエッセイであった。

▼日本エッセイスト・クラブ編『ベスト・エッセイ集 ネパールのビール』文芸春秋,1991
*初出:吉田直哉「ネパールのビール」,『文芸春秋』1990年1月号(特集・私がいちばん泣いた話)
ネット掲載「ネパールのビール」全文
  ■91年版『ネパールのビール』

1.「ネパールのビール」梗概
著者は,1985(昭60)年夏,テレビ番組撮影(*1)のためドラカ村(*2)に行き,10日ほど滞在した。ドラカ村は海抜1500mで,斜面に家々が散在,人口は4500人。電気,水道,ガスなし。車道もなく,人びとは荷を背負って移動。

そのため,著者らは,車道終点のチャリコットからポーターを雇い,約1時間半かけ機材や食料をドラカ村まで運んでもらった。ビール(瓶ビール)は重いので,諦めた。

*1 NHK衛星第1「NHK特集・ヒマラヤ・ドラカ村でいま」1986年1月15日10:15~11:00
*2 ドラカ村はチャリコットから約4㎞,いまは道路が付き,バス停もある。
  ■チャリコット~ドラカ村(Google)

撮影で大汗をかいたあと,著者が,ビールを冷やして飲みたいなと口にしたのを,村の少年チェトリが聞き,自分がチャリコットから買ってきてあげると申し出た。

チェトリ少年は遠くの小さな村出身で,ドラカ村に下宿して通学。下宿の薄暗い土間で自炊し,そこで勉強もよくしている。

そのチェトリ少年に,著者は夕方お金を渡し,チャリコットまでビールを買いに行ってもらった。少年は,夜の8時ころ,ビール5瓶を背負い戻ってきた。

翌日も,ビールを飲みたくなった著者は,ビール1ダースぶん以上のお金を渡し,買い出しを頼んだ。

ところが,出掛けた少年は,いつになっても帰ってこない。村人や学校の先生に相談すると,そんな大金をあずけたのなら事故ではなく逃げたのだ,といわれた。これを聞き,著者は,大金で子どもの一生を狂わせてしまった,と深く後悔した。

いたたまれない気持ちで過ごした3日目の深夜,少年がヨレヨレ泥まみれで帰ってきた。チャリコットには3本しかなかったので,山を4つ越えたところで7本買い足したが,帰りに,ころんで3本割ってしまったと,べそをかきながら3本の破片を見せ,釣銭を差し出した。

そんなチェトリ少年を抱きしめ,著者は泣き,そして深く反省した。

2.「泣かせる」が特異ではない話
以上が,「ネパールのビール」の概要。たしかに感動的な「泣かせる」話だ。少年が,著者のために買ったのは瓶ビール10本。3本は割れてしまったとはいえ,重い。それらを背負い,山を4つも越え,持ち帰った。3日目の深夜まで,山道を何時間歩いたのか。お駄賃がもらえるとしても,たかがしれている。想像を絶する忍苦!

著者は,あろうことか,そんな少年を疑ってしまった。それだけに,帰ってきた少年を見て,著者が感動して泣き,深く反省したのは,もっともといえよう。

このように,「ネパールのビール」は感動的な泣かせるエッセイだが,そこで描かれているような出来事は,決して特異なものではない。ネパールを訪れたことのある日本人なら,多かれ少なかれ,幾度も同種の体験をしているはずだ。

3.泣くに泣けない話
私自身も,「ネパールのビール」とほぼ同じころ,初めて訪ネしアンナプルナ・トレッキングをしたとき,同じようなことを体験した。

ポカラから乗客鈴生りジープで川沿いをさかのぼり,ダンプス登り口で下車。さあ出発と前を見ると,絶壁のような急登。恐れをなし躊躇していると,たむろしていた地元の人々が次々と声をかけてきたので,人のよさそうな少年の一人にダンプスまでの荷揚げを頼んだ。年齢ははっきりしないが,日本の中学生くらい。小柄だが,重い荷物の大部分を背負ってくれた。日当は驚くほど安く,たしか2,3百円くらい。それでも荷物を担ぎ,断崖のような山道をどんどん登って行った。

