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京都の米軍基地(31):MBS「見えない基地」再放送を

毎日放送(MBS)「見えない基地~京丹後・米軍レーダー計画を追う」(2014年1月19日放送)を録画で見た。関係者や地域社会への細心の配慮をしつつも,問題の本質に多角的観点から肉迫していく。本格的ドキュメンタリーの傑作といってよいだろう。

番組の制作意図と概略は,MBSホームページ「取材ディレクターより」に簡潔に述べられているので,ご覧いただきたい。なお,MBSにはラジオ番組「どこへ行く自衛隊」(2013-11-10)もある。

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 ■MBS「見えない基地」/MBS「どこへ行く自衛隊」

1.地域分断
このドキュメンタリは,それ自体,決して難解なものではないが,扱われている主題は,複雑で重苦しく,難しい。

過疎の村,京丹後市宇川に,昨年早春,突然,米軍Xバンドレーダー基地建設が告げられる。そして,地元住民に対しては,説明らしい説明をせぬまま,一方的に,強引に基地建設計画が進められていく。

その過程で,衝撃的であったのは,やはり地域社会の分断である。原発とまったく同じ構造。権力による脅しや,カネによる直接的・間接的懐柔で,たちまち地域社会は分断され,隣近所はおろか家族ですらいがみ合い争う。過疎とはいえ,美しく平和であった地域社会が,猜疑と憎悪の底なし沼に引きずり込まれつつある。

もはや丹後は元へは戻れまい。表立っては怒るに怒れない忍従,救われようもない重苦しさと悲哀。

2.「国益」優先の市長
ところが,驚くべきことに,地元・京丹後市の中山市長は,当初から一貫して,地元住民ではなく,はるか海の向こうのアメリカや山の彼方の東京(政府・防衛省)に,目を向けてきた。いかにも総務庁-内閣府出身,上意下達の官僚主義的役人根性が抜けないらしい。

MBSは,むろん,この中山市長の卑屈な役人根性を見逃しはしない。番組では,中山市長が「住民益」「市民益」ではなく,「国益」を引き合いに出す場面を,いやらしいまでにリアルに描写している。

「国益」とは,要するに「お国のために」「滅私奉公」ということ。憲法第92条「地方自治の本旨」を無視し,地元の住民・市民ではなく国家権力の側に立つ中山市長! MBSは,そんな無様な,卑屈な場面を撮りたくはなかったにちがいない。しかし,そこはドキュメンタリーのMBS,心を鬼にし,涙を呑んで,カメラを回した。MBSの覚悟,プロ根性が偲ばれる迫真の画面からは,保身のため住民を売り渡した中山市長の虚勢とオドオドした内心が透けて見て取れる。

140216b ■MBS取材にこたえる中山市長

3.車力基地の実情
番組では,Xバンドレーダー基地ができたらどうなるかを見るため,つがる市の車力基地を取材している。この部分を見ると,防衛省や,その下請け・中山市長の説明がいかに無責任かが,よくわかる。

車力米軍基地は軍事機密,ピリピリした厳戒態勢下にある。こんなものに不用意に近づいたり写真でも撮ろうものなら,しょっ引かれたり,下手をするとテロリストかスパイとみなされ,射殺されるかもしれない。相手は「治外法権」の米軍。何をされるか分からない。

また,米軍関係者の犯罪や交通事故も少なくない。さらに,補助金漬けについては,余計なコメントはつけず,淡々と事実だけを描いているが,それだけにかえって,考えさせられ胸にこたえる。

4.「見えない基地」の再放送を
この番組「見えない基地」は,同局の「映像’14」シリーズの一つだ。「映像’14」は関西地域放送番組だが,レベルの高いドキュメンタリーで知られている。「見えない基地」も秀作。

しかし,残念なことに,この番組は日曜日の深夜(24:50~25:50)に放送された。見逃した人も少なくなかろう。実に,惜しい。何とかならないか。

手っ取り早いのは,録画番組をネットで公開するという手。たとえばーー
 ▼LunaticEclipseYokosu「見えない基地」YouTube
しかし,これは海賊版ではないか? もしそうだとすると,権利を守るための闘いが権利侵害を犯すことになってしまう。

やはり,一番望ましいのは,制作した毎日放送自身が,もう少し見やすい時間に再放送したり,ネットで公開することだ。有料でもよい。これほど優れたドキュメンタリーなら,料金を払ってもみたいと思う人も少なくないはず。ぜひ検討していただきたい。

