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ヒンドゥー教王国復古運動,RPP-N
新憲法制定期限1月22日が近づくにつれ,国民民主党(RPP-N)の動きが活発になってきた。
カマル・タパ議長は,1月2日のカトマンズ集会において,ヒンドゥー教国家復古まちがいなし,もし新憲法にその規定がなければ第三次人民運動を開始する,と怪気炎を上げた。
世界を見ると,イスラム教国70,キリスト教国40,仏教国10。とすれば,国民の81%以上がヒンドゥー教徒のネパールがヒンドゥー教国であって,どこが悪いのか? ヒンドゥー教国にすべきか否か,国民投票で決めよ。これが,タパ議長の主張である(a)。
ヒンドゥー教国復古はありえない,というのが一般の見方だが,インドではBJPが大勝し,強力モディ政権が成立した。RPPにとって,状況は以前よりはるかに有利となっている。新憲法制定が成らず,混乱が続き,情況が悪化していけば,ひょっとしてひょっとするかもしれない。
新憲法制定・公布期限まで,あと20日間!
▼カマル・タパRPP議長ツイッター掲載写真(https://twitter.com/KTnepal)
[参照]
(a)”RPP-N warns of third mass movement for Hindu state,” Ekantipur,2015-01-02
(b)”RPPN Chair demands Nepal be declared a Hindu State in the new constitution,” Nepalnews, 2015-01-02
谷川昌幸(C)
ギャネンドラ元国王もティカで祝福
10月14日,ギャネンドラ元国王は,例年通り,ナラヤンヒティ元王宮内のマヘンドラ・マンジールを訪れ,ラトナ・ラジャ・ラクシミ・デビ・シャハ元皇太后から祝福のティカ(टीका)を受けた。そのあと,「王室僧侶(राजगुरु)」からもティカを受けた。
元国王は,午後3時からは,マハラジガンジのニルマル・ニワス(元国王邸)において,一般人民数千人にティカを与えた。形式的には,王制時代とほとんど変わらない。
■ニルマル・ニワス(USNepalOnline, Apr.20, 2008)
一方,ヤダブ大統領も,大統領公邸(राष्ट्रपति भवन)において,ハヌマンドカ・ダサイン・ガールなどのパンデット(पण्डित)からティカの祝福を受けた後,ジャー副大統領,レグミ暫定首相,政府高官,メディア関係者,そして一般人民にティカを与えた。こちらも,形の上では王制時代の国王とよく似ている。
ここで興味深いのは,世俗国家の大統領が,大統領公邸で,おそらく「公式行事」として,ヒンドゥー教儀式を行っていること。
しかし,大統領には,元国王のような「威厳」はない。動画を見るとよく分かるが,元国王からティカを受ける人びとは敬虔そのもの,まるで現人神を前にしているようだ。これに対し,大統領の前では現世利益が隠しきれず,そのような敬虔さはほとんど見られない。
宗教が絡むとどこの国でもややこしいが,ネパールは国制の転換期ということもあって,何がどうなっているのやら,さっぱり分からない。
■ティカで祝福する元国王と大統領(www.videosbisauni.com/ Oct.14)
谷川昌幸©
国家元首のダサイン大祭参加
ネパールは世俗国家(धर्मनिरपेक्ष राज्य)になったが,大統領(राष्ट्रपति)は,依然として,国家元首(मुलुकको राष्ट्रध्यक्ष)としてダサイン大祭に参加している。
今年も,大統領はトゥンディケルでのプルパティ(फूलपाती)国軍パレード(11日)に副大統領,レグミ大臣会議議長(暫定首相),政府高官らを従え,参加した。そして,12日のマハアスタミ(महाअष्टमि)には,これまでと同様,ナクサルバガワティ,ショババガワティ,マイティデビ,バドラカリ,サンカタなどを参拝している。
このように大統領のヒンドゥー教儀式への参加は続いているが,それでも王制時代とは雰囲気が異なる。1990年憲法(第27条1)では,国王は「アーリヤ文化とヒンドゥー教の信奉者(an adherent of Aryan Culture and the Hindu Religion)」であり,ダサイン大祭は国家行事でもあったからである。。世俗国家の元首には,もはやそのような宗教的権威はない。
▼メディアのダサイン祝辞:ekantipur(10/13), Himalayan(10/13) गोरखापत्र(10/11)
谷川昌幸(C)
世俗国家のダサイン
ネパールが「世俗国家(धर्मनिरपेक्ष राज्य)」になって6年余,ヒンドゥー教の大祭ダサイン(दसैं)も以前ほど宗教的ではなくなってきたのではないか?
