Posts Tagged ‘丹後半島’
晩春の山村:丹後半島最深部
翌4月22日も快晴の好天。せっかくなので丹後半島の,これまで訪れたことのない最深部に行ってきた。
丹後半島は,この数十年で道路網が拡充されるまでは,文字通り秘境であった。海沿いは急峻な断崖絶壁が多く,道路はあっても狭く曲がりくねった難所が至る所にあった。半島の内陸側は太鼓山(683m)など数百メートルの山々が連なり,冬には数メートルの雪が積もる日本有数の豪雪地帯。丹後半島が,日本三大秘境の一つと呼ばれてきたのも,もっともである。
その丹後半島も,道路整備で見違えるほど便利になった。特に海沿いは「丹後松島」などとも称賛されているように,たいへん美しく,いまでは多くの観光客が訪れる観光名所になっている。私も何回か行ったことがある。
これに対し,丹後半島の内陸部分は,道路こそよくなったものの,これといった名所はなく,訪れる人も少ない。私自身,これまで一度も行ったことはなかった。そこで今回,どのようなところか見に行ってきた。
天橋立・宮津湾側から山に向かって登っていくと,峠頂上付近に小さな集落「上世屋」があった。大江山中腹ほどではないが桜がまだ残り,野の花や新緑と相まって絵のように美しい。地上の楽園!
車を降り,村の中に入ってみると,空き家や廃屋が目についた。急斜面のため田畑が少なく,冬の豪雪など気候も厳しいからであろう。バスは火・水・金にそれぞれ2便のみ。
観光レジャー施設が,おそらく行政主導で,いくつか集落近辺につくられているが,いかにもとってつけた感じで,ほとんど使用されているようには見えなかった。このようなところであれば,安直なミニ・レジャー施設よりも,美しい伝統的家屋の修復保存を進めた方が観光開発には有効と思うのだが,いかがであろうか。
この小集落からさらに上にのぼり,尾根筋に出て,反対側の谷に少し降りると,そこに,さらに小さな集落「木子」があった。ここでも空き家や廃屋が目につく。周囲はほとんど自然林で,新緑が鮮やかだ。秋の紅葉は,さぞや見事であろう。
ここには,古民家のほかには,おしゃれなログハウスのペンションがあるだけ。あまりに小さな集落だからか,ミニ・レジャー施設のようなものは見当たらない。周囲はあふれるばかりの自然。秋には再訪してみたいと思っている。
谷川昌幸(C)
京都の米軍基地(111):いたるところで土木工事
米軍Xバンドレーダー基地を受け入れた丹後半島で目立つのは,土木工事。いたるところで大小様々な工事が行われている。
これらの土木工事のうち,いずれが基地関連かは,ちょっと見ただけでは分からないが,他の地域と比べ工事が相対的に多いことは明らかだ。
たとえば,米軍基地のある丹後町袖志と東隣の伊根町蒲入の間は,丹後半島一周道路(国道178号線)の中でも最難所であり,多くの工事が行われてきた。すでにトンネルや断崖絶壁中腹の難工事はほぼ完了しているが,まだ蒲入漁港付近など狭かったり急カーブだったりする部分がかなり残っており,現在は,それらの改良工事が行われている。
あるいは米軍基地の地元の尾和地区では,農業用水路工事が急ピッチで進められている。また間人付近では,川沿いにバイパスを通す工事が始まっている。平坦な美田だが,そのど真ん中に広い直線道路ができるようだ。
以上のような土木工事のうち,いずれが米軍基地関連かは,前述のように部外者にはよく分からないが,他地域と比べ目立って多いという印象は否めない。丹後半島も,いわゆる「基地依存経済」に向かうのであろうか?
谷川昌幸(C)
京都の米軍基地(110):米軍の英語帝国主義
先日,好天に誘われ,久しぶりに経ケ岬米軍基地の見学に行ってきた。いくつか見られた変化の一つが,米軍英語帝国主義の顕在化。
日本軍もそうだったが,軍は,外国に進駐すると,軍事制圧と並行して文化制圧を図る。特に言語。「はじめに言葉があり,言葉は神であった。」その言葉を進駐軍が重視するのは当然だろう。
経ケ岬米軍は,硬軟様々な言語政策を使い分けている。軟の方の典型は,繰り返し批判してきた,軍人・軍属がおやつ付きで遊んでくれる子供向け行事。少し硬くなると,“生きた英語が話せる”が売りの様々な日米交流事業。そして,さらに硬くなると,地域社会に英語(米語)を事実上強要する強権的駐留政策。
たとえば交通標識の英語表記。丹後では,米軍関係事故がすでに51件も発生している(憂う会「現地報告」11月5日)。日本の交通事情に疎く日本語も解さない米軍関係者に,特権的に車の運転を認めているからだ。事故の場合も,補償交渉は圧倒的に住民不利。こうした状況では,被害を受ける住民としては,せめて基本的な交通標識だけでも英語表記にしてほしいと要望せざるをえなくなる。事実上の英語使用強要への不本意な屈伏である。
むろんグローバル化の進展とともに諸外国との交流が深まり,様々な言語が日本にも入ってきているが,これはいわば自然な多言語化・多文化化であり,権力的に強要されたものではない。
これに対し,丹後半島の標識の英語化は,米軍駐留により半強制的に選択させられたとみるべきである。主権国家の国民として,これは甘受しがたい屈辱である。われわれは,このような米軍英語帝国主義に屈することなく,米軍と日本政府に対し,日本で車を運転する者には,運転に最低限必要な日本語と,日本の交通法規および交通慣行を学ばせよ,と要求し続けるべきであろう。
■基地反対フェスタ看板と「注意」標識/標識付近から望む米軍基地
谷川昌幸(C)
京都の米軍基地(103):反対ビラなし
元旦に行ってみて驚いたのは,第五に,米軍基地反対ビラが,後述看板を除けば,一つも見られなかったこと。基地運用開始前後頃までは,今回走った道路沿いに反対ポスターやビラが多数掲示されていた。ところが,注意深く見ていたが,袖志や尾和の集落内を含め,今回は一つもなかった。
これは,反対派の戦術転換の結果であろうが,その背後には,すでに出来上がってしまったものはもはやどうしようもないという,何らかの諦め心情が多かれ少なかれあるのではないかと思われる。「国益」を掲げ,官僚主義的狡知と利権で強引に既成事実を積み重ねていく権力との闘いは,難しい。
そうした中,平海岸駐車場向い道路わきの看板と,島津米軍住宅隣の看板は,残っていた。勇気ある反対闘争だ。
■島津米軍住宅隣の反対看板。駐車は「Y」ナンバー車(数字消去)
谷川昌幸(C)