ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

Archive for the ‘自然’ Category

山に展望台,街に人造動植物:ネパールの景観破壊

ネパールでは,山や丘の上に展望台をつくったり,道路わきや広場に人造動植物モニュメントを設置するのが流行っているという。観光客や買い物客を呼び寄せ,村おこしや街活性化を図るのが目的だろうが,自然・文化景観の観点からの反対も少なくない。

1.いくつかの事例
(1)山上の展望台
▼第1州:イラムの山の上に,予算8千万ルピーで展望台建設予定。
▼第3州:12の山の頂上に,予算1億8千万ルピーで展望台建設予定。
▼ポカラ:「サランコット開発5カ年計画(予算2億9千万ルピー)」で市近郊にケーブルカー,展望台,公園,ヘリポート,博物館,ホテルなどを設置予定。

[批判]
「連邦,州,地方自治体の権力亡者たちが,われわれの苦労して働き納めた税金を,あちこちの山の上に無用な展望台を建てるのに浪費している。彼らのスローガンは,『1つの丘に1つの展望台』。・・・・惨めなカネの浪費というべきか,バカらしい嘲笑のタネというべきか。」(*1)

「サランコットからの景観は比類なきものなのに,1千万ルピーもかけて,そこに展望台をつくるとは,まったく信じがたいことだ。」(*2)

「ネパールの山々は,もともと世界で最も高い山々だ。頂上からの景色は自然の絶景だ。それなのに,そこを20メートルばかり嵩上げすることに何の意味があるのか。そんなものではなく,これらの山々には,公衆トイレ,快適な宿,ゴミ処理施設など,もっと適切なものをつくるべきではないか。」(*1)

211122aKathmandu P, 2021/9/3

(2)コンクリやプラスチックの人造動植物
▼各地の道路わきや広場:コンクリ(コンクリート)やプラスチックで,コブシや沙羅の木,蓮の花,ニンニク,タマネギなどが造られ,設置されている。
▼ウダイプル:コンクリ製のブタ(予算600万ルピー)。
▼モラン郡:世界最大のコンクリ製牝牛

[批判]
「中央政府や地方自治体の役人たちは,『観光振興』を名目に巨額の予算をつけ,交差点や公園にコンクリやプラスチックのレプリカを設置している。」(*3)

「村でも町でも新しいことが流行り始めた。交差点や公園などにコンクリやプラスチックの造形物を設置することだ。」(*3)

211122bonlinekhabar.com, 2021/4/21
(3)万里の長城
カトマンズ北方のヘランブでは,観光振興のため,60kmにも及ぶ巨大な人造壁の建設が計画されている。

[批判]
「コンクリ製の塔や神話上の人物,あるいは石造りの壁などを見に,わざわざ訪ネする観光客がいるとは思われない。」(*1)

2.欧米や日本でも
山上の展望台や広場の人造モニュメントは,ネパールではいま急増し始めたばかりだが,欧米や日本では,はるか以前から設置されてきた。

たとえば,ヨーロッパ・アルプス。幾度かトレッキングに行き,急峻な山岳の迫力や山麓の絵のように美しい光景に魅了されたが,その一方,いたるところにケーブルカー,展望台など人造物が設置され,しかも景観とはそぐわない奇抜なデザインや色も少なくなく,いたく失望させられた。

たとえばモンブラン(モンテビアンコ)には,仏伊両国側から頂上近くまでケーブルカーで登り,そこの展望台から周囲を見回すことが出来る。が,それで何が得られるのか?

ケーブル終点の展望台は標高3777mもの高所! 観光客はすぐ高山病の症状に襲われ,寒さで震え上がる。見えるのは,相対的に――3777mも――低くなってしまった山々。氷河はあっても,山々の風景そのものは平凡。観光客は暖房の利いた軽食店や土産物屋に駆け込み,金を巻き上げられ,早々に,ケーブルカーに駆け戻り,下山することになる。

日本にも,そんな高山観光施設が,いくつもある。

が,山にしても地域にしても,有名なところは,まだましだ。悲惨なのが,そうでないところ。大金をかけ観光施設を設置しても,赤字垂れ流しで維持するか,さもなければ放置・荒廃,あるいは撤去だ。残るは,自然・文化景観の無残な破壊と赤字だけ。

そんなところが,日本中,いたるところにある。

211122dモンブラン・ロープウェイ
3.先進国の景観破壊から学ぶべきこと
先進諸国の環境保護派・景観保護派は,自分たちの,これまでのすさまじい環境・景観破壊には頬かむりして途上国にお説教するきらいがあるが,彼らの主張そのものには耳を傾けるべきところも少なくない。

