ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

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情報洪水のネパール

ネパール情報が,このところ加速度的に急増している。

最大の要因は,いうまでもなくインターネットと情報機器(スマホ・パソコン)の普及。誰でも,どこでも文字・図表・映像・音声データを作成し,ネットを介して世界中に発信できる。しかも,いったん発信された情報は,その多くがどこかに保存・蓄積され,多かれ少なかれ利用可能だ。言語の違いでさえ,自動翻訳の飛躍的性能向上で,いまや誰にとっても障害ではなくなりつつある。

ネパールも,そうした情報化の例外ではあり得ない。技術的,可能的には,手間さえかければ,いまではネパールについてもたいていのことは知ることが出来る。分かるはずなのに分からないのは,検索の手間を惜しんでいるからにすぎない。

あるいは,ネパール・メディアの配信サービスに登録すればネパール発情報が,また各種自動配信サービスに「ネパール」,「Nepal」,「नेपाल」などをキーワードとして登録しておけば世界各国発ネパール情報が,時々刻々,配達されてくる。

さて,それはそうだとしても,実際には情報の大海をくまなく検索するのは大変だし,日々刻々配信のネパール情報もとてもじゃないがフォローしきれない。困った。どうしたものかなぁ?

【ネパール・メディアの現状】
ネット環境さえ整えば,ネパールにとって,地理的な「陸の孤島」はもはや何の障害でもない。しかも,様々な形の「後発国の優位」もある。今後が大いに期待される。ネパール・メディアの現状については,下記参照。

Nepal Media Survey 2019

Nepal is becoming a nation of net addicts, Nepali Times, April 12, 2019

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2019/09/24 at 10:52

カテゴリー: 情報 IT, 文化

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目を引く日本批判記事

ネパールで販売されている新聞を見ると,「中国日報」はむろんのこと,他の新聞でも,このところ日本批判記事が目に付く。日本の積極面を伝える記事は,あっても小さく,目立たない。

たとえば,2月7-8日付「リパブリカ」。AFP無署名記事「中国の苦しみ,731部隊からの解放70年後の今も」を,最上段に大きく掲載している。

731部隊は,大日本帝国の皇軍の秘密研究機関。生物化学兵器研究のため,中国人,モンゴル人,朝鮮人,ロシア人,アメリカ人などの捕虜やスパイ容疑拘束者らを使い,様々な人体実験・生体実験をした。その残虐非道は,言語に絶する。

ところが,この重大きわまる反人道行為は,敗戦のどさくさにまぎれ,米軍との裏取引か何かで,解明されないまま,うやむやにされてしまった。

リパブリカ記事によれば,中国政府は,1939~1945年の間に人体実験で虐殺されたのは3000人以上とみている。秘密機関のため不明な部分も多いが,人体実験で多数の人々が犠牲になったことは事実であり,日本政府も日本国民も,何の申し開きもできない。責任は,あげてわれわれ日本の側にある。日本自らが事実関係を解明し,責任の所在を明確にし,そのうえで誠心誠意謝り,許しを請う以外に,とるべき道はない。

この記事に見られるように,日本批判は,日本以外では,このところ好んで掲載される傾向にある。これに対し,偏狭な排外的ナショナリズムに凝り固まり,嫌韓,嫌中,嫌米など,嫌○○で対抗しようとするのは,危険きわまりない愚策中の愚策であり,日本の立場をさらに悪化させるだけである。

歴史の直視は,他の誰でもない,日本自身のために,絶対に避けられない,避けてはならない日本自身の義務なのである。

【補足】「リパブリカ」は「インターナショナル・ニューヨーク・タイムズ」と提携,両紙同時購読も少なくない。一方,「ネパリタイムズ」は「中国日報」と協力。では,「カトマンズ・ポスト」はどうするのか? 「朝日新聞」あるいは「読売新聞」などとの提携にむけて動くのか? たぶん,そうはしないだろう。世界戦略で動く超大国と,それができない日本との,どうしようもない格の差は,そこにある。

