ネパール評論 Nepal Review

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大野裕之『チャップリンとヒトラー』

20世紀の「天才」2人,チャップリンとヒトラーを表紙に見ただけで,この本を買わずにはいられなかった。そして持ち帰り,読み始めると,たちまち引き込まれ,最後まで読み終えてしまった。綿密な実証に裏付けられたノンフィクションないし学術書なのに,フィクションのように,いやそれ以上に面白い。

本書において著者は,「四日違いで生まれて,同時期に同じ髭を生やし,第二次大戦開戦の直後に『独裁者』撮影開始,パリ入城の翌日にラストの演説撮影,という両者の人生における交差」を,単なる「偶然」としてでも「必然」としてでもなく,稀有な「必然的偶然」として丹念に描いている(230頁)。この「必然」と「偶然」の実証的描写――そこに本書の劇的な「面白さ」の秘訣があるように思われる。

チャップリンは1931年に,こんなことを語っている。まるで21世紀の「美しい国」に向けてのように。
愛国心というのは,かつて世界に存在した最大の狂気だよ。私はこの何カ月かヨーロッパの各国をまわってきたが,どこでも愛国心がもてはやされていた。これがどういう結果になるかというと,また新たな戦争だ。願わくば,この次は老人を前線に送ってもらいたいね。今日のヨ一口ッパでは,真の犯罪者は老人なんだから。(37頁)

160220
 一八八九年四月- 二〇世紀の世界で,もっとも愛された男ともっとも憎まれた男が,わずか四日違いで誕生した。
 やがて、二人の才能と思想は,歴史の流れの中で,巨大なうねりとなって激突する。
 知られざる資料を駆使し,映画『独裁者』をめぐるメディア戦争の実相をスリリングに描く!
(表紙カバーより)

*大野裕之『チャップリンとヒトラー』岩波書店,2015年

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/02/20 at 11:16

棄権か死票か?

明日は投票日。テレビ・新聞は声を揃えて、「投票に行こう!」と、お説教をしている。しかし、今回の選挙での投票に、どのような意味があるのか? この根源的な問いが、少なくとも、もっと議論はされてしかるべきであろう。

そもそも、この選挙自体が、「違憲状態」つまり違憲なのだ。違憲と判っていて、投票するのか? 投票すれば、どの党に入れようが、選挙の正統性を認めたことになる。憲法は最高法規である。憲法を守るなら、棄権こそが国民の義務となる。

あるいは、今回の選挙のように、大局的に大勢がほぼ見えているように思われる場合、多数派への反対意思を表明するため、落選確実と見られている候補(政党)へ投票すること、つまり死票に、どのような意味があるのか? 死票も、投票には参加するわけだから、多数派追認のための違憲選挙の根本的否定にはならない。これは、白票でも同じことである。死票も白票も、投票という形で選挙の正統性、そして選挙で形式的に選出される既成多数派の根源的正統性を保証する。

死票も白票も政治的には「無」ではなく、既成の体制を、その根底において正統化する役割を果たす。

棄権はいずれとも違う。棄権は選挙に参加せず、したがって政治的には既成の体制そのものの拒否となる。棄権はラディカルであり、死票や白票よりも強力だ。棄権は危険である。

これに対しテレビ・新聞は基本的に体制擁護だから、この危険な棄権をとにかくなくそうと、声を揃えて「投票に行こう!」と、大合唱を繰り返している。原発安全神話と同種の「選挙神話」である。専門的には「選挙民主主義(electoral democracy」。

マスコミは、たとえベストがなくてもベターな選択はある。とにかく選挙には行くべきだ。それが、あなたのため、国民のため、と強弁する。これはウソだ。あるいは、より正確には、どのような場合にも妥当する自明の真理ではない。これは、原発神話とは別種の、だが同程度に危険な「神話」だ。われわれは、選挙に行く前に、少なくとも一度はこの選挙神話をも疑ってみるべきだ。異論なき議論はお説教であり、たいていまやかしだ。

「棄権」は、決して、非国民的国家反逆行為ではない。日本の現状を深く憂うが故に、熟考の上、あえてもっとも過激な「棄権」を選択する。これも立派な政治的態度だ。もし自覚的棄権が増加し、投票率が50%を下回る、あるいは40%を切るような事態になれば、政治への根本的反省が始まるはずだ。

かつて共産主義国では投票率98%とか99%も決して珍しくはなかった。わが村でも投票率はつねに80%以上だ。これをもって政治意識が高いとか民主的とかいえるであろうか?

