ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

Archive for the ‘文化’ Category

高山の英語化(2):英語看板

高山の英語化が最も顕著に見られるのが,市内の看板や案内表示である。英語優先どころか,英語だけのものも少なくない。

たとえば,これは駅前一等地のインド・ネパール料理店。ほぼ満席,繁盛しているようだ。この店の店名や料理紹介などは,入口や表通り側のものはほぼ全部英語(アルファベット)表記,日本語もあるにはあるが横道の側の上方に少し見られるにすぎない。

同様にマクドナルド,飛騨牛料理店,そして喫茶や酒場も,表記は英語優先か英語だけ。

さらに銀行やホテルも,駅前などでは,もちろん英語表記。

高山は,”English first“からさらに前進,”English only“に向かい始めているようだ。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/10/21 at 10:10

高山の英語化(1):駅の英語優先案内

高山は,この数十年,何回も通過はしたが,宿泊したことはなかった。先日,1泊だけだが駅前のホテルに泊まり,夕方と翌朝,近くを散策した。激変! 地元の人やしばしば訪れる人には,そうは見えないかもしれないが,数十年ぶりに歩いてみると,そのあまりの変化に驚くばかりだ。

特急乗客,大半が外国人
高山へは特急「ひだ」で行った。名古屋駅で乗車するときも外国人観光客が多かったが,びっくり仰天したのは帰りの高山発名古屋行き列車。乗客の大半が個人旅行と思われる外国人観光客だった。

もし特急の他の便もこのような利用状況であれば,高山線特急はいまや外国人旅行者により維持されていることになる。

高山駅の英語優先案内
その傍証が,高山駅の英語優先。名古屋行き特急乗客への駅案内放送は,英語が主で,日本語は従。また,手荷物預かりやその隣の軽食店の案内も英語優先表示だった。

外国人旅行者が多いから――English first!

その感は,否めない。

 
■特急改札待ちの大半は外国人/英語表記の手荷物預かりと軽食店

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■「飛騨の里」(重文古民家等移築)にも外国人観光客多数/JR九州のインバウンド対応(朝日2018/10/21)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/10/20 at 15:01

カテゴリー: 自然, 文化, 旅行

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奥飛騨の秋(1):西穂高

秋たけなわ,奥飛騨に,駆け足で行ってきた。渓谷の谷沿い,平湯~栃尾~新穂高温泉付近は紅葉にはまだ少し早かったが,西穂高岳(2909m),焼岳(2455m)など高山の中腹から上の方は木々が黄や赤に色づき始めていた。

新穂高には,平日にもかかわらず,ロープウェイを増発しなければならないほど多くの観光客が来ていた。しかも,その三分の一くらいは外国人。

面白いのは,ここでのアジア系と西洋系の人々の行動パターンのちがい。ロープウェイ終点「西穂高口駅(2156m)」に着くと,アジア系の人々の多くはまず屋上展望台に上り自撮り棒などで写真を撮り,次に階下の土産物屋に向かう。これに対し西洋系の人々の相当数は,屋上展望台はそこそこにして,曇天で寒かったにもかかわらず駅舎から出て,周辺の散策に向かう。中には,子供連れで西穂登山道を登り始めた家族さえいた。軽装だったから途中までであろうが。

短期間であっても旅に出ると,日常を離れ,心身ともにリフレッシュできる。


■西穂高口駅展望台ポスト/ロープウェイから望む焼岳


■しらかば平駅(1308m)から錫杖岳(2168m)方面を望む/しらかば平の野菊(?)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/10/17 at 16:01

カテゴリー: 自然, 文化, 旅行

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初秋の村:別荘生活のすすめ

半年ぶりに丹後の村に行ってきた。文字通りの「負動産」となった村のわが家。窓を開け放って外気を入れ,庭木を電気鋸でバッサリ剪定し,雑草を引っこ抜いて回った。重労働。

