ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

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プラチャンダ訪印と憲法改正問題

プラチャンダ首相が9月15-18日,インドを訪問した。初の外国公式訪問。訪印中の両国会談では,経済協力や防衛治安協力も取り上げられたが,注目されたのは,やはり憲法改正問題。

モディ首相:「首相閣下の賢明な指導の下,包摂的対話を通して多様な社会のすべての人々の要望を受け止め,憲法をうまく施行されていくに違いないと,私は確信しています。」(*1)

プラチャンダ首相:「ネパール国民選出の制憲議会による昨年の憲法公布は,歴史的な成果であった。わが政府は,すべての人々の参加をえてネパール憲法を施行していく真摯な努力を続けてきた。/タルー,マデシ,ジャナジャーティのことを真剣に考え彼らの正当な要求に応えなければ,新憲法施行の環境は整わない。/民族,言語,カースト,階級に違いはあっても,ネパールの国家と国民を統一していかなければならない。/もし人々を統一できなければ,政治危機が拡大するだろう。」(*1,4)

これらネ印両国首相の発言を見る限り,ネパール憲法については,評価がほぼ一致しているように見える。しかも,インド側は,慎重に,こう念押しさえしている。

V・スワラップ印外務省報道官「憲法制定はネパールの国内問題だ。われわれは,そこに介入したことは決してない。何が最善かを決めるのは,ネパール国民である。」(*4)

しかし,非公式の場では,マデシの要求する憲法改正をめぐり,かなり突っ込んだ議論があったといわれている。ネパール側が印政府に対しネパール憲法「歓迎」の表明を求めたのに対し,印政府はこれを拒否したとも伝えられている。もしそれが事実なら,憲法改正が依然としてネ印間の懸案として残っているということになる。(*5)

そうした中,ネパールでは憲法記念日(9月20日)が祝われたが,報道を見る限り,あまり盛り上がらなかったようだ。国家構成の基本たる憲法について評価が鋭く分裂している現状は,政治的に健全な状態とは到底いえないであろう。

160924■在印ネ大使館HP

*1 KALLOL BHATTACHARJEE, “Nepal constitution, a historic achievement: Prachanda,” The Hindu, September 17, 2016
*2 Shubhajit Roy, “Involve all in implementing Constitution, India tells Nepal,” The Indian Express, September 17, 2016
*3 NAYANIMA BASU, “Nepal’s Constitution amendments dominate Modi, Prachanda talks,” The Hindu Businessline, Sep 16, 2016
*4 “Never Been Prescriptive In Nepal’s Constitution Making: India,” NDTV, September 16, 2016
*5 Ram Khatry, “Report claims PM Narendra Modi refused to “welcome” Nepal constitution,” southasia.com, 17 September 2016

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/09/24 at 16:22

ナショナリスト親中派オリ首相の辞任

オリ首相(UML)が7月24日,辞任した。オリ政権は,第2党のUMLと第3党のマオイストを主軸とする連立政権だったが,マオイストが政権離脱し,議会少数派に転落したため,不信任案採決の直前に自ら辞表を大統領に提出し,辞任したのである。2015年10月発足から9か月余の短期政権であった。

それでは,マオイストはなぜ連立を離脱し,オリ首相不信任に回ったのか? いくつか理由は考えられるが,最大の直接的理由は,おそらくUML・マオイスト「9項目合意」(5月5日)のオリ首相による実行が期待できなくなったことだろう。

「9項目合意」では,マオイストに当事者の多い人民戦争関係訴訟を終わらせることがうたわれ,またそれと同時に予算成立後のプラチャンダへの政権禅譲の密約もあったとされている。ところが,人民戦争期の加害者への免罪や不動産移転の追認には被害者の反対が強く,また政権禅譲密約も反故にされそうな雲行きであった。そこでプラチャンダは,オリ首相を見限り政権離脱,第1党のNCと組み,自ら内閣不信任案を議会に提出したのである。

むろん,それだけではない。オリ首相の政権運営については,強権的ナショナリズムとの批判が高まっていた。マデシの憲法改正要求闘争を力で抑え込み,政府批判のブログ投稿者やデモ「参加者(見学者?)」(いずれも外国人)を逮捕した。さらに著名な知識人カナク・デクジト氏も別件逮捕され,一時,生命の危機に陥りさえした。

