ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

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紹介:「ネパールのビール」

図書館で『ネパールのビール』というタイトルの本を見かけたので,借りてきて読んでみた。といっても,「ネパールのビール」は,338ページもの大著に収められた多数のエッセイの一つで,ほんの4ページ余にすぎない短編であった。

いささか,あっけにとられたが,「ネパールのビール」そのものは,大著タイトルとして選んで冠されるのももっとな,感動的なーー文芸春秋特集の意を酌むなら「泣かせる」ーーエッセイであった。

▼日本エッセイスト・クラブ編『ベスト・エッセイ集 ネパールのビール』文芸春秋,1991
*初出:吉田直哉「ネパールのビール」,『文芸春秋』1990年1月号(特集・私がいちばん泣いた話)
ネット掲載「ネパールのビール」全文
  ■91年版『ネパールのビール』

1.「ネパールのビール」梗概
著者は,1985(昭60)年夏,テレビ番組撮影(*1)のためドラカ村(*2)に行き,10日ほど滞在した。ドラカ村は海抜1500mで,斜面に家々が散在,人口は4500人。電気,水道,ガスなし。車道もなく,人びとは荷を背負って移動。

そのため,著者らは,車道終点のチャリコットからポーターを雇い,約1時間半かけ機材や食料をドラカ村まで運んでもらった。ビール(瓶ビール)は重いので,諦めた。

*1 NHK衛星第1「NHK特集・ヒマラヤ・ドラカ村でいま」1986年1月15日10:15~11:00
*2 ドラカ村はチャリコットから約4㎞,いまは道路が付き,バス停もある。
  ■チャリコット~ドラカ村(Google)

撮影で大汗をかいたあと,著者が,ビールを冷やして飲みたいなと口にしたのを,村の少年チェトリが聞き,自分がチャリコットから買ってきてあげると申し出た。

チェトリ少年は遠くの小さな村出身で,ドラカ村に下宿して通学。下宿の薄暗い土間で自炊し,そこで勉強もよくしている。

そのチェトリ少年に,著者は夕方お金を渡し,チャリコットまでビールを買いに行ってもらった。少年は,夜の8時ころ,ビール5瓶を背負い戻ってきた。

翌日も,ビールを飲みたくなった著者は,ビール1ダースぶん以上のお金を渡し,買い出しを頼んだ。

ところが,出掛けた少年は,いつになっても帰ってこない。村人や学校の先生に相談すると,そんな大金をあずけたのなら事故ではなく逃げたのだ,といわれた。これを聞き,著者は,大金で子どもの一生を狂わせてしまった,と深く後悔した。

いたたまれない気持ちで過ごした3日目の深夜,少年がヨレヨレ泥まみれで帰ってきた。チャリコットには3本しかなかったので,山を4つ越えたところで7本買い足したが,帰りに,ころんで3本割ってしまったと,べそをかきながら3本の破片を見せ,釣銭を差し出した。

そんなチェトリ少年を抱きしめ,著者は泣き,そして深く反省した。

2.「泣かせる」が特異ではない話
以上が,「ネパールのビール」の概要。たしかに感動的な「泣かせる」話だ。少年が,著者のために買ったのは瓶ビール10本。3本は割れてしまったとはいえ,重い。それらを背負い,山を4つも越え,持ち帰った。3日目の深夜まで,山道を何時間歩いたのか。お駄賃がもらえるとしても,たかがしれている。想像を絶する忍苦!

著者は,あろうことか,そんな少年を疑ってしまった。それだけに,帰ってきた少年を見て,著者が感動して泣き,深く反省したのは,もっともといえよう。

このように,「ネパールのビール」は感動的な泣かせるエッセイだが,そこで描かれているような出来事は,決して特異なものではない。ネパールを訪れたことのある日本人なら,多かれ少なかれ,幾度も同種の体験をしているはずだ。

