ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

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京都の米軍基地(59):地元住民は米軍「大歓迎」

京丹後の地元住民は,米軍基地を大歓迎しているそうだ。たとえば,ジェイソン・E・オルブライト第14ミサイル防衛中隊司令官は,こう述べている。

「わが中隊は,地域社会との極めて良好な関係を持ち,地域社会も中隊の任務を全面的に支持してくれている。」 「地域社会の指導者たちは,わが中隊を喜んで地域社会に受け入れ,発足式にも多くが出席してくれた。」 「私は,・・・・日米同盟を強化するとともに,文化交流や地域社会への働きかけを通してわが国軍人と地域社会住民の生活を改善していきたいと考えている。」(”Activation of 14th MDB Strengthens US – Japan Alliance,” by Sgt.Kimberly K.Menzies,94th Army Air and Missile Defense Public Affairs,October 23,2014)
[駐留軍正式名称]The 14th Missile Defense Battery,100th Missile Defense Brigade,94th Army Air and Missile Defense Command

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米軍は,もともと情報戦に長けており,戦略的に進駐先の世論工作をする。しかも,英語帝国主義の世界制覇により,地元工作は,同時に世界世論工作ともなる。

これとは対照的に,日本は情報軽視文化(沈黙は金!)であり,しかも敗北二流言語の日本語を使っているので,世論工作で米国に勝てる見込みは,ない。

かくて,丹後住民はこぞって米軍基地を大歓迎しているということになる次第。

[補足]ネットの米軍関係ページを閲覧すると,個人情報を盗み取られる恐れがある。要注意!

141026a ■中隊発足式(10月22日)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/10/26 at 21:50

京都の米軍基地(58):「売国的」停波合意

下品な言葉は使いたくないが,Xバンドレーダー停波合意は「売国的」「植民地的」と言わざるをえない。ヒドイ!

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 ■米軍経ヶ岬基地,10月22日

1.停波手続
正式の合意文書が手元にないので京都新聞報道(10月23日)に依らざるをえないが,記事によると,レーダー停波手続は次の通り。

(1)ドクターヘリの場合
 要請者(京丹後市消防本部,宮津与謝消防本部またはヘリ運航会社)が,英語で,米軍通信所に停波要請し回答を受ける。
(2)海難救助の場合
 要請者(地元の消防本部と警察)が,英語で,米軍通信所に停波要請し回答を受ける。

2.使用言語は英語
まず第一に問題にすべきは,停波関係者の正式使用言語が,英語(米語)だということ。(停波合意文書正文が英語か否かは不明。)

言語は,繰り返し述べてきたように,文化の基盤であり核である。日本では大部分の国民が日本語を母語としており,したがって日本語がそれに当たることはいうまでもない。(少数派言語の権利尊重は当然の大前提。)

京丹後でも,日本語は大多数の住民の古来の母語だ。人々は,日本語で日々生活し,日本語を使って仕事をしてきた。それなのに,米軍との交渉に,なぜ外国語の英語(米語)を使用しなければならないのか?

そもそも米軍は,米国益のために京丹後にやってきた,はた迷惑で危険な居候にすぎない。その居候に,卑屈にもペコペコへつらい,自らの魂ともいってもよい日本語を放棄し,カタコト英語であれこれお願いする。あまりにもミジメ,情けない。

停波は,たとえかりに米軍基地の存在を認めるにせよ,もともと丹後住民の当然の権利であり,必要なときは,日本語で,堂々と停波を要求すべきだ。その日本語で伝えられる日本側要求を,英語に正確に翻訳し,忠実に実行するのが,居候たる米軍の当然の義務だ。

異文化間の交渉において,どの言語を用いるかは,決定的に重要だ。京丹後の要請者が,たどたどしい英語で,”Dokutaa-Heli kamu, puliizu sutoppu reidaa! Onegai-shimasu” などと要請しても,米軍側は「ナニ,イッテイルノカ,ワーカリマセン???」とかいって,無視してしまうのが落ちだ。

米軍との交渉に英語(米語)を使えば,交渉の最終解釈権は米軍側に握られる。英語帝国主義への屈服! これをもって「売国的」「植民地的」といわずして何とする。

3.防衛省と京都府の免責
つぎに,停波要請が,防衛省や京都府を介してではなく,地元の消防や警察署あるいはヘリ会社から,直接,米軍に提出されることになっているのも,不可解だ。(自衛隊はバックアップ[10月26日追加])

たしかに,防衛省や京都府を通すと時間がかかり,緊急時に間に合わない恐れもある。しかし,このハイテク時代,情報伝達は瞬時であり,制度さえ整えておけば,遅延はそれほど心配するに当たらない。

が,防衛省(政府)と京都府は,そうはしなかった。なぜか? おそらく,停波を地元関係機関と米軍との直接交渉にしておけば,国家も府も面倒なことに巻き込まれず,責任逃れができるからであろう。

考えてもみよ。相手は世界最強国家の巨大軍隊。こちらは極東の辺境のちっぽけな自治体の,予算も人員もままならない小さな小さな消防や警察か,あるいは民間ヘリ会社。まともに相手にされるはずがない。

4.米国「植民地」としての「美しい国」
米軍基地については,一事が万事これ。米軍はむろんのこと,日本政府も地域住民のことなど,眼中にはない。英語と軍隊の二刀流の達人,米国=美国の帝国主義支配にひれ伏し,いじぎたなくおこぼれに預かろうとしているのが,「美しい国」日本の現在の偽らざる姿である。

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[参考資料:10月26日追加]「経ヶ岬飛行制限区域に係る停波要請手続きについて」(京都府,2014-10-23)
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谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/10/25 at 18:37

安倍首相の国連演説とカタカナ英語の綾

安倍首相が9月25日,国連で,また英語演説をした。英語は,ほとんどの日本人にとってチンプンカンプンの外国語であり,母語ではない。その異国の言語を,日本国元首たる首相が,国連という公の場で日本国民を代表し演説する場合,なぜ使わなければならないのか?

140928 ■国連演説(官邸HP)

1.取り戻すべきは日本語
安倍首相は,「日本を取り戻す」を信条とする愛国主義者だ。では,その取り戻すべき「日本」とは何か? 答えは様々でありうるが,もっとも核心的なものは「日本」をして「日本」たらしめている「日本文化」であり,その核心の核心が「言語」,つまり「日本語」だ。多くの日本人にとって,日本語は祖先から連綿として受け継がれてきたかけがえのない「母語」なのだ。

むろん,蛇足ながら誤解なきよう述べておくと,日本語以外の言語を母語とする日本人も,権利義務において,日本語を母語とする日本人と完全に平等であり,何ら差別されるはずはない。それを当然の前提とした上で,日本国元首たる首相が国連や他の公の場で日本国民を代表して発言する場合,便宜的にどの言語を選択し使用すべきかといえば,それは圧倒的多数の日本人の母語であり首相自身の母語でもある日本語をおいて他にはありえない。ほとんどの日本人が理解しえない外国語で,自分たちの代表たる首相が国連や他の国際会議の場で演説する――国民にとって,これほど卑屈で惨めなことはあるまい。

2.内外二枚舌の危険性
安倍首相は,国内向けには「日本を取り戻す」を信条とするコワモテ愛国主義者だが,一歩,外に出ると,英語帝国主義国に「日本を差し出す」お人好しの従属的「国際主義者」に豹変する。首相には,国内向けの舌と外国向けの舌がある。内外二枚舌!

