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世俗国家ネパールのクリスマス祭日(再掲)

以下は,2008年12月24日掲載の記事。ワードプレス移転により書式が崩れたため,再掲。掲載後3年で状況が大きく変化し,本格的な宗教紛争勃発も危惧されている。
[関連記事]
 ・神々の自由競争市場へ? 新憲法の課題
 ・死者をめぐる神仏の争い
 ・墓地紛争:キリスト教vsヒンドゥー教
 ・墓地紛争,ヒンドゥー惨敗か?
 ・キリスト教会,「宗教省」設置要求
 ・キリスト教墓地問題
 ・最高裁,パシュパティ埋葬許可命令
 ・墓地問題でハンスト抗議
 ・「布教の自由」要求:キリスト教会
 ・キリスト教墓地問題検討委員会発足
 ・首相官邸に棺桶,議会前に遺体:キリスト教会
 ・キリスト教墓地要求,ハンストへ

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世俗国家ネパールのクリスマス祭日

ネパールでは,今年からクリスマスが国民祭日(国家祭日)となった。2006年民主革命により世俗化したネパールが,なぜキリスト教の祭日を国民祭日とし,全国民にキリスト生誕を祝わせるのか? これは政教分離の原理問題であるばかりか,キリスト教と他宗教との関係をめぐる現実的な生臭い政治問題でもあり,理論的および政治的に慎重に検討し対処しないと,将来,深刻な宗教紛争に発展する恐れがある。

1.1990年革命とキリスト教
キリスト教は,1990年民主化革命以前は,厳しく規制され,民衆に布教すると,逮捕・投獄された。そのため,革命以前のキリスト教徒は,3~5万人にとどまっていた。

この状況は,90年革命で信仰の自由が認められたことにより改善され,信者数も増加し始めたが,1990年憲法は依然としてヒンズー教を国教とし,しかも布教制限規定をもっていたため,布教の自由は実際には大幅に制限されていた。たとえば,2000年10月,ノルウェー人を含む4人のクリスチャンが東ネパールで布教したとして逮捕され,国際問題になった。

(注)1990年憲法
第4条 ネパールは,・・・・ヒンズー教立憲君主国である。
第19条(1) 何人も・・・・古くから継承されてきた自分自身の宗教を信仰しかつ実践する自由を有する。ただし,何人も,他人をある宗教から別の宗教に改宗させる権利をもたない。

2.2007年暫定憲法とキリスト教
2006年革命とその成果としての2007年暫定憲法は,この状況を大きく変えることになった。暫定憲法に基づき2008年4月10日に制憲議会選挙が実施され,これにより成立した制憲議会は5月28日の初会議でヒンズー教王制を正式に廃止し,ネパールを世俗の民主共和国とした。

むろん過渡期の憲法である現行2007年暫定憲法には,1990年憲法と同じ布教制限規定がそのまま残っているが,国家が世俗化され,ビシュヌ神化身としての国王も廃止されたので,この規定の発動は実際には難しくなっている。

(注)暫定憲法
第23条(1) 何人も・・・・古くから継承されてきた自分自身の宗教を信仰しかつ実践する自由を有する。ただし,何人も,他人をある宗教から別の宗教に改宗させる権利をもたない。

マオイスト幹部のバルシャマン・プン(アナンタ)も,全ネパール・キリスト教評議会の大会に出席し,世俗国家ネパールは宗教の自由に対する制限をすべて撤廃し,「すべての宗教を平等に扱う」と語っている(Christian Century, Jul.1, 2008)。

キリスト教会は,いまようやく,念願の布教の自由を獲得しつつあるのである。

3.キリスト教徒の激増
世俗共和制の成立を,キリスト教会は布教のチャンス到来と諸手を挙げて大歓迎した。

「世俗共和制は,人民の勝利であり,宗教の自由への前兆である。」Simon Pandey, General Secrretary of the National Churces Fellowship of Nepal (Christian Century, Jul.1, 2008)

