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京都の米軍基地(85): 米軍「参加」テロ対策発足
「京丹後テロ対策ネットワーク」が12月18日,京丹後市警察において設立され,そこに米軍も「参加(take part in)」していた。具体的なことは何もわからないが,設立総会に米軍が参加していたことからして,米軍が京丹後の今後のテロ対策において重要な役割を果たすことになるのはまず間違いないとみざるをえない。
テロ対策は,すでに京都でも具体策がいくつか策定されている。産経新聞はこう報道している。
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京都をテロから守れ 官民連携の組織発足 「監視の目を張り巡らす」
来年5月[の]伊勢志摩サミットや2020年の東京オリンピックを見据え、京都府警などは23日、府内で発生するテロへの対策を進めるための官民連携組織「京都テロ対策ネットワーク」を発足させた。・・・・
ネットワークには、府警や府、京都市、海上保安庁、JR西日本など約40団体約80人が参加。設立総会では、府警警備1課の担当者が国際会議を狙った海外の事例や、府内で起こる脅威、抑止の具体的方策などについて説明。「関係機関が連携しテロへの監視の目を張り巡らすことが必要」と強調した。(産経新聞2015.10.24)
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この京都のテロ対策において京都府警が重視しているものの一つが,京丹後市の米軍Xバンドレーダー。府警は次のように述べている。
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「京都平安策2016」の策定について(通達)
我が国では、2016年伊勢志摩サミット、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会を控える中、世界有数の国際観光都市である京都は、これら機会を捉えた国際テロの標的となるおそれも排除できず、また、京丹後市に設置された米軍Xバンドレーダー基地(米軍経ヶ岬通信所)の運用に反発している極左暴力集団等によるテロ、ゲリラ事件の発生も懸念されるところである。(2015年11月制定,赤強調引用者)
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京丹後では,基地交付金で住民監視カメラが市内要所に設置された。そして,今度は,米軍の参加をえて「テロ対策ネットワーク」が設立された。目もくらむような急展開。これから先,基地の町,京丹後はどうなるのだろうか?
谷川昌幸(C)
京都の米軍基地(69): 日米テロ訓練
京丹後の米軍基地が,はやキナ臭くなってきた。
・5月20日:「日米テロ訓練」(対テロ日米合同訓練)の実施
・5月30日:立命大教授と学生2人,米軍基地侵入容疑で事情聴取
・6月 4日:抗議活動家3人,道路運送法違反容疑で逮捕
とても追い切れないほどの急展開。これからどうなるのか,不安は募るばかりだ。まずは,日米テロ訓練(対テロ日米合同訓練)から見てみよう。
1.NHKと京都新聞の報道
日米テロ訓練については,NHK京都と京都新聞が5月15日,報道した。NHKは,「関西初の日米テロ訓練実施へ」というタイトルで,こう伝えた。
「京丹後市の海岸線では過去に船による密入国事件が起きていることやアメリカ軍基地などがテロの標的になる可能性もあるとして、地元の警察や海上保安庁、それに自衛隊などはアメリカ軍と合同で訓練を行うことにしました。訓練は5月20日に基地周辺で行われ、3人の不審者が船で上陸し、逃走するという想定になっています。警察によりますと、アメリカ軍と地元の警察や海上保安庁などが合同で訓練を行うのは関西では初めてだということです。警察では『訓練で連携を高め、密入国やテロを未然に防いでいきたい』としています。」
京都新聞の見出しは,「府県超え密入国想定訓練 京都府警や兵庫県警、20日に」。この記事では,訓練の規模は兵庫県にまで及ぶ大規模なものだ。米軍と自衛隊の参加も,むろん明記されている。
「京都府警と京丹後署、兵庫県警と豊岡南、豊岡北の両署、第8管区海上保安本部が20日に、密入国者の逃走を想定した合同の緊急配備訓練を実施する。米軍経ケ岬通信所と航空自衛隊分屯基地も初めて参加する。」
2.消えた「テロ」と自衛隊
ところが,20日の訓練実施後の報道は,ちょっと変だ。まず,京都新聞――基地問題を詳細に報道してきた――は,見た限りでは,訓練実施を報道していない。あるいは,報道していたとしても見落とすくらいの記事だったのだろう。
次にNHKだが,20日報道ではタイトルが「日米合同で密入国者対応訓練」となり,「テロ」が消えた。そして本文からは「自衛隊」も消えた。(「テロ」の方は,本文に「密入国者やテロを想定して」とあるにはある。)
微妙だが,やはりどこか不自然だ。それは,おそらくこういうことではあるまいか。――この訓練の本質は,「皆様のNHK」が当初,純真無垢の素朴さをもって伝えたように「関西初の日米テロ訓練」である。米軍基地をテロから守るための日米合同訓練!