ゆめゆめ大政翼賛会的な、「選挙に行こう!」大合唱に洗脳されてはならない。選挙神話は、少なくとも棄権と同程度に危険だ。投票と棄権の政治的意味をよく比較し、熟考し、投票するか棄権するかを冷静に判断すべきだろう。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/12/15 at 23:50

カテゴリー: 選挙

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震災後日本と小沢昭一の貧主主義

小沢昭一さんのことは、テレビでちらっと見たりエッセイを目にしたことがあるくらいで,それ以上のことは何も知らないが,たいへんユニークな,本物の芸能人ではないか,といった印象を持っていた。地に足のついた,肝の据わった希有な教養人。

その小沢昭一さんが,朝日新聞の特集「ニッポンみんなで」(4月24日)に登場,記者のインタビューに応じている。これがいかにも小沢的。震災後の「絆」キャンペーンを「ちょっとだけ心配」と軽~く弄り,いたぶりながら,その「貧主主義」で当の朝日の大政翼賛会的特集の急所を刺し貫く。朝日本人ですら,一突きで絶命したことに気づいていないのではないかな?

「小沢昭一的こころ」はかくも凄い。凄さが見えない凄さに圧倒される。インタビューの最後の「一突き」部分は,次の通り。

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小沢昭一「シブトク立ち直って」(朝日新聞2011-4-24)

敗戦後は日本中が「茫然自失」の状態でした。昨日までの価値観が根底からひっくり返って、ただ「茫然」とするだけじゃなく、自分の存在の根拠さえ失った「自失」だったわけです。昨日まで「鬼畜米英」なんて言っていたのが、ガラリと変わってアメリカ礼賛の「民主主義」「自由」なんです。世の中、信じられなくなっちゃった。

当時は「みんなで頑張ろう」なんてかけ声もなかった。みんな焼け跡で、今日を生きることで精いっぱい。てんでんバラバラに頑張るしかなかった。

それまでの「一億一心」から、正反対の「てんでんバラバラ」。この「てんでん」というのは、個人一人ひとりの「自立」なんです。そのてんでんを深めよう、バラバラを深めようと、急に切り替わった。でも、バラバラの価値観をどう深めていくか。それは大変でも、そのために戦争という大きな犠牲を払ったわけですからね。

戦後はみんなが何もかも失って貧しかった。でもその代わり「自由」なるものを味わって、これにすがりつこうと思い、みんなが希望を持った。

「今日一日の食うものもない貧乏暮らしだけれど、今度こそ貧乏をバネに俺の好きな生き方をしよう」「大変だろうけど、やってみようじゃないか」と、一人ひとりが独立心を持った。後に私の唱えた「貧主主義」が芽生えるのです。

だから今回、「一致協力」とか「絆」なんてことが強調されるのが実はちょっと心配なんであります。いつかまた、あの忌まわしい「一億一心」への逆戻りの道になりゃしないかと、そんな気がするんですね。だから私たちの世代には「絆」ってのはちょっと怖い言葉なんです。耳にタコで、こりごりしてる。でも若い人たちには初めての新鮮な言葉なんでしょう。いつの間にか意味がすり替わらないように、気をつけなくちゃいけませんよ。

東北の皆さんはみんな我慢強く、ねばり強い。それだけじゃなくて、実は底抜けに明るいユーモアの心もお持ちなんです。大変でしょうが、持ち前のたくましさでシブトク立ち直っていただきたいと祈っております。 (以上,朝日新聞より引用)
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東北文化への深い理解と尊敬,東北の人々の秘められた底力への限りない信頼に基づく,心からの温かい激励だ。

この「小沢昭一的こころ」の前では,キンキン声タカ派の日本ガンバレの空疎さや,猫なで声全体主義者の思いやり支援キャンペーンのいやらしさが,たちまち露見してしまう。

政府には,復興のため,定められた職責をきちんと果たすよう要求し監視する。そして,被災された人々には,小沢昭一さんとともに,「シブトク立ち直っていいただきたい」と祈りたい。

谷川昌幸(C)

 

 

Written by Tanigawa

2011/04/24 at 16:46

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