3.泣くに泣けない話
私自身も,「ネパールのビール」とほぼ同じころ,初めて訪ネしアンナプルナ・トレッキングをしたとき,同じようなことを体験した。

ポカラから乗客鈴生りジープで川沿いをさかのぼり,ダンプス登り口で下車。さあ出発と前を見ると,絶壁のような急登。恐れをなし躊躇していると,たむろしていた地元の人々が次々と声をかけてきたので,人のよさそうな少年の一人にダンプスまでの荷揚げを頼んだ。年齢ははっきりしないが,日本の中学生くらい。小柄だが,重い荷物の大部分を背負ってくれた。日当は驚くほど安く,たしか2,3百円くらい。それでも荷物を担ぎ,断崖のような山道をどんどん登って行った。

身軽になった私は,おとぎの国のような風景をながめ,写真を撮ったりしながら,休み休み登って行った。そんな私を,大きな荷を背負った地元の人たちが次々と追い抜いていく。女性の方が多く,背負っている荷の中にはコーラやビールのビンが何本も見られる。いかにも重そう。上方の村々に運び上げているのだ。

そうこうするうちに,荷物をもち先に行った少年のことが気になりだした。ダンプスの村で約束通り待っていてくれるだろうか? まさか持ち逃げなどしていないだろうな,などと。わずかの手当てしか払っていないのに,こんな心配。われながら情けなかったが,ダンプスに着くと,そこで少年がちゃんと待っていてくれた。「ネパールのビール」の著者のように泣きはしなかったが,私も,大いに反省させられた。

ダンプスで1泊し,さらにランドルンで1泊,そして最終目的地のガンドルンまで登った。この間,道端の茶店やロッジでビン入りのコーラやビールが売られているのを目にしたが,それらを運び上げる地元女性の姿が目に浮かび,どうしても買って飲むことは出来なかった。

ところが,ガンドルンで歩き回り疲れ果てて,夕方,ロッジに戻ると,無性にビールが飲みたくなり,とうとう一本買って飲んでしまった。うまかった! が,それだけに自分のあまりの意思の弱さが情けなく,やりきれない罪の意識にさいなまれることになった。

はるか下方の登り口から,いやひょっとしたらポカラの町から,女性や少年を含む荷揚げの人々が,何時間も,いや時には何日もかけて,背負い運び上げてきた重い瓶ビールや瓶コーラを,町よりは少し高いとはいえ当時の日本人にとっては全く気にならないほど安い値段で買い,一気に飲んでしまってよいものか? 私の一瞬の,のど越しの快は,ネパールの荷揚げの人々の労苦に見合うものなのか? それは,事実上,彼らの人間としての尊厳を無視した傲慢な搾取を意味するのではないのか?

日本人とネパール地方住民との間には,1980年代中頃にはまだ,想像を絶するほどの生活格差があった。当時,ネパールの地方に行くと,日本人は多かれ少なかれ優越感に捉われるのを禁じえず,と同時に,そうした優越感から行動しているのではないかという自己猜疑に取り憑かれ,不安になる。たとえば,日本であれば,15歳の少年に徒歩往復3時間もかかる遠方に夕方ビールを買いに行かせようとは思いもしなかったであろうし,また,小柄な少年にわずか2,3百円のはした金で重い荷物を背負わせ急峻な山道を登らせようともしなかったはずだ。

ここには,ビールを買ってきてくれた少年や荷揚げをしてくれた少年を疑ったことへの反省だけでなく,それらよりも根源的な自己の優越的地位そのものへのどうしようもない罪悪感があるように思われる。泣くに泣けない自責の念。

1980年代中頃のネパールは,訪ネ日本人の多くにとって,他者との関係において自己を改めて見直す試練の場でもあったのである。

  ■ダンプス~ガンドルン(Google)

4.道徳教育教材としての「ネパールのビール」
「ネパールのビール」は,一見,起承転結の明確なエッセイなので,道徳教育の課題文として多くの学校で使用されてきた。対象は主に2年生。たとえば,次のような報告がある。

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埼玉県立総合教育センター 第2学年○組 道徳学習指導案
1 主題名: 誠実な生き方
2 資料名: 「ネパールのビール」 出典( 自分を考える」あかつき)
4 ねらい: 自分で考え、決めたことは誠実に実行し、その結果に責任をもとうとする心情を養う。

安芸高田市立向原中学校 道徳科指導案 第2学年指導者:上田 仁
主題名:人間のすばらしさ(よりよく生きる喜び)
教材名:「ネパールのビール」
筆者とチェトリくんの生き方の違いを対比させることを通して,人間の醜さに気づくと共に,人間の持つ強さや気高さを信じ,人間として誇りある生き方を見いだそうとする道徳的心情を育てる。

