ネパール評論

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老老介護,事始め(9):ネパールの反面教師,日本[1]

日本の認知症高齢者介護の現状は,少子高齢化に向かい始めたネパールにとって,多くを学びうる格好の反面教師である。

日本でも,高齢者認知症は,私の生まれ育った地方の村々では,平成に入るころまでは,あまり問題とはされていなかった。少子高齢化や小家族化はまだそれほど進んでおらず,認知症高齢者も相対的に少なく,たとえ認知症になっても地域共同体の見守りなど様々な支援を受け,家族交代で面倒を見ることが出来たからである。地方は,他の地域でも同様であったであろう。

いまのネパールは,まだそれに近い状況にある。2012年10月~2013年1月の実地調査に基づき執筆された論文,伊関千書ほか「ネパールにおける高齢者と認知症」(『国際保健医療』 29(2), 2014)では,次のように説明されている。

「ネパールの医療現場の特に地方においては,認知症に対する認識が乏しかった。・・・・高齢者の家族を含め,ネパール人は加齢や認知機能の低下に対して楽観的,寛容的で,それを障害と捉えない傾向を示した。」(p.59)

「ネパールの高齢者では,会話によるコミュニケーションが日本以上に盛んであった。・・・・ネパール人は,・・・・高齢者に限らず屋外で時間を過ごすことを好む。地方では,日中,家の外の茣蓙の上や縁側のような場所・・・・に居ることが多く,ここを通りがかる家族や近所の人と会話を交わしている様子がしばしば観察された。地方ではテレビもなく,近所人間関係がさらに多いので,日本の一部の高齢者のように,一日中テレビを相手にしている生活はない。近所との関係が強いことが,地域在住の住民の健康によい影響を与えるということが,社会疫学分野から報告されている。」(p.66)

「ネパールの伝統的な家族構成は,多世帯同居家族であり,一家族に3~5世帯が同居していることも稀ではない。・・・・高齢者の世話や介護を,高齢者の子供以外にも甥や姪,孫世代までの多人数が交代で行う習慣が観察された。このような習慣では,高齢者が認知症であっても,介護の担い手1人当たりの負担が少なくなると考えられる。」(p.65-66)

ネパールの特に地方では,認知症になっても,「家族・地域内で解決されていたり,『祈祷師に相談する』という解決策をとられていたりする」(p.65)。

以上のようなネパール社会の現状は,少子高齢化や小家族化が加速し始める前の日本,特に高度経済成長本格化以前の日本の地方の状況とよく似ている。

たとえば,私の生まれ育った村は,1960年頃までは自給自足に近い農村であり,農繁期を除けば,時間や暇が有り余るほどあった。村人たちは仕事や村行事や趣味の場で日常的に交流し,おしゃべりを楽しんでいた。村には,半強制的な組に加え,様々な講のようなものもあり,たとえ誰かが近隣と無関係で生活したいと思っても,事実上,それは困難であった。たしかに息苦しくはあるが,高齢者認知症予防には最適であり,たとえ不幸にして認知症になっても地域社会の自然な支援が期待できた。いまのように少人数の家族だけで介護に明け暮れ,社会から孤立し,介護疲れで燃え尽きるといったことは少なかった。こうした村の状況については,以前,別の観点から少し紹介したことがあるので,参照されたい。
 ▼「郷里とネパール:失って得るものは?」2007年1月3日

ところが,そのネパールでもいま,少子高齢化が始まる一方,伝統的な大家族や地域社会の解体も進み始めた。高齢者認知症への備えが,ネパールでも必要になってきたのである。


 * ネパール高齢者(60歳以上)人口分布( Arun Jha, Nidesh Sapkota, “Dementia Assessment and Management Protocol for Doctors in Nepal,” JNMA, Vol 52 No 5, Issue 189, JAN-MAR, 2013)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/05/11 at 15:47

老老介護,事始め(8):そして哲学者の如く

認知症の母との会話は,哲学問答のようであり,常識による説得は不可能である。

会話の大半は,最大関心事の食に関すること。前述のように,食品は目につくとこに置いておくと無茶をするので,食べてよいおやつを除き,すべて隠してある。食事は,朝,昼,夕にその都度準備し,食卓に出す。生活と健康を守るため,これ以外に方法はない。