この時期,ネパールに滞在したことがないので,ダサインを直接体験したことはないが,少なくともネット・メディアはかつてのようなダサイン一色ではなくなった。ダサイン関係の特集記事や派手な広告はほとんど見られない。(アクセス元連動記事・広告のせいかもしれないが。) ネパールのネット・メディアの世俗化は,ほぼ完成したといってもよいのではないか。(皮肉なことに,クリスマス関係の記事や広告は激増しているが。)
紙印刷の新聞各紙を見ると,こちらにはダサイン広告がいくつも見られるが,それでも以前と比べるとはるかに控え目だ。やはり,ダサインは世俗的長期休暇の側面が以前より強くなり,享楽化してきたのではないか。もしそうなら,ネパール社会の転機はマオイスト革命だったと,後世の歴史家が評価することになるかもしれない。
▼ネパールの新聞(10月10-11日)。ダサイン関係の記事や広告は,全くないか,あっても地味。Red Starともなると,ダサインよりもミスネパール。世俗化,商業化,享楽化は否めない。 कान्तिपुर(10/11),Republica(10/10),नागरिक(10/11) ■गोरखपत्र(10/11),Red Star(10/10)
▼11日のRepublica,12日のकान्तिपुरにはダサイン記事満載(10月12日追加)
谷川昌幸(C)
国家世俗化とキリスト教墓地問題
キリスト教墓地問題は,一応の決着がついたかに見えたが,いつものように政府の約束は言葉だけで,実行は棚上げらしい。
レグミ内閣とキリスト教墓地問題
キリスト教墓地要求,ハンストへ
キリスト教墓地問題検討委員会発足
クリスマスと墓地問題
墓地紛争:キリスト教vsヒンドゥー教
▼キリスト教墓地問題一覧
1.深夜の無断埋葬
カトマンズ・ポストのアンキト・アディカリ「拒絶された墓地」(8月23日)によれば,ネパールのキリスト教徒は,墓地を拒否され,死者の埋葬ができず,切羽詰まったぎりぎりの事態に追い詰められている。
ある日,カトマンズで信者2人(男性82歳,女性62歳)が病死したが,カトマンズには墓地はない。そこで深夜,ひそかにジープでヌワコットのトリスリ川沿いの人里離れた森まで運び,すばやく穴を掘り,2人を埋め,急ぎカトマンズに戻った。地元民には,もちろん内緒。
このような方法での信者埋葬は,ヌワコット以外にもダディング,ラウタート,シンドバルチョーク,カブレなどあちことで行われており,時にはスルケットまでも運ぶこともあるという。「よくないに決まっているが,ではどうすればよいのか? 他に方法はないのだ。」(BG.ガルトラジ全国キリスト教連盟[FNCN]議長)
2.ゴティケル墓地の棚上げ
カトマンズ盆地のキリスト教徒が,このような深刻な事態に追い込まれたのは,政府が約束を実行せず,墓地問題を棚上げにしているからだ。
従来,カトマンズ盆地のキリスト教徒(及びキラント諸民族)は,パシュパティ寺院のシュレスマンタク・バンカリの森への埋葬を黙認されていた。ところが,2006年革命の結果,国家世俗化が実現し,これによりヒンドゥー教側もかえってアイデンティティを明確化させていき,2011年1月,「パシュパテ地区開発トラスト(PADT)」が寺院敷地内のバンカリの森への埋葬を拒否する決定を下した。
