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ネパール人「虚偽」難民申請と日本の制度悪

朝日記事「ネパール人留学生,偽りの難民申請,稼ぐため制度乱用」(朝日デジタル10月26日)が,波紋を呼んでいる。要旨は以下の通り。

————-
ネパール人の留学生や技能実習生らが,次々と難民申請をしている。難民認定申請すると,申請後半年から結果がでる数年後まで身分が保障され,有利な条件で働き,金を貯め,帰国することができるから。

たとえば,ネパール人農業実習生の場合,厳しい長時間労働にもかかわらず,月収は7万円であったが,難民申請後,20万円となった。

このネパール人のような難民申請は,虚偽申請であり制度乱用だが,(1)難民認定に時間がかかりすぎる,(2)外国人労働者雇用制度の不備など,日本の制度にも問題がある。
————-

以上が朝日記事の要旨だが,この問題については,数年前から様々な指摘がなされてきた。

(1)「難民認定申請:名古屋入管,06年19人 → 11年225人に急増」:ネパール人,スリランカ人,パキスタン人など(毎日2013/1/8)
(2)「難民保護費:相次ぐ不正受給」:愛知県警,ネパール人4人を難民保護費不正受給容疑で逮捕。(毎日2013/2/9)
(3)「難民申請,最多の3260人 13年,認定は6人に減」:難民申請トルコ658,ネパール544,ミャンマー380,スリランカ345(共同2014/3/20)

たしかに,ネパール人難民申請は,急増している。入国管理局によれば,以下の通り。

難民認定申請者(法務省入国管理局「平成25年における難民認定者数等について」平成26年3月20日)
141029c
141029a 141029b

2013年度難民認定6人のうちネパール人が何人かは分からないが,ゼロか,いてもごくわずかであることは間違いない。難民認定基準が厳しすぎるにせよ,現行制度を前提とするなら,ネパール人難民申請の多くが,いわゆる「虚偽申請」ないし「制度乱用」に当たるとみざるをえない。

この現状には,いくつか問題がある。第一に,本当に必要な人の難民申請や認定に支障が出るということ。第二に,労働目的の難民申請に非難の矛先が向けられることにより,日本の外国人雇用制度そのものの不当性が隠蔽される恐れがあるということ。

たしかに,現行の制度を前提とするなら,ネパール人難民申請の多くは,いわゆる「虚偽申請」ないし「制度乱用」であろうが,しかし,これは申請するネパール人の側の責任では,断じてない。責任は,あげて日本の外国人労働者制度(特に技能実習制度)や難民認定制度にある。

悪いのは,日本の制度。朝日記事のように,過度にセンセーショナルな見出しをつけると,誤解を招きかねない。かりそめにも,ヘイトスピーチの矛先をネパール人労働者に誘導し,憂さ晴らしをさせるようなことは,してはならない。

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【参照1】(2015-2-18追加)

曽野綾子の透明な歳月の光  労働力不足と移民 「適度な距離」保ち受け入れを
 最近の「イスラム国」の問題など見ていると、つくづく他民族の心情や文化を理解するのはむずかしい、と思う。一方で若い世代の人口比率が減るばかりの日本では、労働力の補充のためにも、労働移民を認めねばならないという立場に追い込まれている。・・・・
 しかし同時に、移民としての法的身分は厳重に守るように制度を作らねばならない。・・・・
 ここまで書いてきたこと矛盾するようだが、外国人を理解するために、居住を共にするということは至難の業だ。
 もう20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった。・・・・
 爾来、私は言っている。 「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」 

(産経新聞2015年2月11日付コラム要旨抜粋)

