ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

Archive for the ‘音楽’ Category

音楽に食傷気味:オーストリア

オーストリアは,いうまでもなく音楽の国。モーツアルト,ベートーベン,シューベルト,ハイドン,ヨハン・シュトラウス父子,マーラー・・・・。これら綺羅星のごとき大作曲家たちの生家や住居など,ゆかりの地があちこちにあり,いたるところで彼らの曲の演奏会が開かれている。

彼らは商品宣伝用にも引っ張りだこだ。特にモーツアルトは大活躍。様々なモーツアルト・グッズが,お土産屋ばかりか庶民向けスーパーにさえ,たくさん並べられ,売られている。

楽器の中では,やはりピアノ。いたるところに置いてある。とりわけびっくり仰天したのは,トイレ。公衆トイレにすら,ピアノが置いてある! トイレ・コンサートでも開催するのだろうか?

コンサートは,本格的なものから観光客向けのものまで様々あるが,お勧めは教会のパイプオルガン。あちこちに大きな教会があり,ほぼ例外なく立派なパイプオルガンが設置されている。礼拝などに参加すれば(信者でなくても大丈夫),天国から降り注ぐかのような荘厳な音楽に浸ることが出来る。私は,ザンクト・ペルテンのドーム教会の日曜礼拝に入れていただき,オルガン演奏を聴かせていただいた。

あるいは,アマチュア楽団のコンサート。ゼーフェルトには,アメリカから高校生バンドが友好訪問していて,野外コンサートを開催していた。アルプスの高山と高地の花々を愛でながら,高校生たちの真剣な演奏を聴いていると,すがすがしい気分に包まれ,心底からリフレッシュされる。

音楽の国オーストリアでは,このように音楽があふれており,さまざまな音楽を十二分に楽しむことが出来る。が,それはそうであるにしても,興業化・商品化された音楽がこれほどまでに多いと,そうした音楽には食傷気味となるのも偽らざる事実だ。

オーストリアで,プロによる本格的な演奏会ではなく,高校生バンドや教会パイプオルガン演奏にむしろ魅かれ癒されたのは,おそらくそのためであろう。

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■モーツアルト像(ザルツブルク)

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■ベートーベン住居/ヨハン・シュトラウス住居(いずれもウィーン)

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■ハイドン・ハウスの中庭と室内(ウィーン)

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■ザルツブルク「ドーム・コンサート」,モーツアルト:ピアノソナタ,Orpheus Concerts and Artists(45分,22ユーロ)

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■王宮中庭演奏会(入場無料,インスブルック)/米高校生バンド演奏会(入場無料,ゼーフェルト)

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■ザンクト・ペルテンのドーム教会/デュルンシュタイン修道院教会パイプオルガン

谷川昌幸(C)

 

Written by Tanigawa

2016/07/20 at 01:47

国歌の包摂民主主義化: イギリスとネパール

イギリスにおいて,国歌(国歌の扱い)修正案が3月から議会で審議されることになった。ガーディアン,ニューステイツマン,ニューヨークタイムズなど英米各紙が伝えている。といっても,複雑怪奇な歴史の国イギリスのこと,議論は少々わかりにくい。
イギリス(グレートブリテン・北部アイルランド連合王国)[英国,UK]
  ・グレートブリテン=イングランド+スコットランド+ウェールズ
  ・北アイルランド

現在の英国国歌「女王賛歌(God Save the Queen)」は,正確には「グレートブリテン・北部アイルランド連合王国(UK)」としてのイギリスの国歌。ところが,著名な国際スポーツ大会などには,UKとしてではなく,イングランド,スコットランド,ウェールズがそれぞれ独立のチームとして参加し,それぞれの「国歌」を歌う。
 ・イングランド=「女王賛歌」
 ・スコットランド=「スコットランドの花」
 ・ウェールズ=「わが父祖の国」

あれ? ちょっと変では,とだれでもいぶかるであろう。たとえば,日本に例えるなら,こんな具合だ。
 ・東京チーム=「君が代」
 ・大阪チーム=「好きやねん、大阪」
 ・福岡チーム=「炭坑節」