ネパールの人造構造物による山岳観光開発や地域振興も,いくつかは成功するかもしれないが,他の大部分は失敗し,無残な残骸と負債を残すだけとなるだろう。

先進諸国の失敗から学ぶべきことは,少なくない。

*1 “EDIFICE COMPLEX, We need more health posts, affordable medical care and quality schools. Not more statues of mythical figures, and view towers,” Editorial,Nepali Times,July 26, 2019

*2 “The decline in Nepali public aesthetics; Why are we spending millions on view towers on hilltops, where the view is already worthwhile?,” Kathmandu Post, September 3, 2021

*3 Rabindra Ghimire, “‘More trees’for less greenery: The ‘concrete’ irony in Nepal’s cities,” english.onlinekhabar, April 21, 2021

*4 “Five-year master plan mooted for extensive development of Sarangkot,” Himalayan, Dec 16, 2017

*5 Umesh Pun, “Nepal’s tallest Shiva statue being built in Pokhara, expected to boost religious tourism,” Republica, November 9, 2020

*6 日々のネパール情報
 ▼ネパールの巨大猫|新宿3D猫にネコに負けてないかも!
 ▼ハッティチョウク、ガイダチョウク(象の交差点とサイの交差点)/チトワン・ソウラハ

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2021/11/23 at 11:47

紹介:「ヒマラヤに呼ばれて」

児童文学作家による「ネパール人との深い交流」の体験を描いた長編ノンフィクション。
 ▼さとう・まきこ「ヒマラヤに呼ばれてーこの世に偶然はないー」ヒカルランド,2018

著者は1991年,43歳のとき,「な~んとなく」ネパールへトレッキングに出かけ,その自然と文化と,そしてとりわけ人に魅了されてしまう。

「ネパールの貧しい少年を母として見守ることになった筆者。マン[上記少年」をはじめとするネパール人との深い交流の中,筆者の生活や価値観は大きく変わっていく」(表紙キャプション)

このようなネパールとの関わり方は,ネパールに出かけたことのある日本人の多くにとって,著者ほど深くはないにせよ,多かれ少なかれ自ら身をもって体験したことであり,したがって本書を読むと,そのことが懐かしく,また時には自責の念に駆られつつ,思い起こされるにちがいない。

私の場合,初めてネパールに行ったのは著者のほんの数年前,ルートも,著者のその後の訪ネの際のものと合わせると重なる部分が多い。

ロイヤルネパール航空(RNA)ーーカトマンズーーポカラーーフェディーーダンプスーーランドルンーーガンドルン

本書を読んでいると,私自身の初の訪ネの際の途方もない当惑と驚きと感動の日々を追体験しているようであった。

(C)谷川昌幸

Written by Tanigawa

2021/06/26 at 17:29

コロナ禍からの漠たる未来不安

昨夕,新型コロナ(COVID 19)ワクチンを接種してもらった。1回目。しばらくすると,左腕の接種部分付近がしびれ始め,夜になると,鈍痛が左腕全体に広がってきた。

左腕の鈍痛だけではない。身体が注入された異物(ワクチン)を攻撃し始めたのか,ほてった感じで,いつまでも眠くならない。とうとう,一睡もしないまま,朝になってしまった。

ワクチンを接種してもらった左腕の鈍痛は,今日の午後になって,さらにひどくなった。このへんがピークだとは思うが,さていつまで続くやら・・・・。

それにしても,このような自然界にはない人造ワクチンを世界中の80億もの人々の相当数――理想的には全員――に接種しなければ,コロナ流行が止められないとは,なんたる恐ろしい,SFが現実化したような時代になってしまったものか。

世界のコロナ感染者累計(人)

むろん,新型コロナのような感染症の大流行そのものについては,公衆衛生をはじめ様々な分野で研究がすすめられ,効果的な予防法や治療法が見つけられ,そのつど制圧されるであろう。

私も,何よりも死を恐れる人間の一人として,それを願ってやまないが,その一方,まったくの素人ながら,コロナ大流行のような現象の繰り返しは,要するに,人類が増えすぎたからではないか,という素朴な疑問を禁じ得ない。

他の動物や植物であれば,増加しても,自然の許容量を超えそうになれば,必ず何らかの自然的規制が働き,許容範囲内に戻る。非情だが,それが自然の摂理。

ところが,人間は,他の動植物の有しない知恵により,自然を科学的に観察し,人為的にそれを制御したり改変したりできるようになった。これにより,人間増殖の自然的な限界は,次々と取り払われてきたのである。