「ネパールは世俗民主制への道を歩んでおり,宗教の自由はいまや確実なものとなっている。」Plus Perumana, Vicar General of the Roman Catholic Church in Nepal (ibid)

「以前のネパールでは,クリスチャンはゴスペル(福音)を説いたというという理由で逮捕・投獄されていたという。・・・・ナラヤン・シャルマ(アジア・ゴスペル協会ネパール代表)によれば,彼自身も信仰を告白したという理由で逮捕され,地下牢のような刑務所に投獄された。・・・・ところが,以前はクリスチャンの逮捕を報道していた国営ラジオ局が,いまではゴスペル番組を流している,とシャルマは語った。」(Christian Post, Jul.14,2008)

この国家世俗化の効果は,早くもキリスト教徒の激増となって現実のものとなっている。いまでは,ネパールは「キリスト教社会の成長が世界で最も速い国の一つ」である(World Council of Churches, Sep.9, 2008)。概数であるが,いくつか数字をあげると:

<現在の信者数>
 ・100万人[Christian Century, Jul.1, 2008]
 ・80万人,6000会衆(2007.11) ← 5万人(1991年以前)[Ecumenical News International, Nov.24, 2007]
 ・70万人(2008.11) ← 3万人(15年前)[Anne Thomas, Bible Society UK, Nov.27, 2008]
 ・700万人[70万人?],1500会衆(2006.5) ← 5万人(1990年以前)[Simon Gurung, Ecumenical News International, May.8,2006]

これらの数字を見ると,1990年革命以前はほんの数万人にすぎなかったキリスト教徒が,現在では70~100万人に激増したことが分かる。

信者数100万人といえば,すでに大勢力であり,政治的にも無視し得ない力を獲得しつつあるといえる。

4.青年層のキリスト教化
では,いったい誰がキリスト教に改宗しているのか? これは容易に想像がつくように,主に青年層である。

「ネパールの教会の成長の中心を担っているのは,青年たちだ」Raju Lama, President of the United Christian Youth Fellowship in Kathmandu (Ecumenical News International, Nov.24, 2007)

たしかに,ネパール関係の教会HPを見ると,まず家族の中の若者がキリスト教に改宗し,それに激怒する親族を根気よく説得し,容認させ,そしてついには親族一同を改宗させる「美談」がいたるところで紹介されている。

教会の宣伝だからある程度割り引くとしても,大筋では,このような形でキリスト教への大改宗が進行しているのであろう。

5.下層民のキリスト教化
もう一つ,注目すべきは,教会が下層民への布教に力を入れていることである。教会自身は明らかにしていないが,数が多いのはおそらくこの層の改宗者であろう。下層庶民に先駆けて,「目覚めた」中層・上層の知識人や若者が改宗し,彼らの指導の下で下層民が大挙して改宗する。そのような流れが始まっているのだろう。

教会記事によれば,教会は食事や物品を提供し,音楽やダンスをふんだんに織り込み,下層民を教会へと誘導している。

「バイダ(1995年ヒンズーからキリスト教へ改宗)の説明によれば,教会の人々は若者たちに音楽,スポーツ,能力開発の機会を恒常的に提供している。これがネパールの青年たちをキリスト教に引きつけることになっている,と彼は語った。」(Ecumenical News International, Nov.24, 2007)

「ミャンマーの宣教師によれば,サイクロン被災後,地方の人々は,宣教師や教会ボランティアたちが食事や物品を配っているのを見て,そこに神の心を見て取った。/『仏陀は,私たちが苦しんでいるとき,何もしてくれなかった。が,皆さんのイエスは,私たちを愛してくれている』と,ある家族が語ったのを,その宣教師は記憶している。『いまでは,日曜日になると,彼らは教会に来て,主を礼拝しています』と彼はつけ加えた。」(Christian Post, Jul.14, 2008)

