ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

Archive for the ‘歴史’ Category

セピア色のネパール(7):懐かしき暖色の古都

初めてネパールに行った1980年代後半の頃のカトマンズは,「暖色の古都」であった。

日本では蛍光灯や水銀灯が普及し,街も村も青白い光に照らされ,明るくはあるが無機質の冷たい感じは否めなかった。

ところが,ネパールでは,1990年代後半頃までは,照明はほとんどが暖色系のナトリウム灯か白熱灯,あるいは灯火であった。飛行機が日没後,カトマンズ盆地上空に近づくと,暖色に柔らかく包まれた街や村が下方に小さく見え始め,旋回,下降につれ大きくなり,ほどなくして,その暖色の街の中へと機は着陸する。

はじめてこの暖色の夜景を目にしたとき,カトマンズは,まるで不思議のおとぎの国の古都のように思われた。2回,3回と訪れると,その思いに,そこはかとない懐かしさの念が積み重なっていった。わが村や町も,戦後しばらくは,これに近い夜景だったからだ。

しかも,カトマンズ盆地の暖色系の暖かさは,夜景だけではなかった。盆地の街や村では,建物にも道路や広場にもレンガが多用されており,昼間も,暖色系の優しい雰囲気を醸し出していた。まだ車が少なかったので,レンガ敷きの道路も広場も美しく維持されていた。

レンガといえば,もう一つ忘れがたいのが,郊外のレンガ工場。一面レンガ色にくすむ広い敷地と大きなレンガ窯,そして,そこにそそり立つ異様に高い煙突。日本では目にしたことのない不思議な光景であり,訪ネのたびにキルティプルやバクタプル付近のレンガ工場を見に出かけていた。

こうしたカトマンズ盆地の暖色の優しい光景は,1990年代後半以降,急速に失われて行き,いまでは多くの地域で,日本と大差ない合理的で冷たい感じの街や村へと変貌してしまっている。

■スワヤンブより市内遠望。まだ農地や空き地が多い(1986年3月)
■旧王宮付近。建物はほとんどレンガ造り(1986年3月)
■カトマンズ市内のレンガ畳(1986年3月)
■バクタプル付近のレンガ工場(1986年3月)

【参照】煉瓦と桜のキルティプール  田園に降り立つ神

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2022/09/17 at 19:07

カテゴリー: ネパール, 社会, 文化, 歴史

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セピア色のネパール(6):写真自動補正の怪

ここまで1993年と94年の写真を数百枚デジタル化し,そのうちの十数枚をこのブログに掲載してきた。

ここで,あることに気づき,愕然とした。ーーセピア色に多かれ少なかれ退色したプリント写真が,何回も自動修正され,色彩豊かなカラー写真に蘇生しているのだ。いったい,どうしたことか?

写真の自動修正は,何段階かで行われているようだ。まず簡易スキャナーで取り込んだとき最初の修正が行われ,次にデータを写真ソフトで再読み込みし保存したとき2回目の修正が行われ,そしてブログ投稿写真をスマホやパソコンで表示したとき3回目の修正が行われているらしい。もっと多段階かもしれないが,素人の私には,この3段階しか見当がつかない。

これら写真自動修正機能のうち,今回,特に驚いたのが,スマホによる画像補正能力の高さ。私のスマホは格安アンドロイドだが,それでも投稿写真を表示させると,すべて見違えるほどカラフルになっている。高級スマホなら,もっと「美しく」表示されるに違いない。

これは,「美しい写真」を見たいという一般的な願望は叶えることになろうが,「私の中でセピア色化しつつあるネパール」の提示という,私自身の本来の意図には反することになる。

このような他者には気づかれないような,そして自分でも注意していなければ気づかないような修正や変更が,現代社会では,写真だけではなく他の情報についても,いたるところで行われている。情報はどこかで操作され,見たいと思い込まされているものを見せられているーー恐ろしい。

(補足)今のスマホには,多かれ少なかれ,被写体全体の中から見たいものや見るべきものを選択し,補正・修正し,強調して写し表示する機能があるらしい。「見たいもの」「見るべきもの」は誰が決めるのか? 写真機の,そこにあるがままの「真」を写し撮りたいという積年の悲願は,放棄されてしまったらしい。

■カトマンズ(1993年3月)カラー写真
■白黒変換した上記写真。セピア色のネパールにはこちらの方が適切かも。

谷川昌幸(c)