岩手県立総合教育センター 第2学年 道徳学習指導案 指導者:伊藤千寿
主題名:信頼感
内容項目:人間の強さと気高さ、生きる喜び
資料名:「ネパールのビール」
人間は信頼に値すると思う相手に対してであっても、状況によっては疑いの気持ちをもってしまうことがある。それは気持ちの弱さとも言えるが、よほど相手を知り尽くしているのでない限りは仕方がないことでもある。しかし、それを超える誠実さに触れることによって、疑ってしまったことを悔いたり、相手が信頼に値する人間であることを再認識したりすることもある。そのような経験を繰り返す中で、自分も弱さをもっていることを認めたうえでそれを乗り越えることのできる可能性を信じられるようになり、そのことがやがて喜びをもって生きていくことにつながると考える。

【参照】西部中学校「道徳の授業~ネパールのビール~」2018年2月28日

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中学2年道徳科の課題文としてであれば,「ネパールのビール」がこのような読み方をされるのも,もっともかもしれない。

5.もう一つの読み方
しかしながら,その一方,人それぞれの考え方や行動は,その人の生まれ育ってきた環境に大きく規定され(存在被拘束性),それが原因で解消の容易ではない誤解や対立が生じることにも目を向けるようにすることが必要であるように思われる。

異文化,異社会,異国家等の間の相互理解や和解は,そう容易ではない。「ネパールのビール」も,よく読めば,それを暗示しているように思われる。これは,永遠の課題と覚悟せざるをえない。

道徳教育では,学習レベルに応じた形で,相互理解の困難さ,その場合の対応の仕方ーー単純明快な解答のない場合の問題への対処の仕方ーーについても議論し,考えを深めていくべきではないだろうか。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2021/08/06 at 10:49

ガディマイ祭:動物供儀をめぐる論争(5)

3.動物供儀反対派の主張
(1)国際人道的動物愛護協会(Humane Society International)

(2)ネパール動物福祉連盟(Federation of Animal Welfare Nepal)
「ガディマイ動物供儀―ネパールの恥」(*28)
「『仏陀と平和の国』か,それとも『野蛮な大量動物供儀の国』か」(*28)
「ネパールは “Visit Nepal 2020” を掲げているのに,このままでは2019年末には世界は再び残虐な動物虐殺を目にすることになる。われわれは,このような動物に対する残虐と暴力をやめ,この国を模範的な『仏陀と平和の国』とすることが出来るはずだ。」(*28)
「わが連盟は,最高裁命令に真っ向から反するこの残虐な虐殺儀式に強く抗議する。」(*16)

■FAWN FB / HP

(3)倫理的動物処遇を求める人々(People for the Ethical Treatment of Animals)
①ミミ・ベケッチ(PETA事務局長)
「ネパールの役人たちは,何千もの動物を守ると約束したが,その約束は守られなかった。今日から始まる暴力的大量殺戮の場へと,動物たちは引きずられ運ばれていった。ネパール政府は,このような大量殺戮を二度とさせないよう強制力を行使すべきだ。さもないと,観光ボイコットを受けるだろう。・・・・信心深い人々は,口をそろえて,恐怖と残虐を要しない良き宗教の方を非難するが,寡婦焚死や幼児供儀が無くなったように,恐ろしい動物屠殺の祭りも終わらせなければならない。
 ・・・・切り裂かれるときの動物たちの悲しそうな表情や苦しみを見るのは,恐ろしく,ぞっとする。それはネパールの評判を傷つける。慈悲深いネパール市民の皆さんすべてに,このような野蛮な祭りをやめさせるための国際抗議運動への参加をお願いしたい。」(*21)

■PETA HP, Dec 2019

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2020/01/01 at 14:40

ガディマイ祭:動物供儀をめぐる論争(4)

3.動物供儀反対派の主張
動物愛護諸団体は,ガディマイ祭での動物供儀をやめさせるため大々的な運動を繰り広げてきたが,今年も阻止は出来なかった。それでも,彼らの反対運動は西洋を中心に支持を拡大しており,いずれネパール政府もガディマイ寺院も動物供儀廃止に追い込まれる公算は大とみざるをえない。