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産経新聞 曽野綾子さんのコラムへの抗議文

曽野綾子様  産経新聞社常務取締役 飯塚浩彦様

 『産経新聞』2015年2月11日付朝刊7面に掲載された、曽野綾子氏のコラム「労働力不足と移民」は、南アフリカのアパルトヘイト問題や、日本社会における多様なルーツをもつ人々の共生に関心を寄せてきた私たちにとって、看過できない内容を含んでおり、著者の曽野綾子氏およびコラムを掲載した産経新聞社に対して、ここに強く抗議いたします。
 曽野氏はコラムのなかで、高齢者介護を担う労働力不足を緩和するための移民労働者受入れについて述べるなかで、「外国人を理解するために、居住を共にするということは至難の業」であり、「もう20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった」との持論を展開しています。
 「アパルトヘイト」は現地の言葉で「隔離」を意味し、人種ごとに居住区を分けることがすべてのアパルトヘイト政策の根幹にありました。また、アパルトヘイトは、特権をもつ一部の集団が、権利を剥奪された他の集団を、必要なぶんだけ労働力として利用しつつ、居住区は別に指定して自分たちの生活空間から排除するという、労働力管理システムでもありました。移民労働者の導入にからめて「居住区を分ける」ことを提案する曽野氏の主張は、アパルトヘイトの労働力管理システムと同じです。国際社会から「人道に対する罪」と強く非難されてきたアパルトヘイトを擁護し、さらにそれを日本でも導入せよとの曽野氏の主張は言語道断であり、強く抗議いたします。このような考え方は国際社会の一員としても恥ずべきものです。
 おりしも、このコラムが掲載された2015年2月11日は、故ネルソン・マンデラ氏が釈放されて、ちょうど25年目にあたる日でした。その記念すべき日に、南アフリカの人びとが命をかけて勝ち取ったアパルトヘイトの終焉と人種差別のない社会の価値を否定するような文章が社会の公器たる新聞紙上に掲載されたことを、私たちはとても残念に思います。
 曽野綾子氏と産経新聞社には、当該コラムの撤回と、南アフリカの人々への謝罪を求めます。また、このような内容のコラムが掲載されるに至った経緯、および人権や人種差別問題に関する見解を明らかにすることを求めます。以上について、2015年2月28日までに文書でアフリカ日本協議会(AJF)へお知らせくださるようお願いいたします。また、貴社のご対応内容については他の市民団体、在日南アフリカ共和国大使館、国際機関、報道機関などへ公開するつもりであることを申し添えます。

2015年2月13日  (特活)アフリカ日本協議会 代表理事 津山直子

The Letter to Sankei-shinbun and Ms. Sono Ayako in English
13 Febrary 2013

Ms. Ayako Sono, the author  Mr. Hirohiko Iizuka, Managing Direcor, SANKEI SHIMBUN CO.,LTD

Ms. Ayako Sono’s column which appeared on the Sankei Shimbun morning edition on 11 February 2015, has inappropriate contents that cannot be overlooked. We, as an NGO which has had concerns about apartheid in South Africa and aspiration for harmonious coexistence of people with various roots within Japanese society, strongly protest against the author of the column as well as against the Sankei Shimbun for running the article.

In the column Ms. Sono, discussed the need to introduce immigrant workers who would provide nursing care for the elderly in Japan and wrote that she felt it extremely difficult to live with foreigners. She also wrote “Since learning about the situation in South Africa 20 or 30 years ago, I’ve come to think that whites, Asians, and blacks should live separately.” (Translation by Japan Times, “Author Sono Calls for Racial Segregation in Op-Ed Piece,” 12 February 2015)

“Apartheid” means “separation” in the local language of South Africans. Separating residential areas according to race was the foundation of apartheid policy. Apartheid was also a labor force management system, in which the privileged race deprived other races of their rights by using them as convenient labor. At the same time this privileged race did not let these races remain in their own areas. Arguing for a separate residential area for immigrant workers, as Ms. Sono does, is synonymous with calling for an apartheid system in Japan. It is abominable to defend apartheid, which has been strongly condemned by the international community as a “crime against humanity”, and to argue for introducing a similar system in Japan. We strongly object to this opinion. It is a shameful act to express such views as a member of the world community.

Coincidentally, the day the column run, 11 February 2015, was a 25th anniversary of the late Mr. Nelson Mandela’s release from the prison. It was very disappointing that we had to find, on this memorable day, a column which negates the significance that South African people fought, risking their lives, for the end of apartheid and the realization of society without racial discrimination.

We demand Ms. Sono and the Sankei Shimbun retract this column and apologize to the people of South Africa. We also demand an explanation regarding the process in which the column went to press, and your view on human rights and racism. Please send us your written response to Africa Japan Forum (AJF) by 28 February 2015. Please be advised that we intend to inform other NGOs, the South African Embassy, international organizations, and various media companies of any response we receive from you.

