ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

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紹介:三瓶清朝『みんなが知らないネパール―文化人類学者が出会った人びと』(1)

この本は,文化人類学者の著者が2001年8月~9月のネパール現地調査において観察した男女7人の生活を通して見た「ネパール民族誌」。こうした実地調査に基づく実証的研究は,私のような法や政治といった社会の上部構造を主に英語の論文や記事を通して勉強している者にとっては,たいへん興味深く,教えられることも多い。以下,私にとって特に興味深く感じられた部分を中心に,私見を交えつつ,紹介する。

三瓶清朝『みんなが知らないネパール―文化人類学者が出会った人びと』pp.i-xii, 1-308,尚学社,2018年5月刊
まえがき / 第1章 カトマンズ到着 / 第2章 オミラ=ダリ(女性,46歳) / 第3章 ギャヌー(女性,50歳) / 第4章 シバ(男性,30歳) / 第5章 カマラ=カント(男性,49歳) / 第6章 バリヤ(男性,45歳) / 第7章 ラム=バブ(男性,38歳) / シタ・カナル(女性,42歳) / あとがき

1.変わらないネパール
本書は,一言でいえば,ネパールの人々の生活を現地でつぶさに観察し,それにもとづき,個人の暮らしぶりやそれを取り巻く文化や社会組織の点では「ネパールは変わっていない」ことを,具体的に実証することを主な目的にしていると見てよいであろう。「まえがき」と「あとがき」に,こう記されている。

まえがき:「わたしがこの本で扱うネパールは個人・・・・の暮らしぶりやそれを取り巻く文化や社会組織(社会制度)に関するもので,大きく動く経済でも政治でも歴史でもない。これはいまもそんなに変わらないはずだ。ヒンズー教の骨格たるカースト身分制度など,これでもかこれでもかと書き定めた,ヒンズー教の聖典の一つである『マヌの法典』以来,つまり2000年前以来,何ひとつ変わっていない。」(v)

あとがき:「[2017年3月刊『体制転換期ネパールにおける「包摂」の諸相』を]読んでみたが,そのときの感想は,小さな変容はそこかしこに見られるものの大きくは『ネパールは変わっていない』というものである。ネパールは変わっていないのだ。たとえば,カースト制度など何も変わっていない。」(306)

これは,憲法や統治など現実政治の動きを中心にネパールを見ている私にとっては,驚くべき指摘である。ネパールは,1990年以降,とりわけ人民戦争(1996-2006)を転機に,近現代化,民主化,世俗化,資本主義化,消費社会化,少子高齢化,情報化,グローバル化,教育普及など,生活の様々な分野で,急変,激変しているのではないか?

たとえば,「後発国の技術的優位」により,ネパールでは携帯電話・スマホ,ソーラー蓄電池街灯,監視カメラなどが急速に普及した。安定性,運用などに問題はあるにせよ,日本より安価で便利なものも少なくない。

憲法や政治では,何といってもヒンズー教王国が崩壊し世俗的連邦共和国が成立したことが,決定的に重要な革命的変化だ。そして,それとともに始まった包摂民主主義の――問題は多々あるにせよ――大胆な導入により,カーストや性による差別は激減した。議会ではダリットや女性議員が,バフン,チェットリなど高位カースト男性議員に伍し,堂々と論陣を張っている。女性の政治参加,社会参加では,ネパールは,日本の2歩も3歩も,いやそれ以上に先行している部分が少なくない。

宗教では,キリスト教改宗が増えている。民主化により布教規制をいったん緩めたが,改宗急増に驚き,憲法に事実上の改宗布教禁止規定を再導入し,さらに刑法では重罰付きの改宗布教禁止を明文規定したほどだ。キリスト教政党ですらすでに活動している。(下記「5」参照。)

こうしたことや,上述のようなことを考え合わせると,ネパールはいま急変,激変しているといってもよいのではないだろうか?

そこで,私にとって特に興味深いのは,これら急変・激変部分と,本書で指摘されている変わらない部分とがどう関係しているのか,ということである。「変わらない部分」は,やはり変わらないのか,それとも変わるのか?

 
 ■ソーラー蓄電池街灯/監視カメラ(いずれもカトマンズ市内,2015年)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/06/17 at 14:12

紹介:名和克郎「近現代ネパールにおける国家による人々の範疇化とその論理の変遷」

これは,名和(編)『体制転換期ネパールにおける「包摂」の諸相』(三元社2017)の第1章(p35-87)。近現代ネパールの憲法(広義)が原典資料にもとづき明快に分析・評価されており,私にとっては特に憲法史・憲法思想史の観点から大変興味深く読むことができた。以下,私見を適宜交えつつ,要点を紹介する。

1.集団的権利⇒個人的権利⇒集団的権利
この論文では,ムルキ・アイン(1854)から2015年憲法に至るネパールの広義の憲法が,D・ゲルナーの「集団的権利から個人的権利へ,そしてまた集団的権利へ」(同名論文2001)という図式を手掛かりとして分析・評価されている(p39,79)。すなわち――
 ・1854年ムルキ・アイン=「ヒエラルヒー的なカースト基盤モデル」
 ・1962年憲法=「開発的な文化均質化モデル」
 ・1990年憲法~2015年憲法=「多文化的な『異なっているが平等』モデル」

この図式は,ネパール憲法(国制constitution)の展開を俯瞰する場合,たしかに極めて明快で魅力的である。

2.ムルキ・アイン
「ムルキ・アイン(国の法)」は,ジャング・バハドゥル・ラナ[クンワル」が1854年に制定した法律。163項,1400ページからなる成文大法典で,国の在り方を決めているという意味では広義の憲法(国制constitution)である。このムルキ・アインについて,著者はこう評価している。

