Posts Tagged ‘仏教’
仏陀と印中の三角関係
仏陀をめぐる印中の三角関係がこのところ怪しくなってきた。信仰というよりは,カネと政治の思惑から。
インド側は,釈迦が育ったとされるカピラバストゥ城はネパール側のティラウラコートではなく印側のピプラワにあると主張し,ブッダガヤを目玉とするインド仏教遺跡巡りを宣伝し,そこに釈迦生誕地ルンビニを組み込もうとしている。
これに対し,中国側はネパール政府に急接近し,ルンビニ空港建設やチベット鉄道延伸により中国人旅行客をルンビニ付近に大量に送り込もうとしている,といわれている。ネパール=中国主導のルンビニ仏教遺跡巡りだ。
この仏教遺跡をめぐる印とネ中の争いは,直接的には観光開発の主導権争いだが,それは同時にネ印国境付近への中国進出をめぐる地政学的な争いでもある。
仏様の「現世利益」利用。バチ当たりなことだ。
■The Upper Ganges Valley(http://www.buddhanet.net/)
*1 ELLEN BARRY, “India and Nepal in Not-Very-Enlightened Spat Over Buddha’s Childhood Home,” New York Times, JUNE 1, 2016
*2 “Trans-national route from India to Nepal on the anvil: Buddhist circuit,” Kathmandu Post, Jun 1, 2016
谷川昌幸(C)
インドはネパール76番目の郡:Nepali Humor
仏陀はネパールに生まれ,エベレストはネパールにある,したがって,インドはネパールの76番目の郡だ!
ネパールお得意のユーモア。自虐ネタであり,仏教の政治的利用(これはかなりマジメ)でもあるが,内弁慶の日本ナショナリストよりはマシだ。くやしかったら,アメリカは日本の48番目の県だと,アメリカに向かって叫んでみよ。
■India – 76th District of Nepal
谷川昌幸(C)
チティパティに魅せられて(2)
こちらのチティパティ・タンカは,さらにシンプルであり,好ましい。仏教知識皆無で専門的な絵解きはできないが,それだけにかえって邪念なしに,絵そのものを見ることができる。
この男女は骸骨であり,当然,死んでしまっているが,それにもかかわらず歓喜にあふれている。
近代の哲学者,ホッブスは,死を最大苦=最大悪と考え,死を防止するための主権国家リバイアサンを構想した。このように,近代人にとって死は如何ともしがたい宿命ではなく,人為により最大限防止すべきものとなった。医学をはじめ近代諸科学の目標は,死の克服である。
このようにして,神仏の加護ではなく,人為による死の克服が目標になると,現実の死はとりあえずカッコ(病院など)にいれ,日常生活においては,できるだけ見えないようにされる。あたかも死が存在しないかのような生活が,一般化したのである。
しかし,これは根拠なき生の永続幻想である。そのため,近現代人は,そこはかとない不安に常につきまとわれ,生の無上の歓喜を味わうことが出来なくなってしまっている。
ところが,チティパティの男女は,ホッブス流の最大苦=死にもかかわらず,歓喜雀躍している。あるいは,この男女は,骸骨になっているにもかかわらず性行為中のようであり,もしそうなら,生(性)から死まで,すべてを悟得して,そこに無限の歓喜はあるといっているのかもしれない。
いずれにせよ,この骸骨男女の表情は,すばらしい。無邪気な歓喜にあふれている。骸骨なのに,生者より生き生きとしている。彼らを見ると,見返され,つい微笑まざるをえない。このような満面の笑みをもって死を迎えられたら,これに勝る幸せはあるまい。