Tsuyama Naoko  President  Africa Japan Forum

(http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/archives/sonoayako-sankei20150211.html)

【参照2】(2015-2-25追加)
亀井伸孝「『文化が違うから分ければよい』のか―アパルトヘイトと差異の承認の政治」
 ・曽野綾子氏の産経新聞コラム。「人種主義」と「文化による隔離」の二つの問題点。
 ・文化人類学は、南アフリカのアパルトヘイト成立に加担。
 ・黒人の母語使用を奨励する隔離教育。
 ・「同化」を強要しないスタンスが、「隔離」という別の差別を生む温床。

【参照3】ネパール人夫婦,難民認定(2015年4月24日追加)
愛知県豊川市在住のネパール人夫婦が,2015年3月27日,難民認定された。RPP党員で,マオイストに迫害され,2007年1月観光ビザで来日,2010年難民申請するも2011年不認定。2011年5月,異議を申し立て,これが3月27日認められ,ネパール人初の難民認定となった。
*中日新聞,毎日新聞,朝日デジタル,2015年4月24日。

谷川昌幸(C)

3 teenagers arrested for hurling eggs at Nepalese student

TOSU, Saga — Three teenagers have been arrested for allegedly hurling eggs at a Nepalese student studying at a Japanese-language school here earlier this month, police said.

The three youths….stand accused of assault. Officials of the Japanese-language school say 19 of its students from Nepal, Vietnam and Sri Lanka, have been targeted in similar attacks since December last year….(May 27,2014, Mainichi Japan)

これは,5月20日夜のネパール人留学生襲撃事件を伝える英字新聞だ。生々しい。

佐賀県鳥栖市では,昨年末頃から外国人留学生に生卵を投げつけたり,マヨネーズをかけたり,さらにはエアガンで撃ったりする事件が,続発していた。被害学生は,ネパール人,ベトナム人,スリランカ人ら19人で,なかには国籍を確認してから襲撃した事件もあったというから,悪質だ。

鳥栖署は5月26日,ネパール人留学生襲撃容疑で少年3人(18-19歳)を逮捕し,6月13日,佐賀地裁に送致した。

このアジア人留学生襲撃事件の背後には,嫌韓,嫌中などアジア人蔑視,アジア人差別の風潮の蔓延があると見てよいであろう。自分もアジア人のくせに,日本人は別格,「名誉白人」らしい。

この風潮を暗黙裏に応援しているのが「外国人実習(研修)制度」。外国人を安上がりの使い捨て労働者として酷使し,しかも国内に居着かれると困るので数年で国外に追い返す。

日本政府が公正な扱いをしようとしないので,当然,いわゆる「不法就労」が増える。そこで,たとえば,このような警告が出されることになる。

     外国人の不正就労防止にご協力ください [佐賀県警]
不法就労活動とは 在留資格を持って在留する外国人が資格外活動許可を得ることなく行う活動です。・・・・
140720c

むろん佐賀県警は,規則に則り善意で作成し掲示しているのだろうが,情緒的排外主義の高まりの中で,このような広報が愛国青少年の愛国心を刺激することは避けられまい。

また,鳥栖市の方も,どこまで本気で外国人差別問題と取り組むつもりか疑わしい。ネパール人襲撃事件を受け作成され配布されたとされるチラシが,これ。(⇒原本pdf)

140720a140720b

【参照】毎日5月27日;朝日デジタル6月11日;朝日7月19日;読売6月14日;西日本新聞5月28日,6月17日;佐賀新聞7月15日

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/07/20 at 18:55

朝日と佐野氏の優生思想:「ハシシタ 奴の本性」の危険性

朝日新聞出版は10月18日、『週刊朝日』10月26日号から開始した佐野眞一・週刊朝日取材班著「ハシシタ 奴の本性」の連載を中止する、と発表した。「同和地区を特定するような表現など、不適切な記述が複数ありました」(朝日新聞10月19日)ということが中止理由。


  ■『週刊朝日』表紙

1.品性下劣な文章
この記事「ハシシタ 奴の本性」は、ノンフィクション作家の手になるとは到底信じられないほど、品性下劣な文章だ。文章の専門家だから、わざと意識的に下品で乱暴な表現を使ったのだろうが、なぜか文章としては全くこなれていない。ましてや、これはフィクションではなく、取材に基づくドキュメンタリーだ。いくら橋下たたきの大向こう受けをねらったとしても、あまりにも度が過ぎ、幼稚だ。