しかし,母としては,目の前に食べ物,とくにコメとご飯がないことは,一刻の猶予もならない非常事態である。朝起きると,ご飯がないと騒ぐので,すぐ朝食を出す。食べると忘れるが,しばらくすると思い出し,コメがない,ご飯が炊けない,母屋に行きコメを取ってくると言い始める。おやつを出したり,なだめたりして昼になり,昼食を出すと,しばらくは落ち着く。が,そう長くは続かない。また,コメがない,コメがないと言い始める。朝食後と同じようなことを繰り返し,夕食となる。そして,夕食後もまたまた,コメがない。ダミーとして出してある炊飯器を開けては閉め,コメがない! これが深夜まで続くこともある。

認知症の母にとっては,確かに存在するのは,そのとき,そのとき目の前にある現物だけである。目の前にコメがなければ,一大事,いくら要求してもコメが出てこなければ,その緊急事態を解決するための物語が創られ,語られることもある。

もっともリアルで整合性があるのは,うどん屋の話。昔からうどんが大好きなので,村にいたころは,近くの町にうどんを食べに連れて行っていた。これが強烈な印象として記憶されているらしい。

お話は,こうである。いまいるアパートの前の公園の坂を下ると,そこに,いつも行くうどん屋がある。コメがないので,その店に行き,うどんを食べよう。あるいは,うどん屋が商店に入れ替わることもある。坂の下に〇〇商店(いつも買い物をしていた村の商店)があるので,そこに行き,うどんを買ってきて,食べよう。

アパートが公園に囲まれ,小さな坂があり,その下にコンビニがあることは事実である。が,そこには,うどん屋もなければ〇〇商店もない。いまの住居付近のリアルな描写と,過去の記憶の断片とが見事に結び付けられ,首尾一貫したお話となっている。それが,コメがないという眼前の危機を突破するため,いとも易々と,何の苦も無くスラスラ語られる。信じられないほどの創造的想像力!

が,お話はお話なので,日々の生活のためには,コメと炊けたご飯は別室にしまってあるなどと説明し,納得させなければならない。ところが,いくら説明しても,絶対に納得しない。自分で現物を直接,何回も見て,その都度確認しなければ,不安なのだ。ウルトラ・リアリスト!

もちろん,現実には,コメやご飯を自由に見せ触らせることはできない。そんなことをすれば,無茶苦茶,どうにもならない。そこで,「毎日,毎日,3回ご飯を出し,食べさせているではないか」,だから「次のご飯の心配もしなくてよい」と説明し,納得させようとする。が,いくら繰り返しても,たとえご飯を食べている最中や,食べ終わった直後に言って聞かせても,絶対にダメ。

その論理が,スゴイ。「これまでご飯を食べ,いま食べていても,次に炊くコメが見当たらない。次のご飯が食べられない。」つまり,これまでご飯を食べてきたから,次も食べられるとは言えない,という理屈。論理明快!

これを聞くたびに,これまで毎日,太陽が昇るのを見たからと言って,明日も太陽が昇るとは言えない,と喝破したD・ヒュームのことが頭に思い浮かぶ。母は,僻地の村の小さな小学校しか出ていない。ヒュームのことなど,知る由もない。それなのに,ヒューム張りの議論を堂々と展開する。

哲学者の如き論法。恐るべし,認知症!

ネパールの認知症患者,2030年までに2倍に。ネパール人はもっと知るべきだーープラミラ・B・タパ
* Kathmandu Post, 22 Sep 2017

<補足>(5月9日)
認知症(Dementia)は,”Neurocognitive Disorder”とも呼ぶらしい。これは分かりやすい。認識・認知の秩序・順序が乱れる,ということだから。

認知症には様々な形があるのだろうが,このような認識の秩序の乱れが主な場合,秩序だった認識としての常識では思いもよらないような面白い認識が示され,驚かされるのも当然であろう。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/05/08 at 15:10

カテゴリー: 社会, 健康

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老老介護,事始め(7):科学者の如く

斑状の記憶喪失の母は,残存の記憶や何らかの拍子に蘇った記憶をつなぎ合わせ,いまの物事を理解し行動しようとしている。常識外れの,奇想天外な話や行動が,次から次へと繰り出されるのは,そのためであろう。世間の常識にこだわらず,思いもよらないようなことを試みるのは,科学者であり哲学者。その意味で,母は科学者であり哲学者である。

たとえば,最近のシャワー事件。風呂のシャワーには,取手に湯を出したり止めたりする手元押しボタンがある。シャワーを持つと,手のすぐ上に位置するかなり大きなボタン。これまでは,このボタンを押して湯を出したり止めたりし,シャワーを使ってきた。何の問題もなし。

ところが,先日,風呂から出たので片付けに入ってみると,シャワーのホースが根元から外され,湯が給湯配管の口から噴出するようにされていた。びっくり仰天。何だ,これは!

