ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

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ゴビンダ医師のハンスト闘争(6)

2.ゴビンダ医師ハンスト略年表

(2)第15回ハンスト関係略年表
[2014年]
11月17日:スシル・コイララ首相(NC),ゴビンダ・KC医師(以下KCと略記)要求に応えマテマ委員会設立。
[2015年]
06月29日:マテマ委員会,スシル・コイララ首相に報告書(110頁)提出。
[2017年]
04月17日:プラチャンダ首相(CPN-M),医学教育調査委員会(MEPC)設置。
10月23日:デウバ内閣(NC),KC要求に沿う「医学教育令2017」(「医学教育法」代替政令)を閣議決定。(憲114条:政令は内閣助言により大統領発布。次期議会否決か発布後6か月経過で失効。)
11月23日:「医学教育令2017」,バンダリ大統領が署名し成立。
[2018年]
02月04日:MEPC,デウバ首相に報告書提出し,医大認可不正関与43人の処分勧告。
02月15日:2017年末総選挙で大勝したUML-CPN(現NCP)のKP・オリが首相就任
04月26日:「医学教育令2017」,施行期間満了。
04月29日:政府,マイティガル・マンダラでの集会禁止。翌30日からKC支持派逮捕始まる。
05月09日:「医学教育令」,議会が期限延長議決。
06月07日:KC,「6項目要求」。
06月30日:KC,カルナリ州ジュムラで「無期限ハンスト」開始
07月04日:KC,体調悪化でカルナリ保健科学アカデミー(KAHS)救急室収容。
07月05日:「医学教育令」,期間満了。
07月06日:政府,「医学教育令」大幅修正の「医学教育法案」議会登録。NC,「医学教育令」を「医学教育法」として制定することを求める動議提出。
07月07日:医学協会(NMA),3日以内にKC問題への政府回答がなければスト開始と宣言。
07月08日:マイティガル・マンダラでKC支持集会。
07月09日:KC,酸素吸入開始。
07月11日:NMA,病院1時間スト(救急除く)など全国で抗議活動開始。
07月12日:政府,「医学教育法案」議会提出。
07月14日:KC,心拍異常,白血球減少などで意識失うが,KAHSにはICUなし。政府,KCのカトマンズ強制移送検討開始。マイティガル・マンダラでNC中心のKC支持大集会。
07月15日:ジュムラでKC支持デモ拡大。
07月16日:政府側交渉団結成(団長=KR・バラル教育省事務局長)。政府,「医学教育法案」議会提出。
07月17日:州政府,中央政府の意向を受け中央政府にKCカトマンズ移送を要請。KCさらに衰弱,立ち上がれない。心室性期外収縮。心停止の恐れ。
07月19日:政府動員の治安部隊と学生,看護師らがKAHSで衝突,数十名負傷。警官死亡と伝えられ,KCはカトマンズ移送同意(のち警官死亡は虚報と判明。)政府,軍ヘリでKCをカトマンズへ移送。夕方到着後,KCは収容されたトリブバン大学教育病院(TUTH)でハンスト継続。
07月20日:デウバNC党首,TUTHハンスト中のKC訪問。全国公私立医療機関,救急を除きKC支持スト。マイティガル・マンダラでKC支持集会。アムネスティ,ジュムラでの政府実力行使に憂慮表明。
07月21日:市民団体,バネスワルで抗議集会,著名人多数参加。
07月22日:バサンタプルでKC支持集会。主要14メディア編集長,KC訪問し,支持声明発表。KC体調さらに悪化し,危険状態に。
07月23日:UMLとMCの下部組織(各2),KC要求に沿う「9項目要求」に合意。KC支持集会,数百人参加。
07月24日:オリ首相とプラチャンダ共同議長,KB・マテマ,DK・バスコタ医学審議会(MEC)議長と会い,打開策協議。夕方,政府とKC側が教育相で交渉。
07月25日:医療諸機関,外来診療など休止。医師ら,KC支持デモ参加。
07月26日:TUTHで医学部学生,KC支持デモ。夕方,政府とKC,「9項目合意」署名深夜,KCハンスト終了
07月27日:政府,「医学教育法案(修正なし)」と「9項目合意」を議会提出。KC,ICU収容(6日間)。
07月31日:政府,「医学教育法案」の修正案(「9項目合意」に基づき22か所修正),議会登録。
08月7日:KC,退院。
08月11日:KC側交渉団,首相と官邸で交渉開始。


