ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

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愛国者必読: 施光恒『英語化は愚民化』

日本の英語化は,安倍政権と財界の共通の教育目標である。日本社会の英語化によって,安倍首相は「美しい日本」を取り戻そうとし,日本財界はグローバル競争に勝ち抜こうとしている。

単に口先だけではない。安倍首相は国連演説など機会あるごとにカタカナ英語(米語)で演説し失笑を買っているし,企業独善経営者たちも英語社内公用語化で社員の面従腹背を招いている。

小学生にもわかることだが,敵性言語の使用によって日本国の「美しい伝統」が取り戻せるはずはなく,また日本企業が「日本」企業でありつつ他国企業との競争に有利となることもない。日本の英語化は,英語帝国主義(English Imperialism)への日本の卑屈な自発的従属であり日本の英語植民地化に他ならない。

このことを明快な日本語で的確に指摘し警鐘を鳴らしているのが,この本:
施光恒『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』集英社新書,2015

書名にも,著者の危機感がよく表れている。少々過激と感じられるかもしれないが,議論はきわめて合理的であり,説得力がある。(要旨下掲表紙カバー参照)

想像もしてみよ。自分が日々聞き話し,読み書きし,そして考えるその言葉によって,すなわち自分自身の母語によって,自分が生まれてから死ぬまで,生活のあらゆる場で,文化的に,社会的に,政治的に,そして経済的に差別される日が来ることを! それは,第二の自然となってしまった構造的差別,ないし宿命的「言語カースト制」といってもよいであろう。

むろん,この本にも,触れられていない論点がいくつかある。そのうち最も重要なのが,現在の日本語(標準語)も,日本各地の様々な地域言語(いわゆる方言)を権力的に弾圧禁止することによって人為的に創り出された「国語=国民語=国家語」であるということ。

この国家公認「国語」による地域言語弾圧,すなわち「標準語化」政策は,本書で批判されている「英語化」と,論理的には同じものだ。したがって,「英語化」政策批判は,「国語化」政策に対する自己批判を踏まえたものでなければならない。

本書では,おそらく新書ということもあって,日本自身の国語化政策,標準語教育への自己批判は,割愛されている。そのことさえ踏まえておけば,本書は,水村美苗『日本語が亡びるとき:英語の世紀の中で』(筑摩書房,2008)とともに,日本の愛国者がいまひもとくべき必読書の一つといってよいだろう。

【参照】書評:水村美苗『日本語が亡びるとき』 英語帝国主義 安倍首相の国連演説とカタカナ英語の綾 安倍首相の怪著『美しい国へ』

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<英語化を進める大学に巨額の補助金を与える教育改革から、英語を公用語とする英語特区の提案まで。日本社会を英語化する政策の暴走が始まった。英語化推進派のお題目は国際競争力の向上。しかし、それはまやかしだ。
社会の第一線が英語化されれば、知的な活動を日本語で行ってきた中間層は没落し、格差が固定化。多数の国民が母国語で活躍してこそ国家と経済が発展するという現代政治学の最前線の分析と逆行する道を歩むことになるのだ。「愚民化」を強いられた国民はグローバル資本に仕える奴隷と化すのか。気鋭の政治学者が英語化政策の虚妄を撃つ!>
[本書表紙カバーより]

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2015/12/27 at 13:09

カテゴリー: 経済, 言語, 教育, 文化,

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新刊: 現代ネパールの政治と社会――民主化とマオイストの影響の拡大

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現代ネパールの政治と社会――民主化とマオイストの影響の拡大

POLITICS AND SOCIETY IN MODERN NEPAL
Democratization and the Expansion of the Maoists’ Influence

はじめに

 序章 近現代ネパールの政治と社会――マオイストの伸長と地域社会 石井 溥

第一部 マオイストの台頭・伸長と人々の対応
 一章 武装闘争から議会政治へ 小倉清子
 二章 マオイストの犠牲者問題――東ネパール・オカルドゥンガ郡の事例から 渡辺和之
 三章 西ネパールにおける集団避難二〇〇四年 安野早己
 四章 ネパール領ビャンスにおける「政治」の変遷 ――村、パンチャーヤット、議会政党、マオイスト 名和克郎
 五章 開発、人民戦争、連邦制――西ネパール農村部での経験から 藤倉達郎
 六章 ガンダルバの歌うネパールの変化――王政から国王のいない民主主義へ 森本 泉

第二部 マオイストの政党化とネパール社会
 七章 マオイストの国家論と制憲議会選挙公約 谷川昌幸
 八章 市民の至上権は新しいネパールにおける包摂的政治の道しるべとなるか――二〇〇八年制憲議会選挙における各政党の得票の動向から マハラジャン、ケシャブ・ラル/マハラジャン、パンチャ・ナラヤン
 九章 民族運動とマオイスト――マガルの事例から 南 真木人
 十章 チトワン郡チェバン村落における政党支持と抑圧の顕在化 橘 健一
 十一章 「寡婦」が結ぶ女性の繋がり――ネパールにおける寡婦の人権運動 幅崎麻紀子