5.特定秘密保護法の恐怖
蛇足ながら最後に一言,特定秘密保護法との関係について。周知のように,特定秘密保護法はすでに成立し,年内には施行される。

この特定秘密保護法が施行されると,おそらくMBS「見えない基地」のような番組は制作できないであろう。あるいは,それどころか,地元民や観光客がうっかり写真を撮っても,「おい,こら!」と,しょっ引かれる恐れがある。そんなことはない,と政府やその出先機関の市長は反論するかもしれないが,危ないと思わせるだけでも,威嚇効果は十分なのだ。

MBS「見えない基地」の描く車力米軍Xハンドレーダー基地。厳戒態勢にあり,触れば祟り必定の「タブー」そのものだ。そんな恐ろしいものが,車力とは異なり丹後では一般道路・住宅地・観光名所のすぐ側にできる。名所・穴文殊からだと,子供が石を投げても当たる距離だろう。

Xバンドレーダーについては,電磁波や騒音が主に問題にされてきたが,政府にとってはこれは想定内。議論がここに集中するのをみて,政府はほくそ笑んでいたにちがいない。

Xバンドレーダー基地の最大の危険性は,軍事機密,特定秘密にある。見せないで見るXバンドレーダー。ブラックホールのように,近づくものを片っ端から吸い取り破滅させる。そんなものが住宅地の目の前,観光名所のど真ん中にできる。

番組「見えない基地」の最初と最後は,経ヶ岬展望台からの分屯基地遠望であった。この展望台は,以前,私が分屯基地監視の名所として推薦したところだ。しかし,Xバンドレーダーが設置されたら,このような撮影はできなくなるだろう。たとえ,撮影禁止の立て札が立てられなくても,撮影には公安や警察やその他諸々の監視をつねに意識せざるをえない。何となく不気味だから自主規制,となるにちがいない。

あるいは,それどころか国道沿いの民家の庭先や二階からカメラを向けても,危ない。「軍事機密」「特定秘密」が写る可能性があるからだ。

こうして,京丹後は「Xバンドレーダー体制」に組み替えられていく。

140216a shariki tango ■米軍基地の位置関係:車力/経ヶ岬(京都民報

谷川昌幸(C)

NHK「ムスタン王国」の真実・再説

1.「ムスタン王国」ヤラセ事件
かつてNHKの辣腕プロデューサーが「禁断の王国・ムスタン」(1992)を制作し放映した。傑作ドキュメンタリーで,日本中が感動した。(ユーチューブではまだ未公開)
 
ところが,誰かにねたまれたのか,このドキュメンタリーはヤラセであり,ネパール王国と日本視聴者を愚弄するものだと,攻撃の火の手が上がった。問題にされたのは主に次の点:
  ・ムスタンは「王国」ではない。
  ・流砂はスタッフが流したもので,ヤラセ。
  ・高山病は仮病で,ヤラセ。
 
この他にも,多くのヤラセや誤りが糾弾され,やむなくNHKも調査委員会を設置し,制作過程を調査した。その結果,問題にされたことの多くが事実と認定され,特別番組でそれが詳しく説明された。そして,NHK会長らが,皆様のNHKが善良な視聴者を騙したとして,平身低頭,沈痛な面持ちで平謝りを繰り返した。このとき辣腕プロデューサー氏らがどのような弁明機会を与えられたのか,またヤラセ判定・懲戒処分後,どうなったのかは分からない。
 
この経緯を見て,私は唖然とした。そして,断固,番組を擁護すべく授業で何回も取り上げ,「ムスタン王国」の「真実」を力説した。
 
2.「事実」は語らない
写真にせよドキュメンタリーにせよ,生の「事実」をあるがままに写すものではない。撮影者,制作者の意図に従い,生の現実のある部分を切り取り,写真やドキュメンタリーとして表現する。学術論文にしても絵画,文学作品にしても同じこと。
 
「事実をして語らしめる」という客観主義の常套句があるが,これは真っ赤な嘘であり,生の事実は何も語りはしない。撮影者・制作者が,一定の意図に従い「語らしめる」ことによって,つまり事実を「加工」することによって,事実は何事かを語り始める。
 
3.ドキュメンタリーと演出
この制作者の意図(意思)による事実の加工が,「演出」である。写真にせよドキュメンタリーにせよ,いや学術論文ですら,およそ作品は「演出」なしには,ありえない。
 
4.「真実」を伝えた「ムスタン王国」
では,「ムスタン王国」の場合はどうか? ムスタンが高山の厳しい自然環境の中にあり,そこへの経路が険しく,流砂があり,ときには高山病になることは,事実だ。制作者は,そのムスタンの「真実」を伝えることを目標に,番組を制作した。
 