世界各地において,少数派文化集団・言語集団が,自分たちの文化=言語=魂を守るため,長年にわたって艱難辛苦,どれほど苦しい闘いを強いられてきたか? 「国際派」の安倍首相が知らないはずはあるまい。

にもかかわらず,安倍首相は,自ら進んで,嬉々として,自らの母語=魂を英語帝国主義国に差し出す。国際社会で自国の母語すら使えない情けない国が,安保理常任理事国のイスを要求する? チャンチャラおかしい。日本国元首(=首相)たるもの,堂々と日本語で演説し,有能な専門家に国連公用語に正確に通訳してもらうのが,筋だ。(現在の国連公用語は差別的であり,国連自身の多文化共生理念に反するが,この問題については別途論じる。)内容のある演説なら日本語でも(通訳を通して)傾聴され,無内容なら英語でも居眠りされる。

安倍首相の内外二枚舌は,国内政治的には,十分に計算されたものだ。今回の国連演説でも,たとえば――
  [英語演説]    [政府日本語訳]
 ”war culture” ⇒⇒ 「ウォー・カルチャー」
 Proactive Contribution to Peace ⇒⇒ 積極的平和主義

国連英語演説の”war culture”が,国内向けの日本語訳では「ウォー・カルチャー」。これは断じて日本語ではない。なぜカタカナ英語にしているのか?

“war culture”は,いうまでもなく本来の「積極的平和(positive peace)」主義において使用されてきた概念である。ガルトゥングらは,平和の反対概念を「暴力(violence)」と捉え,その暴力には「直接的」「間接的(構造的)」「文化的」の三層があると考えた。これらのうちの「文化的暴力」は,最も基底的なものであり,戦争ないし暴力を容認したり是認したりする文化,つまり「平和の文化(culture of peace)」の反対概念たる「暴力の文化(culture of violence)」ないし「戦争の文化(culture of war)」のことである。では,もしそうなら,なぜ日本政府は「戦争文化」ないし「戦争容認文化」と訳さないのか?

一般に,行政がカタカナ英語を使うのは,ズバリ,本来の意味を誤魔化したり微妙にずらしたりして,国民を行政の望む方向に誘導するためである。「ウォー・カルチャー」もしかり。安倍首相が,「戦争容認文化」「戦争是認文化」の旗手たることは,国内では誰一人知らない人はない。それなのに国連演説では,世界世論に迎合するため――

Japan has been,is now, and will continue to be a force providing momentum for proactive contributions to peace.Moreover,I wish to state and pledge first of all that Japan is a nation that has worked to eliminate the “war culture” from people’s hearts and will spare no efforts to continue doing so.(国連演説英語原文)

と,大見得を切ってしまった。正確に訳せば,「人々の心から“戦争文化(戦争容認文化・戦争是認文化)”を除去する」となる。が,そう訳してしまうと,国内ではまさしく「戦争文化」の旗手たる安倍首相が困ったことになる。明々白々,丸見えの自己矛盾,自己否定だ。そこで知恵者・日本行政は例の手,カタカナ英語を繰り出した――

「日本とは、これまで、今、この先とも、積極的な平和の推進力である。しかも人の心から『ウォー・カルチャー』をなくそうとし、労を惜しまぬ国であると、まずはそう申し上げ、約束としましょう。」(国連演説政府訳)

「ウォー・カルチャー」は英語でも日本語でもない。それは,”war culture”でも「戦争文化」でもない。そして,その限りでは,それは「誤訳」ではない。

しかし,このようなカタカナ英語による内外二枚舌の使い分けは,いずれ必ず露見する。日本政府の信用は根底から失墜し,世界社会からも日本国民からも見放されてしまうであろう。

もう一つ,今回国連演説でも,「積極的平和主義」の誤魔化しが繰り返された。
 [国連演説] a force providing momentum for proactive contributions to peace
    ⇒⇒[国内向け政府訳] 積極的な平和の推進力
 [国連演説]Proactive Contribution to Peace
    ⇒⇒[国内向け政府訳] 積極的平和主義
この点については,すでに批判したので,参照されたい。
 [参照]自称「右翼軍国主義者」の「積極的平和主義」:安倍首相の国連演説

3.英語帝国主義国の精神に支配される日本国の身体
今回の国連演説で,安倍政権の危険性がさらに明白となった。国内では「日本を取り戻す」コワモテ愛国主義者,外国では英語帝国主義にひれ伏し日本の魂=日本語を売り渡すよい子ちゃん。

西洋合理主義によれば,情念や身体は魂(精神・理性)により支配されなければならない。とすれば,日本の身体も,当然,魂を売り渡した英語帝国主義国の意思により支配されねばならないことになる。カネだけではなく軍隊も出せといわれれば,はいはい分かりました,と国民の身体を差し出す。この屈辱の論理を誤魔化しているのが,英語演説とカタカナ英語と誤魔化し翻訳。

このままでは,「日本を取り戻す」どころか,いずれ日本は精神的にも身体的にも真の独立を失い,ヘラヘラ,カタカナ英語をしゃべる軽薄卑屈な三流従属国家に転落してしまうであろう。「日本を取り戻す」のであれば,まず日本語から始めよ! 

