ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

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エベレストでも丸裸,グーグルストリートビュー

グ-グルストリートビューが,ルクラ,ナムチェからエベレスト・ベースキャンプにまで進出した。こんなところにまで侵出し,秘境を脱神秘化することもあるまいに,秘所のぞきは金になり,やめられないらしい。

プライバシーは,もはやエベレスト界隈でも,ないものと覚悟せざるをえない。たとえば,これらの写真を見よ(解像度を下げ掲載)。一応,申し訳程度のモザイクをかけているが,本人は言うに及ばず,多少とも本人を知っている人であれば,写っているのが誰かはすぐわかる。なぜ,人体全部を消さないのか? このような醜い顔修正写真の無断無期限世界公開は,名誉毀損,人格権侵害だ(下記参照)。

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 ■エベレスト・ベースキャンプ

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 ■タンボチェ/シャンボチェ空港

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 ■エベレストビューH・/ナムチェ

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 ■ナムチェ

こうした批判は,世界各地から日々おびただしく寄せられているらしく,グーグルもメシのタネを死守するため,言い訳,弁明にこれつとめている。「ストリートビューの画像を収集する際に、顔やナンバープレートをぼかすなど、個人のプライバシーと匿名性を保護するための対策を行っています。保護すべき画像や問題のある画像を見つけた場合は、ストリートビュー チームにご連絡ください。」

まるで逆だ。時間も専門的な知識や技術もない一般市民は,世界中をのぞき回り,ネットに掲載していくグーグルを常時監視することなど,およそ不可能だ。そのような不可能な注意義務の一方的要求は,正義に反する。圧倒的な強者のグーグルこそが,写る人,あるいは写ってしまった人一人一人の許可を取得してから,撮影し,あるいは公開すべきだ。
   150328i■「強者の権利」表示
 
そもそもプライバシー(privacy, private)は,公共・公開(public)の対概念。隠れて在ることは,人権の基本の基本であり,秘密をすべて暴かれてしまえば,人は人ではなくなる。人は,隠れるために顕れ,顕れるために隠れる。隠すために見せ,見せるために隠す。

ヒマラヤの秘境ですらグーグルを意識せざるをえないとなれば,他は推して知るべし。現代人は,もはや隠れて在る自由をあらかた喪失してしまったといわざるをえないだろう。

参照1国際人権法のプライバシー保護
「国際人権法は、あらゆる人のプライバシーへの権利と恣意的または違法な干渉からの保護を保障している。国際法では、プライバシーへの権利は一般的に、自身に関わる情報がどのように取り扱われているのかを知り、それを不当な遅延や代償なく、かつ分かりやすい形で取得し、そして違法、不必要または不正な記載がある場合には適宜訂正や消去をしてもらえる権利として定義されている。ある人の私生活に関する情報が第三者に渡り、国際人権法に反した目的で使用されることのないよう、効果的な措置を取る必要がある。」(UNHCR「庇護情報の秘密保持の原則に関する助言的意見」2005年3月)

参照2「ウェブカメラ、ネットで丸見え3割」朝日新聞デジタル 2015年3月16日
「[調査したウェッブカメラの]35%にあたる769台がパスワードを設定することによって第三者からのアクセスをブロックする対策をとっておらず、映像を見たり音声を聞いたりできた。・・・・ほとんどが防犯や監視用として設置され、レンズが向けられている対象と状況から書店や美容院、飲食店、スーパーなどとみられた。事業所の従業員控室、幼い子どもたちがいる託児所のようなスペースもあった。」