しかし,秘境丹後にも純真無垢の素朴さを喪失した不幸な人々が,何人かはいる。疑い深い彼らは,米軍基地があるからテロの標的になるのだ,米国防衛目的のXバンドレーダーを京丹後の犠牲でなぜ守らなければならないのか,と非難攻撃し,反基地運動を激化させるにちがいない。
そこで,これを警戒した米日関係者が,表看板を「密入国者対応」に書き換えて訓練を実施し,「皆様のNHK」がほぼその表向きの趣旨に沿った報道をした。が,京都新聞はそのような報道はしなかった,あるいは報道したとしても見落とすくらいの記事にとどめた――ということではないか。具体的裏付けはないが,そう解釈せざるをえない。
3.基地誘致の代償
いずれにせよ,小銭につられ米軍基地を「誘致」したがため,京丹後はテロ攻撃の危険を引き受けることになってしまった。「テロ訓練実施」が,その何よりもの証拠。頭隠して尻隠さず。
谷川昌幸(C)
京都の米軍基地(18):Xバンドレーダー受け入れ表明
京都府知事と京丹後市長が,予定通り,すんなりと米軍Xバンドレーダーの経ヶ岬配備を受け入れた。抵抗らしい抵抗もなく,めぼしい補助事業もない。米軍=防衛省=米日軍事産業にとっては,赤子の手をひねるより簡単。楽勝。安上がりで済みそうだ。これが,かつての都,京都の現状なのだ。
1.お願いの倍返し
京丹後市広報や新聞各紙(9月10-11日)によれば,9月10日,山田・京都府知事と中山・京丹後市長が小野寺防衛相と面会し,京都府知事要請書「米軍TPY-2レーダー配備に係る確認・要請事項」と京丹後市長要請書「米軍のTPY-2レーダーの追加配備について」を手渡した。そして,これを受け取った防衛相は「政府として責任をもって対応する」と回答した。知事は,これを「安全確保など政府の責任で対応する約束をもらった」と評価し,記者会見で受け入れ方針を表明した(朝日9月11日)。正式表明は9月17日の定例府議会において。
しかし,日本政府が米軍に対し「お願い」はできても,重要な事案については規制らしい規制はできないことは,沖縄を見るまでもなく,周知の事実である。京都府と京丹後市は,日本政府に対し「米軍へのお願い」を「日本政府にお願い」したにすぎない。「お願い」の倍返しだ。
2.Xバンドレーダー体制と秘密保護法
ここで改めて思い起こすべきは,Xバンドレーダー配備は単なる武器と軍人・軍属の配備ではないということ。それは,より正確には,京丹後市を「Xバンドレーダー体制」のもとに置くということを意味する。
いま安倍内閣は「特定秘密保護法」の制定を急いでいる。朝日新聞によれば,その概要は次の通り。
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特定秘密保護法案
(1)防衛(2)外交(3)外国の利益を図る目的で行われる安全脅威活動の防止(4)テロ活動の防止――の4分野について、行政機関の長が指定した「特定秘密」を漏らした場合に、刑事罰が科される。最長は懲役10年。公務員だけでなく、特定秘密の提供を受けた国会議員、特定秘密を取り扱う業者、これを漏らすよう促した人など民間人も対象となる可能性がある。(朝日9月11日)
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これは,京丹後市「Xバンドレーダー体制」にとっては,まさに願ったり叶ったり,鬼に金棒。もし“経ヶ岬Xバンドレーダーの出力は○○KW”などという「特定秘密」を某国や某々国の人に,いやたとえ日本の友人・知人にであれ,知らせたなら,「特定秘密漏洩罪」により逮捕され,懲役10年にされてしまう恐れがある。
山田知事は,警官増員や派出所増設を国に要請したが,これも,本当は,公安関係機関と協力し,近隣住民を監視させるのが隠された真の目的。しかし,それもしばらくの間。「特定秘密保護法」が成立すれば,もはやそんな遠慮はいらない。政府は増派された警官を存分に動員し,公然と住民を監視することができる。
3.原発とXバンドレーダーとオスプレイ
さらに警戒を要するのが,オスプレイの饗庭野演習場(滋賀県高島市)での演習。米軍は目的合理的であり,たまたま饗庭野を選んだのではない。地図を見ると分かるように,饗場野は一群の福井原発のすぐ近く。そして,まもなく経ヶ岬にXバンドレーダーも配備される。いずれもテロ攻撃目標。オスプレイは,それらの防衛のため,饗庭野で訓練すると考えるべきだ。
原発防衛のためなら,原発の上や近辺を飛ぶ。落ちるかもしれないが,そんなことは米軍の知ったことではない。
そして,京丹後。Xバンドレーダーは,某国や某々国の情報活動の重要ターゲットとなり,またテロ攻撃の目標ともなる。所有主の米軍は,当然,これを守るため最善の努力をする。その一環としてオスプレイを飛ばすことは十分にあり得ることだ。丹後住民は,いずれ低空飛行のオスプレイに脅かされながら生活することを余儀なくされるであろう。
4.滅私奉公こそ「国益」
それもこれも,お国のため。滅私奉公こそ「国益」。「国益」とは,所詮,そんなものなのだ。
■右下赤塗り=饗庭野演習場,赤星=経ヶ岬Xバンドレーダー,海岸赤印=原発(Google)
谷川昌幸(C)
京都の米軍基地(1)