この埋葬拒否により深刻な事態に陥ったキリスト教会は,2011年4月,ハンストを決行,政府に「墓地問題検討委員会」を設置させた。そして,そこでの交渉の結果,政府はラリトプル郡ゴティケルに2000ロパニのキリスト教墓地をつくることを約束した。ビノド・パハディ委員長によれば,すでにゴティケルの住民やラリトプルの郡庁と郡森林局の同意も得てあるという。
ところが,この約束は実行されないまま,委員会が任期切れとなってしまった。ゴティケル墓地は棚上げ。抗議すると,政府は造るというが,口約束だけ。「もし今度も空手形なら,強力な抗議運動を全国に呼びかける」(ガルトラジFNCN議長)
3.国家世俗化とキリスト教
2006年革命により,ネパールはヒンドゥー教国家から世俗国家に転換した。ヒンドゥー教にとっては,これは大敗北であり,他宗教,とくにキリスト教への敵愾心を強めている。パシュパティの森の墓地問題は,その最も極端な実例である。
キリスト教徒は,全人口の1.4%とされている。少数派だが,バックに欧米のキリスト教会が控えており,世俗化の追い風に乗り勢力を急拡大させている。たとえば,この記事を書いたカトマンズポストのアンキド・アディカリ編集委員は,クリスチャンか否か不明だが,出身校は,聖ザビエル校(カトマンズ)である。
聖ザビエル校は,イエズス会系の学校であり,ネパールには5校ある。カトマンズ校は1988年設立で,いまや大学院までもつ超名門エリート学校。アディカリ氏は,この学校で英文学を修め,ジャーナリストとなったようである。
彼のこのような経歴が,おそらく彼をしてキリスト教会への理解を深めさせ,墓地問題を追わせているのだろう。彼の記事そのものは,問題に即して書かれており公平と見えるが,ヒンドゥー教徒の側から見ると果たしてどうなるか? ここが難しいところだ。
キリスト教会側の攻勢は,教育以外でも様々な形で展開されている。たとえば,これはタルー民族への働きかけ。詳細はわからないが,「はじめに言葉があった」と信じるキリスト教のこと,タルー以外にも様々な少数民族の言葉で布教を進めている。
4.宗教対立激化のおそれ
国家世俗化は,一般に,宗教対立の緩和が目的だが,ネパールでは,少なくとも今のところ,それは宗教アイデンティティの強化→宗教対立の激化という逆の結果をもたらしている。
墓地を取り上げ,死者を埋葬させない! これはセンセーショナルな切羽詰まった問題であり,外部からの干渉も招きやすい。対処を誤ると,ネパールは取り返しのつかない深刻な宗教紛争に陥ってしまうだろう。
谷川昌幸(C)
インドはネパール76番目の郡:Nepali Humor
仏陀はネパールに生まれ,エベレストはネパールにある,したがって,インドはネパールの76番目の郡だ!
ネパールお得意のユーモア。自虐ネタであり,仏教の政治的利用(これはかなりマジメ)でもあるが,内弁慶の日本ナショナリストよりはマシだ。くやしかったら,アメリカは日本の48番目の県だと,アメリカに向かって叫んでみよ。
■India – 76th District of Nepal
谷川昌幸(C)
世俗国家ネパールのクリスマス祭日(再掲)
以下は,2008年12月24日掲載の記事。ワードプレス移転により書式が崩れたため,再掲。掲載後3年で状況が大きく変化し,本格的な宗教紛争勃発も危惧されている。
[関連記事]
・神々の自由競争市場へ? 新憲法の課題
・死者をめぐる神仏の争い
・墓地紛争:キリスト教vsヒンドゥー教
・墓地紛争,ヒンドゥー惨敗か?