常識に囚われていては,毎日使っていた一番近くの目につきやすい,一番簡単な手元ボタンをなぜ押してみないのか,まったく理解できないはずだ。が,その常識をいったんカッコに入れ,科学の目で見るならば,それは合理的な行為であることがわかる。湯が出ない原因を次々と確かめていき,その結果,ホースを根元から外すことにより,湯を出すという目的を達成することが出来たのだ。

同様のことが,ほかにもたくさんある。もう一つだけ紹介すると,たとえばポット事件。村の家でも転居後のアパートでも,居間の,ほとんど一日中使っている机の上に電気ポットを置いてきた。高齢になると喉が渇くので,しょっちゅうポットから湯を出し,お茶を飲む。操作は2つ。「ロック解除」ボタンを押し,「給湯」ボタンを押すだけ。長年,十数年以上,毎日,この操作を幾度となく繰り返し,お茶を飲んできた。

ところが,昨年暮れ,ボタンを二つ押す操作が出来なくなった。見ていると,すべての操作ボタンをあれこれ押すが,「ロック解除」⇒「給湯」の組み合わせはできない。もちろん,何回も,この操作方法を教えやらせてみたが,一人ではできなくなってしまった。仕方なく,旧式の魔法ビンを出してきて,使わせていた。

数日後,居間に行くと,びっくり仰天! 電気ポットの上蓋を開けて傾け,熱湯を急須に注ごうとしているのだ。魔法ビンの湯が無くなっていたのだろう。

この行為も,ボタン二つを押すという操作をカッコに入れるなら,危険ではあるが,目的合理的である。科学は,与えられた条件の下で,可能な限り単純明快たろうとする。電気ポットからの直そそぎは,科学の精神に合致している。(世間でも,このところ電気ポットは,機能過剰型から沸かして傾け注ぐだけの単機能型に移行しつつある。)

母のこの「科学的」な電気ポット使用法は,幸か不幸か,その後,記憶がよみがえったため取りやめとなり,以前の「ロック解除」⇒「給湯」の方法に戻ってしまった。ほっとしたような,ちょっと残念なような。

このように見てくると,母の他の行為の多くも,困り危なくはあるが,理解できないものではないことがわかる。認知症の母は,常識をカッコに入れた上で,他のあらゆる可能性を試そうとする科学者の如き存在である。

▼アルツハイマー病による死亡,ネパールは日本より深刻(死因判定方法の相違不明)
 
 *ネパール=2番目に高い緑色,日本=最も低い灰色(World Health Rankings)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/05/07 at 14:12

カテゴリー: 社会, 健康

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老老介護,事始め(6):戯作者の如く

高齢の母は,認知症が進んでいるが,これは必ずしも知力それ自体の衰退を意味しないように思われる。

理解力や構想力は,古い記憶が斑状に失われ,新しい出来事の記憶も持続しないので,首尾一貫した体系的な形,ないし常識的に了解可能な形では示されない。それらは,残された記憶の何かへの刺激を引き金に,「間欠泉」のように突如噴出する。時間も空間も自在に飛び越え,様々な物事が結び付けられ,あるいは切り離され,そこに創作も付け加えられ,物語が組み立てられ,語られる。常識はずれ,非常識。だが,それだけに,かえって奇想天外,驚かされ,感心させられることも少なくない。

たとえば,転居。村の自宅での独居は無理となり,都市近郊の私の家の近くのアパートに引っ越してもらったのだが,転居の理由をいくら説明しても理解し納得してもらうことはできなかった。帰ろうとしてアパートを出て徘徊を何回も繰り返し,2,3か月たってようやく,村に帰ると言い張ることが少なくなってきた。

そして,おそらく自分自身を納得させるためであろうが,転居の理由がいくつか考えだされた。まったくもって不思議なことに,繰り返し説明し,最も自然で分かりやすい「息子に面倒を見てもらうための転居」は,一度も口から出たことはなかった。