それでも,ほっとし,慰められるのが,周囲の自然。彼岸花,野菊,ツユクサなどが咲き,イナゴが飛び,トカゲが駆け,かたつむりが角をふりふり這っている。村にいたときは,日常のありふれた風景であり,美しいとも面白いとも特に感じなかったが,都会からたまに帰ると,自然の豊かさに改めて気づき,心和まされる。

丹後に限らず,地方はどこも人口減少,空き家が急増している。それらの多くは,都会では信じがたいほど安い。なかには維持するにせよ解体するにせよ経費が掛かるので,タダ同然で譲ってもらえる家さえあるという。しかも田舎だから敷地は広い。百坪,二百坪,いや三百,四百坪のものもある。広い菜園付きも少なくない。そうした家屋が,電気・水道付きで,つまりすぐ使える状態で,手に入るのだ。都市住民の別荘に最適ではないか。

別荘は,近代化以降,都市住民の憧れでありステータスシンボルでもあった。彼らは,大金をはたき,軽井沢などに別荘を持とうとしたが,不自然な都会生活から一時的に逃れ,人間の自然(human nature)を取り戻すためであれば,何も別荘のために開発された別荘地に行く必要はない。別荘地は,所詮,人造の疑似自然にすぎない。

いまの日本であれば,自然豊かな地方に行けば,買うにせよ借りるにせよタダ同然で,すぐにでも使える家が簡単に見つかるのだ。都市住民は,このチャンスを見逃さず,地方に第二の家(セカンドハウス)を持ち,その別荘で何日か暮らすことにより,自分の人間としての自然(本性)を取り戻そう。

これは,過疎の地方にとってもチャンスだ。どのような形であれ人が来て住めば,地方は活気を取り戻し,地域社会として蘇るきっかけをつかむことができるに違いない。


 ■畔の彼岸花


 ■彼岸花とカタツムリ/バッタ(食用可)


 ■ツユクサ/野菊

■猫じゃらし

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/09/21 at 15:29

カテゴリー: 社会, 自然, 文化

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情報過多ネパール:語るに語れず

ゴビンダ・KC医師(博士,TU教授)の第15回ハンスト(6月30日〜7月26日)に興味を持ち,ここで紹介したいと思っているが,あまりの情報量,とても追いきれず,目下,立ち往生。

ほんの十数年前,インターネットが普及する以前は,ネパールは外国人にとって情報過少であった。逆説的だが,情報が少なければ,ネパールについて述べるのは容易。何らかの方法でネパール情報を手にすれば,それをネタに話したり書いたりすることができた。

ところが,いまやネパール情報はネット上にあふれている。何を言っても,何を書いても,たいていのことはすでにネットに掲載されている。新発見,新解釈と思っても,要するにそれは知らないだけ,ネット世界の検索を怠っているだけのことかもしれない。このネット情報化時代にあっては,自らの無知と怠惰をさらけ出す結果となるかもしれないという覚悟なくしては,およそ何かを書き,あるいは話すことはできないであろう。

本もまた,このネット情報化社会では,愛玩鑑賞用は別として,もはや不要となった。以前は,ネパールなど外国に行くときは,事前に本や地図帳でその国のことを調べ,そのうちの何冊かを重くはあったが持って旅に出かけた。が,いまや旅行先のことは何でもネットに掲載されている。小さなスマホ一台あれば,旅行に限らず,生活に必要な情報はどのようなものであれ,いつでもどこでも,はるかに効率的にネットから手に入る。もはや本など印刷物はいらないのだ。ネット上での再説も屋上屋,不要だ!