このような強権的ナショナリズムは,人民戦争を経て獲得された諸民族・諸共同体参加の包摂民主主義を危うくするもの,かつての一元的中央集権国家へ後戻りするものとみられるようになった。

そして,ネパールでナショナリズムに傾けば,歴史が物語るように,地政学的力学により反インド・親中国となる。オリ首相も,ナショナリズムに傾けば傾くほど,反印となった。マデシの反政府闘争,特に国境封鎖闘争をインドが支援しているとみなし,インドの内政干渉を非難し,駐印大使の召還や,大統領訪印の直前中止さえ断行した。

これとは対照的に,中国との関係は一気に前進した。オリ首相の3月訪中の際の「共同声明」では,中国側は「2015年憲法」制定を歓迎し,
 ・石油類供給
 ・中ネ間道路・鉄道建設
 ・国境経済ゾーン開設
 ・治安機関強化支援
などを約束した。オリ首相は,インドに代わり得る交通交易路を確保したと,その対中外交の成果を誇示したのである。

中国側も,オリ首相を大っぴらに支援してきた。在ネ中国政府筋がネパールの有力者たちにオリ首相支持を働きかけたし,中国系メディアもオリ首相を称える記事をつぎつぎと掲載した。たとえば,辞任後の記事ではあるが,インドのBusiness Standard(29 Jul)は中国のGlobal Timesが次のように伝えた,と報道している。

オリ首相は,「1990年代以降,最大のネパール首相」であった。「ネパールは,近代国家になった1956年以降,インドに全面的に依存してきたが,オリ首相はこの依存をほぼ完全に打破した。」「国境封鎖すれば,ネパールは窒息しすぐ降参するとインドは信じてきたが,オリ首相はこの状況を覆したのである。」

インドが,こうした親中派オリ政権を快く思わず,さまざまな形でNCやマオイストに働きかけ,親印派政権に置き換えようとしてきたことは,まず間違いないであろう。

次のNC=マオイスト連立政権の首相と目されているプラチャンダも,最大の懸案であるマデシ問題について,憲法を改正し,マデシ(とインド)の要求に応えたいと語っている。プラチャンダは,中国とのこれまでの約束を守り友好関係を促進するとも語っているが,次のプラチャンダ政権が対中印関係をこれまでよりインド寄りに修正する,と見るのが一般的である。

160731a 160731b
 ■オリ前首相(UML:HP)/プラチャンダCPN-MC議長(同党HP)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/07/31 at 19:53

英国人画家,デモ参加容疑で逮捕(5)

マーティン・トラバース氏は,体制プロパガンダ画家ではなく,住民の側に立とうとする壁画芸術家の一人である。体制に抑圧され,周縁に追いやられている人々の苦しみや怒り,そして闘いを通して見えてくる希望を壁画に描きこもうとする。彼の壁画が「政治的」となるのは当然といえよう。

このことは,トラバース氏のIgnite South Asia(April 3, 2014[?])のインタビュー「文化を搾取させるな」(*1)を見ると,よくわかる。Ignite South Asiaは,被抑圧人民の開放を唱える「過激な」組織であり,ホームページにはかつてのプラチャンダ氏など,「過激派」の面々の写真やインタビューが満載されている。では,そのインタビューで,トラバース氏は,何を語っているのだろうか?

「文化を搾取させるな:マーティン・トラバース」(*1)
(1)「新たな夜明け」について
この壁画は,先述のように,サンフランシスコ市街に描かれている。米国議会図書館も写真を所蔵し公開。トラバース氏は,こう語っている。

「ネパールで起こっていること[人民戦争]は,世界の人々にとって様々な点で希望の光であると思います。社会の底辺の人々が鎖を切り権力をとることがどのようにして可能になったのかを見ること――これが,そのころ(2000-2003年),この壁画を描いた主な動機です。」

160521■「新たな夜明け」(米議会図書館HP)

(2)ポカラ壁画について
このポカラ壁画は,トラバース氏が初めて訪ネした2012年3月の「女性の日」に描かれた。「ネパール闘争における女性の役割の重要性――それを訴えるため,何かをしたかったのです。」

160521e■ポカラ壁画(Ignite South Asia)

(3)「鎖を断ち切れ」について
「鎖を断ち切れ」は2012年4月,カトマンズの川沿いの建物の壁に描かれた。この壁画について,トラバース氏はこう説明している。

「壁画を描いていると,スラムの人々がお茶を持ってきてくれた。われわれと一つになったのだ。革命芸術運動(Revolutionary Art Movement)のメンバーと協力して描いていると,地域住民と容易に結びつくことが出来ます。」

