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良心的兵役拒否国家から地球貢献国家へ:朝日の変節

谷川昌幸(C)

朝日新聞が変だ。血液型優生学に加担したり,海外派兵を扇動したり。気になったので,昨年末出版の『地球貢献国家と憲法』(朝日新聞社)を読んでみた。本書は,昨年話題になった社説21と関連記事の再録であり,そこでの議論については昨年すでに批判した

今回読んでみてビックリしたのは,若宮啓文・論説主幹の「はじめに」(2007年10月付)である。他の論説委員も目を通した朝日の社論であるはずなのに,これはヒドイ。遺憾ながら「変節」と言わざるをえない。

1.変説と変節
説を変えること,つまり「変説」自体は問題ではない。状況が変わったり,誤りを発見したときは,きちんと説明した上で,説を変える。それはジャーナリズムや学者の良心であり義務である。

これに対し,理由を説明せずに,あるいは不合理な理由で説を変えるのは,「節」を屈し枉げること,つまり「変節」である。『新明解』の明解な定義によると,「貧困やさまざまの圧力のために,それまでの自己の信条を保持することを心ならずも断念する」ということだ。

朝日の「良心的兵役拒否国家」から「地球貢献国家」への社説の変更は,残念ながら「変節」と言わざるをえない。

2.良心的兵役拒否国家の訴え(1995年5月3日)
本書「はじめに」の要約によれば,1995年5月3日の社説は次のようなものであった。

“憲法9条と自衛隊や安保の関係について,私たちの先輩たちは長く熟慮し,悩んできました。そして「戦後50年にあたる95年5月3日に社説特集を組み,一つの結論を得ました。「良心的兵役拒否国家」の考えで「非軍事こそ共生の道」と訴えたのです。
 国際協力は非軍事に徹する。9条の趣旨から自衛隊の目的はあくまで国土防衛に限られ,海外派遣は許されない。国連平和維持活動(PKO)には別組織をつくって派遣すべきだ。自衛隊は段階的に縮小し,やがて「国土防衛隊」(仮称)に改編する――そんな提言でした。” (
p.iv)

この要約は間違いではない。しかし,原文のニュアンスははるかに積極的で,社運をかける意気込みがひしひしと感じられる。冒頭部分はこうなっている。

“人類と地球を守るために日本は何をすべきか――敗戦五十年という節目の年を迎えるにあたって,朝日新聞はこの五年間,全社規模で討議を重ねてきた。憲法記念日のきょう,その成果を踏まえて執筆した社説と特集「国際協力と憲法」を掲げ,読者とともに考える素材としたい。
 ○益より害が大きい改憲
 私たちの結論は次の二点に集約される。(1)現憲法は依然としてその光を失っていない。改定には益よりもはるかに害が多く,反対である (2)日本は非軍事に徹する。国際協力にあたっては,軍事以外の分野で,各国に率先して積極的に取り組む。
 つまり非軍事・積極活動国家だ。国と個人の違いを承知のうえで,あえて比ゆ的に言うならば良心的兵役拒否国家,そんな国をめざそうというのである。
 個人の良心的兵役拒否は,米英仏などの先進諸国ですでに法的に認められている。徴兵制をとっているドイツも,基本法(憲法)で「何人も,その良心に反して,武器をもってする軍務を強制されてはならない」と定めている。こういう考え方を国家にあてはめてみてはどうだろうか。
 血を流すことが国際協力だと言う人は,これを利己的すぎると非難するだろう。個人の良心的兵役拒否も,長い間,批判され圧迫を受けてきた。だが,個人であれ国であれ,「殺すな」という信条を貫こうとすれば,これしか方法はあるまい。”(
1995年5月3日社説)

これは5年間の全社的討論の結論であり,朝日が「信条」として確認したものだ。これを読んだ読者の多くは,朝日は本気だと信じ,大いに意気に感じ,崇高な良心的兵役拒否国家への道を朝日と共に歩もうと決意したにちがいない。

3.海外派兵の事実追認
ところが,朝日は,自ら高く掲げたこの「良心的兵役拒否国家」の理念を実現するための努力らしい努力もせず,それに反する事実がでてくると,ズルズルそれを追認していく。本書「まえがき」はこう説明している。