では,動物愛護諸団体が動物供儀に反対する理由は,具体的にはどのようなものであろうか? 以下,代表的な反対論をいくつか,重複もあるが,紹介する。

(1)国際人道的動物愛護協会(Humane Society International)
①ウェンディ・ヒギンズ(HSI報道担当)
「残虐な殺し方,それに疑いの余地はない。動物たちは,太刀のようなもので首を切り落とされる。悲惨なことに,動物たちは仲間の目の前で殺され,なかには自分の子供の目の前で殺される母親もいる。調査団が殺し方を直に目撃し報告しているところによれば,少なくとも水牛は多くの場合,すぐに落命することはない。苦しそうに幾度かあえぎながら,死んでいくのだ。」(*19)

■Humane Society International, HP

②HSI-印
「伝統と信仰のワナから抜け出せば,動物供儀が残虐な時代錯誤であることは自ずと明らかになる。倫理的ないし進歩的を自認する社会にとって,動物供儀は唾棄すべき呪いのようなものだ。
 道徳的根拠はとりあえず別にするとしても,動物供儀の禁止は,環境や経済の観点からも重要だ。供儀の場では,腐敗死骸や糞便が病原体を増殖させ,様々な人畜疫病を広めることになる。1995年にネパールで「小反芻獣疫(PPR,ヤギ疫病)が発生したが,これはガディマイに動物を集めたため流行したのだとみられた。動物供儀はまた,農業にとって大切な,健康な家畜の減少をもたらす。さらに,供儀参加者の多くは貧しく,その彼らにとって,動物を求め供儀するに必要な経費は途方もない額に及び,耐えがたい経済的重荷となる。
 それに加えて,このような動物供儀は動物への暴力を助長するものであり,大人も子供もそれを見ているのだ。多くの学者がはっきりと立証したように,暴力的な行為(対人間,対動物を問わず)を目にした人々は,子供も大人も,人間に対しても暴力的となる傾向がある。暴力をなくすことは,動物のためだけではない。それは,人間のためであり,この地域の中核的文化価値たる無殺生のためである。」(*7)
「何世代にもわたって迷信により正当化され伝統として受け入れられてきたこの種の儀式を止めるよう民衆を説得しなければならない。」(*7)

③アルカブラバ・バール(HSI-印)
「若い水牛たちが殺された水牛に躓きながら歩き,子牛たちは水牛が屠殺されるのを見つめ,また別の水牛たちは刃を逃れようとしたが,尻尾や後足をつかまれ,引き倒された。」(*8)

④ガウリ・マンレキ(HSI-印顧問)
「動物供儀は時代錯誤きわまる行事であり,現代世界では,そのようなことを喜ぶ国は一つもない。」(*3)

⑤アロクパルナ・セングプタ(HSI-印事務局長)
「国境でわれわれが多くの山羊,鳩,水牛を救ったので,信者らは以前のガディマイ祭のときより何千も少ない水牛しか買うことが出来なかった。今回は無血ガディマイを実現できなかったが,そのうち必ず,この身の毛もよだつ見世物を終わりにさせるつもりだ。」(*20)

■Humane Society International / India, FB 2019/12/05

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2019/12/31 at 10:31

晩春の山村

晩春の陽気に誘われ,丹後半島の山奥の小さな村を訪れた。豪雪地帯だが,さすがにもう雪はなく,菜の花や八重桜が満開だった。

山間の十数戸の家屋は独特の建築様式で,新緑に馴染み,なかなか趣がある。が,ここでも過疎化が進んでいるらしく,あちこちに廃屋が見られた。

伝統的な家屋を村として修復保存できれば,近くに高速道路の出入り口が開設されたこともあり,観光名所になる可能性は十分にあるのだが,いまのところその気配は感じられない。残念。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/04/25 at 15:01

師走の村(2)

冬の村の生活は,以前ほどではないが,それでもなお厳しい。家には雪囲いがされ,道路わきの消火栓にはコモが着せられている。小道沿いの斜面には,横穴式の「芋穴」が掘られ,寒さに弱いサツマイモなどが,その中に保存されている。伝統的な村の生活だ。