ネパールに行くと,知識人や政治家たちが,キリスト教会は食事・物品・教育・留学などの供与や,音楽・ダンスなどの娯楽提供で改宗を働きかけているとさかんに教会批判をするが,この批判には全く根拠がないわけではない。ネットの教会HPやユーチューブを見ると,そんな宣伝記事や映像があふれている。

それにしても,イエスは助けてくれるが,仏様は冷淡だ,などといった下品なことは,たとえそうした傾向があるにしても,言ったり報道したりすべきではない。非難している方のお里が知れるだけだ。
  

6.神々の自由競争市場
1990年の民主化がネパールに資本の自由競争市場をもたらしたとすれば,2006年の世俗化はネパールに神々の自由競争市場をもたらしたといってよいだろう。

以前は,ヒンズー教が国教であり,ヒンズーの神々は国家権力で保護されており,競争は厳しく制限されていた。ところが,世俗国家になり,そうした参入障壁が除去され,ヒンズー教の神々は仏教の仏たちやキリスト教の神と,生き残りのための自由競争をせざるをえないことになった。

これは資本主義社会における企業の自由競争と同じく,勝つも負けるも自己責任であり,その限りでは公平だといえる。

しかし,ここで注意すべきは,資本主義社会の自由競争は,実際には対等者間のフェアな競争ではあり得ないことだ。アメリカを筆頭に,資本家は国家権力に保護・支援されており(政府は資本家の総代表),自己責任をとる意思も能力もない。今回のアメリカ発世界金融危機で図らずも露見したように,市場の公平を唱え,自己責任と自由競争を世界中に強制してきた先進諸国の政府や大企業が,手のひらを返したように,国家介入による自国企業の保護・支援を強硬に要求している。節操も,恥も外聞もあったものではない。

同じことが,神々の自由競争市場についてもいえる。かつてキリスト教会は「宣教師と軍隊」と言われるように,軍隊の力を借りて非西洋世界を強引にキリスト教化していった。

また,そうした露骨な軍事的脅しがない場合でも,キリスト教会には富と科学力の後光が差していた。非西洋世界の人々は,この光背に目を奪われ,教会に近づき,そしてキリスト教化されていった。もちろん,いかに光背が輝かしかろうと見向きもしない信仰堅固な国もあれば,日本のように,おいしいエサだけ喰って,ご本尊には見向きもしない不届きな国もあるにはあったが,そうでない多くの国々はエサもろともハリを飲み込み,釣られていった。

キリスト教会が,そうした手練手管で非西洋世界をキリスト教化し,土着の多様で豊かな文化を滅亡させていった経緯を見ると,キリスト教の神の偉大よりもむしろ神の強欲・無慈悲を感じざるをえない。

ネパールは,世俗化により,神々の自由競争の時代に入ったが,以上に述べたように,神々は決して対等な条件で競争するのではない。もしネパールの人々が,ネパールの社会的・経済的条件を無視し,キリスト教世界の言うがままに神々の自由競争を認めたら,大変なことになる。

先進諸国の大企業は,強大な国家の強力な支援を得ている。そんな大企業と自由市場で競争したら,途上国の企業や労働者たちは負けるに決まっている。同じく,もし富と力と科学のケバケバしい光背付きのキリスト教会と自由競争市場で競争したら,貧弱な光背しかないネパールの神々は負けるに決まっている。

ネパールのキリスト教徒はすでに70~100万人に達している。日本が180万人程度(2000年)なので,人口比では日本よりもはるかに多い。このままだと,いずれ宗教紛争が勃発する危険性が高い。
 

7.政教分離の原則
宗教の勢力関係が急変しつつあるネパールにおいて,もっとも危惧されるのは,政治家たちが,こうした状況下で最低限必要とされる「政教分離の原則」について全くといってよいほど関心を示していないことである。

いくども指摘したように,ヤダブ大統領はヒンズー教宗教儀式に頻繁に参加している。一方,ネワング制憲議会議長は,キリスト教会の催しに出席し,祝辞を述べている(Christian Post, Jul.14,2008)。(この点,プラチャンダ首相は,管見の限りでは,いかなる宗教儀式にも首相としては出席しておらず,節を通している。やはり,勇敢であり,偉い。)