“熱い思いに満ちた提言でしたが,それから12年,残念ながらそのようにはなりませんでした。いや,むしろ日本は反対の道を歩んできたともいえます。ならば,今日の国際状況や国民意識に照らして、もう一度説得力のある論を再構成して展開すること。それは私たちが問われていた課題でした。
 日々の社説では必要に応じて新たな主張を打ち出していました。例えばPKOです。カンボジアに最初のPKOを出して満10年を迎えた02年9月,社説は「もはやPKOを自衛隊の本務にし,そのための専門部隊を設けよう」と,方向転換を明確にしていました。
 もちろん現状追認ばかりではありません。米国が始めたイラク戦争に強く反対した私たちは,戦火のやまぬイラクヘの白衛隊派遣にも反対の論陣を張りました。では,自衛隊は何をすべきで,何をすべきでないのか,私たちの考えを整理して打ち出す必要を感じていたのです。” (
p.iv-v, 赤字強調は引用者,以下同様)

これは変説の「ごまかし」と「いいわけ」でしかない。朝日の本気を信じた何百万もの読者への背信行為とさえいっても言い過ぎではあるまい。

4.前提条件は変化していない
変説が必要なのは,先述のように,誤りが見つかったときと,説の前提条件が変化したときである。

本書「まえがき」は,良心的兵役拒否国家の提言に誤りがあったとは一言も言っていない。したがって,わずか12年後の現在,自らそれを否定する理由は,説の前提となる状況が変化したという理由だけである。

しかし,朝日が良心的兵役拒否国家を訴えた12年前と現在とで,世界全体の構造は基本的には変わっていない。1991年のソ連崩壊で冷戦は名実ともに終わり,グローバル資本主義への流れは1995年にはもう明確となり,基本的にはそれが現在も継続しているのだ。世界平和を考えるための基本的前提条件は,当時と本質的には変わっていない。それでは,なぜ朝日は説を変えたのか?

5.現状追認
朝日の変説の理由は,日本の「現状追認」だけである。先の引用文を見ていただきたい。「日本は[提言とは]反対の道を歩んできた」から,朝日もそれに社説を合わせ「方向転換」したのである。赤字で強調した「ならば」のここでの違和感が,これが現状追認による変説であることを何よりも雄弁に物語っている。

また,1995年提案のわずか7年後に,「もはやPKOを自衛隊の本務にし,そのための専門部隊を設けよう」と言い放ち,平然としていられるのも,現状追認の変節による変説だからである。

1995年以降,世界の基本構造は変わっていない。また,日本政府の海外派兵政策も,すでに1992年にPKO法が成立しており,その強化はあっても,根本的な方針それ自体の変更はない。95年朝日社説はそれらを前提として書かれており,たとえPKF本体業務参加凍結解除(2001年)などがあったとしても,それは変説の合理的根拠たりえない。PKO法が成立すればそうなるであろうことは当然予測されていた。朝日も,そう予測したからこそ,それを阻止するために良心的兵役拒否国家を提唱したはずだ。それなのに,日本が提言とは「反対の道」を歩み派兵政策が既成事実化したという理由で,朝日はそれを追認し,政府に追従する。これはもはやジャーナリズムとはいえない。それは「変節」であり,無節操な現状追認,ジャーナリズムの御用化だ。

本書「はじめに」は「もちろん現状追認ばかりではありません」と述べ,図らずも現状追認を自ら白状することになっている。さすが朝日,正直である。が,正直に告白したからといって,ジャーナリズムにおける現状追認の罪が許されるわけではない。

6.現実主義の陥穽
朝日が「方向転換」や「現状追認」を自ら告白し,海外派兵路線に転換して平然としていられるのは,丸山真男がいう「現実主義の陥穽」にはまってしまったからである。