Written by Tanigawa

2022/09/04 at 17:17

セピア色のネパール(3):マルクス・レーニン・毛沢東と古来の神仏たち

ネパールに初めて行った頃,街でも村でも,共産主義の様々なシンボルやプロパガンダがヒンドゥー教や仏教の神仏たちと,いたるところで並存・混在しているのを見て驚いた。まるで共産主義が神仏と共闘しているかのようだ。

日本でも,かつて革新勢力の牙城だった京都が,これに似た状況にあった。京都には古い寺院が多く,確固とした伝統と地域社会への影響力を保持していた。また一方,京都には大学も多くあり,庶民に京都の誇りとして一目置かれ,大切にされていた。その京都の大学では当時,社会主義や共産主義を支持し活動する教職員や学生が多数いたが,庶民は「大学さんやから」とこれを黙認し,あるいは支持さえしていた。京都では,本来異質な伝統的宗教と革新的社会主義・共産主義が平和共存していたのである。

その京都を目の敵にし,京都への強権的介入を始めたのが,自民党政権。が,この中央からの介入は,誇り高き京都の逆鱗に触れた。京都の寺院勢力と社共革新勢力は,自民党中央政府への抵抗・反対で利害が一致し,従来の消極的平和共存の枠から一歩外に出て,陰に陽に「共闘」することになった。他地域から見れば,これは無節操な「野合」かもしれないが,政治的には実利があり,その限りでは十分に合理的な選択であった。

この京都の状況を見ていたので,ネパールにおける共産主義と神仏の並存・混在それ自体には驚かなかったが,ネパールにおけるそれは京都の比ではなかった。いたるところで,仏陀とその弟子やヒンドゥーの神々たちが,マルクス・レーニン・毛沢東・ゲバラらと相並び,庶民を見守っていたのだ。

政治的打算や実利は,むろん双方にあっただろう。が,実際にはそんな表面的なものではないことが,すぐに判った。多くの人々が,伝統的なヒンドゥーや仏教の生活様式ーーカースト制などーーを堅持しつつ,同時に他方ではマルクス,レーニン,毛沢東,チェ・ゲバラらのスローガンや肖像をかかげ,行進したり集会を開いたりしていた。たとえば,当時の「共産党‐統一マルクスレーニン派」も,正統的中道の会議派(コングレス党)以上に,ヒンドゥー王国の守護者たる王族と近い関係にあった。左手に共産党宣言,右手に古来の経典!

ネパールは,政治的にも「神秘の国」だったのだ。

■カトマンズ市内 1993年8月

谷川昌幸

Written by Tanigawa

2022/08/30 at 17:02

セピア色のネパール(1):写真のデジタル化保存

ネパールに初めて行ってから早や四半世紀。撮りためた写真も,その時々の記憶も鮮明さを失い,セピア色に退色しつつある。自然の摂理とはいえ,淋しさを禁じ得ない。

そこで,身辺整理も兼ね,写真をデジタル化し,保存することにした。

といっても,もともと記録・整理が不得手なうえに転勤・転居が重なり,写真はあちこちに散乱,撮影日時・場所の特定もできないものが多い。そのため史料的価値のない写真が大半であろうが,デジタル化すれば,少なくとも重くて嵩張る紙焼き写真は処分できる。

そう自分を納得させ,小型スキャナーを買い求め,デジタル化に着手した。以下,いくつかご紹介する。(掲載写真はスキャナー付属ソフトで自動補正済。)

■ダクシンカリ(1993年3月)
■カトマンズ(1993年頃)

参照】ネパール写真史料
*民族学博物館 ネパール写真データベース
*Internet Archive: Nepal Bhasa Historic Images

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2022/08/27 at 15:46

紹介:「ネパールのビール」

図書館で『ネパールのビール』というタイトルの本を見かけたので,借りてきて読んでみた。といっても,「ネパールのビール」は,338ページもの大著に収められた多数のエッセイの一つで,ほんの4ページ余にすぎない短編であった。

いささか,あっけにとられたが,「ネパールのビール」そのものは,大著タイトルとして選んで冠されるのももっとな,感動的なーー文芸春秋特集の意を酌むなら「泣かせる」ーーエッセイであった。

▼日本エッセイスト・クラブ編『ベスト・エッセイ集 ネパールのビール』文芸春秋,1991
*初出:吉田直哉「ネパールのビール」,『文芸春秋』1990年1月号(特集・私がいちばん泣いた話)
ネット掲載「ネパールのビール」全文
  ■91年版『ネパールのビール』