その結果,いまやどこに行っても,たいてい人間がいる。逆に,以前はそこにいた様々な動植物たちは次々と姿を消している。人間は,その知恵により自然を征服しつつある。

新型コロナの流行も,多数説のウィルス自然由来説(コウモリ等からの感染)をとるなら,とめどもなく増殖する人間に対する自然界からの自然な規制である。ところが,これに対し人間は,身体に人造ワクチンを入れることにより,その自然の人口増殖規制を人為的に無効化しようとしている。この人為による自然の克服は,以前の他の感染症流行の場合と同様,今回のコロナ・パンデミックに対しても,すでに大きな効果を発揮し始めている。

しかしながら,たとえ今回の新型コロナが予防ワクチンにより制圧できたとしても,自然の側は,おそらく次のウィルスか他の何らかのものにより増えすぎた人類に立ち向かわせるであろう。これに対し,人間の側もまた別の新たな人造ワクチンか何かで迎え撃つ・・・・。こうして人間の自然な身体と生活は,一歩一歩,確実に自然から離れ,人造化されていく。サイボウーグ化だ。

また,人類の一部は,許容量を超えた地球を離れ,月や火星など,他の天体に移住し始めることにさえなるだろう。

以上は,もちろん全くの素人の極論である。また,人口論は,古来,もっとも危険な取り扱い要注意の議論である。が,それはそうだとしても,コロナ・パンデミックに脅え,予防ワクチンの副作用(副反応)に現に苦しめられていると,ついそんな暗い未来を思い浮かべてしまう。

杞憂にすぎないとよいのだが。

地球は何人の人間を維持できるか? すでに限界超過なら,何が起きるか?

(C)谷川昌幸

Written by Tanigawa

2021/06/07 at 19:36

「陽春」の丹後:天橋立とネパール料理店

新年早々,所用で丹後の村に行ってきた。以前だと,この時期,厳寒で積雪も多かったが,地球温暖化のせいか,最近は,そのようなことはほとんどなくなった。この正月も暖かく,村の田畑に積雪なし。驚いたことに,民家の石垣に生えたユリらしき植物が満開の花をつけていた。
■石垣のユリ(?)

陽気に誘われ村の名所「大内峠」に行き,「股のぞき」をすると,日本三景の一つ「天橋立」が,まるで春霞に包まれたかのように,ぼんやりと中空に浮かんでいるのが望まれた。右手の高峰,鬼の住む大江山(832m)にさえ積雪なし。

5日には,近くの町のインド・ネパール料理店に行ってきた。小さな町だが,メニューを工夫し頑張っている。丹後の文化も,大きく変わりつつあるようだ。

■天橋立

■ネパール料理店

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2020/01/08 at 17:31

ガディマイ祭:動物供儀をめぐる論争(8)

5.動物供儀の根源的意味
ガディマイ祭では,毎回,水牛だけでも数千~1万頭も供儀されてきた。見世物化・商業化し,衛生上も問題が多いといわれている。おそらく,そうであろう。

しかしながら,動物供儀には,「かわいそう」といって一方的に非難し拒絶して済ますことのできないような,歴史的・文化的・倫理的・宗教的な意味もあるのではないだろうか? 

たとえば,動物にも「人権」ないし権利を認め,「人道的」な扱いを求める動物愛護の主張の背後には,動物を食用や衣料用などに利用して生きているという厳粛な事実を直視したくないという人々の願望が隠されているのではないだろうか? あるいは,生物を理性の有無により峻別し,理性ある人間は,理性ある動物の「人権」を尊重し「人道的」に扱うべきだが,他の理性なき生物についてはそのような配慮は必要ないといった差別的生命観が,その主張の根源にはあるのではないだろうか?

