ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

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マオイストの憲法案(15)

4(9) 不可触民差別および人種差別に対する権利
マオイスト憲法案第30条は,不可触民差別や人種差別を禁止している。カースト差別,人種差別は,1962年憲法第10条でも禁止されており,その規定がその通り適用されておれば,それらの差別はなくなっていたはずである。しかし,他の多くの規定同様,62年憲法第10条も実際には無視され,非道なカースト差別が続いてきた。

1990年民主化運動成功により成立した90年憲法では,第11条で「不可触民」差別禁止が明記され,具体的に「公共の場所への立ち入り拒否」や「公共施設の利用拒否」を明文で禁止した。

2007年暫定憲法では,14条(1)~(5)により,不可触民差別と人種差別を,憲法にそぐわないほど詳細かつ具体的に規定し禁止している。マオイスト案は,それを受けているが,一部マオイストらしさを出したところもある。

暫定憲法第14条
(1) カースト,出自,共同体または職業を理由とした人種差別または不可触民差別の禁止。差別者は処罰され,被害者は賠償される。
(2) カーストまたは部族を理由に,公共的な施設利用もしくはサービスを拒否すること,公共的な場所もしくは宗教的な場所への立ち入りを拒否すること,または,宗教的行為を拒否すること,の禁止。
(3) カーストまたは部族を理由に,商品やサービスの生産や提供を拒否することの禁止。
(4) カースト,部族もしくは出自を理由として,優劣を述べること,社会的差別を正当化すること,カーストの優劣もしくは憎悪の思想を広めること,または,他の形でのカースト差別を助長すること,の禁止。
(5) (2)~(4)に抵触する行為の処罰。

マオイスト憲法案第30条
(1) 上記(1)に対応。差別理由に「身体的条件」を追加。賠償規定なし。
(2) 上記(3)と同じ。
(3) 上記(4)に対応。差別理由に「不可触民」追加。
(4) 不可触民カーストを理由として,本人の意思に反する行為や仕事をさせ,差別することの禁止。
(5) あらゆる形の不可触民差別や他の差別の処罰と,差別被害者への賠償。

カースト差別禁止という点ではマオイスト憲法案と暫定憲法は同じだが,ニュアンスは微妙に異なる。全体的にマオイスト案では,不可触民差別禁止が前面に出ている。また,暫定憲法14条(2)が公共的な場所立ち入りやサービスの拒否を禁止しているのに対し,マオイスト案は職業の強制を禁止している。

カースト差別については,憲法にここまで細々と記述する必要は無いと思うが,62年憲法のような差別禁止の原則規定だけでは実効性がなかったことを考えると,可能な限り詳細かつ具体的に憲法に記述せざるを得なかったのだろう。

マオイスト人民戦争は問題も多いが,少なくともカースト差別や性差別をラディカルに批判し,差別撤廃へ向けて大きく前進させたことは,高く評価できる。

マオイストの「蛮勇」なくして,カースト差別や性差別撤廃へ向けてのこれだけの前進はあり得なかったと断言してもよい。ピューリタン革命の「首切り斧」,フランス革命の「ギロチン」,社会主義革命の「人民裁判」――歴史は残酷なものだ。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/04/16 at 10:38

ゴミと聖牛

谷川昌幸(C)
このテーマについては、昨年も書いたが、状況はさらに悪化し、聖牛たちのあまりの哀れさに不覚にも涙を禁じえなかった。牛を食う罰当たりなキリスト教国でさえ、牛の権利はもっと尊重されている。(少し前、アメリカで、へたり牛をフォークリフトで突付き屠殺場へ追いやろうとした従業員が、牛権侵害で囂々たる世間の非難を浴びた。かの国では、牛を殺すにも、「牛道的」に殺すことになっているのだ。人道的殺人を規定する国際人道法と同じ論理だ。)
 
1.ケガレとしてのゴミ
この国では、ゴミはケガレであり、忌避の対象。伝統的カースト社会では、ケガレを下送りし、最下層の人々にゴミ処理を押し付けていた。このケガレ下送りシステムが、宗教的に聖化され正当化されていたときは、町も村も清潔であった。
 
