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信号待ちで涙した,その心は?
中島 恵「『中国はよくなっている!』信号待ちで思わず涙した私」(日経ビジネスオンライン,2015年3月20日)は,なかなか興味深い中国論だ。要旨は以下の通り。
「上海市内で私が宿泊しているホテルの近くにある横断歩道に立っていたときだ。私の斜め後ろにいた母子の会話が耳に飛び込んできた。『ほら,あそこを見てごらん。赤信号でしょう? あそこが赤のときは渡っちゃいけないんだよ。あれが青色になったらお母さんと一緒に渡ろうね。いいね』。・・・・とてもうれしくて,心がホカホカと温まる気持ちになった。そのとき,赤信号で立ち止まっていたのは私たち3人だけだった。大勢の人々は当たり前のように横断歩道をどんどんと渡っている。・・・・青信号になって,ようやく母子と一緒に堂々と道路を渡ることができたとき,目からどんどん涙があふれてきて,止まらなくなってしまった。・・・・そう,私はこの瞬間,気がついた。中国社会はだんだんと,よくなっているのだ――と。」
著者によれば,この信号待ち以外にも,空港係員や店員のマナーの向上,水道・トイレ等の生活インフラの改善など,他のいくつかの点で,「これまでとは明らかに違う流れ」がみられ,「中国社会がよくなっている」と感じられるというのだ。
中国は大国なので,「中国は・・・」とか「中国人は・・・・」などと一般化していうことはできないが,少なくとも私が見た限りでは,中国の航空会社や空港などは,利用のたびにサービスが目に見えて向上し,いまでは日本以上に合理的で便利な場合も少なくない。そうした実感をもつ私にとって,「中国はよくなっている!」という著者の印象は,十分によく納得できることである。
しかし,それはそれとして,少々気がかりなのは,著者の極端な上から目線である。現在の日本社会を基準として,それに合わない中国社会のあり方を一方的に切り捨てる。たとえば,「『ルール軽視』の無秩序な国」など。
しかしながら,交通ルールにせよ接客マナーにせよ,すべて文化であり,日本,しかも東京を基準として断罪するのは,あまりにも一方的すぎる。たとえば,歩行やエスカレーター利用では,一般に,東京と大阪では位置が逆であり,東京人は大阪ではマナー知らずの野蛮人となる。あるいは,水道やトイレットペーパーでも,自然保護派からは浪費の悪徳と非難されるであろう。日本を基準とする他文化批判は,ちまたにあふれる「日本はスゴイ!」合唱と同様,はしたなく,慎みなく,みっともないといわざるをえない。
恥ずかしながら,私は以前,真冬の深夜の人家もない田舎の犬一匹通らない田んぼの中の見通しのよい交差点の赤信号で止まり,青信号に変わるのをじっと待っているホンダ・カブ号の村のお年寄りを見て,思わず涙したことがある。
なお,蛇足ながら,近代的信号機システムを非人間的と考え,ロータリー式に替えつつある国々からすれば,日本の「赤は止まれ,青は進め」は機械隷従,「おくれてる~」と哀れまれることになるであろう。
■ロータリー(ラウンドアバウト)交差点: イギリス / ネパール(パタン) [Google]
谷川昌幸(C)
トリチャンドラ校前の信号機
交通信号は街で最も目立つもの。外人がカトマンズに来てまず驚くのは,だから信号機であり,ネタがれ時のネタダネとなるのも信号機である。ネパールの信号機は世界七不思議の一つといってもよいだろう。
そこで今日は,名門トリチャンドラ校前の信号機。この付近は,商業,観光,文化の中心地の一つであり,宣伝効果大。数年前には,東芝電気洗濯機の宣伝のついた駐停車禁止標識が並べられていたが,いまは,もちろん無い。
そのトリチャンドラ校前に誰が,いつ,何の目的で信号機をつけたのか分からないが,これはもちろん消灯。いつも消えている。有って無きがごとし。が,誰も気にしない。
ところが,この11月,行ってみると,その点かずの信号機手前に新しい(と見える)「信号機あり」標識が立てられていた!