“現実とは本来一面において与えられたものであると同時に,他面で日々造られて行くものなのですが,普通「現実」というときはもっぱら前の契機だけが前面に出て現実のプラスティックな面は無視されます。いいかえれば現実とはこの国では端的に既成事実と等置されます。現実的たれということは,既成事実に屈伏せよということにほかなりません。現実が所与性と過去性においてだけ捉えられるとき,それは容易に諦観に転化します。「現実だから仕方がない」というふうに,現実はいつも,「仕方のない」過去なのです。私はかつてこうした思考様式がいかに広く戦前戦時の指導者層に喰入り,それがいよいよ日本の「現実」をのっぴきならない泥沼に追い込んだかを分析したことがありますが,他方においてファシズムに対する抵抗力を内側から崩して行ったのもまさにこうした「現実」観ではなかったでしょうか。「国体」という現実,軍部という現実,統帥権という現実,満洲国という現実,国際連盟脱退という現実,日華事変という現実,日独伊軍事同盟という現実,大政翼賛会という現実――そうして最後には太平洋戦争という現実,それらが一つ一つ動きのとれない所与性として私達の観念にのしかかり,私達の自由なイマジネーションと行動を圧殺して行ったのはついこの間のことです。”(『丸山集』第5巻,p194-195,原文傍点部分は太字とした。)

朝日には,かつて丸山学派がたくさんいた。もし彼らがまだ朝日社内で健在であり,師の教えを忘れていなければ,自ら平然と「現状追認」を認め,おめおめと「既成事実に屈服」していられるはずがない。わずか12年,この間に朝日社内で静かなクーデターか何かが起こったのではないか?

7.地球貢献国家の論理矛盾
それでも,「地球貢献国家」の提言が理論的,政策的に検討に値するものなら,まだ救いもあるが,実際にはそれは決してそのような代物ではない。

“「戦争放棄」を掲げ,軍隊をもたないことを宣言した憲法9条は,日本の野心のなさを印象づけています。それは「地球貢献国家」にとって格好の資産。だから9条は変えず,日本の平和ブランドとして活用する方がよいし。アジアで和解を進めつつ緩やかな共同体づくりをめざすにも,あるいは独自のイスラム外交を展開するにも,この憲法を日本のソフトパワーの象徴として生かす方が戦略的ではないか。それが結論でした。
 自衛隊を否定的にとらえたわけではありません。自衛隊は万一のとき役立つ存在として,半世紀以上かけて日本社会に定着した組織です。そして,実は「地球貢献」のため,いま以上に果たせる役割もあるのではないか。
 米国の同盟軍として海外派遣の道を突き進むのではなく,地球の未来を危うくするような破綻国家を世界につくらぬよう,国連が主導する平和構築活動にもう少し積極的に加わるのです。内戦や飢餓で破綻した国の存在は,テロや戦争だけでなく麻薬や感染症などの恐怖を広げる元凶にもなります。その防止もまた「地球貢献」の重要な一環であり,「人間の安全保障」につながるこうした活動は,憲法前文に掲げた精神とも合致するからです。 そして憲法と自衛隊の間にある溝を埋め,自衛隊の存在と役割を明確にするために,準憲法的な「平和安全保障基本法」を制定してはどうか。このように,従来の朝日新聞になかった提言ををしてみました。”(
p.iv)

支離滅裂ではないか。まず朝日は,憲法と自衛隊との間に「溝」がある,つまり自衛隊は憲法違反だ,と認めている。そして,その上で,準憲法的な「平和安全保障基本法」を制定し,その違憲の自衛隊の存在を正当化すべきだという。これを「ごまかし」といわずして何と言おうか。それは「既成事実への屈服」にほかならない。

こんなごまかし憲法論なら,ライバルの読売「憲法改正試案」(1994)の方がはるかにましだ。読売は,自衛隊を合憲としつつも,憲法規定の曖昧さを認め,それを解消するための憲法改正を主張している。「第12条(1)日本国は,自らの平和と独立を守り,その安全を保つため,自衛のための軍隊を持つことが出来る。」正々堂々たる改憲論であり,軍隊保有に論理矛盾はなく,スッキリしている(『憲法 21世紀に向けて』読売新聞社,1994)。

海外からすれば,不安なのは,論理矛盾がなく合理的に理解し反論できる読売案よりも,むしろ既成事実に屈服しつつ変節し変説する朝日ごまかし憲法論だ。

朝日は,一方で「戦争放棄を掲げ、軍隊をもたないことを宣言した憲法9条」と言いつつも,他方では「自衛隊を否定的にとらえたわけではありません」という。軍隊を持たないといいつつも,「自衛隊は万一のとき役立つ存在として、半世紀以上かけて日本社会に定着した組織です」とか「いま以上に果たせる役割もある」といっている。