「国家のヒンドゥー性が強調され,全国統一のカースト的ヒエラルヒーによってネパールの全住民を不平等な形で一つの法の下に位置付けたこの法律[ムルキ・アイン]は,しかし,国境により閉ざされた一つの領域内に住む人々を統一的に支配しようとする点で,近代的な性格をも併せ持っていた。」(p77)

たしかに,ラナ宰相家統治は,ムルキ・アインによる統一的領域国家支配という意味では近代的であった。一方,ムルキ・アイン自体は,刑罰等の一部合理化はあるものの,大部分は伝統的ヒンドゥー法や既存の様々な社会慣行を整理し法典化したものであり,内容的には前近代的・封建的である。このムルキ・アインに基づくラナ家統治は,1951年まで続く。これを,全体として,どこまで近代的と評価するか?

また,この論文では,ラナ家統治末期から1962年憲法までの憲法についてはほとんど触れられていないが,憲法史的にはこの間にいくつかの憲法が制定されたことも無視できない。

1948年の「ネパール統治法(1948年憲法)」は,6編68か条の堂々たる成文憲法で,二院制議会や裁判所など近代的統治制度を定め,人身の自由,言論集会の自由,信仰の自由,法の前の平等,無償義務教育など近代的な諸権利をネパール市民(国民)個人に保障している。この憲法は,ラナ家統治崩壊から王政復古に至る政治的混乱のため,事実上,施行されなかった。

1951年王政復古後,新体制移行のため1951年暫定統治法(暫定憲法)がつくられ,そして1959年には公式にはネパール初の「ネパール王国憲法(1959年憲法)」が制定された。この憲法は,立憲君主制,二院制議会,議院内閣制など民主的な統治諸制度を定め,国民個人に,人身の自由,言論・出版の自由,集会の自由,財産権,平等権,自らの古来の宗教への権利など多くの権利を認めている。多くの点で近代的・民主的な立憲君主制の本格的な正式憲法であったが,残念なことにこの憲法も翌年(1960年)の国王クーデターにより1年余りで停止されてしまった。

なお,宗教,民族,カースト,性などによる差別の禁止は,1951年暫定憲法も1959年憲法も規定しており,またネパール語を国語とすることは1959年憲法が規定している。

このように,1962年憲法制定以前に相当程度近代的な成文憲法が制定されていたこと,またそのような近代的な憲法をつくりつつも,他方では前近代的・封建的なムルキ・アイン秩序を温存していたこと――これをどう評価するか? 憲法史的には,大いに関心のあるところである。

3.1962年憲法
1960年クーデターで全権掌握したマヘンドラ国王は,1962年,非政党制パンチャーヤット民主主義を理念とする「1962年憲法」を制定した。この憲法につき,著者はこう評価する。

「1962年憲法においては,ネパールがヒンドゥーの国家だという条文は存在するが,ジャートの違いに関するいわゆるカースト的な規定が全て姿を消し,全く逆に宗教,人種,性,カースト,民族による差別の禁止に関する条項が現れているのだ。」(p52)

「1950年代から1960年代前半にかけて,ネパールの法のあり方は根本的に変化した。ジャートによる扱いの差異は法律から消滅し,代わって国王とネパール語,ヒンドゥー教を中核とする国民国家ネパールの発展が目指されるようになった。そこで想定されたネパール国民は,ネパール語を話すヒンドゥー教徒たる平等な臣民であった。」(p56)

1962年憲法が,国王・国語・国教による強力な国民国家を目指していることは明らかである。中央集権的開発独裁。しかし,その一方,多言語・多民族のネパールでネパール語を国語と定め,特有の社会構造を持つヒンドゥー教を国教と定める憲法が,どこまで「個人の権利へ」(ゲルナー)を志向していたかについては,疑問が残る。

4.1990年憲法
1990年民主化により成立した「1990年憲法」は,著者によれば「画期的なもの」である。

「この憲法においてネパール史上初めて,ネパールの国民の民族的,言語的多様性がヒエラルヒー的合意抜きで明確に認められ,少数者の言語的権利が条文の中で具体的に示されたからである。」(p60)

しかし,そう評価しつつも,著者は,1990年憲法では依然としてヒンドゥー王国であり,西洋近代的な「信仰の自由」,ないし「個人が宗教を選択すること」は想定されていない,という留保をつけている。このことは,他の自由や権利についても,多かれ少なかれ言えることであろうか。もしそうなら,これは宗教以外の領域でも重要な意味を持つ指摘である。

5.2007年暫定憲法から2015年憲法へ
マオイスト人民戦争後,彼らの要求の相当部分をうけいれ制定された「2007年暫定憲法」と現行「2015年憲法」につき,著者はこう述べている。

「2007年暫定憲法では,ネパール国内の多様な人々の範疇が,『包摂』の対象として明確に現れることになった。こうした方向性は,2015年憲法においても基本的には引き継がれており,『包摂』は連邦共和制国家ネパールの主要原理の一つとなった感がある。」(p78)

こうして「包摂」が憲法の基本原理となれば,当然,包摂を求め「集団範疇の細分化」や多重化・多元化が進んでいく(p74-79)。これをどう評価するか?