イングランドは,UKの一部にすぎないのに,サッカーやラグビーなどの試合の際,特権的に「女王賛歌」を使う。あるいは逆に,イングランドはイングランド自身の「国歌」を歌うことができない。いずれにせよ,おかしいのではないか? イングランドも,「女王賛歌」の使用をやめ,スコットランドやウェールズと同じように,イングランド独自の「国歌」を制定し,それを使うべきだ。たとえば,ウィリアム・ブレイク「エルサレム」がよいのではないか。これが,英国国歌(国歌の扱い)修正案の提案理由だ。

この法案は,UK国歌としての「女王賛歌」の廃止を求めているわけではないが,もし通れば,「女王賛歌」の使用頻度が低下し,国歌としての重みや権威が大幅に低下することは避けられない。政府が反対しているので,当面この法案成立の可能性は低いが,いずれにせよ,こうした提案が堂々と提出され,議会審議に回されること自体,英国が,一人の女王(国王),一つの国歌による強力な近代的国民国家統合から,様々な地域や民族の自立的競争的共存の方向に向け大きく転換しつつあることの何よりの証と見てよいであろう。

 160120a■英王室FBより

このような地域や民族の自立的競争的共存の理念を,世界に先駆け高らかに歌い上げているのが,ネパール国歌だ。ネパールは長年使用してきたそれまでの国歌(国王賛歌)を廃止し,2007年暫定憲法により正式に新国歌(幾百の花)を制定した。これが現行国歌。

【ネパール国歌】(一部略,訳者不詳,ウィキ日本語版)
 幾百という花からなる我々は一つの花環、ネパールの民
 主権をもちメチからマハカリまで広まりある
 ・・・・
 見識の地、平和の地、タライ平原、山間地、ヒマラヤ
 分かつことのできない、我らが愛しの祖国ネパール
 多種多様なる民族、言語、宗教、文化の宝庫
 いや進む我らが国家、ネパール万歳

【ネパール旧国歌】(冒頭部分のみ,佐伯和彦訳,『南アジアを知る事典』より)
知恵深く,雄々しく,恐れを知らぬ
尊き国王よ。
大いなる国王陛下にとこしえの栄あれ,
大君の長寿を祈り,
民びとの発展を愛もて叫ばん,
ネパールの民たる我らこぞりて。
・・・・

幾百の花(地域や民族)を一つの花環(国民国家)に統合するという理念の実現可能性や,歌詞や曲の芸術的評価はさておき,すくなくともこのネパール国歌の包摂民主主義の理念それ自体は,間違いなくグローバル化時代の世界諸国の未来を先取りしている。イギリスはかなり近づいた。日本も見習うべきだろう。

ネパール憲法には世界最先端の革命的規定が他にも無数てんこ盛り。ネパール憲法は,スゴイ!

 160120b■ネパール国章(2015年憲法付則3)

[参照]
*1 Michael Wilkinson,”Replace God Save The Queen with new English national anthem, urge MPs,” Telegraph,13 Jan 2016
*2 STEPHEN CASTLEJAN,”England Weighs Its Own Anthem to Rival ‘God Save the Queen’,” New York Times,14-01-2016
*3 しっくりこない新国歌
*4 新国歌制定への疑問
*5 新国歌は試作品だ,A.グルン

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/01/20 at 15:12

ビートルズの毒と無法ネットの解毒作用

国民の健全育成を目的とするわが政治学ゼミなのに,学生の1人がビートルズ研究を始めた。ケシカラン!

ケシカランが,民主主義者の私としては,学生の選択の自由と権利は,ゼミの権威と格式を犠牲にしても尊重せざるをえない。

というわけで,ビートルズとはいったい何者か? とネットを見たら,あるはあるは,無数にある。

完全オープンのユーチューブだけでも,60年代のお宝動画から,最新リマスター版まで,よりどりみどり。映像画質はいまいちだが,音質はかつての自宅ステレオ再生EP盤,LP盤よりもはるかによい。アクセス数は数百万回,1千万回にも及んでいる。もはや市販DVDやCDなど,買う必要はない。

ビートルズのような不良音楽を研究する学生もケシカランが,それ以上に,著作権完全無視のネット無法社会はもっとケシカラン。

知も美も万人に開かれてあるべきだが,それは誰でもいつでも安易にタダで入手できるべきだということではない。知も美も,安物はタダでよいが,本物は,入手にはそれなりの敬意を払い,手間とコストをかけるべきものだ。安易垂れ流しネットや、映像・音楽ソフト貸し出し公共図書館は,現代における最大の文化破壊装置といってよいだろう。