これはもう文化だ。この不思議のネパール信号機文化が無くなるとき,それは信号機が「赤黄青」で命令し,人を機械的に服従させ,もって「法の支配(rule of law)」がネパールに成立するときにほかならない。
谷川昌幸(C)
信号機かロータリーか:ネパールとスイス
1.道路近代化批判
ネパリタイムズ(6月28日号)が,道路新設・拡幅政策を批判している。都市部でいくら道路を建設しても,流入車両が増えるだけで,何ら問題解決にはならない。また,「日本援助信号機は,ほとんど機能していない。」
以前,信号機全滅と紹介したら,「そんなことはない」と叱られたが,ネパールの人びとから見れば,日本援助信号機はやはり役立たずの木偶の坊なのだ。
ネパールの交差点の多くは,文化に適合したロータリー(ラウンドアバウト)式であったのに,それらをやみくもに撤去し,一見合理的な信号機式交差点に近代化したため,この惨状となってしまったのだ。
カトマンズ盆地は狭く,徒歩・自転車でほぼ間に合う。電車,トロリーバス,地下鉄など,低公害公共交通機関の導入を進める一方,道路幅を狭くし,ロータリー式でさばける程度にまで車両数を削減すべきだろう。日本援助信号機は撤去し,古き良きロータリー式に戻す。
[参照] ▼信号
▼信号機、ほぼ全滅(5):王宮博物館前
▼信号機、ほぼ全滅(4):カランキ交差点(付:タタの威厳)
▼信号機、ほぼ全滅(3):「日本に学べ」
▼信号機、ほぼ全滅(2):タパタリ交差点ほか
▼信号機、ほぼ全滅(1):アメリカンクラブ前
2.スイスのロータリー文化
見習うべきモデルの一つが,スイス。先日,単なる団体観光旅行にすぎないが,10日間ほど,スイスに行ってきた。大部分がバス移動。
感心したのが,多くの交差点がロータリー式であったこと。既存の信号機交差点も,順次,ロータリー式に改造されつつあるという。
幾度か紹介したが,日本では,交通量の少ない道路でも,深夜の人っ子1人いない田舎道でさえ,赤信号で停車し,青を待つ。時間とエネルギーのたいへんな浪費だ。これに対し,スイス・ロータリー式交差点では,ほとんど待つことはなかった。少々交通量が多くても,共有されているロータリー通行規則に自主的に従い,スムースに通過できた。
スイスは,ネパールにとって,自然環境や多民族状況,そして大国に囲まれた内陸国という地政学的位置など,多くの点でよく似ており,連邦制,多言語主義など,学ぶべきものは多い。ただし,民族自治,地域自治などは,決して近代的な新しいものではない。むしろ本質的に前近代的な,古いものである。その古いものの全否定ではなく,保守すべきものは保守しつつ,生活を豊かにしていく。女性の権利など,問題は多々あるにせよ,頑固な保守主義の国であるがゆえ,スイスは多民族多文化民主主義のモデル国の一つとなり得ているのである。
なお,蛇足ながら,自然環境や地域景観についても,スイスは保守主義に立ち,保存を開発と両立させる努力をしている。フランス領のシャモニーにも立ち寄ったが,スイスとの違いに愕然,幻滅した。近代合理主義の宗主国フランスは,自然と伝統を克服すべきものと見ている。他の地域はどうか知らないが,少なくともシャモニー付近の景観は,フランス国民文化のスイスのそれとの相違を際立たせ,その意味では興味深かった。
■インターラーケン「ゲマインデハウス」前/ヴィルダーズヴィル
谷川昌幸(C)
信号機、ほぼ全滅(3):「日本に学べ」
1.交通道徳向上キャンペーン
ラトナ公園の北東角、バグバザールの西出口の向かいの公園フェンスに、大きな交通道徳向上キャンペーン看板が出ている。各地からのバスが集まる交通の中心地であり、よく目立つ。この交差点にも、むろん信号はない。
■キャンペーン看板
2.日本に学べ
私はいそいでいたこともあり、ちょっと見て、この看板は一つのものであり、右側が交通道徳向上キャンペーンのイラスト、左側がその交通道徳を「日本に学べ」と呼びかけるものだ、と思ってしまった。
ところが、ホテルに帰り、写真をよく見ると、右半分には、こう書いてある――
ちょっと待て!