身軽になった私は,おとぎの国のような風景をながめ,写真を撮ったりしながら,休み休み登って行った。そんな私を,大きな荷を背負った地元の人たちが次々と追い抜いていく。女性の方が多く,背負っている荷の中にはコーラやビールのビンが何本も見られる。いかにも重そう。上方の村々に運び上げているのだ。

そうこうするうちに,荷物をもち先に行った少年のことが気になりだした。ダンプスの村で約束通り待っていてくれるだろうか? まさか持ち逃げなどしていないだろうな,などと。わずかの手当てしか払っていないのに,こんな心配。われながら情けなかったが,ダンプスに着くと,そこで少年がちゃんと待っていてくれた。「ネパールのビール」の著者のように泣きはしなかったが,私も,大いに反省させられた。

ダンプスで1泊し,さらにランドルンで1泊,そして最終目的地のガンドルンまで登った。この間,道端の茶店やロッジでビン入りのコーラやビールが売られているのを目にしたが,それらを運び上げる地元女性の姿が目に浮かび,どうしても買って飲むことは出来なかった。

ところが,ガンドルンで歩き回り疲れ果てて,夕方,ロッジに戻ると,無性にビールが飲みたくなり,とうとう一本買って飲んでしまった。うまかった! が,それだけに自分のあまりの意思の弱さが情けなく,やりきれない罪の意識にさいなまれることになった。

はるか下方の登り口から,いやひょっとしたらポカラの町から,女性や少年を含む荷揚げの人々が,何時間も,いや時には何日もかけて,背負い運び上げてきた重い瓶ビールや瓶コーラを,町よりは少し高いとはいえ当時の日本人にとっては全く気にならないほど安い値段で買い,一気に飲んでしまってよいものか? 私の一瞬の,のど越しの快は,ネパールの荷揚げの人々の労苦に見合うものなのか? それは,事実上,彼らの人間としての尊厳を無視した傲慢な搾取を意味するのではないのか?

日本人とネパール地方住民との間には,1980年代中頃にはまだ,想像を絶するほどの生活格差があった。当時,ネパールの地方に行くと,日本人は多かれ少なかれ優越感に捉われるのを禁じえず,と同時に,そうした優越感から行動しているのではないかという自己猜疑に取り憑かれ,不安になる。たとえば,日本であれば,15歳の少年に徒歩往復3時間もかかる遠方に夕方ビールを買いに行かせようとは思いもしなかったであろうし,また,小柄な少年にわずか2,3百円のはした金で重い荷物を背負わせ急峻な山道を登らせようともしなかったはずだ。

ここには,ビールを買ってきてくれた少年や荷揚げをしてくれた少年を疑ったことへの反省だけでなく,それらよりも根源的な自己の優越的地位そのものへのどうしようもない罪悪感があるように思われる。泣くに泣けない自責の念。

1980年代中頃のネパールは,訪ネ日本人の多くにとって,他者との関係において自己を改めて見直す試練の場でもあったのである。

  ■ダンプス~ガンドルン(Google)

4.道徳教育教材としての「ネパールのビール」
「ネパールのビール」は,一見,起承転結の明確なエッセイなので,道徳教育の課題文として多くの学校で使用されてきた。対象は主に2年生。たとえば,次のような報告がある。

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埼玉県立総合教育センター 第2学年○組 道徳学習指導案
1 主題名: 誠実な生き方
2 資料名: 「ネパールのビール」 出典( 自分を考える」あかつき)
4 ねらい: 自分で考え、決めたことは誠実に実行し、その結果に責任をもとうとする心情を養う。

安芸高田市立向原中学校 道徳科指導案 第2学年指導者:上田 仁
主題名:人間のすばらしさ(よりよく生きる喜び)
教材名:「ネパールのビール」
筆者とチェトリくんの生き方の違いを対比させることを通して,人間の醜さに気づくと共に,人間の持つ強さや気高さを信じ,人間として誇りある生き方を見いだそうとする道徳的心情を育てる。