また,すでに紹介した部分と一部重複するが,次のような指摘も重要である。
 
「宗教=dharmaについては,出自に基づく集団に帰属することが長く前提とされ,他人を改宗させることが禁じられてきたことから,『個人的権利』への十全な移行は一度も生じなかったと言える。そして興味深いことに,ジャナジャーティの運動家の多くは,ヒンドゥー教の強制には強く反対する一方,宗教=dharmaを集団的なものとする基本的発想を,多くのヒンドゥー達と共有してきた。自らの社会的文化的独自性に基づく集団的な権利の主張にとって,ネパールの宗教=dharma概念は確かに適合的ではある。」(p78-79)

著者は,この論文をこう結んでいる。ゲルナーは,多文化的な「異なっているが平等」モデルに「未だ実現されておらず,おそらく実現不可能な」という形容詞句をつけたが,「これはやや拙速な表現であった。・・・・ネパールの事例もまた,西洋的範疇を逸脱した変則的な例外としてではなく,様々な地理的歴史的制約のもとに展開しつつある一つの現在進行形の挑戦として,捉えられるべきである。」(p79)

多文化主義的「包摂」を前提とすると,これはネパールの「挑戦」の妥当な評価であろう。ただ「近代主義者」としての私としては,いまのネパール憲法論における「個人の権利」の理論的基礎づけの弱さが,どうしても気なる。自己規律なきエゴの主張は,事実として,いたるところに蔓延してはいるのだが。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2017/05/06 at 21:23

キリスト教徒,逮捕

6月9日,ドラカ郡でキリスト教徒7人が逮捕された。2人は郡内私学2校の校長,他の5人はキリスト教団体「Teach Nepal」のメンバー。

この7人は,私学2校の課外活動中に,聖書小冊子『偉大な物語』を885人の生徒に配布した。これを地元政治家が聞きつけ,郡役所を動かし,警察に7人を逮捕させたということらしい。容疑は,憲法26(3)条により禁止されている改宗勧誘・他宗教妨害

この事件は,一般紙はあまり報道していないが,いまの政権の基本姿勢をうかがわせる重大な事件である。ネパールのキリスト教徒は,公式には37万5千人だが,実数は230万人に上るという。すでに一大宗教勢力だ。そのキリスト教会が,今回のような,いささか強引な布教活動をすれば,ヒンドゥー教多数派と衝突するのは当然だ。

現行憲法堅持なら,この種の宗教紛争は継続,激化せざるをえない。逆に,憲法改正に向かえば,ヒンドゥー教勢力が黙ってはいない。現政権は憲法堅持だが,いずれをとるにせよ,難しい選択だ。

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[参照]
*1 “Nepal police arrest Christians accused of converting people to Christianity,” christiandaily.com, 15 June, 2016
*2 “Nepal arrests seven Christians over allegations of converting people to Christianity,” christiantimes.com, 14 JUNE, 2016

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/06/18 at 11:24

ネパールの故岩村医師邸,強奪破壊(1)

故岩村昇医師のネパールの邸宅(クリスチャンの養子ご家族居住)が,襲撃され,強奪,破壊されたという。中橋祐貴「『岩村記念病院・健康大学』でクリスチャン後継者が迫害を受け命の危機にChristian Today(日本語版),2016年4月29日。
 ●岩村邸 破壊前⇒⇒破壊後(上記記事写真リンク) 

岩村昇医師は1962年,「日本キリスト教海外医療協力会」からネパールへ派遣され,1980年まで医療奉仕活動を続けられた。1993年,マグサイサイ賞受賞。2005年没。

Christian Todayの記事によれば,2016年3月1日午後4時半ころ,故岩村邸に,何の通告もなく,警官25~30人と自治体職員15人,そして暴徒約30人が突然やってきて,居住中の養子ご家族を追い出し,家財道具を外に運び出し,家・土地を取り上げた。その後,それらは売却され,更地にされてしまったという。

なぜ,こんな乱暴なことが? 記事によれば,「政府機関には毛沢東思想に感化された官僚が多くはびこり,暴力と金,人権を無視した不当や不正が『腐敗した慣習として日常化』していることも事実だ。今回も政府や行政,さらには警察が賄賂で秘密裏に暴徒を雇い,さらには地区のトップまでもがこの暴力事件に加担している」。「クリスチャンであることを憎む暴徒たちにより,今回の事件が起こった。・・・・この事件の背景は思想に感化された官僚たちとキリスト教弾圧主義者による不正から始まったことと思われる。」

しかし,それにしても不可解だ。人民戦争中なら,こうした事件は珍しくなかった。しかし,人民戦争はすでに十年ほど前に終わり,いまは平時,新憲法もできた。マオイストは与党だ。この状況で,このような大っぴらな無法行為が許されるのだろうか?

一つ考えられるのは,最近の逆コース。ヒンドゥー教国家復帰が叫ばれ,クリスマスは国民公休日指定を外された。しかも,体制派幹部は,コングレスも共産党諸党も高位カースト寡占。故岩村医師邸襲撃がキリスト教が理由なら,そうしたことが背景にあるのではないだろうか?