朝日は,そんな頭隠して尻隠さずの憲法論により,9条を「平和ブランド」として活用せよという。

8.危険な平和偽装
朝日は諸外国をなめているのではないか? こんな見え見えのごまかし9条論が「平和ブランド」として通用すると考えるのは,まったくもって脳天気だ。このような人をバカにしたような9条論を聞かされたら,諸外国は「なめんじゃない!」と怒り,何か下心があるに違いないと警戒するに決まっている。

朝日は,トンデモナイ思い違いをしている。9条が「日本の野心のなさを印象づけて」きたのは,曲がりなりにも,9条が日本の軍事化を抑制してきたからだ。9条に依拠して多くの人々が日本の軍事化に抵抗してきたからこそ,9条は「平和ブランド」たりえたのだ。

それなのに,朝日は,額縁だけ残して中身を入れ替え,「平和ブランド」で売ろうとしている。羊頭狗肉,食品偽装ならぬ平和偽装だ。

こんな平和偽装にだまされるほど,世界は甘くない。朝日は「地球貢献国家」を撤回し,「良心的兵役拒否国家」に立ち戻るべきだろう。

Written by Tanigawa

2008/07/13 at 20:01

朝日社説の小沢論文批判は自己矛盾

谷川昌幸(C)
朝日新聞は高級紙といわれているのに,社説の中には信じられないほどヒドイものがある。今日10月6日付の「アフガン支援,小沢論文への疑問符」もその一例だ。自社社説に矛盾しており,下品な表現だが,「天に唾する」がごとき無反省作文といってよい。
 
1.小沢論文の前宣伝
この社説は,『世界』11月号掲載予定の小沢論文の要旨を紹介し,それにコメントしたもの。発売以前だから,その筋からブリーフィングを受け,あるいはゲラを見せられ,その意に添って書かれたものに違いない。一応「疑問符」をつけたことになっているが,後述のように,「疑問符」には全くなっておらず,小沢論文の格好の前宣伝になっている。『世界』のような小難しく面白くもない雑誌は,朝日の宣伝でもなければ,私はまず買い求めたりしない。朝日は小沢民主党の隠れ応援団なのだ。
 
2.手強い小沢平和貢献論
小沢氏は小泉,安倍両氏と同じく新自由主義者ないしは新保守主義者だが,個性は大きく異なる。(小泉,安倍両氏の政治家像については「安倍首相の怪著『美しい国へ』」2006.10.29,参照)
 
小泉氏は,権力行使に自己陶酔する耽美的ニヒリストで危険ではあるが,格好悪くなる前にやめてしまうので,それなりの安全装置が働く。安倍氏は,複雑な政治の現実を直視せず,「美しい国」幻想を自ら本気で信じ,実現しようとした情緒的右派観念論者だった。小泉氏のような自己をも対象化する権力行使の美学を持たないので,安倍氏の方がはるかに危険であったが,暴走が止まらなくなる前に自滅してしまった。善良な安倍氏には申し訳ないが,国民にとっては幸運であった。
 
小沢氏は,耽美的権力ニヒリストでもなければ,善良な夢見る右派観念論者でもない。彼は本質的に権力リアリストであり,国家理性に従うマキャベリストである。
 
小沢氏は,合理的リアリストとして,政治における権力の機能をよく知っており,国際政治においては,当然,軍事力を重視する。といっても,リアリストだから,安倍氏のように情緒的・観念的に突っ走るような愚かなことはしない。合法性を重視し,国連決議や憲法解釈ないし改正により正当化した上で,自衛隊の海外展開を図ろうとしている。
 
小沢氏は,グローバル化した世界を見据え,そこで日本国益を確保するため,国連の承認の下に自衛隊を積極的に海外に出し,活動させようとしている。ただし,日本の国益ないし国家理性があくまでも小沢氏の指針だから,その場合でも冷徹な国益計算はするであろうし,事実,彼は現にアメリカに対してですら,一定の距離を取ろうとしている。それは,自らの権力ニヒリスト的快楽のためにアメリカを利用した小泉氏とも,夢想のおとぎ話のためにアメリカにこびた安倍氏とも,小説的ロマンのために反アメリカを気取る石原都知事とも,異なる態度だ。彼は,現実主義的国家理性主義者なのだ。
 
