ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

Archive for the ‘民主主義’ Category

ゴビンダ医師のハンスト闘争(5)

2.ゴビンダ医師ハンスト略年表
ネパールの情報化はすさまじく,ゴビンダ医師関係記事もおびただしい数量にのぼる。たとえば,ネット版「リパブリカ(マイ・リパブリカ)」だけでも,医学教育問題再燃の4月末頃からゴビンダ医師第15回ハンスト問題ほぼ決着の8月中旬までの間に,ゴビンダ医師関係記事が,短信を除いても,160本以上掲載されている。社説や長い署名記事も少なくない。他紙も,リパブリカほどではないが多くの記事を載せているし,インド各紙も詳しく伝えている。とても追い切れない。

さらに,出来事の日付特定に困るのが,記事により日付が異なることが少なくないこと。いずれが本当なのか? また,日付ではなく曜日使用の慣行も困りもの。「法案を木曜日に提出した」とか「首相が日曜日に会見した」といった形で,日付ではなく曜日が一般に記事では用いられる。多くは前後関係で日付がわかるが,出来事が錯綜していたり以前の出来事であったりすると日付が判然としない場合も少なくない。そのためカレンダーとにらめっこしながら,曜日から日付を割り出す作業を繰り返す。面倒くさいうえに,どうしてもはっきりしない時もあり,いらだつ。なぜ,日付にしないのだ!
 ■カトマンズポストの曜日表記

というわけで,以下の略年表にも不正確な部分があるかもしれない。ご容赦願いたい(随時補足,訂正予定)。

(1)ゴビンダ医師の15回のハンスト

開始年月日 ~ 終了年月日
第1回 2012.07.05~2012.07.08
第2回 2012.08.11~2012.08.17
第3回 2014.01.11~2014.01.24
第4回 2014.02.08~2014.02.15
第5回 2015.02.20~2015.03.03
第6回 2015.08.24~2015.09.06
第7回 2015.09.19~2015.09.29
第8回 2016.07.10~2016.07.24
第9回 2016.09.26~2016.10.07
第10回 2016.11.13~2016.12.04
第11回 2017.07.24~2017.08.15
第12回 2017.09.25~2017.09.27
第13回 2017.10.05~2017.10.18
第14回 2018.01.08~2018.01.13
第15回 2018.06.30~2018.07.26

 *ゴビンダ・KC:1957年3月25日生

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/10/07 at 11:40

ゴビンダ医師のハンスト闘争(4)

1.民主的専制とサティヤグラハ:ネパールから学ぶ(4)
ゴビンダ医師のハンスト(サティヤグラハ)は,こうしたネパール社会の現状を踏まえたうえで行われたものだが,そこには日本のわれわれにとっても学びうるものが少なからず存在するように思われる。

現代の日本は,自由や権利も民主主義も,制度的にはネパールと同様,憲法等により明確に保障されている。ところが,現実には,政治は野党の無原則な離合集散,萎縮により与党政府の思いのまま,民主主義の土台をなす政治倫理は衰弱し,国民の諸権利も侵食される一方だし,社会は政財界バックの市場原理主義により格差拡大,少数勝者の楽園となりつつある。日本国民の多くは正当な権利も健康で文化的な生活も満足には保障されていないのに,現体制は民主主義により成立し,支持を拡大し,着々と永続化に向け前進している。現代日本は,露骨な強権的専制ではなく,柔らかい,真綿で絞められるような「民主的専制」ないし「多数者専制」に陥りつつあるとみるべきである。構造的には,ネパールと同じではないか?