ところが、民主化とともに、そのケガレ下送りシステムが機能しなくなる一方、政治的混乱の長期化で新しい近代的民主的ゴミ処理システムの構築が出来ないため、カトマンズはいまやゴミだらけ。不潔・不快きわまりない。
 
ゴミは路上に捨てられる。いたるところで道幅の半分以上を生ゴミ、不燃ごみが占拠し、交通渋滞となる。強烈な腐敗臭の中、すし詰めバス乗客や通行人はひたすら我慢を強いられる。ケガレ観念を残したまま、それを処理する伝統的社会制度を破壊したつけが、これだ。
 
さらにグロテスクなのは、悪臭・汚物まみれの道路に面して、ハイカラ高級ブランド店や超豪華マンション等が続々と建設されていることだ。生ゴミ腐敗臭にまみれつつ、ブランド店で優雅にお買い物。
 
これは、むろん伝統的清掃人の責任ではない。これまでケガレを下送りされ、ゴミ処理を押し付けられてきた人々が、議会に代表を送り、自分たちの権利を主張し始めたのは、当然なことだ。彼らには、冷房の利いた快適なオフィスで働く特権社員と同等以上の給与が支払われて当然だ。責任は、自分たちの利己的都合で伝統的社会制度を破壊しながら、それに代わる新制度を作ろうとしない為政者たちにある。
 
2.階級と民族のすり替え
ここで警戒すべきは、2006年4月政変で権力を得た人々が、階級問題を民族問題にすり替える動きが見られることだ。科学的調査などしなくても、カトマンズで貧富格差が急拡大していることは明々白々だ。特権階級による搾取は激化している。
 
これを放置すると、困窮者の暴動、革命になるおそれがあるので、権力者たちは問題をたくみに民族問題にすり替え、不満を人為的に創られた「民族」に解消しようとしている。ネパールの被抑圧人民は、「民族」で分断されてはならない。マルクス、毛沢東は、むしろこれから彼らの導きの星となるのだ。
 
3.聖牛から野良牛へ
しかし、これは人間界のこと、聖牛たちはまだ、祖国が世俗国家になったこと、そして自分たちがただの家畜になったことを知らない。
 
あわれ聖牛たちは、過去の威厳そのままに、今日も悪臭ただよう路上ゴミの真っ只中に座り、腐敗ゴミやビニール袋を食べている。泥沼の睡蓮。人間のケガレを一身に引き受け、わが身を犠牲にして、人間を救おうとしている。神々しい、聖牛の最後の姿だ。
 
しかし、こんなことはいつまでも続かない。聖牛たちの訴えはいつかは罪深い人間の心にも届き、ゴミはケガレから開放され、価値中立的な廃棄物となり、近代的に処理されるようになるだろう。清掃人は、清掃局の従業員となる。
 
そのとき、聖牛の人間救済は完成する。聖牛はケガレたゴミを食い、人間に罪を自覚させ、ゴミ処理を近代化させる。清掃人は根深い差別から救われる。しかし、そのとき、聖牛は世俗化され、ただの野良牛となり、飼い主に引き取られ、近代的管理の下で飼育されることになるだろう。聖牛は、自らの聖性を犠牲にすることのより、人間を救済するのだ。
 
しかし、聖牛のこの崇高な自己犠牲により実現される世俗的近代的社会が、人間と牛たちにとって本当に生きるに値するような、意味に満ちた社会となるかどうかは、まだ分からない….。

【参照】
ゴミのネパール
ゴミと糞尿のポストモダン都市カトマンズ

Written by Tanigawa

2008/06/19 at 23:59

カテゴリー: 宗教, 文化

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売春カーストと性産業セックスワーカー

谷川昌幸(C)

1.売春カースト
8月下旬,売春職業カースト,Badiが他のダリット団体と共同で,国会周辺で生活改善要求運動を続け,逮捕者,負傷者が多数出ている。

2.バディの裸デモ
The Himalayan Times社説によれば,バディ・カーストは次のような現状にある。

いま国会デモをしているのは,西タライのバディ。国会周辺で「半裸デモ」を行い,もし要求が通らなければ「全裸デモ」をすると予告している。

主な要求は,売春をやめるための耕地の分配と子供の無償教育。売春職業のため,父不明の子供がたくさんいる。

法律は,売春を合法とも違法とも決めていない。ネパールでは,売春職業カーストが罪の報いとして古くから代々継承されてきた。社説は,法律で明確な規制を定め,女性搾取を禁止した上で,自由売春を認めるのが現実的という結論のようだ。