このリアリスト小沢氏は,小泉氏と同じく,憲法解釈でも自衛隊海外派兵は可能としつつも,元来は改憲論者であり,9条を改正し自衛隊を合法化した上で,国連の承認の下に自衛隊を積極的に海外に派兵し,世界平和に貢献させるべきだという信念をもっている。
 
したがって,この自衛隊平和貢献論からすれば,近刊『世界』論文で小沢氏が「国連の活動に積極的に参加することは,たとえ結果的に武力の行使を含むものであってもむしろ憲法の理念に合致する」とし「私が政権を取って外交・安保政策を決定する立場になれば,ISAF(アフガン国際治安支援部隊)への(自衛隊)参加を実現したい」と述べているのは,当然といえる。このような考え方は小沢氏のかねてよりの持論であり,断固対決すべきはいうまでもないが,朝日のように雑誌発売前に特権的にブリーフィングを受け,したり顔で大騒ぎしなければならないようなものではない。
 
3.朝日「日本の新戦略」の危険性
特に朝日の場合,このような形で大騒ぎすべきでないのは,5月3日付朝日社説「日本の新戦略」が,小沢氏の議論と事実上同じ立場をはっきりと宣言しているからだ。日本の目標を「世界のための世話役」「地球貢献国家」と定め,こう述べている。(参照:「海外派兵を煽る朝日社説」2007.5.4)
—————————————-
15 自衛隊の海外派遣
●自衛隊が参加できる国連PKO任務の幅を広げる
●平和構築のための国際的部隊にも限定的に参加する
●多国籍軍については,安保理決議があっても戦闘中は不参加が原則
 ・・・・01年に同法(PKO協力法)は改正され,凍結されていた本体業務への参加が解除された。停戦や武装解除の監視,緩衝地帯での駐留,巡回などが本体業務にあたる。まだこの分野での参加例はないが,今後は協力していくのが適切だろう。・・・・
 ・・・・将来的には現在のPKO法では認めていない,国連や公的施設の警護などにも範囲を広げる道も探る。・・・・
 ・・・・(戦闘中の多国籍軍への参加は)①誰の目にも明らかな国際法違反(領土の侵略など)があり,②明確な国連安保理決議に基づいて,国際社会が一致する形で集団安全保障(軍事的制裁)が実行され,③事案の性格上,日本の国益のためにも最低限の責任を果たす必要がある,といった要件をすべて満たす,極めてまれな場合でしかない。
                                     (朝日新聞,2007.5.3)
—————————————-
この提言社説は,「極めてまれな場合」と限定しつつも,戦闘中の多国籍軍への参加までも認めている。こと軍事に関しては,「極めてまれな場合」といった類の限定が何の歯止めにもならなかったことは歴史が幾度も実証しているとおりだし,戦時と平時,戦闘員と非戦闘員が判然と区別できない21世紀の「新しい戦争」の実態を見れば,朝日の議論が非現実的なものであり,実際には小沢氏の自衛隊平和貢献論と同じであることは明白である。小沢氏が論理的に明確に述べていることを,朝日は不誠実にぼかし,ごまかしているだけの違いだ。
 
4.何が「疑問符」なのか?
朝日の自衛隊平和貢献論は,小沢氏のそれと実質的には同じものだ。だから,いつものように進歩派ぶって「論文にはいくつか基本的な疑問がある」と大見得を切ってみても,どこが疑問なのやら,さっぱり分からない。支離滅裂,みっともない社説になっている。
 
社説によれば,疑問は「まず,国連のお墨付きがあれば武力行使に参加できると読める点だ」そうだ。まだ小沢論文そのものを読んでいないので確言は出来ないが,合理的リアリストの小沢氏がそんな浅薄な議論をするわけがない。そう「読める」とすれば,朝日の文章読解力は小学生以下だということになる。朝日記事を入試問題に使うのは金輪際やめた方が良さそうだ。
 
国連決議については,「それぞれの背景にある国際社会の合意の実態を踏まえて,判断しなければならない」と,小沢氏も当然考えているはずのことを得意げに指摘している。そして,何と,次のように続ける。
 
