ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

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ネパール中西部大学の意欲的コロナ対策(1)

ネパールの中西部大学(Mid-Western University [MWUまたはMU])が,意欲的な新型コロナ(コビド19)対策に取り組んでいる。

MWUは2010年再編新設の国立大学で,本部はカルナリ州スルケットにあり,学生は約3千人。教育学系,理工学家,人文社会系,商学系,法学系のコースはあるが,医学部はない。

MWUのあるカルナリ州は,ネパールでも最も低開発の中西部地方に位置し,教育も普及していない。中西部のHDI(人間開発指数)は0.548(2017年),識字率は43.71%(2001年)。

MWUは,その中西部カルナリ州の中規模新設大学だが,3月初旬着任のナンダ・B・シン学長(VC)の強力なイニシアチブの下,いち早く緊急のコロナ対策に着手する一方,それを一時的事業にとどめず,大学と地域社会の総合的開発の重要な契機ととらえ,その観点から事業を継承発展させようとしており,たいへん注目される。
【参照】「中西部大学」学長にTU教授指名 コロナ禍のネパール

■MWU HP, Top(Apr 30)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2020/04/30 at 11:31

制憲議会選挙2013(1):イデオロギーとしての選挙民主主義

制憲議会選挙(संविधानसभा सढस्य निर्बचन २०७०)が近づいてきた。投票日は11月19日だというのに,いまだ実施延期も含め,様々な議論があるが,選管は準備を進め,主要諸政党の比例制候補もほぼ出そろい,よほどのことがない限り,おそらく選挙は実施できるであろう。そこで,あとで検索(右欄検索ツール使用)しやすいように,「制憲議会選挙2013」のタイトルの下に,関連記事をアトランダムに掲載していくことにする。

131004a 131004b ■制憲議会選挙啓発(前回)

1.市場社会化と選挙民主主義
選挙民主主義(electoral democracy)については,これまで何回か批判した。冷戦終結(1989-91年)以降,世界は自由競争市場社会化に向け大きく前進した。これは,アメリカを中心とする先進諸国が,選挙民主主義を武器として,戦略的に巧妙に押し進めてきたものだ。途上国は非民主的であり,それゆえ開発が遅れ,紛争が絶えず,悲惨で貧しい。先進国のように豊かになり,よい生活がしたければ,選挙をやり,民主化せよ。これが先進諸国の途上国に対する選挙民主主義のお説教である。

選挙民主主義がいかに欺瞞的かは,途上国の貧困は先進諸国の長年の搾取によるものであることへの反省が選挙民主主義者にはまるでないことを見てもよく分かる。今日の途上国,つまり「後進国」は,先進諸国に侵略され略奪されるまでは,例外なく豊かであった。欧米諸国,そして遅れて日本などが,自分たちは貧しかったので、豊かな「後進国」の富を目当てに軍隊を送り込み,資源や財産,あげくは人間までも強奪し,自分たちの国を豊かにしてきたのだ。

先進諸国は,軍隊で強奪しうるものはほぼ強奪した。次はソフトパワーの出番だ。こうして選挙民主主義が,軍隊により強奪し「後進国」に陥れた地域から先進諸国がさらに搾り取るための次の手段として戦略的に投入されたのである。

むろん選挙民主主義は,先進諸国においては,その欠点や限界が改めて意識され始めている。ところが,途上国においては,決してそうではない。イラク,アフガン,そしてネパールにおいても,先進国押しつけ選挙民主主義は大失敗であった。にもかかわらず,その反省もなく,先進諸国は途上国に選挙民主主義を押しつけようとしている。なぜか? いうまでもなく,選挙民主主義こそは,途上国をグローバル市場に引き込むための最強のイデオロギーであり,先進諸国にとっては――途上国自身にとってではなく――最も有効かつ有益だからである。

選挙は,現代グローバル資本主義のイデオロギーであり,軍隊に代わる現代型搾取の手段として途上国に対して戦略的に用いられている。

2.必要悪としての選挙
しかしながら,難しいのは,選挙民主主義は欠陥と限界を十分意識しておれば,国家社会統合の手段として一定の有効性をもつということ。偉大な貴族保守主義者にして現実主義者のチャーチルが喝破したように,「民主主義は,歴史上存在した他の統治を除けば,最悪の統治である」。悪しき統治だが,われわれには,もはやこれしか選択の余地はない。先進諸国がケシカランのは,自分たちが限界を意識していながら,途上国に対しては,まるで万能特効薬であるかのように純粋選挙民主主義を処方し,押しつけようとする点にある。