160521f■「鎖を断ち切れ」(Ignite South Asia)

(4)芸術を人民の手に
トラバース氏は,芸術と人民解放闘争との関係について,次のようにまとめている。

「人々が壁画を好きになり描くのは,すばらしいことです。が,[それだけでは]社会の底辺で闘っている人々を描くという方向性が欠けている。先に述べたように,壁画は,そうした闘いを描くべきです。私にとって,壁画はそうしたものです。これは極めて大切なことだと思います。」

「特にネパールの歴史においては,人民戦争,すなわち貧しい人民の蜂起の精神を生かし続けるべきです。それには,壁画は良い手段です。われわれの文化を特定の人々に奪われ自分のものにされてしまうことを許してはなりません。」

「ネパールのような闘争があるところでは,闘っている人々の側が訴えようとしていることを描くことが大切です。壁画を描き始める前に,人々が何を語り,なんのために闘っているかを見極め,人々とつながり,ともに座り,顔を見合わせ,そして話を交わすべきです。人々が語ることの奥底にある思いをつかむべきです。そうしないなら,芸術は無意味となり,語りかける声をもつことはないでしょう。」

「さらに,進歩的な人々は,貧困地域の人々に芸術家になってもらうべきです。壁画を描き,芸術に参加する。世界中の芸術運動を見てもらい,人々が芸術を自分たちのものと考え,意見表明のためにその芸術をどのように使っているかを知ってもらう。公開壁画は,まさにそれです。声をあげ,聞かせよう。さもなければ,壁という壁が,広告と掲示,上中流階級芸術の声で埋め尽くされることになってしまいます。」

――以上のように,Ignite South Asiaインタビューのトラバース氏は,極めて雄弁であり,彼の壁画が周縁化され虐げられている人々の声を視覚化し代弁していることをはっきり認めている。いや,そればかりか,かれは地域住民に働きかけ,人民による人民のための壁画制作運動に参加させようとしているのだ。トラバース氏は,ネパールの被抑圧社会諸集団のことを熟知しているとみてよいだろう。

もしそうなら,そしてもし15日逮捕されたトラバース氏がこのトラバース氏なら,15日のシンハダルバール闘争のことは何も知らなかったという各紙報道,とりわけリパブリカ紙の報道は,極めて不自然,不可解と言わざるをえないであろう。

*1 “Let’s not let certain people take our culture and turn it into theirs: Martin Travers,” Ignite South Asia, April 3, 2014[?]

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/05/21 at 12:25

カテゴリー: 社会, 文化, 民主主義, 人権

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英国人画家,デモ参加容疑で逮捕(3)

英国人画家トラバース氏逮捕・釈放報道が,極めて不自然であり,とうてい信じがたいのは,トラバース氏がネパールに相当深くコミットし,ネパール事情によく通じている,と思われるからだ。彼の逮捕は,狙い撃ちではなかったか? もう一度,5月17日付リパブリカ紙「英国人釈放,座り込み『政治的参加』ではなかった」(*1)の要点を見てみよう。

「『音楽演奏の写真を撮った後,抵抗運動をしている人々の何人かに引き入れられ,彼ら多数の間に座らされ,頭にはバンダナ[ハチマキ]を巻きつけられた』と,彼は,その時の出来事を振り返りつつ,笑顔で語った。[頭の]バンダナに何が書かれているかさえ知らなかった,と彼は付け加えた。トラバースは,これまでこのようなイベントに参加したことは決してないし,今回の抗議の目的も知らなかった,と語った。」

そして,記事はこう続く。

「彼はこう語った。『私だけでなく,他国を訪れる旅行者はすべて,どのようなプログラムであれ,それに参加するのであれば,そのプログラムの趣旨を理解しておくべきだ』と。」

手の内モロ見え! 記事はでっち上げなのか? それとも,トラバース氏が,すべてわかったうえで,求められるがままに供述し,また記者に語ったのだろうか?

