ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

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紹介:「ネパールのビール」

図書館で『ネパールのビール』というタイトルの本を見かけたので,借りてきて読んでみた。といっても,「ネパールのビール」は,338ページもの大著に収められた多数のエッセイの一つで,ほんの4ページ余にすぎない短編であった。

いささか,あっけにとられたが,「ネパールのビール」そのものは,大著タイトルとして選んで冠されるのももっとな,感動的なーー文芸春秋特集の意を酌むなら「泣かせる」ーーエッセイであった。

▼日本エッセイスト・クラブ編『ベスト・エッセイ集 ネパールのビール』文芸春秋,1991
*初出:吉田直哉「ネパールのビール」,『文芸春秋』1990年1月号(特集・私がいちばん泣いた話)
ネット掲載「ネパールのビール」全文
  ■91年版『ネパールのビール』

1.「ネパールのビール」梗概
著者は,1985(昭60)年夏,テレビ番組撮影(*1)のためドラカ村(*2)に行き,10日ほど滞在した。ドラカ村は海抜1500mで,斜面に家々が散在,人口は4500人。電気,水道,ガスなし。車道もなく,人びとは荷を背負って移動。

そのため,著者らは,車道終点のチャリコットからポーターを雇い,約1時間半かけ機材や食料をドラカ村まで運んでもらった。ビール(瓶ビール)は重いので,諦めた。

*1 NHK衛星第1「NHK特集・ヒマラヤ・ドラカ村でいま」1986年1月15日10:15~11:00
*2 ドラカ村はチャリコットから約4㎞,いまは道路が付き,バス停もある。
  ■チャリコット~ドラカ村(Google)

撮影で大汗をかいたあと,著者が,ビールを冷やして飲みたいなと口にしたのを,村の少年チェトリが聞き,自分がチャリコットから買ってきてあげると申し出た。

チェトリ少年は遠くの小さな村出身で,ドラカ村に下宿して通学。下宿の薄暗い土間で自炊し,そこで勉強もよくしている。

そのチェトリ少年に,著者は夕方お金を渡し,チャリコットまでビールを買いに行ってもらった。少年は,夜の8時ころ,ビール5瓶を背負い戻ってきた。

翌日も,ビールを飲みたくなった著者は,ビール1ダースぶん以上のお金を渡し,買い出しを頼んだ。

ところが,出掛けた少年は,いつになっても帰ってこない。村人や学校の先生に相談すると,そんな大金をあずけたのなら事故ではなく逃げたのだ,といわれた。これを聞き,著者は,大金で子どもの一生を狂わせてしまった,と深く後悔した。

いたたまれない気持ちで過ごした3日目の深夜,少年がヨレヨレ泥まみれで帰ってきた。チャリコットには3本しかなかったので,山を4つ越えたところで7本買い足したが,帰りに,ころんで3本割ってしまったと,べそをかきながら3本の破片を見せ,釣銭を差し出した。

そんなチェトリ少年を抱きしめ,著者は泣き,そして深く反省した。

2.「泣かせる」が特異ではない話
以上が,「ネパールのビール」の概要。たしかに感動的な「泣かせる」話だ。少年が,著者のために買ったのは瓶ビール10本。3本は割れてしまったとはいえ,重い。それらを背負い,山を4つも越え,持ち帰った。3日目の深夜まで,山道を何時間歩いたのか。お駄賃がもらえるとしても,たかがしれている。想像を絶する忍苦!

著者は,あろうことか,そんな少年を疑ってしまった。それだけに,帰ってきた少年を見て,著者が感動して泣き,深く反省したのは,もっともといえよう。

このように,「ネパールのビール」は感動的な泣かせるエッセイだが,そこで描かれているような出来事は,決して特異なものではない。ネパールを訪れたことのある日本人なら,多かれ少なかれ,幾度も同種の体験をしているはずだ。

3.泣くに泣けない話
私自身も,「ネパールのビール」とほぼ同じころ,初めて訪ネしアンナプルナ・トレッキングをしたとき,同じようなことを体験した。

ポカラから乗客鈴生りジープで川沿いをさかのぼり,ダンプス登り口で下車。さあ出発と前を見ると,絶壁のような急登。恐れをなし躊躇していると,たむろしていた地元の人々が次々と声をかけてきたので,人のよさそうな少年の一人にダンプスまでの荷揚げを頼んだ。年齢ははっきりしないが,日本の中学生くらい。小柄だが,重い荷物の大部分を背負ってくれた。日当は驚くほど安く,たしか2,3百円くらい。それでも荷物を担ぎ,断崖のような山道をどんどん登って行った。

身軽になった私は,おとぎの国のような風景をながめ,写真を撮ったりしながら,休み休み登って行った。そんな私を,大きな荷を背負った地元の人たちが次々と追い抜いていく。女性の方が多く,背負っている荷の中にはコーラやビールのビンが何本も見られる。いかにも重そう。上方の村々に運び上げているのだ。

