ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

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文化の交差する交差点の文化

ネパールで興味が尽きないのが,交差点。人や車が行き交い,文化が交差し,新たな文化が生まれる。下掲は,ディリバザール西出口。これぞ,ネパール現代文化の華。見飽きない。

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 ■ディリバザール西出口。バグバザール側より。

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 ■蜘蛛の巣配線,消灯信号,作動中(?)の監視カメラ/風力国旗ワイパー付ソーラーパネル

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2015/12/14 at 19:42

カテゴリー: 文化, 旅行

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国土改造ブームのネパール

カトマンズでも地方でも,土木工事。道路拡幅,下水道敷設,河川改修などなど。正式憲法なんかなくても,ネパールは,活気に満ちている。世界最高水準の憲法があっても,老化衰退落日の日本とは好対照だ。

ネパールの国土大改造に突破口を開いたのは,マオイストだ。支配有産階級の既得権益など一顧だにせず,被差別カースト・少数民族の解放を進める一方,まずは道路建設に着手した。

お手本は,マオイストの博士バブラム・バタライ幹部(党・政府要職歴任*)。地元ゴルカに立派な高規格道路を建設したかと思えば,カトマンズでは居住者の訴えに一切耳を貸すことなく,文字通り蛮勇をふるって,情け容赦なく家やビルを破壊し,道路を造っていった。このマオイストの革命的国土改造政策は,第二次制憲議会選挙で大勝したNCとUMLの現政権もチャッカリいただき,さらにそれに拍車をかけている。
 * 「博士(Dr)」は,ネパールでは権威中の権威。首相在職中(2011-13)でも,呼びかけは「博士」。「博士」であり,しかる後に首相であったマオイスト。ほほえましい。

ネパールの道路建設は,革命的に乱暴だが,それはそれなりに優先順位を付け,合理的に工事を進めていることがよく分かる。路側を掘削して大きな段差が出来ても,舗道上に深い穴が出来てもそのまま。が,大丈夫,車も歩行者も,その程度のことは十分予測して通行する。車が転落し仰向けになっても,歩行者が穴に落ち足を骨折しても,自己責任,注意不足にすぎない。

あるいは,たとえば何回か取り上げたカランキ交差点。環状道路と市内からタンコットへ向かう道路が直交する大交差点だが,信号機は撤去され交通警官手信号,ときにはそれすらなく運転手の自主判断で通行する。超ローテク人力交差点。そして,その上に架かるのは,必要最低限ギリギリの,革命的に安普請の貧相な陸橋。こんなトンデモナイ交差点は,日本は絶対に造りはしない。しかし,現実には,これが交差点として十分に機能しているのだ。

むろん,この国土改造のネパール方式は,先進諸国には受け入れられないだろう。個人の権利は尊重しなければならないし,伝統や文化,環境や景観も尊重しなければならない。そして,何よりも,先進諸国では,人々が国家を信用し政府に依存して生きているからである。

▼道路工事
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 ■マイティデビ/同左

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 ■マッラホテル付近/ダーラン(スンサリ)の道路拡幅・下水道工事

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 ■環状道路(ドビガード付近)のネパール式=中国式拡幅工事/同左

▼住民の抵抗
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 ■2階以上死守/歩道新設のため撤去されたと思われる1階の壁(マイティガル)

▼整備された道路
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 ■ビラトナガル~ドゥハビ~ダンクタ道路/バラトプル~イラム道路。高所の峠でも,道路も送電線もよく整備されている。付近は茶畑。

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 ■超近代的都市道路(ビシュリバザール付近)。片側4車線+歩道+太陽光LED照明

カランキ交差点(2012年)
 
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谷川昌幸(C)

ソーラーLEDの街灯とバス停

憲法制定が泥沼停滞中なので,カトマンズ市内を見ることにした。すぐ目についたのが,太陽光発電の街灯とバス停。道路沿いに大量設置中だ。

連日長時間停電なので,電線配電をあきらめ,一足飛びに最先端のエコ持続可能ソーラーLED照明へのポストモダン化。スゴイ,スゴイと驚嘆,感動,雨あられ。憲法に続き,街灯でもバス停照明でも,日本を追い越しつつある。

設置予算は,どこから出ているのか? 街灯の柱は鋼鉄かアルミ(たぶん鋼鉄)で,とにかく立派。上部に太陽光発電板,中間に蓄電池が取り付けられている。バス停の場合は,屋根の上に太陽光発電板,蓄電池はたぶん天井部分収納であろう。

スゴイ,たしかにスゴイが,全体として,どことなく野暮ったく,あか抜けない。もし援助しているとすれば,中国かな?