小事にかまけていたら,一大事の発生に気づかなかった。なんと,京都の丹後に,米軍基地が新設されるというのだ。よりによって京を米帝に差し出すとは,「美しい国」の「国家の品格」も地に落ちたものだ。
◆設置場所:航空自衛隊経ヶ岬分屯基地
◆米軍施設:移動式早期警戒Xバンドレーダー
◆米軍関係人員:約160人
とんでもない計画だが,2013年2月23日の押しかけ日米首脳会談で,安倍首相がオバマ大統領に,基地建設を貢ぎ物として差し出してしまった。だから地元には,すでに決定されたものとして,一方的に建設計画の概要が説明されているにすぎない。
この説明は,明白な「ウソ」に基づき,単なる手順として,平然と進められている。以下,京都府庁で行われた,京都府知事に対する防衛省の大嘘説明(「Xバンドレーダーに係る説明概要」2013年3月22日)。
▼Xバンドレーダー基地は,「我が国を防衛するという観点で導入し配置も決定」(古屋地方調整課長)
▼京丹後市が標的になるのではとの質問に対し,「様々なレーダーがあり,冗長性があるため1つのレーダーを攻撃する特段のメリットが相手方には無い」(同上)
▼「また,米軍の施設であり,攻撃した場合には米国の対応が予想されるため,これにより大きな抑止力が働いている」(同上)
これらの説明は,真っ赤なウソだ。まず第一に,このレーダー基地が米国防衛を主目的としていることは,自明のことだ。
また,標的にならないとは,よくもヌケヌケと,小学生にも分かるウソをつけたものだ。「冗長性」などと,一般人には意味不明のジャーゴンを使わざるをえなかったのは,そのため。冗長性があるのなら,わざわざ屋上屋を重ねる必要はない。冗長性がないからこそ,丹後に新設するのだ。
さらに,米国の軍事力がテロ集団やテロ国家に対して抑止力として機能しないことも,いまでは常識。米国は,自国の核兵器や通常兵器が抑止力を失ってきたので,身代わりの攻撃目標を日本に引き受けさせようとしているのだ。これも常識。
しかし,これらの真っ赤なウソは,「大きなウソ」であるため,地元の人々はウソと反論できず,すでに見返りを最大限分捕るための条件闘争に入りつつある。
これは一大事。遅ればせながら,情報を集め,対策を考えていきたい。
谷川昌幸(C)
絞首刑を煽るインド民主主義:A.ロイ(9)
8.対テロ戦争の悲惨と愚劣
(1)対テロ戦争のためのアフザル処刑
アフザル裁判が,彼の出身地カシミールの紛争と密接に関係していることは,いうまでもない。ロイによれば,カシミールは20年以上にわたってインド本国に軍事的に占領され,何万ものカシミール人が拘置所,刑務所,仕組まれた(みせかけの)遭遇戦などで殺されてきた。アフザル処刑は,そのカシミール紛争を新たな次元に引き込むものだという。
「アフザル・グル処刑は,これまで民主主義を一度も実体験したことのない若者たちに,リングサイド特等席でインド民主主義の威厳と壮麗な働きを観る機会を与えてくれた。カシミールの若者たちは,法輪が回るのを観た(*1)。彼らは,インド民主主義の厳かな白い諸制度のすべてを観た(*2)。政府,警察,裁判所,政党と,そしてそう,あのメディアが共謀して,一人の男を縛り首にした。公正と彼らの信じない裁判により,一人のカシミール人が処刑されたのだ。」(Roy:ⅱ)
*1 法輪:国旗中央のアショーカ・チャクラ。空と海。
*2 白い諸制度:国旗上部のサフラン色はヒンドゥー教,下部の緑色はイスラム教,そして中間の白色は2宗教の和解を象徴するとされている。「白い」諸制度とは,「和解と真実と平和」の諸制度ということ。
(2)カシミールとアフザルとインド民主主義
カシミールは,ロイによれば,ミリタント,治安部隊,印パ越境者,スパイ,密告者,印パ情報機関,人権活動家,NGO,地下資金,密売武器,等々の巣窟である。「これらの物事や人々を区別する明確な線は必ずしも無い。誰が誰のために働いているのか知ることは,容易ではない。」(Roy:ⅳ)ロイは,次のように述べている。
「カシミールでは,真実は,他の何よりも危険といってもよい。深く掘れば掘るほど,悪くなる。穴の底には,アフザルの語るSOG(Special Operation Group 特殊作戦部隊)やSTF(State Task Force 州警察特任部隊)がいる。これらは,カシミールのインド治安機関の中でも最も冷酷で,無規律で,恐ろしい組織である。より正規の他の部隊とは異なり,これらは,警官,投降ミリタント,裏切り者,そして他のあらゆる犯罪者たちがうごめくグレーゾーンで行動する。それらは,カシミールの人々,特に地方の人々を食い物にし,苦しめる。その最大の犠牲者が,1990年代初めの無統制な蜂起の際,立ち上がって抵抗したのち投降し,普通の生活に戻ろうとしている何千というカシミール青年たちである。」(Roy:ⅳ)
アフザルも,1989年,20歳の時,パキスタンに越境したが,本格的な訓練は受けることなく舞い戻り,デリー大学に入学した。ジーラーニ講師とも,そこで知り合いになったらしい。1993年,ミリタントとしての活動経歴はなかったが,自ら国境治安部隊(BSF)に投降した。