トラバース「新たな夜明け」(2000-03頃)
160519c
■トラバース氏が人民戦争に共感し制作(Ignite)。所在サンフランシスコ(Library of Congress)

*1 KAMAL PARIYAR, “BRITON NOT ‘POLITICALLY INVOLVED’ IN SIT-IN, RELEASED,” Republica, 17 May 2016

Written by Tanigawa

2016/05/19 at 10:49

英国人画家,デモ参加容疑で逮捕(2)

釈放
政治活動容疑で逮捕された英国人画家マーティン・トラバース氏(41歳)が,16日午後,釈放された。「取り調べの結果,政治活動をしていないことがはっきりしたので,この旅行者を英国大使館に引き渡した」(カトマンズ警察DSPプラジト・KC)。(*1)

15日逮捕時の状況
(1)トラバース氏の説明
リパブリカ紙(*1)によれば,トラバース氏は次のように説明した。15日,ダルバールマルグからパタンに行こうとしていたら音楽が聞こえたので,行ってみた。「そこで演奏をしている写真を撮っていると,ピケ隊の何人かに引き入れられ,座らされ,頭にバンダナ(ハチマキ?)をつけられた。」そのバンダナに何が書いてあるかは,まったく知らなかった。

これまで,この種の活動に参加したことはないし,この日の抗議行動の目的も知らなかった。ネパールには震災救援のために来たのであり,政治活動はしていない。「私だけでなく,旅行者はだれでも,催事に参加するのなら,その意味を理解しておくべきだ。」(*1)

(2)内務省の説明
AP記事(*2)によれば,トラバース氏は,「われらのアイデンティティを認めよ」とシュプレヒコールを上げているデモ隊のメンバーと同じ赤のハチマキをしていた。警察は,その写真を撮り,トラバース氏を逮捕した。またリパブリカ紙は,こう書いている。「治安当局は,写真や他の画像[ビデオなど?]を使い,旅行者の政治活動を監視しており,もし参加がわかれば,厳しい措置をとる,と内務省は述べている。」(*1)

不可解な説明
これらの説明は,トラバース氏の側のものも治安当局の側のものも,実に不可解だ。トラバース氏が,マデシ・ジャナジャーティ同盟の抗議活動のことを何も知らなかったとは全く信じられないし,写真など証拠をもつ警察が逮捕後あっさりと「無実」が証明されたと説明するのも変な話だ。

監視社会ネパール
これまで幾度も指摘してきたように,ネパール,とくにカトマンズは,いまでは世界有数の監視社会となっている(*4,5)。街中いたるところに監視カメラがあり,ちゃんと作動している。デモやピケなど,あらゆる出来事が,一部始終,カメラで監視されているはずだ。

トラバース氏の行動も,治安当局は,はっきり見ていたに違いない。そのうえで逮捕して一日勾留,翌日,呼び出しに応じるという条件を付けたうえで,「政治活動とは知らなかった」ということにして,英国大使館に身柄を引き渡した。

このような逮捕・勾留・釈放に関するメディア報道は極めて不自然だが,それだけに,かえってそこに込められているメッセージははっきりしている。すなわち,ネパール治安当局は外国人の行動を監視しており,いつでも逮捕できるということを,メディアを通して外国人に知らしめるということである。

 160518■外国人らしき人も多数みられる(Madhesi Youth FB, 17 May)

*1 KAMAL PARIYAR, “BRITON NOT ‘POLITICALLY INVOLVED’ IN SIT-IN, RELEASED,” Republica, 17 May 2016
*2 “Detention of Briton sparks concerns over Nepal’s democracy,” AP=Himalayan, May 17, 2016
*3 “Briton detained in Nepal released after anti-government protest arrest,” Belfast Telegraph, 17/05/2016
*4 監視カメラ設置,先進国ネパールから学ぶな
*5 前近代的共同体監視社会から超近代的カメラ監視社会へ

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/05/18 at 13:50

大統領訪印中止と駐印大使召還

オリ政府が5月6日、バンダリ大統領の訪印中止とDK・ウパダヤ駐印大使の召還を決めた。再び印ネ関係が緊迫化しそうな雲行きだ。

ウパダヤ駐印大使は、コングレス幹部出身であり、スシル・コイララ内閣が2015年4月指名した。各紙報道によれば、ウ大使召還の理由は、政府は否定しているが、次のようなものである。
・オリ内閣打倒に加担
・R・ライ駐ネ大使とマデシュ諸郡訪問を密議
・オリ首相訪印時に非協力的
・大統領訪印中止に反対