いやはや,困った時代になったものだ。ゴビンダ医師のサティヤグラハ(真理要求・真理把持)闘争には大いに関心がある。時代閉塞状況に陥りつつある日本のわれわれにとって,そこには学ぶべきものが多々あるように思われる。むろん,そう思うのは私の無知と怠惰のせいかもしれない。いっそのこと,ゴビンダ医師のサティヤグラハ闘争について,私的備忘録風に,思うところを書いてみることにするか。

▼ネパールにおけるインターネット急拡大

 *Nepal Internet Usersより作成(http://www.internetlivestats.com/internet-users/nepal/)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/09/19 at 18:21

紹介:三瓶清朝『みんなが知らないネパール―文化人類学者が出会った人びと』(4)

4.妻劣位のバフン食事慣行
本書の第8章41では,プルビヤ=バフン族の行動規範の一つとして,食事慣行が紹介されている。私自身,ネパールで,これに近いことを何度か見たことがあるが,それでもこのような具体的な生々しい記述を読むと,あらためてその厳格さに驚かされる。

「[1977年暮れカトマンズ市のプルビヤ=バフン族家庭に下宿していた時のこと]下宿の主人(45歳ぐらいの政府中級官僚)の妻(40歳ぐらいの主婦)がご飯を食べるのに毎日,主人が食べたあとに,主人が食べたあとの食べかすや食べ残しの豆汁,ご飯粒のたくさん付いた非常にきたない大皿(金属製)でご飯を食べていた。主人がご飯を食べているあいだ妻は階下(食堂兼台所は3階の屋上にあった)の2階で主人が食べ終わるのを待っていた。この妻だけでなく,主人夫婦の若い息子(23歳ぐらい)の若い妻(20歳ぐらい)も主人の妻と一緒に階下で待っていた。・・・・この,主人が食べたあとのきたない大皿でご飯を食べることは,プルビヤ=バフン族の,けがれ(不潔)という観念によって妻の劣位を示すためにわざとおこなわれる慣習である。・・・・夫優位と妻劣位の序列を刷り込むのである。」(280-1)

こうした食事慣行は,これほど冷厳ではないにせよ,日本でもかつては見られた。高度成長やテレビ普及で日本社会が流動化する以前は,地方によっては,村に行くと妻や他の成人女性は調理配膳にあたり,食事は後回しとされていた。特に何らかの儀式後の多少とも格式ばった食事においては,妻や成人女性は完全に裏方,台所の片隅で残りものをそそくさと食べるのが慣習であった。ネパール同様,日本でも,こうした食事慣行により,社会や家庭内の上下秩序が刷り込まれ再生産されていたのであろう。

【注】ネパールの妻の食事慣行については,別の説明もある。ちょっと苦しいが,下記(1),(2)のような考え方もできなくはないであろう。
(1)「ほとんどのネパール人は,誰かが箸をつけた皿の食べ物は汚れている考え,食べようとはしない。・・・・が,夫の皿の残り物であれば,ネパール女性の多くは食べる――食べ物の分かち合いを愛情表現と考えているからである。」(Nepali Customs & Etiquette)

(2) 「夫の方に,妻が[箸をつけ]汚した食べ物が出されることは決してないが,妻の方は,夫の食べ残しを食べるのを妻の特権と考えている。」(Lall, Kesar, Nepalese Customs and Manners, 2000, p.25)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/06/20 at 16:55

カテゴリー: 社会, 宗教, 文化

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紹介:三瓶清朝『みんなが知らないネパール―文化人類学者が出会った人びと』(3)

3.「独り立ち」教育
本書の第2章17では,ネパールにおける「独り立ち」教育が,日本の場合と対比しつつ,具体的に紹介されている。たいへん興味深い。

「わたしはかねがね,ネパール社会と比べると,日本社会では親は子どもになかなか『独り立ち』をさせないし,子どもは子どもでなかなか親への依存をやめない,『独り立ち』できないというように理解している。それに反してネパールでは『独り立ち』の教育が早くおこなわれる。ネパール南部のタライ平野の先住民であるタルー族など,3歳でも『独り立ち』するように早くから教育される。」(101)