あとがき

ネパール近現代政治史略年表 用語解説 ネパール郡区分図 主な政党名の略語対応表

明石書店 2015年3月31日発行 定価:5,200円+税

Written by Tanigawa

2015/04/03 at 19:22

カテゴリー: マオイスト,

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紹介:寺田鎮子著『ネパール文化探検』

これまでに発表されたネパール関係論文を1冊にまとめたもの。いずれも,綿密な現地調査に裏付けられた手堅い論文だが,記述は平易であり,特別な予備知識がなくても,よく理解でき,面白く,興味が尽きない。非売品だが,ネパールやこの分野に関心をお持ちの方に,是非お薦めしたい好著だ。

寺田鎮子著『ネパール文化探検』177+5頁,2014年6月30日刊,非売品
 まえがき
 第1章 ネパールの生き神・クマリ
 第2章 ネパール宗教マンダラ
 第3章 ネパールの女神の大祭-ダサインの考察
 第4章 ネパールの面と儀礼
 第5章 ネパールの伝説と祭り
 第6章 ネパールの柱祭りと王権
 第7章 ネパールの柱祭り
 付 録 暦とカレンダー/ネパールの民話の世界/ポピューラー音楽の現在

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谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/08/21 at 16:50

カテゴリー: 文化,

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紹介:『長岡信治遺稿集』

長崎大学教育学部の地理学教授であった長岡さんの遺稿集が刊行された。A5判1000頁の大著。

■遺稿集刊行会編『長岡信治遺稿集』長崎大学教育学部,i-xv, 1-979頁,2013年4月
 [収録論文]
 ・長岡信治「上高地の地形・地質」1988
 ・長岡ほか「クンブー・ヒマール,ゴジュンパ氷河周辺のモレーンとその編年」1990
 ・Nagaoka, The Glacial landforms in the Manang valley, north of the Great Himalayas, central Nepal, 1990
 ・(他49編)

130808a ■表紙

長岡さんは,長崎大学教育学部の同僚教員であった。私の赴任が2000年4月,長岡さんの52歳での急逝が2011年7月だから,11年余ご一緒させていただいたことになる。

長岡さんは地理,私は政治学と専門は異なっていたが,信州やネパールのことについては,折に触れ教えていただいた。私の方は単なる趣味にすぎないが,学生時代から登山が好きで,信州にもよく行っていた。そして,それが高じて,1985年にはアンナプルナ・トレッキングに行き,すっかりネパールに惚れ,とうとうネパールの憲法や政治まで研究する羽目になってしまった。だから,長崎大学教育学部に赴任し,はじめて研究室に行くと,廊下の衝立にマチャプチャレの大きな写真が貼ってあったのを見て驚き,また嬉しくなった。長岡さんのもので,これは最後までそのまま使われていた。マチャプチャレは,私が四苦八苦してダンプスまで登り,はじめて見たヒマラヤの山であった。

長岡さんには,山のことだけでなく,もちろんネパールの酒のことも教えてもらった。また,ネパールから政治学専攻の院生を受け入れたときも,数年間にわたって,あれこれ相談に乗っていただいた。留学生には,豪放磊落な長岡さんは話しやすかったのだろう。

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ダンプスから望むマチャプチャレ,アンナプルナ。この家の前を歩き,ガンドルンクヘ向かった。長岡さんも,この道を登ったのだろうか? 聞き忘れてしまった。

長岡さんの急逝には,いくつか原因があるだろうが,近くで見ていて感じたのは,あまりにも多忙だったということ。それでも,私が赴任した2000年頃は,まだましだった。学生もある程度大人だった。ところが,数年もすると,予算と教職員の削減,学部改組,自己評価,教員免許講習などで時間がとられる一方,学生の気質が一変,「指示待ち生徒」のようになり,教育研究指導にも苦労するようになってきた。

長岡さんは,研究に厳しく妥協を許さない。研究室をのぞくと,いつも数編の原稿を抱え,締め切りに追われていた。休暇はますます短くなったが,それでもマダガスカルなどに,日程をやり繰りし調査に出かけていた。学生指導でも,一見手抜きのように見えるが,実際にはトコトン厳しく面倒を見ていた。長岡ゼミは,私のゼミ以上に多彩な学生が集まり,時間的にも精神的にも指導は大変そうであった。長岡さんは,もともと話し好きで,研究室に行けば相手をしてくれるのだが,このあまりの多忙さに気が引け,たんだん自主規制するようになってしまった。

長岡さんの多忙に輪をかけたのは,豪快に見えて繊細,手抜きに見えて完璧主義の,その性格である。研究をあれほど大切にしていながら,教育指導や学内問題にも手抜きはしない。学内文書作成などでも,最初はかなり怪しい原稿だが,最後にはきちんと完璧な文書に仕上げてしまう。これでは,ストレスはたまるばかりで,時間はいくらあっても足らない。そのようななか,長岡さんの体調は悪化していった。あれこれやっているが,なかなか良くならないと,よくこぼしていた。亡くなる半年くらい前には,どの薬もよく効かないので,漢方薬にしてみようかと言われたので,それも一つの手だが,漢方薬の副作用も恐ろしいので,よく調べてからでないと危ないのでは,といったことも話したことがある。