しかし,そう考えても,やはり不可解だ。かなりの大事件のはずなのに,他のメディアは,このようなことに敏感な欧米のキリスト教系をも含め,見た限りでは報道していない。また,もし警察や自治体職員が動員されたのなら,いくらなんでも,まったく何の通告もせず,一方的に現住土地建物を一方的に没収し売却するとは考えにくい。

記事通りなら,大事件。続報をまちたい。

160501b 160501a■岩村記念病院HPより

[参照](5月2日追加)
GORO KIMURA‏@AIUEOUM  14:11 – 2016年5月2日
大変に驚くと同時にいぶかしく思ったニュースでした。早速以下のサイトから直接問い合わせました。そのような事実は一切無いということです。 ・・・・

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/05/01 at 20:52

ヒンドゥー教王国復古運動,RPP-N

新憲法制定期限1月22日が近づくにつれ,国民民主党(RPP-N)の動きが活発になってきた。

カマル・タパ議長は,1月2日のカトマンズ集会において,ヒンドゥー教国家復古まちがいなし,もし新憲法にその規定がなければ第三次人民運動を開始する,と怪気炎を上げた。

世界を見ると,イスラム教国70,キリスト教国40,仏教国10。とすれば,国民の81%以上がヒンドゥー教徒のネパールがヒンドゥー教国であって,どこが悪いのか? ヒンドゥー教国にすべきか否か,国民投票で決めよ。これが,タパ議長の主張である(a)。

ヒンドゥー教国復古はありえない,というのが一般の見方だが,インドではBJPが大勝し,強力モディ政権が成立した。RPPにとって,状況は以前よりはるかに有利となっている。新憲法制定が成らず,混乱が続き,情況が悪化していけば,ひょっとしてひょっとするかもしれない。

新憲法制定・公布期限まで,あと20日間!

▼カマル・タパRPP議長ツイッター掲載写真(https://twitter.com/KTnepal)
150103g150103e
150103i150103f

[参照]
(a)”RPP-N warns of third mass movement for Hindu state,” Ekantipur,2015-01-02
(b)”RPPN Chair demands Nepal be declared a Hindu State in the new constitution,” Nepalnews, 2015-01-02

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2015/01/03 at 22:22

宗教問題への「不介入」,独大使

1.独政府の宗教問題「不介入」
マイヤー独大使が12月19日,大使公邸で記者会見し,こう語ったという。

「われわれ[独政府]は,宗教の自由を支持している。しかし,改宗は個人的な事柄であり,必ずしも常に公的な問題となるわけではない。現に,われわれは改宗を勧めることは,していない。」

スパークス英大使が,制憲議会議員宛公開書簡で提案したこと(改宗の自由の憲法保障)はEU全体の考え方でもあるが,「われわれ[独政府]は,宗教については,絶対に,どのような立場も取ってはいない」。

「ドイツは,ネパールにおける宗教や連邦制の問題については,どのような立場も取らないし論評もしない。宗教と国家は別のもの,とドイツは考えている。・・・・ドイツは,求められるときのみ,支援する。われわれの希望は,ネパールの安定,繁栄,民主化である。」(“Germany Doesn’t Hold Any Position On Religion: German Envoy,” Republica,Dec 20; Cf. LEKHANATH PANDEY,”We don’t advocate religion conversion: German envoy,” Himalayan,2014-12-19)
141220b 141220a ■独大使館とHPフロントページ

2.クリスマス宣伝,独GIZ
独大使館は,このような慎重な立場を公言しているが,これはドイツがキリスト教宣伝をしていないと言うことではない。

たとえば,ドイツ国際協力公社(GIZ: Gesellshaft fur Internationale Zuzanmenarbeit)。GIZは,ドイツの政府公社であり官民協力の国際援助機関。ネパールでは1975年から援助活動をしている。

このGIZが,たとえば下記のような派手なクリスマス・バザー(独開発協力事務所前庭開催)の宣伝をしている。もちろん,これは直接的な布教活動ではないが,キリスト教文化の宣伝となることは言うまでもない。

フェアトレードグループ・ネパール,独大使館カトマンズ,GIZネパールからの
フェアトレード・クリスマスバザーへのご招待!

 141220e

3.神々の自由競争の前提条件
個人の信教の自由は,いまではネパールでも広く認められている。ヒンドゥー教徒であっても,大多数はそれには反対しないはずだ。ところが,布教活動の自由については,必ずしもそうはない。

繰り返し述べてきたように,布教の自由は,宗教以外の他の諸条件の基本的平等がなければ,実際には,「強者の布教の自由」となってしまう。神々の自由競争は,大きな貧富格差のあるところでは,富者の神の勝利となる。富者の神が優れているからというよりは,むしろ強力な富の援軍(マモン)が富者の神にはついているからだ。富者の神への「宗教外強制」。

ネパール憲法の改宗勧誘禁止規定は,一見いかにも反人権的と見えるが,ネパールにはそうした憲法規定をおかざるを得なかったもっともな事情があったこともまた,紛れもない事実である。

4.英独の文化侵略
英独は,ネパール憲法が改宗勧誘を禁止してきた事情など,百も承知だ。彼らは,わかった上で(悪意で),やっている。タチが悪い。

ドイツが,イギリスと少し違うのは,ナチス・ドイツのトラウマがあり,イギリスほど平然と二枚舌外交をやれないため。ドイツは,内政不干渉をつねに強調せざるをえないのだ。

しかし,これはドイツがドイツ流の価値観をネパールに持ち込もうとしていないということではない。ドイツは,開発援助や学術文化支援を通して,やや慎重だが,きわめて活発に,ドイツ的価値のネパールへの普及・浸透を図っている。

英独など,こうした西洋諸国の「強者の正義」の押しつけや「強者の自由」の行使が,ネパールの少なからぬ人々の神経を逆撫でし反発を招くのは,当然といわざるをえない。

【参照】改宗問題 Conversion Battle フェイスブック  ツイッター

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/12/20 at 16:58

改宗勧奨: 英国大使のクリスマス・プレゼント

クリスマス準備で浮かれるネパール国民に,スパークス英国大使が,ビッグなクリスマス・プレゼントを贈ってくれた。

1.公開書簡で改宗権保障の勧め
スパークス英国大使は,制憲議会議員宛に公開書簡を送り,これが12月10日付『リパブリカ』紙に掲載された(a)。その中で,大使は議員たちにこうアドバイスをした。

「われわれ[英国政府]は,宗教を変える権利の保障の実現のために,制憲議会議員諸氏が努力されることを期待する・・・・」

この提言は,ネパールにおいては,事実上,ヒンドゥー教からの改宗の奨励を含意する。英国大使が,制憲議会議員宛の公開書簡において,堂々と,新憲法への「改宗権」の書き込みを要請した!!