 ■トリブバン大学医学部/ネパール医学審議会

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/10/09 at 14:29

ゴビンダ医師のハンスト闘争(5)

2.ゴビンダ医師ハンスト略年表
ネパールの情報化はすさまじく,ゴビンダ医師関係記事もおびただしい数量にのぼる。たとえば,ネット版「リパブリカ(マイ・リパブリカ)」だけでも,医学教育問題再燃の4月末頃からゴビンダ医師第15回ハンスト問題ほぼ決着の8月中旬までの間に,ゴビンダ医師関係記事が,短信を除いても,160本以上掲載されている。社説や長い署名記事も少なくない。他紙も,リパブリカほどではないが多くの記事を載せているし,インド各紙も詳しく伝えている。とても追い切れない。

さらに,出来事の日付特定に困るのが,記事により日付が異なることが少なくないこと。いずれが本当なのか? また,日付ではなく曜日使用の慣行も困りもの。「法案を木曜日に提出した」とか「首相が日曜日に会見した」といった形で,日付ではなく曜日が一般に記事では用いられる。多くは前後関係で日付がわかるが,出来事が錯綜していたり以前の出来事であったりすると日付が判然としない場合も少なくない。そのためカレンダーとにらめっこしながら,曜日から日付を割り出す作業を繰り返す。面倒くさいうえに,どうしてもはっきりしない時もあり,いらだつ。なぜ,日付にしないのだ!
 ■カトマンズポストの曜日表記

というわけで,以下の略年表にも不正確な部分があるかもしれない。ご容赦願いたい(随時補足,訂正予定)。

(1)ゴビンダ医師の15回のハンスト

開始年月日 ~ 終了年月日
第1回 2012.07.05~2012.07.08
第2回 2012.08.11~2012.08.17
第3回 2014.01.11~2014.01.24
第4回 2014.02.08~2014.02.15
第5回 2015.02.20~2015.03.03
第6回 2015.08.24~2015.09.06
第7回 2015.09.19~2015.09.29
第8回 2016.07.10~2016.07.24
第9回 2016.09.26~2016.10.07
第10回 2016.11.13~2016.12.04
第11回 2017.07.24~2017.08.15
第12回 2017.09.25~2017.09.27
第13回 2017.10.05~2017.10.18
第14回 2018.01.08~2018.01.13
第15回 2018.06.30~2018.07.26

 *ゴビンダ・KC:1957年3月25日生

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/10/07 at 11:40

ゴビンダ医師のハンスト闘争(4)

1.民主的専制とサティヤグラハ:ネパールから学ぶ(4)
ゴビンダ医師のハンスト(サティヤグラハ)は,こうしたネパール社会の現状を踏まえたうえで行われたものだが,そこには日本のわれわれにとっても学びうるものが少なからず存在するように思われる。

現代の日本は,自由や権利も民主主義も,制度的にはネパールと同様,憲法等により明確に保障されている。ところが,現実には,政治は野党の無原則な離合集散,萎縮により与党政府の思いのまま,民主主義の土台をなす政治倫理は衰弱し,国民の諸権利も侵食される一方だし,社会は政財界バックの市場原理主義により格差拡大,少数勝者の楽園となりつつある。日本国民の多くは正当な権利も健康で文化的な生活も満足には保障されていないのに,現体制は民主主義により成立し,支持を拡大し,着々と永続化に向け前進している。現代日本は,露骨な強権的専制ではなく,柔らかい,真綿で絞められるような「民主的専制」ないし「多数者専制」に陥りつつあるとみるべきである。構造的には,ネパールと同じではないか?