谷川昌幸(C)

英語帝国主義にひれ伏す公立学校

先住民族の尊厳や母語教育の権利を高らかに宣言しているネパールだが,建て前と本音は,教育においても別らしい。私立学校に続き公立学校も,母語どころかネパール語さえ放棄し,続々と英語帝国主義の軍門に降りつつある。そうした学校では,生徒は英語で挨拶し,歌い,勉強する。家でも英語で話す。

「英語が公立学校を魅了している」(Republica, 25 Mar)によれば,チトワンのある公立小中学校では,全教科を英語で教え始めた。

「3年生クラス成績3番のサンジタは,良い本を読むには英語学習は必須だと確信している。友人のカマルも同じで,英語が分かれば多くのことを学ぶことができるし,旅行者とも話すことができる,と考えている。『姉は家でも英語で話してくれるので,とても助かる』という。」

「政府は,ネパール語記述の教科書を英訳し始めた。学校は,これらの英訳された教科書を使い,授業をしている。」

ネパールは,教育でも,日本のはるか先を行っている。ネパールの教育は日本のお手本(格差大だが)。文科省はネパールに視察団を送り,謙虚に教えを請い,最先端の英語教育を学ぶべきだろう。
 [参照]水村美苗『日本語が亡びるとき』

140327

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/03/27 at 16:21

カテゴリー: 教育, 文化

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「戦後レジームからの脱却」の象徴的行為としての靖国参拝と非人道性の烙印

安倍首相の靖国参拝は,日本人に「非人道性」の烙印(stigma)を押しつけるための格好の口実とされている。イルカ漁の「非人道性」非難には何の根拠もないが,靖国参拝の方はそうされても仕方ない行為であり,日本国益を大きく損ないつつある。(参照:イルカ漁非難,その反キリスト教的含意と政治的戦略性ケネディ大使,ジュゴン保護を! )

1.「戦後レジームからの脱却」と靖国参拝
安倍首相の靖国参拝は,彼の唱える「戦後レジームからの脱却」を精神的および政治的に象徴する行為といってもよい。「戦後レジーム」は,英語帝国主義にこびた卑屈な表現だが,正しい日本語で表現すれば,「戦後体制」ないし「日本国憲法体制」のこと。靖国参拝は,その「戦後レジーム」の転覆に向け国民世論を動員することを目的とし,それが恒常化し,さらには天皇の靖国参拝が実現すれば,その時,「戦後レジーム」は事実上終焉を迎えたとみなすべきであろう。

【参照】安倍晋三「憲法改正」(2009年06月12日)
 私は平成19年1月の内閣総理大臣施政方針演説で「戦後レジーム」からの脱却を宣言しました。・・・・
 戦後レジームからの脱却を成し遂げるためには憲法改正が不可欠です。・・・・
 まず、憲法の成立過程に大きな問題があります。・・・・
 第二は憲法が制定されて60年が経ち、新しい価値観、課題に対応できていないことです。・・・・もちろん第9条では「自衛軍保持」を明記すべきです。・・・・
 第三に憲法は国の基本法であり、日本人自らの手で書き上げていくことこそが、新しい時代を切り拓いていくのです。・・・・
 これまで憲法改正問題が放置されてきたのは残念ですが、国民投票法の成立によって大きな一歩を踏み出しました。今後も憲法改正に向けて全力で取り組みます。

140126a 140126b(http://www.s-abe.or.jp/consutitution_policy)

2.「非人道的」戦争犯罪
しかし,このような「戦後レジームからの脱却」,とくにその象徴的行為としての靖国参拝は,日本国憲法体制を積極的に評価する内外の多くの人々の目には,日本軍国主義への反省を反故にし,敗戦以前の旧体制への回帰を目指すものと映らざるをえない。

先の「大東亜戦争」において,日本軍が多くの国際人道法(International Humanitarian Law)違反を犯したことは,周知の事実である。そのため,敗戦後,各地の連合国側軍事裁判所において,日本兵数千人が人道法違反容疑で裁かれ,そのうちの約千人が死刑となった。靖国神社には,彼らの多くが,東京裁判「A級戦犯」と共に,合祀されている。

その靖国神社への首相参拝が,日本軍国主義復活への動きととられ,また人道法違反(戦争犯罪)否認への動きともとられるのは,当然と言えよう。首相が靖国参拝をするたびに,「軍国主義」「非人道性」の烙印が日本国民全体に押しつけられていく。

3.ダボスでの挑発発言
安倍首相にも,靖国参拝が,近隣諸国ばかりか世界社会においても非人道的日本軍国主義復活への象徴的行為と受け取られていることは,十分にわかっているであろう。しかし,対外硬(強硬外交)は,旧体制下と同様,現在においても,国民大衆には受けがよい。安倍首相は,大日本帝国時代の対外硬の大失敗から何も学ぼうとはせず,対外硬の甘い誘惑に負け,外から批判されればされるほど,対外硬に傾き,「戦後レジームからの脱却」のための靖国参拝を強行し,正当化しようとするのである。

先日(1月22日)のダボス会議基調講演後の記者会見でも,安倍首相は,靖国参拝について聞かれると,「二度と戦争の惨禍で人々が苦しむことがない世界をつくると不戦の誓いをした」と強弁し正当化した。

しかし,安倍首相のこの説明に,説得力はほとんど無い。現在の日中関係を,あろうことか第一次大戦前の英独関係になぞらえたことともあいまって,日本の好戦性,非人道性を世界に強く印象づける結果となってしまった(朝日1月24-25日)。

4.「美しい国」のアメリカ語隷従
ちなみに,安倍首相はダボス会議基調講演をアメリカ語で行った。”A New Vision from a New Japan.” 一国の元首が,国際会議の公式の場で,母語を捨て,外国語で講演する! 

日本は,事実上,いまでも米国の間接支配下にある。イザとなれば,米軍が自衛隊を指揮下に置き,日本に軍政を敷くことは明白だ。ところが,いまやそれに加えて,日本は魂(言霊)すらも放棄し,精神的にも米国に隷従しようとしている。他ならぬ「美しい国」の首相が,率先して,嬉々として「美国(米国)」にひれ伏しているのだ。

5.歴史修正発言の危険性
安倍首相は,世界社会からは,日本語など商売抜きで断固として守るべきものを守らず,侵略戦争や戦争犯罪(人道法違反)など正当化すべきでも正当化できもしないものを正当化しようとしている,と見られている。首相の歴史修正発言のたびに,好戦性,非人道性の烙印が日本国民に押されていく。たとえばケネディ大使も,1月21日朝日新聞インタビューで,「首相の決断には失望した」と明言し,靖国参拝を再確認した。(この会見では,イルカ漁「非人道性」ツイッター発言も再確認された。)

中国は,もちろん,このようなチャンスを見逃しはしない。駐米中国大使は1月10日,「靖国参拝は中国だけでなく,世界への挑戦だ」と述べ,また駐仏中国大使も1月16日,靖国参拝は「ヒトラーの墓に花を供える」ようなものだと非難した(朝日1月24日)。中国らしい荒っぽい極論だが,世界世論に対して説得力があるのは,明らかに中国の方である。靖国参拝が「戦後レジームからの脱却」と結びつけば,そう受け止められても仕方あるまい。

6.小国日本こそ世界世論を味方に
なんたることか! 超大国中国が世界世論を味方につけようと必死に努力しているのに対し,小国日本は,世界世論を敵に回すことばかりしている。

中国は政治大国であり,広報戦略も巧妙。たとえば,すでに紹介したものだが,下記ネパリタイムズの広告を見よ。制作が中国,ネパールのいずれかは分からないが,広告として実によくできている。(参照:ネパリタイムズ購読おまけ,中国日報とLEDランタン