・キリスト教会,「宗教省」設置要求
・キリスト教墓地問題
・最高裁,パシュパティ埋葬許可命令
・墓地問題でハンスト抗議
・「布教の自由」要求:キリスト教会
・キリスト教墓地問題検討委員会発足
・首相官邸に棺桶,議会前に遺体:キリスト教会
・キリスト教墓地要求,ハンストへ
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ネパールでは,今年からクリスマスが国民祭日(国家祭日)となった。2006年民主革命により世俗化したネパールが,なぜキリスト教の祭日を国民祭日とし,全国民にキリスト生誕を祝わせるのか? これは政教分離の原理問題であるばかりか,キリスト教と他宗教との関係をめぐる現実的な生臭い政治問題でもあり,理論的および政治的に慎重に検討し対処しないと,将来,深刻な宗教紛争に発展する恐れがある。
1.1990年革命とキリスト教
キリスト教は,1990年民主化革命以前は,厳しく規制され,民衆に布教すると,逮捕・投獄された。そのため,革命以前のキリスト教徒は,3~5万人にとどまっていた。
この状況は,90年革命で信仰の自由が認められたことにより改善され,信者数も増加し始めたが,1990年憲法は依然としてヒンズー教を国教とし,しかも布教制限規定をもっていたため,布教の自由は実際には大幅に制限されていた。たとえば,2000年10月,ノルウェー人を含む4人のクリスチャンが東ネパールで布教したとして逮捕され,国際問題になった。
(注)1990年憲法
第4条 ネパールは,・・・・ヒンズー教立憲君主国である。
第19条(1) 何人も・・・・古くから継承されてきた自分自身の宗教を信仰しかつ実践する自由を有する。ただし,何人も,他人をある宗教から別の宗教に改宗させる権利をもたない。
2.2007年暫定憲法とキリスト教
2006年革命とその成果としての2007年暫定憲法は,この状況を大きく変えることになった。暫定憲法に基づき2008年4月10日に制憲議会選挙が実施され,これにより成立した制憲議会は5月28日の初会議でヒンズー教王制を正式に廃止し,ネパールを世俗の民主共和国とした。
むろん過渡期の憲法である現行2007年暫定憲法には,1990年憲法と同じ布教制限規定がそのまま残っているが,国家が世俗化され,ビシュヌ神化身としての国王も廃止されたので,この規定の発動は実際には難しくなっている。
(注)暫定憲法
第23条(1) 何人も・・・・古くから継承されてきた自分自身の宗教を信仰しかつ実践する自由を有する。ただし,何人も,他人をある宗教から別の宗教に改宗させる権利をもたない。
マオイスト幹部のバルシャマン・プン(アナンタ)も,全ネパール・キリスト教評議会の大会に出席し,世俗国家ネパールは宗教の自由に対する制限をすべて撤廃し,「すべての宗教を平等に扱う」と語っている(Christian Century, Jul.1, 2008)。
キリスト教会は,いまようやく,念願の布教の自由を獲得しつつあるのである。
3.キリスト教徒の激増
世俗共和制の成立を,キリスト教会は布教のチャンス到来と諸手を挙げて大歓迎した。
「世俗共和制は,人民の勝利であり,宗教の自由への前兆である。」Simon Pandey, General Secrretary of the National Churces Fellowship of Nepal (Christian Century, Jul.1, 2008)
「ネパールは世俗民主制への道を歩んでおり,宗教の自由はいまや確実なものとなっている。」Plus Perumana, Vicar General of the Roman Catholic Church in Nepal (ibid)
「以前のネパールでは,クリスチャンはゴスペル(福音)を説いたというという理由で逮捕・投獄されていたという。・・・・ナラヤン・シャルマ(アジア・ゴスペル協会ネパール代表)によれば,彼自身も信仰を告白したという理由で逮捕され,地下牢のような刑務所に投獄された。・・・・ところが,以前はクリスチャンの逮捕を報道していた国営ラジオ局が,いまではゴスペル番組を流している,とシャルマは語った。」(Christian Post, Jul.14,2008)