で,ビートルズは? ネット垂れ流しのせいで一万分の一以下に希薄化されているが,それでもビートルズは有害有毒のケシカラン不良集団だということがよくわかった。

こんな不良音楽集団が,英国紳士・淑女の顰蹙を買い,米国のF*IやらC*Aに危険集団として警戒されたのは,当然だ。わが日本国でも,公安筋が要注意集団としてマークし,警察は徹底的に国民から隔離した。そして少国民の健全育成を任とする文部省も,全国の学校にビートルズを禁止させた。当時,わが高校でもビートルズをまねた生徒が懲戒処分となった。

そんな危険な不良集団,ビートルズを,国民の健全育成を旨とする由緒正しきわが政治学ゼミで卒業研究として取り上げるのは,まことにもってケシカランことだ。

学生顧客主義を標榜するわが大学では,たとえ学生が不良になろうと,学生自身の選択の自由は尊重せざるをえない。こんなことでは,健全な国民の育成は期待できない。嘆かわしい。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/07/09 at 19:45

カテゴリー: 音楽, 情報 IT, 教育, 文化

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文化破壊のネパール激安CD

谷川昌幸(C)
デジタル化は便利だが,音楽や映画などの文化を破壊する恐れがある。
 
複製生産がごく簡単なCDやDVDは,著作権さえ気にしなければ,50円でも儲かる。事実,ネパールではそんなCDやDVDが巷にあふれている。オムマニペニフンでもアカデミー賞受賞映画でも,50~100円で買える。これでは,いくら値段は関係ないといっても,有難味がない。気軽に消費し飽きたらポイ捨てとならざるをえない。
 
また,デジタル化は,たとえば音楽を通して表現される世界観を変えてしまう。ネパール(南アジア)音楽には,明確な始まりと終わりがない。人々が集まってきたら適当に始まり,いなくなれば適当に終わる。これは,明確な始まりと終わりをもつ西洋近代音楽とは全く異なる音楽である。
 
ネパール音楽のこの特性は,便宜上そうなったというよりは,世界観によりそうなっているといってよい。この世界は,明確な始まりと終わりをもつ閉ざされた世界ではなく,無限に向かって開かれているという思想である。
 
ところが,レコードやCDができると,技術的に明確な始まりと終わりが必要になり,そして事実,そのようなものとしてネパール音楽も録音されCDとして発売されるようになった。これは西洋的世界観への屈服である。
 
さらにCD化されると,生活音楽に付き物の雑音が消されてしまう。レコードはまだ針の音がして生活へのつながりを意識させられたが,CDともなると,雑音はほぼ完全に消されている。生活音から切り離された純粋な鑑賞音楽としてのネパール音楽。ネパール音楽の猥雑な豊かさの喪失である。
 
激安CDは,音楽を単なる消費商品としつつ,しかし,それにもかかわらず,それを生活実感から遠ざけていく。CDなど無い方が,ネパール音楽の豊かさは維持されるのではないか?

 50ルピーCD&DVD

露天商
 

街角の駄菓子屋さん

 

Written by Tanigawa

2009/08/30 at 17:53

カテゴリー: 音楽

「蝶々夫人」のグロテスクと人種差別

谷川昌幸(C)

プッチーニの「蝶々夫人」は幾度か聴いたし,「ある晴れた日に」は名曲だと思う。が,オペラそのものは,長崎に来てからも,一度も観てはいない。なにやら,直感的にイヤな予感がしたからだ。しかし,長崎にいながら「蝶々夫人」を観ないのはいけないと反省し,DVDを買ってきて,観てみた。

190508カラヤン指揮/ウィーンフィルハーモニー管弦楽団(1974年制作) 蝶々夫人=フレー二/ピンカートン=ドミンゴ

愕然とした。悪趣味でグロテスク,こんな日本蔑視の人種差別が許されてよいのか。

[1]
オペラは歌劇であり,他にも荒唐無稽な物語が少なくない。また,ロングの原作小説「マダム・バタフライ」(1898)も,読んではいない。しかし,そうした限定をつけた上でも,オペラ「蝶々夫人」は,限度を超えた日本蔑視,人種差別である,と論断せざるをえない。

[2]
オペラによれば,アメリカ海軍士官ピンカートンは,帰国後米国女性と結婚するつもりなのに,15歳の蝶々さんを現地妻として買う。米領事シャープレスも同席し,これを公認。蝶々さんは,キリスト教への「自発的」改宗さえ余儀なくされる。