むろん,現代の日本にはネパールとは比較にならないほど長い,豊富な自由主義と民主主義の経験がある。しかし,たとえそうではあっても,日本政治が先の希望が見えない時代閉塞的な状況に陥りつつあるという点では,ネパールと同じである。日本でも,民主主義はいまや,富者・勝者がつくり出す国民多数派のものである。少数派が国民に訴え,支持を広め,民主的に体制を変えることは,ますます困難になりつつある。

たとえば,憲法改正について,これまでよく目にしてきたのは反対派の署名活動や意見広告であった。改正賛成派の同様の動きは,いまのところそれほど活発ではない。しかし,もし改正賛成派が,機塾せりと見て,一般国民向けの署名活動や意見広告を本格的に始めたらどうなるか? おそらく形勢一転,署名活動も意見広告も改憲派圧倒的優勢となるだろう。反対派は,街に出ても,新聞を開いても,テレビをつけても,改憲派の署名活動や意見広告を見聞きすることになる。民主国では,体制が民主的であればあるほど,反体制派の反対運動は困難となる。


 ■護憲派意見広告(朝日2007/5/3)/改憲派意見広告(産経&読売2018/6/28)

いまの日本は,そのような反政府少数派の反対運動が困難なソフトな「民主的専制」に陥りつつある。この状況では,体制側の政策に反対するには,民主主義以外の方法をも模索せざるをえない。そうした方法のうち,非民主的だが倫理的に正当であり,困難を極めるが実行されれば極めて効果的と思われるのが,サティヤグラハである。ここでゴビンダ医師のサティヤグラハとしてのハンスト闘争の紹介を試みるのは,このような問題意識からである。

ただし,ここでは,ゴビンダ医師の第15回ハンストにつき,全過程を跡付けたうえで,首尾一貫した形で紹介することは,断念せざるをえない。ハンストをめぐる動きが極めて複雑なうえ,このところの情報化により関係情報もおびただしい数量にのぼるからである。以下では,主な出来事や論点ごとに紹介していく。時間の前後や記述の濃淡,重複などが生じるかもしれないが,ご容赦願いたい。

■ガンディーのハンスト(AP, 1943/2/11)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/10/02 at 13:50

ゴビンダ医師のハンスト闘争(3)

1.民主的専制とサティヤグラハ:ネパールから学ぶ(3)
このような現代型「民主的専制」が行われているとき,人々はそれに対しどのような方法で抵抗できるのか? 

民主主義そのものの第一原理は,あくまでも理念的には主権者人民の自治であり,方法的には多数決である。個人の自由や権利は自由主義ないし個人主義の原理。したがって民主国では国民多数派が政府を組織し,政策を決定し施行する。そして,この政策の決定・施行が民主的な手続きに則って行われている限り,その政策への不服従は,論理的には,民主的ではないことになる。

むろん民主国では一般に,国民の自由や権利が保障されているので,少数派が自分たちの意見を広め多数の支持を得,自ら多数派となって政府を民主的に変えることは,論理的には可能である。が,先述のように,民主国の政府は民主的に国民を教化するので,教化が進めば進むほど,少数派が国民に訴え支持を広めることは,実際には困難となる。現代型「民主的専制」の成立である。

このようなとき採りうる抵抗手段の一つが,「サティヤグラハ」である。サティヤグラハは,他の人々がどうであれ,不正をただすため一人敢然と立ち,実行する。その意味で,それは多数派に依存せず,したがってそれ自体は「非民主的」な政治闘争である。いまのネパールは,そのようなサティヤグラハに訴えざるをえないような状況になりつつある。

サティヤグラハは,このように民主的方法に依存しないので民主的専制に対しても有効でありうるが,その一方,その闘争行為が人々に見聞きされなければ効果を発揮できないこともまた事実である。ガンジーの一連のサティヤグラハが成功したのも,それが地域から全国へ,そして世界へと広く知られるようになったからである。いまのネパールはどうか?

ネパールはいま,情報化が急激に進み,地域の出来事であっても全国に,いや全世界に瞬く間に知れ渡るようになった。以前のネパールでも情報は口コミなどで伝わっていたが,情報伝播は,量と質の点でも速さと広さの点でも,現代の比ではない。いまのネパールは情報化社会であり,そこはすでに,知られることを大前提とするサティヤグラハが効果を発揮しうる社会状況となっていると見てよいであろう。


 ■与党絶対多数の代議院(WIKIより作成2018年9月30日)/ゴ医師連帯FB(2016年8月30日)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/10/01 at 14:39

ゴビンダ医師のハンスト闘争(1)