この国家世俗化の効果は,早くもキリスト教徒の激増となって現実のものとなっている。いまでは,ネパールは「キリスト教社会の成長が世界で最も速い国の一つ」である(World Council of Churches, Sep.9, 2008)。概数であるが,いくつか数字をあげると:
<現在の信者数>
・100万人[Christian Century, Jul.1, 2008]
・80万人,6000会衆(2007.11) ← 5万人(1991年以前)[Ecumenical News International, Nov.24, 2007]
・70万人(2008.11) ← 3万人(15年前)[Anne Thomas, Bible Society UK, Nov.27, 2008]
・700万人[70万人?],1500会衆(2006.5) ← 5万人(1990年以前)[Simon Gurung, Ecumenical News International, May.8,2006]
これらの数字を見ると,1990年革命以前はほんの数万人にすぎなかったキリスト教徒が,現在では70~100万人に激増したことが分かる。
信者数100万人といえば,すでに大勢力であり,政治的にも無視し得ない力を獲得しつつあるといえる。
4.青年層のキリスト教化
では,いったい誰がキリスト教に改宗しているのか? これは容易に想像がつくように,主に青年層である。
「ネパールの教会の成長の中心を担っているのは,青年たちだ」Raju Lama, President of the United Christian Youth Fellowship in Kathmandu (Ecumenical News International, Nov.24, 2007)
たしかに,ネパール関係の教会HPを見ると,まず家族の中の若者がキリスト教に改宗し,それに激怒する親族を根気よく説得し,容認させ,そしてついには親族一同を改宗させる「美談」がいたるところで紹介されている。
教会の宣伝だからある程度割り引くとしても,大筋では,このような形でキリスト教への大改宗が進行しているのであろう。
5.下層民のキリスト教化
もう一つ,注目すべきは,教会が下層民への布教に力を入れていることである。教会自身は明らかにしていないが,数が多いのはおそらくこの層の改宗者であろう。下層庶民に先駆けて,「目覚めた」中層・上層の知識人や若者が改宗し,彼らの指導の下で下層民が大挙して改宗する。そのような流れが始まっているのだろう。
教会記事によれば,教会は食事や物品を提供し,音楽やダンスをふんだんに織り込み,下層民を教会へと誘導している。
「バイダ(1995年ヒンズーからキリスト教へ改宗)の説明によれば,教会の人々は若者たちに音楽,スポーツ,能力開発の機会を恒常的に提供している。これがネパールの青年たちをキリスト教に引きつけることになっている,と彼は語った。」(Ecumenical News International, Nov.24, 2007)
「ミャンマーの宣教師によれば,サイクロン被災後,地方の人々は,宣教師や教会ボランティアたちが食事や物品を配っているのを見て,そこに神の心を見て取った。/『仏陀は,私たちが苦しんでいるとき,何もしてくれなかった。が,皆さんのイエスは,私たちを愛してくれている』と,ある家族が語ったのを,その宣教師は記憶している。『いまでは,日曜日になると,彼らは教会に来て,主を礼拝しています』と彼はつけ加えた。」(Christian Post, Jul.14, 2008)
ネパールに行くと,知識人や政治家たちが,キリスト教会は食事・物品・教育・留学などの供与や,音楽・ダンスなどの娯楽提供で改宗を働きかけているとさかんに教会批判をするが,この批判には全く根拠がないわけではない。ネットの教会HPやユーチューブを見ると,そんな宣伝記事や映像があふれている。
それにしても,イエスは助けてくれるが,仏様は冷淡だ,などといった下品なことは,たとえそうした傾向があるにしても,言ったり報道したりすべきではない。非難している方のお里が知れるだけだ。
6.神々の自由競争市場
1990年の民主化がネパールに資本の自由競争市場をもたらしたとすれば,2006年の世俗化はネパールに神々の自由競争市場をもたらしたといってよいだろう。
以前は,ヒンズー教が国教であり,ヒンズーの神々は国家権力で保護されており,競争は厳しく制限されていた。ところが,世俗国家になり,そうした参入障壁が除去され,ヒンズー教の神々は仏教の仏たちやキリスト教の神と,生き残りのための自由競争をせざるをえないことになった。
