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古き良きネパールの桜田淳子さん
谷川昌幸(C)
いさんで停電革命論を書いたら,秘かに敬愛するM氏から「けぇがるね?」と,軽~く一蹴されてしまった。敵もさるもの,本場仕込みは,さすが,しぶとい。
1.偽善のススメ
たしかに,無停電社会でヌクヌク暮らしながら,ネパール停電革命論をぶっても,「それで~?」といなされるのが落ちだ。
都会人の自然礼賛は,偽善である。
都会人の田舎の純朴礼賛は,偽善である。
先進国の自然環境保護は,偽善である。
西洋の鯨保護は,偽善である。・・・・・
*西洋は鯨油だけのために鯨を大量虐殺した。
それは,その通りだ。が,それにもかかわらず,偽善は偽悪よりもよい。自然破壊にしても戦争にしても,どうせ人間は強欲だから仕方ない,と偽悪に走ると,悪に取り込まれてしまう。
善には独善の悪が伴う。偽悪は,この独善の解熱剤,解毒剤だ。だから必要ではあるが,薬(毒=悪)が健康(善)に取って代わることはできない。
偽善ははなもちならないが,いくら偽善に見えようと,一人こっそり教会で罪を告白したり人知れず神仏に懺悔したりする一片の良心さえあれば,それは,断然,偽悪よりもよい。
2.NGOも偽善者たれ
NGOについても,西洋のNGOの大半は偽善的であり,辟易させられるが,偽善者とそしられるのを恐れ,ウジウジ活動する少なからぬ日本NGOよりも,アッケラカンとしていて爽快,それだけ事業も前進する。日本NGOは,もっともっと偽善者倫理を学ぶべきだ。
3.「古き良きネパール」の偽善
超先進国日本から「古き良きネパール」を語るのは,もちろん偽善だ。ネパール人は怒るに違いない。
しかし,「古き良きネパール」を偽善的にせよ語るのは,私たち日本人が守るべき価値あるものを失ってしまい,もはや取り返しがつかないところに来てしまっているからだ。私たちは失敗した。が,ネパールならまだ間に合う。どうか,日本のような失敗はしないでほしい,とそう哀願しているのだ。哀れなルサンチマンの発露といってもよい。
4.桜田淳子さんのネパール
しかし,これは理屈,いざ自分の勇ましい停電革命論を「けぇがるね?」といなされてしまうと,これはイカン,やはり神に懺悔せざるをえないと思い悩む。
桜田淳子さんがいまどうされているか知らないが,その頃の彼女は天真爛漫で,実にかわいかった。そして,ネパールもまだまだ「古き良き時代」だった。
*桜田さんは1992年,統一教会合同結婚式で結婚し,以後,世間の評価は一変した。
この20年余で,ネパールは,桜田淳子さん以上に大きく変わり,多くのものを失ってしまった。停電16時間でそれらが回復されるはずもないが,少なくとも,失ったものは何かを思い起こすきっかけぐらいにはなるだろう。
5.ユーチューブの功罪
それにしても,こんなお宝映像が世界中でタダで見られるとは,ありがたい時代になったものだ。が,ありがたすぎて,ここでも心配になる。
そもそも著作権については,私自身,ますますアンビバレントな感情に引き裂かれつつある。文明化を先導する光明(啓蒙)思想によれば,知識・情報は万人のものであり,いずれ著作権はなくなる。これは間違いない。
しかし,そうなったとき,人は本当に創造の暗~い欲望――悪徳の悦び――を維持し続けることができるだろうか? 真っ昼間,万人監視の下で,人は子づくりできるか?
創世記が言うように,人間は光から身を隠すことによって初めて,自分の財産と子をもち,ここから歴史を始めた。Propertyとは,自分固有の心身と,それが外化された子や作品を意味するが,そうしたpropertyは光から身を隠すことをもって始まったのだ。
ところが,21世紀の神となりつつあるインターネットは,人々の生活の隅々までその光を及ぼし始めている。これがさらに進行すれば,万物は万人の前に明らかとなり,誰かに固有のもの(property)は無くなってしまう。逆に言えば,万物が万人のものとなったとき,隠されてあるべき悪徳の悦びは失われ,人は創造への意欲を維持できなくなってしまうのではないか?
光は文化を破壊する。暗闇こそが,文化を育む。だから停電は・・・・
ネパールの停電16時間から,こんな議論をするのは,いささか飛躍がすぎる。が,少なくとも,無停電とし,あまねく光を及ぼせば,人は幸福になるというものでもなさそうである。