131214a ■光をともし賢くなろう/ネパリタイムズの購読で中国日報・LEDランタン無料進呈

日本は小国であり,ますます小国化する宿命にある。その日本にとって,世界世論の共感を得られるような議論を構築し,戦略的に世界社会に訴えかけていくことこそが,とるべき賢明な政策であるといってよいであろう。

谷川昌幸(C)

イルカ漁非難,その反キリスト教的含意と政治的戦略性

1.ケネディ大使のイルカ漁批判
ケネディ駐日大使が,イルカ追い込み漁の「非人道性(inhumaneness)」を,ツイッターで非難した。

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この発言自体は,「人間」と「非人間」の区別さえしない,お粗末きわまりない感情的非難であり,聖書の教えにすら反する単なる言いがかりにしかすぎない。

それにしても,いったい誰が,いつ,何の目的で,”human”に “e“をつけ,”humane“とし,ご都合主義的にごまかす巧妙な詐術を考えついたのだろう。われわれ日本人は,はるかに論理的な日本語を使う民族であり,こんないい加減なアメリカ語に卑屈に屈服すべきいわれは,みじんもない。

だが,そこは老獪なアメリカ,そんなことは十分わかった上で,長期的観点から戦略を立て,日本にたいし,この文化的非難攻撃を仕掛けているとみるべきだ。

だから,いくら腹が立とうが,感情的に反発しては負け,アメリカ以上の戦略を立て,冷静かつ論理的に,このケネディ大使発言に断固反論し,世界社会の共感を勝ち取っていくべきであろう。

2.二枚舌の戦術と戦略
アングロサクソンは,政治的能力に長けた民族。短期的戦術と長期的戦略を組合せ,二枚舌を巧妙に使い分け,目標を達成する。単線化,単純化しやすい非政治的民族日本人より,はるかに懐が深いといってよい。

たとえば,ヨーロッパの片田舎の不合理で不便な英語を数百年以上かけ「世界共通語」にしたし,敗戦日本には食パン学校給食を強制し,米作中心の日本農業を衰退させた。コンピューターでも,初期段階で,優秀な日本製基本ソフトを政治的圧力により開発継続断念に追い込み,出来の悪かったアメリカ製を普及させ,その結果,いまや日本はアメリカの電脳植民地。そのうち,日本語そのものが,「不公正な貿易障壁」とみなされ,攻撃され,アメリカ語の公用語化を強要されるであろう。(英語帝国主義への屈服の見本が「美しい国」の安倍首相)。

ケネディ大使のイルカ漁「非人道性」攻撃は,この文脈で見なければならない。

3.「動物の平等権」の侵害
米大使のイルカ漁批判は,言い方を変えれば,米国における牛の近代的・合理的・科学的な屠殺は「人道的」であるのに対し,日本におけるイルカの伝統的・文化的な追い込み漁は「非人道的」だ,ということだろう。なぜか? それは,おそらく牛はバカだが,イルカは知能が高く人間に近いから,ということだろう。

私は,小学生の頃,牛部屋の隣で寝起きし,毎日のように牛の世話をしていた。だから,たぶんケネディ大使より,牛には詳しいはずだ。私にとって,牛はたいへん賢く,忍耐強く,平和愛好的で,「女神」のように優しかった。イルカと暮らしたことはないが,おそらく牛は,イルカと同等かそれ以上に賢いといってよいであろう。

しかし,たとえ百歩譲って牛がイルカより少々知的能力が劣るとしても,それをもって牛(や他の動物たち)とイルカを差別するのは,「動物の平等権」の侵害だ。人間の都合で,動物と動物を差別するのは,不当,不公平であり,許されない。

4.生命の尊厳と「人道的」屠殺
これは自明のことであり,アメリカもそんなことは十分わかっている。それにもかかわらず,イルカ漁を非難するのは,別の目的があるからに他ならない。

一般化していえば,近代的・合理的・科学的に――つまり経済活動の一環として――「人道的」に殺害できる動物は,殺して食ってもよいから,大いに食え! ということ。要するに,アメリカン・ビーフを食え,ということだ。

敗戦のドサクサに紛れ,日本にパン食文化を押しつけ,日本を米国産小麦粉の大市場にしたように,日本人にもっと牛を食わせ,米産牛肉の市場を拡大するのが,米戦略なのだ。

しかも,米国において牛は「人道的」に屠殺され,その現場は可能な限り市民生活から隔離されている。私たちは,牛(や他の動物)がこのように「人道的」に殺されれば殺されるほど,私たち自身が彼らの「生命」を食べて生きていることを忘れてしまうのである。

これが,意識されてはいないだろうが,実際には,動物愛護運動の隠された目的のひとつだ。いや,それが言い過ぎだとするなら,少なくともその善意は金儲けのために巧妙に利用されているといってもよいであろう。

5.南アジアもターゲットか?
しかも,狙われているのは,日本だけではあるまい。日本以上のターゲットは,おそらく南アジアの巨大なヒンドゥー教文化圏であろう。

むろん,この地域には,仏教やジャイナ教などの不殺生の幅広い強力な伝統があり,牛を殺して食うことはタブー。しかし,たとえそうであっても,「死」や「(殺すための)暴力」が,こうして,まるで存在しないかのように,きれいに隠されてしまえば,目にするのは単なる食品の一つとしてのパックされた「ビーフ」にすぎなくなる。そうなれば,ヒンドゥー教徒にとっても,牛肉への敷居は,おそらく低くなるであろう。それは商品としてのパック食品であり,したがって消費さて当然ということ。

しかと確かめたわけではないが,ネパールでは,すでに「ビーフ」は日常的に消費される食品の一つとなりつつあるという。

南アジアは,巨大な人口を擁し,なお急増しつつある。その南アジアに,もし牛肉食文化を受け入れさせれば,アメリカや他の牛肉生産国は,巨大なマーケットを手にするわけだ。牽強付会? そうかどうか,あと数十年もすれば,わかるであろう。

他の論点については,下記記事をご参照ください。

【参照】
動物の「人道的」供犠:動物愛護の偽善と倒錯
動物供犠祭への政治介入:動物権利擁護派の偽善性
インドラ祭と動物供犠と政教分離
毛沢東主義vsキリスト教vsヒンズー教
中国援助ダムに沈黙のNGOとマオイスト

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/01/20 at 14:16

制憲議会選挙2013(22):アイデンティティの市場競争へ

いまはやりの多文化主義によれば,人びとは「個人」として尊重されるのではなく,所属集団の一員として尊重される。裸の自由・平等・独立の個人は虚構(fiction)であり,すべての人はその人格を帰属集団文化(言語など)の中で形成するのだから,人権の尊重とは,すべての人をその人格において,つまりそのアイデンティティ(自分を自分と考えるその在り方)において,尊重することである,というわけである。