1.「ネパールのビール」梗概
著者は,1985(昭60)年夏,テレビ番組撮影(*1)のためドラカ村(*2)に行き,10日ほど滞在した。ドラカ村は海抜1500mで,斜面に家々が散在,人口は4500人。電気,水道,ガスなし。車道もなく,人びとは荷を背負って移動。

そのため,著者らは,車道終点のチャリコットからポーターを雇い,約1時間半かけ機材や食料をドラカ村まで運んでもらった。ビール(瓶ビール)は重いので,諦めた。

*1 NHK衛星第1「NHK特集・ヒマラヤ・ドラカ村でいま」1986年1月15日10:15~11:00
*2 ドラカ村はチャリコットから約4㎞,いまは道路が付き,バス停もある。
  ■チャリコット~ドラカ村(Google)

撮影で大汗をかいたあと,著者が,ビールを冷やして飲みたいなと口にしたのを,村の少年チェトリが聞き,自分がチャリコットから買ってきてあげると申し出た。

チェトリ少年は遠くの小さな村出身で,ドラカ村に下宿して通学。下宿の薄暗い土間で自炊し,そこで勉強もよくしている。

そのチェトリ少年に,著者は夕方お金を渡し,チャリコットまでビールを買いに行ってもらった。少年は,夜の8時ころ,ビール5瓶を背負い戻ってきた。

翌日も,ビールを飲みたくなった著者は,ビール1ダースぶん以上のお金を渡し,買い出しを頼んだ。

ところが,出掛けた少年は,いつになっても帰ってこない。村人や学校の先生に相談すると,そんな大金をあずけたのなら事故ではなく逃げたのだ,といわれた。これを聞き,著者は,大金で子どもの一生を狂わせてしまった,と深く後悔した。

いたたまれない気持ちで過ごした3日目の深夜,少年がヨレヨレ泥まみれで帰ってきた。チャリコットには3本しかなかったので,山を4つ越えたところで7本買い足したが,帰りに,ころんで3本割ってしまったと,べそをかきながら3本の破片を見せ,釣銭を差し出した。

そんなチェトリ少年を抱きしめ,著者は泣き,そして深く反省した。

2.「泣かせる」が特異ではない話
以上が,「ネパールのビール」の概要。たしかに感動的な「泣かせる」話だ。少年が,著者のために買ったのは瓶ビール10本。3本は割れてしまったとはいえ,重い。それらを背負い,山を4つも越え,持ち帰った。3日目の深夜まで,山道を何時間歩いたのか。お駄賃がもらえるとしても,たかがしれている。想像を絶する忍苦!

著者は,あろうことか,そんな少年を疑ってしまった。それだけに,帰ってきた少年を見て,著者が感動して泣き,深く反省したのは,もっともといえよう。

このように,「ネパールのビール」は感動的な泣かせるエッセイだが,そこで描かれているような出来事は,決して特異なものではない。ネパールを訪れたことのある日本人なら,多かれ少なかれ,幾度も同種の体験をしているはずだ。

3.泣くに泣けない話
私自身も,「ネパールのビール」とほぼ同じころ,初めて訪ネしアンナプルナ・トレッキングをしたとき,同じようなことを体験した。

ポカラから乗客鈴生りジープで川沿いをさかのぼり,ダンプス登り口で下車。さあ出発と前を見ると,絶壁のような急登。恐れをなし躊躇していると,たむろしていた地元の人々が次々と声をかけてきたので,人のよさそうな少年の一人にダンプスまでの荷揚げを頼んだ。年齢ははっきりしないが,日本の中学生くらい。小柄だが,重い荷物の大部分を背負ってくれた。日当は驚くほど安く,たしか2,3百円くらい。それでも荷物を担ぎ,断崖のような山道をどんどん登って行った。

身軽になった私は,おとぎの国のような風景をながめ,写真を撮ったりしながら,休み休み登って行った。そんな私を,大きな荷を背負った地元の人たちが次々と追い抜いていく。女性の方が多く,背負っている荷の中にはコーラやビールのビンが何本も見られる。いかにも重そう。上方の村々に運び上げているのだ。