谷川昌幸(C)
チティパティに魅せられて(1)
ネパールに初めていった頃,何もかもが珍しかったが,それらの中でも最も深く魅せられたのが,チティパティ・タンカ(Cicipati Thangka)である。
仏教の知識は皆無に近く,チティパティについても詳しくは何も知らない。ネット情報によれば,チベットのツャム(仮面舞踏)の祭りに登場する男女の骸骨が「墓場の主(lords of the cemetery)」たるチティパティ(屍陀林王)。
伝承によれば,この2人は深く瞑想修行していたため,賊に首を切られても気づかなかったという。チティパティは,このような深い瞑想,人生を果てなき死の舞踏と悟ること,あるいは完全な解脱,を意味するらしい。恐ろしい骸骨姿のため,盗人や悪霊からの守護といった現世利益も期待されているようだが,これはいわば方便であろう。
いずれにせよ,そうした宗教的な深遠なことは,私には分からない。しかし,何の予備知識もなかったが,曼荼羅屋さんでチティパテイ・タンカを見たとたん,深く魅せられ,どうしても欲しくなってしまった。言い値は,高僧が修行で描いたとかで,かなり高かったが,仏罰も顧みず散々値切り,それでも大枚をはたいて購入し,持ち帰った。
気が滅入ったとき,落ち込んだとき,このチティパティをみると,大いに癒やされ,心穏やかとなる。信心を超えた,深甚な真実の力に大きく包まれるからであろう。
谷川昌幸(C)
「白亜のゴンパ」と花のイチャング
1.「白亜のゴンパ」
11月24日、カトマンズ西方の丘の上にある「白亜のゴンパ(Druk Amitabha Mountain)」に行った。街からもよく見える巨大なゴンパであり、いったいどのようなものなのか気になっていた。
キルティプールからタクシーで環状道路のカランキ交差点の先、スワヤンブーの手前を左折、少し登ったところを右折し、イチャングに行く道にはいる。狭いでこぼこの田舎道を少し行き左折すると、「白亜のゴンパ」への登山道路となる
この道路は完全舗装。いったん停車したら再発進できないのではと思うほどの急勾配。タクシーはおんぼろマルチスズキだったが、その急峻な登山道をエンストすることなく登り切った。スズキは、本当にエライ! どのような悪路でも平気でこなす。頑丈でメンテナンスが楽なのだろう。インド・ネパール向きだ。
2.城のようなゴンパ
丘の上に出ると、そこには巨大な「白亜のゴンパ」が、周囲を威圧するかのように、そびえ立っていた。チベット仏教のゴンパで、ダライ・ラマ系。
それは、まるで山城。あちこちに出城らしきものもあり、ネパール国軍が攻めてきても、容易に落城はしないだろう。中国人民解放軍であっても、手こずるに違いない。それほどすごいものだ。
3.レジャーランドとしてのゴンパ
「白亜のゴンパ」は、土曜日には一般開放されており、ものすごい数の善男善女が、ヒンドゥー教徒もマオイストも参詣に訪れていた。
外には巨大大仏と極彩色壁画。本堂内も極彩色で、ご本尊様はピカピカ電飾で飾られている。ワビサビの日本人の趣味には合わないが、これがたいへんな人気、ヒンドゥー教徒やマオイストも畏敬の念を禁じ得ない様子だった。
改宗は、憲法により強要を禁止されているが、極彩色諸仏の偉大を見せて、自発的改宗に導くのはおそらく違憲ではあるまい。
しかしながら、「白亜のゴンパ」は、罰当たり不信心者には、まるで「仏教レジャーランド」のようにみえる。老人ばかりの日本の寺とは異なり、無数の青年男女がバイクや徒歩で訪れ、デジカメで記念写真を撮りあっている。ここは、いまやネパール最大のパワースポットのひとつといってもよいだろう。「白亜のゴンパ」は、特に青年男女に、現世御利益を恵んでくださっているようだ。