これは資本主義社会における企業の自由競争と同じく,勝つも負けるも自己責任であり,その限りでは公平だといえる。
しかし,ここで注意すべきは,資本主義社会の自由競争は,実際には対等者間のフェアな競争ではあり得ないことだ。アメリカを筆頭に,資本家は国家権力に保護・支援されており(政府は資本家の総代表),自己責任をとる意思も能力もない。今回のアメリカ発世界金融危機で図らずも露見したように,市場の公平を唱え,自己責任と自由競争を世界中に強制してきた先進諸国の政府や大企業が,手のひらを返したように,国家介入による自国企業の保護・支援を強硬に要求している。節操も,恥も外聞もあったものではない。
同じことが,神々の自由競争市場についてもいえる。かつてキリスト教会は「宣教師と軍隊」と言われるように,軍隊の力を借りて非西洋世界を強引にキリスト教化していった。
また,そうした露骨な軍事的脅しがない場合でも,キリスト教会には富と科学力の後光が差していた。非西洋世界の人々は,この光背に目を奪われ,教会に近づき,そしてキリスト教化されていった。もちろん,いかに光背が輝かしかろうと見向きもしない信仰堅固な国もあれば,日本のように,おいしいエサだけ喰って,ご本尊には見向きもしない不届きな国もあるにはあったが,そうでない多くの国々はエサもろともハリを飲み込み,釣られていった。
キリスト教会が,そうした手練手管で非西洋世界をキリスト教化し,土着の多様で豊かな文化を滅亡させていった経緯を見ると,キリスト教の神の偉大よりもむしろ神の強欲・無慈悲を感じざるをえない。
ネパールは,世俗化により,神々の自由競争の時代に入ったが,以上に述べたように,神々は決して対等な条件で競争するのではない。もしネパールの人々が,ネパールの社会的・経済的条件を無視し,キリスト教世界の言うがままに神々の自由競争を認めたら,大変なことになる。
先進諸国の大企業は,強大な国家の強力な支援を得ている。そんな大企業と自由市場で競争したら,途上国の企業や労働者たちは負けるに決まっている。同じく,もし富と力と科学のケバケバしい光背付きのキリスト教会と自由競争市場で競争したら,貧弱な光背しかないネパールの神々は負けるに決まっている。
ネパールのキリスト教徒はすでに70~100万人に達している。日本が180万人程度(2000年)なので,人口比では日本よりもはるかに多い。このままだと,いずれ宗教紛争が勃発する危険性が高い。
7.政教分離の原則
宗教の勢力関係が急変しつつあるネパールにおいて,もっとも危惧されるのは,政治家たちが,こうした状況下で最低限必要とされる「政教分離の原則」について全くといってよいほど関心を示していないことである。
いくども指摘したように,ヤダブ大統領はヒンズー教宗教儀式に頻繁に参加している。一方,ネワング制憲議会議長は,キリスト教会の催しに出席し,祝辞を述べている(Christian Post, Jul.14,2008)。(この点,プラチャンダ首相は,管見の限りでは,いかなる宗教儀式にも首相としては出席しておらず,節を通している。やはり,勇敢であり,偉い。)
いまネパールでもっとも必要なことの一つは,政教分離の原則の確立だ。電力不足問題よりも,緊急度ははるかに高いといってよい。政教分離の原則を確立しておかないと,微妙な問題の多い宗教政策が無原則となり,大混乱を来すことになる。
信仰は個々人の内面の問題であり,ここに国家権力が介入することは,民主国家では絶対に許されない。その意味では,神々は人々の良心の前で自由競争をし,選ばれた神がその人の信仰となる。
しかし,宗教活動は社会の中で展開され,外面性を帯び,この部分については政治権力による規制を受ける。この規制をどのようにするかは,極めて難しい問題である。それぞれの社会が,その社会の実情に応じて,最適な方法と範囲をその都度具体的に決めていかざるをえない。
また,宗教の外面的活動のうち政治的・法的規制になじまない事柄については,社会が世論ないし常識(コモン・センス)による規制を行なう一方,宗教自身も信仰の本質に照らし自己規制していかなければならない。
信仰は絶対に自由だが,外面性を帯びる部分については,自由放任は許されない。自由放任は強者の利益である。政治でも経済でもそうであった。宗教が例外であるはずがない。
8.イエスの真実