むろん,現代の日本にはネパールとは比較にならないほど長い,豊富な自由主義と民主主義の経験がある。しかし,たとえそうではあっても,日本政治が先の希望が見えない時代閉塞的な状況に陥りつつあるという点では,ネパールと同じである。日本でも,民主主義はいまや,富者・勝者がつくり出す国民多数派のものである。少数派が国民に訴え,支持を広め,民主的に体制を変えることは,ますます困難になりつつある。

たとえば,憲法改正について,これまでよく目にしてきたのは反対派の署名活動や意見広告であった。改正賛成派の同様の動きは,いまのところそれほど活発ではない。しかし,もし改正賛成派が,機塾せりと見て,一般国民向けの署名活動や意見広告を本格的に始めたらどうなるか? おそらく形勢一転,署名活動も意見広告も改憲派圧倒的優勢となるだろう。反対派は,街に出ても,新聞を開いても,テレビをつけても,改憲派の署名活動や意見広告を見聞きすることになる。民主国では,体制が民主的であればあるほど,反体制派の反対運動は困難となる。


 ■護憲派意見広告(朝日2007/5/3)/改憲派意見広告(産経&読売2018/6/28)

いまの日本は,そのような反政府少数派の反対運動が困難なソフトな「民主的専制」に陥りつつある。この状況では,体制側の政策に反対するには,民主主義以外の方法をも模索せざるをえない。そうした方法のうち,非民主的だが倫理的に正当であり,困難を極めるが実行されれば極めて効果的と思われるのが,サティヤグラハである。ここでゴビンダ医師のサティヤグラハとしてのハンスト闘争の紹介を試みるのは,このような問題意識からである。

ただし,ここでは,ゴビンダ医師の第15回ハンストにつき,全過程を跡付けたうえで,首尾一貫した形で紹介することは,断念せざるをえない。ハンストをめぐる動きが極めて複雑なうえ,このところの情報化により関係情報もおびただしい数量にのぼるからである。以下では,主な出来事や論点ごとに紹介していく。時間の前後や記述の濃淡,重複などが生じるかもしれないが,ご容赦願いたい。

■ガンディーのハンスト(AP, 1943/2/11)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/10/02 at 13:50

ゴビンダ医師のハンスト闘争(3)

1.民主的専制とサティヤグラハ:ネパールから学ぶ(3)
このような現代型「民主的専制」が行われているとき,人々はそれに対しどのような方法で抵抗できるのか? 

民主主義そのものの第一原理は,あくまでも理念的には主権者人民の自治であり,方法的には多数決である。個人の自由や権利は自由主義ないし個人主義の原理。したがって民主国では国民多数派が政府を組織し,政策を決定し施行する。そして,この政策の決定・施行が民主的な手続きに則って行われている限り,その政策への不服従は,論理的には,民主的ではないことになる。

むろん民主国では一般に,国民の自由や権利が保障されているので,少数派が自分たちの意見を広め多数の支持を得,自ら多数派となって政府を民主的に変えることは,論理的には可能である。が,先述のように,民主国の政府は民主的に国民を教化するので,教化が進めば進むほど,少数派が国民に訴え支持を広めることは,実際には困難となる。現代型「民主的専制」の成立である。

このようなとき採りうる抵抗手段の一つが,「サティヤグラハ」である。サティヤグラハは,他の人々がどうであれ,不正をただすため一人敢然と立ち,実行する。その意味で,それは多数派に依存せず,したがってそれ自体は「非民主的」な政治闘争である。いまのネパールは,そのようなサティヤグラハに訴えざるをえないような状況になりつつある。

サティヤグラハは,このように民主的方法に依存しないので民主的専制に対しても有効でありうるが,その一方,その闘争行為が人々に見聞きされなければ効果を発揮できないこともまた事実である。ガンジーの一連のサティヤグラハが成功したのも,それが地域から全国へ,そして世界へと広く知られるようになったからである。いまのネパールはどうか?

ネパールはいま,情報化が急激に進み,地域の出来事であっても全国に,いや全世界に瞬く間に知れ渡るようになった。以前のネパールでも情報は口コミなどで伝わっていたが,情報伝播は,量と質の点でも速さと広さの点でも,現代の比ではない。いまのネパールは情報化社会であり,そこはすでに,知られることを大前提とするサティヤグラハが効果を発揮しうる社会状況となっていると見てよいであろう。


 ■与党絶対多数の代議院(WIKIより作成2018年9月30日)/ゴ医師連帯FB(2016年8月30日)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/10/01 at 14:39

ゴビンダ医師のハンスト闘争(2)

1.民主的専制とサティヤグラハ:ネパールから学ぶ(2)
それにしても,なぜいまハンストなのか? ネパールは民主化し,最高水準の民主的な2015年憲法も制定され施行されているのではないか?