岩手県立総合教育センター 第2学年 道徳学習指導案 指導者:伊藤千寿
主題名:信頼感
内容項目:人間の強さと気高さ、生きる喜び
資料名:「ネパールのビール」
人間は信頼に値すると思う相手に対してであっても、状況によっては疑いの気持ちをもってしまうことがある。それは気持ちの弱さとも言えるが、よほど相手を知り尽くしているのでない限りは仕方がないことでもある。しかし、それを超える誠実さに触れることによって、疑ってしまったことを悔いたり、相手が信頼に値する人間であることを再認識したりすることもある。そのような経験を繰り返す中で、自分も弱さをもっていることを認めたうえでそれを乗り越えることのできる可能性を信じられるようになり、そのことがやがて喜びをもって生きていくことにつながると考える。

【参照】西部中学校「道徳の授業~ネパールのビール~」2018年2月28日

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中学2年道徳科の課題文としてであれば,「ネパールのビール」がこのような読み方をされるのも,もっともかもしれない。

5.もう一つの読み方
しかしながら,その一方,人それぞれの考え方や行動は,その人の生まれ育ってきた環境に大きく規定され(存在被拘束性),それが原因で解消の容易ではない誤解や対立が生じることにも目を向けるようにすることが必要であるように思われる。

異文化,異社会,異国家等の間の相互理解や和解は,そう容易ではない。「ネパールのビール」も,よく読めば,それを暗示しているように思われる。これは,永遠の課題と覚悟せざるをえない。

道徳教育では,学習レベルに応じた形で,相互理解の困難さ,その場合の対応の仕方ーー単純明快な解答のない場合の問題への対処の仕方ーーについても議論し,考えを深めていくべきではないだろうか。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2021/08/06 at 10:49

第三の性パスポート,ネパールなどに倣い米でも

アメリカ国務省が6月30日,パスポートの性別欄に「X」を追加すると発表した。「M(男)」でも「F(女)」でもない人びとは,「X」を選択できるようになる。いわば「第三の性パスポート」。今年中に実施の予定。

このような「第三の性パスポート」は,ネパールをはじめ印,濠,加など数か国がすでに採用しており,米政府もそれらの国の「第三の性パスポート」は承認している。
 【参照】第三の性パスポート,ネパール発行開始 性的少数者の権利,先進国ネパールから学べ M・F・X:ネパール「第三の性」旅券発行へ 「第三の性」パスポート,最高裁作成命令

また,米国内でも,20州以上が性別「X」選択可能な身分証明証を発行しているし,控訴裁判所も「X」選択可能パスポートの発行命令を出している。

バイデン政権は,性の多様性容認への内外のこのような流れに掉さし,「史上最多のLGBTQI+を政府関係者に任命」(在日米大使館)したのに続き,このたびは「第三の性パスポート」の採用に踏み切ったのであろう。

それにしても,「性」は,人間のアイデンティティの根源にかかわるだけに,難しい。現在のところ,人びとは,その「性」により,「」または「」だけでなく,「LGBTQI+」としても区分されているらしい。

 L = レスビアン(女性同性愛者)
 G = ゲイ([主に男性」同性愛者)
 B = バイセクシュアル(両性愛者)
 T = トランスジェンダー(性別違和)
 Q = クィア/クエスチョニング(Queer/Questioning,性自認未定ないし不選択)
 I = インターセックス(男女両性身体)
 + = その他の様々な性

あまりにも複雑。正直,よくわからない。「性」は,厳密に定義しようとすればするほど多様となり,したがってそれぞれの「性アイデンティティ」を尊重して人びとを公平に処遇しようとすればするほど社会の仕組みも複雑とならざるをえない。

しかし,そんな方向に突き進めば,早晩,にっちもさっちも行かなくなるのは目に見えている。

そこで,いっそのこと「性」の区分や記述を一切なくしてしまえ,といった極論が出されることになる。もともと「性」など無限に多様なのだから,その多様性を尊重すべきなら,「性」を一切問わないのがもっとも公平ということになる。たとえば,トイレを性ごとに無限に多様化できないのなら,性別を問わない「万人共用トイレ」にしてしまえ,ということ。