 ■村遠景


 ■土蔵と三角屋根住居/雪囲いと南天


 ■土蔵の壁と雨だれ/斜面の芋穴

■コモを着た消火栓

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2017/12/22 at 09:17

カテゴリー: 自然, 農業, 文化, 旅行, 歴史

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宝塚の桜

宝塚の桜は,4月9~10日が満開。あいにくの小雨,曇天だったが,電力補助自転車(*1)で,ちょっと回り道し見てきた。

最も風情があるのは,山麓古道沿いの古木並木の桜。宣伝されないので近所の人しか来ないが,実に美事。花見客に見られ囃され誉めそやされることなく,それでも古道を包み隠さんばかりに咲き盛る桜は,この上なく華やかで,そして切ない。生のはかなさ,死の予感さえ抱かせる。たしかに日本人好み。死の美化にさんざん利用されてきたのも,もっともだ。

これと対照的なのが,宝塚歌劇場付近の桜。美しくはあるが,古道沿いの桜のような切なさ,哀愁は感じさせない。観光用の見世物であり,だから写真にとっても,魂を抜かれたり,祟られたりすることはない。

▼宝塚歌劇場付近の桜

(*1)蓄電池使用の電力補助自転車は優れもの。急坂でも難なく登れる。ただブレーキ制動力が弱く,速度を出すと危険。賠償保険加入を義務付けるべきだ。性能向上は革命的であり,電力補助98%といった高性能自転車も出るだろうが,これは自転車?

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2017/04/11 at 10:07

カテゴリー: 文化, 歴史

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秘境の観光資源

東海道途中下車で,寸又峡・接岨峡に行ってきた。大井川鉄道で1時間半,アプト式鉄道やバスでさらに1時間ほど。南アルプス南部の秘境だ。

峡谷は,ダムや道路でかなり破壊されているが,それでもまだまだ自然にあふれ,そこここに,ちょい古の昭和が点在している。日が落ちると,谷間のせせらぎ沿いに,無数の蛍が乱舞していた。

驚いたのは,こんな秘境の奥の奥にも,アジア諸国から観光客が来ていたこと。団体旅行ではなく,青年男女数名グループが多かった。かつて日本人がネパールに古き良き昔を探し求めたのと同じような心境かもしれない。

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谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/06/10 at 09:06

カテゴリー: 自然, 文化, 旅行, 歴史

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花の宝塚とゼロ戦と特攻顕彰碑

散歩がてら近所の桜見物に出かけた。公園や古道沿いの桜は満開,ウグイスがさえずり,カワセミ(!)が小川の岸の茂みから小魚をうかがう。春爛漫。

陽気に誘われ,ちょっと足を延ばし――といっても十数分だが――宝塚聖天(七宝山了徳密院)に行くと,ここも満開,スミレや山ツツジなども咲き,まるで別天地。

と,そのとき,上方に巨大なゼロ戦が現れた。おそらく実物大,いまにも出撃しそうだ。ギョッとし,おそるおそる近づくと,それは戦没者慰霊堂「光明殿」(昭和53年8月建立)の屋上に設置された精巧なモニュメントであった。

この「光明殿」に祀られているのは全国陸海空戦没者250万の英霊ということだが,ここで特に目につくのは予科練(海軍飛行予科練習生)の顕彰・慰霊である。宝塚聖天は以前から知っており,近くを幾度か通ったこともあるが,まったくもって不覚なことに,宝塚とは切っても切れない関係にある,この異彩を放つ光明殿とゼロ戦の存在には,まったく気づかなかった。

 150401h■宝塚聖天付近(同HPより

海軍というと,内陸の宝塚になぜその予科練がといぶかしがられるかもしれないが,宝塚には訓練のための適当な建物や用地あるいは川西航空機製作所(その跡地が阪神競馬場)などもあったこともあり,昭和18年8月「海軍航空隊宝塚分遣隊」が設置され,20年3月には「宝塚海軍航空隊」へと昇格した。本拠は「宝塚新温泉」。

宝塚に集められたのは,第13期~16期甲種海軍飛行予科練習生(甲飛)。年齢は14~20歳くらいで各期約1000人,常時3500~4000人が訓練を受けていたという。