 141216b ■公開書簡

2.ネパール政府による説明要求
スパークス大使のこの提言は,ネパール側,とくに国民民主党(RPP-N)やコングレス党の反発を招いた。彼らは,コイララ首相やパンディ外相に対し,スパークス大使を呼び,抗議し,善処を求めよ,と要求した。RPP-N支持者は,すでに抗議デモさえ始めている。

ところが,張本人のスパークス大使は,クリスマス休暇(!)で帰国し,不在。仕方なく,ネパール政府は,ハリソン代理大使を呼び出した。

ネパール外務省バイラギ次官代理は,ハリソン代理大使に対し,現行ネパール暫定憲法では改宗働きかけが禁じられていることを説明した上で,ネパールの憲法はネパール国民自身が決めるのであり,この種の内政の微妙な問題についての発言は控えるように注意を促した。

3.英国大使館の釈明
これに対し,ハリソン代理大使は,公開書簡は「悪意」によるものでも,ネパール社会の「調和を乱す」ことを意図したものでもなく,ネパール国民の憲法制定を応援するためのメッセージだった,と釈明した。

さらに英国大使館は,フェイスブック(12月15日付)において,公開書簡非難は誤解によるものだとして,次のように釈明した(b)。

スパークス大使の公開書簡は,長年の友好国からの憲法制定「応援メッセージ」であり,「個人の宗教変更権の保障への言及」も国際人権規約・第18条(思想・良心及び宗教の自由)の規定に沿ったものであって,改宗「強制」を支持するものではない。大使館も館員も,特定の宗教をネパールの議員や国民に説いたり強制したりはしていない。また,世俗主義についても,大使館は特定の立場を説いてはいない。世俗国家か否かは,ネパール国民とその代表者が決めることだ。

大使館は,公開書簡が誤解を招いたことを,残念に思っている。

 141216a ■大使館FB

4.英国外交の常套手段
英国大使館は,大使公開書簡に「悪意」はなかった,非難は誤解によるものだ,と釈明しているが,老練外交大国にしてネパール熟知の英国が,そんな初歩的なヘマをやるはずがない。

英国大使が,制憲議会議員宛公開書簡で「改宗の権利」に言及すれば,たいへんな物議を醸すであろうことなど,誰にでも予想できることであり,明々白々な常識だ。

英国には,前科がある。セカール・コイララ議員(NC)によれば,1990年憲法制定時に,英国使節団は,憲法に「世俗主義」を規定するよう提案した。これに対し,KP.バタライ首相は,ネパールの憲法はネパール人が決める,英国の元首はキリスト教徒だということを忘れないでいただきたい,と反論したという(i)。英国は歴史の国であり,ほんの二十数年前のことを忘れるはずがない。

こうしたことを考え合わせるなら,スパークス大使は,十分わかった上で,つまり「悪意」をもって,「改宗の権利」に言及したと見るべきだ。

むろん,憲法への「改宗の権利」書き込みを提言すれば,たいへんな反発を呼び,非難攻撃されることも,計算の上だ。内政干渉だと非難されたら,国際人権規約を盾に取る,つまり自らのものと巧妙に仮装している建前としての普遍的価値を引き合いに出し,ねじ伏せるわけだ。

そもそも英国は,KP.バタライ首相が反論したとされるように,世俗国家ではない。英国元首(国王/女王)は,英国国教会の首長だ。それなのに,英国大使は,そんなことなどそしらぬ顔で,ネパールには「改宗の権利」や「世俗国家」を押しつけようとする。(実際には,何宗への改宗か!) 建て前と本音の見事な使い分け。英国外交の真骨頂,ここにありといったところだ。

5.英国大使からのクリスマス・プレゼント
スパークス大使は,イエス・キリストの誕生を祝うため本国に帰り,休暇を楽しんでいる。クリスマス商戦たけなわのネパールに,「改宗の権利」というビッグなクリスマス・プレゼントを残して。

 141216c ■ホテルのクリスマス(H.Shanker)

[参照]
クリスマスと布教の自由問題
世俗国家ネパールのクリスマス祭日(再掲)
「布教の自由」要求:キリスト教会
信仰の自由と強者の権利

[参照資料]
(a)Andy Sparkes, “Letter To Sabhasad-jyus,” Republica,2014-12-10
(b)UK in Nepal,Facebook,2014-12-15
(c)”Govt Summons UK Official Over ‘rights To Change Religion’,” Republica, 2014-12-16
(d)”Mahat Says Conversion Through Inducement A Crime,” Republica, 2014-12-15
(e)”Misunderstanding regretted: Embassy,” HIMALAYAN,2014-12-15
(f)LEKHANATH PANDEY,”Govt seeks clarification on Sparkes’ conversion remarks,” Himalayan,2014-12-15
(g)DAMAKANT JAYSHI,”Koirala to look into U.K. envoy’s conversion remarks,” The Hindu,2014-12-14
(h)SHIRISH B PRADHAN, “UK Envoy in Nepal Under Fire for Advocating Right to Conversion,” Outlook India, 2014-12-15
(i)”UK Envoy Under Flak For Advocacy Of Conversion, Govt prepares to seek clarification,” Republica,2014-12-14