が,こうした性区分撤廃論はちゃぶ台返し,問題を振り出しに戻すだけにすぎない。非生産的。われわれとしては,ややこしくて面倒だが,「LGBTQI+」という形でいま提起されている問題に,一つ一つ誠実に取り組み,よりよい解決策を模索していく以外に方法はあるまい。

このような「性」多様化の問題は,何かにつけ外圧で動く日本にとっても他人事では済まされない。たとえば,アメリカは「LGBTQI+の権利を擁護する米国」を掲げ,在日米大使館主催「LGBTQI+の権利向上をめざそう~アメリカと日本をつないで~」などを開催している。

おせっかい,余計なお世話という気もしないではないが,「人権」は,いまや「大砲」以上に強力で有効なアメリカ外交の手段。照準が向けられているのは中国だけではない。日本政府も,いずれ「第三の性パスポート」を発行し,そして,もう一つの「せい=姓」についても「夫婦別姓」法制化という形で多様化せざるをえなくなるだろう。

*1 ANTONY J. BLINKEN(SECRETARY OF STATE), “Proposing Changes to the Department’s Policies on Gender on U.S. Passports and Consular Reports of Birth Abroad,” PRESS STATEMENT, JUNE 30, 2021
*2 在日米国大使館と領事館「LGBTQI+の権利を擁護する米国
*3 “U.S. protects the rights of LGBTQI+ people ,” ShareAmerica -Jun 3, 2021
*4 アメリカ大使館「バイデン政権、史上最多のLGBTQI+を政府関係者に任命
*5 “U.S. to add third gender option to American passports,” nbcnews.com,July 1, 2021
*6 Kate Sosin, Orion Rummler, “U.S. to add ‘X’ gender marker on passports,” June 30, 2021

■インドのパスポート申請書

■ネパールの出入国申請書

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2021/07/04 at 16:44

紹介:「ヒマラヤに呼ばれて」

児童文学作家による「ネパール人との深い交流」の体験を描いた長編ノンフィクション。
 ▼さとう・まきこ「ヒマラヤに呼ばれてーこの世に偶然はないー」ヒカルランド,2018

著者は1991年,43歳のとき,「な~んとなく」ネパールへトレッキングに出かけ,その自然と文化と,そしてとりわけ人に魅了されてしまう。

「ネパールの貧しい少年を母として見守ることになった筆者。マン[上記少年」をはじめとするネパール人との深い交流の中,筆者の生活や価値観は大きく変わっていく」(表紙キャプション)

このようなネパールとの関わり方は,ネパールに出かけたことのある日本人の多くにとって,著者ほど深くはないにせよ,多かれ少なかれ自ら身をもって体験したことであり,したがって本書を読むと,そのことが懐かしく,また時には自責の念に駆られつつ,思い起こされるにちがいない。

私の場合,初めてネパールに行ったのは著者のほんの数年前,ルートも,著者のその後の訪ネの際のものと合わせると重なる部分が多い。

ロイヤルネパール航空(RNA)ーーカトマンズーーポカラーーフェディーーダンプスーーランドルンーーガンドルン

本書を読んでいると,私自身の初の訪ネの際の途方もない当惑と驚きと感動の日々を追体験しているようであった。

(C)谷川昌幸

Written by Tanigawa

2021/06/26 at 17:29

コロナ禍からの漠たる未来不安

昨夕,新型コロナ(COVID 19)ワクチンを接種してもらった。1回目。しばらくすると,左腕の接種部分付近がしびれ始め,夜になると,鈍痛が左腕全体に広がってきた。

左腕の鈍痛だけではない。身体が注入された異物(ワクチン)を攻撃し始めたのか,ほてった感じで,いつまでも眠くならない。とうとう,一睡もしないまま,朝になってしまった。