そうこうするうちに,荷物をもち先に行った少年のことが気になりだした。ダンプスの村で約束通り待っていてくれるだろうか? まさか持ち逃げなどしていないだろうな,などと。わずかの手当てしか払っていないのに,こんな心配。われながら情けなかったが,ダンプスに着くと,そこで少年がちゃんと待っていてくれた。「ネパールのビール」の著者のように泣きはしなかったが,私も,大いに反省させられた。

ダンプスで1泊し,さらにランドルンで1泊,そして最終目的地のガンドルンまで登った。この間,道端の茶店やロッジでビン入りのコーラやビールが売られているのを目にしたが,それらを運び上げる地元女性の姿が目に浮かび,どうしても買って飲むことは出来なかった。

ところが,ガンドルンで歩き回り疲れ果てて,夕方,ロッジに戻ると,無性にビールが飲みたくなり,とうとう一本買って飲んでしまった。うまかった! が,それだけに自分のあまりの意思の弱さが情けなく,やりきれない罪の意識にさいなまれることになった。

はるか下方の登り口から,いやひょっとしたらポカラの町から,女性や少年を含む荷揚げの人々が,何時間も,いや時には何日もかけて,背負い運び上げてきた重い瓶ビールや瓶コーラを,町よりは少し高いとはいえ当時の日本人にとっては全く気にならないほど安い値段で買い,一気に飲んでしまってよいものか? 私の一瞬の,のど越しの快は,ネパールの荷揚げの人々の労苦に見合うものなのか? それは,事実上,彼らの人間としての尊厳を無視した傲慢な搾取を意味するのではないのか?

日本人とネパール地方住民との間には,1980年代中頃にはまだ,想像を絶するほどの生活格差があった。当時,ネパールの地方に行くと,日本人は多かれ少なかれ優越感に捉われるのを禁じえず,と同時に,そうした優越感から行動しているのではないかという自己猜疑に取り憑かれ,不安になる。たとえば,日本であれば,15歳の少年に徒歩往復3時間もかかる遠方に夕方ビールを買いに行かせようとは思いもしなかったであろうし,また,小柄な少年にわずか2,3百円のはした金で重い荷物を背負わせ急峻な山道を登らせようともしなかったはずだ。

ここには,ビールを買ってきてくれた少年や荷揚げをしてくれた少年を疑ったことへの反省だけでなく,それらよりも根源的な自己の優越的地位そのものへのどうしようもない罪悪感があるように思われる。泣くに泣けない自責の念。

1980年代中頃のネパールは,訪ネ日本人の多くにとって,他者との関係において自己を改めて見直す試練の場でもあったのである。

  ■ダンプス~ガンドルン(Google)

4.道徳教育教材としての「ネパールのビール」
「ネパールのビール」は,一見,起承転結の明確なエッセイなので,道徳教育の課題文として多くの学校で使用されてきた。対象は主に2年生。たとえば,次のような報告がある。

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埼玉県立総合教育センター 第2学年○組 道徳学習指導案
1 主題名: 誠実な生き方
2 資料名: 「ネパールのビール」 出典( 自分を考える」あかつき)
4 ねらい: 自分で考え、決めたことは誠実に実行し、その結果に責任をもとうとする心情を養う。

安芸高田市立向原中学校 道徳科指導案 第2学年指導者:上田 仁
主題名:人間のすばらしさ(よりよく生きる喜び)
教材名:「ネパールのビール」
筆者とチェトリくんの生き方の違いを対比させることを通して,人間の醜さに気づくと共に,人間の持つ強さや気高さを信じ,人間として誇りある生き方を見いだそうとする道徳的心情を育てる。

岩手県立総合教育センター 第2学年 道徳学習指導案 指導者:伊藤千寿
主題名:信頼感
内容項目:人間の強さと気高さ、生きる喜び
資料名:「ネパールのビール」
人間は信頼に値すると思う相手に対してであっても、状況によっては疑いの気持ちをもってしまうことがある。それは気持ちの弱さとも言えるが、よほど相手を知り尽くしているのでない限りは仕方がないことでもある。しかし、それを超える誠実さに触れることによって、疑ってしまったことを悔いたり、相手が信頼に値する人間であることを再認識したりすることもある。そのような経験を繰り返す中で、自分も弱さをもっていることを認めたうえでそれを乗り越えることのできる可能性を信じられるようになり、そのことがやがて喜びをもって生きていくことにつながると考える。

【参照】西部中学校「道徳の授業~ネパールのビール~」2018年2月28日

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中学2年道徳科の課題文としてであれば,「ネパールのビール」がこのような読み方をされるのも,もっともかもしれない。