そうこうするうちに,荷物をもち先に行った少年のことが気になりだした。ダンプスの村で約束通り待っていてくれるだろうか? まさか持ち逃げなどしていないだろうな,などと。わずかの手当てしか払っていないのに,こんな心配。われながら情けなかったが,ダンプスに着くと,そこで少年がちゃんと待っていてくれた。「ネパールのビール」の著者のように泣きはしなかったが,私も,大いに反省させられた。

ダンプスで1泊し,さらにランドルンで1泊,そして最終目的地のガンドルンまで登った。この間,道端の茶店やロッジでビン入りのコーラやビールが売られているのを目にしたが,それらを運び上げる地元女性の姿が目に浮かび,どうしても買って飲むことは出来なかった。

ところが,ガンドルンで歩き回り疲れ果てて,夕方,ロッジに戻ると,無性にビールが飲みたくなり,とうとう一本買って飲んでしまった。うまかった! が,それだけに自分のあまりの意思の弱さが情けなく,やりきれない罪の意識にさいなまれることになった。

はるか下方の登り口から,いやひょっとしたらポカラの町から,女性や少年を含む荷揚げの人々が,何時間も,いや時には何日もかけて,背負い運び上げてきた重い瓶ビールや瓶コーラを,町よりは少し高いとはいえ当時の日本人にとっては全く気にならないほど安い値段で買い,一気に飲んでしまってよいものか? 私の一瞬の,のど越しの快は,ネパールの荷揚げの人々の労苦に見合うものなのか? それは,事実上,彼らの人間としての尊厳を無視した傲慢な搾取を意味するのではないのか?

日本人とネパール地方住民との間には,1980年代中頃にはまだ,想像を絶するほどの生活格差があった。当時,ネパールの地方に行くと,日本人は多かれ少なかれ優越感に捉われるのを禁じえず,と同時に,そうした優越感から行動しているのではないかという自己猜疑に取り憑かれ,不安になる。たとえば,日本であれば,15歳の少年に徒歩往復3時間もかかる遠方に夕方ビールを買いに行かせようとは思いもしなかったであろうし,また,小柄な少年にわずか2,3百円のはした金で重い荷物を背負わせ急峻な山道を登らせようともしなかったはずだ。

ここには,ビールを買ってきてくれた少年や荷揚げをしてくれた少年を疑ったことへの反省だけでなく,それらよりも根源的な自己の優越的地位そのものへのどうしようもない罪悪感があるように思われる。泣くに泣けない自責の念。

1980年代中頃のネパールは,訪ネ日本人の多くにとって,他者との関係において自己を改めて見直す試練の場でもあったのである。

  ■ダンプス~ガンドルン(Google)

4.道徳教育教材としての「ネパールのビール」
「ネパールのビール」は,一見,起承転結の明確なエッセイなので,道徳教育の課題文として多くの学校で使用されてきた。対象は主に2年生。たとえば,次のような報告がある。

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埼玉県立総合教育センター 第2学年○組 道徳学習指導案
1 主題名: 誠実な生き方
2 資料名: 「ネパールのビール」 出典( 自分を考える」あかつき)
4 ねらい: 自分で考え、決めたことは誠実に実行し、その結果に責任をもとうとする心情を養う。

安芸高田市立向原中学校 道徳科指導案 第2学年指導者:上田 仁
主題名:人間のすばらしさ(よりよく生きる喜び)
教材名:「ネパールのビール」
筆者とチェトリくんの生き方の違いを対比させることを通して,人間の醜さに気づくと共に,人間の持つ強さや気高さを信じ,人間として誇りある生き方を見いだそうとする道徳的心情を育てる。

岩手県立総合教育センター 第2学年 道徳学習指導案 指導者:伊藤千寿
主題名:信頼感
内容項目:人間の強さと気高さ、生きる喜び
資料名:「ネパールのビール」
人間は信頼に値すると思う相手に対してであっても、状況によっては疑いの気持ちをもってしまうことがある。それは気持ちの弱さとも言えるが、よほど相手を知り尽くしているのでない限りは仕方がないことでもある。しかし、それを超える誠実さに触れることによって、疑ってしまったことを悔いたり、相手が信頼に値する人間であることを再認識したりすることもある。そのような経験を繰り返す中で、自分も弱さをもっていることを認めたうえでそれを乗り越えることのできる可能性を信じられるようになり、そのことがやがて喜びをもって生きていくことにつながると考える。

【参照】西部中学校「道徳の授業~ネパールのビール~」2018年2月28日

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中学2年道徳科の課題文としてであれば,「ネパールのビール」がこのような読み方をされるのも,もっともかもしれない。

5.もう一つの読み方
しかしながら,その一方,人それぞれの考え方や行動は,その人の生まれ育ってきた環境に大きく規定され(存在被拘束性),それが原因で解消の容易ではない誤解や対立が生じることにも目を向けるようにすることが必要であるように思われる。

異文化,異社会,異国家等の間の相互理解や和解は,そう容易ではない。「ネパールのビール」も,よく読めば,それを暗示しているように思われる。これは,永遠の課題と覚悟せざるをえない。

道徳教育では,学習レベルに応じた形で,相互理解の困難さ,その場合の対応の仕方ーー単純明快な解答のない場合の問題への対処の仕方ーーについても議論し,考えを深めていくべきではないだろうか。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2021/08/06 at 10:49