佐野氏は、これは取材班2名の筆だと抗弁されるかもしれないが、2名はあくまでも取材協力者であり、記事の主たる筆者・責任者は佐野氏である。本文も、佐野氏が自ら書いているという前提で書かれている。

私はこの連載で橋下の政治手法を検証するつもりはない。」(21頁、強調追加)
「この連載で私が解明したいと思っているのは、橋下という人間そのものである。」(22頁、強調追加)
私はそんなことを考えながら、・・・・長時間インタビューした。」(22頁、強調追加)
私は死んだ之峯の縁戚が淡々と語る話を聞きながら、これはまごうことなく中上健次の世界だな、と思った。」(23頁、強調追加)

このように、記事はあくまでも「私」である佐野氏が執筆しているのであり、第一の文責はいうまでもなく佐野氏にある。(編集責任はむろん週刊朝日編集長。)

しかし、もしそうであるなら、佐野氏のような実績のある作家が、どうしてこのような品性下劣な文章を書かれたのか、そこのところが全く理解できない。「ハシシタ 奴の本性」というタイトルからして、ヒネリも品もない。まるでネット放言レベルだ。

2.ナチス流優生学
佐野氏の文章は下品なだけでなく、危険でもある。それは、あえていうならば、ナチス流優生学により政治家を断罪しようとするものだからである。

たしかに、朝日新聞出版が謝罪したように、記事には同和地区を特定するような部分もあったが、それはむしろ派生的な問題である。核心はそこにではなく、橋下氏自身が鋭く指摘しているように、「先祖や縁戚、DNAをあげて過去を暴き出していく」佐野氏の手法,その「血脈主義につながる危険な思想」(朝日新聞10月19日)にこそある。通俗的な言葉でいえば、「親の因果が子に祟る(親の因果が子に報い)」といった,いまどき希有なアナクロ人間観だ。橋下氏の政治家としての評価がどうであれ、彼の反論は100パーセント正しい。

佐野氏はこう述べている。

「この連載で私が解明したいと思っているのは、橋下徹という人間そのものである。・・・・敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容な人格であり、そのやっかいな性格の根にある橋下の本性である。/そのためには、橋下徹の両親や、橋下家のルーツについて、できるだけ詳しく調べ上げなければならない。」(22頁、強調追加)

ここで使われている「本性」とは、「nature」ないし「human nature」のことである。「nature」は「自然」であり、したがって人為的ではない天与の「不変の本質」という意味である。

つまり、「人間の本性(human nature)」とは、本人の努力では如何ともしがたい、持って生まれたその人の「宿命」ということ。これは、大学教養課程で習う文明史・思想史の初歩であり、当然、佐野氏もよくご存じのはずである。佐野氏は、そのことがわかった上で、橋下氏の「本性(nature)」を解明すると宣言されたわけだ。

ここで、もう一度確認するなら、人間の「本性」は、「自然によって(by nature)」授けられた、「生まれながらの(by nature)」その人の本質である。もしそうだとするなら、佐野氏がいうように、橋下氏の「本性」は、そのルーツに、つまり血脈ないし血統にあるということになる。

こうした観点から,記事は、ご丁寧にも、詳細な「橋下家家系図」を掲載している。また、タイトル・キャプションは「佐野眞一氏と本誌は、彼の血脈をたどる取材を始めた」(18頁、強調追加)であり、『週刊朝日』表紙には「橋下徹のDNAをさかのぼり本性をあぶり出す」(強調追加)と大書されている。

こんな露骨な血統主義、人種主義は、最近、目にしたことがない。表紙見出しは佐野氏自身のものではないかもしれないが、「DNAをさかのぼり本性をあぶり出す」とは、非常識の極み、狂気の沙汰だ。DNAは要するに遺伝子。その「DNA」や「血脈」で、政治家の思想や信条が決定される! これは、ナチス流優生学といっても、決して過言ではあるまい。

佐野氏は、「橋下の手口は“ハシズム”と呼ばれるように、たしかにヒトラーに似ている」(21頁)と述べているが、表層ではなく、もっと根源的なところでヒットラー(ナチス)と似ているのは、むしろ佐野氏の方ではないだろうか。

3.朝日のDNA
朝日新聞社は、この佐野氏の連載記事について、朝日新聞出版は別会社であり編集権も別だから、朝日新聞社には直接的責任はない、という立場を取っている。