私は,政治国家が,いずれかの宗教を国教としたり特権的に保護するのは誤りであり,民主国家では許されないことだと確信している。国家は,国民生活の外面的安全の保障に,その任務を厳しく限定すべきである。
したがって,当然,神々は人々の支持を求めて自由競争せざるをえない。ただし,その競争が真に公平な競争となるように,神々も富や力の外面的光背を外し,内面的な信仰の場で裸になって競争すべきである。
そのモデルの一つが,イエス・キリストその人である。イエスは,おそらく政治的権力も軍事的権力も経済的権力も何一つ持たない,世俗的には無力な人であったのだろう。イエスは,そのようなものは一顧だにせず,つねに貧しい人,悩み苦しんでいる人,虐げられている人と共にあり,その苦しみを共に苦しみ自らに引き受けようとし,そしてついには自分の生命までも罪深き人々のために献げてしまった。
私が理解するところでは,キリスト教の神は,人をしてイエスのこのような生き方に習うことを求める神であろう。
もしキリスト教の神がそうした神であるのであれば,たとえ他の神々が現れても,よもや富や外面的な力でそれを屈服させ排除することを人々に求めたりはしないであろう。
私はクリスチャンではないが,イエスが説き,身をもって示したこの神の真実こそが,真の平和への道であると信じている。このことは,近著(高橋・舟越編『ナガサキから平和学する』法律文化社)において,もう少し詳しく説明している。機会があれば,ご覧いただきたい。
(未完草稿)
谷川昌幸(C)
ブッダ平和賞における政治と宗教
仏陀(釈迦)が非暴力平和(不殺生)を説いたことは周知の事実であり,ルンビニでも「五戒(パンチャシーラ)」碑を前に平和を祈念する人の列が絶えない(前記事写真参照)。仏陀は平和を説いたのであり,したがって田上長崎市長と秋葉前広島市長へのブッダ国際平和賞授与はたいへん名誉なことであり,世界平和とっても大きな意義があることはいうまでもない。
(平和賞HP)
しかし,ネパール内政の観点から見ると,ブッダ平和賞はかなり生臭い,政治的な賞=ショーであることもまた事実である。
ネパールでは,宗教が日常生活と密接不可分の関係にある。宗教と無縁の生活はありえず,従って政治も宗教と何らかの形で関係せざるをえない。2006年革命成功で世俗共和国になったが,新国是の世俗主義(secularism)は,国家(政治)と宗教の切断・分離は意味しない。
ネパールの世俗主義は,国家(政治)は宗教と関係を持ってもよいが,特定の宗教・宗派の優遇はしない,ということである。日常生活が宗教と密接不可分である以上,そうせざるをえないであろう。
では,この意味での世俗主義を、いまの革命共和国は遵守しているであろうか? 世俗共和国の大統領,首相,大臣,官庁などは、様々な宗教を公平に扱っているであろうか?
どうも,そのようには見えない。もっとも甚だしいのが,仏教の優遇である。いまのネパールでは,仏教は,新体制派の体制イデオロギーとして,いたるところで便利に利用されているのである。無節操とすらいってもよい。
これは政教分離にはもちろん,諸宗教公平としての世俗主義の原則にも反している。
私が,田上長崎市長と秋葉前広島市長のブッダ平和賞受賞を喜びつつも,どこか釈然としないのは,この賞があまりにも宗教的だからである。
ブッダ平和賞授賞式の会場がどこであったかは,報道だけではよく分からない。リパブリカ記事(5月18日)によれば,マヤデビ寺院の境内かその隣接地のようだ。
マヤデビ寺院(Google)
授賞式は,大きな仏陀画の前で挙行され(下図中央),金属製の仏像が授与された(同右)。この平和賞は,ネパール政府が授与する賞だが,どう見ても仏前授与式であり,宗教儀式である。
(平和賞HP)
ブッダ平和賞は,革命共和国の世俗主義と両立するのか? 平和賞授与式は,仏陀生誕を祝う仏教儀式の一環ではないのか?
ネパールでは,宗教と無縁の生活は考えられない。政治もそうであろう。しかし,それでは世俗主義とは,いったい何なのか?
この仏陀生誕日のニュース映像を見ていいただきたい。平和賞は完全に仏教儀式のなかに組み込まれ,利用されている。
▼平和賞授与式ニュース(nepalnews, May 17)
宗教は生死の意味を問うものであり,政治的には本質的に危険なものである。仏教も例外ではない。革命共和国が世俗主義をとるのなら,宗教的にもう少し慎み深くあるべきではないだろうか?