紹介:三瓶清朝『みんなが知らないネパール―文化人類学者が出会った人びと』(3)

3.「独り立ち」教育
本書の第2章17では,ネパールにおける「独り立ち」教育が,日本の場合と対比しつつ,具体的に紹介されている。たいへん興味深い。

「わたしはかねがね,ネパール社会と比べると,日本社会では親は子どもになかなか『独り立ち』をさせないし,子どもは子どもでなかなか親への依存をやめない,『独り立ち』できないというように理解している。それに反してネパールでは『独り立ち』の教育が早くおこなわれる。ネパール南部のタライ平野の先住民であるタルー族など,3歳でも『独り立ち』するように早くから教育される。」(101)

「カトマンズ市の富裕な家庭の多くは,子どもを使用人というか奉公をするというか,そういう子どもを住み込みで置いている。この子どもは,掃除をしたり料理の下ごしらえをしたり洗濯をしたり幼児の世話をしたりして家庭内の雑用をする。たとえば,オミラの家では,・・・・14歳の,山地から来ている,ネワール族の男子が家事雑用で住み込んでいて,家事雑用をしながら学校に通っていた。・・・・ギャヌー(50歳)の家にはいまから22年も前(1979年ごろ)には8歳ぐらいになる家事雑用専門の男子(多分,ネワール族)が何年も住み込んでいた。家事使用人として『独り立ち』して生きていくわけだ。・・・・シター(42歳)の家では,グルン族の12歳の男の子が家事使用人として住み込んでいて,家事雑用をしながら学校に通っていた。ネパールの子どもは,8歳や12歳,14歳ですでに『独り立ち』をする。」(104-5)

このネパールとは対照的に,日本には「『独り立ち』をさせないような社会的強制がある」と,著者はいう(106)。大学には「父母会」があり,大学側が成績表を親に送り,学習や進路につき親とも相談する。入学式や卒業式には親も出席する。このように,日本では大学生の「幼児化がはなはだしい」(107)。いやそれどころか,最近では入社式にさえ親が出席したりする(108)。

この「独り立ち」についての日ネ比較は,面白い。教育の本来の目的は,福沢諭吉が『学問のすすめ』で説いたように,物事を自分で見て判断することのできる独立した精神の確立であるはずなのに,日本では教育をその逆に向け推し進め,生徒・学生の幼児化を図ってきた。権威に従順な,使い勝手の良い「おとな子供」の育成である。

このように,ネパールの「独り立ち」教育が現代日本の「幼児化」教育とはベクトルが逆であることは明らかだが,だからといって,もしわれわれがそれを近代的な主体性教育,福沢のいう「一身独立」ないし「独立自尊」の教育のようなものとみると,基本的な点で見方を誤る恐れがある。

ネパールの子供の「独り立ち」は,むしろ戦前や高度成長以前の戦後日本の子供のそれに近い。日本でもかつては子供たちの家事手伝いや丁稚奉公が広く見られたし,農家では不可欠の働き手として農作業を分担していた。学校教育が普及し始めても,小学校を卒業すると(12~14歳),子供たちは農民として働き始めるか,繊維工場などに働きに出た。戦後になっても1970年頃までは,中学卒(16歳位)や高校卒(18歳位)で親元を離れ,都市へ集団就職する子供が少なくなかった。山陰の私の故郷でも,毎年,3月下旬になると,6~8両もの集団就職列車(先頭は蒸気機関車!)を仕立て,村々の駅で中卒や高卒の少年少女を乗せ,都市部の就職先へと送り出した。日本でも,つい半世紀前頃までは,子供たちの多くが早くして「独り立ち」していた,いやさせられていた。ネパールの「独り立ち」教育は,むしろそれに近いように思われる。

それともう一つ,ネパールの子供使用人,特に住み込みの子供使用人については(日本の場合も本質的には同じだが),注意しなければならない別の側面もあるように思われる。子供が奉公先に住み込む場合,当然,その子供使用人の立場は極めて弱い。酷使や虐待の被害を受けやすく,事実,これまでに幾度も問題にされてきた。学校にも満足に通わせてもらえない場合が少なくない。

さらに,私も幾度か見たことがあるが,子供住み込み使用人は奉公先家族のいかなる指示にも従わざるをえない。たとえ小さな子供のわがままであっても,ご主人様の子供ともなれば,反抗は許されず,忍従を強いられる。そのような状態が続けば,子供住み込み使用人は,子供であるからなおさら強く,上下身分関係を刷り込まれ,屈辱的な忍従を習い性とするようになる。その場,その場の人間関係をいち早く見て取り,小狡く立ち振る舞うという意味では「独り立ち」しているが,それは福沢諭吉の唱えた「独立自尊」とは真逆の精神態度と見ざるをえないであろう。

ネパールの子供使用人には,このような側面もあるのではないだろうか?


■ネパールの子供家事労働者,約6万5千人。学校に行かせてもらえず酷使,虐待も少なくない(IPS, 2013/07/25)。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/06/19 at 14:24

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