これは形式論理に過ぎず、世間の常識では認められないが、それにもまして深刻なのは、週刊朝日記事流にいうならば、優生思想は朝日全体をあまねく貫流する「DNA」である、ということだ。

このことについては、すでに幾度も批判し、少なくとも西部本社は、私の批判の正当性を認め、紙面に掲載してくれた(下記拙稿参照)。
 ▼血液型性格判断,朝日はB型 2011/08/14
 ▼天声人語の血液型性格論 2008/12/18
 ▼血液型優生学を粉砕せよ 2008/10/16
 ▼朝日の血液型優生学 2008/06/29
 ▼カースト差別より危険な血液型差別 2006/10/08
 ▼「血液型の記載,記事には不要」 朝日新聞西部本社版、2006.10.8

しかし、それにもかかわらず、朝日は、またしてもこのような事件を起こしてしまった。10月16日付朝刊には、この図のような過激な宣伝が掲載されている。そこには、なんと「橋下徹本人も知らない本性をあぶり出すため、血脈をたどった!」(強調追加)と大書されている。


  ■朝日新聞(10/16)掲載広告

本人も知らない本性をあぶり出すために血脈をたどる――それがいかに非人間的、反人権的な許されざることであるかは、自明のことだ。それなのに、平気で本紙に広告を掲載する。それこそ、朝日は、朝日自身も気づかないDNAによって,密かに操られているからに他ならない。

このように、朝日新聞は、優生思想のDNAを持っているため、優生思想については極めて鈍感だ。佐野氏の記事掲載は、連載中止ではすまされないほど重大であり、朝日新聞社は責任を取り『週刊朝日』を廃刊にすべきである。

それと同時に、朝日新聞自身も、自らのうちに、佐野氏記事の掲載に走るような、優生思想ないし人種主義あるいはDNAを持つことを、よくよく自覚すべきである。

もっとも、朝日新聞が「本人も知らない本性」を持っているとすれば、それは朝日新聞の努力をもってしては如何ともしがたい「宿命」と観念せざるをえないのではあろうが。

谷川昌幸(C)

マオイストの憲法案(15)

4(9) 不可触民差別および人種差別に対する権利
マオイスト憲法案第30条は,不可触民差別や人種差別を禁止している。カースト差別,人種差別は,1962年憲法第10条でも禁止されており,その規定がその通り適用されておれば,それらの差別はなくなっていたはずである。しかし,他の多くの規定同様,62年憲法第10条も実際には無視され,非道なカースト差別が続いてきた。

1990年民主化運動成功により成立した90年憲法では,第11条で「不可触民」差別禁止が明記され,具体的に「公共の場所への立ち入り拒否」や「公共施設の利用拒否」を明文で禁止した。

2007年暫定憲法では,14条(1)~(5)により,不可触民差別と人種差別を,憲法にそぐわないほど詳細かつ具体的に規定し禁止している。マオイスト案は,それを受けているが,一部マオイストらしさを出したところもある。

暫定憲法第14条
(1) カースト,出自,共同体または職業を理由とした人種差別または不可触民差別の禁止。差別者は処罰され,被害者は賠償される。
(2) カーストまたは部族を理由に,公共的な施設利用もしくはサービスを拒否すること,公共的な場所もしくは宗教的な場所への立ち入りを拒否すること,または,宗教的行為を拒否すること,の禁止。
(3) カーストまたは部族を理由に,商品やサービスの生産や提供を拒否することの禁止。
(4) カースト,部族もしくは出自を理由として,優劣を述べること,社会的差別を正当化すること,カーストの優劣もしくは憎悪の思想を広めること,または,他の形でのカースト差別を助長すること,の禁止。
(5) (2)~(4)に抵触する行為の処罰。

マオイスト憲法案第30条
(1) 上記(1)に対応。差別理由に「身体的条件」を追加。賠償規定なし。
(2) 上記(3)と同じ。
(3) 上記(4)に対応。差別理由に「不可触民」追加。
(4) 不可触民カーストを理由として,本人の意思に反する行為や仕事をさせ,差別することの禁止。
(5) あらゆる形の不可触民差別や他の差別の処罰と,差別被害者への賠償。

