ネパール評論 Nepal Review

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自衛隊員の「つぶやき」:万人監視社会への警鐘

朝日新聞(1月6日)が連載「ビリオメディア」で、ツイッターやフェイスブックの危険性を指摘している。私のようなネット素人にとっても、この程度のことなら常識だが、その常識ですら度外視して無防備無警戒、丸裸でツイッターやフェイスブックを利用している人が少なくないらしい。

1.海自隊員の「つぶやき」
朝日記事によれば、記者はツイッターとフェイスブックに海上自衛隊員が投稿しているのを見かけた。そこには、実名で、制服姿の自分の写真ケイタイ電話番号が記載されている。第13護衛隊「あさゆき」乗り組み隊員らしい。

その彼が、外洋航海日程をフェイスブックに記載し、またツイッターでは、2012年12月10日13時5分に、北朝鮮「ミサイル」発射警戒作戦に関する自艦の情報をつぶやいた。

われわれ善良なる国民にとっては、24万自衛隊員が、フェイスブックやツイッターで自衛隊の作戦や日々の行動をつぶさに報告してくれれば、これほど有り難いことはない。暴力装置たる自衛隊が丸裸になり、文民統制も可能となるからだ。(もっとも、私自身は、文民統制はあまり信用していない。プロの自衛隊よりも、むしろド素人の文民(国民)の方が好戦的となりやすく、危険な場合が少なくないからである。)

しかし、それはそれとして、海自隊員の幼児なみの情報管理能力には、正直、たまげた。こうしたことは、情報重視の米軍が見過ごすはずはなく、自衛隊はますます信用を失い、米軍から重要情報は得られなくなる。情報ジャジャ漏れ自衛隊は、われら善良なる国民にとっては好ましいが、自衛隊自身にとっては深刻な由々しき事態であろう。

海自隊員のツイッターとフェイスブックへの記載は、朝日記者が防衛省取材を始めるとすぐ、消去されたという。おそらく上官から厳しく叱責され、あわてて削除したのだろう。

2.消去しても消去されないネット情報
しかし、ツイッターやフェイスブックの危険性は、本人は消去したつもりでも、実際には消去されていないことだ。事実、朝日記者は、本人の承諾なく、下図のような「つぶやき」を新聞紙面に転載している。おそらく、ツイッターとフェイスブックの記事をコピーし保存しているのだろう。この程度のことは、ネット素人の私にでも、簡単にできる。

130105 ■自衛官「つぶやき」転載記事(朝日新聞2013-1-6)

そして、これは素人にはよくわからないことだが、おそらくツイッターにせよフェイスブックにせよ、たとえ本人が削除しても、記載情報は何らかの形で運営者側に残されており、利用しようと思えば利用できるのではないか、ということ。もしそうであれば、第三者によるコピー配布に加え、こうした形でも、記載情報は利用される。ネット情報は、投稿の瞬間、自分の手を離れ、コントロール不能となる。そう覚悟すべきであろう。

3.権力と企業による利用
そして、もう一つの危険は、ツイッターやフェイスブックは、内外の権力機関や企業により監視され、分析されているということ。朝日記事は、北九州市の「つぶやき」監視や、経産省資源エネルギー庁の「つぶやき」収集を紹介しているが、これも常識といってよいだろう。

むろん、多くの人は、そんなことは自分には無関係と思っているに違いない。たしかに、もし特殊な情報機関や秘密機関などだけであれば、監視のターゲットとなるのは、テロリストや過激派など「特殊な」少数の人々だけであろうが、もし省庁や市役所、あるいは警察、学校、町内会などが日常的に「ネット監視サービス」を利用し始めると、もはや誰一人として無関係といってはおれなくなる。それは、万人が万人を監視する清潔安全なユートピアの到来である。

4.ネット情報 + 盗撮カメラ + IC免許証
フェイスブックの写真やツイッターの「つぶやき」は、街中にあふれる盗撮(防犯)カメラ映像と組み合わされると、さらに具体的、正確となる。あるいは、それらにIC免許証を組み合わせると、ほぼ完璧といってよいだろう。誰が何を考え、どこで、何をしているかが、丸見えだ。

フェイスブックやツイッターは、いったん投稿したら、もはや取り返しがつかない。写真や記事を誰がどう使おうが、投稿者には、どうすることもできない。朝日記事を見ても、それは明白である。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/01/06 at 18:32