たしかに,近代個人主義は,自由・平等・独立の個人といっても,それはあくまでもフィクションにすぎず,実際には言語や宗教など文化によりその態度や行動は決定される。だから,自由・平等・独立の諸個人に一人一票民主主義で意思決定させたら,結局は,多数文化の専制となってしまうわけだ。この理屈はよく分かる。

しかし,多文化主義的集団主義で問題解決か,というと,ことはそう簡単ではない。多文化主義の依拠する人びとのアイデンティティは,多元的・多層的・重複的であり,常に変化・流動し,新しいものも次々と出現する,という特有の難しさがある。

その多種多様で変転きわまりなき集団アイデンティティの相互関係をどう調整し,それぞれの権利をどう尊重するか? また,それぞれの集団内の少数派の権利をどう守るか? これらは,いずれも原理的で,かつ実際的な難問である。

さらに,集団アイデンティティの尊重を唱える多文化主義的集団主義は,多言語主義が実証しつつあるように,アイデンティティ諸集団を自由競争市場に引き出す結果になりかねない。すなわち,「集団」としての権利が保障されたのだから,あとは市場で自由に競争せよ,というわけだ。

しかし,少数民族言語がネパール語に,ネパール語が英語に敗退しつつあるように,集団自体も,強大集団と弱小集団が競争すれば,いくら集団の権利が保障されていようが,弱小集団は敗退し,いずれ消滅か博物館行きとならざるをえない。それを免れるためには,少数派集団は,内に向けては集団内少数派の抑圧,外に向けてはアイデンティティ闘争強化を図らざるを得ないことになる。過激なアイデンティティ政治への転落である。

と,そんな観点から,今回の制憲議会選挙を見ると,多文化主義的集団主義は,既存諸集団をいったん解放し,これにより精神的文化的武装解除を行い,しかるのち均質な大社会――グローバル資本主義社会――に吸収同化するための巧妙な策略ではないか,という疑念をますます禁じ得なくなった。

制憲議会選挙実施が発表されると,選出議席601(小選挙区制240,比例制335,指名制26)に対し,150前後もの政党が選挙参加を表明した。その後,選管への正式登録は130党となった。このうち比例制参加は122党,候補者総数10709人。小選挙区への立候補者数は6128人。いずれもたいへんな数であり,弱小途上国ネパールにとって,選管,警察,軍隊などの経費だけでも,負担はきわめて重い。

下図ABは,キルティプルでY氏からいただいた投票用紙サンプルのコピー。Aは比例制,Bは小選挙区制カトマンズ第10区。いずれの用紙にも,コングレスの「樹」欄に,すでに「卍」の投票マークが印刷されている。コングレスが,投票日前に配布したものだろう。

カトマンズ第10選挙区は,有権者数62573人。プラチャンダ議長が落選した選挙区だ。投票用紙は,見ての通り,ABとも巨大。比例制は122党,小選挙区制でも39党(39人)。このようなものが全国240選挙区ごとに用意されている。これでは有権者や地域社会の精神的負担は重いし,また選挙経費は,選挙運動費(合法・非合法,直接・間接)も含めると途方もない額となり,ネパール国民に重くのしかかる。これが,多文化主義的集団主義,つまりはアイデンティティ政治の目に見える大きな成果の一つなのだ。

ところが,それだけの負担を強いながら,今回選挙では,女性や少数派諸民族・諸集団の当選者数は激減しそうな形勢だ。小選挙区の女性当選者数は,前回30人に対し,今回はわずか10人(4%)。マデシも有力者多数が落選し大きく後退した。比例制(335)と指名制(26)で多少は増えるだろうが,それでも女性や少数派諸集団の大幅後退は避けられそうにない。

なぜ,このようなことになってしまったのか? 諸言語の解放が,結局,ネパール語や英語帝国主義への隷従となりつつあるのと同じようなことが,被抑圧諸集団の解放についても政治の場で始まりつつあるのではないだろうか。

131202a 131202b
 ■投票用紙サンプル(コングレス欄卍印付): (A)比例制用/(B)カトマンズ第10選挙区用

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/12/02 at 16:30

皇室利用と日本語放棄で五輪を買った安倍首相:”under control”のウソ公言

安倍首相は,皇室の政治的利用と日本語の放棄により,オリンピック開催の興行権を買った。「美しい国」である「日本を取り戻す」どころか,金儲けのためであれば,憲法も伝統文化も顧みない「醜い日本」を世界にさらけ出したのだ。

1.政治としてのオリンピック招致活動
オリンピック招致活動が「政治」であることはいうまでもない。オリンピック開催により,(1)経済界の景気浮揚要求に応える,(2)ヒノマル・ニッポン挙国一致ナショナリズムの高揚を図る。いずれも安倍政権の維持強化のためであり,いま現在,これをもって「政治」といわずして,何を政治というのか? 安倍首相自身,これを最も重要な政治課題の一つと考えるからこそ,わざわざブエノスアイレスまで出かけ,招致活動に参加したのだ。

2.高円宮妃のロビー活動
その政治そのものといってもよいオリンピック招致のため,安倍内閣は高円宮妃を利用した。本音報道のスポニチ(9月7日)は,記事に「会場にIOC委員続々到着,高円宮妃久子さま,積極的ロビー活動」というタイトルをつけ,高円宮妃が「積極的に動き」,IOC委員らに声を掛けていたと伝えた。親皇室の産経や報知(9月7日)にも同様の記事が出ているから,高円宮妃が「積極的ロビー活動」をしたことは間違いないであろう。

ロビー活動をする人は,「ロビイスト」である。広辞苑(第5版)はこう定義している。「ロビイスト(lobbyist): 圧力団体の代理人として,政党や議員や官僚,さらには世論に働きかけて,その団体に有利な政治的決定を行わせようとする者。」

高円宮妃は,まさに,このようなロビイストの1人として,積極的にIOC委員に働きかけ,東京招致という「政治的決定」に大きな政治力を発揮したのだ。しかし,このロビー活動に高円宮妃の政治責任は,むろん一切ない。

3.皇室政治利用の責任
高円宮妃のロビー活動やプレゼン冒頭挨拶の責任は,すべて安倍首相にある。朝日新聞稲垣編集委員によれば,川渕・サッカー協会最高顧問は,こう語ったという。「4日にブエノスアイレス入りした久子様の出席に熱心だったのは,猪瀬さん,安倍さん,森さんだよね。なかでも猪瀬さんは,本当に熱心だった。」(朝日デジタル,9月6日)

安倍,森,猪瀬は,いずれも政治家だが,行政権の長は安倍首相だから,高円宮妃の招致活動の全責任は,天皇への「助言と承認」(憲法第3,7条)に準ずる何らかの“助言と承認”を与えたはずの首相にある。