宝塚歌劇場は接収され,大劇場は体操場,音楽学校は通信訓練用,バレエ稽古場は住居として使用された。この間,歌劇団は「移動隊」「唱舞団」「挺身隊」などとして知覧,満州などへの慰問や,川西航空機などへの勤労奉仕に動員された。

宝塚海軍航空隊は,戦況悪化により昭和20年6月解隊。設置期間は短かったが,ここで訓練を受けた甲種飛行予科訓練生(甲飛)からは特攻要員が各地に送られた(人数不明)。とくに,第13期甲飛卒業生の多くは,特攻機に乗ることすら叶わず,人間魚雷「回天」要員に回されたという(人数不明)。また,第16期訓練生たちは要塞構築に動員され,昭和20年8月2日,鳴門海峡で米機攻撃を受け,82名が戦死した。

いまの華やかな宝塚からは,ほんの数十年前,14~20歳の少年や青年が搭乗訓練あるいは特攻訓練をうけ,また清楚で可憐なタカラジェンヌ(ヅカガール)たちが慰問や勤労奉仕に動員されたことなど,よほどのことがなければ想像もつかないだろう。

宝塚歌劇が華麗であればあるほど,桜花が咲き誇れば誇るほど,「宝塚海軍航空隊」は思い起こされてしかるべきである。宝塚観劇の前に,あるいは後に,宝塚聖天に参拝する。宝塚歌劇の感動が,より深く心に刻まれることは,いうまでもない。

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■満開の桜とゼロ戦(寺院境内より)/光明殿(慰霊堂)正面

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■光明殿上のゼロ戦/光明殿内

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■「神風特別攻撃隊之魁 甲飛十期之碑」/戦死者墓碑(光明殿前)

150401b ■遺書・遺詠(光明殿右下)

*「<終戦69年 消えゆく証>宝塚聖天/訓練施設跡」神戸新聞NEXT,2014年8月14日
*「宝塚プラス:花薫り めぐり 100年」毎日新聞,2014年4月15日
*「衣装を作業服へ-戦時下の宝塚歌劇」朝日デジタルhttp://astand.asahi.com/entertainment/starfile/OSK201208130039.html
*「海軍飛行予科練習生」朝日新聞朝刊広島,2011年9月1日
*「予科練とは?」(『月刊予科練』平成20年11月号)http://www.geocities.jp/bane2161/yokaren.html
*WIKI「宝塚海軍航空隊」「海軍飛行予科練習生」

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2015/04/02 at 17:08

カテゴリー: 軍事, 平和, 歴史

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ガンジーは「企業お抱えNGO」元祖: アルンダティ・ロイ

アルンダティ・ロイが,またまたガンジー(ガンディー,ガーンディー)を批判し,猛反撃を受けている。

120903 ■ロイ

ロイは,以前からガンジーの非暴力不服従運動には懐疑的であった。ロイによれば,ガンジー主義は,観衆を前提とする劇場型抵抗であり,たとえばチャッティスガルの村でのように,完全に包囲され外部から遮断された状況ではまったく無力だというのだ。

これは,ガンジーに対するロマン・ロランの批判と原理的には同じである。すなわち,たとえ観衆がいても,聞く耳を全く持たないヒトラーのような支配者には,ガンジー主義は無力だ,ということ。

【参照】
ガンディー劇場型抵抗の限界:A.ロイ
Un-Victim: 「武器を持つガンディー」としてのロイ(1)
2010/04/23 アルンダティ・ロイのインド・マオイスト取材報告(8) (7) (6) (5) (4) (3) (2) (1) 

また,カースト制についても,ロイは2014年7月17日のケララ大学での講演において,「理想的バンギ(The Ideal Bhangi)」(1936)を引き合いに出し,ガンジーを「カースト主義者」と批判し,ガンジーの名を冠した大学などの機関は改名すべきだと述べ,告訴騒ぎを引き起こしていた(*3-5)。

【参照】Gandhi,”The Ideal Bhangi,” Harijan,28 November,1936
The ideal Bhangi of my conception would be a Brahmin par excellence, possibly even excel him. It is possible to envisage the existence of a Bhangi without a Brahmin. But without the former the latter could not be. It is the Bhangi who enables society to live. A Bhangi does for society what a mother does for her baby. A mother washes her baby of the dirt and insures his health. Even so the Bhangi protects and safeguards the health of the entire community by maintaining sanitation for it. The Brahmin’s duty is to look after the sanitation of the soul, the Bhangi’s that of the body of society. But there is a difference in practice; the Brahmin generally does not live up to his duty, the Bhangi does, willy-nilly no doubt. Society is sustained by several services. The Bhangi constitutes the foundation of all services. [….]