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/12/16 at 21:22

ガディマイ祭:動物供犠と人間の業(11)

9.人道的動物愛護運動の人間至上主義
今年のガディマイ祭の動物供犠は,11月28日(主に水牛),29日(ヤギほか)に催行された。

この動物供犠については,内外の動物愛護団体が激しい反対運動を繰り広げ,インドでは最高裁に訴え,動物の不法持ち出し禁止命令を出させることに成功した。ネパール政府にも圧力をかけ,関係諸法による規制強化を約束させた。要所には治安部隊1万4千が派遣され,動物検疫所も5か所開設された。

その結果,動物供犠そのものは阻止できなかったものの,供犠水牛は前回2009年の半分以下,4~5千頭にとどまったとみられており,この点では反対運動は大きな成果を上げたと動物愛護諸団体は評価している。

一方,ネパール政府と祭り関係者は,反対運動のさらなる激化を恐れ,今年は,ジャーナリストの入域を禁止した。リパブリカ記者はカメラを警官に没収された(のち返却)。

しかし,この情報化時代,参拝者のスマホやデジカメまで禁止することは無理であり,おそらく多数撮影され,これから続々ネットに掲載されていくであろう。しかも,それらがいずれも動物供犠の「リアルさ」を競うものとなることは避けられない。

動物が殺される様は,「リアル」であればあるほど,菜食主義者は無論のこと非菜食主義者であっても,日常生活においては直視に耐えられない。この点では両者の態度は共通している。

これは動物供犠支持派には圧倒的に不利な状況。反対運動が勢いを増すのは自然な成り行きであり,このままでは,2019年の次回動物供犠は実施できない可能性大と見ざるをえない。動物愛護派の完全勝利だ。

しかし,本当にそれでよいのだろうか? 動物の不法持ち込み,供犠前後の不衛生,見世物利権化,ダリット差別など,もっともな問題点をクリアし本来の動物供犠に立ち戻ったとしても,それでも動物供犠は,それ自体が悪であり禁止されなければならないのか? 

動物供犠禁止は,他の生命の犠牲によって生きざるをえない人間が,自らの業から目を背けて生きることを糊塗するためではないのか? 「人道的(humane)」こそが「人間至上主義(humanism)」なのではないか?

[参考資料]Humane Society International FB
 ▼シンボルマーク
 141203a

 ▼12月3日記事
Thank you for taking action and donating to support our campaign against the world’s largest animal sacrifice at the Gadhimai festival in Nepal.

Because of your support, our comprehensive campaign included meeting with the president and prime minister of Nepal to directly request their intervention and lobbying the chief priest of the Gadhimai Temple through the night until just hours before the butchering started, in a last-minute attempt to stop the bloodshed.

Despite the festival proceeding, there were some positives. We were able to successfully petition the Supreme Court of India to order a halt to illegal border crossings, resulting in 114 arrests and more than 2,500 animals seized (pictured). The number of animals who reportedly died was significantly lower than in the past and, just as importantly, we built a foundation for continuing the fight.

Our commitment to prevent this bloodbath from happening again is greater than ever. We will do all we can over the next five years to put a permanent end to the massacre of animals at Gadhimai.
 141203b

[参照記事]
*Vijay Singh,”Animal sacrifice in Nepal goes on despite protests,” Times of India, 2014-11-30.
*”Mass animal sacrifice at Nepal’s Gadhimai festival sparks global condemnation,” Business Standard 2014-11-30.
*Manesh Shrestha,”Death and the goddess: The world’s biggest ritual slaughter,” CNN, 2014-12-01
*Shirish B Pradhan,”India’s ban on animal exports hits Nepal’s Gadhimai festival,” Deccan Herald, 2014-12-01,
*”Dispute flares up in Gadhimai over sacrificial remains,” Himalayan, 2014-12-01

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/12/02 at 23:01

ガディマイ祭:動物供犠と人間の業(9)

6.インド政府の対応
インドでは,様々動物愛護主義者や動物保護団体が,政府への要請やデモ,あるいは裁判所への訴えなどにより,ガディマイ祭への動物輸送を阻止しようとしている。

たとえば,モディ内閣の女性子供開発大臣マネカ・ガンディー。ネルー=ガンディー家の一員であり,動物の権利擁護運動の世界的指導者の一人。インドにおいてPeople for Animalsを創設し,またInternational Animal Rescueの後援者でもある。ガディマイ祭に対しても,新聞,ネットなどで手厳しく批判・攻撃している。ブリジット・バルドー,ジョアンナ・ラムリーと並ぶガディマイ祭反対運動の国際的代弁者。

このようにインドでガディマイ祭反対運動が盛り上がる中,高裁と最高裁が相次いでガディマイ祭への動物の輸送を禁止する注目すべき命令を下した。(報道錯綜のため,多少,不正確な部分があるかもしれない。判れば,後日訂正)

141126a ■マネカ・ガンディー(Hindustan Times, 2010-7-31)

(1)高裁判決
[1]ウッタラーカンド高裁判決,2011年12月19日
インドでは,すでに多くのヒンドゥー寺院が動物供犠を止めている。ウッタラーカンド州のブーカル・カリンカ祭でもスクラ・パクサ (शुक्ल पक्ष) でも,動物供犠はなくなった。

「わが州の人々のこのような行動を見れば,神々を喜ばせるための動物供犠は,もはや行わないという意識ができあがっていることは明白である。・・・・ この法律[動物虐待禁止法2001「動物を認可屠殺場以外で屠殺してはならない」]に定めるとおり,神々を喜ばせるための動物供犠の古い伝統があるとはいえ,屠殺場以外での動物屠殺は認められない。」