では,今回の高円宮妃の招致活動への“助言と承認”は適切であったのか? 憲法は第1条で天皇を日本国と日本国民統合の「象徴」と定め,第4条で「国政に関する権能を有しない」と明記している。象徴としての天皇,したがってそれに準ずる皇族は,権力行使や政治的意思決定に関わるナマグサイ行為は一切してはならない。これは,天皇象徴制の根本原理であり,現在の日本国家はこの原則の上に成り立っている。

高円宮妃のオリンピック招致活動は,この憲法原理の枠を完全に逸脱している。「ロビー活動」は,広辞苑の定義のように,政治そのものであり,高円宮妃は,ブエノスアイレスで政治活動を繰り広げていたのだ。それは,たとえ日本国家のためであっても許されない,違憲の政治的行為である。

4.皇室政治利用の危険性
今回はたまたま招致が成功したから,高円宮妃も安倍首相もいまのところあまり批判はされていない。しかし,もし失敗していたら,政治活動をした皇室の権威は失墜し,安倍首相は皇室政治利用の責任を追及され,退陣は免れなかったであろう。

しかし,この件に関しては,成功は失敗よりもむしろ恐ろしい。絶大な効果に味を占めた政治家たちが,天皇や皇室の政治的利用に飛びつき,国民もこれを歓迎するからだ。天皇制ファシズム(超国家主義)への先祖返りである。天皇を大切と思うなら,天皇や皇族の政治的利用は絶対に許してはならない。

130913a ■皇室利用と英語ウソ公言(朝日9月8日)

5.日本語放棄の安倍首相
安倍首相がオリンピック招致プレゼンを英語で行ったことも,見過ごせない。「日本を取り戻す」はずなのに,実際には,日本文化の魂たる日本語を放棄してしまったのだ。

そもそも各言語はすべて平等であり,本来なら,それぞれが母語で話し理解し合うべきだ。しかし,現状は,かつての植民地大国が文化侵略により英仏語やスペイン語などを普及させてしまったため,現在,多くの地域で使用されているそれらの言語を便宜的に使用するのは,次善の策として,ある程度はやむを得ない。

しかし,公式の場での公人の話となると,そうはいかない。天皇は「日本国の象徴」だから,公式の場では英語やフランス語をしゃべるべきではない。ましてや首相は,日本国の元首だから,たとえペラペラであっても,外国語を使うことは許されない。それなのに,安倍首相は嬉々としてカタカナ英語でプレゼンを行った。国家元首失格である。(注: 天皇は「象徴」,首相は「元首」)

6.外国語での国家公約の危険性
私には英語はほとんど分からないが,安倍首相の英語は発音がぎこちなく,いかにも不自然だ。おそらく英米やフィリピンなどの小学生レベル以下であろう。そんな英語で,安倍首相はIOC総会において日本国民を代表しプレゼンをした。He said―

Some may have concerns about Fukushima. Let me assure you, the situation is under control. It has never done and will never do any damage to Tokyo.

なぜ,こんなトンデモナイことを? むろん,英語を知らないからだ。

世界周知のように,福島原発事故は東京にも被害を及ぼしたし,放射性物質はいまなおじゃじゃ漏れ,止めるめども立たない。その原発について安倍首相は”under control”と,国際社会の公の場で,日本国元首として,公言した。これは日本語ではなく,英語。解釈は,当然,英語ないし欧米語文脈で行われる。

この欧米語文脈では,公式の場での政治家のウソは,絶対に許されない。建前かもしれないが,建前を本音より重視するのが,欧米政治文化。英語を知らない安倍首相は,その欧米語文脈を意識することすら出来ず,子供のように無邪気に,カタカナ英語を日本語文脈で使った。その落とし前は,いかに大きなものになるにせよ,結局は日本人自身がつけなければならない。

7.英語帝国主義にひれ伏す
英語帝国主義は,何百年にもわたる壮大な世界戦略であり,オリンピック興行権など,はした金,それで日本国首相に公式の場で英語を使わせることができるのなら,こんな安上がりの買い物はない。

安倍首相は,日本語=日本文化を売り渡し,英語文化圏の土俵に乗り,オリンピック興行権を買った。長期的に見ると,皇室の政治利用よりも,こちらの方が深刻かもしれない。

安倍首相のカタカナ英語のおかげで,日本語が二流言語であることが,国際的に公認された。日本語は,国際言語カースト制の中に下位言語(被支配言語)として組み込まれた。もはやここから逃げ出すことは出来ないであろう。

130913b ■揶揄される日本国元首発言(Canard Enchaine / Reuters, Sep.12)

[参照1]
高円宮妃プレゼン
高円宮妃久子さま IOC総会で復興支援に感謝の言葉(ANN News13/09/08)
宮内庁,新聞各紙はすべて日本語訳。一流言語たる仏語・英語オリジナルは下々には隠されている。
安倍首相プレゼン
Mister President, distinguished members of the IOC…
  It would be a tremendous honour for us to host the Games in 2020 in Tokyo ? one of the safest cities in the world, now… and in 2020.
  Some may have concerns about Fukushima. Let me assure you,the situation is under control. It has never done and will never do any damage to Tokyo. I can also say that, from a new stadium that will look like no other to confirmed financing, Tokyo 2020 will offer guaranteed delivery.
  I am here today with a message that is even more important. We in Japan are true believers in the Olympic Movement. I, myself, am just one example.
  When I entered college in 1973, I began practicing archery. Can you guess why? The year before, in Munich, archery returned as an Olympic event after a long time.
  My love of the Olympic Games was already well-established. When I close my eyes vivid scenes from the Opening Ceremony in Tokyo in 1964 come back to me. Several thousand doves, all set free at once. High up in the deep blue sky, five jet planes making the Olympic rings. All amazing to me, only 10 years old.
  We in Japan learned that sports connect the world. And sports give an equal chance to everyone. The Olympic spirit also taught us that legacy is not just about buildings, not even about national projects. It is about global vision and investment in people.
  So, the very next year, Japan made a volunteer organization and began spreading the message of sports far and wide. Young Japanese, as many as three thousand, have worked as sports instructors in over 80 countries to date. And they have touched the hearts of well over a million people through their work.
  Distinguished members of the IOC, I say that choosing Tokyo 2020 means choosing a new, powerful booster for the Olympic Movement.
    Under our new plan, “Sport for Tomorrow,” young Japanese will go out into the world in even larger numbers. They will help build schools, bring in equipment, and create sports education programs. And by the time the Olympic torch reaches Tokyo in 2020, they will bring the joy of sports directly to ten million people in over one hundred countries.
  Choose Tokyo today and you choose a nation that is a passionate,proud, and a strong believer in the Olympic Movement. And which strongly desires to work together with the IOC in order to make the world a better place through the power of sport.
  We are ready to work with you. Thank you very much.
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[参照2]
皇室と五輪招致 なし崩しのIOC総会出席 記者有論 社会部・北野隆一 (朝日新聞,2013年9月25日)
 16年夏季五輪開催地を決める09年IOC総会への皇太子さまの出席が求められた際、宮内庁は「招致運動は政治的要素が強く、(出席は)難しい」と慎重姿勢を貫いた。・・・・
 今回、安倍政権の強い意向に押し切られ、宮内庁の対応はずるずると後退した。当初「久子さまはIOC総会に出ない」としていたが、一転、出席。「招致活動と切り離すため、スピーチ後は降壇する」はずだったが、結局最後まで壇上にとどまった。
 招致競争に勝ったから結果オーライではない。安倍政権は今回、既成事実を積み重ね、なし崩し的な手法で皇族を担ぎ出したように見えた。皇室の守ってきた原則を曲げさせ、相当な覚悟を負わせたことになるのではないか。
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谷川昌幸(C)