「カトマンズ市の富裕な家庭の多くは,子どもを使用人というか奉公をするというか,そういう子どもを住み込みで置いている。この子どもは,掃除をしたり料理の下ごしらえをしたり洗濯をしたり幼児の世話をしたりして家庭内の雑用をする。たとえば,オミラの家では,・・・・14歳の,山地から来ている,ネワール族の男子が家事雑用で住み込んでいて,家事雑用をしながら学校に通っていた。・・・・ギャヌー(50歳)の家にはいまから22年も前(1979年ごろ)には8歳ぐらいになる家事雑用専門の男子(多分,ネワール族)が何年も住み込んでいた。家事使用人として『独り立ち』して生きていくわけだ。・・・・シター(42歳)の家では,グルン族の12歳の男の子が家事使用人として住み込んでいて,家事雑用をしながら学校に通っていた。ネパールの子どもは,8歳や12歳,14歳ですでに『独り立ち』をする。」(104-5)

このネパールとは対照的に,日本には「『独り立ち』をさせないような社会的強制がある」と,著者はいう(106)。大学には「父母会」があり,大学側が成績表を親に送り,学習や進路につき親とも相談する。入学式や卒業式には親も出席する。このように,日本では大学生の「幼児化がはなはだしい」(107)。いやそれどころか,最近では入社式にさえ親が出席したりする(108)。

この「独り立ち」についての日ネ比較は,面白い。教育の本来の目的は,福沢諭吉が『学問のすすめ』で説いたように,物事を自分で見て判断することのできる独立した精神の確立であるはずなのに,日本では教育をその逆に向け推し進め,生徒・学生の幼児化を図ってきた。権威に従順な,使い勝手の良い「おとな子供」の育成である。

このように,ネパールの「独り立ち」教育が現代日本の「幼児化」教育とはベクトルが逆であることは明らかだが,だからといって,もしわれわれがそれを近代的な主体性教育,福沢のいう「一身独立」ないし「独立自尊」の教育のようなものとみると,基本的な点で見方を誤る恐れがある。

ネパールの子供の「独り立ち」は,むしろ戦前や高度成長以前の戦後日本の子供のそれに近い。日本でもかつては子供たちの家事手伝いや丁稚奉公が広く見られたし,農家では不可欠の働き手として農作業を分担していた。学校教育が普及し始めても,小学校を卒業すると(12~14歳),子供たちは農民として働き始めるか,繊維工場などに働きに出た。戦後になっても1970年頃までは,中学卒(16歳位)や高校卒(18歳位)で親元を離れ,都市へ集団就職する子供が少なくなかった。山陰の私の故郷でも,毎年,3月下旬になると,6~8両もの集団就職列車(先頭は蒸気機関車!)を仕立て,村々の駅で中卒や高卒の少年少女を乗せ,都市部の就職先へと送り出した。日本でも,つい半世紀前頃までは,子供たちの多くが早くして「独り立ち」していた,いやさせられていた。ネパールの「独り立ち」教育は,むしろそれに近いように思われる。

それともう一つ,ネパールの子供使用人,特に住み込みの子供使用人については(日本の場合も本質的には同じだが),注意しなければならない別の側面もあるように思われる。子供が奉公先に住み込む場合,当然,その子供使用人の立場は極めて弱い。酷使や虐待の被害を受けやすく,事実,これまでに幾度も問題にされてきた。学校にも満足に通わせてもらえない場合が少なくない。

さらに,私も幾度か見たことがあるが,子供住み込み使用人は奉公先家族のいかなる指示にも従わざるをえない。たとえ小さな子供のわがままであっても,ご主人様の子供ともなれば,反抗は許されず,忍従を強いられる。そのような状態が続けば,子供住み込み使用人は,子供であるからなおさら強く,上下身分関係を刷り込まれ,屈辱的な忍従を習い性とするようになる。その場,その場の人間関係をいち早く見て取り,小狡く立ち振る舞うという意味では「独り立ち」しているが,それは福沢諭吉の唱えた「独立自尊」とは真逆の精神態度と見ざるをえないであろう。

ネパールの子供使用人には,このような側面もあるのではないだろうか?


■ネパールの子供家事労働者,約6万5千人。学校に行かせてもらえず酷使,虐待も少なくない(IPS, 2013/07/25)。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/06/19 at 14:24