「供犠は無実の動物に耐えがたい苦痛を与える。・・・・この社会悪は規制されるべきである。」(r)

[2]ヒマーチャル・プラデーシュ高裁判決,2014年9月26日
あらゆる寺院での動物供犠を禁止。

「憲法の掲げる価値は,宗教の掲げる価値に優位する。人間の権利と同様,動物の権利についても,それを侵害するような命令や勧告を発する権利はない。

宗教の名で動物を虐待することは許されないし,もし憲法や妥当する法律に反するような指示を信者に出すなら,それは違法な行為である。憲法設置でもない団体が,法律を無視させるような指示を出すことは許されない。」(d)

141126b ■動物園授業参加のガウリ・マウレキ:2013年9月5日(PFA-Uttarakhand HP)

(2)最高裁判決
[1]違法な動物輸送防止の仮処分命令,2014年10月14日
原 告:ガウリ・マウレキ(Gauri Maulekhi),動物の権利擁護活動家(People for Animals Uttarakhand)

「ガディマイ祭の供犠動物の70%以上は,ビハール,ウッタルプラデーシュ,西ベンガルの人々が不法に国境を越え持ち込む。このような家畜の無規制越境は,インドの輸出入規則に違反している。水牛の多くは,ビハールから祭りのため連れてこられる。・・・・

動物は,運搬中の疲労,脱水,寒さ,ストレスに苦しめられる。多数の動物が集中するので,動物伝染病の発生の危険があり,もしそうなれば,家畜や経済に甚大な影響を及ぼす。疫病の流行は,公衆衛生にとっても危険だ。儀式のための屠殺は,動物に対する残酷な残虐行為である。」

仮処分命令:裁判長J.S.Khehar
「外国貿易法1992」は,無資格者の家畜輸出を禁止している。連邦政府と関係諸州(ビハール,ウッタルプラデーシュ,ウッタラーカンド,西ベンガル)は,違法な家畜輸送を防止せよ。

ネパールのガディマイ祭での供犠動物の70%は,インドから持ち込まれる。インドの動物に,そのような「恥ずべき残虐」を加えることは,認められない。(c,s,t)

[2]違法な動物輸送の防止命令,2014年11月21日
連邦と関係諸州は,国境管理を厳格化し,ネパールへの違法な動物輸送を防止せよ。[u]

(3)インド政府の対応
連邦内務省は,9月25日付通達において,ビハール州とウッタルプラデーシュ州に対し,祭り期間中,動物をネパールへ輸送することを禁止した。

2014年の祭りでは,約9万頭の水牛のネパールへの違法輸送が予想される。これを防止する対策をとること。特に11月24~29日は,警戒を強化せよ。武装国境警備隊には,すでに出動命令が出ている。以上が,通達の要旨。

この通達や他の同様の指示に基づき,ビハール州当局は,印ネ国境付近において,違法家畜輸送容疑で47人を逮捕し,271頭を没収した。没収家畜総数は,4州で2422頭。

こうしたインド政府の規制強化に対し,ガディマイ祭実行委員会のラム・チャンドラ・シャハ委員長は,こう反論している。

「これまでのそうした通達には,たいした効果はなかった。・・・・われわれが,人々に動物を連れてこいと要求しているのではない。人々が自分自身の信仰に従い,動物を連れてきて,ガディ女神に生贄として捧げているのだ。」(c,v,x,y,z)

7.ネパール政府の対応
ネパール政府は,「動物の福祉と疫病防止のための対策」はとるが,供犠の全面禁止は考えていない。これに対し,ネパール最高裁へ二つの訴えが提出された。

原 告:[1]アルジュン・クマール・アリヤル弁護士,サロジ・クマール・ニューパネ。[2]ラム・クリシュナ・バンジャラ弁護士,ギータ・プラサド・ダハール(ネパール動物福祉調査センター事務局長)

訴えの要旨:訴えの内容はいずれもほぼ同じ。ガディマイ祭の動物供犠は,「動物の健康と家畜の取り扱いに関する法律1979」の規定に反する。また,それは環境,公衆衛生,人々の心理に対し,悪影響を及ぼす。それゆえ,政府は,動物供犠を中止させる措置を執るべきである。

仮処分命令,2014年11月24日:裁判長ゴビンダ・プラサド・ウパダヤ
動物の取り扱いに関する法令は,いくつかある。「動物の健康と家畜の取り扱いに関する法律1979」,「動物屠殺・食肉検査法」,「環境保護法」など。これらの関係法令を遵守して,ガディマイ祭は実施されるべきである。(g,w,x)

141126c 141126d
 ■政府への反対請願:H.K.シュレスタ(Nepal Mountain News, 2014-11-17) / ガディマイ祭反対デモ:カトマンズ2014年10月11日(Animal Welfare Network Nepal FB)