1.民主的専制とサティヤグラハ:ネパールから学ぶ(1)
ゴビンダ・KC医師(博士,TU教授)が,ネパール保健医療の抜本的改革を求め,15回目のハンストを行った。ハンストは,6月30日カルナリ州ジュムラで開始され,7月26日強制移送されたカトマンズで終了した。27日間にも及ぶゴビンダ医師最長のハンスト。
 *ハンスト(ハンガーストライキ):要求実現のための絶食による非暴力的闘争。

この生命を賭した壮絶な決死のハンストは,保健医療分野の人々を中心に共感を呼び起こし,ゴビンダ支持運動が拡大,結局,オリ政府をしてゴビンダ医師要求をほぼ全面的に受け入れさせることとなった。約束の実行はまだだが,そしてネパールでは約束実行の反故は珍しくないとはいえ,それでも確固たる信念に基づくハンスト闘争の現代における有効性を,ゴビンダ医師のハンストは十二分に実証したといってもよいであろう。

ゴビンダ医師のハンストは,悪政に対し率先して自ら一人敢然と立ち,正義実現のため公然と敢行される非暴力の政治闘争であった。それは,言い換えるなら,ガンジー(ガンディー)の唱えた「サティヤグラハ(सत्याग्रह, 真理要求,真理把持)」に他ならない。ガンジーはネパールではなぜかあまり人気がないが,今回の劇的勝利により,ゴビンダ医師を「ネパールのガンジー」と呼んだり,そのハンストを「サティヤグラハ」として評価する人も出始めた。ゴビンダ医師のハンストは,国内に限定された地域的政治闘争の一つとしてだけではなく,普遍的意義をも持ちうる「サティヤグラハ」としても注目され始めたのである。

■ゴビンダ医師支持FB

谷川昌幸(C)

情報過多ネパール:語るに語れず

ゴビンダ・KC医師(博士,TU教授)の第15回ハンスト(6月30日〜7月26日)に興味を持ち,ここで紹介したいと思っているが,あまりの情報量,とても追いきれず,目下,立ち往生。

ほんの十数年前,インターネットが普及する以前は,ネパールは外国人にとって情報過少であった。逆説的だが,情報が少なければ,ネパールについて述べるのは容易。何らかの方法でネパール情報を手にすれば,それをネタに話したり書いたりすることができた。

ところが,いまやネパール情報はネット上にあふれている。何を言っても,何を書いても,たいていのことはすでにネットに掲載されている。新発見,新解釈と思っても,要するにそれは知らないだけ,ネット世界の検索を怠っているだけのことかもしれない。このネット情報化時代にあっては,自らの無知と怠惰をさらけ出す結果となるかもしれないという覚悟なくしては,およそ何かを書き,あるいは話すことはできないであろう。

本もまた,このネット情報化社会では,愛玩鑑賞用は別として,もはや不要となった。以前は,ネパールなど外国に行くときは,事前に本や地図帳でその国のことを調べ,そのうちの何冊かを重くはあったが持って旅に出かけた。が,いまや旅行先のことは何でもネットに掲載されている。小さなスマホ一台あれば,旅行に限らず,生活に必要な情報はどのようなものであれ,いつでもどこでも,はるかに効率的にネットから手に入る。もはや本など印刷物はいらないのだ。ネット上での再説も屋上屋,不要だ!

いやはや,困った時代になったものだ。ゴビンダ医師のサティヤグラハ(真理要求・真理把持)闘争には大いに関心がある。時代閉塞状況に陥りつつある日本のわれわれにとって,そこには学ぶべきものが多々あるように思われる。むろん,そう思うのは私の無知と怠惰のせいかもしれない。いっそのこと,ゴビンダ医師のサティヤグラハ闘争について,私的備忘録風に,思うところを書いてみることにするか。

▼ネパールにおけるインターネット急拡大

 *Nepal Internet Usersより作成(http://www.internetlivestats.com/internet-users/nepal/)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/09/19 at 18:21

最高裁長官解任のネパール,首相無答責の日本(1)

ネパールは,民主主義の運用においても,いくつかの点で日本を追い抜き始めた。その一例が,この3月14日のネパール最高裁長官解任。日本が,あたかも首相無答責であるかのように森友学園国有地売却問題における安倍首相の政治責任を棚上げし,責めをあげて首相夫妻らの意向を「忖度」したとされる財務省関係諸機関に押し付け,問題の早期幕引きを図ろうとしているのと好対照だ。