穀物や動物の供儀は,日本を含め世界各地に古くからある。その挙行方法は多種多様だが,人々にとって最も大切な生命を神に捧げ,神に感謝し,その加護を願うという最も基本的な点では,みな共通しているように思う。あるいは,供儀後の穀物や肉を食べるのであれば,聖別された穀物や肉を神の前で―神から恵まれたものとして―食べ,他の生物の生命の犠牲により生きざるをえない人間の業―原罪―の許しを願う。さらには,そうした罪意識があまりないところでも,食物を神に捧げたあと,それを神の前で,神と共に食べる―神人共食―ことにより,人は神や食を共にする他の人々と親密に結びつき,神の加護の下で豊穣や子孫繁栄などを願う。このように,食物を神に捧げる慣習は,方法は異なれ,世界各地に古くからみられる。

さてそこで問題は,動物供儀が「反人道的」,「反人権的」で許されないか,ということ。動物供儀擁護派は,以上に見た限りでは,この問いに正面から答えてはいない。人々が供儀を望むから,供儀せざるをえない。あるいは,求められた供儀に応ずるのは,ヒンドゥー司祭の義務だなどと答えるのみ。逃げのよう見えてならない。

この問いにつき,私見を一言でいえば,たしかに「かわいそう」ではあるが,決して「反人道的」,「反人権的」ではないということに尽きる。

われわれ人間は,毎日,大量の動植物の生命を殺し食べて生きている。が,それら動植物の生命が奪われ食品へと加工される現場の人々以外は,生命が奪われる現場は見てはいない。動物も魚も野菜も穀物も,殺され,切り刻まれ,加工され,ビニールパックや小袋に入れられ,商品として美しく店頭に並べられ,売られ,買われていく。われわれ大多数の人間は,動植物の死骸を買い,調理して食べ,生きているにすぎない。その根源的な事実を,われわれは忌避し,見ようとはしない。

人間に食われる動植物の側からすれば,自分たちの唯一無二の生命が奪われるその峻厳な事実を見られ知られることもなく,自分たちの身体が切り刻まれ「おいしそうな」商品食品へと加工され,売買され消費されるのは,耐えがたく許しがたいことであろう。

動植物を殺して食べている事実をしかと見つめ自覚しつつ食べる人と,そこから目を背け,目の前の「おいしそうな」加工食品を食べる人。いずれが動植物の生命の「尊厳」を尊重しているのか?

むろん,そうはいっても,動物に無用な苦痛を与えてよいということにはならない。「熊いじめ」など,見世物化した「流血スポーツ(blood sports)」は,生命の弄びであり,許されることではない。また,逆に,動物の行き過ぎたペット化,愛玩化も,動物の本性・自然(nature)を否定しその尊厳を奪うものであり,決して許されてはならない。

では,ガディマイ祭はどうか? たしかにガディマイ祭にも,反対派が非難するように,見世物化した流血スポーツの要素が多々あるし,衛生面でも問題はある。そうした点は,今後,改めていかなければならない。

しかしながら,だからといって動物供儀そのものを「反人道的」とか「反人権的」とかいって禁止するのは,倫理的に道理が通らない。

ガディマイ祭反対派は,動物の代わりに「花」や「ココナッツ」を供えよ,と主張しているが,供えられる「花」や「ココナッツ」も大地に根を下ろす母体から切り離され「生命」を奪われているのだ。植物や微生物や昆虫や小動物らは,「自己意識」や「理性」をもたない(とされている)ので,人間の都合で殺してもよいということか?

不殺生(アヒンサー)は,徹底すると,生命あるものは何も食べられなくなる。人は生きるために何かを殺して食べざるをえない。あるいは,直接殺さなくても,食糧生産のため「害獣」,「害虫」,「雑草」,「病原菌」など無数の生物を「駆除」し殺している。人は他の生命の犠牲により生きている。だからこそ,その業ないし原罪の許しを請うため,いかに苦しく辛かろうが,死を直視する努力をし,神や仏や大自然など,自らの信じるもの,信じたいと願っているものに,祈るのだ。

ガディマイ寺院やダクシンカーリ寺院などにおいて敬虔に動物供儀を行うこと――それ自体は,決して禁じられるべきことではない。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2020/01/04 at 15:41

秋の木曽駒と駒ヶ根

先週,木曽駒ケ岳に行ってきた。ロープウェイで千畳敷(2612m)まで登れるので,頑張れば,2956mの山頂まで日帰りで往復できないことはないが,あいにくの濃霧,千畳敷周辺を散策するにとどめた。

驚いたのは,人の多さ。平日,悪天にもかかわらず,早朝から観光客が押し寄せ,ロープウェイはゴンドラ(定員61人)をピストン運転するも運びきれず,待たねば乗れない。千畳敷でも休憩所は満員電車状態,カール遊歩道はしばしば渋滞。びっくり仰天!