「あまりにも皮肉なことに,アフザルの悪夢は,ここに始まる。投降した彼は罪にとわれ,人生は地獄と化した。もしカシミールの青年たちが,アフザルの境遇を見てそこから教訓を引き出したとしても,誰も非難はできまい――武器を捨てて投降し,インド国家が差し出す,ありとあらゆる残虐行為に身をゆだねるのは,狂気の沙汰だ,という教訓である。
ムハンマド・アフザルの境遇はカシミール人の境遇でもあり,カシミール人を怒らせた。アフザルの身に起こったことは,何千ものカシミールの若者たちとその家族にも起こりえたことであり,起こりつつあることであり,そして事実起こってきたことなのだ。
違いがあるとすれば,彼らの場合,共同尋問センター,軍キャンプそして警察署の内部の薄汚い場所で,それが起こることだけだった――そこで,彼らは火を押しつけられ,殴られ,電気を流され,恐喝され,そして殺される。死体はトラックから放り捨てられ,通行人に発見させる。
アフザルの場合,中世の舞台の一場面であるかのように,それは行われている。国家を舞台に,白昼堂々と,『公正な裁判』による法的承認の下に,『自由な報道』のうつろな利益のために,そして,いわゆる民主主義の威厳と儀式のために,それは行われているのだ。
もしアフザルが縛り首にされたら,問われるべき真の問題への答えを,私たちは決して知ることができなくなってしまうだろう。インド議会を襲撃したのは,誰か? ラシュカレ・トイバだったのか? ジェイシェ・モハンマドだったのか? あるいは,われわれすべてがその中で生き,美しくも複雑であり,また痛みを伴うわれわれ自身の仕方で愛し憎んでいるこの国の奥底の,秘密の,とある場所に,その答えはあるのだろうか? ・・・・
実際には何が起こったのかを知ることなく,モハンマド・アフザルを縛り首にするのは,誤りである。すぐ忘れられるようなことではない。許されるべきことでもない。決して,忘れられるべきでも許されるべきでもないこと,である。」(Roy:ⅳ)
谷川昌幸(C)
絞首刑を煽るインド民主主義:A.ロイ(7)
6.アフザルの自白強制
(1)逮捕時の状況
アフザルは,警察発表では,ジーラーニ自供に基づき,12月15日,スリラナガルにおいて,シャウカトの妻所有のトラックでシャウカトと共に逃亡しようとしているところを,スリナガル警察に逮捕され,このときジェイシェ・モハメドの中心人物Ghazi Babaに渡す予定のパソコン,およびノキア携帯,100万ルピーなどを押収された。このパソコンには議会襲撃用の情報が記録されており,携帯SIMには襲撃実行犯らとの通信記録が残っていたとされる。
しかし,アフザルによれば,逮捕はバス停においてであり,そこでは何も押収されなかった。また,あとで押収されたパソコンやSIMは,押収後も封印されないままであり,不自然なアクセスの痕跡がいくつも残っていた。警察発表は,逮捕時の状況からして,不自然といわざるをえない。
(2)自白強制
それ以上に問題なのが,自白。逮捕されたアフザルは,デリー警察に移送され,激しい拷問と親族を人質にした様々な脅迫により,襲撃事件の細部にまで及ぶ詳細な自白をさせられた。12月20日には,マスコミの前で「自白」を強制され,翌21日には正式の自白調書に署名させられた。アフザルは,S.クマール弁護士宛書簡で,こう述べている。
「スリナガルのバス停で逮捕され,特任部隊(STF)本部に連行され,そこから特別警察とSTFが私をデリーに移送した。スリナガルのパロムポラ警察署で,私の持ち物はすべて没収され,それから彼らに殴られ,そして,もし真実を誰かに話すと妻も家族もひどい目に遭わせると脅迫された。私の弟のヒララ・アフマド・グルさえも令状なしで警察に連行され,2~3ヶ月も勾留された。これは,ACPのラジビール・シンから聞いて初めて知ったことだ。特捜警察は,もし警察のいうとおり話せば,家族を痛めつけたりしないと私にいい,また,私の容疑を軽くし,しばらくすれば釈放してやる,という偽りの約束もした。私にとって,最も大切なのは,家族の安全だった。私には,STFが人びとを,すなわちカシミールの人びとを,どのようにして殺すか,また,彼らが拘置所で殺したあと,どのようにして消してしまうかが,この7年間の経験からよく分かっている。」(“Letter to His Lawyer”)
「[12月20日の]夕方,ラジビール・シンが,家族と話がしたいか,と私に話しかけた。はい,と私は答えた。そして,私は妻と電話で話した。電話が終わると,シンは,妻と家族に生きていてほしいなら,あらゆるところで彼らに協力せよ,と私にいった。彼らは,私をデリーの様々な場所に連れて行った。それらは,ムハンマドが様々なものを入手したところだった。彼らは,私をカシミールに連れて行ったが,そこでは何もせず戻ってきた。そして,彼らは私に200~300枚の白紙に署名させた。」(Ibid)
(3)憲法における自白強制の禁止
このような自白強制については,ベテラン記者のD.S.ジャーも,次のように批判している。
「警察は,自分を自分の法としてしまった….。警察は,まず逮捕し,そのあとで自白を絞り出せばよいと信じている。….これが,われらがかつて誇りにした民主主義のいまの素顔である。」(N. Mukherji,”The Media and December 13,” Outlook, Sep.30, 2004)