ヒンドゥースタン・タイムズ(※1-3)は、より明確に、次のように説明している。最近、コングレスがマオイスト(UCPN-M)に働きかけ、オリ内閣にかえ、プラチャンダを首相とするNC-UCPN連立内閣を樹立することを図ったが、マオイストは5月5日、結局、UMLとの連立継続を選択、倒閣は失敗した。

ヒンドゥースタン・タイムズによれば、この倒閣の動きの背後にインドがいたといわれている。むろん印政府筋はこれを否定し、「国内の混乱の原因を外部に転嫁し非難する」試みだ、と反論している。

また、連立継続のためUMLがマオイストと5月5日に取り交わした合意文書には、人民戦争中の事件につきマオイストを訴追しないという項目があるという。これが事実だとするなら、唐突な倒閣の動きをマオイストがうまく利用し、人民戦争中の行為に対する免責の約束を取り付けたことになる。マオイストにとっては、大きな成果だ。

ヒンドゥースタン・タイムズによれば、インド政府筋は、今回のオリ政権の動きを、タライの反憲法闘争を無視して「ウルトラ・ナショナリズム」を扇動するものとみており、そうしたネパールの国内紛争に引き込まれることを警戒しているという。

今回の唐突な倒閣劇の黒幕がインド政府か否かは、判然としない。が、大統領訪印が中止され、駐印大使が召還されたことは、まぎれもない事実である。ネパール・ナショナリズムが刺激され、対印感情が硬化することは避けられないだろう。

[参照]
※1 “Attempt to topple govt reason for Nepal recalling its envoy to India”, Hindustan Times, May 7.
※2 “Nepal’s sudden change in plans suggests bad blood with India,” Ibid, May 7.
※3 “Nepal cancels president’s visit to India, recalls ambassador,” Ibid, May 6.

©谷川昌幸

Written by Tanigawa

2016/05/08 at 11:46

欧印共同声明の釈明おおわらわ,駐ネEU大使

R・ティーリンク駐ネEU大使が4月5日,カマル・タパ副首相兼外相と会談し,先日の欧印首脳会談共同声明につき,釈明にこれ努めた。

1.ネパールの抗議とEU大使の釈明
新聞報道によれば,タパ外相はこう抗議した。――ネパール憲法が欧印首脳会談でなぜ取り上げられたのか? EUはネパール憲法の評価を変えたのか? 問題があっても,ネパールは自力で解決できる。内政干渉は認めない。

また,ネパール外務省もつぎのような声明を出した。インドとEUは「ネパールの主権を尊重し,・・・・無用な声明を出すことは控えるべきだ。・・・・[声明は]内政不干渉の基本原則[に反し],国連憲章と国際法規範を侵害している。」(Nepali Times, 3 Apr)

これに対し,ティーリンクEU大使は,半時間にわたり釈明した。その要旨は,大使フェイスブックによれば,次の通り。「EUはつねにネパールの平和構築を強く支持し,憲法を歴史的成果として歓迎してきた。この立場に変わりなない。」

かなり苦しい言い訳だ。人民戦争中ならいざ知らず,ネパールはすでに平時,新憲法は制憲議会において平和的かつ民主的に制定された。それなのに,欧印が外からネパール憲法に対し注文を付けた。明白な内政干渉。訪ネ中の独議員団(4人)ですら,共同声明は「不適切だ」と語ったという。

 160406a ■EU大使FB(4月5日)

2.EUの介入慣れとインドの外交力
それにしても,なぜEUは,こんな余計なことをしてしまったのだろうか? その理由の一つとして考えられるのは,EUないし西洋諸国の無際限とも思える対ネ介入が日常化し,この程度のことが問題になるとは思いもよらなかったのではないか,ということ。いつもの善意のネパール支援の一環。

もう一つは,やはりインドの外交力。新憲法については,インド国境沿いのマデシの人々が,自分たちの権利が十分に認められていないとして激しい反対闘争を繰り広げ,これを陰に陽にインド政府が支援してきた。インドは,マデシの要求に沿うようネパール憲法は改正されるべきだと考えてきた。その立場から,インドは欧印首脳会談の場にネパール憲法問題を持ち出し,共同声明にそれを書き込むようEU側を説得し,それに成功したということであろう(Nepali Times, 3 Apr)。さすが,外交のインド!