3.恥ずかしいのは社会
売春を家業とせざるをえないというのはいまの人権基準では明らかに正義に反する。生活に必要な「耕地を分配せよ」,「子供に無償教育を受けさせよ」というバディの要求は謙虚なものであり,文句なしに正しい。

「半裸デモ」はすでに新聞が報道した。人々の不幸をメシのタネにするのはケシカランが,しかし半裸バディ写真を掲載することで,彼女らの現状が世界中に知られた。マスコミは因果な商売だが,これは業,頑張って欲しい。

バディは次は「全裸デモ」をするという。服を脱いで全裸で100人,1000人がデモすれば,もはや誰もとめられない。これも,ぜひ一面トップで掲載し,世界中にネパール文化の深遠を知らしめて欲しい。

恥ずかしいのは,売春家業でも半裸デモでもない。それはネパール社会が彼女らに強制してきたことだ。ありのままを人々に見せる。恥ずかしいのは,見ている社会の側だ。世界への恥さらしと見るなら,即刻バディの謙虚な要求を受け入れ,全裸デモをやめてもらうべきだ。

4.マオイストのリキシャ攻撃,大使猟官運動
マオイストは何をしているのか? 人権団体はいくつか連帯を表明しているが,腰が引けている。マオイストはよく分からない。こんなときこそ,バディを全面支援し,解放を勝ち取るべきだ。

それなのに,マオイストは先日のバンダで,何とリキシャ(人力車)を攻撃して回った。リキシャの運ぶ人や物などたかがしれている。かつてのバンダでは,リキシャだけは例外で,「人民のためのバンダ」をアピールした。そんなことも出来ないマオイスト。リキシャなど攻撃せず,一泊数万円もする某高級ホテルでも攻撃してみよ。

その一方,マオイストは,一番おいしい官職である大使に4候補を出した。デンマーク,オーストラリア,フランス,マレーシアだという(8月28日4大使閣議決定)。リキシャ攻撃と大使猟官運動。それらと,バディの「全裸デモ」のどちらが恥ずかしいことなのか?

5.バディとセックスワーカー
バディ問題が難しいのは,文明社会でもセックスは「産業」として成立しているからだ。「売春職業カースト」と「性産業セックスワーカー」は,どこが違うのか? 日本でも欧米でも,性産業は認められており,売春そのものを堂々と公認している先進国もある。

あるいは,「バディの半裸や全裸」と,先進諸国の半裸夏ファッションやネット性無法状態は,どこがどう違うのか? 29日午後,ネパール文部省正門前で,ヘソだし半裸ファッションの日本女性を見た。ビーチと勘違いしているらしい。ギョッとし,猥褻罪で逮捕されないかと心配になった。

ネパールでも,伝統的性交像満載のヒンズー寺院の周辺には,近代的性産業が続々進出してきている。数日前,寺院の向かいの飲食店に迷い込んだら,これはイカン,性的退廃ムード瀰漫。イカン,ケシカランが,道の反対側のヒンズー教寺院と,このケシカラン飲食店,あるいは全裸で踊らせているあまたの酒場(先週ヌードダンサー80人が逮捕された)と,どこがどう違うか?

裸や性を見せている点では,両者は何ら変わらない。違いは,宗教性の有無,あるいは経済外的強制の有無だけだ。現代性産業は,世俗化され,民主化され,共和制化されている。そこが違う。

バディなど前近代的売春職業は,宗教や親など他者により売春を強制された。これに対し,近代民主主義社会では,本人の自由意思で,売春する。自由・独立の個人が,自分の自由意思により,新しい服が欲しいといった理由により,自分の財産(property)である身体の一部である性器を貸し,使用料を取る。資本主義の原理からいって,自分固有の財産(性器)をどう使用しようが,他人の同等の自由を侵害しない限り,それは自己責任であり,何ら問題はない。だから,ヒマラヤンタイムズも,世俗的民主的共和制的な法律により規制した上で,自由意思による売春を認めるという現実的な提案をしたわけだ。(性器の使用契約とは卑猥な表現だが,くそまじめな哲学者カント大先生の表現を拝借しただけ。抗議はカント先生にしてください。)

