ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

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セピア色のネパール(8):ポカラ~ダンプス~ガンドルン

ネパールに初めて行ったのは1986年3月,アンナプルナ・トレッキングが目的だった。記憶は写真以上にセピア化しているが,それでも強烈な印象は変色しつつも残っている。

カトマンズからポカラへは,バスで行った。片道39ルピー(約400円),約7時間。大型バスに乗客殺到,車内に入れない人は屋根によじ登った。私も,もたもたしていて車内に入れなかったので屋根に登ったが,外国人と見て地元民乗客が車内に移してくれた。親切に痛く感謝! 山羊やニワトリも乗車していたが料金不明。

■ガードレールなし。崖下には転落車も。

バスは,デコボコ,クネクネ道をハラハラ,ヒヤヒヤさせながら走り,ところどころ,茶店があるところ(いまでいうドライブイン)に停まり,小休止をとった。トイレ休憩でもあるのだが,困ったことに茶店付近には,まずトイレは見当たらない。仕方なく近くの物陰や畑に行って用を足した。女性も同じ。強烈な「無トイレ文化」の洗礼だった!

■少し大きなバス停で小休止(町名失念)

夕方,ポカラにつき,ロッジに宿泊。ツイン30ルピー(300円位)。その頃のポカラは,カトマンズよりもはるかにのどかな,田園の中の小さな町であった。いまは50万人近い大都市だが,当時は6万人ほど。車も少なく,自然にあふれていた。ブーゲンビリアなど花々が咲き乱れ,ペワ湖は水清く,山からは飾りをつけた馬やラバの隊商が町に降りてきた。まるで,おとぎの国!

■ペワ湖岸で放牧
■ペワ湖で食器洗い

■ポカラに入ってくる隊商

ポカラからダンプス~ランドルン~ガンドルンと,トレッキングを楽しんだ。マチャプチャレやアンナプルナに感動したことはいうまでもないが,それ以上に印象的だったのは,村の風景や生活。まるで昔の日本の村を追体験しているようだった。

村のロッジ(宿屋)はごく質素であったが,それだけになおのこと懐旧の念に駆られた。ツイン,1泊4~6ルピー(40~60円位)。申し訳ないので,収穫したてのエンドウを買い求め,茹でて食べた。うまかった!

■ダンプス付近

■ダンプスのロッジ
■ガンドルンのロッジ前から望むアンナプルナ

体験は,時のふるいにかけられ,忘れがたいものだけが変形し変色しつつ残っていく。それに加え,外国人の体験は,もともと余所者の身勝手な,自分本位のものであることを免れない。そうしたことは重々承知しながらも,「後期」高齢者ともなると,古き良き昔の懐旧には,往々にして抗いがたいのである。

【参照2022/09/28】郷里とネパール:失って得るものは?

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2022/09/19 at 16:45

紹介:『長岡信治遺稿集』

長崎大学教育学部の地理学教授であった長岡さんの遺稿集が刊行された。A5判1000頁の大著。

■遺稿集刊行会編『長岡信治遺稿集』長崎大学教育学部,i-xv, 1-979頁,2013年4月
 [収録論文]
 ・長岡信治「上高地の地形・地質」1988
 ・長岡ほか「クンブー・ヒマール,ゴジュンパ氷河周辺のモレーンとその編年」1990
 ・Nagaoka, The Glacial landforms in the Manang valley, north of the Great Himalayas, central Nepal, 1990
 ・(他49編)

130808a ■表紙

長岡さんは,長崎大学教育学部の同僚教員であった。私の赴任が2000年4月,長岡さんの52歳での急逝が2011年7月だから,11年余ご一緒させていただいたことになる。

長岡さんは地理,私は政治学と専門は異なっていたが,信州やネパールのことについては,折に触れ教えていただいた。私の方は単なる趣味にすぎないが,学生時代から登山が好きで,信州にもよく行っていた。そして,それが高じて,1985年にはアンナプルナ・トレッキングに行き,すっかりネパールに惚れ,とうとうネパールの憲法や政治まで研究する羽目になってしまった。だから,長崎大学教育学部に赴任し,はじめて研究室に行くと,廊下の衝立にマチャプチャレの大きな写真が貼ってあったのを見て驚き,また嬉しくなった。長岡さんのもので,これは最後までそのまま使われていた。マチャプチャレは,私が四苦八苦してダンプスまで登り,はじめて見たヒマラヤの山であった。

長岡さんには,山のことだけでなく,もちろんネパールの酒のことも教えてもらった。また,ネパールから政治学専攻の院生を受け入れたときも,数年間にわたって,あれこれ相談に乗っていただいた。留学生には,豪放磊落な長岡さんは話しやすかったのだろう。

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ダンプスから望むマチャプチャレ,アンナプルナ。この家の前を歩き,ガンドルンクヘ向かった。長岡さんも,この道を登ったのだろうか? 聞き忘れてしまった。

長岡さんの急逝には,いくつか原因があるだろうが,近くで見ていて感じたのは,あまりにも多忙だったということ。それでも,私が赴任した2000年頃は,まだましだった。学生もある程度大人だった。ところが,数年もすると,予算と教職員の削減,学部改組,自己評価,教員免許講習などで時間がとられる一方,学生の気質が一変,「指示待ち生徒」のようになり,教育研究指導にも苦労するようになってきた。

長岡さんは,研究に厳しく妥協を許さない。研究室をのぞくと,いつも数編の原稿を抱え,締め切りに追われていた。休暇はますます短くなったが,それでもマダガスカルなどに,日程をやり繰りし調査に出かけていた。学生指導でも,一見手抜きのように見えるが,実際にはトコトン厳しく面倒を見ていた。長岡ゼミは,私のゼミ以上に多彩な学生が集まり,時間的にも精神的にも指導は大変そうであった。長岡さんは,もともと話し好きで,研究室に行けば相手をしてくれるのだが,このあまりの多忙さに気が引け,たんだん自主規制するようになってしまった。