4.花の丘
「白亜のゴンパ」はともかくとして、この周辺は、驚くほど美しい。花いっぱいなのだ。
いたるところマリゴールドだらけ。おそらく出荷用に栽培しているのだろうが、そんな生やさしい数量ではない。とにかく、野山の雑草のごとく、マリゴールドが咲き乱れている。さらに感動的なのが、ラルパテ。ラルパテの赤い花々に埋もれてしまったかのような民家さえあった。
先日行ったコカナやブンガマティも美しかったが、花については、この「白亜のゴンパ」周辺の方がはるかにきれいである。
5.チャンを出されて
「白亜のゴンパ」を一通り見学したあと、丘の上をさらに西方まで散策した。民家が点々とあり、いかにもネパール的。十分楽しめる。一巡りして「白亜のゴンパ」にもどり、無数の善男善女とともに徒歩で急坂を下った。
途中で、珍しく柿の木のある茶店があったので、立ち寄り、一休みした。店のおやじさんにお茶(チャイ)を頼んだら、ヤカン半分くらいの容器に入った地酒チャンを持ってこられて、大あわて。周囲の善男善女の失笑を買ったが、日本人珍客だから仕方ないといった様子で、牛乳入り紅茶に換えてくれた。ポゴタ(?)2個とあわせ、25ルピー(23円)。
そこからさらに、躓いたら谷底まで転げ落ちそうな急坂を下り、タクシーで登った舗装道路に出た。
6.イチャング
イチャングからの道と合流するところまで戻ると、イチャング方面からものすごい数の女性たちが歩いてくる。何事かと警官に尋ねると、今日はイチャング・ナラヤンの祭礼だという。
すでに日が落ちかけていたが、せっかくなので、歩いてイチャング・ナラヤンまで行き、お参りの様子を見物してきた。仏様のあと、ヒンドゥーの神々にもお参りしたので、御利益は何倍にもなって返ってくるのではと期待している。
イチャングからは、来た道を引き返し、別の谷への道と合流し道が少し広くなったところでタクシーをひろい、キルティプールに戻った。
この日はほぼ一日中、歩き回ったことになるが、空気も花もきれいで、村にも風情があり、全く疲れなかった。
谷川昌幸(C)
イスラム固有の権利
西洋の無責任な包摂参加原理主義・連邦制原理主義のせいで,アイデンティティ政治の危険性がますます高まってきた。
短い記事だが,リパブリカ(2012-3-22)によると,ネパール・マドラサ連合は,イスラム固有のアイデンティティを認め,新憲法にムスリムとしての権利を書き込むよう要求している。
彼らによれば,ムスリムは「マデシ」ではない。新憲法は,ムスリムをムスリムとして認め,政府諸機関等にすべて人口比に応じたムスリム枠を設定すべきだという。
マドラサ連合は,もしこのムスリムの要求が認められなければ,街頭に出て抗議活動を始めると警告している。
これは,警戒すべき動きだ。そもそも宗教は神々のものであり,歴代のネパール統治者は最大限の慎重さをもって扱ってきた。それは,たしかに差別抑圧の構造化・内面化の側面をもつ。しかし,だからといってパンドラの箱を不用意に開けてよいということにはならない。
にもかかわらず,パンドラの箱は,包摂参加原理主義・連邦制原理主義によって開けられてしまった。まず飛び出したのが仏陀。仏教は,王政打倒のシンボルとしてさんざん利用され,いまや準国教の特権を享受している(「ルンビニ観光年2012」をみよ)。が,そんな仏教革命共和国がいつまでも続くわけがない。ヒンドゥーの勇敢な神々が反撃を始めるだろうし,キリスト教の神も勢力を急拡大している。
そして,いまイスラムの神も,声を上げ始めた。彼ら,ムスリムの要求は,包摂参加民主主義の原理からすれば100%正当であり,認められて当然である。とすれば,クリスチャンは,ヒンドゥーは,・・・・どうなるのだろうか?