フェイスブックとツイッター:現代の神の地上における代理人

おくればせながら,この7月,フェイスブックとツイッターに登録した(下欄リンクボタン参照)。もちろん偽名,偽アドレス。まだ使い方(情報処理の仕組み)がよく分からないが,いまの段階での感想を一言。

フェイスブックもツイッターも,伝言板としては大変便利だ。安上がりの電子チラシといったところ。しかし,両者とも,利用者にとっては,それ以上ではないようだ。

ツイッターは,短文,言いっ放し。私が見ているのは、比較的堅い発信者ばかりだが,それでも言葉遣いが必要以上に攻撃的なものがときとしてみられる。

内容的には,ツイッターは,やはり短文,言いっ放しのため,議論が画一化し,レッテル貼りに陥り,深まらない傾向がある。通知や問題提起にはよいが,議論には向かないシステムだ。

これに対し、フェイスブックは,発信情報をかなり多くすることもできるので,使い方次第では,議論の場として利用することができるかもしれない。しかし,フェイスブックは,その仕組み(情報処理・情報利用の方法)が複雑であり,まだよく分からない。

そこで,社会メディアとしての危険性だが,感覚的には,やはりフェイスブックの方がツイッターよりはるかに危険な感じがする。いったんここに書き込むと,その情報がどう処理され,将来どう利用されるかが,皆目見当もつかない。

すでにAmazonは,私の読書傾向を私自身よりもよく知っている。はじめの頃は,薄気味が悪く警戒していたが,便利さに負け使い始めると,慣れてしまい,いまでは自覚的に努力しなければ,恐ろしさを意識しなくなってしまった。Amazon情報を利用すれば,この数年,私がテロ関係本を検索したり購入したりしていることが分かる。もしかりにCIAや日本公安に何らかの形でAmazon情報が漏れていると仮定するなら(そんなことは絶対にあり得ないはずだが),私はごく下っ端の要注意人物の一人とされている可能性がないではない。その場合,「ネパール」「テロ」「日本人」で検索すれば,私もリストアップされるわけだ。

フェイスブックは,図書購入中心のAmazonや短文のツイッターとは比較にならないほど多くの情報を集め,関連づけ,蓄積している。誰が,いつ,誰と,どこで,何をしたかを,本人以上によく記憶し,保存している可能性がある。これは,実に恐ろしい事態だ。

しかも,さらに恐ろしいことに、フェイスブックも,Amazonと同様,使い始めると慣れてしまい,危険を危険と感じなくなってしまう。すでに私たちは,グーグルに自宅を覗かれても,Amazonに思想調査をされても,何も感じなくなっている。フェイスブックは,それを「タイムライン」などにより,人の人生全体についてやり遂げることを目標にしている。

もちろん,フェイスブックには非公開の設定もあるのだろうが,設定が間に合わない場合や,設定に気づかない人など,非公開設定にできない場合が無数あると思われる。しかし,そんなことはお構いなく,そうした場合でも全部,公開されてしまうらしい(不慣れなため,詳しくは分からないが)。

グーグルは家を覗き,フェイスブックは人生を覗く。隠されてあることは知りたいことであり,そこに商機がある。

しかし,こうしたことは,フェイスブックやグーグルなどに限られたことではなく,ネットを中心とする情報化社会そのもののもつ特性であり,危険である。情報化社会には,もはやプライバシーはない。

プライバシー(privacy)とは,もともと「(世間,公的世界から)引き離された,孤独な,私的な,秘密の(private)」という意味だ。「情報化」は「プライバシー」の反対概念であり,本質的に,両者は相容れない。情報産業が,プライバシー暴露をメシの種とするのは,当然といえば当然だ。

情報化の現代において,もはやプライバシーはない。われわれは,全世界の人々に見られながら丸裸で歩き回っていることを自覚すべきだ。

かつては,教会(神)が誕生から死まで,人の人生を記録し管理した。これからは,普遍的情報システムがすべての人の人生を記録し管理する。神の前にプライバシーは無いように,現代の神としての情報システムの前にプライバシーは無い。

もちろん,人として可能な限り抵抗はしてもよいし,すべきである。神を裏切ったときから「人」は始まり,「プライバシー」を享受した。「イチジクの葉」は,人が人となり,プライバシーを得たことの象徴である。

情報化社会においては,われわれは,意図的に自己に関する偽情報を書き込み,この「イチジクの葉」により,隠されてあるべき人間としての自己のプライバシーを守るべきである。それしか,もはや人間が「人間としての尊厳」を守る方法はない。