150209

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2015/02/09 at 10:40

集団的自衛権: 9条のたが外し,先鞭は朝日

安倍首相が,「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)」の報告(5月15日)を受け,憲法解釈を閣議決定により変え集団的自衛権の行使を可能とする基本方針を,5月15日の記者会見で表明した。

集団的自衛権とは,要するに攻守軍事同盟のことであり,同盟国の戦争に参戦する権利義務に他ならない。現実には,ほとんどの場合,同盟国アメリカの戦争や軍事紛争に,日本が参戦する義務を負うということ。このような集団的自衛権は,日本国憲法がまったく想定していないものであり,これが解釈で認められるなら,憲法など有名無実,日本は法治国家ではなくなってしまう。

これは戦後日本の憲政を根本から覆す,いわば「政治クーデター」のようなものだから,良識派・朝日新聞が紙面の多くを費やし,解説し批判しているのは,当然といえよう。5月16日付朝刊の1面には立松朗政治部長「最後の歯止め外すのか」,8面には「安倍首相会見要旨」,9~11面には「安保法制懇・報告書全文」,そして16面には社説「集団的自衛権・戦争に必要最小限はない」が掲載されている。要するに,「9条のたがを外すな」(社説)ということ。ところが,それにもかかわらず,朝日の記事や論説は,どことなく腰が引けており,緊迫感がない。なぜか?

いうまでもなく,それは,護憲的“independent”ジャーナリズム陣営の中から「9条のたがを外す」先鞭をつけたのが,他ならぬ朝日新聞だったからである。サンケイ,読売,日経などが,9条改正を唱えるのは,それなりにスジが通っており,賛同はできないが,理解はできる。ところが,朝日は戦後一貫して護憲を売り(商売)にしてきたにもかかわらず,風向きが変わり始めると,社として憲法解釈変更ないし解釈改憲を行い,大々的に宣伝し,自衛隊の海外派兵のラッパを吹き始めた。朝日新聞は,自ら率先して「最後の歯止め」,「9条のたが」を外してしまっていたのだ。

このことについては,幾度も批判したので,繰り返さない。以下参照。
  ・良心的兵役拒否国家から地球貢献国家へ:朝日の変節
  ・丸山眞男の自衛隊合憲論・海外派兵論
  ・海外派兵を煽る朝日社説
  ・朝日の前のめり海外派兵煽動
  ・自衛艦をソマリア沖に派遣せよ,朝日社説
  ・平和構築:日本の危険な得意技になるか?
  ・スーダン派兵で権益確保:朝日社説の含意
  ・軍民協力に前のめり,PWJ
  ・転轍機を右に切り替えた朝日主筆
  ・朝日社説の陸自スーダン派兵論(再掲)
  ・スーダン銃弾供与問題と露払い朝日新聞
  ・南スーダン陸自交戦寸前,朝日記事の危険な含意

朝日の論説や記事に緊迫感がないのは,朝日も同じ穴の狢だから。「最後の歯止め外すのか」,「戦争に必要最小限はない」,「9条のたがを外すな」――これらは,なによりもまず朝日自らが,自らに向かって,投げかけるべき言葉であろう。

140516a ■朝日新聞「地球貢献国家」

【参照】小田嶋隆「行く手に翻るのは赤い旗のみか?」日経ビジネス,2014年5月16日

日経は,啓蒙された利己心の立場に立つだけに,朝日などよりも,はるかに「現象」を鋭く見抜いている。たとえば,小田嶋氏のこの記事。関連する部分の要点は,以下の通り。

安倍首相の解釈改憲への手順は,「もう何カ月も前から各メディアがつとに予想していたことだった」。メディアは,それを詳しく報道することで,解釈改憲の「先触れ」をした。

「これまで、各紙が様々な角度から切り込んできた集団的自衛権に関する記事は、新聞読者に注意を促して、国防や解釈改憲についての議論を喚起することよりも、これからやってくる事態に驚かないように、あらかじめ因果を含めておく狙いで書かれたものであったように見えるということだ。」