このように,ロイのガンジー批判は周知のことだったが,今回は,それらに加え,ガンジーを「企業NGO」元祖と断罪したのだ(*1-2)。

3月21日,ロイは「第10回 ゴラクプル映画祭」に出席し,開会スピーチを行った。ロイはこう述べた。インドでは,タタなど大財閥がほとんどすべてを支配し,言論表現も例外ではない。アメリカで,フォード財団やロックフェラー財団が「資本主義プロパガンダ」を支援しているのと同じこと。ところが,この映画祭は企業支援を受けず,人々の寄付で10年間にわたり運営されてきた。これは高く評価される。

そもそもガンジーは,「この国の最初の企業お抱えNGO」である。「彼(ガンジー)は,ダリット,女性,貧者について実にひどいことを書いているのに,この国では彼を崇め礼拝している。これは,この国の最大の誤りの一つだ。」

以上のようなロイの発言に対し,会場からは,偉大な国父ガンジーを「企業の手先」などと呼ぶべきではない,といった激しい反論が出された。これに対しロイは,「私は,彼(ガンジー)についてよく研究し,彼が1909~1946年に書いたものに基づき,こう述べたのだ」と答えた。ロイのガンジー批判は筋金入りだ。

ロイは,おそらく現代の最も過激で行動的な反体制知識人の一人であり,そして何より素晴らしいのは,本質を突く鋭い議論を巧みなレトリックで表現し提供してくれる,その有り余るばかりのサービス精神。こんな面白くて為になる危険な過激派知識人は,現代ではまれといってよいだろう。

*1 Abdul Jadid, “Mahatma Gandhi was first corporate sponsored NGO of the country: Arundhati Roy,” Hindustan Times, Mar 22,2015
*2 Pratishtha Khattar,”Striking Sparks: Arundhati Roy On Gandhi, Again,” 23 Mar,2015 (http://economydecoded.com/2015/03/striking-sparks-arundhati-roy-on-gandhi-again.html)
*3 Viju B,”Mahatma Gandhi was a casteist, Arundhati Roy says,” The Times of India, Jul 18, 2014
*4 Jason Burke,”Arundhati Roy accuses Mahatma Gandhi of discrimination,”The Guardian, 18 July 2014
*5 “Gandhi Looked Down upon Dalits, Says Arundhati Roy,” Express News Service,18th July 2014

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2015/03/31 at 14:20

30党連合,第二波抗議闘争

マオイスト主導30党連合は,3月19日~4月9日,多数決ではなく合意による憲法の制定を求め,第二波抗議闘争を実施する。ゼネスト(バンダ)もあるらしい。

一方,バイダ派マオイスト(CPN-M)は,プラチャンダ派マオイスト(UCPN-M)に接近,再統合を交渉している。NC,UMLの出方にもよるが,いまのところ早急な再統合は難しそうだ。

肝心の新憲法については,草案は何通りか出来上がっているはずだが,1月22日期限切れ以降,これといった動きはない。次は5月末といわれているが,さてどうなるか?

そもそも,ネパールに本当に成文憲法は必要なのか? 正式成文憲法などなくても,あった時と大差なく,そこそこうまくやっていけているのだから,やはり成文憲法などいらないのではないか? 

英国がお手本。成文憲法などなくても,その気になれば,やっていける。日本製信号機などなくても,ネパールの交差点は,ちゃんと立派に機能している。それと同じこと。

▼セピア色のネパール:1993年8月
150316c ■ダクシンカーリ。退色し補正しきれない。新憲法ができると,ここでの動物供犠も禁止されるかもしれない。

150316d ■時間はまだ時計に奪われることなく,ふんだんに有り余っていた。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2015/03/18 at 10:41

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