6.拝金教による強制
しかし,その近現代セックス・ワーカーの自由意思は,本当に自分の意志か? もし資本主義文化により巧妙に創り出されたものなら,売春強制者がヒンズー教などの宗教から資本主義(拝金教)に替わったにすぎない。

先進文明国の教養ある人々は,バディ売春職業カーストを野蛮な未開国の因習と見下すが,見方によれば,自己責任で性産業に従事させられている先進国のセックス・ワーカーの方がはるかに悲惨な状況にある。バディの売春は強制されたもので,性器を貸すだけだが,先進国の性産業セックス・ワーカーは自分の自由意思で性を売り金品を得ている(と社会から見られている)からだ。バディにはまだ魂の救いがあるが,先進諸国のセックス・ワーカーには救いはない。性を売ったことの責任を全部引き受けて死んで行かねばならない。

いまのネパールは,過渡期だ。売春職業カーストが残っている一方で,資本主義型性産業が急成長している。バディはカースト差別でケシカランが,では,民主化され万人に開かれた近代的性産業はどうなのか?

7.民主主義の偽善は許されない
カースト規制から解放されたバディが,餓死の自由を得,自らの自由意思で資本主義的性産業にセックス・ワーカーとして就職するといった民主主義の偽善は,絶対に許されてはならないだろう。

* ネパールの性問題の現状については、アイウエオサークル 「セックス産業花盛り」(8月28日)http://aiueo.blog.ocn.ne.jp/nepal/2007/08/post_3887.html

* The Himalayan Times, 28 Aug. 2007.

写真(上):文部省玄関。国民道徳総本山への入り口。
写真(中上):筋向かいのヒンズー教寺院と敷地内の銀行。宗教と資本主義先兵の結託(この寺は観光収入目的で建設されたというウワサもある)。
写真(中中):ヒンズー教寺院の性交像。この種のものが無数にある。
写真(中下):同上
写真(下):寺院反対側(文部省の並び)の繁華街。近代性産業もこうした繁華街内に増殖中という。  

Written by Tanigawa

2007/09/01 at 14:54

年3000円で売られる少女,カムラリ

谷川昌幸(C)

CNNが,年3000~5000円で奉公に出される(売られる)少女たち,Kamlariについてレポートしている。

1.カムラリとは
Kamlariとは,「少女債務労働者」のこと。古くからあり,いまも根強く残っている。

2.親に売られる
少女たちを売るのは,家族。生活苦のため,年25~50ドルで,少女を仲介人を介して奉公に出す。家の外に出せば,少女の養育費も家族は節約できる。

いずれも,わずかな金だが,それすら貧困農民には工面できない。

3.債務奉公から売春へ
奉公に出された少女たちは,雇用主の家で子守り,掃除などの家事雑用をさせられる。学校に通わせるという約束もするらしいが,たいていは反故にされる。

カムラリは奴隷ではないので,10年くらい奉公し,16~18歳になると,主人の言うことを聞かなくなり,カムラリ奉公を拒否して家に戻るか(家計から見て難しいだろう),それとも夜の商売,そして売春へと流れていく。

4.カムラリ,2万人
カムラリは,タルー族の多いDang, Deukhariが中心であり,2万人位いるという。両地方の総人口はいま分からないが,少女2万人はかなりの比率になるはずだ。

日本にも同じような子供奉公があったが,いまは21世紀,こんなあからさまな人権侵害が許されるはずがない。

5.頑張れ,マオイスト
カムラリのような社会悪を一気に解決できるのは,いまのところマオイストしかいない。というのも,カムラリはネパールの社会構造に組み込まれた根深い問題であり,蛮勇をふるって社会構造を破壊することのできる本物の革命派にしか,解決できそうにないからだ。

和平で早く権力の分け前を手にしたい気持ちは分からぬではないが,革命政党の本分を忘れてもらっては困る。マオイストには,あくまでも被抑圧民族,土地無し農民,女性,下層労働者,下位カースト等の立場に立ち,社会構造の悪に立ち向かってもらいたいものである。

* Seth Doane, "Nepal dad sold girl for $25, paid in installments," CNN, Sep.26,2006.

Written by Tanigawa

2006/09/27 at 11:18