いまネパールでもっとも必要なことの一つは,政教分離の原則の確立だ。電力不足問題よりも,緊急度ははるかに高いといってよい。政教分離の原則を確立しておかないと,微妙な問題の多い宗教政策が無原則となり,大混乱を来すことになる。

信仰は個々人の内面の問題であり,ここに国家権力が介入することは,民主国家では絶対に許されない。その意味では,神々は人々の良心の前で自由競争をし,選ばれた神がその人の信仰となる。

しかし,宗教活動は社会の中で展開され,外面性を帯び,この部分については政治権力による規制を受ける。この規制をどのようにするかは,極めて難しい問題である。それぞれの社会が,その社会の実情に応じて,最適な方法と範囲をその都度具体的に決めていかざるをえない。

また,宗教の外面的活動のうち政治的・法的規制になじまない事柄については,社会が世論ないし常識(コモン・センス)による規制を行なう一方,宗教自身も信仰の本質に照らし自己規制していかなければならない。

信仰は絶対に自由だが,外面性を帯びる部分については,自由放任は許されない。自由放任は強者の利益である。政治でも経済でもそうであった。宗教が例外であるはずがない。
 

8.イエスの真実
私は,政治国家が,いずれかの宗教を国教としたり特権的に保護するのは誤りであり,民主国家では許されないことだと確信している。国家は,国民生活の外面的安全の保障に,その任務を厳しく限定すべきである。

したがって,当然,神々は人々の支持を求めて自由競争せざるをえない。ただし,その競争が真に公平な競争となるように,神々も富や力の外面的光背を外し,内面的な信仰の場で裸になって競争すべきである。

そのモデルの一つが,イエス・キリストその人である。イエスは,おそらく政治的権力も軍事的権力も経済的権力も何一つ持たない,世俗的には無力な人であったのだろう。イエスは,そのようなものは一顧だにせず,つねに貧しい人,悩み苦しんでいる人,虐げられている人と共にあり,その苦しみを共に苦しみ自らに引き受けようとし,そしてついには自分の生命までも罪深き人々のために献げてしまった。

私が理解するところでは,キリスト教の神は,人をしてイエスのこのような生き方に習うことを求める神であろう。

もしキリスト教の神がそうした神であるのであれば,たとえ他の神々が現れても,よもや富や外面的な力でそれを屈服させ排除することを人々に求めたりはしないであろう。

私はクリスチャンではないが,イエスが説き,身をもって示したこの神の真実こそが,真の平和への道であると信じている。このことは,近著(高橋・舟越編『ナガサキから平和学する』法律文化社)において,もう少し詳しく説明している。機会があれば,ご覧いただきたい。

(未完草稿)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/12/18 at 12:43

最高裁,パシュパティ埋葬許可命令

最高裁は3月18日,政府とパシュパティ地域開発トラスト(PADT)に対し,スレスマンタク森への他宗派埋葬許可を命令した。

キリスト教会の新憲法助言委員会は,政府に対し,代替墓地提供と,それまでのパシュパティの森への埋葬継続を要求している。

これに対し,世界ヒンドゥー協会(WHF)は,パシュパティはヒンドゥーの聖地であり,キリスト教会はここを墓地として使用すべきではない,と反論する。キリスト教会は自分で墓地を探すか,政府に探してもらうべきだというのだ。

18日の最高裁命令は,WHFやPADTの言い分と真っ向から対立しており,当然,ヒンドゥー側は最高裁に異議申し立てをすることになる。

これまでにも述べたように,これは、結局,死生観をめぐる争いであり,本来なら、そうしたものを政治の場に持ち出すべきではない。国家世俗化は,皮肉なことに,本来隠されてあるべき非政治的な死後の世界を不用意に暴き,生臭い生者の政治の世界に持ち出してしまった。

死者の祟りは恐ろしい。墓地使用問題を何とか政治化することなく,死後の世界を知る聖職者・聖者の知恵を持ち寄り,解消してもらいたいものだ。

* ekantipur, 2011-03-21

キリスト教会,「宗教省」設置要求
墓地紛争,ヒンドゥー惨敗か?
墓地紛争:キリスト教vsヒンドゥー教
死者をめぐる神仏の争い
神々の自由競争市場へ? 新憲法の課題

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/03/22 at 08:36

墓地紛争,ヒンドゥー惨敗か?