谷川昌幸(C)
ブッダ国際平和賞,長崎市長に授与
ネパール政府は1月13日,第1回「ゴータマ・ブッダ国際平和賞」を田上長崎市長と秋葉広島市長に授与することを決定,2月7日にはスベディ駐日次席公使が長崎市役所を訪れ,長崎市長に授賞式への招待状を手渡した。
朝日新聞2011.2.8
ブッダ国際平和賞は,5年に1回,「ブッダの説いた平和に貢献した個人または団体」に贈られる賞であり,今回,その初回受賞者に長崎市長と広島市長が選ばれたのだ。授賞式は5月17日,釈迦生誕地のルンビニで開催される。賞金は5万ドル。名誉なことであり,長崎市民の一人として誇りに思う。
が,それはそれとして,難しいのは,ここでも宗教と政治の関係。ネパールは世俗国家になったが,その前はヒンドゥー国家だったから,世俗化は結果的には,あるいは実際には,反ヒンドゥー(反ヒンドゥー教国家)を意味する。特に,世俗化のシンボルとしてヒンドゥー以外の宗教が用いられると,変なことになる。
そんな馬鹿な,と思われるかもしれないが,現にネパールでは官庁や政党が「仏教」を世俗化のシンボルとしてさかんに利用している。仏教の政治的利用である。
「ゴータマ・ブッダ国際平和賞」も,そうした仏教の政治的利用の一つではないのか? 授与される側としては,そんなことまで気にする必要はないといえばそれまでだが,ネパール政治の内情を多少知る者としては,一抹の不安を禁じえない。
■UNMIN撤退の悲喜劇
■気になる映画「仏陀再誕」
■醜悪な郊外開発
■仏教の政治的利用:ガルトゥング批判
谷川昌幸(C)
UNMIN撤退の悲喜劇
UNMINは,何とか形だけ整え,1月15日をもって任務を終了した。いつものことだが,土壇場で三党合意が成立,UNMIN受け皿として「軍統合特別委員会局」が設立されたのだ。(また役所がひとつ増えたが。)
本当に,ネパールの政治家たちは交渉ごとに熟達している。散々けなし悪口を言いたい放題いったあとで,もっとも効果的な最後の最後で,相手の顔を立て,恩を売る。見事だ。
こうして恩を売りつつ,さらにすごいのが,カネのむしり取り。ekantipur(16 Jan)によれば,UNMINはラジャ空港(ネパールガンジ付近?)やポカラ空港の使用料をまだ払っていない。出て行くなら,使用料2千万ルピーを航空局に払えと要求されている。これをみても,UNMINが金蔓であったことがよくわかる。
これも滑稽だが,それ以上に滑稽というか悲喜劇といってよいのが,ランドグレンUNMIN代表のマダブクマール・ネパール首相訪問。代表はおそらくキリスト教徒であろうが,UNMIN離任挨拶に行ったネパール首相から,平和貢献へのお礼として,なんと仏像を贈られたのだ(Rising Nepal, 16 Jan)。
平和の象徴・仏像の贈呈(Rising Nepal, 16 Jan)
私は仏教徒であり,仏様をイエス・キリストと並ぶ偉大な平和の使徒と信じ,尊敬している。しかし,それとこれは話が違う。先進国と国連は,ネパールに世俗化を押しつけ,それを暫定憲法に書かせた。それなのに,このざまなのだ。
ネパール首相は一私人ではなく,世俗ネパール国家の最高権力者だ。ランドグレン氏もUNMIN代表として首相を訪問している。これは国連とネパール国家との間の公式行事なのだ。それなのに,首相が仏像を贈り,それをランドグレン代表が受け取る。これを悲喜劇といわずして何という。
想像力の欠如,人権無視も甚だしい。国家最高権力者が公式行事で仏像を贈る――それをキリスト教徒,イスラム教徒,共産主義者,無神論者らはどう思うか? いや,ヒンドゥー教徒であっても不快に思う人は少なくあるまい。信仰の自由の明白な侵害ではないか?
結局,先進国や国連がやってきたことは,たとえば国家世俗化についてはこの程度のことなのだ。他の多くの問題についても同じではないか? ネパールは,根本的には何も変わっていない。ネパールにはネパールの強固な文化的伝統があるのだ。
谷川昌幸(C)
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