そう思いながら歩いていると,ありました! ネパール民主主義再建の父の一人,ガネッシュマン・シン像の前にこれ見よがしに林立しているソーラー照明の,像のすぐそばの最も目立つ支柱に,「中国西蔵自治区○○○○」の掲示。○部分は消えているが,英語表記では「贈呈」となっている。他はどうかは不明だが,少なくともここでは中国が援助していた。スゴイぞ,中国!

が,しかし,そこはネパール,太陽光エコ照明でネパールが一気に西洋文明近代を超克するかというと,どうも,そううまくはいきそうにない。少し前に設置された同様の仕様のソーラー発電式街灯を見ると,受光面にはすでに厚くほこりが積もり,どう見ても発電しているようには見えない。日本援助の信号機以上の,文字通り立ち枯れソーラー街灯となっているのだ。年に何回か掃除すれば,使えそうなのに,それすらやっていないようだ。この調子では,蓄電池メンテナンスもやっていないのだろう。(実際の点灯状況は,後日,夜間観察し,報告する。)

いやはや,前近代からの近代以後への一足飛びの跳躍は,かくも難しいことなのだ。街路灯にして然りとすれば,憲法においては,なおさらのことではないのだろうか?

150127■H.エベレスト前

150124a■王宮博物館前

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  ■ガネッシュマン像前/同贈呈表示板

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  ■バス停/埃まみれ太陽光発電版と従来型信号機 

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2015/02/03 at 12:40

交差点に見る前近代・近代・近代以後

ネパールの交差点は,文化の交差点であり,一目でネパール文化のありようが見て取れる。この写真は,ナラヤンヒティ王宮博物館前。左が交通警官,右下が信号機,そして右上がソーラーLED照明。
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これは,ニューバネスワル(制憲議会前)。左が交通警官,中央がソーラーLED照明,右が信号機。
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これらの交差点において,交通警官は,人々の動きを見て交通整理をしている。これは人の支配としての人治であり,したがって「前近代」。

これに対し,信号機は,定められた規則により合理的・機械的に交通整理。これは非人間的な合理的な規則による支配であり,法治(法の支配)であり,したがって「近代」。

そして,ソーラーLED照明は,人間が作ったものながら,設置後は自然光の恵みにより自動的に発電し交差点を照らす。その限りでは人為を超克しており,いわば「近代以後」。

カトマンズの交差点では,見た限りでは,信号機は全滅,まともに機能しているものは一つもない。点灯していても,点滅であり,実際の交通整理は,交通警官が手信号でやっている。つまり,近代原理の象徴たる信号機は,日本援助などで何回も導入が試みられてきたにもかかわらず,ネパール社会には受け入れられず,打ち捨てられ,埃まみれの立ち枯れ信号機の無残な姿をさらすことになっている。交差点において,「近代」は「前近代」に完全敗北したのだ。

では,ソーラーLED照明はどうか? うまく維持され機能すれば,「近代」を超克する「近代以後」の象徴となり,世界中の絶賛を浴びることになるだろう。「近代」なきネパールにおける「近代以後(ポストモダン)」の輝かしい勝利。さて,どうなるか? 興味深い。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2015/01/26 at 14:17

都市の近代化と信号機

カトマンズは,すさまじい建設ラッシュ。いたるところで旧市街が壊され,道路の拡幅・直線化や高層ビルの建設が進められている。都市部に限れば,ネパールにはカネが有り余り,高度成長を謳歌しているのだ。

これは都市の「近代化」である。曲がりくねった細い不合理な道路を幅広の直線道路に造り替え,木造や煉瓦造りの伝統的民家や商店を壊し,幾何学的な高層ビル群に建て替える。直線を基調とする幾何学的な街造りは,街の「合理化」であり「近代化」である。

こうして街全体が加速度的に「合理化」され「近代化」されれば,当然,道路交通体系も「合理化」され「近代化」されていくはずだ。そして道路がそうなれば,いずれ人々の交通=交際,つまりは社会も「合理化」され「近代化」されるはずだ。

ネパールの近代化は,外国援助ではなく,カネによって,つまりは出稼ぎ労働者送金によって,促進されていく。結局はカネであり,資本主義なのだ。

そして,興味深いのが,またしても例の信号機。道路が拡幅直線化され,幾何学的高層ビルが林立するようになっても,ネパールは信号機なしでやっていけるかどうか? それとも,結局は,カネ=資本主義=合理化=近代化=「法の支配」に屈服せざるをえないのか?