[参考資料]
[c]Chahana Sigdel,”Gadaimai slaughter: Bihar, UP asked to check animal flow into Bara,” Ekantipur, Oct.13, 2014
[d]Rukmini Sekhar,”Gadhimai Festival: Harvest of Blood,” 05 October 2014. http://www.dailypioneer.com/sunday-edition/agenda/for-a-cause/gadhimai-festival-harvest-of-blood.html
[r]Poorva Joshipura,”Animal Sacrifice has No Place in Space-Age India,” 2014-10-17. http://www.ibtimes.co.uk/animal-sacrifice-has-no-place-space-age-india-1470505
[s]”Supreme Court issues notice to Centre, states on cattle export to Nepal,” 2014-10-14. http://www.dnaindia.com/india/report-supreme-court-issues-notice-to-centre-states-on-cattle-export-to-nepal-2026108
[t]”India apex court restricts export of animals,” ekantipur,2014-10-16
[u]”Cattle trafficking; SC asks Centre, states to keep up vigil on Indo-Nepal border,” 2014-11-21. http://zeenews.india.com/
[v]”Supreme Court of India Intervenes to Save Thousands of Animals from Nepal’s Brutal Gadhimai Festival Sacrifice,” Humane Society International-India,2014-10-20. http://www.hsi.org/world/india/news/releases/2014/10/india-supreme-court-gadhimai-ruling-102014.html
[w]”SC Orders Gadhimai Festival To Respect Existing Law,” Republica,2014-11-25
[x]”Gadhimai fair: 271 cattle seized,” Ekantipur,2014-11-21
[y]”India police seize animals bound for Nepal sacrifice,” AFP,2014-11-24. http://www.dailymail.co.uk/
[z]Manash Pratim Gohain,”India confiscates hundreds of animals at Nepal border ahead of Gadhimai festival,” The Times of India, 2014-11-20.

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/11/26 at 15:45

ガディマイ祭:動物供犠と人間の業(5)

4.ガディマイ祭反対運動
世界最大の動物供犠,ガディマイ祭に対しては,前回2009年頃から,ネパール内外で激しい反対運動が繰り広げられるようになった。

反対の論拠は,大別すると三つ。第一の論拠は,この祭がダリット差別を助長してきたというもの。第二の論拠は,動物を殺すことは,ヒンドゥー教の教えに反するというもの。そして第三の論拠は,供犠名目の動物殺戮は非人道的というもの。第二と第三の反対論には重複する部分が多いが,ここでは一応区別して議論することにする。

141118a ■ガディマイ祭反対FB

(1)ダリット差別の助長
最下層の被差別民であったダリットは,ガディマイ祭がダリット差別を助長してきたとして,この祭に反対している。

Ekantipur記事(2014-10-28)によれば,かつて供犠後の水牛は放置され,これをダリットは持ち帰ってもよいことになっていた。地域のダリット指導者マハント・ラムはこう語っている。「一般にチャマール[下注参照]は5年に一度だけ水牛の肉を食べてよいと考えられており,これが差別を助長してきた。」

このことは,前述のように,前々回(2004年度)までは,供犠後の動物は,連れてきた参拝者だけでなく他の誰でも自由に持ち帰ることができたという証言(f)もあるから,地域の長年の慣行であったと見てよいであろう。供犠動物は女神へのお供えであり,また供犠・分配後の残り物は不可触民として差別されてきた最下層ダリットへの5年に一度の施しでもあったのだ。

これに対し,供犠後の不衛生な残り物を施されるのは「差別」だと憤り,バラ郡やパルサ郡のダリット共同体は,供犠後動物拒否運動を始めた。「チャマルも社会の変化に気付き始めた」とマハント・ラムは述べている(o)。

ガディマイ祭反対運動として最も説得力があるのは,このダリット共同体の反対運動である。供犠・分配後の残り物を施すなどといった,文字通り「非人間的」で「反人権的」な差別的慣習の温存は許されるはずがない。

しかし,その一方,こうしたダリット共同体の供犠後動物拒否運動が,ガディマイ祭商業化の要因の一つともなっているのではないか,とも思われる。ダリットにタダで恵むよりも売却した方が得ということ。

もしそうであるなら,皮肉なことに,ダリットのガディマイ祭反対運動が成功すればするほど,それだけ祭が商業化・資本主義化し盛大となるのを助長する結果になってしまう。

そして,商業化すれば,今度は,巧みな宣伝に煽られ,数ヶ月分もの収入を購入費に充てるなど,無理してヤギや水牛を買い,供犠のために連れてくる多くの信心深い人々が,祭を牛耳る有力者らの食い物にされてしまうことになる(h)。たとえば,こんな話もある。

「ネパール政府はガディマイ祭に450万ルピーを援助しているが,その援助に見合うだけの効果はあるのか? 私の見る限り,利益を得ているのは,祭実行委員会と商売人だけだ。われわれの調査中,ある人がうっかり口を滑らせ,自分は祭司家族とコネがあるので駐車場入札でうまくいった,ともらした」(f)。

このように,商業化すればするほど,宗教を利用した民衆搾取は大規模となる。しかし,これは伝統的なカースト差別ではないから許される,ということにはなるまい。これは新しい形の半資本主義的な不正・腐敗であり,この観点からの批判も,ダリット差別の観点からの批判と同様,十分な根拠があり正当であるといってよいであろう。

(注)
チャマール  Chamar, widespread caste in northern India whose hereditary occupation is tanning leather; the name is derived from the Sanskrit word charmakara (“skin worker”).[….] Members of the caste are included in the officially designated Scheduled Castes (also called Dalits); because their hereditary work obliged them to handle dead animals, the Chamars were among those formerly called “untouchables.”(Encyclopadia Britannica)

ネパールのチャマール人口
141118 (Shyam Sundar Sah, AN ETHNOGRAPHY STUDY OF CHAMAR COMMUNITY: A CASE STUDY OF SIRAHA DISTRICT, March, 2008)

[参照資料]
 [f]Dilip D Souza,”The Goddess Beckons,” December 2009,Himal
 [h]”Gadhimai Festival(Animal Sacrifice) In Nepal.” http://omoewi.blogspot.jp/2013/02/gadhimai-festival-animal-sacrifice-in.html
 [o]”Dalits to boycott animal carcass,” ekantipur,2014-10-28

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/11/18 at 13:25