母が語り始めた転居の話には,大きくまとまったものとしては二つある。一つは,町広報を読んでいたら,町が老人のためにアパートを用意し,家賃も電気・水道も全部無料で提供すると書いてあったので,それなら,と自分でここに移ることにしたという話。財政逼迫の町にそんな余裕はないはずだが,低家賃の町営住宅はあるので,おそらくその募集案内が出ており,それを読んだのだろう。「町営」,「安い」という印象が強く残り,それらが自分の転居と結びつき,「全部無料」へと変わり,それなら転居し使ってやろう,ということになったらしい。そのため,危険防止のため外出を制限したり包丁などを隠したりすると,「こんな不便なところなら,借りなければよかった」と愚痴を繰り返しこぼすようになった。

もう一つの話は,村の自宅の離れに移ったという説明。たしかに村の自宅には独立した離れが二つあり,移ろうと思えば,移れる。が,この話は,無料町営住宅以上に荒唐無稽。離れであれば,目の前に母屋があるし,まわりは田畑や山林である。いまのアパートは公園内の緑豊かで静かなところにあるとはいえ,風景はまるで違う。ちょっと考えれば,そんなことはすぐわかるのに,そこには全く思いが及ばない。そして,自宅の離れに移ったことを前提に,話を論理的に,理路整然と組み立てていく。一番の関心は,何といってもコメ。前述のように,無茶をするのでコメは隠してある。すると「コメがない,コメがない」と大騒ぎし,母屋に行って台所からとってくる,と言い張る。朝から晩まで毎日,何回も何回も。むろん,ご飯を出せば,すぐケロリと忘れてしまう。

これら二つの話は,常識からすれば無茶苦茶,ぶっ飛んでいる。が,お話としては,よくこんなことを思いつくなぁ,と感心するほどイマジネーションに富み,夢に満ちている。時空を自在に往来できるファンタジー。あるいは,貧困な高齢者生活保障に対するアイロニー。

認知力の衰えで常識の縛りが解け,思いが自在に天翔ける。自由な戯作者の如し。

■ネパールでも高齢化加速(Kathmandu Post, 16 Sep 2016)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/05/05 at 14:52

カテゴリー: 社会

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老老介護,事始め(5):「餓鬼」の如く

高齢の母は,認知力が減退するにつれ,全般的に意欲が低下し,まったく無関心の領域も虫食い状に広がっていった。

自分の身なりや家の掃除・整頓をあまり気にしなくなり,近隣との付き合いも減っていった。近くの畑での野菜や花の栽培は,かつては仕事であり,農業をやめた後は最大の趣味であったのだが,それも徐々に興味を失い,やめてしまった。

新聞は,毎朝,読むのが日課だったが,徐々に読むのではなく,ページを開き,眺めるだけとなった。テレビも,画面を眺めるだけ,番組を見て楽しんでいるようには見えなくなった。

新聞やテレビは,それらを見ているとき話しかけると,その都度,都度の記事や番組の断片的な内容は理解しており,話すことが出来た。ところが,それにもかかわらず,記事や番組を全体として理解しているようには見えない。おそらく記憶が持続せず,通して読んだり見たりして記述や出来事の相互関係を把握し,それらの意味を理解して楽しむことが出来なくなったのだろう。

こうして,ほとんどの物事への関心が減退していく中にあって,唯一,変わることなく持続しているのが,食べることへの意欲。他の物事への関心が薄れているので,食欲だけが目立つ。むしろ,食欲が異常に昂進しているようにさえ見える。

とにかく四六時中,食べることの心配ばかり。最大の関心事は,ご飯。コメと炊飯器は台所に置いてあったが,もう大変。コメは,次々に米櫃から出し,洗ってしまう。炊飯器は,しょっちゅうスイッチに触り,ふたを開け,中を見る。炊けているか確認するのであろうが,こんなことをすれば中のご飯はいたみ食べられなくなってしまう。炊飯器も故障する。仕方なく,コメを隠したが,そうすると「コメがない,コメがない」と大騒ぎし家中を探し回る。炊飯器も隠すと,パニック。仕方なく,古い炊飯器をダミーとして出してある。配線の一部を切り,電源は入らない。ひっきりなしに触れ,ふたを開閉するが,騒がしいだけで,実害はなくなった。