いま世界社会=先進資本主義諸国は,途上国に「法の支配」を受け入れさせようと躍起になっている。これは,見方を変えれば,資本主義の外部や周縁部にいる人々を,資本主義世界に取り込み,金儲けをするためである。先進資本主義国のどん欲は,何ともイヤハヤ執念深いものだ。

先進国援助の立ち枯れ信号機を見るたびに,先進資本主義諸国の深慮遠謀に健気に抵抗しているネパール庶民を,「頑張れ!」と,ひそかに応援したくなるのを禁じ得ない。

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■拡幅直線化工事。強制収用補償金は雀の涙(ディリバザール)

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■拡幅工事と消灯信号(バグバザール)/拡幅後も信号消灯(プタリサダク)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/11/08 at 22:32

カテゴリー: 社会, 経済

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法治「信号機」よりも人治「ロータリー」

午前,1時間ほど王宮博物館前・カンチパト付近を歩いてみた。まず気になるのが,例の信号機。

タメル入口(王宮博物館・アメリカンクラブ・旧文部省)交差点の信号機。旧来の格調高い英国風ロータリーを撤去し,日本援助で高性能信号機を設置した。

電気は来ている。午前11時頃で交通量も多い。が,見よ! 赤黄点滅で,車も歩行者も信号機など全く見ていない。法治(rule of law)の権化「信号機」は完全無視,交通警官の指示に従い,通行している。昨夜,交通警官がいないときは,ロータリー式完全「自治」通行が実践されていた。何の問題も無し。(再設置「ロータリー」は右外回りではないが,原理は,ロータリー式と同じ。)

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■タメル入口交差点 SAARC本部前より(赤点滅)/パスポート・センター前より(黄点滅)

もう一つ,王宮博物館前(交通警察署前)交差点では,電気は来ているはずなのに,完全消灯,警官が交通整理。交通警察自身が,署の前で自ら法治「信号機」無視のお手本を示している。お見事!

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 ■王宮博物館前交差点 完全消灯信号/背後は交通警察署 

私の「ロータリー文化論」には批判も多いが,この十数年の観察で,その妥当性がかなり実証されたように思う。

ネパール社会は,人治(人の支配)原理で動いている。そこに法治の制度や機械を外から持ち込んでも,うまくはいかない。今後どうなるか分からないが,少なくともいままでは,そうであったといってよいのではあるまいか。

[追加]点灯信号機発見(2013ー11-01)
ラトナ公園・バスパーク前の歩行者用信号機が点灯されていた! といっても,車も歩行者も警官の指示に従っていたが。
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夕方,バスパークからキルティプルまでバスで1時間半。道路は車の洪水。途中のスタジアム前,野菜市場前などの高性能信号機は,もちろん全滅。すべて,警官が手信号で整理していた。

エンジンを切って待っているバスの中から見ていると,警笛の鳴らしあいで強力そうな方が,先に通されていた。これぞ人治,加徳満都の道路は法学教育の場としても有益だ。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/10/30 at 23:13

ネパールの交差点:信号機とロータリー

ネパールに行くたびに不思議に思うのが,交通信号機である。カトマンズ盆地の主要交差点には,日本などの援助で信号機が設置されているが,それらのほとんどすべてが消灯か点滅であり,赤・黄・青と常時正常に機能しているものは,まず見かけない。日本の常識で考えると,交通信号は最重要インフラであり,信号機があるのに消灯であれば事故多発,人命に関わる一大事である。ところが,カトマンズでは,最新式信号機が設置されていても,たいてい消灯。これは不思議。なぜだろう?

1.信号機の技術的不適正
2.「人の支配」としてのロータリー式
3.「ババ事件」の教訓
4.ネパール文化から学ぶ

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ネパールの視覚障害者を支える会『会報』第35 号,2013 年3 月,3-4 頁

*リンク更新2019/05/13

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/03/17 at 09:58

信号機、ほぼ全滅(5):王宮博物館前

1.王宮博物館前交差点
ネパールの信号機は、これまで見てきたように、ほぼ壊滅状態。目抜き通りの王宮博物館前交差点でも、信号機はたいてい消灯、かろうじて点滅で生きているときも、実際には、交通警官の指示で交通整理されている。だれも点滅信号など、見てはいない。

この交差点で、日本から学んだと思われるのが、警官看板。なんとロータリーに、敬礼している婦警さんの等身大写真看板が設置されており、ドライバーを一瞬ドキッとさせる効果を上げている。