長岡さんの多忙に輪をかけたのは,豪快に見えて繊細,手抜きに見えて完璧主義の,その性格である。研究をあれほど大切にしていながら,教育指導や学内問題にも手抜きはしない。学内文書作成などでも,最初はかなり怪しい原稿だが,最後にはきちんと完璧な文書に仕上げてしまう。これでは,ストレスはたまるばかりで,時間はいくらあっても足らない。そのようななか,長岡さんの体調は悪化していった。あれこれやっているが,なかなか良くならないと,よくこぼしていた。亡くなる半年くらい前には,どの薬もよく効かないので,漢方薬にしてみようかと言われたので,それも一つの手だが,漢方薬の副作用も恐ろしいので,よく調べてからでないと危ないのでは,といったことも話したことがある。

長岡さん急死の背景に,多忙による過労があることは,明らかである。いまの制度では,教育研究や学校運営に誠実であろうとすればするほど多忙となり,過労死に追いやられる。個々人というよりは,むしろ制度がおかしい。文科省あるいは大学は,教育と研究にとって本当に必要なことをよく見極め,厳選し,教育研究環境を改善すべきだ。長岡さんのような本物の教育研究者を過労死に追い込まないために。

長岡さんの死後しばらくして,私自身の体調が激変した。前兆はあった。6月頃,長岡さんと廊下で出会ったとき,「どうした,いまにも死にそうだなぁ」と声をかけられた。その時は,それほど悪化せず回復したが,長岡さんの死後,秋になると,様々な体調異変が始まった。睡眠は連日2時間ほど。耳鳴りがはじまり,時々聞こえなくなる。便秘がつづき,尿が極端に少なくなり,食欲もない。長岡さんの急逝の後なので,これは危ないと感じたが,あと半年で定年退職なので,用心しつつ何とか乗り切ることにした。

ふらふら,よれよれだったが,何とか3月まで生き延び,やっと停年を迎えた。正直,ホッとした。長岡さんに生かされたのでは,とひそかに思い感謝している。

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教育学部案内。表紙のマチャプチャレは長岡さん提供であろう。これも聞き忘れてしまった。

【参照】
シンポジウム「長岡信治:海から山,火山でのフィールドワーク」2013年6月
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世界の山やま アンナプルナ(長岡信治)
長岡信治「マダガスカルにおける象鳥(エピオルニス)の絶滅と完新世環境変動史」(平成19年)
雲仙岳と岳の棚田の地形・地質(長岡信治)

谷川昌幸

山麓マラソンの酔狂と平和貢献

某ネパール情報によると,鉄の女や男が,またまたアンナプルナ山麓を走ったらしい。50~100km。わが青春時代に,ヒィヒィ,ゼィゼィいいながら這うようにして登ったあの急峻な山腹を駈け上り駆け下ったというから,「なんと酔狂な!」とあきれるやら,感心するやら。何の因果で,こんな苦行をやらねばならないのだろう?

 ガンドルン(1985)

まぁ,人間は食って寝て生涯を終えることでは満足できないやっかいな動物,何かをせざるを得ないらしい。何をするか? 限られた人生,どうせなら面白いことに限る。では,何が面白いか? 面白いのは,一言でいえば,役に立たないこと。役に立つこと,特に金儲けや出世が目的となると,活動は手段となり,面白くなくなる。活動は,それ自体を目的とするとき,他の役には立たず,それゆえ面白い。何の役にも立たない物好き,酔狂な活動こそが,人間をして無我夢中にさせるのだ。

ヒマラヤ・マラソンは,その典型だ。こんなことをやっても,何の役にも立たない。苦しいだけだ。怪我をしたり,下手をすると死ぬかもしれない。損得からいえば,損するだけ。それでも,鉄の男や鉄の女が,とりつかれたように無我夢中になって走ったらしい。酔狂なことだ。なぜ,そんな(損な)ことをするのか? 面白いから,としか考えられない。

活動に没入し酔狂に徹すると,雑念(金儲けや出世)が滅却され,人は純化される。一心不乱に遊ぶ子供のようなものだ。この無邪気な子供は,雑念をもたないから,自分たちの体験を共有し理解し合えるのだ。

アンナプルナ・マラソンには,外国からも酔狂な人々が多数参加したという。彼ら,鉄の女と鉄の男は,雑念を振り払って走り,走りながら雑念を振り払い,自然人に返っていったのだろう。彼らは走るという純粋経験を共有し,そこからは深い相互理解が生まれる。スポーツとは,本来,そのようなものであるはずだ。

 ガンドルン(1985)

これと対照的なのが,近頃のプロ・サッカー。ナショナリズム丸出しで,私は大嫌いだ。入場時の子供利用もイヤラシイ。オリンピックも大嫌い。国旗掲揚なんか見たくもない。サッカーもオリンピックも,スポーツではない。我利我利亡者の争いが,本来のスポーツであるはずがない。

アンナプルナ・マラソンでも,ネパール国軍からの参加者が,途中で車に便乗するなど,ズルをしたらしい。走ることが手段になると,そのようなことが起こる。こんな体験は共有できない(共有したら山麓マラソンは成立しない)。しかし,そんなズルは例外であり,ほとんどの人は走ることそれ自体を目的に走り,体験を共有し,相互理解を深めあったという。

ヒマラヤ・マラソンは,平和貢献を目的にはしていない。走ることそれ自体が目的であろう。が,逆説的ながら,そのような非政治的な経験の共有こそが,相互理解の拡大・深化をすすめ,平和に大きく貢献することになるのである。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/01/22 at 22:08

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