長岡さん急死の背景に,多忙による過労があることは,明らかである。いまの制度では,教育研究や学校運営に誠実であろうとすればするほど多忙となり,過労死に追いやられる。個々人というよりは,むしろ制度がおかしい。文科省あるいは大学は,教育と研究にとって本当に必要なことをよく見極め,厳選し,教育研究環境を改善すべきだ。長岡さんのような本物の教育研究者を過労死に追い込まないために。

長岡さんの死後しばらくして,私自身の体調が激変した。前兆はあった。6月頃,長岡さんと廊下で出会ったとき,「どうした,いまにも死にそうだなぁ」と声をかけられた。その時は,それほど悪化せず回復したが,長岡さんの死後,秋になると,様々な体調異変が始まった。睡眠は連日2時間ほど。耳鳴りがはじまり,時々聞こえなくなる。便秘がつづき,尿が極端に少なくなり,食欲もない。長岡さんの急逝の後なので,これは危ないと感じたが,あと半年で定年退職なので,用心しつつ何とか乗り切ることにした。

ふらふら,よれよれだったが,何とか3月まで生き延び,やっと停年を迎えた。正直,ホッとした。長岡さんに生かされたのでは,とひそかに思い感謝している。

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教育学部案内。表紙のマチャプチャレは長岡さん提供であろう。これも聞き忘れてしまった。

【参照】
シンポジウム「長岡信治:海から山,火山でのフィールドワーク」2013年6月
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世界の山やま アンナプルナ(長岡信治)
長岡信治「マダガスカルにおける象鳥(エピオルニス)の絶滅と完新世環境変動史」(平成19年)
雲仙岳と岳の棚田の地形・地質(長岡信治)

谷川昌幸

紹介:『ナラク ゴビンダ・マイナリ獄中日記』(2)

4.獄中日記:日常化した非日常の記録
(1)日常化した獄中生活の記録
ゴビンダ・マイナリ氏の獄中日記『ナラク』は,この事件と裁判の異常性・特異性とは対照的に,記述それ自体はごく日常的であり,「平板」とすらいってもよい文章である。

むろん拘置所や刑務所は特異な世界だが,そこでの生活それ自体はあまり変化がなく,それをそのまま描いているという意味では『ナラク』は日常生活の備忘録的な記録に他ならない。警察・検察や裁判所への怒りや批判,刑務所生活への不満などは随所に述べられているが,一歩踏み込んだ状況の分析や省察は,ほとんど見られない。

130707 ■表紙カバー裏面

(2)読者を想定した日記
この『ナラク』も日記だが,一般に日記には,もっぱら自分自身のために書く場合と,そうではなく,後日何らかのかたちで他人に見せることを想定して書く場合がある。では,『ナラク』はいずれであろうか?

大学ノート18冊の原文から取捨選択・編集されているので断定はできないが,全体を通してみる限り,他人に読まれたくないはずの自慰の記述(150頁)などもあるにはあるが,そうした部分はごくわずかであり,やはり誰かに読まれること,つまり読者を想定し,読者に何かを訴えることを意識して書かれた日記という印象を受ける。

しかし,もしそうだとするなら,『ナラク』はなぜこのような「平板」とも感じられるような記述となっているのだろうか? 読者の関心を喚起し共感を得ようとする特段の工夫や努力は,少なくとも文章からは,あまり見て取れない。なぜなのか?

(3)ネパールの記述スタイル
それは,マイナリ氏に読者に訴え共感を得たいという意識がなかったからではなく,おそらく,ネパール特有の記述スタイルによるところが大きいのではないかと思われる。マイナリ氏は,冒頭で,こう述べている。

「今日から、日々の獄中生活をこのノートに書くことにする。私は読み書きが特に得意という訳でもなく、ましてや詩人や作家でもない。しかし、自分の日常の言葉で、日々の出来事、経験などをあるがままに書いてみたいと思う。」(20頁)

自分は詩人や作家ではないといっているが,この文章を見ただけでも,マイナリ氏が相当の筆力を持っていることは明らかである。「自分の日常の言葉で、日々の出来事、経験などをあるがままに書」くといったことは,誰にでもそう簡単に出来ることではない。

マイナリ氏は,東部ネパールの豊かなブラーマン(バラモン)家庭生まれであり,ネパールで学校教育(高校まで?)を受けているし,もともと進取の気性に富み,読書も好きであったという(Govinda Mainali’s 15 Years of Isolation in Book Now, ekantipur, May 23, 2013)。彼は,学校教育や読書を通して,ネパールの学習方法や記述スタイルを体得していたのである。