自白強制は,むろんインド憲法でも,日本国憲法と同様,禁止されている。
インド憲法第20条(3)「犯罪の訴追を受けた者は,自己に不利益な証人となることを強制されない。」
日本国憲法第38条 「(1)何人も,自己に不利益な供述を強要されない。(2)強制,拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は,これを証拠とすることができない。(3)何人も,自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には,有罪とされ,又は刑罰を科せられない。」
しかし,強引な自白強制は,特にテロ容疑者については頻発している。この点については,Human Rights Watchなどが厳しく批判している通りである。
Human Rights Watch, The Anti-Nationals: Arbitrary Detention and Torture of Terrorism Suspects in India, Feb.2, 2011
(4)弁護される権利の否定
それでも,もしアフザルにまともな弁護士がついておれば,あまりにもムチャな自白は法廷で最初から証拠として採用されなかったであろう。
ところが,驚くべきことに,アフザルは,事実上,弁護士による弁護を受けなかった。裁判所は,アフザルの希望を認めず,自ら若い弁護士を選任し,アフザルにつけた。ところが,この弁護士は,拘置所のアフザルと一度も面会せず,アフザルのための証人を一人も呼ばず,検察側の証人に対しては一度も反対尋問を行わなかった。
「ティハール刑務所の厳戒区域に収容されていたため,一週間は,弁護士など外部の人々と連絡することは困難であった。そのようなとき,インディアン・エクスプレス紙をみると,私の弁護士が私のために高裁に次のような申し立てをしたというニュースが出ていた。私(アフザル)は,死刑を受け入れるが,ただ一つ,死の苦痛を軽減するため縛り首による死刑ではなく,強力な致死性薬物の注射による死刑への変更を要望したい,と。このような偽りの申し立ては,私は断じて認めない。それは,私に知らせることも同意を得ることもなく,実際には,私の弁護士が自分で勝手に申し立てたことであり,私の上訴そのものを嘲笑し無駄骨とするものに他ならない。」(“Letter to All India Defence Committee”)
(5)最高裁判決文の曖昧さ
以上は,アフザル被告自身の申し立てであり,そのまま受け取ることは,むろんできない。自白に関する最高裁の判断について,ロイは証拠採用を留保したと解釈しているが,P.V. ReddiとP.P.Naolekarは,「最高裁は『[被告側の]そのような主張に真実はない』と断定した」と解釈している。最高裁の判決文は,こうなっている。
「この[弁護されなかった]という申し立ては,真実ではない。事実審(第一審)弁護士は,アフザン被告のため効果的な法的支援をするため最善の努力をした。….弁護人非難は,控訴段階で持ち出されたあと知恵と考えられる」(18(A1) Case of MOHD. Afzal)
「警察は,熱意のあまりメディア会見を開き,弁護人から,その公開方法について厳しい指摘を受けた。….[しかしながら]この警察の誤った方法は,検察側にも被告側にも,有利にも不利にもならない,と考えられる。」(Ibid)
「アフザルが自白を否定する諸根拠は,首尾一貫していない,と判断される。アフザルは2002年7月2日付申立書において,….上述のように述べたといいながら,他方では,白紙に署名したと述べている。このいわゆる矛盾が,自白の真実性と任意性にかかわるとは,われわれは考えない。われわれは,弁護側申し立ての中の矛盾を根拠として事件を組み立てるよりも,むしろそのような主張を否定する一方,被告が語ったことの内容そのものを見ていかなければならない。」(Ibid)
この最高裁判決文は,持って回った表現であり,わかりにくい。ロイがいうように,いくつか重要な留保をしているが,自白そのものの証拠能力は,事実上,認めているように考えられる。
しかしながら,テロ容疑で逮捕されたカシミール人の処遇については,アフザルやロイの主張の方が,最高裁の形式的な判決文よりも,はるかに説得力があるように感じられる。アフザルの自白調書は,おそらく厳重に警戒隔離された拘置所内で,弁護士の支援も得られないまま,拷問と家族を人質とした脅迫の下で作成されたのだろう。細部まで異様なまでに詳しく記述された自白調書,そのようなものが信用できるはずがない。
【参考】
日本国憲法第37条【刑事被告人の権利】1 すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
2 刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。
3 刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する。
谷川昌幸(C)