[補足]マデシは欧印共同声明を歓迎。
スレシュ・マンダル(タライ・マデシ民主党):「共同声明に対する抗議は不要だった。・・・・われわれに対する不正義について国際社会が声を上げるのは当然である。」(Nepali Times, 3 Apr)
R・ライ(タライ・マデシ・サドバーバナ党):「これこそ,周縁化された社会諸集団に対する差別を国際社会は容認しえない,ということの証である。」(同上)

3.ネパール関与の難しさ
このように見てくると,欧印側にも,ネパール側にも,それぞれそれなりの言い分があることが分かる。

そもそもネパールは,低開発問題や人民戦争を自力では解決できず,国際社会の支援を求め続けてきた。国際社会は,ネパール側の要請を受け,経済的にも人的にも大きな負担を引き受けてきた。憲法制定も,ネパール側が要請し,国際社会がそれにこたえ,支援し続けて来たことである。

ネパールの主要諸政党は,その国際社会の全面的支援を受け,2015年9月,新憲法を制定公布した。ところが,その憲法は,国際社会,とくに西欧諸国やインドにとっては,マデシや他の周縁的諸集団を十分には包摂しておらず,不十分なものであった。そこでインドとEUは,彼らが支援してきた憲法制定をそもそもの目標通り包摂的なものにするよう,共同声明で要請した。印欧からすれば,至極当然の要請であったわけだ。

ところが,オリ政権にとっては,新憲法は自分たちが成立させたものであり,自分たちにとってはこれで十分なものであった。そこで,「欧印共同声明」でのネパール憲法言及を内政干渉として激しく非難し,拒否することになったのである。

こうした政権の都合による支援要請と,一転してのその拒否は,ネパールでは決して珍しいことではない。最も極端な例は,人民戦争解決のため要請され介入したUNMIN(国連ネパール政治ミッション)。UNMINの本格展開で人民戦争の終結のめどがほぼ着いた最終局面で,ネパール政府は突如,UNMINを「無能」と非難して追い出し,時の政府に都合のよい戦後体制をつくった。「それはないよな。お気の毒なUNMIN」と同情しきりだった。(参照:ネパール派兵、7月末まで延長

ことそれほどまでに,ネパールへの関与は難しい。逆に言えば,インドと中国に挟まれ地政学的に難しい状況の下で曲がりなりにも独立を維持し続けてきたネパールは,島国の日本では想像もできないほど,したたかな国だ,ということでもあろう。

谷川昌幸(C)

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2016/04/06 at 15:26

カテゴリー: インド, 外交, 憲法

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第13回欧印首脳会談共同声明,ネパール激怒

第13回欧印首脳会談がブリュッセルで3月30日に開催され,インド側からはモディ首相,欧州側からはドナルド・トゥスク欧州理事会議長とジャン=クロード・ユンケル欧州委員会委員長が出席,「共同声明」(3月30日付)が発表された。
 *Joint Statement 13th EU-India Summit, Brussels, 30 March 2016

「共同声明」は41項目にも及ぶ包括的なもの。
 ●戦略的欧印連携の強化:1-6
 ●外交,人権および安全保障の協力促進:7-23
 ●貿易経済協力による成長と雇用促進:24-34
 ●未来世代のためのグローバルな繁栄:35-38
 ●戦略的連携への市民参加促進:39-41

この「共同声明」は,第17項目において,ネパールに言及し,次のように述べている。
「17 EUとインドは,2015年大震災後のネパール再建を,能力開発や長期的開発事業をも含め,継続して支援していくことを確約した。また,EUとインドは,ネパールにおいて憲法を持続可能な包摂的なものとすることが必要だということについても合意した。憲法上の残された諸問題を一定期間内に解決し,政治的安定と経済的発展を促進するためである。[以下,モルディブ関係]」

このネパール言及部分について,ネパール政府は激怒した。なぜか? 先の「中国・ネパール共同声明」とも関連づけ,検討していくことにする。

 160404■モディ首相記者会見:ブリュッセル(印首相HP)

谷川昌幸(C)

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2016/04/04 at 16:08

カテゴリー: インド, ネパール, 外交, 憲法

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「中国カード」使用,失敗?