5.もう一つの読み方
しかしながら,その一方,人それぞれの考え方や行動は,その人の生まれ育ってきた環境に大きく規定され(存在被拘束性),それが原因で解消の容易ではない誤解や対立が生じることにも目を向けるようにすることが必要であるように思われる。

異文化,異社会,異国家等の間の相互理解や和解は,そう容易ではない。「ネパールのビール」も,よく読めば,それを暗示しているように思われる。これは,永遠の課題と覚悟せざるをえない。

道徳教育では,学習レベルに応じた形で,相互理解の困難さ,その場合の対応の仕方ーー単純明快な解答のない場合の問題への対処の仕方ーーについても議論し,考えを深めていくべきではないだろうか。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2021/08/06 at 10:49

ガディマイ祭:動物供儀をめぐる論争(5)

3.動物供儀反対派の主張
(1)国際人道的動物愛護協会(Humane Society International)

(2)ネパール動物福祉連盟(Federation of Animal Welfare Nepal)
「ガディマイ動物供儀―ネパールの恥」(*28)
「『仏陀と平和の国』か,それとも『野蛮な大量動物供儀の国』か」(*28)
「ネパールは “Visit Nepal 2020” を掲げているのに,このままでは2019年末には世界は再び残虐な動物虐殺を目にすることになる。われわれは,このような動物に対する残虐と暴力をやめ,この国を模範的な『仏陀と平和の国』とすることが出来るはずだ。」(*28)
「わが連盟は,最高裁命令に真っ向から反するこの残虐な虐殺儀式に強く抗議する。」(*16)

■FAWN FB / HP

(3)倫理的動物処遇を求める人々(People for the Ethical Treatment of Animals)
①ミミ・ベケッチ(PETA事務局長)
「ネパールの役人たちは,何千もの動物を守ると約束したが,その約束は守られなかった。今日から始まる暴力的大量殺戮の場へと,動物たちは引きずられ運ばれていった。ネパール政府は,このような大量殺戮を二度とさせないよう強制力を行使すべきだ。さもないと,観光ボイコットを受けるだろう。・・・・信心深い人々は,口をそろえて,恐怖と残虐を要しない良き宗教の方を非難するが,寡婦焚死や幼児供儀が無くなったように,恐ろしい動物屠殺の祭りも終わらせなければならない。
 ・・・・切り裂かれるときの動物たちの悲しそうな表情や苦しみを見るのは,恐ろしく,ぞっとする。それはネパールの評判を傷つける。慈悲深いネパール市民の皆さんすべてに,このような野蛮な祭りをやめさせるための国際抗議運動への参加をお願いしたい。」(*21)

■PETA HP, Dec 2019

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2020/01/01 at 14:40

ガディマイ祭:動物供儀をめぐる論争(4)

3.動物供儀反対派の主張
動物愛護諸団体は,ガディマイ祭での動物供儀をやめさせるため大々的な運動を繰り広げてきたが,今年も阻止は出来なかった。それでも,彼らの反対運動は西洋を中心に支持を拡大しており,いずれネパール政府もガディマイ寺院も動物供儀廃止に追い込まれる公算は大とみざるをえない。

では,動物愛護諸団体が動物供儀に反対する理由は,具体的にはどのようなものであろうか? 以下,代表的な反対論をいくつか,重複もあるが,紹介する。

(1)国際人道的動物愛護協会(Humane Society International)
①ウェンディ・ヒギンズ(HSI報道担当)
「残虐な殺し方,それに疑いの余地はない。動物たちは,太刀のようなもので首を切り落とされる。悲惨なことに,動物たちは仲間の目の前で殺され,なかには自分の子供の目の前で殺される母親もいる。調査団が殺し方を直に目撃し報告しているところによれば,少なくとも水牛は多くの場合,すぐに落命することはない。苦しそうに幾度かあえぎながら,死んでいくのだ。」(*19)