下は車が走っている
上の陸橋を渡れ!
陸橋を渡る=100%安全
道路を渡る=100%危険
自分自身で考えよ。さぁ、どうする?
そして、左半分は、「STUDY JAPAN(日本を学べ)」ではなく、「STUDY IN JAPAN(日本で学ぶ)」となっている。
つまり、これは、右半分が交通警察署・カトマンズ市役所・JJTWC(NGO)の交通安全キャンペーン、左半分が「ネパール日本セワセンター」という日本留学斡旋業者の宣伝であり、左右は一体ではなく、それぞれが独立しものであったのだ。
笑い話のようだが、これは実話であり、興味深くも恐ろしい体験であった。私の頭の中には、「信号を守る日本人、守らないネパール人」という固定観念があり、看板のキャンペーン・イラストと大文字のJAPANを見たとたん、「交通道徳のお手本としての日本」という図式が反射的に出来上がり、「IN」を見なかったのだ。
いや、正確には、私の目は間違いなく「IN」を見ているはずだが、無意識のうちに右のキャンペーン・イラストと関連づけ、左側を「交通道徳を日本で(IN JAPAN)学べ」というメッセージと思い込み、さらにそれが簡略化され「日本を学べ(STUDY JAPAN)」となってしまったのだろう。
私の潜在意識は「STUDY IN JAPAN」の第一の意味(日本留学)を自動的に消去し、状況に適合した先入観に合わせてしまったのだ。われわれはすでに知っていることしか認識しない、とある大哲学者は喝破したが、これはまさにその卑近な実例といえよう。
今回は、写真に撮っていたから、あとで確認し訂正できたが、もしそうでなければ、いまネパールでは「交通道徳を日本に学べ」というキャンペーンが行われているという、とんでもない誤解を持ち続けることになってしまっただろう。
これは、あまりにも軽率な事例だが、異文化を見る場合、多かれ少なかれ、同様のことが起こっていると考えるべきであろう。異文化を見る場合、われわれは自分の立場(観点)から見ざるをえない。立場(観点)なしの認識は、不可能だ。いわゆる存在拘束性である。したがって、認識対象は、多かれ少なかれ歪んだ形でしか認識されない。これは異文化理解の常識だが、えてして忘れられがちだ。大きな「IN」があるのに、見て見なかった――苦い教訓である。
3.「日本で学ぶ」と「日本に学ぶ」
しかし、よく考えてみると、日本留学斡旋業者が交通道徳向上キャンペーンのスポンサーになっているのは、単なる偶然とは思われない。日本留学斡旋業者や一般のネパール人の間に、日本は規則を守る安全な国だ、日本に学べ、という思いがあるからこそ、このキャンペーン看板になったのではないだろうか?
そもそも「日本で学ぶ」のは、多かれ少なかれ、「日本に学ぶ」ことにもなる。日本も「西洋で学ぶ」ことにより、「西洋に学ぶ」努力を続けてきた。あるいはまた、「ネパールで学ぶ」ことにより「ネパールに学ぶ」努力をしている人も少なくあるまい。
とすると、「STUDY IN JAPAN」を「日本に学ぶ」と認識したのは、全くの間違いというわけではなく、あんがい事の深層を直感的に捉えたものということになるかもしれない。少々、弁解がましくはあるが。
谷川昌幸(C)
信号機、ほぼ全滅(2):タパタリ交差点ほか
1.タパタリ
11月18日、信号機「定点観測地」の一つ、タパタリ交差点に行ってみた。無惨、悲惨! 唖然とした。
華々しく点灯したときから、こんな複雑な信号システムは機能しないのではないかと危惧したが、現状は想像以上だ。歩行者用信号はへし曲げられ、車両用信号は看板でランプを隠され、信号ケーブルは至る所で垂れ下がり、すべてが醜悪な残骸と化している。
信号機を維持し使用する意思は寸毫も認められない。早く切り倒して鉄屑にした方がよい。論より証拠、現状は写真で見ていただきたい。
2.トリプレスワル
世界貿易センター前の信号機は、文字通り切り倒されたのか、一つを除いて信号ランプそのものが全く見あたらない。この交差点は、幸い昔からのロータリーがそのまま残されているので、このロータリーと交通警官の手信号とで交通整理がされている。