こうして,蝶々さんは,ピンカートンに身体と魂を売り,子供を出産。ところが,ピンカートンは,そんな蝶々さんを残し,無情にもアメリカに帰国してしまう。

3年余後,ピンカートンが再び長崎に来て,本妻ケートを連れ,蝶々さんのところに来る。ケートは,蝶々さんから子供を奪い,これに絶望した蝶々さんは,短刀で自殺してしまう。

[3]
15歳の日本少女が金で買われ,身体をもてあそばれ,人格をズタズタに引き裂かれ,子供さえも本妻に奪われ,自殺に追い込まれる。いくら荒唐無稽なオペラとはいえ,そんな少女虐待ドラマを,異国趣味の純愛物語に仕立て,紳士淑女の前で堂々と演じてよいわけがない。

たしかに,開国前後の長崎には,蝶々さんと同じような境遇の「洋妾(ラシャメン)」が何人かはいた。幕府・政府もそれを公認していた。しかし,だからといって,この露骨な日本蔑視,少女売買,人権侵害を,現代において,芸術の名で平然と公演してよいということにはならない。

[4]
単なる異文化の無理解なら許せる。たとえば,靴を履いたまま畳敷きの部屋を歩き回るといったこと。あるいは,人身売買仲介人ゴローに見られるような,日本人の極度のデフォルメも,まあ辛抱できないことはない。

許せないのは,非西洋人を見下し,おもちゃにし,恬として恥じない,その西洋人の傲岸,無礼だ。「蝶々夫人」は芸術作品ではなく,人種差別のキリスト教西洋プロパガンダである。

[5]
もちろん,現代の価値観で過去を一方的に裁くことは許されないし,そんなことをしても生産的ではない。が,その一方で,普遍的な人間性の理念への訴えを見失えば,文化も芸術も退廃する。

カントがいうように,「汝の人格ならびに他のすべての人の人格における人間性を常に同時に目的として使用し、けっして手段としないように行為せよ」,「汝の意志の格率が同時に普遍的な立法の原理として通用しうるように行為せよ」ということは,いかなる場合にも,決して忘れてはならないことだ。

もしオペラ演出家や指揮者が,普遍的真理の観点からの作品の精神性への批判を頭から放棄してしまうなら,いくら技巧が優れていようと,そんな作品は鑑賞に値しない。たとえ帝王指揮であろうと,屑籠行きだ。

[6]
「蝶々夫人」には,他の解釈・演出もあろう。カネとヒマができたら,他のDVDを買ってきて比較してみようと思う。 それにしても,異文化の理解は難しい。このネパール評論が,ネパール蔑視とならないことを願うばかりだ。

【参照1】(2014/03/13)
岩上安身ツイッター“蝶々夫人と日米関係” 蝶々夫人と日米関係1 蝶々夫人と日米関係2
【参照2】(2021/01/13)
オペラ『蝶々夫人』が知りたい! 長崎市「ナガジン」
萩谷由喜子,知るようで知らないオペラ『蝶々夫人』,東京二期会
片平 幸「オペラ蝶々夫人と日本からの応答」,桃山学院大学総合研究所紀要,2016
【参照3】(2021/02/17)
「蝶々夫人の日本像誤解改め上演へ 声楽家・岡村喬生さんイタリアで」朝日新聞,2010年3月10日
映画『プッチーニに挑む 岡村喬生のオペラ人生』予告編
*画像更新(2019/05/12)

Written by Tanigawa

2009/02/25 at 00:25

カテゴリー: 音楽, 文化, 民族, 人権

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オム・マニ・ペメ・フムとネパール国歌

谷川昌幸(C)

この夏1か月,タメルのチベットゲストハウスに滞在し,毎朝,1階レストランで朝食をとった。そのとき流れていたのが,「オム・マニ・ペメ・フン」。

これは不思議な音楽だ。日本の歌謡曲そっくりの長い導入部分があり,つぎに「オム・マニ・ペメ・フン」のマントラ(祈り)が延々と繰り返され,そして再び歌謡曲そっくりの導入部分に戻って,いつとはなく終わっている。