本物の男性警官が横で交通整理しているのだが、察するに、いずれ様子を見てこれも警官人形に置き換え、いつかは信号機に絶対服従させる魂胆らしい。

121201e ■王宮博物館前交差点

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 ■ロータリーの交通警官/婦警写真看板

2.交通マナー向上キャンペーン
このように、信号機ほぼ壊滅状態にもかかわらず、交通警察はなお意気軒昂であり、交通マナー向上の大キャンペーンを繰り広げている。

121201c ■交通安全ゲート

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 ■交通安全啓発写真/交通安全ポスター

3.ラトナ公園北西角交差点
こうした交通警察のキャンペーンのモデルになりそうなのが、ラトナ公園北西角・ラーニポカリ南西角の交差点。

この交差点には、かなり前から地下道と歩道橋があったが、どちらもあまり利用されていなかった。ときどき騎馬警官が出て路上横断の歩行者をしかりつけていたが、観光客の被写体とはなっても、交通マナー向上には全く役には立たなかった。

ところが、この11月、何回か行ってみると、見た限りでは、この交差点の路上横断者は一人もいなかった。全員が、歩道橋か地下道を利用していた。奇跡だ。

121201d ■歩道橋(右上)と地下道(赤丸)

4.「法の支配」の必要
推測にすぎないが、これは交通警察のお説教や大キャンペーンの効果というよりは、やはり「必要」に迫られたからということであろう。

日本でも、高速道路が開通すると、しばらくは路上にカラスやハトのおびただしい死骸が散乱している。高速車両を回避しきれず、轢かれてしまったのだ。ところが、数ヶ月もすると死骸は少なくなり、数年後にはほとんど見なくなる。人間が勝手につくったものとはいえ、高速道路利用マナーを認識しないカラスやハトはあらかた轢き殺されてしまい、必要に迫られ、それを学習したものだけが生き残り、路上でエサをついばんでいるからだ。

これが犬ともなると、必要による学習は、より明確だ。ネパールの犬は交通規則を全く守らないが、日本の犬は交通規則を学習し、青で進み、赤できちんと止まる。そうしないと、日本では生きていけないからだ。

人間も所詮、動物、これと同じような現象がラトナ公園北西角の交差点でも起きたのではないか? この交差点を通行する車は、数が多く、しかも高速だ。おそらく、この交差点を横切ろうとした人々が次々と車に轢かれ、それを見た周辺の人々が危険を学習し、歩道橋や地下道を利用し始め、そうすると車もますます高速となり、もはや歩行者の車道横断は困難となり、自ずと人と車の分離通行規則が実現された、ということであろう。

そして、「人の支配(ロータリー文化)」から「法の支配(信号機文化)」への転換が完成したところでは、轢かれたら、車道横断者の方が悪い、法(規則)を守らなかったからだ、ということで済まされてしまうことになるのだろう。

5.必要の学習は高貴か?
この変化、すなわち「ロータリー文化」」から「信号機文化」への変化あるいは「人の支配」から「法の支配」への変化は、たしかに必要ではあろうが、しかしながら、本当にそれは「進歩」といえるのであろうか? 

かつて、東北の厳冬の深夜、人っ子一人いない田舎道の交差点で、青信号に変わるのをじっと待っている犬を見たことがある。文明化ないしは規律の内面化とは、結局、このようなことではないか? 車に轢き殺されるハトと、交通マナーを守り路上でエサをついばむハトと、いずれが高貴なのであろうか?

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/12/04 at 17:45

カテゴリー: 社会, 文化

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信号機、ほぼ全滅(4):カランキ交差点(付:タタの威厳)

11月25日、キルティプールの西の対岸の新興住宅を見たあと、バルクー川沿いを歩いてカランキ交差点の見学に行った。

カランキ交差点は、幹線道路の大きな交差点。一方のリングロードは、ネパール基準で片道3~4車線、他方のカトマンズ市内カリマティ方面とタンコット・ポカラ方面とを結ぶ道路が片側2~3車線。日本援助のシンズリ道路が完成し、通行量が減ったとはいえ、主要道路の大交差点であることに変わりはない。

この交差点にも、どこかの援助(日本?)で信号機が設置されていた。当然だろう。ところが、行ってみると、信号機は跡形もなく消えている。そして、その代わり、歩行者用陸橋と陸橋の橋脚を利用したロータリーが設置されていた。いたく感動し、2時間あまり、観察していた。

ロータリーには、交通警官が一人いて、交通整理をしている。しかし、ここを通過するトラック、バス、乗用車、タクシー、耕耘機、バイク、犬(牛は道端で寝ころんでいた)はすべて、基本的には、相互の動きを見ながら自主的に判断し通行しているのだ。見事というほかない。