ところが,取材中には,あいにく流砂も高山病も発生しなかった。もっと手間暇をかければ,いずれそれらは発生するだろうが,取材班にはその余裕はなかった。そこで,流砂を人為的に流し,高山病の振りをし,撮影した。
 
「流砂」も「高山病」も,そのとき,そこで起こった「生の事実」ではない。しかし,そこでは,それらはしばしば発生することであり,番組がその「真実」を伝えることを目標とするのであれば,「ムスタン王国」は大筋では視聴者を騙したことにはならない。(いくつか事実誤認や誤りがあったことはたしかだが,こうした海外取材ではある程度はやむを得ない。)
 
むしろ,あえていうならば,ドキュメンタリーは「生の事実」を伝えるものだという誤った情報をセンセーショナルに流し,善良な人民をヒステリックな制作者糾弾に誘導したことの方が,ヤラセとして批判されるべきである。
 
5.演出の許容範囲
しかし,そうはいっても,演出が無制限に許されるわけではない。演出がすぎると,文字通り「絵空事」となり,「事実」が何か分からなくなってしまう。演出がどこまで許されるかは,一方における「真実」を伝えようとする制作者の誠意と表現能力,他方における「真実」を見ようとする視聴者の成熟度により,つまり制作者と視聴者の「真実」をめぐる格闘を通して,自ずと妥当な範囲に収まっていくだろう。それが表現の自由の醍醐味だ。
 
「ムスタン王国」の場合,過剰演出かどうか,たしかに微妙なところではある。安全第一であるべきなら,番組最後の字幕部分に,「王国は通称,流砂と高山病は再現映像」と一筆入れておけば,よかった。そうすれば,この番組がこれほど糾弾されることはなかったであろう。
 
6.「事実」はつくられる
実は,このことは,大学が新入生に,まず第一に教える,ごく初歩的な事柄だ。新入生は,教科書の記述を「事実」そのものと信じて疑わない。小中高校で,文科省やその支配下の教員に,そう洗脳されているからだ。
 
そんな新入生に対し,大学はまずガツンと一発,すべての「事実」は誰かにより「つくられた事実」だ,とぶちかまし,新入生どもの心地よい独断の眠りを覚ましてやる。大学教育は,国家への反逆から始まる。それをしない大学は「大学」の名に値しない。
 
だから,写真やドキュメンタリーを見て「生の事実」だなどと脳天気なことをいう大学卒業生は,日本には1人もいないはずだ。それは基本中の基本で,口にするのも恥ずかしいくらいのことだ。
 
6.解釈と「事実の堅い芯」
しかし,「事実」はすべて解釈によりつくられるかというと,決してそうではない。もし「事実」はすべてつくられるものなら,ノンフィクションとフィクション,歴史と歴史小説の区別がつかなくなってしまう。「事実」はつくられるが,しかしすべてがつくられるわけではない。ここに,科学(学問)や文学・芸術の難しさがある。
 
この問題を鮮やかに分析し,大学生にもよく分かるように易しく面白く叙述したのが,E.H.カー『歴史とは何か』(岩波新書)だ。大学新入生の必読文献であり,日本の大学生はみな読んでいる。ここに書いてあることの概略でも理解していないと,独断の微睡みから目覚めない大人子供と見られ,大学を卒業させてもらえない。
 
しかし,碩学カー先生の本は,完全に理解しようとすると,これは難しい。本当に「事実の堅い芯」など,あるのか? あるとすれば,どのようにしてそれを認識するのか?
 
カー先生は,「歴史は現在と過去との対話である」と力説される。それは,「真実」をめぐる制作者と視聴者,作者と読者の間の対話と言い換えてもよい。難しいことだが,こうした大人の対話を続けていくしか,「事実=真実」へは接近できないのだろう。

【参照】

■やらせ 
■池田信夫「やらせ」
■虚偽報道
■ムスタンの真実―「やらせ」現場からの証言  
■NHKスペシャル「ムスタン」の真実
■秋山久 第45回 「やらせ」番組考(2000・12・25転記)  ネットジャーナル「Q」  (秋山氏の略歴)NHK報道局社会部(ニュースデスク、ニュースキャスタ),東京経済大学非常勤講師を経て,現在,フリージャーナリスト。(追加2014.2.8)

140208 ■ローマンタン(Google)。いまや秘境も丸見え(2014.2.8)

谷川昌幸(C)

 

Written by Tanigawa

2009/01/15 at 10:56