カースト差別禁止という点ではマオイスト憲法案と暫定憲法は同じだが,ニュアンスは微妙に異なる。全体的にマオイスト案では,不可触民差別禁止が前面に出ている。また,暫定憲法14条(2)が公共的な場所立ち入りやサービスの拒否を禁止しているのに対し,マオイスト案は職業の強制を禁止している。

カースト差別については,憲法にここまで細々と記述する必要は無いと思うが,62年憲法のような差別禁止の原則規定だけでは実効性がなかったことを考えると,可能な限り詳細かつ具体的に憲法に記述せざるを得なかったのだろう。

マオイスト人民戦争は問題も多いが,少なくともカースト差別や性差別をラディカルに批判し,差別撤廃へ向けて大きく前進させたことは,高く評価できる。

マオイストの「蛮勇」なくして,カースト差別や性差別撤廃へ向けてのこれだけの前進はあり得なかったと断言してもよい。ピューリタン革命の「首切り斧」,フランス革命の「ギロチン」,社会主義革命の「人民裁判」――歴史は残酷なものだ。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/04/16 at 10:38

外国人研修実習制は奴隷制:国連調査報告

谷川昌幸(C)
インド実地調査の疲れがどっと出てブログを見るのもおっくうだったが,今朝の新聞(朝日ほか)を見ると,国連特別報告者が外国人研修制を「奴隷制」と批判したとの記事が出ていたので,ネットで確かめてみた。
 
国連広報センターによれば,調査したのは「国連移住者の人権に関する特別報告者」ホルス・ブスタマンテ氏。「移住者の人権に関する国連専門家,訪日調査を終了」(No.1548, 3月31日)というタイトルで,公表されている。
 
このブスタマンテ報告によれば,日本には「人種主義,差別や搾取が存在し,司法機関や警察に移住者の権利を無視する傾向がある」。そして――
 
「研修・技能実習制度は、往々にして研修生・技能実習生の心身の健康、身体的尊厳、表現・移動の自由などの権利侵害となるような条件の下、搾取的で安価な労働力を供給し、奴隷的状態にまで発展している場合さえある。このような制度を廃止し、雇用制度に変更すべきである。」
 
"The industrial trainees and technical interns programme often fuels demand for exploitative cheap labour under conditions that constitute violations of the right to physical and mental health, physical integrity, freedom of expression and movement of foreign trainees and interns, and that in some cases may well amount to slavery. This program should be discontinued and replaced by an employment programme."
 
これは日本にとって恥ずべきことだ。外国人研修実習制度は,ときには「奴隷制slavery」となっている,と国連機関により公式に認定され,「廃止せよ」と勧告されているのだ。
 
ネパール人研修実習生の募集がどうしてもやめられないのなら,少なくとも,仲介業者にはこのような国連見解の説明を義務づけるべきであろう。実態を知らせた上での募集なら,知らせないままの募集より,まだしも「公平」といえるからである。

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【参 照】(2015-2-18追加)

曽野綾子の透明な歳月の光  労働力不足と移民 「適度な距離」保ち受け入れを
 最近の「イスラム国」の問題など見ていると、つくづく他民族の心情や文化を理解するのはむずかしい、と思う。一方で若い世代の人口比率が減るばかりの日本では、労働力の補充のためにも、労働移民を認めねばならないという立場に追い込まれている。・・・・
 しかし同時に、移民としての法的身分は厳重に守るように制度を作らねばならない。・・・・
 ここまで書いてきたこと矛盾するようだが、外国人を理解するために、居住を共にするということは至難の業だ。
 もう20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった。・・・・
 爾来、私は言っている。 「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」 

(産経新聞2015年2月11日付コラム要旨抜粋)