下心は,むろん,手っ取り早く途上国を市場社会化すること。先進国企業の市場にしてしまえば,あとは,どうなろうが知ったことではない。これは,かつて軍隊や宣教師を送り込み,地域の伝統文化や言語を奪い,西洋文化や英語・スペイン語などを押しつけ,かくして「文明化」することによって世界を植民地化し搾取したのと,方法においては異なれ,目的は同じである。

3.謙虚な選挙側面協力
われわれは,途上国に対し,そのような不遜な,利己的なことはやってはならない。選挙民主主義は欠陥だらけ。にもかかわらず,選挙以外の選択肢は,今のところ,ない。この冷厳な事実を十分自覚しつつ,途上国の選挙に側面からそっと協力する。純粋選挙民主主義の劇薬を押しつけるなどといった愚行は,いかにその誘惑に駆られようとも自制し,その国,その地域に適した形の選挙に,裏方として,そっとやさしく協力する。自分たちが,数百年かかって不十分ながらやっと手にしたものを,短兵急に,途上国で無菌促成栽培しようなどと高望みしてはならない。

ネパール制憲議会選挙についても,先進諸国は,そのような謙虚な姿勢で臨んでほしいと願っている。

[参照]
穀潰しの選挙民主主義
カーター元大統領:救済者か布教者か?
ガルトゥング提案の観念性と危険性
派兵はNGOの危機,ネパールとアフガン
選挙後体制と擦り寄り知識人
選挙民主主義関係記事一覧

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/10/04 at 14:20

丹後の春と過疎化

丹後でも,今年の冬は厳しく,その分,野の花々も彩り鮮やかだ。路傍の野草には自然の凛とした気品が,野生化した外来種や古民家前の桜には自然と化した人為の温かさが,感じられる。いずれ劣らず好ましい。

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 ■古民家と桜

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 ■自宅付近の路傍の野草と菜の花

しかし,その丹後でも,容赦なく過疎化は進み,それを押しとどめるはずの開発は乱雑な自然破壊・文化破壊となっている。山間の田畑や山林のため大金をかけ立派な舗装道路を張り巡らせても,農林業は廃れ,耕作放棄地・放置山林となり,野生動物の天国。舗装道路の最大の受益者は,タヌキやイタチ,トンビにカラスらだ。

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 ■舗装農道沿いの耕作放棄田

こうした地方の過疎化は,日本だけでなく,何とわれらがネパールでも進行している。グローバル化は,情報化でもあり,ネパールの農山村の人々も都市や外国の生活を見聞きできるようになった。そして、それを見た若者たちが,次々と故郷を捨て,都市や外国に出て行く。農山村には,老人と女性だけが取り残され始めたという。

グローバル情報化・資本主義化は,政治経済の中央集中化である。アベノミックスが引き金になって,博打グローバル市場経済が破綻することにでもならなければ,この不健康な現象を押しとどめることはできそうにない。残念ながら,

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/04/05 at 12:11

郷里とネパール: 失って得るものは?

谷川昌幸(C)

年末年始(12/31-1/2),日本三秘境の一つ丹後に帰郷した。年頭に当たって,今年も村の変化をネパールと重ね合わせながら報告しよう。

1.クマと高速道路
いまの村の話題の一つは,イノシシ,シカ,サル,クマの出没。イノシシ,シカ,サルは以前からよく現れ,農作物を荒らしていたが,最近はとうとうクマまで出始め,栗や柿の木に登り,実を食べるようになったそうだ。田畑の耕作放棄が進んだためだろう。

一方,そのわが過疎村にも高速道路が延伸され,村に出入り口が出来ることになった。京都・大阪からの所要時間は,1960年頃は丸1日,現在が3時間半くらい,それが高速道路延伸で20分ほど短縮される。スゴイ。

2.自給自足の村
1960年頃までの村は,80~90%自給自足であった。戸数100戸余り(ほとんど農家),小学校1,医院1,農協(兼町役場・郵便局・日用品店)1,商店3,魚屋1,大工(工務店)2,寺1,神社3,祠(田の神,山の神など)多数,産婆1,祈祷師1,理容美容1,等々。わずか100戸余りの小さな村なのに,村内でほぼ自給できていた。

それは,村人たちが村の生産力の範囲内で工夫し協力し生活していたからだ。私自身,裏山でマキをつくり,自宅の燃料とし,また小学校のストーブのために供出した。私の家も,裏山の木を製材し,村の大工と村人たちが協力した建ててくれたものだ。

