ネパール評論 Nepal Review

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バブラム・バタライの新党「新しい力・ネパール」

バブラム・バタライ率いる新党「新しい力・ネパール(Naya Shakti Nepal: NSN)」が6月12日,カトマンズの「ダサラト・スタジアム」において結党大会を開催する。10万人参加を見込む。

バブラム・バタライは,新憲法公布直後の2015年9月26日,プラチャンダのUCPN-Mを離党し,自らの党の結成を準備してきた。選挙管理委員会には,すでに3月23日,党名(新しい力・ネパール)と党旗(赤地に白星)を届け出,受理されていた。6月12日の結党大会は,新党としての活動開始ということになる。

160609■「新しい力」(同党FB)

NSNの政治目標(*1)
・15年以内に,LDC(後発開発途上国)から離脱し中程度開発国となる。
・25年以内に,先進国レベルの高度開発国となる。

NSNの政治理念と政策(*1)
・経済革命により公平な繁栄の達成。リベラリズム・ネオリベラリズムも国家主義的社会主義も排する。豊かな社会主義の実現。
・包摂参加民主主義。3大社会集団(カス・アーリア,マデシ/タルー,ジャナジャーティ)の統合。
・良い統治。腐敗根絶。
・ネパールの主権と独立の堅持。印中の架け橋。
・大統領は,国民直接選挙。
・議会は,完全な比例代表制。女性,ダリット,カス・アーリア,ジャナジャーティ,マデシ,タルー。

既成政党の欠陥(*1)
・UMLは,カス・アーリア寡頭支配政党。「オリ政府は,パンチャヤト政府の再来だ。オリ首相は,ウルトラ・ナショナリズムのスローガンにより人民の関心を真の諸問題からそらせ,失政を隠そうとしている。」
・NCは,「指導者不在(舵のない)政党」だ。
・マオイストのうちプラチャンダは旧勢力と一体化し,モハン・バイダは守旧社会主義だ。
・マデシ諸党は,地域セクト政党だ。

以上がバブラム自身による新党「新しい力」の設立趣旨説明だが,正直,どこが「新しい」のかよくわからない。また,妻のヒシラ・ヤミも夫に負けないほど長いインタビューを発表しているが,こちらは意味不明瞭,何が言いたいのかさえわからない。

バブラムは,博士インテリであり,マオイスト人民戦争の最大のイデオローグであったが,現実政治における「政治センス」の点では,当時から疑問視されていた。理論と現実は異なる。「新しい力」がネパールの新しい時代を切り開くことになるのだろうか?

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■バブラム・バタライ(同氏ツイッター)/ヒシラ・ヤミ(同氏FB)

*1 RAM KUMAR KAMAT, “We need to be cautious of clash of big powers’ interests in Nepal (Baburam Bhattarai)”, The Himalayan Times, June 05, 2016
*2 DEVIRUPA MITRA, “We Did the Right Thing by Leaving Prachanda: Hisila Yami,” The Wire, 29/05/2016
*3 石もて追われるバブラム・バタライ
*4 バブラム・バタライ,マデシ理由に離党し議員辞職

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/06/09 at 11:06

「ネパール共産党マオイスト・センター」結成,議長はプラチャンダ

5月19日,マオイスト系10政党が結集し,「ネパール共産党マオイスト・センター」を設立した。नेपाल कम्युनिष्ट पार्टी (माओवादी केन्द्र) Communist Party of Nepal-Maoist Centre (CPN-Maoist Centre; CPN-MC)。議長はプラチャンダ(プシュパ・カマル・ダハール)。副議長など,党要職は,構成各グループの有力者に割り当てられる。

CPN-MCは,1994年結成のプラチャンダを党首とするかつてのマオイスト政党と同名であり,紛らわしい。党首と党名が以前のものと同じでは,事実上,プラチャンダの党の看板書き換えと,そこへの吸収合併ともいえるが,一応,新党の設立と説明されている。

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このCPN-MCは,基本的には現行2015年憲法を支持し,その大枠の中で,人民戦争の成果を確保しつつ,犠牲者の救済を目指すものと思われる。先のUML・UCPN「9項目合意」の実行など。

これに対し,参加を拒否したネトラ・ビクラム・チャンダ(ビプラプ),モハン・バイダらは,マオイスト急進派を糾合し,ジャナジャーティなど被抑圧諸集団の権利要求を掲げ,反憲法闘争を強化していくものとみられている。

一方,バブラム・バタライが新党に参加するかどうかは,まだ不明。バタライは,マオイスト最大のイデオローグとして,またプラチャンダにつぐ実力者あるいはライバルとして,人民戦争を戦い勝利に導き,戦後は首相(2011-13)さえも務めたが,2015年9月UCPN-Mを離党,今年3月新党「新しい力・ネパール(Naya Shakti Nepal)」を設立し,自らそれを率いている。そのバタライについて,プラチャンダは,こう語っている。

「バブラム・バタライは人民戦争期の人民政府の代表であり,彼の命令の下,人民は犠牲を払い,この国を変えたのだ。だから,自分は別の道を行くことにしたといって,その責任を免れ得るものではない。それゆえ,彼に対しては,ブルジョアジーを手助けするよりも,マオイスト新党に参加するよう訴えたい」(Republica, May 20)。

これはどうみても,肝の据わった政治的勝者が右顧左眄するインテリ敗者に投げかける言葉だ。こんな呼びかけに,バタライ博士が応じることは,よもやあるまい。

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谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/05/24 at 16:26