この交差点の設計・施工は、絶対、日本ではない。日本はこんな交差点は絶対に造らない。杓子定規というか、どうしても日本基準に合わせてしまう。かつて長崎の離島に行って感動したことがある。狭い島で、港の反対側の海岸沿いは車はあまり通らず、歩行者もほとんどいないのに、なんと、両側にガードレール付きの立派な歩道が造られていた。タヌキ用歩道? これが日本式だ。

カランキ交差点は、明らかにネパール交通文化にあわせて設計され、建設されている。だから、ちゃんと機能しているのだ。

そのかわり、造りは、きわめてチャチだ。いつ壊れても、いつ壊してもよいようにつくられている。歩道橋の上は薄い鉄板敷きでガタガタだし、コンクリート部分もせんべいのように薄い。手抜きは見え見えだ。そのくせ、歩道橋の下の空き空間は、寸分の余地なく商売用に利用されている。お見事! これがネパール式なのだ。

再び繰り返すが、いつかはわからないが、ネパールでもロータリーでは対応できないときがくる。信号機が設置され、警官がいなくても、信号(規則=法)に従い交通整理が行われるようになったとき、ネパール社会は大きく変わっているだろう。

 
 ■カランキ交差点北西側/交差点北東側

 
 ■タタをも恐れぬ歩行者/歩道橋と商店

 
 ■交差点横の子牛/消灯信号機と歩行者(バスターミナル前)

【付録】タタの威厳
ネパールでもっとも威厳のあるものの一つが、タタ・トラックだ。どんな悪路も平気。絶対に壊れず、壊れてもすぐ直せる(ように見える)。インドの威厳の象徴だ。たまに道路横の田んぼに仰向けになっているが、これは実に愛らしい。

タタや、その前を平気で横切る人や牛や犬を見るだけでも、ネパールに来る価値がある。タタ、万歳!

 
 ■タタの勇姿(1)/(2)

 
 ■タタの勇姿(3)/タタと張り合うスズキ

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/11/28 at 20:49

人治の国の立ち枯れ援助信号機

毎日、朝から晩まで勤勉に仕事をし、合間に街を移動。車は引き続き急増し(韓国車多し)、各地で渋滞が続発している。

この車増加を見越し(あるいは車輸出のため)、日本を始め先進資本主義国は、市内各所に最新式信号機を援助してきたが、見た限りではほぼ全滅、まともに動いているのは最近(今年?)設置したばかりの日本援助カトマンズ=バクタプル高規格道路のものだけだった。これも、この調子では、半年もすれば消されてしまうだろう。

電気は、雨期であり、足りている。スイッチを入れれば稼働するはずなのに、切ってしまう。これはハードではなく、ソフト、つまり文化の問題である。

以前にも指摘したように、信号機は法治(ルール遵守)のモデル。機械(信号機)の合理的命令に人間が服従する。法治が内面化されている日本では、たとえタヌキしかいない深夜の農道でも赤信号で車はちゃんと停止する。日本では、法(ルール)をつくる支配階級は法を守らないが、大半の人民大衆はいつ、どこでも法を遵守する。

これに対し、ネパールは本質的に人治の国。周りの人々の動きを見て自分の行動を決める。文化全体がそうなっているので、道路においても、いくら高価・高級な信号機を設置しようが、それは援助国の自己満足に過ぎず、ネパール人民にとっては何の意味もない。半年もすれば、スイッチを切り、人治に戻してしまう。

たとえば、日本援助の文部省前信号機も、ロータリー式に戻され、警官が手信号で交通整理している。ここには、怪しい「アメリカン・クラブ」があり、前回、日本援助信号機をタメル方面から激写したら、アメリカンクラブ警備兵(武装警官)がすっ飛んできて、すんでの所で射殺されるところであった。ここでは毎年、何も知らず王室博物館やタメル方面をパチリとやった日本人観光客が何人か拘束されている。いまや文部省前交差点は、ネパール文化・社会・政治のパワースポットの一つである。ぜひ見学していただきたい。ただし、写真は撮らないこと。

信号機のないロータリー式交差点は、人治のモデル。つねに相手の格や動きを見て、自分の行動を決める。そして、人治の国ネパールでは、ロータリー式や警官手信号の方が、はるかによく機能している。実に見事だ。

ネパールの人治文化は、社会に深く根付いており、近代的な法治主義や立憲政治を移植するのは、至難の業である。それは、立ち枯れの哀れをさそう日本援助信号機を見れば、誰しも納得せざるをえないだろう。
トヨタと消灯信号と交通安全啓蒙(バグバザール)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/09/21 at 14:31

カテゴリー: 社会, 文化

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