谷川昌幸(C)
パン国連事務総長,4月末訪ネ
パン国連事務総長が4月28日,訪ネし,4月29日現地開催の「ルンビニ開発国際会議」に出席する。
以前,パン事務総長は,新憲法制定を訪ネ条件にしていたから,訪ネ決定は,4~5月頃に新憲法が制定されるということではないかと推測される。もしそうなら,めでたいことだし,それをセットした,プラチャンダ議長は,やはり偉い。
それはそうとして,この国際会議には,16仏教国元首が招待される。さて,日本は仏教国かな? 中国-韓国-国連枢軸により憲法制定がセットされ,お祝いがルンビニで派手に催されるというのであれば,かっこわるくて,日本は出席できないだろう。
偉大なプラチャンダ議長(ルンビニ開発調整委員会委員長)は,パン総長をルンビニ開発委員会委員長に担ぎ出すらしい。もちろん,大ルンビニ(ルンビニ・ルパンデヒ・カピルバスツ・ナワルパラシ)開発構想のためだ。
たぶん,日本は外されるだろうな。カネも青写真も中国と韓国(とタイ)からくる。なんせ,115m大仏,ラサ=カトマンズ=ルンビニ鉄道,新国際空港,そして金ぴか五星ホテルと目白押しだから,落日ニッポンなんか,お呼びじゃない。
谷川昌幸(C)
仏僧のルンビニ開発反対デモ
仏教僧侶たちが,仏教の政治的利用への反対の声を上げ始めた。12月7日,カトマンズでは,数百人の僧侶らが「宗教に政治を持ち込むな!」といったプラカードを掲げ,デモ行進した。ネパールのお坊さんたちは,えらい。
たしかに,プラチャンダは,偉大な政治家だ。彼にとって,仏教なんか掌中のコマの一つにすぎない。チベット封じ込めを狙う中国を引き込むための餌として,狡賢いキリスト教を屈服させるための「平和の哲学」として,そして洪水のように押し寄せるであろう開発利権の呼び水として,政治的に利用してどこが悪い。
平和学の教祖ガルトゥング博士も,ユダヤ教,キリスト教,イスラム教が危険な原理主義に陥りやすいのに対し,非暴力・慈悲を説く仏教は「世界が切実に必要としているものです」と述べ,仏教を絶賛しているではないか。
マルクス主義者にして毛沢東主義者たるプラチャンダの掌の上で踊る仏様に,世界中の敬虔なキリスト教徒,ヒンドゥー教徒,イスラム教徒,そして罰当たりな無神論者らが拝跪し,大枚のお布施を差し出すかどうか,これは見物だ。
谷川昌幸(C)
ルンビニと国連と憲法,プラチャンダの凄腕
1.ルンビニ国際会議,3月開催
プラチャンダ(マオイスト議長,ルンビニ開発国家調整委員会議長)は,ルンビニ開発国際会議を2012年3月,ルンビニで開催することにした。招待予定は,16仏教国元首と仏教高僧,そしてパン・ギムン国連事務総長。日本は招待されるのかな?
2.憲法制定と国連関与の高等戦術
ここで興味深いのが,パン事務総長が憲法制定を出席の条件にしていること。ルンビニ会議までに憲法草案が成立していなければ出席しない,成立しておれば出席する。つまり,パン事務総長としては,国連関与で新憲法制定・平和再建にめどをつけたという実績をルンビニで世界に向け誇示したいわけだ。
【憲法制定予定日程】
憲法第1草案完成 2月13-27日
憲法案完成 4月20日-5月20日
新憲法可決・公布 5月21-27日
これだけ見ると,いかにも国連が主導権を握っているようだが,しかしもう少し子細に見ると,イニシアチブはむしろプラチャンダの方にあるように思われる。プラチャンダは,対内的にはルンビニ開発の巨大利権をエサに,マオイスト主導による新憲法制定を認めなければ,国連事務総長が訪ネせず,ルンビニ開発もパーになる,と圧力をかけている。そして,対外的には,国連が新憲法制定・ルンビニ開発に協力しないと,これまでの平和構築努力が全部パーになり,責任は免れないと脅す。弱者の強みだ。
プラチャンダは,国連と国内諸党を手玉に取っている,あるいは,取ろうとしている。恐るべき凄腕だ。
札束踊るルンビニのプラチャンダ(Telegraph,Dec7)
3.プラチャンダの掌中の仏教
いや,そればかりではない。プラチャンダは,ヒンドゥー教最高位カーストのブラーマン(バラモン)であるにもかかわらず,仏教を賛美し,そうすることにより仏教を手玉に取り,政治的・経済的に仏教を利用し尽くそうとしている。
来年3月のルンビニ国際会議には,16仏教国元首と仏教高僧を招き,仏教を称え,キリスト教徒の国連事務総長さえも仏様に拝跪させようとたくらんでいるのだ。
もちろん,国連にも中印韓米にも,それぞれの思惑があるのだろう。中国は,反チベット派仏教高僧を送り込めば大成功。またラサ=加徳満都=ルンビニ鉄道利権もある。韓国には,パン事務総長と連携したルンビニ大開発利権がある。米印には,ルンビニ開発関与による中国牽制,等々。
プラチャンダは,それら全部を計算に入れた上で,目的合理的に動いている。いまや世界的政治家だ。
4.カヤの外の日本
この華やかなプラチャンダ外交・国連政治のカヤの外に置かれ,悲哀を託つのが,落日のわが日本国。
ルンビニ開発国家調整委員会は12月2日,関係諸国・諸機関と協議したが,報道によると,招かれたのはインド・中国・韓国の大使と,世界銀行・ユネスコの代表だけ。日本は,国家としては,完全に無視され,カヤの外。
来年3月のルンビニ国際会議に招かれる16仏教国の中にも,ひょっとしたら日本は入れてもらえないかもしれない。世界に冠たる仏教大国なのに。
もちろん,仏教の政治的利用に反対し,日本自ら毅然として参加拒否するのであれば,それは潔く立派な態度である。それであれば,私は,仏教徒として,日本国政府を断固支持する。
* ekantipur, Dec.6.