ワクチンを接種してもらった左腕の鈍痛は,今日の午後になって,さらにひどくなった。このへんがピークだとは思うが,さていつまで続くやら・・・・。

それにしても,このような自然界にはない人造ワクチンを世界中の80億もの人々の相当数――理想的には全員――に接種しなければ,コロナ流行が止められないとは,なんたる恐ろしい,SFが現実化したような時代になってしまったものか。

世界のコロナ感染者累計(人)

むろん,新型コロナのような感染症の大流行そのものについては,公衆衛生をはじめ様々な分野で研究がすすめられ,効果的な予防法や治療法が見つけられ,そのつど制圧されるであろう。

私も,何よりも死を恐れる人間の一人として,それを願ってやまないが,その一方,まったくの素人ながら,コロナ大流行のような現象の繰り返しは,要するに,人類が増えすぎたからではないか,という素朴な疑問を禁じ得ない。

他の動物や植物であれば,増加しても,自然の許容量を超えそうになれば,必ず何らかの自然的規制が働き,許容範囲内に戻る。非情だが,それが自然の摂理。

ところが,人間は,他の動植物の有しない知恵により,自然を科学的に観察し,人為的にそれを制御したり改変したりできるようになった。これにより,人間増殖の自然的な限界は,次々と取り払われてきたのである。

その結果,いまやどこに行っても,たいてい人間がいる。逆に,以前はそこにいた様々な動植物たちは次々と姿を消している。人間は,その知恵により自然を征服しつつある。

新型コロナの流行も,多数説のウィルス自然由来説(コウモリ等からの感染)をとるなら,とめどもなく増殖する人間に対する自然界からの自然な規制である。ところが,これに対し人間は,身体に人造ワクチンを入れることにより,その自然の人口増殖規制を人為的に無効化しようとしている。この人為による自然の克服は,以前の他の感染症流行の場合と同様,今回のコロナ・パンデミックに対しても,すでに大きな効果を発揮し始めている。

しかしながら,たとえ今回の新型コロナが予防ワクチンにより制圧できたとしても,自然の側は,おそらく次のウィルスか他の何らかのものにより増えすぎた人類に立ち向かわせるであろう。これに対し,人間の側もまた別の新たな人造ワクチンか何かで迎え撃つ・・・・。こうして人間の自然な身体と生活は,一歩一歩,確実に自然から離れ,人造化されていく。サイボウーグ化だ。

また,人類の一部は,許容量を超えた地球を離れ,月や火星など,他の天体に移住し始めることにさえなるだろう。

以上は,もちろん全くの素人の極論である。また,人口論は,古来,もっとも危険な取り扱い要注意の議論である。が,それはそうだとしても,コロナ・パンデミックに脅え,予防ワクチンの副作用(副反応)に現に苦しめられていると,ついそんな暗い未来を思い浮かべてしまう。

杞憂にすぎないとよいのだが。

地球は何人の人間を維持できるか? すでに限界超過なら,何が起きるか?

(C)谷川昌幸

Written by Tanigawa

2021/06/07 at 19:36

良書廃棄へ向かう自治体図書館

近くに中規模の市立図書館分館(蔵書約20万冊)がある。便利なので月2,3回は利用するが,行くたびに相当数の蔵書が廃棄されているのを目にし,驚いている。

蔵書廃棄は,一応,「リサイクル」の名で実施されている。図書館で不要とされた(と思われる)本が,リサイクル棚に並べられ,誰でもタダで持ち帰ることが出来る。「捨てる」のではなく,「リサイクル」であり「再利用」だという名目で,行われているのだろう。

しかし,図書館利用者の側からすれば,たとえ「リサイクル」名目であれ,廃棄されれば,もはやその本は無くなり,利用できなくなる。不便だ。(同じ本の新版買い替え所蔵もあろうが,多いとは思われない。また,複本所蔵で廃棄後何冊か残る場合でも,後述のような問題がある。)

図書館の蔵書廃棄は,書庫不足が最大の理由であろう。限られた収納スペースに,どの本を並べておくか? 悩ましい問題である。

図書廃棄は大学図書館ですら行っているので,自治体図書館だけの問題ではないが,廃棄される本(と残される本)の質という点では,自治体図書館の方がはるかに深刻だと思われる。

図書館が新しい本を買い不要な本を廃棄するときの評価基準は,大学図書館の場合は教育研究にとっての必要性だろうが,自治体図書館の場合は何であろうか?