クリスマスと墓地問題

1.ユニセフのキリスト教支援
ネパールでは、世俗国家宣言後、クリスマスも国家祭日となり、キリスト教にとって状況は大きく好転した。たとえば、これはユニセフのフェイスブック。ネパールの子供たちに「クリスマスおめでとう!」と言わせ、世界に向け、ユニセフの権威をもってキリスト教を宣伝している。

121225a ■ユニセフ・フェイスブック(2012-12-25)

むろん、クリスマスはすでに「国家祭日」として公認され、また宗教行事と言うよりは習俗だから、ユニセフがネパールの子供たちに「メリークリスマス」と言わせても問題はない、という意見もあろう。

しかし、これは、英語は世界共通語だから英語を話して当然、という英語帝国主義と同じ論法である。こんな論理を認めると、世界共通語ではない言語は二流、三流言語となり、いずれ抹殺されてしまう。

同じことが、キリスト教についてもいえる。キリスト教は大宗教であり、世界中に普及しているから、ユニセフがネパールの(異教徒であろう)子供たちに「メリークリスマス」と言わせてもよいということになれば、他の少数派宗教はどうなるのか? ユニセフが、様々な小宗教の祭日に、同じことをするはずがない。ユニセフが世俗機関なら、特にネパールのような国では、無邪気な子供を利用して特定の宗教の宣伝をするようなことはすべきではない。

基本的人権は、子供にも少数派にも当然認められている。いや、守られなければならないのは、まさに彼らのような弱者の人権である。このユニセフ写真の子供の基本的人権は守られているのか? ネパールの他の宗教の人々の人権への配慮はなされているのか?

2.キリスト教墓地問題
クリスマスは、また懸案の墓地問題をも再浮上させた。(以下、参照:Anjali Subedi, “Christians don’t get secular-state feel,” Republica, Dec25)

キリスト教徒は、イエスの下での死後の復活を信じている。復活には身体も必要だから、遺体は墓地で保存されなければならない。キリスト教徒にとって、墓地は必要不可欠のものなのである。

旧体制の下では、キリスト教徒は、暗黙の了解の下に、たとえばパシュパティナートの森の墓地を利用してきた。ところが、「人民運動Ⅱ」以後のアイデンティティ政治の激化により、宗教アイデンティティの明確化が進み、パシュパティナートの利用はヒンドゥー教側に拒否された。

こうしてキリスト教墓地が、世俗国家ネパールの早急に解決すべき大問題となって急浮上した。キリスト教会側は、「全ネパール・キリスト教連盟(FNCN)」が中心となって政府と交渉し、この5月、「6項目合意」を取り付けた。「合意」によれば、政府は「キリスト教委員会」を設置し、クリスマス以外のキリスト教祭日(イースターなど)も「国家祭日」として公認し、墓地については墓地問題特別委員会を設置して問題解決に当たることになった。

「連盟」側の説明によれば、「合意」において政府はゴティケルに2000ロパニ(100ヘクタール)の墓地を用意する約束をした。そして、この2000ロパニについては、現地の住民もラリトプル郡当局もすでに同意している。ところが、政府の承認がないため、墓地はいまだに棚上げにされたままだという。

これに対し、墓地問題特別委員会によれば、政府は、すべての宗教共同体に対し墓地を分配することはできないが、それぞれの宗教共同体が墓地を購入することは認めるし、墓地使用の安全も保障するという。

「連盟」と政府との交渉の詳細は分からないが、ゴティケルにキリスト教墓地がまだ設置されていないのは事実である。ただ、国家と宗教共同体との関係から言えば、国家が直接墓地を宗教共同体に供与するよりも、特別委員会の勧告のような間接的な関与の方が望ましいことはいうまでもない。

121225b ■ゴティケル(google)

3.墓地闘争の強化
いずれにせよ、キリスト教墓地はまだ実現しておらず、「連盟」はクリスマス闘争に引き続き、墓地闘争を強化すると宣言している。

「連盟」によれば、この11月発表の2011年人口調査では、キリスト教徒は30万人とされているが、実際には、教会は8500あり、登録信者だけでも250万人にのぼる。事実とすれば、全国民の10%弱に相当する。すでに大勢力である。

こうした勢力拡大を背景に、キリスト教徒は、クリスマス・イブにカトマンズでバイク行進を敢行した。そして、25日には、バブラム首相を招いてアカデミーホールでキリスト教大集会を開催する。

「われわれは、深夜までクリスマスを祝い、主イエス・キリストの全人類への愛と犠牲を広く宣べ伝えていきたい。」(FNCNカボ副会長)

「全ネパール・キリスト教連盟」は、クリスマス後、墓地問題をはじめとする諸要求の実現のため、抗議活動をさらに強化していくという。

4.政教分離のあり方
キリスト教は、ネパール社会では少数派であり、行使が認められるべき自由や権利を国家に対して要求するのは当然である。しかし、その一方、他の少数派とは異なり、ネパールのキリスト教徒の背後には圧倒的に強大な世界のキリスト教社会が控えている。

ユニセフですら、キリスト教を応援している。他の宗教が、同等の支援をユニセフに求めても、はなから相手にされないであろう。キリスト教は、世界社会ではそのような特権的な位置にいる。

このことは、ネパールのキリスト教会もよくよく考えて、行動すべきだろう。たとえば、墓地を政府に要求し造らせるのは、欧米諸国民の応援もあり、たしかに手っ取り早いであろうが、これは政教一致であり、極めて危険である。ヒンドゥー教国家が認められないなら、キリスト教国家も認められるべきではない。迂遠かもしれないが、やはり政教分離の原則に則り運動し、宗教集団に当然認められるべき諸権利の実現を目指すべきであろう。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/12/25 at 18:51

コカナとブンガマティ

1.コカナ
11月22日、カトマンズ南方のコカナ、ブンガマティ方面に散策に出かけた。キルティプールからタクシー(マルチスズキ)でバグマティ川沿いに下り、サイブバンジャング付近で橋を渡り、マガルガオンを経て、コカナ着。約30分。