ゴビンダ医師のハンストは,直接的にはネパールの保健医療分野の不正を告発し抜本的な改革を要求するものだが,それは同時に,その不正を容認し助長しているネパール民主主義の現状に対する真っ向からの異議申し立てともなっている。

ネパールの民主化は,マオイスト人民戦争(1996-2006年)後,急激に進み,2008年には王制が廃止され連邦共和制となり,そして2015年にはその成果を法的に確定する2015年憲法が制定された。この現行2015年憲法は,国民の権利と民主主義を詳細に規定しており,これによりネパールは少なくとも制度的には世界最高水準の民主国の一つとなった。

しかし,制度はできても,その運用には相当の経験と努力が必要である。ネパールの場合,前近代的・半封建的王制から21世紀的包摂民主主義体制に一気に飛躍したため,人権と民主主義の経験が乏しく,そのため様々な前近代的因習や慣行が根深く残る一方,他方では現代的な市場経済や自由競争社会の論理が有力者によりご都合主義的に利用され始めている。国民各人に保障されるはずの自由や権利は,実際には旧来の,あるいは新興の富者や強者のものとして利用され,そしてそれが民主主義の名により正当化され保護される。憲法規定の民主主義は,富者や強者が,彼ら独占のメディアや彼らの意を体する議会等の統治諸機関を通して国民を教化し,操作し,動員し,かくして彼らの特殊利益に奉仕させるための格好の手段となりつつある。現代型の「民主的専制」といってもよいであろう。


■ネパール憲法2072(2015)/代議院(下院)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/09/30 at 15:02

ゴビンダ医師のハンスト闘争(1)

1.民主的専制とサティヤグラハ:ネパールから学ぶ(1)
ゴビンダ・KC医師(博士,TU教授)が,ネパール保健医療の抜本的改革を求め,15回目のハンストを行った。ハンストは,6月30日カルナリ州ジュムラで開始され,7月26日強制移送されたカトマンズで終了した。27日間にも及ぶゴビンダ医師最長のハンスト。
 *ハンスト(ハンガーストライキ):要求実現のための絶食による非暴力的闘争。

この生命を賭した壮絶な決死のハンストは,保健医療分野の人々を中心に共感を呼び起こし,ゴビンダ支持運動が拡大,結局,オリ政府をしてゴビンダ医師要求をほぼ全面的に受け入れさせることとなった。約束の実行はまだだが,そしてネパールでは約束実行の反故は珍しくないとはいえ,それでも確固たる信念に基づくハンスト闘争の現代における有効性を,ゴビンダ医師のハンストは十二分に実証したといってもよいであろう。

ゴビンダ医師のハンストは,悪政に対し率先して自ら一人敢然と立ち,正義実現のため公然と敢行される非暴力の政治闘争であった。それは,言い換えるなら,ガンジー(ガンディー)の唱えた「サティヤグラハ(सत्याग्रह, 真理要求,真理把持)」に他ならない。ガンジーはネパールではなぜかあまり人気がないが,今回の劇的勝利により,ゴビンダ医師を「ネパールのガンジー」と呼んだり,そのハンストを「サティヤグラハ」として評価する人も出始めた。ゴビンダ医師のハンストは,国内に限定された地域的政治闘争の一つとしてだけではなく,普遍的意義をも持ちうる「サティヤグラハ」としても注目され始めたのである。

■ゴビンダ医師支持FB

谷川昌幸(C)

キリスト教攻撃激化と規制強化(2)

1.キリスト教の利用から排斥へ
ネパールの体制派(the Establishment)にとって,近年の最大の危機は,いうまでもなくマオイスト人民戦争(1996~2006年)であった。マオイスト(毛沢東主義派)は,ヒンズー教旧体制が差別し周縁化してきた低カーストや少数諸民族を糾合して旧体制と戦い,優勢裡に和平に持ち込み,ヒンズー教王制を廃止して世俗共和制の新体制を発足させ,そこに有力な勢力の一つとして参画した。