絞首刑を煽るインド民主主義:A.ロイ(6)
6.ジーラーニ逮捕・起訴の不当性
国会襲撃事件の容疑者として逮捕された4人のうち,最も不可解なのが,デリー大学アラビア学講師ジーラーニの逮捕。15日の逮捕直後からマスコミは,「デリー大学講師はテロ計画の中心だった」,「大学教師がフェダイーン(革命戦士)の手引き」,「大学教師がテロの課外授業」などとセンセーショナルに報道した。当初,デリー警察がジーラーニ自供からアフザルを割り出したと説明していたように,ジーラーニこそがターゲット,襲撃の「首謀者(mastermind)」と想定されていたのだろう(Roy:ⅰ&ⅳ)。
ところが,逮捕されたジーラーニは,デリー警察で激しい拷問を受け,妻・子・兄弟までも拘束され,彼らを人質に脅迫さえされたが,自供はしなかった。ジーラーニは,知識人(大学講師)であり,有能な弁護士がつき,また同僚や多くの支援者がいた。それでがんばり通せたのだろう。
一方,警察には,ジーラーニを逮捕したものの,十分な根拠がなかったことは,アフザルの弁護士宛書簡を見ると,よく分かる。12月20日の強制的マスコミ会見でのやりとりについて,アフザルはこう述べている。
「そこにはNDTV, Aaj Tak, Zee News, Sahara TVなどがきていた。ラジビール・シン(A.C.P.)もきていた。記者の一人,Shams Tahirが,議会襲撃におけるジーラーニの役割について質問した。私は,ジーラーニは無実だ,と答えた。その瞬間,A.C.P.のラジビール・シンが椅子から立ち上がり,誰(メディア)の前でもジーラーニについてはしゃべるなといったはずだ,と私を怒鳴りつけた。・・・・それから,ラジビール・シン(A.C.P.)は,ジーラーニに関する質問部分は消去するか公開しないようにせよ,とTV関係者に要請した。」(“Letter to His Lawyerr”)
このように,ジーラーニを見込み逮捕したものの,デリー警察には十分な確信がなかったことは明白だ。それにもかかわらずジーラーニ起訴を強行したのは,一つには,マスコミの煽った「人民の超ナショナリズム(hypernationalism)」の圧力のためだった,とロイは考える。
「そのとき,デリー警察が結果を出す圧力の下にあったことは明白だ。そして結果を,警察は出した。人民の超ナショナリズム(hypernationalism)の波に乗って,警察は適法手続きも合法性も,そしてもちろん基本的な整合性も,すべて無視した。被告,特にジーラーニに関する証拠は穴だらけであり,捏造されたものさえあった。この不正な証拠により,ジーラーニは逮捕され,激しい拷問を受けた。1年間投獄され,悪夢のような死刑の重圧の下に置かれた。デリー高裁の無罪判決により,ようやく彼は釈放された。」(Roy:ⅴ)
デリー警察は,結局,ジーラーニを「首謀者」にでっち上げることには失敗したが,しかしロイによれば,警察はそれも織り込み済み,別のもっと深い策謀があったという。
「警察は,刑事裁判では判事はメディア報道そのものは考慮しないであろうことを十二分に知っていた。警察は,冷血にも捏造した『テロリストたち』のプロフィールが世論をつくり上げ,裁判にとって好都合な環境をつくり出すこと,そしてそれは法的な検証はまったく受けないであろうことをよく知っていた。」(Roy:ⅳ)
国会襲撃をフェダイーンの犯行とする構図ができあがれば,スケープゴート(犠牲の子羊)は誰でもよいということ。アフザル自身が,こう述べている。
「警察特任隊(STF)は[私を]この犯行全体のスケープゴートにした。この犯行は,STFや私の知らない他の組織が計画し実行したものだ。警察特捜部も間違いなくこの策謀に加担している。特捜部は,いつも私に沈黙を強制したからだ。」(”Letter to His Lawyer”)
これがもし本当だとすると,権力の底知れぬ冷酷さと恐ろしさに戦慄を禁じ得ない。
谷川昌幸(C)
絞首刑を煽るインド民主主義:A.ロイ(5)
5.国会襲撃事件の13の謎
2001年の国会襲撃は不可解な事件であり,多くの謎が未解決のままだ。ロイは『12月13日選集』(2006年)への「序文」(Roy:ⅲ)において,13の謎を指摘している。いずれも,事件の核心に関わるものだ。
Q1. 12月13日の襲撃の何ヶ月も前から,政府と警察は議会襲撃の恐れを指摘していた。前日の12日,バジパイ首相は,近く議会が襲撃されると警告さえした。もし情報機関から情報があったのなら,翌13日に襲撃車両が易々と議会エリアに進入できたのは,なぜか?
Q2. 襲撃後数日のうちに,デリー警察特捜部が,襲撃はジェイシェ・ムハンマドとラシュカレ・タイバの周到な共同作戦であり,IC814ハイジャック(1999)犯人の「ムハンマド」が襲撃を指揮した,と発表した。ところが,これは法廷では立証されなかった。特捜部は何を根拠に,この発表をしたのか?
Q3. 襲撃の一部始終をCCTVが録画しており,そこには6人の犯人が映っていたとされるが,射殺されたのは5人だけ。残りの1人はどうなったのか? また,このビデオ映像が証拠としての法廷開示も,議会での再生も,一般への放映もされなかったのは,なぜか?