国土改造ブームのネパール

カトマンズでも地方でも,土木工事。道路拡幅,下水道敷設,河川改修などなど。正式憲法なんかなくても,ネパールは,活気に満ちている。世界最高水準の憲法があっても,老化衰退落日の日本とは好対照だ。

ネパールの国土大改造に突破口を開いたのは,マオイストだ。支配有産階級の既得権益など一顧だにせず,被差別カースト・少数民族の解放を進める一方,まずは道路建設に着手した。

お手本は,マオイストの博士バブラム・バタライ幹部(党・政府要職歴任*)。地元ゴルカに立派な高規格道路を建設したかと思えば,カトマンズでは居住者の訴えに一切耳を貸すことなく,文字通り蛮勇をふるって,情け容赦なく家やビルを破壊し,道路を造っていった。このマオイストの革命的国土改造政策は,第二次制憲議会選挙で大勝したNCとUMLの現政権もチャッカリいただき,さらにそれに拍車をかけている。
 * 「博士(Dr)」は,ネパールでは権威中の権威。首相在職中(2011-13)でも,呼びかけは「博士」。「博士」であり,しかる後に首相であったマオイスト。ほほえましい。

ネパールの道路建設は,革命的に乱暴だが,それはそれなりに優先順位を付け,合理的に工事を進めていることがよく分かる。路側を掘削して大きな段差が出来ても,舗道上に深い穴が出来てもそのまま。が,大丈夫,車も歩行者も,その程度のことは十分予測して通行する。車が転落し仰向けになっても,歩行者が穴に落ち足を骨折しても,自己責任,注意不足にすぎない。

あるいは,たとえば何回か取り上げたカランキ交差点。環状道路と市内からタンコットへ向かう道路が直交する大交差点だが,信号機は撤去され交通警官手信号,ときにはそれすらなく運転手の自主判断で通行する。超ローテク人力交差点。そして,その上に架かるのは,必要最低限ギリギリの,革命的に安普請の貧相な陸橋。こんなトンデモナイ交差点は,日本は絶対に造りはしない。しかし,現実には,これが交差点として十分に機能しているのだ。

むろん,この国土改造のネパール方式は,先進諸国には受け入れられないだろう。個人の権利は尊重しなければならないし,伝統や文化,環境や景観も尊重しなければならない。そして,何よりも,先進諸国では,人々が国家を信用し政府に依存して生きているからである。

▼道路工事
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 ■マイティデビ/同左

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 ■マッラホテル付近/ダーラン(スンサリ)の道路拡幅・下水道工事

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 ■環状道路(ドビガード付近)のネパール式=中国式拡幅工事/同左

▼住民の抵抗
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 ■2階以上死守/歩道新設のため撤去されたと思われる1階の壁(マイティガル)

▼整備された道路
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 ■ビラトナガル~ドゥハビ~ダンクタ道路/バラトプル~イラム道路。高所の峠でも,道路も送電線もよく整備されている。付近は茶畑。

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 ■超近代的都市道路(ビシュリバザール付近)。片側4車線+歩道+太陽光LED照明

カランキ交差点(2012年)
 
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谷川昌幸(C)

ゴルカのマオイスト

谷川昌幸(C)
バブラム・バタライ氏に敬意を表し,ゴルカの状況調査に行ってきた。道路は,カトマンズ・ムグリン間もムグリン・ゴルカ間も,最近改修されたらしく,予想以上によかった。特にポカラ分岐点からゴルカまでは,バブラム道路かな(?)と思うほど快適だった。ネパールにも政治道路があるのだろうか?
 
ゴルカは初めて。山腹の小さな町だが,この近辺の村々の中心らしく,屋根にまで乗客を満載したバスがかなり頻繁に通っており,バザールもにぎわっていた。 町も周辺の村々もカラカラに乾燥し,赤煉瓦色の土はサラサラの粉末状となり,一面を覆っている。水は豊富で,いくつも水場があるが,各戸への水道は普及していないらしく,大きな水瓶を持った少女たちが急坂をあえぎあえぎ登ってくる。過酷な労働であり,水の貴重さが身にしみる。
 
ゴルカはバブラム・バタライ氏の本拠だが,マオイストのポスター類は意外に少ない。町の入り口には,例のマオイスト・アーチが設置されていたが,ポスター類はUMLのものもNCのものもある。 夕方,数十台のバイクと乗客満載のバス2台と,武装警官満載の車両が登ってきた。マオイストと警戒の武装警官らしい。バイク隊は凶暴そのもの,そしてバス満載のYCL(たぶん)も大声でシュプレヒコールを叫んでいた。 こんな夕方から何をするのかと見ていると,小型トラックに乗り換え,停電で薄暗い村々を回って,オルグをやっているらしい。遠くの村の方面から,シュプレヒコールが聞こえてくる。やがてゴルカの町に戻ってきて,ホテル下の広場で解散となった。こんな圧力を掛けられたら,村人は抵抗できないだろう。
 
ただ,ネパールの不思議なところは,先にも述べたように,他勢力が根絶されるのではなく,共存していることだ。軍駐屯地があり兵隊だらけだし,シャハ王家のゴルカ王宮には熱心な信者の参詣が絶えない。高級ホテル(といっても1室15ドル)では,朝7時からお偉いさんが車で参集,チャッカリ兼朝食兼選挙運動(?)をやっていた。警察幹部らしい人も一緒だった。 ヒマラヤは,春霞のため全く見えなかった。
 
  
 ゴルカ(2009.3.20)

Written by Tanigawa

2009/03/21 at 00:39

カテゴリー: マオイスト, 旅行

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