しかし,その一方,新体制は革命ではなく和平により成立したため,旧体制の制度的中核たるヒンズー教王制(ビシュヌ神化身たる国王の統治)は廃止され,ネパールは世俗共和制に転換したものの,それを除く旧体制の諸勢力の多くは新体制を受け入れ,そこに参加していった。

このヒンズー教王国から世俗共和制への転換にキリスト教がどう関与したのか,いまのところ,それはよくわからない。ただ,キリスト教は長年,旧体制により厳しく禁止され弾圧されてきたので,その転換に希望を抱いてきたことは間違いない。事実,キリスト教徒は,1990年民主化運動の頃から潜伏していた人々も徐々に表に出始め,人民戦争を経て現在に至るまで着実に数を増やしてきた。

そのキリスト教は,ネパールでは,欧米諸国に物心両面で強力に支援されている,と見られてきた。したがって,ネパールで権力闘争が激しくなればなるほどキリスト教利用のメリットは大きくなり,いずれかの勢力がアプローチして何ら不思議ではなかったが,ネパールでは1990年民主化運動以降も,つい最近まで,政治家個人によるキリスト教接近・利用の試みは散発的に見られたものの,政党等が本格的・組織的にキリスト教と連携を図る動きはなかった。それは,おそらくキリスト教がネパールでは党派を超え取扱厳重注意だったからであろうし,現在もなお一般にキリスト教はそう見られている。

しかしながら,キリスト教が近現代欧米の人権や民主主義と不可分の関係にあることは言うまでもない。したがって,途上国が開発促進のため欧米先進諸国の支援をえて近現代的な人権・民主主義の実現を目指すことになれば,それは自ずとキリスト教にとっても好ましい政治的・社会的状況がそこに生じることはまぎれもない事実である。

欧米諸国は,このキリスト教と近現代的な人権・民主主義との不可分の関係を十二分にわかったうえで,宗教と政治を巧妙に使い分け,途上国への影響力を拡大してきた。かつての「宣教師と軍隊」が,近現代風に洗練され「キリスト教と人権・民主主義」となったといっても,決して言い過ぎではあるまい。国家世俗化と宗教の自由がその典型。ネパールでも,この問題を筆頭に,人権や民主主義に関する多くの諸問題において,キリスト教と欧米世俗権力は多かれ少なかれ共闘関係にある。(参照:改宗勧奨: 英国大使のクリスマス・プレゼント)いまのネパールでは,キリスト教を擁護すれば欧米諸国家の支援が,近現代的人権・民主主義を唱えればキリスト教社会の支援が何らかの形で期待できるのである。

英大使の改宗勧奨

ネパールの政治家はみな,そんなことは百も承知。和平後新体制もジレンマを感じてはいたであろうが,開発・民主化促進は何よりの急務,キリスト教を警戒しつつも,欧米諸国の支援をえるため,キリスト教に宥和的ないし協力的な姿勢をみせ始めていた。(*4)

ところが,ネパール新体制の,このようなキリスト教に対する宥和的な態度は,ここにきて逆転,再び悪化し始めた。「アジアンアクセス」のジョー・ハンドリー代表は,こう指摘している――

この数年間,ネパール側は孤児,人身売買,職業訓練などに関する教会事業を高く評価してきた。そして,「一緒に頑張ろう! 活動をもっと自由にするので,ネパール社会を変えてほしい」などと言っていた。「共産党政府は,教会指導者らに憲法制定への参加さえ要請した。その憲法が3,4年前に制定され,宗教の自由が新たな局面を迎えた。」

ところが,いまや一転,ヒンズーナショナリストのロビー活動や政府筋からの新たな規制圧力により「これらの自由は後戻りさせられている」。キリスト教指導者は殺すと脅迫され,教会は爆破され,墓地は禁止され,キリスト教徒の子供たちは学校でいじめられている。(*4)

――以上のハンドリーの指摘は,むろんキリスト教会の側からのものだが,最近の布教禁止刑法制定や一連の教会攻撃をみると,大筋ではおおむね事実に沿っており妥当といってよいであろう。

*4 Alex Anhalt, “New pressure faces Nepalese Christians,” Mission Network News, 12 June 2018


■英有力紙ガーディアンのセンセーショナルな暴露記事,「『金でキリスト教布教』:ネパールでの魂の闘い」(The Guardian, 15 Aug 2017)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/08/07 at 10:06