しかし,偽情報の書き込みにより,現代の神の地上における代理人たるフェイスブックやツイッター,あるいは「マイナンバー制(共通番号制)」等は欺けても,全体を統括する「隠されてある現代の全能の神」は,おそらく欺ききれないだろう。見えない神がすべてを見通す。

人は神への反逆から始まり,反逆により破滅させられる。情報化社会への反逆も,人としては,希望なき戦いとなるであろう。

(参照) Facebookの恐怖

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/08/12 at 12:35

ツイッターの心地よさの恐ろしさ

遅まきながらツイッターとファイスブックに登録し使用し始めたところ,便利な反面,これはたいへん危険なメディアであることに気づいた。

1.自家中毒
すでに周知のことであろうが,ツイッターでは自分にとって関心のある情報を集め,関心を持ちそうな人に向けて自分の意見や情報を発信することができる。

無限にある玉石混淆の情報や意見の中から,自分好みの情報や意見だけを集め,自己確認し安心を図るだけでなく,集めた意見や,それらにより補強した「自分の意見」を同好の士に向け発信し同調してもらい,自己確認と安心をさらに強化し,満足を得ようとするのだ。

これは意見の自家中毒である。ツイッターを使い始めたとたん,同調と同調による自己確認の抗うがたき心地よさと自家中毒の恐ろしさに慄然とした。ある意味では,ハッシシ以上に危ないかもしれない。

2.My朝日新聞
これに対し,新聞など伝統的メディアの特徴は,プロの目利きジャーナリストによる情報の収集,選択,分析と,紙面へのそれらの一覧表記にある。記事は何段階かの校閲を経たものであるし、関心のある記事あるいは聞きたい意見のそばには,別の記事や意見もある。いやでも,それらに目が行き,ちらっとでも見ることになる。(新聞等の御用化については別に論じる。)

ところが,ツイッターはそうではない。よほど自覚的に操作しないと,好みの情報,聞きたい意見しか,入ってこなくなる。ツイッターは,はまればはまるほど,情報批判がおろそかになり,視野狭窄に陥り,異論は罵詈雑言の対象でしかなくなる。短文,言いっ放しが,この悪循環に輪をかける。

むろん,ツイッターだけではない。伝統的メディアの中核たる新聞もまた変質し始めた。たとえば,朝日新聞。部数減に焦り,デジタル版を出したが,その目玉の一つが「あなたに合わせてニュースをカスタマイズ」する「My朝日新聞」。

つまり,朝日新聞が自ら一覧性という新聞の最大の武器を放棄し,ツイッター型メディアにすり寄っているのだ。学生顧客主義が大学の自殺行為であるのと同様,これは新聞の自殺行為だが,背に腹は代えられないらしい。

3.ネパールの「反社会的」社会メデイア
こうしたネット「社会メディア(social media)」のもつ危険性は,日本よりもむしろネパールにおいての方が切実なものとして感じ取られている。

ネパリタイムズ社説「反社会的メディア」(6月22-28日号)によれば,ネパールではツイッターやフェイスブックといったネット社会メディアの利用が急増し,たとえば先のマオイスト分裂についても,大手メディアよりも先にツイッターやファイスブックで情報が広まり,意見が交換された。世論は,いまやこうした社会メディアにより形成され,発信され,政治や社会を動かし始めた。

しかし社説によれば、ツイッターなど社会メディアは、「開かれた公共空間」というよりは、「意見のゲットー」化により「社会分断」をもたらすもの、「自家中毒型意見交換の共鳴箱」となるものである。「ヘイトスピーチ(嫌悪発言)」が共鳴増殖し、民族差別・カースト差別などコミュナリズム(排他的自集団中心主義)が激しくなり、自家中毒の悪循環をもたらす。

4.ツイッターの心地よさと恐ろしさ
ツイッターは、たしかに便利だし、何よりも心地よい。ほしい情報だけを収集し、聞きたい意見だけを聞くことができる。短文の情緒的絶叫により同好の士を集め、大量動員することもできる。しかし、その反面、ネパリタイムズ社説の警告するような恐ろしさがあることもまた確かだ。

日本はもともと「一民族、一言語、一文化」であり、「一億一心」「一億火の玉」になりやすい。ツイッター以前から、ツイッター型社会であり、その恐ろしさに鈍感である。

ツイッターの心地よさの恐ろしさを敏感に感じ取っているのは、むしろ多民族・多言語・多文化のネパールである。

ネパールは、情報化でも、いくつかの点で日本より先を行っている。謙虚に学ぶべきであろう。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/06/24 at 21:10