パシュパティの森(シャレスメンタク)の墓地紛争は,1月31日,警察の催涙弾発射,3人負傷,20数名逮捕の事態に拡大した。

パシュパティの森は,ライ,リンブー,ヤカ,スヌワルなどが墓地として使用してきた。そして,カトリックニューズ(2/1)によると,2006年国家世俗化後は,キリスト教徒も墓地として使用し始めた(もっと以前から埋葬してきたのかもしれないが,顕在化し始めたのはこの頃からであろう)。

これに対し,パシュパティ地区開発トラスト(PADT)は,この地区をヒンドゥーのものとする政府方針に従い,2010年12月から非ヒンドゥー墓地にブルトーザーをいれ,整地を始めた。ヒンドゥーの聖地パシュパティの非ヒンドゥー墓地は,世界中のヒンドゥーの心情を著しく害するからだという(PADT)。

世俗国家政府のミネンドラ・リジャル文化相は,政府方針を断固守る,と一歩も引かない構え。これに対し,キリスト教会,非ヒンドゥー諸民族が対抗し,マオイストが支援するという構図だ。

キリスト教会は,すでに各政党に圧力をかけ,墓地問題の「政治的」解決を要求し始めた。国連人権委員会でも,西洋諸国(ネパール援助国)が問題視し,介入を始めた。

これは,やっかいだ。キリスト教は一神教の普遍教会。ネパール・キリスト教会の問題は,世界のキリスト教会の問題となる。事実,ネパールメディアがいまのところ「触らぬ神にたたりなし」でやり過ごそうとしているのに対し,西洋メディアは問題を大きく伝え始めた。

勝敗は明白。このままではカネと力を持つキリスト教会の完勝,ヒンドゥーは屈辱的惨敗となる。

しかし,本当に,これでよいのか? もしもカトリックニューズが書いているように,クリスチャンのパシュパティの森埋葬(あるいはその顕在化)が2006年国家世俗化後のことなら,キリスト教会側にも反省すべき点はある。

以上は,情報不足の現時点での分析であり,誤りがあるかもしれない。宗教と政治は,取り扱い要注意,慎重の上にも慎重であらねばならぬ。新たな情報が入ったら,補足,修正をすることにする。

パシュパティの森(グーグル)

* Anil Giri, “Burial rights spark protest in Nepal,” AHN, Jan31.
* “Burial battle intensifies in Nepal,” India Talkies, Jan31.
* “Nepal Christians pressure govt for land,” cathnews.com, Jan1

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/02/01 at 12:42

カテゴリー: 宗教

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A ・ センのセキュラリズム擁護論

谷川昌幸(C)
Secularismは,「世俗主義」であり「政教分離主義」だが,先にも述べたように,南アジアでは,一般にコミュナリズム(宗教対立主義)の反対概念と受け取られている。世俗主義あるいは宗教不介入政治のニュアンスの強い西洋や日本とは,相当異なっている。
 
 この点について,面白い議論をし,南アジア型政教分離主義を擁護しているのが,A・センだ。彼は,大著『議論好きなインド人:対話と異端の歴史が紡ぐ多文化世界』(明石書店,2008)において,次のように述べている。
 
 「インドの政教分離主義の形態は,西洋の一部で政教分離主義が定義されるやり方と完全には同じではない。宗教的な多様性に対する寛容は,インドが,時代をおって挙げるなら,ヒンドゥー教徒,仏教徒,ジャイナ教徒,ユダヤ教徒,キリスト教徒,ムスリム,パールシー,シク教徒,バハーイー派などの共通の家となってきたという事実に暗黙のうちに示されている。」(p43)
 