他の食品も大変。冷蔵庫をひっきりなしに開け,ひっかきまわし,食品があるかどうか確認する。そして,たとえば沢庵漬けを見つけると,1本丸ごと切り,食卓に出す。他の食品も同様。とても食べられはしないが,それでも見つけると,大量に出し,食卓に並べようとする。もう無茶苦茶。仕方なく,冷蔵庫はロープで縛り,鍵をかけた。

食事は,毎日,3食準備し,きちんと食べさせている。おやつのお菓子や果物も十二分に出してある。それなのに,なぜ食べ物にこれほど執着するのか? たしかに,認知症のため,食べたことをすぐ忘れ,次々と食べる,ということはある。いわゆる「認知症過食」。が,単に忘れたから,また食べる,ということだけではなさそうだ。

食へのこれほどのすさまじい執着。それは,生物としての最も根源的な生存本能によるものではないだろうか? 他の物事への関心が低下し,次々と失われて行っても,自己保存の本能的欲求だけは残る。その自己保存本能が食へのあくなき執着をもたらし,まるで「餓鬼」であるかのような行動をとらせているのではないだろうか?
 *餓鬼=餓鬼道に落ち,飢えとかわきに苦しむ亡者。[がつがつ食べるというので,俗に子供の意にも用いられる](新明解国語辞典)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/05/04 at 17:34

カテゴリー: 社会

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老老介護,事始め(4):認知と行為の断絶

母の認知能力は,いま思い返すと,十数年前から減退し始めていた。小銭入れやメガネなどを置き忘れ紛失したり,冷蔵庫から取り出した食品を入れ忘れたり。しかし,そうした物忘れは誰にでもあることであり,日常生活にさして支障はなかった。

数年すると,物忘れがひどくなり,ガスコンロや石油ストーブの消し忘れも始まったので,それらをすべて撤去し,安全装置付き電気器具に置き換えた。その一方,物事の判断もおかしくなり始め,冷凍庫に缶詰を入れたり,使い捨て紙パンツを洗濯機で洗ったりするようになった。この頃から生活にある程度支障が出始めたが,それでも生活環境を整え,少し用心さえしておれば,まだ自立して暮らしていけた。

しばらくすると,これまで長年にわたって繰り返し行ってきた洗濯機や風呂給湯器の操作ができなくなった。いずれも自動運転で,「電源入れる」と「運転開始」の2つのボタンを押すだけ。仕方ないので,それぞれのボタンに①,②の印をつけ,壁に「①を押してから,②を押す」と大書した紙を貼り付けた。炊飯器,電子レンジ,電気ストーブなどの他の機器や,玄関錠などにも同様の操作指示書をつくり見やすいところに掲示した。

また,この頃には,お金の計算ができなくなり始めた。お金がいくつかの財布に入っているときや,千円札,五千円札など異なる紙幣があるときは,途中で忘れてしまい,何回やっても合計金額を出せなくなった。仕方ないので,一区切りごとに紙に金額を書き留め,あとで合計を出すことにした。いくつかに区切れば,数え,書き留め,あとで合算することはできた。

日付や薬を飲むことも,忘れ始めた。そこで,新聞を見てカレンダー日付を1日ずつ×印で消していき,その日の薬を飲むようにした。これも,指示通りできた。

このように,この段階では,必要な操作や行動を紙に書き,近くの見やすいところに貼っておけば,家中,掲示だらけとはなったが,一応,それに従って行為できたので,何とか自立して生活を続けることができた。

ところが,1年ほど前から,この「文字書き操作指示」に従い行動することが出来なくなり始めた。当初,なぜ指示に従えないのか,まったく理解できなかった。毎日,新聞や雑誌を読み,メモなど文章を書くことも問題なく出来た。では,なぜ「操作指示」に従わないのか? わざと指示を無視し,勝手なことをしているのか? そう疑い,怒ったり叱りつけたりした。しかし,いくら繰り返し掲示の指示通り操作せよと言い聞かせ,実際にやって見せても,効果は全くなかった。