Q4. 以上のような疑問が出されているのに,議会を休会にしてしまったのは,なぜか?
Q5. 襲撃の数日後,政府はパキスタン関与の「疑う余地のない証拠」があると発表し,印パ国境に数十万の軍隊を動員,核戦争にさえなりかねない危機を招いた。拷問により引き出したアフザルの「自供」(最高裁は証拠採用留保)以外に,「疑う余地のない証拠」はあるのか?
Q6. パキスタン国境への軍隊動員は襲撃のはるか以前から始められていた,というのは本当か?
Q7. この危機対処のための軍事費は,どれくらいか? また,この作戦による死者数や土地・家屋等の被害は,どれくらいか?
Q8. 警察は,どの情報に基づきアフザルを犯人とし,逮捕したのか? ジーラーニ自供によるというが,カシミール警察によるアフザル捜査開始はその自供以前。
Q9. アフザルは投降ミリタントで,治安機関(カシミール警察STFなど)の常時監視下にあった。そのアフザンが,どうして襲撃に関与できたのか?
Q10. ラシュカレ・タイバやジェイシェ・ムハンマドのような組織が,治安機関常時監視下のアフザルのような人物を信用し,作戦実行のための重要な役割を任せるだろうか?
Q11. アフザル証言によれば,警察特任隊(STF)の下で働いていた”Tariq”という人物に紹介され,「ムハンマド」をデリーに連れて行った。警察調書にもある,この「タリク」とは,いったい何者なのか?
Q12. 2001年12月19日,警察は,襲撃犯の一人はラシュカレ・タイバのMohammed Yasin Fateh Mohammed(Abu Hamza)である,と発表した。しかし,ヤシンは2000年11月に逮捕され,カシミール警察拘置所に拘置されていた。そのヤシンが,どうして襲撃に参加できたのか? もしそれがヤシンでなければ,ヤシンはいまどこにいるのか?
Q13. 議会を襲撃した5人の「テロリスト」は,いったい誰なのか?
――ロイの指摘する「13日襲撃事件」の13の疑問を見ると,この事件がアフザル絞首刑で幕引きされてよいものではないことは明白だ。アフザルは,ケネディ暗殺事件の「オズワルド」,あるいはネパール王族殺害事件の「ディペンドラ皇太子」のような存在といってもよいであろう。闇は深い。
谷川昌幸(C)
絞首刑を煽るインド民主主義:A.ロイ(4)
4.裁判の概要
(1)逮捕(2001年12月)
国会襲撃事件で逮捕・起訴されたのは,次の4人である。
▼アフザル(Mohammed Afzal Guru)
1969年カシミール生まれ。妻Tabasumと息子。ジャム・カシミール解放戦線(JKLF)参加。デリー大学卒(1994)。国境治安部隊投降(1994)により「投降ミリタント」となる。医療品業を営み,スリナガルとデリーを往復。2001年12月15日,スリナガルの果物市場で,いとこのシャウカトとともに逮捕。
[容疑]テロ防止法2002(POTA),爆発物取締法および刑法に定める罪。
[記者会見]2001年12月20日,デリー警察が記者会見,アフザルを引き出し自供強要。
■アフザル(Times of India, Feb 9, 2013)
▼シャウカト(Shaukat Hussain Guru)
アフザルのいとこ。果物商。12月15日,スリナガルでアフザルとともに逮捕。
▼アフザン(Afsan Guru)
シャウカトの妻。アフザルとシャウカトが逃亡を図ったと警察の主張するトラックの所有者。アフザルとシャウカトの逮捕後,逮捕される。妊娠中。刑務所内で出産。
▼ジーラーニ(S.A.R. Geelani)
デリー大学アラビア学講師。デリーで拘束され(12月14日?),その後,逮捕(15日)。
(2)起訴(2002年5月14日)
早期結審法廷(fast-track court)に被告4人を起訴。[罪状]テロ防止法2002(POTA),爆発物取締法および刑法に定める罪。
(3)テロ防止法特別法廷(第1審)判決(2002.12.18)
・アフザン:投獄5年
・ジーラーニ,シャウカト,アフザル:死刑
(4)デリー高裁判決(2003.10.29)
・シャウカト,アフザル:死刑
・ジーラーニ,アフザン:無罪
(5)最高裁判決(2005.8.4)
・アフザル:死刑(2013年2月13日午前8時,絞首刑執行。Tihar刑務所内埋葬)
・シャウカト:投獄10年(素行良好により6月短縮し,2010年12月釈放)
[死刑判決理由]
「アフザルの自供とは別に,状況証拠を検証する。・・・・それゆえ[かりに自供を除外しても],アフザルがこの重大な共謀犯罪の一員であったことを示すに十分なだけの状況証拠がある,と判定される。」
「本件における最も適切な刑罰が死刑であることに疑いの余地はない。第1審(事実審)裁判所と高等裁判所もそう審判した。これは,インド共和国の歴史に類例を見ない事件であり,まさしく希有な事件の中でも最も希有な事件(rarest of rare cases)である。強力な武器と爆発物を使い,インドの多くの国民代表議員や憲法設置機関や政府職員の安全を脅かし,治安部隊を攻撃し,もって主権的な民主主義制度を攻撃し覆そうとする――これは,最も危険なテロ行為に他ならない。これこそ,希有な事例の中でも最も希有な事例(rarest of rare cases)の典型的な実例である。」
「この事件は,重大な被害をもたらし,全国を震撼させた。社会の集合的良心(the collective conscience of the society)は,襲撃犯に死刑を科すことによってのみ満足させられるであろう。テロリストや共謀犯の行為はインドの統一・統合・主権に対する挑戦であり,反逆・陰謀犯と判明した者には極刑をもって償わせる以外に方法はない。上訴人は投降ミリタント(surrendered militant)であり,国家反逆行為を繰り返した。上訴人は社会の脅威(a menace to the society)であり,その生命は絶たれねばならない。したがって,死刑判決は支持される。」
(出典) CASE OF MOHD. AFZAL (A1), Supreme Court Judgment, in Outlook.