著名なジャーナリスト,ファハド・シャーが,米外交誌『フォーリン・アフェアーズ』にオリ政権の対印中外交に関する長文の記事を書いている。要点を押さえたよい記事だ。
▼Fahad Shah,”Nepal’s Balancing Act: Walking the Tightrope Between China and India,” Foreign Affairs,2016-02-25

 160227

記事によれば,オリ首相は,訪印時には「中国カード」使用を否定したが,実際には,印のマデシ支援に対抗するため経済・政治関係の強化や訪中先行などの様々な「中国カード」を使ってきた。

しかし記事によれば,ネパール政府の「中国カード」使用は,中国側の利益にはなっても,ネパール側にはあまり利益をもたらさなかった。ジャーナリスト,プラシャント・ジャーもこう語ったという。

「ネパールは,中国カードを使ってみて,地理的にも経済的にも中国は代替国たりえないという単純明快な理由により,そのカードが見てくれだけだったことに気付いた。」(P・ジャー)

P・ジャーは,マデシでありHindustan Times記者でもあるので,発言は多少割り引くとしても,全体としては,この現状分析は妥当であろう。

そして,これを受けたファハド・シャーの次のような結論も,面白味はないが,中庸をえているといってよいであろう。

「インドは優位な立場にあり,ネパールが中国に接近しすぎると,いつでも処罰することができる。・・・・ネパールにとって,最善の選択は,印中の利用を試み,両国をいらだたせるのではなく,両国をうまくなだめ,満足させる方法を学ぶことである。」

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/02/27 at 17:25

オリ首相訪印,成功?

オリ首相が6日間の公式訪印を終え,24日帰国した。首相は,当然ながら,「誤解は氷解した」,「訪印は大成功だった」と自画自賛しているが,本当にそうかどうか,評価は分かれている(*2&3)。

 160226■印外務省HP

1.「共同声明」なし
成功が疑問視される第一の理由は,恒例の「印ネ共同声明」が出されなかったこと。ウペエンドラ・ヤダブMJAF-N議長によれば,「これは二国間に意見の対立がある証拠である」(*1)。

とくに新憲法の評価。モディ首相は20日,ネパール憲法について「重要な前進だが,・・・・その成功は今後のコンセンサスと対話への努力にかかっている」とくぎを刺した(*1)。2月25日付カトマンズポスト記事によれば,それは新憲法への不満の表明であり,それゆえ「共同声明」は,準備されていたにもかかわらず,結局,出されないことになってしまったという(*1)。

他方,オリ首相の側も,「ネパールに関する諸問題については,一握りの人々ではなく,ネパール政府と話し合うべきだ」とインド側に厳しく抗議している(*1)。やはり,印ネ対立は「氷解」とはいかなかったようだ。

2.印ネ7項目合意
オリ首相訪印のもう一つの論点が,印ネ7項目合意の評価。7項目合意の概要は以下の通り。
 (1)震災復興支援,2億5千万ドル。
 (2)タライ道路整備。
 (3)印ネ芸術文化交流の促進
 (4)印経由ネパール・バングラデシュ間輸送の合理化。
 (5)ネパールへの印鉄道輸送利用の確認。
 (6)印ネ送電,80MW。2017年末までに600MW送電へ。(印電力輸入?)
 (7)印ネ有識者会議の立ち上げ。

これらは,たしかにネパールにとってメリットは少なくない。しかし,いずれも既存の事業や約束済みの事業の再確認にすぎない,という冷めた見方もある。

3.訪印は成功?
オリ首相訪印は,印ネ両国首相による外交交渉であり,両政府とも失敗とは言わない。では,客観的に見て,成功したといえるのか? これは,評価が難しい。

一つはっきりしているのは,オリ首相訪印をきっかけに,インドによるとされる「非公式国境封鎖」が解除され,ネパールが経済危機からとりあえず脱出できたこと。

では,この封鎖解除は,中国カードや印内反モディ勢力カードを利用したオリ首相外交の成果なのか? あるいは,マデシ諸勢力に対するオリ首相の働きかけの結果なのか? それとも,インドが,数か月に及ぶ「非公式国境封鎖」により獲得できるだけのものは獲得したので,それを解除したのか? あるいはまた,封鎖実働部隊たるマデシ諸勢力が宿痾の内部抗争により腰砕けになった結果なのか?

いまのところ,いずれともよく分からない。甚大な人的および経済的犠牲を払いながら,なんとなく納まり,なんとなくある方向へと流れていく。いつものことながら,ネパール政治は不可解だ。

【参照】
*1 Kathmandu Post, 25 Feb.
*2 Himalayan, 24 Feb.
*3 Republica, 22 Feb.

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/02/26 at 17:56

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