自治体図書館の選書には,一市民としての推測にすぎないが,選書委員会のようなものがあるにせよ,実際には地元住民からの要望が強く働いているのではないかと思われる。自治体図書館は,身近な施設なので,住民の声をまず第一に聞かざるをえない。その結果,優先的に購入されるのは――
・受賞,映画化などで話題になっている本。
・地元利用者からの購入希望の多い本。
・住民自身は自分の金では買いたくはないが,ちょっと見てみたいハウツー本や実用書。旅行案内,料理本,生活相談,健康本,人生訓,冠婚葬祭解説など。

自治体図書館は,民主的であればあるほど,住民の声を聞けば聞くほど,これらの本を重点的に買う。しかも,ベストセラーなど,話題になり要望が強ければ強いほど,同じ本を10冊,20冊と大量に買い込む(複本購入)。

その結果,書架(書庫)はすぐ満杯になり,利用の少ない本が押し出され,リサイクル(廃棄)に回される。そして,書架は,ベストセラー本(すぐ忘れられ,残されるのは結局1,2冊だが)や「すぐ役に立つが自分では買いたくない」実用書,あるいは一定の政治的傾向をもつ――政治的要望の根強い――時事政界本などに席巻されるということになる。

自治体図書館が,実際に,どのような本を新たに購入し書架に並べているかについては,図書館に行って直にご覧いただくか,あるいは各図書館ホームページの新規購入図書案内でお確かめ下さい。

以下は,最近,近所の上記中規模市立図書館分館に行ったとき,たまたま目にし,タダでもらってきた本のごく一部である。私にとって,図書館は,館内書架よりもリサイクル(廃棄)本棚の方が魅力的になりつつある。

宮原寧子『ヒマラヤン・ブルー』
ヤンツォム・ドマ『チベット・家族の肖像』
重廣恒夫『エベレストから百名山へ』
シュタイニッツァー『日本山岳紀行』
坂田・内藤・臼田・高橋編『都市の顔・インドの旅』
渥美堅持『イスラーム教を知る事典』
梅棹忠夫『二十一世紀の人類像』

太田昌秀『沖縄の民衆意識』
萱野茂『イヨマンテの花火』
野口武彦『江戸のヨブ』
戸沢行夫『江戸がのぞいた<西洋>』
大林太良編『岡正雄論文集 異人その他』
加賀乙彦『ザビエルとその弟子』
ライシャワー『ライシャワーの見た日本』
佐竹靖彦『梁山泊』

吉田洋一『零の発見』
筒井清忠編『新しい教養を拓く』
吉本隆明『世界認識の方法』
小田実『生きとし生けるのものは』
田口裕史『戦後世代の戦争責任』
佐渡龍己『テロリズムとは何か』
中村光男『風俗小説論』
日野啓三『書くことの秘儀』

D・ブアスティン『クレオパトラの鼻』
N・サーダヴィ『イヴの隠された顔』
ユング『タイプ論』
池上俊一『動物裁判』
カリエール『外交談判法』
ヴァイツゼッカー『良心は立ち上がる』
W・J・パーマー『文豪ディケンズと倒錯の館』
M・ブーバ=ノイマン『カフカの恋人 ミレナ』
デカルト『方法序説』
トマス・ペイン「コモン・センス」
J・S・ミル『ミル自伝』
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■最近入手の図書館リサイクル本

【参照】「これから日本のあちこちに新しい「コモン」が生まれてゆくと思います。そのときに核になるものの一つは書物になるだろうと思います。書物は私有になじまない財であり、それゆえ新しいコモンの基礎となることができる。」,内田樹「倉吉の汽水空港でこんな話をした。」2021-02-08