カテゴリー: 宗教, 民主主義, 人権

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最高裁長官解任のネパール,首相無答責の日本(2)

2.安倍首相の政治責任,棚上げ
一方,日本ではいま,森友学園への国有地売却をめぐり,行政権の長たる安倍首相の責任を棚上げにしようとする動きがある。無責任きわまる首相無答責への流れ。

日本国民はつい最近まで,正直・誠実を誇りとし,諸外国からもそれを称賛されてきた。会社では社員が勤務に精励し,顧客との約束を果たすため誠実に努力してきた。役所では,公務員たちが,しばしば融通が利かないとイヤミを言われるほど規則を忠実に守り,国民のために誠実に仕事をしてきた。この規則や約束を守り最大限努力する誠実さこそが,国際社会における日本の評価を高め,日本を急速に発展させ,日本をして世界有数の豊かな国とするに至った最も根源的な文化的要因の一つである。

ところが,その日本の生命線といってもよい誠実さが,このところ急速に失われ始めた。しかも,中小諸組織よりもむしろ有名大企業や国家諸機関から。

記憶に新しいところでは,日産自動車の完成車無資格検査不正,三菱自動車の燃費データ改ざん,神戸製鋼所の製品データ改ざん,東芝会計不正など。いずれも日本の代表的企業であり,にわかには信じられないほどの不誠実さだ。

行政諸機関の不誠実も目に余る。いま問題になっている森友学園への国有地売却においては,財務省が不公正な売却手続きを取り,それを隠すため関係書類を改ざんし,国会に提出した。まだ国会審議も検察捜査も終わってはいないが,朝日新聞報道をきっかけに改ざん以前の文書が確認され公表されたことにより,改ざんはもはや疑いえない事実となった。

近現代国家の官僚制にとって,合理的な規則と文書の尊重は原則中の原則。客観的な合理的規則により割り当てられた職務を遂行し(公私分離主義),その経緯を文書に記録して残し(文書主義),他者や後世の検証・評価に供する。官僚制(行政機関・公務員)が,もしこの大原則への誠実さを失えば,統治への信頼は根本から崩れ,国民生活は危機に瀕する。民主的な「良き統治(good governance)」の崩壊だ!

森友学園国有地売却事件は,まさにこの「良き統治」崩壊の危機であり,関係者の責任は免れないが,現状では責任追及は担当部局の財務省理財局や近畿財務局の関係者にとどまりそうな雲行きだ。

そもそも近畿財務局が国有地売却にあたって森友学園を特別扱いしたのは,安倍首相夫人と学園との親密な関係からして首相夫妻がこの案件のバックにいると考えたからに他ならない。したがって,首相夫妻の具体的な土地売却関与があれば無論のこと,たとえ関係部局職員の「忖度」であったとしても,「忖度」せざるをえないような状況をつくり,あげくは文書改ざんにまで手を付けさせた首相の政治責任は免れない。M・ウェーバーが力説したように,政治は結果責任であり,首相こそが責任を取るべき行政権の長に他ならないからである。

しかしながら,それにもかかわらず,日本政界には,いまのところ安倍首相に引責辞任を迫る大きな動きは見られない。日本の統治(governance)は,企業においても国家においても,深刻な危機に陥っている。

■施政方針演説確認中の安倍首相(官邸FB:1月22日)

3.ガバナンス開発援助の危機
日本の途上国支援は,道路,橋,ダム,空港,港湾などのインフラ建設支援から,法令整備や行政改革,司法近代化などのための開発援助に力点を移してきた。ハードからソフトへ。「良き統治」のためのガバナンス開発援助である。

ところが,企業不正がはびこり,官僚制が合理性を失い,首相ら政治家が当然引き受けるべき政治責任を引き受けようとしないのが今の日本。その「良き統治」を失いつつある日本が,途上国に向かって「良き統治」を説く。まるでマンガ!

「合理的な規則をつくり,誠実にそれを守り職務を遂行しなさい。」
「はい,分かりました。そうします! で,お宅ではどうなっていますか?」

谷川昌幸(C)