コカナは古い村で、寺院や民家など趣はあるが、想像以上に新しいものが増え、村全体としては、今ひとつ調和がとれない感じがした。犬も文明化されており、裏道に入っても威嚇されない。

ここは、村中よりも周辺の田園風景がよい。丘の上からバグマティ川を挟んで向かいの山まで、広く一望できる。谷底の水田に点在する家々が、何ともいえない風情を醸し出している。

また、ヒマラヤはランタン、グルカルポリ(?)、ガネッシュの他に、マナスルやアンナプルナも見える。北方の小さなお椀のような丘の上にポツンと木が1本。これがなかなか風情があり、絵になる。ヒマラヤをバックに入れて写真を撮ると、少々、絵になりすぎる嫌いさえある。むろん桜も満開。(以下、写真キャプションの「-K」はコカナ、「-B」はブンガマティ)

 
 ■コカナと桜-K/籾干しと水田遠望-K

 
 ■籾干し(1)-K/籾干し(2)-K

 
 ■糸繰り-K/丘の木とヒマラヤ(1)-K


 ■丘の木とヒマラヤ(2)-K

2.ブンガマティ
コカナを堪能したあと、歩いてブンガマティに向かった。細い里道で、車やバイクはほとんど通らず、快適。時々、欧米人の集団と出会う。最近は、団体旅行は欧米人、個人旅行は日本人という傾向になってきた。日本はエライ! ついに欧米を追い抜いた。

ブンガマティは、古い建物がほとんど残っており、コカナ以上に趣がある。町中いたるる所で籾干し。まるで籾干し大会のようだ。

また、神仏の彫金や木彫、絨毯の手織りなどは、コカナでもやっていたが、ここでもあちこちでやっている。かなりの需要がありそうだが、宿の主人に聞くと、特に絨毯や布の手織り労働はきつく、賃金はわずかだそうだ。

  ■民家と洗濯物-B

 
 ■籾干し(3)-B/籾干し(4)-B

3.裸体女性の自然
驚いたのが、ブンガマティでは、女性が上半身裸で昼寝や籾干しをしていること。コカナでも見たが、ブンガマティの方が多い。さすがに若い女性ではなく、30代以降の女性たちのように見えた。

しかし、これは驚く方が変だ。西欧は寒いから服を着るのであり、南国は暑いから着ない――ただそれだけ。日本でも、農漁村では、1960年代頃までは、女性も平気で上半身裸で夏を過ごしていた。寒くて服を着ざるをえない西欧人が、その僻目から、衣類で身体を隠すことを文明的、道徳的という説をでっち上げ、暖かい国の人々に押しつけたにすぎない。

幕末、日本を旅した西欧人が、日本人は庭先で平気で行水したり、裸で歩き回っているといって、その「未開」「不道徳」を笑いものにしたが、まったくもって余計なお世話! 拘束着を文明的、道徳的と思い込み、不自由な生活をしている西欧人の方が変なのだ。

18,19世紀のコルセットで腰を異様なまでに締め付けた西洋女性と、上半身裸でくつろいでいる東洋女性を比較してみよ。自由で道徳的で高貴なのは、明らかに東洋女性だ。ゴーギャンに聞くまでもない。

 
 ■寺院広場で沐浴-B/寺院で野菜干し-B

 
 ■籾干し(5)-B/マナスル-B

4.ネクタイで拘束されるネパール人
そこで嘆かわしいのが、東洋人の自尊心自己放棄。クソ暑いタイなどでも、クーラーをかけ、背広にネクタイ。不道徳の極みだ。

そして、わがネパール。まったくもって理解しがたいのは、私学が流行し始めると、各学校が競って生徒にネクタイを強制したこと。私の交流校の一つも、20年ほど前の創立時から、1年生から最上級生までの男女生徒にネクタイをさせている。

こちらは半袖、ノーネクタイだというのに、まったくもって西洋の猿まね、自尊心放棄であり、不道徳きわまりない。半裸女性の自立自尊に学ぶべきだ。

 
 ■脱穀機と籾-K/籾干し(5)-B

5.資本主義と英語帝国主義の走狗、私学
私学は、コカナ、ブンガマティ付近にも、驚くほどたくさんある。いずれも豪華な建物で、学費も高そうだ。そして、競って校舎に、SLC優秀者の顔写真付一覧表を掲げている。

大部分の私学が、もちろん洋式正装。おまけに母語使用は厳禁され、一日中、英語で生活させられる。保育園から始める私学もあるから、オーストラリアで厳しく批判された、アボリジニの子供を親から引き離し、白人英語文化で育て、「文明人」にする手法と同じだ。愚劣きわまりない。

こうした金儲け主義私学の生徒は、資本主義と英語帝国主義の奴隷にされた、かわいそうな子供たちだ。彼らには、自由も自律もない。根本的なところで、母語や自文化を軽蔑、放棄させられているからだ。

民族アイデンティティ主義者は、民族別連邦制などとくだらないことをいう前に、率先して自分の子供をこの種の私学に通わせることをやめるべきだ。自分の子供を母語と自文化の中で育てる努力を始めるなら、多少は言行一致、西洋迎合の表向きの主張にもある程度の説得力が得られるであろう。

子供を私学に通わせ、英語文化漬けにし、洋行をねらう「文明人」に比べ、ブンガマティの上半身裸で屈託無く昼寝や籾干しをしている女性たちは、はるかに自然で自由だ。彼女らを見て、ゆめゆめ「未開」だの「野蛮」だの「不道徳」などと、誤解してはならない。不自由で不道徳なのは、拘束着を着ている西洋人や、それ以上に、西洋人の目を持たされてしまった卑屈な日本人自身なのだから。

 
 ■ザルとトウモロコシ-B/籾干し(6)-B

6.文明化しない犬
ブンガマティは、よい村だが、その分、犬も文明化していない。表通りを外れ、少し裏道に入ろうとすると、犬がうなり声を上げ、よそ者「文明人」を威嚇してくる。犬は、感情に素直であり、自然が命じるままに、自分たちの文化にとって危険な堕落した「文明人」を排除しようとするのだ。

これは恐ろしい。犬は本気だ。こういう場合、かつて西洋人は軍隊を派遣し撃ち殺したが、私は平和主義者、犬の守る彼らの聖域には立ち入らないことにした。

というわけで、犬たちに追い返され、やむなくブンガマティ周辺の立ち入った散策はあきらめ、コカナに引き返した。

 
 ■窓と花-K/寺院の鐘と籾干し

7.バイセパティ
コカナからは、バス道をパタンに向けて歩いた。車やバイクが多く、面白い道ではない。パタンまで半分くらいきたところのバイセパティであきらめ、タクシーでキルティプールに戻った。

 ■民家(?)とヒマラヤ(バニヤガオン付近)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/11/24 at 13:36

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