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産経新聞 曽野綾子さんのコラムへの抗議文

曽野綾子様  産経新聞社常務取締役 飯塚浩彦様

 『産経新聞』2015年2月11日付朝刊7面に掲載された、曽野綾子氏のコラム「労働力不足と移民」は、南アフリカのアパルトヘイト問題や、日本社会における多様なルーツをもつ人々の共生に関心を寄せてきた私たちにとって、看過できない内容を含んでおり、著者の曽野綾子氏およびコラムを掲載した産経新聞社に対して、ここに強く抗議いたします。
 曽野氏はコラムのなかで、高齢者介護を担う労働力不足を緩和するための移民労働者受入れについて述べるなかで、「外国人を理解するために、居住を共にするということは至難の業」であり、「もう20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった」との持論を展開しています。
 「アパルトヘイト」は現地の言葉で「隔離」を意味し、人種ごとに居住区を分けることがすべてのアパルトヘイト政策の根幹にありました。また、アパルトヘイトは、特権をもつ一部の集団が、権利を剥奪された他の集団を、必要なぶんだけ労働力として利用しつつ、居住区は別に指定して自分たちの生活空間から排除するという、労働力管理システムでもありました。移民労働者の導入にからめて「居住区を分ける」ことを提案する曽野氏の主張は、アパルトヘイトの労働力管理システムと同じです。国際社会から「人道に対する罪」と強く非難されてきたアパルトヘイトを擁護し、さらにそれを日本でも導入せよとの曽野氏の主張は言語道断であり、強く抗議いたします。このような考え方は国際社会の一員としても恥ずべきものです。
 おりしも、このコラムが掲載された2015年2月11日は、故ネルソン・マンデラ氏が釈放されて、ちょうど25年目にあたる日でした。その記念すべき日に、南アフリカの人びとが命をかけて勝ち取ったアパルトヘイトの終焉と人種差別のない社会の価値を否定するような文章が社会の公器たる新聞紙上に掲載されたことを、私たちはとても残念に思います。
 曽野綾子氏と産経新聞社には、当該コラムの撤回と、南アフリカの人々への謝罪を求めます。また、このような内容のコラムが掲載されるに至った経緯、および人権や人種差別問題に関する見解を明らかにすることを求めます。以上について、2015年2月28日までに文書でアフリカ日本協議会(AJF)へお知らせくださるようお願いいたします。また、貴社のご対応内容については他の市民団体、在日南アフリカ共和国大使館、国際機関、報道機関などへ公開するつもりであることを申し添えます。

2015年2月13日  (特活)アフリカ日本協議会 代表理事 津山直子

The Letter to Sankei-shinbun and Ms. Sono Ayako in English
13 Febrary 2013

Ms. Ayako Sono, the author  Mr. Hirohiko Iizuka, Managing Direcor, SANKEI SHIMBUN CO.,LTD

Ms. Ayako Sono’s column which appeared on the Sankei Shimbun morning edition on 11 February 2015, has inappropriate contents that cannot be overlooked. We, as an NGO which has had concerns about apartheid in South Africa and aspiration for harmonious coexistence of people with various roots within Japanese society, strongly protest against the author of the column as well as against the Sankei Shimbun for running the article.

In the column Ms. Sono, discussed the need to introduce immigrant workers who would provide nursing care for the elderly in Japan and wrote that she felt it extremely difficult to live with foreigners. She also wrote “Since learning about the situation in South Africa 20 or 30 years ago, I’ve come to think that whites, Asians, and blacks should live separately.” (Translation by Japan Times, “Author Sono Calls for Racial Segregation in Op-Ed Piece,” 12 February 2015)

“Apartheid” means “separation” in the local language of South Africans. Separating residential areas according to race was the foundation of apartheid policy. Apartheid was also a labor force management system, in which the privileged race deprived other races of their rights by using them as convenient labor. At the same time this privileged race did not let these races remain in their own areas. Arguing for a separate residential area for immigrant workers, as Ms. Sono does, is synonymous with calling for an apartheid system in Japan. It is abominable to defend apartheid, which has been strongly condemned by the international community as a “crime against humanity”, and to argue for introducing a similar system in Japan. We strongly object to this opinion. It is a shameful act to express such views as a member of the world community.

Coincidentally, the day the column run, 11 February 2015, was a 25th anniversary of the late Mr. Nelson Mandela’s release from the prison. It was very disappointing that we had to find, on this memorable day, a column which negates the significance that South African people fought, risking their lives, for the end of apartheid and the realization of society without racial discrimination.

We demand Ms. Sono and the Sankei Shimbun retract this column and apologize to the people of South Africa. We also demand an explanation regarding the process in which the column went to press, and your view on human rights and racism. Please send us your written response to Africa Japan Forum (AJF) by 28 February 2015. Please be advised that we intend to inform other NGOs, the South African Embassy, international organizations, and various media companies of any response we receive from you.