実に長~い。毎朝,朝食をとりながら,新聞3紙を読み,ブログ記事を書き,ノートを整理して,1時間はレストランにいたが,その間,ずぅ~と,このチベットのありがたいマントラ音楽が流れていた。

そうすると,あ~ら不思議,不信心でバチあたりの私でも,日一日と心が浄化され,一週間もすると,門前の小僧くらいの悟りの境地には達した。げに,マントラはありがたいものだ。

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       ホテル HP            ロビー天井の装飾(クリック拡大)

1階レストランの「オム・マニ・ペメ・フン」で癒され,天空浮遊気分で6階の部屋に戻ると,これも休日以外のほぼ毎日,近くの小学校から子供たちの歌声が聞こえてくる。新国歌の練習をさせられているのだ。

子供は天真爛漫,天使のように無邪気だし,国歌は国家の尊厳を表すものだから,はなはだ言いにくいのだが,「オム・マニ・ペメ・フン」の後で聞く子供たちの国歌練習は,どうもいただけない。天空浮遊から,世俗国家の俗世に引き戻されてしまう。

国歌は近代ナショナリズムの下婢。人殺しを職業とする軍隊が,殺し殺される恐怖をごまかすため歌わせる軍歌と同類だ。フーコー流にいえば,近代国家=軍隊=学校,つまり国歌=軍歌=校歌なのだ。

歌は,歌うものであり,歌わされるものではない。

陰鬱な「君が代」を練習させられる日本の小学生もかわいそうだが,いまいちぱっとしない「百花斉放(意訳)」を毎朝歌わされるネパールの子供たちもかわいそうだ。特に,最後の部分は見事に盛り下がって終わる(編曲で最近かなり改善されたが)。朝っぱらからこれでは,元気が出ないだろう。

Written by Tanigawa

2008/10/27 at 15:00

カテゴリー: 音楽

ネパールの音楽と人生

谷川昌幸(C)
日曜の朝7時すぎ,突如,大音響の音楽が始まった。近くの集会場で祝い事があるようだ。曲は例のマンガル・ドーン。
 
初めはもうメチャクチャ。何の曲だが分からなかった。ラッパやら弦がめいめい勝手に音を出している。こりゃヒドイと思っていたら,あ~ら不思議,徐々に旋律らしきものが現れ,勝手に飛び跳ねていた雑多な音が主旋律に集まり,大河となっていった。
 
時々変な音が入るが,それも「遊び」らしい。楽聖ベートーヴェンの「田園」の中に,田舎楽団のへたくそ音楽がわざと入れてあるが,それと同じ趣向のようだ。
 
そして,こうしたネパール音楽で特に気に入っているのが,いつ始まって,いつ終わったのかがよく分からないところだ。楽聖の音楽が典型だが,西洋音楽には始まりと終わりがある。明確な始まりと終わりがあるべきだ,というのが西洋音楽。これも悪くはないが,どうも不自然だ。これに対し,こちらの音楽は,楽器の練習でもしているような気軽な調子で始まり,徐々に盛り上がり,絶頂に達し,そして何となく楽器が少なくなり,いつの間にか終わっている。そんな感じの演奏が多い。
 
いいなぁ~。自然な人生って,おそらくこんな風に始まり,終わるのだろう。あやかりたいものだ。
yoga

Written by Tanigawa

2007/11/21 at 11:30

カテゴリー: 音楽

しっくりこない新国歌

谷川昌幸(C)

新国歌が8月4日,正式決定され発表された。音楽(メロディ)は好きずきだが,出来不出来は厳然としてあり,趣味判断は出来る。ズバリ,新国歌はダメだ。歌詞は別として,こんな曲では元気も出ない。「君が代」といい勝負だ。

新国歌(2007.8.4-)
・作詞 Byakul Maila
・作曲 Amber Gurung

旧国歌(1899-)
・作詞 Chakrapani Chalise
・作曲 Bakhatbir Budhapirthi

そもそも国歌を政府が権力的に決定するという発想が時代錯誤だ。国歌は長年歌い継がれてきたものが国民愛唱歌となり,国歌となる。それなのに,お上(政府)が決めて下々に与えるなどという反民主主義的発想に囚われているから,こんなしっくりこない小学校校歌のような曲を国歌にしてしまうのだ。

こんな曲なら,旧国歌の曲に新しい歌詞をつけた方がはるかによい。フランスやドイツですら,都合の悪い歌詞を時代に合わせなんとかやりくりし,古い国歌を使いつづけている。