ネパールの教育の特徴は,丸暗記である。自分であれこれ考え,思い悩むことなく,与えられた課題やお手本を丸暗記し,問われたら,覚えたことをそのまま答える。これは,ネパール社会の精神的基盤であるヒンドゥー教や仏教の教義学習方法と同じである(マイナリ氏はヒンドゥー教ブラーマン)。丸暗記は,ネパール文化の基調をなしているといってよいであろう。

丸暗記は,出来事や経験をあるがままに(型どおり)観察し,あるがままに記述する,という観察・記述スタイルを育成する。ネパールの児童・生徒の作文や詩がそうだし,新聞・雑誌もそうだ。いや,そればかりか,おびただしい数の学術出版物も,たいていこの意味での型どおりの「対象に即した記述」となっている。

このネパール式記述は,個々人の主体的問題意識創造性を重視する教育を受けた日本人には,退屈で面白くない,と感じられる。どのような出来事や経験であれ,私たちは,自分独自の主体的問題意識(と信じているもの)から分析し,意味づけ,理解しようとする。味も素っ気もないただの素材に,きらびやかな解釈の厚化粧を施し,これによって理解できたと安心し,またそれを世間に示し,注目を集め,評価を得ようとする。私たちは,自意識過剰の近代病にとりつかれているのだ。

しかし,実際には,どのような対象であれ,紋切り型から一歩踏み込み,多少とも独創的な理解に達するのは,並大抵のことではない。それには相当の困難がともなう。そこで,たいていの人びとは,平凡な紋切り型の繰り返しにも,それを突破するための努力にも耐えきれず,すぐ挫折してしまう。そして,その結果,出来事や経験の観察そのものへの意欲を失い,それらの記述を放棄してしまうのである。

ところが,丸暗記型は,そうはならない。いったん課題が与えられたら,対象を観察し,それをあるがままに記述して飽きることがない。マイナリ氏が行ったのも,まさにそれであろう。彼は,逮捕・投獄の不当を訴えることを課題と定め,その一環として獄中での「日々の出来事」や「経験」を「あるがままに」ノートに書き留めていったのである。たとえばーー

「横浜刑務所に行くのは全部で5人、うち4人は日本人で、全員が手錠をされ腰縄に繋がれてマイクロバスで出発した。
 東京拘置所を出ると高速道路に上り、東側から千葉県方向の京葉道路を通り、お台場にあるフジテレビの高層ビルやレインボーブリッジを通過。12時ちょうどに横浜刑務所に着いた。
 12月28日から1月4日まで8日間は正月休みとなる。この休みを東京拘置所で過ごしたあとで、刑務所移送があるだろうと思っていたのだが、その前になってしまった。
 刑務所に着くと、刑務官がまず写真を撮り、荷物を検査して部屋に持ち込む物を仕分けた。昼の12時にパンとリンゴジュース(250ml)、豚肉人りのカレー、揚げ魚などの昼食があった。午後2時に、入浴のため別の建屋に連れて行かれた。。
 風呂につかり、ひげを剃った。全ての荷物を検査し、1号棟の1階105号房に入れられた。そこは雑居房で、ほかに日本人が6人いた。7年も独居房で暮らしてきたので、突然たくさんの人と一緒になり、また部屋にテレビがあるのを見て嬉しくなった。
 部屋の外に、民家やマンション、道路、空には飛行機、何でも見えるのも嬉しかった。
 ここの先輩受刑者は、作業を終えたあと舎房に帰る前に、強制的に全裸にされ、両手両足を高く上げ、性器も見せて刑務官の検査を受ける。初めて刑務所に着いた日、全裸の受刑者たちの踊るようなしぐさを見て衝撃を受け、恐ろしくなった。」(40-41頁)

「トイレに行くときは、まず左手を上げ、駈け足で刑務官の前へ進み、頭を下げて名前と番号を告げる。小便か大便かを言うと、トイレットペーパーをもらえる。プラグを渡され、それを持って真っすぐ列に並び、左、右、左、右と足を運ぶにつれて腕を振ってトイレに進む。プラグをスイッチに差し込むと、緑のランプがドアの上に点灯する。終わると、来た道をそのまま戻る。
 朝食は123号房でとる。ご飯と味噌汁。昼食は12時、第10工場でとらなければならない。今日の昼食は、手の平ほどのスパイス入り豚肉、ご飯、ヌードル、トマトと肉のサラダ、野菜スープ。うまいはずなのだが、食欲がなく、味もしなかった。夕食は5時に123号房で食べた。ご飯、茄子とミックスペジタブルのスープ煮。」(45頁)

ここには,獄中のことが「あるがままに」こまごまと書き連ねてある。そして,この記述スタイルは,内面的なことについても同じだ。たとえば,父の他界を告げられたときの日記――