(注)複雑な事件のため不正確な部分があるかもしれない。もしあれば,後日訂正する。
谷川昌幸(C)
絞首刑を煽るインド民主主義:A.ロイ(3)
3.国会議事堂襲撃事件の構図
インド国会議事堂襲撃事件は,「米国同時多発テロ(2001.9.11)」後の対テロ戦争の異様な高揚の只中で発生した。この事件は日本でも報道され,朝日新聞(12月14~30日)によれば,2001年12月13日午前11時45分頃,武装集団5人(又は6人)が議事堂に車で乗りつけ,警備員らに小銃を乱射,手榴弾を投げ,一人が自爆した。銃撃は約40分間続き,その数時間後,持ち込まれた爆弾が爆発したという。襲撃犯5人は射殺された。(1人が自爆なら射殺は4人,また6人侵入なら1人は逃亡ということになるが。)
翌日の14日,シン外相は,襲撃はラシュカレ・トイバ(カシミール反政府組織)によるものだと語り,16日にはニューデリー警察が記者会見し,射殺された5人はパキスタン人であり,逮捕したデリー大学講師ら4人の取り調べの結果,ISI(パキスタン国防省統合情報局)の関与が疑われると発表した。19日には,バジパイ首相が国会において,「襲撃犯5人はいずれもパキスタン人であり,同国の過激派組織の関与は明白」とのべ,外交的手段以外の「他の選択肢もあり得る」と宣言した。
20日付朝日記事は,「インド国会議事堂を13日白昼襲撃した犯人5人は,パキスタン領カシミールを活動拠点とするイスラム過激組織『ラシュカレ・トイバ』と『ジャイシェ・モハメド』のメンバー」と断定しているが,これもインドの当局やマスコミ報道によるものだろう。
こうして印パ関係は一気に険悪化し,インドは駐パキスタン大使を召還する一方,カシミールや他の印パ国境付近に軍隊を移動させた。カシミールでは両軍が衝突し,19日以降,双方に数名の死者と多数の負傷者が出た。インドはミサイルも配備,一触即発,核戦争さえ勃発しかねない緊迫した状況になった。この危機に対し,アフガンでの対テロ作戦の障害になることを怖れたアメリカが調停に入り,またパキスタンも比較的抑制的な態度をとったこともあり,本格的な軍事衝突となることは免れた。しかし,危機一髪であったことはまちがいない。
この事件の構図は,警察・政府・マスコミによれば,単純明快である。しかし,これほどの重大事件であるにもかかわらず,いやまさに重大事件であるからこそ,その明白とみられている構図そのものの信憑性を,もう一度,最初から検証してみる必要がある。たしかに,警察・政府・マスコミ発表の構図を信じるなら,すべてがきれいに説明できる。いや,できすぎるくらいだ。ところが,具体的な事実を細かく検証していくと,合理的に説明できないことがいくつも見つかり,全体の構図そのものが怪しくなる。
こうしたことは,重大な政治的事件の場合には,決して少なくない。有名なのは,「ケネディ暗殺事件(1963年)」。公式発表ではオズワルドの犯行とされているが,これを疑う人は少なくない。マフィア説,産軍複合体説,CIA説など,いくつか有力な説があり,たとえば「JFK(2001年制作)」も,映画にはちがいないが,相当の説得力がある。あるいは,ネパールの「王族殺害事件(2001年)」も,政府発表では事件3日後に死亡したディペンドラ皇太子の犯行とされているが,あまりにも不自然であり,不可解な点が多く,この発表をそのまま信じる人は多くはない。秘密機関陰謀説,王室内あるいは軍のクーデター説など,いまも繰り返し蒸し返されている。
インド国会議事堂襲撃事件も,きわめて政治的な事件であり,警察や政府発表をそのまま信じることは,危険である。イスラム過激派集団のテロという,世論を動員しやすい構図に合わせ,アフザルら4人が逮捕され,「自白」が引き出されたのかもしれないからである。ロイが問題にするのは,まさにこの点である。それは,もしこの事件が何らかの政治的意図によるフレームアップであったとすれば,背後にいるであろう闇の権力にとっては,到底,放置できない危険な議論ということになりかねない。
谷川昌幸(C)
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