ネパール旧国歌のメロディは,短いにもかかわらず威厳があり,元気が出て,いかにも有り難い曲だった。100年もの歴史をバカにしていると,文化が廃れてしまう。

“Nepal’s national anthem is one of the oldest in world history. Since a monarchy was established by Prithvi Narayan Shah after unifying the petty states into Nepal, the then poet Chakrapani Chalise took upon it, as early as 1899, to pour national tribute through the national anthem. The music was composed by Bhaktabir Budhapirati. Thus, it has been molding the Nepalese nationalistic psyche for one hundred and seven years.” (Bijay Kumar Rauniyar, Rising Nepal,2006-9-16)

* Cf. e-Kantipur, 4 Aug.(語句一部訂正,英文記事追加,8/5)
*「稚拙な」を「しっくりこない」に修正,「学芸会」削除(8/9)

 ▼参考意見(8月12日追加)
Kathmanduspeaksというブログに,次のような意見が出ていた。著者がどのような方か全く存じ上げない。どのような立場の方であれ,国歌を公定するについて,異論はあった方がよい。参考までに,抜粋を掲載する。もともと歌詞の議論だったようだが,意見は曲の方に集まっている。曲に違和感をもつ人が,ネパールにも少なからずいるようだ。

Kathmanduspeaks
I won’t sing the song- and, perhaps, it won’t make a difference. But for me- it makes a lot of difference. “Rato Ra Chandra Surya”- is far more patriotic and historic than this Mahila’s crap.
National Song or National Shame
Do you expect me to sing Byakul’s song? Should I stand when it’s played on government programmes and functions? Do you expect me to show respect to my national anthem? Then, throw the new anthem into a dustbin. Conduct a referendum- not now, dear leaders, don’t worry- to see if we, Nepali people, accept it as our national song or not. It’s not that you can decide if our country will be Nepal or New-Nepal with a monarch or a president or we’ll be a democracy or a republic- you just do your job- show us that you can hold CA elections on time. As for the rest- leave them unto us.
“I was telling my mom how Indian national song is- and how they sing the national anthem of Netherland with full synergy,” my friend said, “But when our national song was played on the television, I was so sorry. Do we call this a national song?”
“This song is like one we used to sing in our annual school-day functions,” another said.
“When Rato Ra Chandra Surya’ is played, our blood boils with patriotism. I don’t like this song, but now that they have made it our new anthem- we must accept it. It’s not so bad, isn’t it,” my another colleague said sarcastically.
——————–
August 4, 2007 6:51 AM  
Nepali Akash said…
the way it ends with “jaya jaya nepala” lacks melody. Sounds like a pop version of a folk song.

August 4, 2007 10:43 AM  
Prajwol said…
I agree with Nepali Akash. Though, it’s very hard to replace the anthem that we are used to all our lives, I believe the composition could have been better.
I have no problem with the words, it seems quite comprehensive, but I was really hoping for better compositon . Since this is a national issue, rather than just assigning handfull composers, government could have asked everyone/anyone to come up with a tune, and conduct a popularity poll to finalise.
Like I mentioned earlier, since we were used to previous version, it might take us little long time to getting used to new one, and ultimatly liking it.

* http://kathmanduspeaks.blogspot.com/2007/08/nepals-new-anthem.html

Written by Tanigawa

2007/08/04 at 22:45

カテゴリー: 音楽, 文化, 歴史

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レッサム・フィリリ,コマーシャルソングに

谷川昌幸(C)

おなじみのレッサム・フィリリがコマーシャルソングになった。日本初? 長崎限定かもしれない。古き良きネパールを忍ばせるよい民謡だ。

ネパールは長崎にも急進出。インド・ネパール料理店が増え,調理人はほとんどネパール人だ。値段はそこそこなのに,かなり流行っている。味がよいのだろう。

いまや国権の最高機関となった代議院(下院)の議員さんですら,名誉も特権も惜しげもなく捨て,渡米し,コックさんになるお国柄だ。それほどこの職は,魅力的なのだろう。

レッサム・フィリリは,ネパール好き長崎人や故郷を思う長崎ネパール人向けかもしれない。甘酸っぱく切ない編曲・演奏が泣かせる。大ブレイクするかな?

Written by Tanigawa

2006/11/19 at 10:59

カテゴリー: 音楽

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