「思い返すと、私の人生は苦しみばかりで、涙に明け暮れる40年間だった。子供時代も楽ではなかったが、結婚して2年も経たないうちに妻や子供と別れ、日本に来てからの3年間も、働きづめだった。そして日本の刑事司法制度の、悪鬼のような仕打ちによって、偽りの犯人とされ、過酷な監獄暮らしが10年になる。
 実は、何か悪いことが起こる予感がしていた。父と言い争っている夢を見たのだ。ここを出て郷里に戻ったら、プラーナを行って功徳を積み、父の想いを成就させなければならない。
 夜、上級の刑務官が沈んでいる私の様子を見に来た。明日から5日間の連休なので、喪に服すには都合がいい。肉食を絶ち、わずかな米だけを食べ、『バガヴァッド・ギーター』を読誦することで父の霊魂を鎮め、清浄を保とう。刑務官には、そのことをお願いした。」(99頁)

獄中生活は規則づくめで変化に乏しい。たいていの人には,昨日の如く今日もまたあるような獄中生活の「日々の出来事」や「経験」を,毎日記述し続けるだけの根気と忍耐力はあるまい。そんなことを書いて何の意味があるのかと,日本人の多くは,書く前に書くことそれ自体を放棄してしまうであろう。

ところが,丸暗記式教育により課題と対象に即した記述という精神態度を体得していると思われるマイナリ氏は,獄中生活の日常をこまごまと記述して飽きることがない。そのかわり,踏み込んだ分析や意味づけは,ほとんど見られない。こうした記述は,むろん,主体的問題意識を重視する習性の日本人読者にとっては,あまり面白くはないであろう。買ってはみたものの,数ページ読んで,もう十分,わかった,わかったといって放り出すのが関の山だ。

しかし,これこそが本書の持ち味である。非日常が日常となったとき,日本人の多くは,変わることのない日常を描く退屈さに耐えられない。ところが,ネパール文化をバックとするマイナリ氏には,日常となった獄中の「日々の出来事」や「経験」を「あるがままに」書き続けることができたのである。

日記は大学ノート18冊にも及ぶというから,本書に訳出されたのは,その一部にすぎない。十数年の長きにわたって,日常と化した獄中生活を倦むことなく記述し続けてきたマイナリ氏の忍耐と,それを育成したネパール式教育に敬意を表したい。

130707c ■Paribandaka 15 Barsha, Pairavi Book, 2013

5.事件の異常性と『ナラク』の日常性
『ナラク』は,それだけ読めば,獄中の日常的出来事の繰り返しの多い記述にすぎず,あまり面白いとは言えない。その平板さは,この事件や裁判について書かれた日本の多くのドキュメンタリーや記事の面白さ――有り余るほどの主体的問題意識,解釈の独創性,意味付与の豊穣さ――の対極にあるといってもよいだろう。

しかし,『ナラク』の平板さは,マイナリ氏を非日常の日常へと陥れた事件や裁判の特異性あるいは異常性と対比されるとき,別の意味を持つものとして立ち現れてくる。

マイナリ氏に『ナラク』を書かせたのは,不正裁判(unjust-justice)への怒りであるが,裁判を不正に追い込んだのは,私たち自身である。外国人(日本人以外の非西洋人)蔑視と外国人労働者差別,人権無視報道とそれを喜び煽る多くの読者,その「世論」を背に強引な取り調べをする警察・検察と違憲裁判を続ける裁判所・・・・。

われわれは,多かれ少なかれマイナリ氏冤罪の共犯者であるとすれば,その結果の記録である『ナラク』を読む義務が,われわれにはある。おいしそうな解釈の果肉だけ食べ,真実の堅い事実には見向きもしないのであれば,食い逃げといわれても致し方あるまい。

130707b ■本書表紙

→→紹介:『ナラク ゴビンダ・マイナリ獄中日記』(1)

[参照]
ゴビンダ冤罪批判、カトマンズポスト社説
ゴビンダさんの冤罪と日本社会の責任
ゴビンダ・マイナリ氏の再審・無罪判決を
獄中のゴビンダ氏と「支える会」
紹介『東電OL事件:DNAが暴いた闇』
東電OL殺人事件,日弁連会長声明(転載)
東電OL殺人事件,再審決定
Justice for Govinda Mainali jailed in Japan

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/08/07 at 15:05

紹介:『ナラク ゴビンダ・マイナリ獄中日記』(1)

いわゆる「東電OL殺人事件(1997年3月)」の犯人として投獄され,15年後,再審無罪となったゴビンダ・マイナリ氏の獄中日記。大学ノート18冊のネパール語日記を,東豊久・蓮見順子両氏が翻訳し,今井恭平氏が編集・整理した。収録は,上告棄却・無期懲役刑確定後の2003年6月14日から,再審無罪判決をうけ出国する前日の2012年6月14日までの日記が中心。