その証拠に,自民党元重鎮や保守系論客が,大手メディアではなく「赤旗」で,次々と議論を始めた。その「背景には、安倍政権に対して、真正面から反論する場を提供してくれる媒体が、もはや赤旗ぐらいしか残っていないことを示唆している」。

「いずれにせよ、新聞各紙は、発足以来、安定して高い支持率を誇る安倍政権に対して、正面からコトを構える闘志を失っているように見える。」

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/05/16 at 11:56

絞首刑を煽るインド民主主義:A.ロイ(8)

7.「社会の集合的良心」と状況証拠による死刑判決
(1)スケープゴートとしてのアフザル
2001年国会襲撃事件の容疑者4人のうち,「首謀者(mastermind)」のデリー大学講師ジーラーニは高裁で無罪となったにもかかわらず,アフザルは最高裁でも死刑判決を受け,2013年2月9日絞首刑が執行されてしまった。なぜだろうか?

アフザルは自身は,先述のように,対テロ戦争を叫ぶ権力により「スケープゴート」にされてしまったと考える。ロイも,同じ見方だ。ロイによれば,アフザルの絞首刑は,得体の知れない権力が操るマスコミによって煽られた人民の意思の要求であり,それは「世界最大の民主主義」の輝かしい勝利であった。

130312b ■絞首刑執行の報道(You Tube[NDTV,Feb.9, 2013])

(2)状況証拠による死刑判決
最高裁は,ジーラーニを無罪とした高裁判決を支持し,またアフザルの自白の信憑性についてもいくつか留保したにもかかわらず,国会襲撃をジェイシェ・ムハンマドとラシュカレ・タイバのテロ攻撃とする事件の基本構図は変えなかった。いや,おそらく変えられなかったのだろう。そのため,アフザル有罪を導き出すため,状況証拠に依存するという無理をあえて強行することになった。判決は,こう述べている。

「以上に詳細に述べた諸状況から,上訴人アフザルが死亡したテロリストたちと協力していたことは明白である。議事堂攻撃を実行するため彼らが行ったほぼすべてのことにおいて,アフザルは彼らに協力した。アフザルは,死亡したテロリストたち,特にムハンマドと密接に連絡を取っていた。アフザルは,襲撃そのものには参加しなかったが,悪魔的使命の遂行のため,あらゆることをした。ほとんどの陰謀がそうであるように,陰謀罪を構成する共謀の直接的証拠はないし,またあり得ないだろう。しかしながら,様々な状況を集め比較検証するならば,それらの状況が,アフザル被告と殺された『フェダイーン』テロリストたちとの共謀共犯を示していることに疑いの余地はない。諸状況は総体としてみられるべきであり,そう見るならば,アフザルが陰謀の当事者であり,陰謀の遂行のための様々な行為において積極的な役割を果たしたことに合理的な疑いを挟む余地はない,と判断される。….それゆえ,アフザルがこの重大な陰謀犯罪の共犯者であると断定するに必要十分な状況証拠がある,とわれわれは判断する。」(18 CASE OF MOHM. aFZAL (a1))

130312a ■自白会見(You Tube[ABP News,Dec.20,2001])

(3)メディアと「社会の集合的良心」
最高裁が,自白の信憑性を一部留保しつつも,状況証拠により死刑判決を下さざるをえなかったのは,おそらく判決の中で自ら引き合いに出した「社会の集合的良心(the collective conscience of the society)」のためであろう。

「この事件は,重大な被害をもたらし,全国を震撼させた。社会の集合的良心は,襲撃犯に死刑を科すことによってのみ満足させられるであろう。」

ここでいう「良心」は,形而上学的な倫理ではなく,実際には,マスコミのつくり出す「国民世論」である。要するに,アフザルを縛り首にしなければ,世間が納得しないということ。このつくられた世論を,ロイは,様々な視角から厳しく批判している。