Tsuyama Naoko  President  Africa Japan Forum

(http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/archives/sonoayako-sankei20150211.html)

Written by Tanigawa

2010/04/01 at 17:58

「蝶々夫人」のグロテスクと人種差別

谷川昌幸(C)

プッチーニの「蝶々夫人」は幾度か聴いたし,「ある晴れた日に」は名曲だと思う。が,オペラそのものは,長崎に来てからも,一度も観てはいない。なにやら,直感的にイヤな予感がしたからだ。しかし,長崎にいながら「蝶々夫人」を観ないのはいけないと反省し,DVDを買ってきて,観てみた。
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  ・カラヤン指揮/ウィーンフィルハーモニー管弦楽団(1974年制作)
  ・蝶々夫人=フレー二/ピンカートン=ドミンゴ

愕然とした。悪趣味でグロテスク,こんな日本蔑視の人種差別が許されてよいのか。

[1]
オペラは歌劇であり,他にも荒唐無稽な物語が少なくない。また,ロングの原作小説「マダム・バタフライ」(1898)も,読んではいない。しかし,そうした限定をつけた上でも,オペラ「蝶々夫人」は,限度を超えた日本蔑視,人種差別である,と論断せざるをえない。

[2]
オペラによれば,アメリカ海軍士官ピンカートンは,帰国後米国女性と結婚するつもりなのに,15歳の蝶々さんを現地妻として買う。米領事シャープレスも同席し,これを公認。蝶々さんは,キリスト教への「自発的」改宗さえ余儀なくされる。

こうして,蝶々さんは,ピンカートンに身体と魂を売り,子供を出産。ところが,ピンカートンは,そんな蝶々さんを残し,無情にもアメリカに帰国してしまう。

3年余後,ピンカートンが再び長崎に来て,本妻ケートを連れ,蝶々さんのところに来る。ケートは,蝶々さんから子供を奪い,これに絶望した蝶々さんは,短刀で自殺してしまう。

[3]
15歳の日本少女が金で買われ,身体をもてあそばれ,人格をズタズタに引き裂かれ,子供さえも本妻に奪われ,自殺に追い込まれる。いくら荒唐無稽なオペラとはいえ,そんな少女虐待ドラマを,異国趣味の純愛物語に仕立て,紳士淑女の前で堂々と演じてよいわけがない。

たしかに,開国前後の長崎には,蝶々さんと同じような境遇の「洋妾(ラシャメン)」が何人かはいた。幕府・政府もそれを公認していた。しかし,だからといって,この露骨な日本蔑視,少女売買,人権侵害を,現代において,芸術の名で平然と公演してよいということにはならない。

[4]
単なる異文化の無理解なら許せる。たとえば,靴を履いたまま畳敷きの部屋を歩き回るといったこと。あるいは,人身売買仲介人ゴローに見られるような,日本人の極度のデフォルメも,まあ辛抱できないことはない。

許せないのは,非西洋人を見下し,おもちゃにし,恬として恥じない,その西洋人の傲岸,無礼だ。「蝶々夫人」は芸術作品ではなく,人種差別のキリスト教西洋プロパガンダである。

[5]
もちろん,現代の価値観で過去を一方的に裁くことは許されないし,そんなことをしても生産的ではない。が,その一方で,普遍的な人間性の理念への訴えを見失えば,文化も芸術も退廃する。

カントがいうように,「汝の人格ならびに他のすべての人の人格における人間性を常に同時に目的として使用し、けっして手段としないように行為せよ」,「汝の意志の格率が同時に普遍的な立法の原理として通用しうるように行為せよ」ということは,いかなる場合にも,決して忘れてはならないことだ。

もしオペラ演出家や指揮者が,普遍的真理の観点からの作品の精神性への批判を頭から放棄してしまうなら,いくら技巧が優れていようと,そんな作品は鑑賞に値しない。たとえ帝王指揮であろうと,屑籠行きだ。

[6]
「蝶々夫人」には,他の解釈・演出もあろう。カネとヒマができたら,他のDVDを買ってきて比較してみようと思う。 それにしても,異文化の理解は難しい。このネパール評論が,ネパール蔑視とならないことを願うばかりだ。

【参照】岩上安身ツイッター“蝶々夫人と日米関係”(2014/03/13追加)
  蝶々夫人と日米関係1  蝶々夫人と日米関係2

Written by Tanigawa

2009/02/25 at 00:25

カテゴリー: 音楽, 文化, 人権

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