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2020/11/03 at 16:37

カテゴリー: 教育, 文化,

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老化の悲哀

生物にとって老化・老衰は宿命とはいえ,いざそれが自分の身に現れ始めると,当初は「まさか,まだ」と疑い,見て見ぬふりをし,ごまかして安心しようとするが,いつまでもそのようなことは続けられるはずもなく,どうしても否定しきれなくなると,落胆し,あきらめ,結局は認めざるをえなくなる。

■チトワン

私は,小身痩躯(中学以降,2年ほど前まで163cm/52kg前後)だが,幸い,いたって健康で,これといった病気には一度もなったことがなく,健康診断や予防注射も法定義務となっているもの以外は受けたことがなかった。

そんな私にも,70歳を過ぎるころから身体に少しずつ異変が現れ始めた。頭髪が抜け,視力が落ち,眠りが浅くなった。「あれ,変だなぁ・・・・老化が始まったのかな?」とは思ったが,まだ,老化といっても,どこか他人事,自分自身のこととしては見ていなかった。

■ビラトナガル付近

ところが,母の介護で少々無理をし疲労蓄積を感じ始めた2年ほど前のある日,風呂に入り鏡に映った自分の身体を改めて見てみて,愕然とした――肋骨が浮き上がり,まるで骸骨のよう。あわてて小型体重計を買ってきて量ると,わずか45kg。中学生になって以降,もともと痩身ではあったが,こんなに痩せ細ったことは一度もなかった。

これは大変と,以後,栄養のありそうなものを出来るだけたくさん食べるようにしてきたが,いまもって体重は元の52㎏前後までは戻らない。いくら努力しても45kg前後の維持が精一杯。なぜだろう?

当初,体重減は介護疲れによる一時的な現象と頭から思い込んでいたが,いつまでたっても体重が回復しない現実を目の当たりにすると,本当の原因は病気か何か,別のところにあるのではと疑わざるをえなくなった。そこでイヤイヤながらも健康診断を受けてみたが,出た数値はどれも年相応,特に異状なし,ということであった。

あれ,医学的にはどこも悪くないはずなのに変だなぁ,とあれこれ思案していて,ハタと気付いた――これは自然な老化現象の一つにちがいない,他の動植物と同様,私も老化で痩せていき,いずれ骨と皮のようになり,枯れ果てる宿命なのだ,と。こうして,いささか遅ればせながらも,老化・老衰が,直視せざるをえない自分自身の現実の問題として切実に意識されるようになったのである。

■キルティプルより

私の老化は,今年に入り,新型コロナ(コビト19)感染拡大とほぼ同時に始まった鼻と眼の異常な乾燥により,さらに一段と進行したことが明白となった。いわゆるドライノーズ,ドライアイである。

はじめ鼻(鼻腔)が渇き始め,それが徐々に眼にも及んでいった。この時も,当初はまだ,風邪でも引いたのだろうと思い,たいして気にもしていなかったが,症状は,良くなったり悪くなったりを繰り返しながら,全体としては着実に悪化していった。

鼻腔がカラカラに乾き,嗅覚が異常に過敏となり,さらに激痛が始まり,時々出血さえする。これが四六時中。しばらくすると,鼻腔に加え,眼も乾き始めた。眼球を動かすと,ホコリが入っているかのような違和感を感じ,痛む。これも四六時中。

鼻にはドライノーズ用スプレー,眼には涙型点眼剤を使用。さらにマスクを湿らせ,昼も夜も一日中,着けるようにした。

が,それでも眼も鼻も治らない。そのため,夜は頻繁に目が覚め,熟睡できない。そして昼間も,鼻と眼の不快な痛みに加え,重度の不眠のため,イライラしたりボゥーとしたりしていて,集中して何かを考えたり行ったりすることは,およそ出来ない。

このような状態が続き,改善の兆しも見えないので,すっかり参ってしまい,再び怖ごわ健康診断を受けてみたが,またしても特に異状は無し。検査結果で見る限り,74歳にしては,数値的には健康なのだ。