「もし世論調査,読者投稿,そしてテレビ出演視聴者の声がインド世論を正しく反映しているとするなら,リンチ(私刑)を求める大衆が刻々増大していることになる。。インド市民の圧倒的多数が,この先数年間,毎日毎日,週末も含め,モハンマド・アフザルの縛り首をみたいと願っているかのようだ。」(Roy:ⅳ)

「あわれなことに,熱狂の只中で,アフザルは個人としての権利,一人の生きている人間としての権利を,剥奪されてしまったように見える。彼は,あらゆる人々の,すなわちナショナリスト,分離主義者,死刑廃止活動家らの道具となった。彼は,インド最大の極悪人とされ,またカシミールの偉大な英雄にもされたのである。」(Roy:ⅳ)

こうしてアフザルは縛り首にされてしまった。処刑の通知は,処刑後配達され,妻子はアフザルとの最後の面会すらできなかった。しかも,遺体は妻子に引き渡されず,ティハール刑務所敷地内に埋められたため,葬儀もできなかった。遺体を引き渡すと,カシミールで聖者扱いされ,葬儀が反政府活動の引き金になることを怖れたからである。

その一方,処刑後,テレビ局は「全インド反テロ戦線」議長や襲撃で殺された警備員の妻らを番組に出演させ,処刑を歓迎させた。ロイは,こう批判する。

「夫を撃ち殺した犯人らは,その場で,そのとき殺されたのだ,と誰も妻たちになぜ告げないのだろうか? 襲撃を計画したのが何者か,私たちにはまだ分からず,当然,彼らは法廷に一度も立たされてはいない。誰も,このことを彼女らになぜ告げないのだろう?」(Roy:ⅱ)

(4)インド民主主義の威厳と矮小
「これらすべてを考え合わせると,12月13日の議会襲撃についての奇妙で非情で邪悪きわまりない説明は,十二分に用心深く取り扱われなければならないであろう。それは,世界最大の『民主主義』が実際にはどのようなものなのかを,如実に示している。」(Roy:ⅳ)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/03/12 at 18:40

カテゴリー: インド, 民主主義, 人権

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パラス元皇太子の勝利

王室御用達『人民評論』(12/16)が,パラス元皇太子の勝利を称えている。記事によると,他のメディア報道は「一方的な決めつけ」であり,「スジャータ娘婿の受け売り」だった。「王制廃止後,スジャータ陛下が特別扱いされ,陛下の国家貢献が喧伝されてきた」という。

この調子で,『人民評論』は,『リパプリカ』や『ヒマラヤン・タイムズ』を非難し,最悪は「パラス・シャハ,スジャータ親族殺害を図る」との見出しで大嘘報道をした『ライジング・ネパール』だ,とバッサリ切り捨てている。『朝日新聞』を送ってあげたいくらいだ。

『人民評論』(「ネパール評論」ではない)の認定した事実は,「パラス元皇太子が,外国人たち[スジャータ娘婿ら]により彼自身と元王族とネパール国民が耐えられないほど侮辱されたため,空に向け銃を放っただけにすぎない」。たしかに,パラス元皇太子は保釈金1万ルピー(1万2千円)で解放されたのだから,司法当局はそう事実認定したのだろう。

政治的に見ると,これはパラス元皇太子の勝利である。ピストルを空に向けぶっ放すことにより,元皇太子は法の上にある貴種としての存在を誇示し,ネパール国家の名誉のために闘った愛国者としての名声を取り戻し,ポカラに凱旋した。他方,コイララ家は,数々の腐敗を暴露され,「汚職の総合デパート」,売国奴として今後も糾弾され続けるだろう。

王家はさすがにスゴイ。タブーといってもよい。これと闘うには,相当の覚悟が求められる。

今回,『人民評論』以上に激しく他メディアを攻撃したのが,インテリ・外国人向けとされる『テレグラフ』。インテリ=高位カースト/ブルジョアとすると,これはインテリ層が政党政治から離れる前兆かもしれない。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2010/12/17 at 11:49

カテゴリー: 国王, 政党

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