ゴビンダ・マイナリ著,今井恭平編・解説『ナラク ゴビンダ・マイナリ獄中日記』希の樹出版,255頁,2013年,1800円

130705 ■表紙カバー

1.事件の概要
1997年03月08日 東電女性社員,渋谷区のアパートで殺害。
---03月19日 殺害遺体発見。
---03月23日 ゴビンダ・マイナリ氏,入管難民法違反(オーバーステイ,不法残留)容疑で逮捕。
---05月20日 入管難民法違反で東京地裁,執行猶予判決。判決後,強盗殺人容疑で再逮捕。
---06月10日 強盗殺人罪で東京地裁に起訴。
2000年04月14日 東京地裁(大渕裁判長),無罪判決。
---04月18日 東京地検,控訴し再勾留要請。
---04月19日 東京地裁,再勾留要請却下。東京高検,東京高裁第5特別部に再勾留要請。
---04月20日 東京高裁第5特別部,再勾留要請却下。
---05月01日 東京高検,東京高裁第4刑事部(高木部長)に再勾留要請。
---05月08日 東京高裁第4刑事部(高木部長),再勾留許可。
---12月22日 東京高裁(高木裁判長),無期懲役の有罪判決
2003年10月20日 最高裁,上告棄却。無期懲役の有罪確定。
2005年03月24日 東京高裁へ再審請求。
2012年06月07日 東京高裁,再審開始を決定し,刑の執行停止。入管移送。
---06月15日 マイナリ氏,日本出国。
---11月07日 東京高裁,控訴棄却(無罪判決)。検察上告せず,無罪確定。
2013年02月06日 東京地裁,マイナリ氏刑事補償金6840万円,決定。

2.事件の特異性:陰湿な癒やしの多層構造
「東電OL殺人事件」は,特異なショッキングな事件であった。殺されたのは,東京電力の「美人エリートOL(39歳)」。平日昼間は東電管理職として働き,退社後や土曜は,連日,客を取り売春をしていた。そして,殺した犯人として逮捕されたのは,インド料理店で働いていた出稼ぎ外国人で不法滞在(オーバーステイ)のネパール人,ゴビンダ・マイナリ氏(30歳)。

世間は,被害者女性の昼と夜のあまりの落差に驚き,また被害者と犯人の間の境遇の相違とある種の類似性の併存に興味をそそられた。人もうらやむ超一流企業の有能な美人エリート女性社員が,退社後,街娼となり,客の不法滞在ネパール人に殺された。いったいなぜ彼女はそのような二重生活に陥り,あげくは見るも無惨な姿で殺されねばならなかったのか? あるいは,不法滞在ネパール人は,路上で彼女を買い,安アパートの空き部屋で性交渉をしたあと,なぜ彼女を殺してしまったのか?

事件は,人びとの興味を異様にそそるものであり,連日,新聞,テレビ,雑誌などが被害者と犯人の経歴,行動,人間関係,あるいは彼らの心理や動機などについて,あれこれ書き立てた。それらの中には,殺された当の被害者とその家族であることを忘れたかのような暴露記事や,いわゆる「ドキュメンタリー」も少なくなかった。

この事件は,こうした特異な多層構造をもつが故に,日本人が多かれ少なかれ抱く屈折した劣等感を,隠微にして淫靡に癒やしてくれた。あの東電OLに比べれば,自分は・・・・,あの出稼ぎネパール人に比べれば,日本人は・・・・といった陰湿なノゾキの快楽であり,また代償的アジア蔑視の国民的自慰である。

3.裁判の特異性:違憲の検察上訴と再勾留
「東電OL殺人事件」は,裁判としても特異で異常なものであった。

ゴビンダ・マイナリ氏は,殺された東電女性社員の売春客であったことを認め,彼女との性交渉を示す遺留証拠もあったが,殺害は一貫して否認した。

(1)再勾留の違憲性
一審の東京地裁(大渕裁判長)は,検察側の主張を退け,マイナリ氏を有罪とするだけの十分な証拠はないとして,無罪の判決を下した。マイナリ氏は,すでに入管難民法違反で懲役1年執行猶予3年の有罪判決が確定していたので,本来なら,この地裁無罪判決後,身柄を入管に移され,強制国外退去処分とされるはずであった。法もそう規定している。

憲法第34条 何人も,正当な理由がなければ,拘禁されず・・・・
刑事訴訟法第345条 無罪・・・・の裁判の告知があったときは,勾留状は,その効力を失う。

ところが検察は,憲法も刑事訴訟法も無視(都合よく解釈)し,身柄確保のため再勾留を要請した。再勾留要請→東京地裁却下→東京高裁第5特別部却下→東京高裁第4刑事部(高木部長)許可。この経過を見ただけでも,検察の再勾留要請がいかに強引であったかは,明白だ。無罪判決後の再勾留は,憲法違反であり,外国人差別であり,国際人権法違反である。

検察は,この強引な再勾留で身柄を確保しつつ,東京高裁(高木裁判長)に控訴,以後,裁判は検察ペースで進み,2000年12月,東京高裁(高木裁判長)で無期懲役の有罪判決が下され,この判決が2003年10月,最高裁上告棄却により確定したのである。