とすれば,これもまた,痩せと同様,自然な老化現象の一つと覚悟せざるをえない。これまで鼻や眼に潤沢に供給され,それらを水みずしく保ってきた鼻水や涙が減り,涸れ始めたのだ。イヤなことだが,これも自然必然,なんとかやり繰りし折り合いをつけつつ,完全に涸渇し枯れ果てるまで生きていく以外に方法はなさそうだ。

■キルティプルより

むろん,こんなことを書くと,何を大げさな,老化など誰にとっても当たり前のことではないか,と呆れられ笑われるかもしれない。が,前述のように,少なくともほとんど病気知らずで生きてきた私自身にとっては,このような体重減や眼鼻の不調は初めての経験であり,したがって,それらにどう対処し,どう折り合いをつけていくべきか,まったく見当もつかなかったのである。

だから,このブログも,2020年6月10日の記事を最後に,これまで長期にわたって投稿してこなかった。関心のある情報を集め,読み,分析し,自分なりに評価して文章化することが出来なかったからである。

それでも,この半年余りの悪戦苦闘の結果,体重減や眼鼻の不調は自然な老化現象なのだと諦め,身体と精神をそれに合わせていくしかないことに気づき始めた。老化は,これから先,確実に,さらに加速度的に進む。それと折り合いをつけつつ,できるだけ平穏に生きていくように心掛けたい。わが愛犬が,痩せ細り骨と皮のようになりながらも,最後まで愛嬌を振りまきつつ,眠り込むように18年の生涯を全うしたように。

諦念は悟りであり救いである――そう願いたい。

■カトマンズ

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2020/11/01 at 16:35

カテゴリー: 健康, 宗教, 文化

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京都の米軍基地(119):現場に切り込まない朝日「現場へ!」(4)

5.宗教活動としての「良き隣人」
「良き隣人」としての駐留米軍が,もう一つ熱心に取り組んでいるのが,宗教活動。そもそも「良き隣人」とは,換言すれば「隣人愛」のことであり,これはもともとキリスト教の最も大切な教えの一つだ。

「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」(マタイ 22:39)

「良き隣人」や「隣人愛」が一般的な意味を持つことはいうまでもないが,キリスト教文化圏で使用された場合,それが多かれ少なかれキリスト教的含意を持つことは,まず否定できないであろう。

したがって,「良き隣人」たれと教えられ,また地元からもお願いされた米軍が,これ幸いと自ら積極的にクリスマス,イースターなどのキリスト教関係イベントをしばしば開催し,地元住民,とりわけ子供たちを招き,ご馳走し,ゲームをし,聖歌を歌い,楽しく交流するのは当然といえよう。こうして駐留米軍は,キリスト教を利用して米国文化を地域住民に刷り込み,親米感情・親米軍感情を育んでいくのだ。

むろん,キリスト教それ自体は最も尊敬すべき宗教の一つだし,米軍人・軍属の中には他宗教や無宗教の人もいることは,言うまでもない。米軍人・軍属の宗教は,無宗教も含め,私人としては,その自由を尊重されなければならない。問題は,彼ら軍隊による宗教の政治利用。これは極めて危険であり,断じて許されてはならない。


■クリスマス会ポスター/米軍サンタがプレゼント(14MDB:FB2019/12/15一部修正)

6.お願いではなく権利の主張を
このように見てくれば,治外法権的米軍基地を受け入れ,米軍人・軍属に様々な特権を認めたうえで,その彼らに地域住民の「良き隣人」であってほしいとお願いするのは,自尊心なき植民地根性,あまりにも卑屈と見られても致し方あるまい。

地域住民は,最高法規たる日本国憲法により人および国民としての諸権利が保障されている。それらの権利は,「お願い」ではなく,法的な「権利」として主張されるべきだ。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」(憲法12条)

■災害復旧支援も米語会話教室も軍服(朝日夕刊2020/4/30,一部修正)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2020/05/11 at 11:02

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