それでも濃霧の高山には特有の趣があり,秋の花々や紅葉を存分に楽しめた。

登山前後は,駒ケ根高原で2泊した。山麓の美しい高原だが,驚いたことに,一部を除き,恐ろしく寂れていた。あれほど観光客が多いのに,大部分は観光バスや自家用車で来て,ゴンドラで山麓・千畳敷を往復し,そのまま,駒ケ根高原は素通りし帰ってしまうらしい。散策に十分値する高原なのに,もったいない。

駒ヶ根で,もう一つ驚いたのは,大きなネパール料理店が2店もあったこと。帰りのバス待ち時間に,ぶらぶら歩いていて,たまたま目にしただけなので,他にもあるかもしれないが,たとえこれら2店だけだとしても,それほど大きな町ではないので,十分注目には値する。ネパールの人々のたくましさには驚かされる。次に来た時には,いずれかのお店に入ってみたいと思っている。


■濃霧の木曽駒登山/駒ケ岳神社付近

■千畳敷のコバイケイソウ


■千畳敷の花々


■駒ケ根高原:バス停


■駒ケ根高原:旧庁舎(洋館)と旧竹村家(重文)

■駒ケ根高原:庭球場の野猿たち

■駒ケ根の街角


■駒ケ根のネパール料理店

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2019/10/14 at 14:26

カテゴリー: 自然, 旅行

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奄美の自然とその破壊(6)

5.自然破壊の土砂採取
湯湾岳からフォレストポリス(*),マテリヤの滝を経て東シナ海側の大棚に向け最後の峠を大きく回ったとき,愕然とした。
 *フォレストポリス=観光レジャー施設。キャンプ場,グラウンドゴルフ,フィールドアスレチック,バッテリーカー,売店など

美しい多雨林の山々に連なる海側の山が,ひと山丸ごと,山頂付近から下まで丸裸,茶褐色の山肌をさらけ出しているではないか! あまりにも,むごい。しばし呆然,その信じ難い光景を,ながめていた。

しばらくしてわれに返り,少し考えてみた。――とにかく,途方もない量の土砂採取だ。このままでは,この山全体が消えてしまう。奄美では,これまで車で走って見た限りでは,これほど大量の土砂を使っているところは見当たらなかった。いったい,これほど大量の土砂を何のために使うのか?(山からの同様の大量土砂採取は,帰途,名瀬の近くでも目にした。)

そうか,沖縄か! 沖縄は埋立名所,あちこちで土砂が海に大量投入され,空港やら産業用地が造成されている。この山の土砂も,沖縄に運ばれ,埋め立てに使用されてきたに違いない。たとえば,那覇空港(軍民共用)の拡張のために。あるいは,辺野古の米軍基地拡張が本格化すれば,そのジュゴンの海にも,この山の土砂が運ばれ,埋め立てに使われることになるに違いない。いや,すでに辺野古でも使用され始めているかもしれない(未確認)。

土砂採取されている目の前の山は,貴重な動植物が保護されている保護区・保護地域とは地続き。すぐ近く。図上で截然と線を引き,ここからは大規模開発OKというようなことが,許されてよいのだろうか? アマミノクロウサギなど特別に保護されるべき動物たちが行き来し,貴重な植物たちも双方に根付き群生し繁茂しているはずだ。それら,本来一体であるはずの自然の生態系を,人間の都合でバッサリ切り分け,一方を情け容赦なく「開発」してしまう!

自然など,いくら貴重だとされようが,それは建前,人間の欲にはかなわない。軍事や金儲けが,文句なく優先されてしまうのだ。


 ■山頂から削り取られる山

■土砂採取場下の大棚側入口

【参照】辺野古埋め立て用土砂について防衛省に質問ーその回答(福島みずほOFFICIAL SITE,2015.06.16)



■防衛省「福島議員資料要求ご回答」より

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2019/09/19 at 14:59

奄美の自然とその破壊(5)

4.マングローブ原生林と亜熱帯多雨林
(1)マングローブ原生林

(2)亜熱帯多雨林
南部内陸側はすぐ山地だ。湯湾岳(694m,奄美群島最高峰)をはじめ,標高からは想像できないほど本格的な山容の山々が連なり,いずれも鬱蒼とした多雨林に覆われている。素人目には自然林としか見えない。

住用マングローブ原生林から宇検村に入り,そこから湯湾岳登山道路を軽レンタカーで登った。細い曲がりくねった急峻な山道を登りきると,湯湾岳展望台への道との分岐点。今回は展望台は割愛し,そこから,さらに草木にトンネルのように覆われた山道を登ったり下ったりしなが北東へ向け進んだ。対向車はおろか,人気は全くない。