そんなとき,お金を数えさせていて,はっと気づいた――ある種の認知ないし記憶は瞬時に失われ,次の行為につながらないのだ,と。千円札を持ち,1枚,2枚,3枚・・・・と数え,12枚で1万2千円と認知する。ここまではできる。ところが,ボールペンを持ちノートに書きつけようとすると,もうその「合計1万2千円」という認知は記憶から消え去ってしまっている。だから,何回も数えては忘れ,数えては忘れを繰り返し,いつまでたっても合計金額をノートには書けない。

そう,そういうことだったのだ! 毎日,新聞,雑誌を読み,相当難しい文章を理解している。だから「①を押してから,②を押す」といった指示も,何の問題もなく理解している。しかし,読み理解してから,それを自分の身体の動き(指で押す)に移すまでの間に,読み取った指示を忘れてしまっているのだ。他の指示もすべて同じこと。

こと,ここに至って,自立した生活はもはや無理と判断せざるをえなくなったのである。

▼脳の変化と認知症
厚労省HPより

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/04/30 at 15:26

カテゴリー: 社会

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老老介護,事始め(3):天恵としての認知症

高齢の母を自宅そばのアパートに呼び寄せ介護を始めて3か月余。当初,自分のためにも日々の出来事を整理し要点を備忘録風に書き留めておくつもりだったが,すぐ,それがいかに甘い考えであったかを思い知らされることになった。

母は中程度の認知症(痴呆症)。たいていは,はほぼ平穏に暮らし,特に危険なことをするわけではない。だから在宅介護でも大丈夫と考えたのだが,ときたま,しかもちょっと目を離したすきを狙いすますかのように,放置できないようなことをする。鍵をこじ開け外出したり,スイッチや蛇口をいじったり,引き出しや冷蔵庫をひっかきまわしたり,等々。まるで,こちらの方が監視され,わずかのスキを狙われているかのよう。まったくもって不思議?

そのため,平穏そうであっても常に気配に注意し,変なことをしないか見張っていなければならない。これは疲れる。四六時中,気が休まるときがなく,何をしようとしても集中できない。焦り,いら立ち,徒労感にさいなまれる。

とはいえ,在宅介護を始めた3か月前と比べると,認知症対応に少し慣れてきたこともまた事実だ。他のことも,集中はできないが,それでも途切れ途切れに時間を使い,ある程度やれるようになってきた。そこで,この「老老介護,事始め」も,とりあえず再開してみることにした。

***** ***** *****

母の認知症(痴呆症)は,アルツハイマー型。記憶障害,判断力低下,見当識障害(日時,場所,人物などの認知障害)が,教科書通り,ネット情報通り,出ている。家族による介護は困難を極めるが,病気自体は,高齢者には多かれ少なかれ数人に一人はみられる,ごくありふれたものだ。

が,しかし,加齢に伴う認知能力の低下を「病気」と呼び,必要以上に恐れ,治療しようとする今の行き方は,根本的な誤りのような気がする。それは,「病気」ではなく,自然な老化現象の一部なのではないか?

というよりもむしろ,認知能力低下は,正気では到底直視できない恐ろしい「死」を見つめることなく,穏やかに「死」を迎えるための神の恩寵かもしれない。

人間は,はるか昔のあるとき,神の命令に背き,「認識の木の実」を食べ,認知能力を取得した。これは罪であり,罪は処罰される。人は,罪の意識に恐れおののきつつ認知し,どうしても認知できない,あるいは認知したくない物事,特に死に直面した時には,認知の罪を告白し,神の許しを請うた。人は,認知を断念することによりはじめて,罪を許され,救われ,「永遠の平和」に立ち戻ることができたのである。

ところが,近代に入ると,人間は原罪を忘れ,人間の力で万物を認知し支配したいと考えるようになった。知はそれ自体善であり,力である! 人間は,認知能力を高め自然(物理的自然と人間的自然)を理解すれば,それを存分に使いこなし,より豊かな,より幸せな生活を実現することができる。

この近現代合理主義を前提にすると,たとえ加齢によるものでも認知能力喪失は悪であり,治療すべき「病気」となる。人は,最後の最後まで正気で生き,死苦を直視し認知しつつ死ななければならない。何たる残虐! そんな近現代社会は,社会の方が倒錯し病んでいるのではないか?