谷川昌幸(C)
国連に赤旗,プラチャンダの勝利
われらがプラチャンダ議長が,国連訪問の所期の目的をほぼ達成,世界的政治家の仲間入りを果たした。めでたい。
1.国連事務総長,ルンビニ開発支援を約束
11月8日,プラチャンダは,ネパール政府ルンビニ開発委員会(HLNSC)委員長としてパン国連事務総長と会見,彼に,3月開催予定の国際ルンビニ開発会議への出席と,「国際ルンビニ開発委員会」議長への就任を要請した。
パン事務総長は,3月の国際ルンビニ開発会議への出席と,ルンビニ開発への政治的・精神的支援を約束した。
「国際ルンビニ開発委員会」については,ルンビニ開発応援団の「リパブリカ」は,1ヶ月以内にパン事務総長を長とする「国際ルンビニ開発委員会」が発足すると報道しているが,他紙はそこまでは断定していない。おそらく,議長就任の明確な言質まではとれなかったが,受諾してもよいというニュアンスの回答は得たのであろう。
2.国連に赤旗
プラチャンダは,エベレストに赤旗を立てるとホラを吹き,実現した。次に,世界に赤旗を立てるとホラを吹き,これもまた実現した。
プラチャンダは,アメリカがテロリスト監視集団に指定している(2011年10月現在)マオイストの親分である。ネパール政府HLNSC議長などという肩書きはほとんど知られていない。彼は,世界最強の現役暴力革命主義政党マオイストの党首であり,「勇猛なプラチャンダ」として恐れられている。そのプラチャンダ党首の要請を,パン事務総長はほぼ丸呑みした。プラチャンダは,国連に赤旗を立てたのだ。
3.ブラーマン仏教平和主義
プラチャンダが,ヒンドゥー教と距離を置いてきたことは,事実である。首相の時,ヒンドゥー教伝統儀式には出席しなかったし,つい最近の実父の葬儀でも重要なヒンドゥー教儀式を回避した。
しかしながら,プラチャンダがヒンドゥー教の最高カースト,ブラーマン(バラモン)に属することは明白な事実である。
そのブラーマンたるプラチャンダが,唯物論共産主義政党の党首として,仏教を万人の拝跪すべき平和主義として喧伝し,仏教聖地ルンビニを「世界平和都市」としようとしている。そして,その「ブラーマン仏教平和主義」を,キリスト教徒の国連事務総長が全面的に支援する。そこに,仏教徒はいない!
世界には,キリスト教,ユダヤ教,ヒンドゥー教,神道,無宗教など,様々な立場の人々がいる。その全世界を代表すべき国連が,仏様(仏像)の前で,本来の仏教徒を無視し,世界平和式典を主催あるいは共催してよいのか?
私は,生まれながらに仏教徒であり,道元なども少々かじり,仏教は立派な宗教であると確信している。しかし,それだからこそ,マオイストによる仏教の政治的・経済的利用は許せない。もしマオイストがマオイストなら,堂々とマオイズムの立場から,あるいは非宗教的立場から,平和思想を構築し,それに沿って平和運動を展開すべきだろう。
4.偉大なプラチャンダ
むろん,そんなことは十二分にわかった上で,われらがプラチャンダは,仏教を政治的に,また経済的に,利用しまくっている。いや,国連までもが,プラチャンダに引きずり回されている。
やはり,プラチャンダは偉い。
* Republica,Nov.9&10; Nepalnewscom, Nov.8&9; ekantipur, Nov.9; Rising Nepal, Nov.10.
谷川昌幸(C)
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