(2)検察上訴の違憲性
この「東電OL殺人事件」の捜査・裁判過程には,別件逮捕,通訳なしなどの強引な取り調べ,犯行と矛盾する証拠の無視,重要証拠の非開示など,様々な問題があるが,最も根本的な問題は,再勾留の根拠ともされている検察上訴そのものである。憲法は次のように定めている。

憲法第39条 何人も,・・・・すでに無罪とされた行為については,刑事上の責任を問はれない。

ここでいう「無罪」は,一審であれ二審であれ,裁判所の下した「無罪」判決である。ところが,最高裁も検察も,これを勝手に「確定裁判による無罪」と読み替え,無罪判決を不服とする検察上訴を続けてきた。

この検察上訴が違憲であることは,いうまでもない。常識(common sense)で考えても,それが正義(justice)に反することは明白だ。「justice」は「裁判」であり「裁判官」でもあるから,検察上訴を容認する裁判所や裁判官は,「正義」の常識を持たない非常識なニセ裁判所,ニセ裁判官ということになる。憲法はこうも定めている。

憲法第37条 すべて刑事事件においては,被告人は,公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。

そもそも刑事裁判の被告と検察・裁判所は,ほとんどの点で対等ではない。被告は限られた人生を生き,証拠収集のための能力や資金力もごく限られている。これに対し,検察や裁判所は,機関・組織であり,それら自体は,無限に存続する(と想定されている)。証拠収集のための権限や経費も,被告側とは比較にならないほど大きい。

被告にとって時は金であり取り返しのつかない人生そのものだが,機関・組織としての検察や裁判所にとっては,時間などまったく問題にならない。必要なら100年かけても千年かけても,かまわないわけだ。

この明白な差違も憲法の迅速裁判規定も無視し,あたかも被告と検察官が公平な裁判官の前で裁きを受け,敗訴の場合は,被告側と同様,検察側にも上訴の権利があるなどと強弁するのは,いかに法技術的に洗練(sophisticate)されていようが,三百代言の詭弁(sophism)であり,偽善(hypocrisy)であり,そして,もちろん違憲である。

いうまでもないことだが,一審無罪判決は,警察・検察が強大な捜査権限を行使して捜査したにもかかわらず,有罪にするだけの証拠を法廷に提出できなかった結果に他ならない。無罪判決には,被告側の責任は全くない。検察上訴は,結果に対してまったく責任のない被告側を,全責任を負うべき側が訴えることであり,明らかに正義に反する。現代の三百代言ソフィストならいざ知らず,健全な常識を持つ人であれば誰でも,検察上訴裁判を正義=裁判(justice)とは認めないだろう。

(3)真実解明よりも有罪優先
日本の検察は,真実(真の犯罪事実)の解明よりも,被告を有罪にすることを優先させている。そのためマイナリ裁判でも,検察は捜査で収集した証拠のうち,検察に不利なものは開示しなかった。

常識では,これは正義(justice)に反する。だから不都合な真実を隠して行われた裁判は,本当の裁判(justice)ではなかった。15年後の段階になってようやく,検察が隠していた証拠が弁護団の粘り強い努力により開示され,それらの鑑定により明らかとなった真実(真の犯罪事実)により,マイナリ氏は無罪となった。

この間の15年は,検察にとっても裁判所にとっても,屁のようなもので,痛くも痒くもない。しかしマイナリ氏にとって,1997年(30歳)から2012年(45歳)までの15年間は,本来なら最も充実した壮年期のはず。だが,もはや取り戻しようもない。このような結果は,断じて正義=裁判(justice)ではない。(未完)

→→紹介:『ナラク ゴビンダ・マイナリ獄中日記』(2)

[参照]
ゴビンダ冤罪批判、カトマンズポスト社説
ゴビンダさんの冤罪と日本社会の責任
ゴビンダ・マイナリ氏の再審・無罪判決を
獄中のゴビンダ氏と「支える会」
紹介『東電OL事件:DNAが暴いた闇』
東電OL殺人事件,日弁連会長声明(転載)
東電OL殺人事件,再審決定
Justice for Govinda Mainali jailed in Japan

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/08/05 at 19:13

ネパールとスイス

スイスは,大国に囲まれた小国にとって,つねにモデル国家の一つであった。惨敗により貧困弱小国に転落した日本も,「東洋のスイスたれ」といわれ,一時その気になったこともあるが,すぐ冷戦に組み込まれ,それを利用して身分不相応の経済大国にのしあがった。そして,その泡沫のバブル経済が破綻し,落ち目になると,こんどは軍事大国を目指している。日本は,ほぼ一貫して,「単一民族」の強大国が目標であり,多民族永世中立国スイスはモデル国家とはなり得なかった。

これに対し,ネパールは,印中両大国に挟まれた多民族小国であり,存続のため,多かれ少なかれスイス的な生き方をしてきた。地政学的に,ネパールにとって,それは不可避の選択であったといってもよいであろう。

と,そんなことも考え,スイスを見てくることにした。といっても,割高の個人旅行は無理なので,格安カミカゼ団体旅行でチケットとホテルを確保し,自由時間の範囲内で歩き回ることにした。

スイスについては,ほとんど何の知識も無い。そこで,とりあえず近所の図書館から旅行ガイドを数冊借りてきて目を通したが,いずれも恐ろしく平板・無味乾燥,「スイスなんか行くな!」と警告しているようなものばかり。ネパール旅行ガイドの方が,はるかに充実している。まか不思議?