加齢とともに認知能力が低下するのは,自然な成り行きであり,神の恩寵である。高齢者が,認知能力を喪失しても,そのあるがままの自然な姿で平穏に暮らしていける諸条件を整えた社会――日本はそうあってほしいと願っている。

▼認知症の人数と割合
MUFGホームページより

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/04/29 at 17:24

カテゴリー: 社会, 宗教, 文化

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老老介護,事始め(2):「生物的余生」の悲哀

高齢の母の在宅介護を始めてすぐ痛切に感じられたのは,人間の「生物的余生」の悲哀である。あまりにも哀れで悲しく,直視にたえない。なぜ,こんな悲惨な余分の生が人間にはあるのか? 

1.現代の宿命としての認知症
物わかりの良い認知症専門家は,それは素人の偏見・誤解だ,認知症患者にもそれぞれの意思や幸福があり,それらを最大限尊重し生活させてやるのが家族の義務だと説教される。それはそうかもしれないが,そんなことができるなら,家族は悩み苦しみはしない。

むろん,認知症にも多種多様なものがあるのだろうし,発症や進行を防止したり遅らせたりできる場合もあるであろう。あるいは,発症・進行しても,それを受け入れ日常生活がそれなりに継続できるような家族や地域社会もありうるだろう。しかしながら,そうした可能性ないし希望を認めたうえでもなお,発症・進行を止められない場合が多数あると思われるし,また認知障害者を受容できる家族や地域社会も現実には多くはない。数世代同居ないし近住の大家族も,緊密な共同体的近隣社会――村的社会――も,もはやない。あるいは,共同体的見守り介護を行政に期待しても,財政的にも人材的にもそれは困難で,当面,多くは期待できそうにない。

もしこれが今の現実なら,少子高齢化社会に生きる私たちは,たとえ専門知識がなくても,痴呆や認知障害を家族の問題として,いや自分自身の問題として考え,覚悟しておかなければならない。

私にも生物学や医学の知識はないが,自分自身を納得させるための論点整理として,以下,母介護をしていて素人なりに思うことを書き留めておきたい。

2.生物的余生50年
植物や動物など生物は,子孫繁殖のために生命・身体を与えられている。生殖こそが生きる目的であり,その天命を全うすれば,自然界の生物は死んでいく。生殖終了後の余生は,無くはないが,長くはない。

人間も,近代化以前は,他の動物と同様,一般に「生物的余生」は短かった。人間の生殖可能年齢はせいぜい40代まで,それ以降は,生物的には無用で無意味。だから長らく人間も50代に入ると寿命が尽きる場合が多かった。俗にいう「人生50年」は,そのころの人々には生活の実感であったに違いない。まさしく天寿を全うし死んでいく。

ところが,近代化とともに栄養・衛生など生活環境が改善され,医学も発達し,人間は生殖可能年齢を過ぎても,なかなか死ななくなった。いまや「人生100年」,生物としての想定生存年数の2倍も長生きするようになったのだ。

しかしながら,人間も50歳を過ぎると耐用年数を超えた身体諸器官が次々と機能低下し,そのままでは生存が難しくなり始める。そこで人間は,栄養補給や服薬や機能回復手術などによって,ときには機能不全となった自分の器官を他人の中古器官や新品の人造器官と取り換えることによって,それを克服し,死を先へ先へと先延ばししてきた。「人生100年」は,その成果である。生物的余生50年!

3.高機能身体と機能不全脳
ところが,困ったことに,いまもって脳だけは,取り換えはおろか,修繕さえままならない。脳が耐用年数を過ぎ故障し始めると,多少の手当てはできるものの,他の器官のような大きな治療効果は期待できない。多くの場合,自然の成り行きに任せざるを得ない。

この脳は,人間にとって,人格形成の場であり精神活動の中枢である。人間は,その時々のバラバラの体験を脳で関係づけ経験化して記憶(保存)し,それに基づき自己の意思を形成し,それを実行に移す。コンピュータ(電脳)でいえば,CPU(中央演算装置)のようなもの。

その脳が耐用年数を過ぎ,あちこち故障し機能不全に陥り始めると,記憶の喪失や混乱が始まるのは避けがたい。その結果,一般常識(社会的記憶・規範)からすれば「異常」な,様々な逸脱行動が始まり,拡大・激化していく。

近代化以前だと,脳がこのような経年機能不全に陥っても,身体の方の耐用年数も大差なかったので,大きな社会問題とはならなかった。人間の生殖可能年齢以降の「生物的余生」は,あっても,一般には短かった。脳寿命は身体寿命――これが「人生50年」の現実であった。