「米国のアフガン作戦は国連そのものの枠組みではないにせよ,国際社会の広い共感はあった。『あれは米国の戦争』と切り捨ててしまうには違和感がある。」
 
馬脚を現したというか,あまりにもお粗末というべきだろうか。アフガン戦争は「米国の戦争」ではなく国際社会の戦争だから,テロ特措法を延長せよ,自衛隊をアフガンに派兵せよ,と朝日はいいたいのか? きっとそうにちがいない。朝日は現代紛争についてあまりにも無知であり,あるいは知っていても知らない振りをしており,現代紛争への派兵の危険性を真面目に考えようとはしていない。合法性を派兵の歯止めとしようとする小沢氏よりも,むしろ朝日の議論の方が危険だ。「疑問符」も何もあったものではない。朝日社説の方こそ滅茶苦茶な疑問符だらけの議論だ。
 
なぜ朝日社説が,こんな惨めな支離滅裂に陥ってしまったのか? それは,朝日が小沢氏の自衛隊平和貢献論を認めているにもかかわらず,進歩派ぶって無理に「疑問符」をつけようとしたからに他ならない。「天に唾する」ようなみっともない議論をしなくてもよいように,朝日は5月3日の提言社説を撤回し,憲法9条の原点に戻るべきではないのか?
 

海外派兵を煽る朝日社説

谷川昌幸(C)

朝日新聞の憲法記念日特集「社説21」を読むと,座標軸なき朝日が時流に流され,とうとう海外派兵推進派になってしまったことがよく分かる。朝日自身にその自覚はないだろうが,「時代に乗り遅れるな」の体質は,国民総動員が時流になった頃と少しも変わっていないようだ。

アントニオ・ネグリがいうように,グローバル帝国の成立により,戦争の目的は国家の「防衛」からグローバル秩序の「安全(セキュリティ)」に変わった。政治は「別の手段を持ってする戦争」となり,軍隊がその政治=戦争のために動員される。軍人は,あるときは建設業者,あるときは役人,あるときは警官となって世界のセキュリティのために働き,そしてイザとなれば本職の軍人に戻って武器を取る。

この軍人の全活動がグローバル化時代の戦争であり,換言すれば,戦争は日常化,常態化され,そこに軍人が文民とともに参加することになった。たとえば,「貧困との戦い」であれば,これを「戦争」と見るなら,そこに軍人が参加するのは当然であり,また戦争だから,必要なときには人権も民主主義も停止され,イザとなれば,軍人は本領を発揮し武力行使をする。軍隊の目的が「防衛」(攻撃撃退)から「安全」(秩序建設維持)に変わったのだ。

従来の戦争は,国家間戦争であり,基本的には非日常的,例外的なものであり,国際法上,攻撃に対する「防衛」としてのみ認められていた。本質的に消極的(negative)な暴力行使だ。そして,この防衛戦争は,例外状態だから,それを前提条件に,人権や民主主義の停止も一時的なものとして認められていた。攻撃から憲法を守るために一時的に憲法を停止するという「例外状態」(ドイツ法)の法理だ。

ところが,「安全」のための戦争は,そうではない。「貧困との戦い(貧困からの安全)」「病気との戦い(病気からの安全)」「テロとの戦い(テロからの安全)」を見よ。それらの戦いは不断に戦われ,永続し,そこでは積極的な先制攻撃も許され(求められ),そして必要な場合には人権も民主主義も停止される(米対テロ戦争など)。軍事と非軍事の区別もなくなり,軍民一体,軍民共同活動として,この戦争は戦われる。戦争の日常化,常態化だ。

この「安全」のための国際貢献(平和貢献)が,2006年末の自衛隊法改定により,自衛隊の本来任務(本職)となった。自衛隊は,外国の侵略から日本を防衛するための「自衛」隊から,世界の「安全」保障のために積極的に介入し戦う軍隊に変質したのだ。

これは,日本政府が推進する「人間の安全保障」の基本方針でもある。「人間の安全保障」は,元来,軍民一体型安全保障であり,政府はこれをテコに自衛隊を世界展開させ,大軍拡をしようと目論んできた。

「人間の安全保障」には二面性がある。一方で,それは,人間の生活の安全を総合的に保障するという正当な目的をもっている。ODAや民間援助により生活の向上を図り,世界中の人々に健康で文化的な最低限度の生活を保障する。これは崇高な目標であり,反対する人はいない。そして,現に政府や民間の多くの人々や機関が,日夜,そのために努力している。