スイスはこんなつまらない国かな,といぶかり,旅行案内ガイド以外の本を借り,また自分でも何冊か買って読んでみると,またびっくり,いずれもなかなか面白い。俄然,期待がふくらみ,出発が待ち遠しくなった。以下,何冊か紹介する。

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 ■ネパール大使館HP(ジュネーブ)

●長坂道子『「モザイク一家」の国境なき人生:パパはイラク系ユダヤ人,ママはモルモン教アメリカ人,妻は日本人,そして子どもは・・・・』光文社新書,2013年2月
出版されたばかりの新書。著者はフリーのジャーナリスト,エッセイストで,本書の長い副題にある「妻」。内容は,副題が示すように,イラク系ユダヤ人を父としモルモン教アメリカ人を母とするアメリカ国籍の男性と結婚し,スイスに住む著者の「私的世界史」(p3)。

多文化・多民族の未来を先取りしたような一家であり,その日常生活を見ると,国家・国境に閉じ込められ縛られたわれわれの「常識」が根底から覆される。「美しい国」日本の,内弁慶国粋主義者必読文献。

●福原直樹『黒いスイス』新潮新書,2004年3月
著者は,毎日新聞外信部ブリュッセル支局長(出版時現在)。1994年から6年間,ジュネーブ特派員。

書名はおどろおどろしく,また表紙カバー紹介文も次のようになっている。
「永世中立国で世界有数の治安のよさ。米国などを抜き,常に「住んでみたい国」の上位に名を連ねる国,スイス。しかしその実態は――。「優生学」的立場からロマ族を殲滅しようと画策,映画“サウンド・オブ・ミュージック”とは裏腹にユダヤ人難民をナチスに追い返していた過去,永世中立の名の下に核配備計画が進行,“銀行の国”でまかり通るマネーロンダリング……。独自の視点と取材で次々と驚くべき真相を明かす。」

この書名とカバー紹介文からは,センセーショナルな告発本,売らんかなの際物という印象を受ける。しかし,内容そのものは,実際には,第一印象とは逆の上質なジャーナリズムである。

著者は,スイスにはナチとの関係,核開発,相互監視など,「黒い」側面があることを容赦なく指摘する。しかし,それは決して一面的,一方的非難ではなく,スイスの繁栄と平和をより深く理解しようとする生産的な批判である。本書は,心地よい観念論にまどろむ民主主義者や平和主義者にとって,必読文献。

●森田安一『物語 スイスの歴史:知恵ある孤高の小国』中公新書,2000年7月
著者は日本女子大学教授で,専攻はスイス史,宗教改革史(出版時現在)。本書は,ケルト時代から20世紀末までのスイス通史。各時代の問題が簡明に記述されており,興味深く読みやすい。表紙カバーの内容紹介は以下の通り。

「ヨーロッパの中央に位置するスイスはユニークな国である。風光明媚な観光地として知られる一方,国民皆兵の永世中立国でもある。多言語・多文化の連邦国家で,各カントン(州)の自治権が強い。中央集権化に対する国民の反発は根深く,国連やEUにも加盟していない。こうした強烈な個性はどのように形作られたのか。内部分裂の危機と侵略の脅威にさらされつづけた歴史をひもとき,この国に息づく独立心の源をさぐる。」
   (筆者注:2002年9月スイス国連加盟)

●國松孝次『スイス探訪:したたかなスイス人のしなやかな生き方』角川書店,2003年4月
著者は前スイス大使・元警察庁長官。赴任先の国のことを書いた元大使の本にはあまりおもしろいものはないが,本書は別。記述は具体的であり平明。以下,「あとがき」から抜粋。

「スイスがハプスブルク家その他の外国勢力と熾烈な争いを繰りひろげながら,ずっと死守してきたのは,自らの住む共同体の結束と自らのことは自ら決するという住民主権の直接民主制であった。そして,その上に,成熟した多様な地域文化が温存されてきたのである。」(p223)

「スイスは小さい割に複雑で,人々は様々な意見を持ち,したたかである。・・・・十把ひとからげにして『スイス人』などといえる人は,実はどこにもいないのである。」(p226)

●笹本駿二『スイスを愛した人びと』岩波新書,1988年11月
20世紀の巨人5人のスイス滞在を中心に考察。扱われているのは,ローザ・ルクセンブルク,アインシュタイン,レーニン,ジェームス・ジョイス,トーマス・マン。

130519 ■スイス大使館(カトマンズ)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/05/19 at 15:53

カテゴリー: 旅行, , 民主主義

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