 では,インドを諸宗教の「共通の家」とするとは,どのようなことか? 以下,彼の記述に沿って,見ていくことにしよう。
 
 
 センによれば,インドのセキュラリズム(政教分離主義)は「多様性の豊かさを良しとする断固とした姿勢」をもち,「多様性に対する寛容」の実現を目指している。それは,政治の宗教への関与禁止というよりは,むしろ諸宗教への国家の中立・公平な関与を意味している。
 
 こうした考え方は,すでにアショーカ王(紀元前268-232年頃)やアクバル大帝(1542-1605)の頃から見られた。アショーカ王は「人は,己の宗派に敬愛をささげ,他人の信条を理由なく貶めてはならない」と述べているし,アクバルも「何人も宗教を理由として干渉されてはならず,だれもが自分に好ましい宗教を選び取ることが許されるべきである」と述べている。
 
 こうした観点からすると,かつてのフランスのように,セキュラリズムを根拠にスカーフ着用を禁止することは出来ない。個人がどの宗教をもち何を着用しようと,セキュラリズムそれ自体では,それを禁止できないのである。
 
 インドのセキュラリズムは,国家の宗教関与禁止ではない。国家は宗教に積極的に関与しても,中立・公平でさえあればよい。
 
 「一つの宗教集団の信仰の権利を保護し,それ以外を保護しないといった,不均衡な関与でないかぎり,宗教的自由のために国家が熱心に活動することは,政教分離主義原則の侵犯ではない。」(p489)
 
 
 しかし,このインド型セキュラリズムに対しては,当然,様々な批判がある。センは,そのそれぞれに対し次のように批判し,インド型セキュラリズムを擁護していく。
 
 (1)「非存在」批判
 これは,インドには実質的にはセキュラリズムなどなく,現実にあるのは「ヒンドゥーのインド」「ムスリムのパキスタン」にすぎない,という批判。
 
 センによれば,たしかにこれはある程度事実だが,だからといってセキュラリズムが無意味であるわけでも,否定してよいというわけでもない。インド独立のとき,パキスタンはイスラム共和国となり,インドはセキュラリズム(政教分離主義)を採った。この違いは,やはり決定的に大きい。
 
 パキスタンでは,イスラム教冒瀆罪があり,国家元首はムスリムでなければならない。これに対し,インドはセキュラリズムの憲法をもち,パキスタンのような冒瀆罪はないし,非ヒンドゥー教徒も多数国家要職に就いてきた。セキュラリズムは機能してきたのだ。
 
 この「非存在」批判は,インド・セキュラリズムは不完全だから,もっとその目標に向かって努力せよ,という意味に理解すべきだ。また,諸宗教に対する国家の中立も,具体的にどうすべきかは,明確ではない。この点についても,もっと政策的に明確にせよ,という要求として理解すべきだ。
 
 たとえば,センは冒瀆罪について,こう問いかけている。(A)すべての宗教を対象に冒瀆罪を適用するのも,(B)どの宗教に対しても冒瀆罪を適用しないのも,どちらも宗教に対する国家の態度としては平等だ。では,国家はどちらの態度を選ぶべきか?
 
 Aをとれば,国家はどの宗教についても,他からの攻撃からその宗教を守ることが出来るが,その反面,もしその宗教が不寛容や人権侵害をしている場合,国家はそれを守ってしまうことになる。これに対し,Bをとれば,宗教は他から攻撃されても,国家から守ってもらえないことになる。
 
 さらに,インドのように多くの宗教があると,冒瀆罪の普遍的適用は実際には無理だ。 結局,インドは,AとBの間のどこかを選択せざるをえないことになる。
 
 (2)「えこひいき」批判
 これは,セキュラリズムは,結局は,マイノリティとしてのムスリムを優遇するものにすぎない,という批判。たとえば,一夫多妻について,ヒンドゥーは処罰されるのに,ムスリムはイスラム法により許されてしまう。ムスリムだけに彼らの家族法や「特権」が認められるのは,「えこひいき」だ,ということである。
 