3.マイティガルほか
中央統計局、農業開発銀行、最高裁などの近くのマイティガル交差点も、一つだけ黄点滅だったが、他は消灯。黄の点滅など、ほとんど無意味なので、ここも全滅といってよい。また、シンハダーバー前、ディリーバザール出口など、他の大きな交差点もみな全滅だった。
4.ATMとの対比
悲惨、無惨の信号機援助の現状を見ると、援助の文化適合性と必要性を改めて考えざるをえない。
ネパールの人々は好奇心が強く、必要でさえあれば、新しいものを日本人以上に大胆、積極的に取り入れ、使いこなす。その好例がATM。
ATMは、導入当初は、銃を持った警備員が警戒し、機械もよく故障した。ところが、いまやATMはいたるところにある。警備員はほとんどいないし、故障もない。残骸信号機のタパタリ付近にもたくさんある。日本以上に便利だ。
つまりATMは、ネパールの人々が必要としており、かつネパール文化に適合していたから、援助などしなくても自然に広がり、見事に保守管理されているのだ。
携帯電話もそうだ。ネパールの人々が必要とし、文化に適合しているので、こちらも自然に普及し、使用されている。カトマンズを見る限り、日本より安価で便利といってもよいであろう。
5.援助の必要性と文化適合性
ATMや携帯電話と対照的なのが、信号機。おそらく日本をはじめ先進諸国が信号機は近代化に不可欠と考え、大金を援助し設置させたのだろう。
しかし、ネパールは、少なくとも現在まではロータリー文化であり、信号機文化ではない。信号機は文化適合性が無く、人々も必要性を感じてはいない。だから、いくら大金を援助し高機能信号機を設置しても、しばらくすると使用されなくなり、数年もするとガラクタとなり、結局は切り倒され、鉄屑とされてしまうだけなのだ。
むろん、繰り返し留保するように、ネパールでもいずれ信号機が必要とされる時期が来るであろう。しかし、見る限り、まだその状況ではない。信号機ほど、援助における「文化適合性と必要性」の問題を目に見える形で具体的に示してくれるものはない。
ネパール観光やネパール・スタディツアーには、援助信号機見学コースをぜひ追加していただきたい。
谷川昌幸(C)
信号機、ほぼ全滅(1):アメリカンクラブ前
幾度か議論してきたが、ネパールに来るたびに、ロータリー文化と信号機文化の原理的対立に注目せざるをえない。
▼信号機文化
カトマンズの交通信号機は、見た限りでは、ほぼ全滅。スタジアム前やカリマティのような大きな交差点でも、信号は消えていた。
「定点観測地」の旧文部省・アメリカンクラブ前の日本援助信号機も点灯の気配はない。ここは、観光客にとっては、ネパールでもっとも危険なところといってもよい。車ではなく、なにやら怪しい「アメリカンクラブ」だ。カメラを向けようものなら、警備兵に射殺されるか、逮捕されてしまう。くれぐれもご用心!
この旧文部省・アメリカンクラブ前の交差点に日本援助のハイテク信号機が設置され、赤黄青と機械的・規則的に点灯していたときは、大渋滞が日常化していた。しばらくして、赤点滅となったが、こんな中途半端な信号など誰も守りはしない。
そこで交差点の中央に小型ロータリーが設置された。点滅信号とロータリーの2原理併存でさらにややこしくなり、ますます信号はじゃまになった。そこで、完全に消灯してしまったというわけだろう。
昔からあった品格のある立派なロータリーを撤去し、日本援助で華々しくハイテク信号機を設置したのに、完全に元戻り。新設小型ロータリーは貧相だし、消灯信号機は木偶の坊、見苦しく無様なだけだ。切り倒して完全撤去した方がよい。
もう一つの「定点観測地」タパタリ交差点についても、いずれ見学し、報告したい。
(注)ネパールでも、いずれロータリーでは対応しきれない事態になるだろうが、見る限りでは、市内信号機はまだ時期尚早ということのようだ。
谷川昌幸(C)
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