あわや遭難かと心細くなったが,周囲は自然の生気に満ち満ちている。九州以北では見たこともないような南国の草木が茂り,色鮮やかな蝶々が舞い,密林からは奇妙な大きな鳴き声(鳥?)が聞こえ,あげくはヘビ(ハブ?)さえ出てきた。神秘的な「マテリヤの滝(マテリア滝)」(奄美語で「日の射す美しい滝」)もある。

散々走り,ようやく展望の利く峠(赤土山展望台)に出ると,そこからは高い山々と深く切れ込んだ広大な多雨林が一望できる。ガイドなしでは探訪困難な「金作原原生林」(前掲写真参照)や,アマミノクロウサギをはじめ貴重な様々な動植物の見られる「特別保護地区」も,この雄大な多雨林の一部である。むろん,指定されているのは一部特定地域だけだが,線引きは人為的なもの,それら保護地区が周囲の未指定地域と有機的に結びつき,孤立しては存立しえないことはいうまでもない。

日本にも,しかもこんな小さな島に,これほど見事な大自然があるとは!

■山中の標識


■赤土山展望台より/同左


■山腹の植生/道路わきのシダ(?)
■マテリヤの滝


■自然保護指定地区(大和村HPより。一部修正・加筆)
=特別保護区 =第1種特別地域 緑線内=第2種特別地域

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2019/09/18 at 15:25

奄美の自然とその破壊(4)

4.マングローブ原生林と亜熱帯多雨林
2日目は丸1日あったので,島南部を海岸沿いにほぼ1周してきた。往きは太平洋側を住用町マングローブ原生林まで行き,そこから峠を越え宇検村へ,さらにそこから湯湾岳→フォレストポリス→マテリア滝をへて,東シナ海側の大棚に降りた。そして東シナ海側を北上し,名瀬を経て「ばしゃ山村」へ戻った。

島の北部と南部は,風景から受ける印象がかなり異なる。北部は山地は多いものの開けた感じだが,南部は鬱蒼と茂る亜熱帯多雨林に覆われた山々が連なる。また海岸は,太平洋側と東シナ海側では,全くと言ってよいほど風景が異なる。太平洋側は,荒々しく,隆起サンゴ礁に囲まれた,いかにも南国の島という印象だが,東シナ海側は大きな入江が多く,波静かな穏やかな海岸が多い。

(1)マングローブ原生林
最初に見学したマングローブ原生林は,太平洋側の住用川と役勝川が合流する河口に広がっている。広大なマングローブ原生林で,汽水域の干潟も広く,保護が万全であれば,さらに広がりそうに見えた。

このマングローブ原生林沿いには,大きな「道の駅・マングローブパーク」が開設されている。モダンな「マングローブ館」のほかに,広いグラウンドゴルフ場まで併設されている。

地域の「経済活性化」のためであろうが,どうみてもマングローブ原生林とは調和しない。自然保護と経済開発をどう両立させるか――難しい課題だ。

■マングローブ原生林
■原生林内カヌー・ツアー
■道の駅とゴルフ場(同左HPより

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2019/09/14 at 13:11

カテゴリー: 経済, 自然, 旅行

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奄美の自然とその破壊(3)

3.カトリック信仰の村々
予備学習なしだったので全く知らなかったのだが,奄美にはカトリック教会がたくさんある。カトリックは,ある意味,柔軟であり,伝統文化をうまく取り入れ,地方ごとの特色ある教会をあちこちにつくっている。奄美でも,そうした趣が見て取れる。

奄美のキリスト教は,1891年にパリ外国宣教会フェリエ神父の来島に始まり,以後,各地に教会が建てられ信者も増えていったが,国粋化・軍国化につれ信者迫害が激しくなり,教会施設も破壊されたり事実上没収されたりした。また戦争末期には,空襲を受け,名瀬聖心教会などが破壊された。奄美の教会は,そうした苦難を乗り越え,今日に至っているのである。現在の信者数は人口の6%ほど。ちなみに長崎は4%余。

今回は,それら奄美の教会のうち,通りすがりに目にした大笠利教会,瀬留教会,知名瀬教会の3教会を見学してきた。

いずれも南国奄美らしい趣のある教会で,たまたま来られていた信者さんが教会の由来や現状について親切に説明して下さった。

▼大笠利教会
■礼拝堂
■歴代司祭
■ガスボンベ利用募金箱

▼瀬留教会
 

▼知名瀬教会
■全景
■玄関
■マリア像

▼奄美の教会(名瀬聖心教会HPより

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2019/09/14 at 11:09

カテゴリー: 自然, 宗教, 文化, 旅行

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