■Humane Society International, HP

②HSI-印
「伝統と信仰のワナから抜け出せば,動物供儀が残虐な時代錯誤であることは自ずと明らかになる。倫理的ないし進歩的を自認する社会にとって,動物供儀は唾棄すべき呪いのようなものだ。
 道徳的根拠はとりあえず別にするとしても,動物供儀の禁止は,環境や経済の観点からも重要だ。供儀の場では,腐敗死骸や糞便が病原体を増殖させ,様々な人畜疫病を広めることになる。1995年にネパールで「小反芻獣疫(PPR,ヤギ疫病)が発生したが,これはガディマイに動物を集めたため流行したのだとみられた。動物供儀はまた,農業にとって大切な,健康な家畜の減少をもたらす。さらに,供儀参加者の多くは貧しく,その彼らにとって,動物を求め供儀するに必要な経費は途方もない額に及び,耐えがたい経済的重荷となる。
 それに加えて,このような動物供儀は動物への暴力を助長するものであり,大人も子供もそれを見ているのだ。多くの学者がはっきりと立証したように,暴力的な行為(対人間,対動物を問わず)を目にした人々は,子供も大人も,人間に対しても暴力的となる傾向がある。暴力をなくすことは,動物のためだけではない。それは,人間のためであり,この地域の中核的文化価値たる無殺生のためである。」(*7)
「何世代にもわたって迷信により正当化され伝統として受け入れられてきたこの種の儀式を止めるよう民衆を説得しなければならない。」(*7)

③アルカブラバ・バール(HSI-印)
「若い水牛たちが殺された水牛に躓きながら歩き,子牛たちは水牛が屠殺されるのを見つめ,また別の水牛たちは刃を逃れようとしたが,尻尾や後足をつかまれ,引き倒された。」(*8)

④ガウリ・マンレキ(HSI-印顧問)
「動物供儀は時代錯誤きわまる行事であり,現代世界では,そのようなことを喜ぶ国は一つもない。」(*3)

⑤アロクパルナ・セングプタ(HSI-印事務局長)
「国境でわれわれが多くの山羊,鳩,水牛を救ったので,信者らは以前のガディマイ祭のときより何千も少ない水牛しか買うことが出来なかった。今回は無血ガディマイを実現できなかったが,そのうち必ず,この身の毛もよだつ見世物を終わりにさせるつもりだ。」(*20)

■Humane Society International / India, FB 2019/12/05

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2019/12/31 at 10:31

晩春の山村

晩春の陽気に誘われ,丹後半島の山奥の小さな村を訪れた。豪雪地帯だが,さすがにもう雪はなく,菜の花や八重桜が満開だった。

山間の十数戸の家屋は独特の建築様式で,新緑に馴染み,なかなか趣がある。が,ここでも過疎化が進んでいるらしく,あちこちに廃屋が見られた。

伝統的な家屋を村として修復保存できれば,近くに高速道路の出入り口が開設されたこともあり,観光名所になる可能性は十分にあるのだが,いまのところその気配は感じられない。残念。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/04/25 at 15:01

師走の村(2)

冬の村の生活は,以前ほどではないが,それでもなお厳しい。家には雪囲いがされ,道路わきの消火栓にはコモが着せられている。小道沿いの斜面には,横穴式の「芋穴」が掘られ,寒さに弱いサツマイモなどが,その中に保存されている。伝統的な村の生活だ。


 ■村遠景


 ■土蔵と三角屋根住居/雪囲いと南天


 ■土蔵の壁と雨だれ/斜面の芋穴

■コモを着た消火栓

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2017/12/22 at 09:17

カテゴリー: 自然, 農業, 文化, 旅行, 歴史

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宝塚の桜

宝塚の桜は,4月9~10日が満開。あいにくの小雨,曇天だったが,電力補助自転車(*1)で,ちょっと回り道し見てきた。

最も風情があるのは,山麓古道沿いの古木並木の桜。宣伝されないので近所の人しか来ないが,実に美事。花見客に見られ囃され誉めそやされることなく,それでも古道を包み隠さんばかりに咲き盛る桜は,この上なく華やかで,そして切ない。生のはかなさ,死の予感さえ抱かせる。たしかに日本人好み。死の美化にさんざん利用されてきたのも,もっともだ。

これと対照的なのが,宝塚歌劇場付近の桜。美しくはあるが,古道沿いの桜のような切なさ,哀愁は感じさせない。観光用の見世物であり,だから写真にとっても,魂を抜かれたり,祟られたりすることはない。

▼宝塚歌劇場付近の桜

(*1)蓄電池使用の電力補助自転車は優れもの。急坂でも難なく登れる。ただブレーキ制動力が弱く,速度を出すと危険。賠償保険加入を義務付けるべきだ。性能向上は革命的であり,電力補助98%といった高性能自転車も出るだろうが,これは自転車?

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2017/04/11 at 10:07

カテゴリー: 文化, 歴史

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