ところが,いまや「人生100年」。脳機能不全の下での「生物的余生」は長く,いやでもその過ごし方を考えざるをえなくなった。しかも,栄養や衛生や医学の向上発達により,脳以外の諸器官の機能は高いまま長期間維持されていく。

脳も,他の器官と同様,一部または全部を中古または新品の脳と,いや一層のこと超高性能CPUと取り換えてしまえば,問題は解決するのだが,倫理という人間的な,あまりにも人間的な“こだわり”のため,当面,それは実現しそうにない。

4.認知症と生命倫理
高機能身体を機能不全脳で操縦し生きていく。さぞかし難しく,もどかしく,苦しく,つらいことであろう。介護者にとっても,高機能身体を暴走させ自他に危害を及ぼさせないように見守ることは,筆舌に尽くしがたい忍耐と献身が求められる苦行である。いずれも哀れで悲しく見るに堪えないというと,認知症専門家には叱られるだろうが,介護を始めたばかりの素人には,その思いはどうしても禁じ得ない。

これは,天命に背き自然を征服してきた人間への,現代における一種の天罰ではないだろうか? 人は何のために人を生かし続けるのか? 自明? そうでもあるまい。生命倫理にかかわる危険きわまりない問いだが,もはや見て見ぬふりをし,避けて通ることはできないであろう。技術的には無限の生存ですら可能とされそうな現代だからこそ。(*1)

*1 「治る認知症を見逃さないために早期の診察は必要である。しかし,それ以外の認知症の治療効果に過度の期待はしない方がよかろう。認知症にならないようにするにはどうすればよいか。あれがよい,これがよいと言われているが,残念ながら,その効果はあまり期待できない。確実にいえる予防法は,過激ではあるが,認知症になる前に死ぬことである。長寿は美徳ということがあまりに強調されてきた。認知症になって生きながらえて,本人も周りも楽しいだろうか? 認知症の最大のリスクファクター(危険因子)は加齢である。今こそ,単純な長寿よりも,『ピンピンころり』をどう成し遂げるかを真剣に考えるべきであろう。」(丸山敬[埼玉医大教授]『これだけは知っておきたい認知症』ウェッジ選書,2014,160頁,強調引用者)

【紹介】三好春樹・多賀洋子『認知症介護が楽になる本』講談社2014
ハウツー本のようなタイトルだが,内容は優れた介護ドキュメンタリ。著者・多賀さんの夫は,京都大学教授だったが,退職後,認知症が進行,73歳で亡くなった。著者は感情過多にも解釈過多にも走ることなく,事実に即して経過を描こうとされている。読みやすく,教えられることも多い。
 

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/02/20 at 16:43

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老老介護,事始め(1)

昨年末,高齢の母を呼び寄せ,自宅で世話を始めた。高齢者の世話ないし介護については,様々な手引きや解説書あるいは体験記が多数出ており,その大変さは十分理解していたつもりだったが,いざ実際に介護を始めると,そんな頭での理解は畳の上の水練,屁の突っ張りにもならないことをすぐ思い知らされた。まだほんの一か月ほどなのに,早や疲労困憊,あがけばあがくほど無間地獄に引き込まれていくような恐怖と絶望にさいなまれている。

そもそも介護者の私自身からして,すでに70歳を超えた老人,体力,気力の衰えは如何ともしがたい。老人を老人が介護する「老人の老人による老人のための介護」,すなわち「老老介護」だ。

この「老老介護」の問題は,一方における日本社会の高齢化,少子化,核家族化の進行と,他方における老人公的介護削減とセットの老人在宅介護促進の政策により,今後さらに急速に深刻化していくことは間違いない。

私が始めたばかりの母介護は,この日本社会の老老介護のほんの一例に過ぎない。もとより私は老人介護については全くの初心者。これから先どうなるやら,まるで見通せない。それでも日々の試行錯誤の実体験をメモし,まとめ,少しずつ文章化していけば,主観的な体験を反省し,それを客観的な経験へと変えていくことができるであろう。

なによりも恐怖と絶望と怒りの介護無間地獄に転落しそうな自分自身を,体験の文章化により少しでも対象化し,自己を自己の外から客観的に観察し,評価し,そうすることによって冷静さをできるだけ取り戻し,介護に立ち戻ることができるようにするために。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/02/02 at 16:10

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