しかし他方で,「人間の安全保障」は軍隊関与を認めている。だが,非軍事的開発援助に軍隊が関与することには根本的な問題がある。軍隊関与は,軍民分離の原則を否定し,開発援助を軍事化することになってしまう。

軍民分離の原則がなくなれば,危険になるのは軍隊よりもむしろ非軍事的援助機関である。開発援助は,本来,非軍事的であるべきものだ。「人間の安全保障」を名目とした軍隊の開発援助介入は,断じて許されない。

さて,この観点から,朝日新聞の「社説21」を読むとどうなるか。「世界のための『世話役』になる」「地球貢献国家」。大見出しはよい。誰もこれに反対はしない。

ところが,各論にはいると,とたんに変になる。「日米同盟を使いこなす。しなやかな発想」。少し前まで,軍事同盟を意味する「日米同盟」は禁句だったはず。それなのに左翼の朝日が巨大活字で臆面もなくアピールしている。これは「しなやか」ではなく,無原則。大政翼賛会的発想だ。そして,いよいよ核心に入る。


15 自衛隊の海外派遣
●自衛隊が参加できる国連PKO任務の幅を広げる
●平和構築のための国際的部隊にも限定的に参加する
●多国籍軍については,安保理決議があっても戦闘中は不参加が原則
 ・・・・01年に同法(PKO協力法)は改正され,凍結されていた本体業務への参加が解除された。停戦や武装解除の監視,緩衝地帯での駐留,巡回などが本体業務にあたる。まだこの分野での参加例はないが,今後は協力していくのが適切だろう。・・・・
 ・・・・将来的には現在のPKO法では認めていない,国連や公的施設の警護などにも範囲を広げる道も探る。・・・・
 ・・・・(戦闘中の多国籍軍への参加は)①誰の目にも明らかな国際法違反(領土の侵略など)があり,②明確な国連安保理決議に基づいて,国際社会が一致する形で集団安全保障(軍事的制裁)が実行され,③事案の性格上,日本の国益のためにも最低限の責任を果たす必要がある,といった要件をすべて満たす,極めてまれな場合でしかない。

16 人間の安全保障
●国連・平和構築委員会の中軸国となる
●「法の支配」定着への支援をお家芸にする
●ODAを大幅に増やす

 ・・・・自衛隊の海外派遣についての社説15で記したように,平和構築は世界の弱点をなくしていくために不可欠な政策である。
 ・・・・日本が平和構築委のまとめ役で力を発揮していけば,安保理に一定の発言権を確保することも可能だ。ここで実績を積むことで,日本は「常任理事国」でなくても,いつも安保理に必要とされ,頼られる国になれるだろう。そこを足場に,将来の安保理改革を唱えればいい。

(以上,5月3日付朝日新聞より引用)


以上の引用から明白なように,朝日新聞は,結局,自衛隊の海外派遣を煽り,しかも戦闘中の多国籍軍にも参加せよ,といっている。文面では「不参加が原則」と限定しているが,「原則」とはお役所言葉であり,これは実際には「参加してもよい」ということを意味する。そんなことは,用語集まで出している朝日新聞の社内では常識だろう。

また,「人間の安全保障」への軍事的・非軍事的貢献が,安保理常任理事国になるための手段であることも,朝日はあからさまに認めている。自衛隊の平和貢献,要するに国民の金と自衛隊員の生命により安保理のイスを買う。途上国援助は,日本国益のためのダシにすぎない。途上国の人々が読んだら侮辱されたと感じるに違いないような国益第一主義を,朝日もとっている。

いささか厳しすぎるかもしれないが,しかし朝日「社説21」は明らかに時流迎合である。朝日が率先して自衛隊の海外派兵を煽り立てれば,自衛隊はますます肥大化し,モンスターとなり,制御できなくなる。アメリカの命令や財界の要請で世界中の紛争に関与し,泥沼に入り,戦死者を出し,そして,結局はそれに対する批判の弾圧に向かう。日本の21世紀型軍国化だ。

軍隊に増殖の名目を与えてはならない。それが,どんなに美しかろうと。

Written by Tanigawa

2007/05/04 at 13:06

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