村では,誕生から死までの生活がほぼ完結していた。私も弟2人も私の家で産婆さんに取り上げられ,祖母は村の医者に看取られてなくなり,村の寺の僧が読経し,近所の人々の手で近くの墓地に土葬された。

贅沢さえ言わなければ,生まれてから死ぬまで,この小さな村の中でほぼ不自由なく暮らしてゆけた。これはいま思うと奇跡的なことだ。

3.資本主義化で依存状態に
ところが,1960年頃から始まった村への資本主義の侵入で,村はあれやあれよという間に自活のための生活基盤を奪われてしまった。

若者は大都市に奪われ,小学校も医者も農協も商店も町に奪われた。村の祈祷師も,村のことを隅々まで知っており医者では治せないような病をよく治すことができたにもかかわらず,近代化により排除されてしまった。

いまや村は自立性を完全に失い,人々は村内だけでは絶対に生きていけない。かつて村人たちは協力し合いながら,生活のことは誕生から死まで,ほぼ何でもやれた。村人は全人格的人間として生きていた。ところが,いまでは,低賃金目当ての町の工場やスーパーで働き,賃金を得るだけの単職能労働者になってしまった。村は収入を村外の工場に,燃料を中東に,食料と日用品(多くが輸入品)を町のスーパーに完全に依存している。村人は,村で生まれ,村で死にはしない。町の病院で生まれ,死ぬ。そして遺体を焼くのも葬儀も村外の近代的火葬場であり,株式会社の葬儀場だ。

4.失われた文化
わが村は,本格的な資本主義化が始まる1960年代以前は,時間を有り余るほどもっていた。自給自足ではさぞ忙しかろうと思われるかもしれないが,全く逆。時間は資本主義が奪うもの。資本主義化以前の社会では,わが村に限らず,どこでも時間は有り余っているのだ。

村では,大人にも子どもにも時間があり暇があったから,様々な文化が生活の中で楽しまれていた。子どもたちの様々な遊び,大人たちの囲碁将棋,俳句,芸能,祭り,花見,釣り,海水浴,スキーなど。

しかし,資本主義化により,時間が奪われ,したがって暇を必要とするこれらの文化はあらかた廃れてしまった。

5.何を得たのか
資本主義化で,わが村は何を得たのか? そして,高速道路延伸で京都・大阪から20分早くなることで,わが村は何を得ることになるのか?

都市に脱出した人間の無責任な懐古趣味には違いないが,それでも私たちは,近代化,資本主義化で何を得たのかと問わざるを得ない。

山間の小さな村。夏は蒸し暑く冬は豪雪の寒村。そこで,100戸余りが,つい最近までほぼ自給自足できていた。いや,たんに食べるだけでなく,有り余る時間を使い,生活の中で遊び,文化,芸能を存分に楽しんでいた。

ところが,いまや,その同じ村が,過疎化で半分近くになった村人の生活すら支えることが出来なくなった。若者には仕事がなく,夫婦は子供を産みたくても経済的,社会的,医療的支えがなくて産めず,老人は村に商店がなくなりバス便も激減したため食料・日用品を買い求めることにすら不自由している。村人たちは,日々の生活費を稼ぐだけで疲れ果て,かつてのように遊ぶ暇も気力もない。俳句をひねり,神楽の練習をする余裕はもはやない。

いったい,何のための近代化,資本主義化だったのか? 村人たちは,いったい何を得たというのか?

わが寒村で,100戸余りが貧しいとはいえ,十分に食え,生活を楽しむことが出来ていた。だとしたら,その生活を基礎に,それを豊かにしていく別の道があったのではないか?

6.ネパールのもう一つの道
先進国の人間が,ネパールに来て,伝統的生活の大切さを語る――それは無責任だとさんざん言われてきた。その通りだと思う。自分たちは,近代的な「快適な」生活をしながら,ネパールに来て,そうでない生活が大切だというのは,たしかに無責任であり偽善だ。

しかし,それが分かってはいても,やはり,資本主義化の道は決して幸福への道ではない,といわざるを得ない。先進国は,どこかで道を間違えてしまったのだ。 わが村で,この40~50年で起きたことが,ネパールでいま起こりつつある。ネパールの人々は,時間を失い,文化を失い,そして結局みな不安な外部世界への依存者になってしまうだろう。

物理的・物質的にある程度便利にはなるだろうが,それに見合うだけのものは,資本主義化の方法では,おそらく得られないだろう。一部の特権的な人々を除いては。

【参照】ネパールの過疎化 Grandma of the Empty Village: Nepal

Written by Tanigawa

2007/01/03 at 22:15

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