 しかし,センによれば,ヒンドゥーは「ヒンドゥー家族法」をもつのであり,ムスリムが「ムスリム家族法」をもったとしても,差別にはならない。この場合,差別があるとすれば,それは女性に対する差別だ。一夫多妻禁止は,独立後,インド人自身がヒンドゥー法改正(1955,56)により実現したことだ。
 
 インドでは,アンベードカルらが「民法・刑法の基本的統一」を求めたが,憲法では結局,「国家政策の指導原則」の中で,「国家は国民に対してインドの領土全域にわたる統一民法典を確立する努力を払わねばならない」と謳ったにすぎない。
 
 これは難しいところだ。センもこういっている。
 
 「不均衡な取り扱いという一般的な問題は,たしかに重要であり,あらゆる集団に属する個人にひとしく適用される一連の統一民法典を作成する努力には,何ら非政教分離主義的なものはない。他方で,この篇ですでに論じたように,政教分離主義の原則は,異なる宗教集団が均衡をもって取り扱われるかぎりは,集団ごとに異なる民法が将来にわたって維持される状態をも容認するのである。後者の選択肢への反論としては,正義への配慮をもちだすこともできよう。つまり,たんに異なる宗教集団間の取り扱いにおける均衡だけでなく,宗教以外の分類上の差異,たとえば,異なる階級間,女性と男性間,貧者と富者間,「エリート」と「下層民衆」間で適用される公正さにも,均衡が要求されるべきであるとするのである。」(p503-4)
 
 「私たちは,(1)異なる宗教集団間の均衡の必要性(政教分離主義的配慮の一つ)と、(2)均衡がいかなる形態をとるかの問題,つまり正義の諸原理によって補強されねばならない課題とを,とりわけ厳密に区別せねばならない。そしてこれらの原理はさらに政教分離主義を大きく超えて,一方で宗教集団の自律性に与えられる重要性へ,他方では階級やジェンダーなど,非宗教的範疇によって分類されるインド人の異なる集団間の公平性という,二つの避けがたい問題へと私たちを導くのである。」(p504)
 
 (3)「先行するアイデンティティ」批判
 ヒンドゥー・アイデンティティは,「インド国民」よりも政治的に先行するから,セキュラリズムは誤りだとする批判。あるいは,様々な文化があるにせよ,坩堝ではヒンドゥー的観点からそれらは融合される,あるいはインドの統一はヒンドゥーの「接合力」によらざるをえない,という批判である(p492)。
 
 この批判には,事実で反論できる。パキスタン・イスラム共和国の建国の父ジンナーは,必ずしも敬虔なムスリムではなかった。逆に,ガンディーは,個人生活では極めて宗教的であったが,政治においては強力に政教分離を主張した。このように,宗教アイデンティティが必ずしも「国民」に直結するわけでも先行するわけでもない(p505-6)。
 
 インドには,ヒンドゥー教以外にも,決して無視できない古い伝統をもつ大きな宗教集団が多数存在する。だから――
 
 「インドとインド人の多様性を前提とするならば,何らかの基本的均衡と,国家と特定宗教との効果的分離を確実にする以外に,真の政治的選択は存在しない」(p509)。
 
 ヒンドゥーは,語源的にはもともとインダス河に由来し,この地方の人々のことだった。だから「ヒンドゥー・ムスリム」「ヒンドゥー・クリスチャン」といった表現もよく使われていた(p510)。ヒンドゥーは多様なものなのだ。
 
 「調和と寛容による共生は,ヒンドゥー教徒のほかに,ムスリム,キリスト教徒,ジャイナ教徒,仏教徒,パールシー,ユダヤ教徒,そして何らの宗教をももたぬ人々までもふくむ社会についても妥当するのである。」(p512)
 