1.ネパール最高裁長官の解任
ネパールでは,憲法設置機関たる「司法委員会(न्याय परिषद Judicial Council)」が訴えに基づきパラジュリ(पराजुली)最高裁長官の資格審査を実施し,3月14日パ長官に対し司法委員会事務局長名をもって法定停年超過を通告,これによりパ長官は長官資格を喪失した。事実上の解任である(正式解任は3月18日付)。

 ■パラジュリ最高裁長官(最高裁HPより)

パラジュリ最高裁長官については,ゴビンダ・KC医師が2018年1月,トリブバン大学医学部長解任無効判決批判の中で,その不適格性を厳しく指摘していた。
 *ゴビンダ医師の市民的抵抗,医学部長解任事件最高裁判決に対して(1) (2) (3) (4)

不適格の理由はいくつか挙げられているが,最も明確なのは年齢詐称。パラジュリ長官自身は1953年4月28日生まれ(満64歳)だと主張し,彼の市民登録証にもそう記載されているが,ゴビンダ医師によると,これは虚偽であり,実際には2017年アサド月(6~7月)に彼は65歳に達しているという。もしこれが事実なら,最高裁判事の停年は憲法131条で満65歳と定められているので,パ長官はすでに停年を超えており,その事実だけでも彼は長官資格を有しないことになる。

このパラジュリ長官年齢詐称問題は各紙が報じたが,特に詳しいのはカンチプル系メディア。AFP記事(3月14日)からの孫引きだが,カンチプルはパ長官が出生日を5通り持ち使い分けてきたという。

このゴビンダ医師やカンチプルによるパラジュリ長官年齢詐称告発に対し,パ長官側は彼らを法廷侮辱の罪で告発し,その裁判を長官自らが指揮しようと画策してきた。

しかしながら,この問題は,結局,司法委員会に持ち込まれることになった。司法委員会の委員長も最高裁長官であり,審議がどう進められたのか気になるところだが,審議状況についての報道は全くない。常識的には,パ長官は当事者であり,審議の場からは外されていたと見てよいであろう。

いずれにせよ,司法委員会は3月14日,事務局長名で委員会決定を大統領,首相,最高裁,法務省等に伝えた。同委員会は,パラジュリ長官の出生日を結局1952年8月5日と認定し,すでに憲法規定停年を超過しているので彼は最高裁長官資格を有しないと通告したのである。

パラジュリ長官は司法委員会決定を不当とし,職務継続をバンダリ大統領やオリ首相に訴えたが,大統領も首相もこれを退けた。また最高裁内でも,法廷侮辱事件担当判事数名がパ長官指揮に従うことを拒否した。さらに弁護士会もパ長官に退職勧告を突き付けた。

事ここに至って,ようやくパラジュリ長官は3月15日,バンダリ大統領に辞職を願いで,辞任した。事実上,憲法設置機関の司法委員会による解任である。

本件のような年齢詐称は先進諸国では考えにくいが,1950年代のネパールではまだ住民登録が未整備で,そのころ生まれたパラジュリ長官のような人々の年齢確認は困難な場合が少なくない。したがって,パ長官側にもそれなりの言い分はあったのであろうが,ネパール現体制は司法委員会の判断を尊重し彼を解任した。

ネパール最高裁長官は日本の最高裁長官よりはるかに強大な権限を持つが,少なくとも今回のパ長官解任にあたっては,忖度のようなものは見られなかった。

*1 RAJNEESH BHANDARI, “Nepal’s Chief Justice Sacked After He Is Accused of Faking Date of Birth,” New York Times, MARCH 14, 2018
*2 “Nepal Chief Justice sacked for faked date of birth,” AFP, 14 Mar 2018
*3 “Judicial Council relieves CJ Parajuli of his duties, Apex court’s senior-most Justice Deepak Raj Joshi set to take charge,” Kathmandu Post, Mar 15, 2018
*4 “Parajuli loses chief justice job,” Himalayan, March 14, 2018
*5 “8 SC justices boycott bench to pressure CJ,” Republica, March 14, 2018
*6 “Joshee takes over as Parajuli quits,” Kathmandu Post, Mar 16, 2018

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/03/23 at 15:56