 (4)「ムスリム分離主義」批判
 ムスリムはインドに忠誠ではない,という批判。これについては,根拠はない。インドのムスリムは,国家への忠誠の点では,ヒンドゥーと何ら変わらない。
 
 (5)「近代主義」批判
 セキュラリズムは近代主義であり,この近代主義こそが伝統的寛容を否定し,宗教対立を激化させたとする批判。A・ナンディはこういっている。
 
 「インドが近代化するにつれて,宗教的暴力は増大している」(p515)
 「政教分離主義のイデオロギーを容認することは,支配のあらたな正当化としての進歩と近代性のイデオロギーを容認し,大衆へのあらたな阿片としてのイデオロギーを確立し維持するための暴力を容認することである」(p516-7)。
 
 しかし,このような近代主義批判は,本当に妥当だろうか? センによれば,たしかに近代国民国家にはそうした側面があるが,長期的に見て(たとえば1940年代と現在とを比較して)近代性の前進が暴力の増大を招いたとはいえないし,インドの政教分離主義は,すでに近代以前のアショーカやアクバルにも見られた考え方であり,もともと諸宗教集団の公平な扱いを求めるものであって,それがより多くの暴力を引き起こすとは考えられないという。
 
 (6)「文化論的」批判
 インドは文化的に「ヒンドゥー教徒の国家」だという批判。しかし,ヒンドゥーを認めることがどうして他宗教の否定となるのか。インドは,イスラムなど多くの文化との交流,結合により成立している。インドの文化や芸術を,ヒンドゥーとムスリムに二分することなど出来ない。
 
 またインドにはヒンドゥー教以外の,非宗教的な文化や伝統もある。この「文化論的」批判は,それらを無視してしまうことになる。
 
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以上のように,A・センは,セキュラリズム(政教分離主義)批判を詳しく検討し,一つずつ反駁し,その弁護につとめている。議論はかなり錯綜し,必ずしも明快とはいえないが,次のような結論は妥当なものといえるだろう。
 
 「近時,ふんだんにまき散らされている反政教分離主義への誘惑に抵抗するには十分納得できる理由がある。私たちの忍苦の冬は,いまのところ,『光溢れる夏』に道を譲るとは思えないが,政教分離主義の政治的放棄は,インドを今より一層寒々としたものと化すことだろう。」(p522)
 
 セキュラリズムについては,たしかに評価が分かれている。ポストモダンの立場からは,A・ナンディのように,まさに近代原理としてのセキュラリズムこそがコミュナル・アイデンティティを明確化させ,宗教対立を激化させる,という批判がなされる。
 
 ネパールについてみると,1990年の民主化以降,ネパール政府は科学的「人口調査」(1991)をやり,それに基づいて諸集団を明確に区分し,アイデンティティを付与し,集団の権利を与え,包摂民主主義的な統治を始めた。逆にいえば,諸集団は,国家から付与されたアイデンティティに従って集団再確認・再形成をし,それに依拠して権利主張し,相互の対立を激化させてきた。大きく見ると,結局,ネパールの社会諸集団は,近代性原理の掌の上で踊らされている,ともいえる。
 
 それはそうだが,しかし,血相を変え拳を振り上げ権利要求しているマデシや被抑圧諸集団に対し,あなたたちのアイデンティティは,あなたたちが攻撃しているそのネパール近代国家が創ったものですよ,といってみても,それでどうなるものでもない。眼前に近代国家があり,いまさら「伝統的生活の寛容」に戻ることは不可能だ。ネパールの人々も,近代性の禁断の木の実を食べてしまったのであり,であれば,近代的セキュラリズムを踏まえた政治と宗教の関係づけを探っていくより仕方ない。
 
A・センのセキュラリズム(政教分離主義)論は,近代性原理とポストモダン的議論をともに踏まえたものであり,それだけにわかりにくいところもあるが,インドやネパールにおいて政治と宗教の関係を考えるには,このようなスタンスをとるのがもっとも現実的といってよいであろう。