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2015/03/29 at 10:41

高知の性政治

全国の自治体が,国民健康管理の「生政治」にとどまらず,いまや恥も外聞もかなぐり捨て,“産めよ殖やせよ”の「性政治」に狂奔している。

1.高知の桃色路面電車
とりわけ,ビックリ仰天したのが,たまたま訪れた高知の性政治。高知を走る路面電車に,高知県がピンク色公告を貼っているのだ。(撮りそこねたが,この写真の電車よりもっとド派手な電車も走っていた。)たまげた。
 ▼車外:桃色の出会い系宣伝板取り付け
 ▼車窓:ハート多数貼付
 ▼車内:県公認出会い系サイト宣伝「高知で恋しよ!!」
     「高知県が運営する恋と出会いの応援サイト」
     「出会いイベントの情報・申込み」
     「高知の出会いと結婚応援団」
     「高知出会いのきっかけときめきパーティー」

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 ■電車外側貼付看板/ハートだらけの車窓

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 ■車内ポスター/同左拡大

2.少子化対策
このような性政治は,高知県だけでなく,他のどの地方の自治体も多かれ少なかれ行っている。旗振りは,いうまでもなく中央政府。いわゆる「少子化対策」がそれで,2013年度補正予算に「地域少子化対策強化交付金」30億円を計上。都道府県4000万円,市町村800万円。実施例は,いずれも見るもバカバカしく気恥ずかしい,ピンクなものばかり。たとえば,静岡県の大学生恋愛対策。他県については,下記「資料」参照

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 ■秋田県少子化対策局HP/島根県少子化対策推進室HP

3.恋と性の国家管理
そもそも恋愛や性はプライバシー(私的領域)の中でも最も私的なものであり,公権力による介入は許されない。公権力は公開と公的コントロールに服すものであり,私的領域の守られるべき秘密と自由を保護するためにこそあるといってよい。

そうした私的領域の秘密を必要としないのは,神か動物であり,断じて人間ではない。公然と性行為をしても動物や神々は全く恥じることはないし,またキリスト教の唯一神はそもそも性交渉を必要とはしない。ただ人間だけが,隠れてコソコソ性行為をする。それは人間の宿命であり,その秘密と自由を失えば,人間は人間ではなくなる。

現代の生政治=性政治は,人間の私的領域の秘密と自由を放置できない危険とみなし,その領域に介入し,公的支配に組み込もうとしている。その典型が,日本国政府の「少子化対策」だ。

この「少子化対策」は,戦前・戦中の「産めよ殖やせよ」政策よりも危険ですらある。以前は,少なくとも結婚までは,親や親戚近隣縁者らが男女の仲を取りもった。たしかに国策としての様々な奨励や誘導はあっただろうが,大学生に恋の手ほどきをするほどの,恥ずかしいところに手の届くような手厚い公権力介入ではなかった。

ところが,現代日本の「少子化対策」はそうではない。いまでは中央や地方の公権力が,公金(税金)を使い,そもそもの初めから「出会い」の場をあてがい,男と女を引き合わせ,結婚させ,性行為を促し,子を産ませようとしているのだ。 

万人監視の公開と強制を本質とする公権力が,秘密と自由を本質とする男女の性行為を終始コントロールする! 恋と性の国家管理!

国家や地方自治体の「少子化対策」は,いかにソフトなピンク色のものであれ,本質的に私生活への不当な権力介入であり,人間の人間的な自由に反する。

4.その先には何が?
それでも,日本は「少子化対策」にむけ大きく舵を取った。そして,今日も高知では,ハートをちりばめた桃色の「出会いと結婚応援団」電車が,街中を走り回っている。いったい私たちは,どこに向かって進んでいるのであろうか?

140922d ■高知県少子対策課HP

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[参考資料]結婚に向けた情報提供等(内閣府HP)
茨城県】結婚に関して悩みを抱えるすべての方からの相談対応 。本人のみならず親、親戚、友人等すべての方からの悩みや疑問に答える相談窓口を開設する。
香川県】親世代を中心とした理解の促進。 親世代を中心に広く県民に「結婚活動をしないと結婚できない時代」という現状についての理解を深めるとともに、親や地域の一員ができることを紹介するシンポジウムを開催。
岡山県】結婚応援者のスキルアップ、ネットワークの強化。様々な結婚支援の取組を行い高いスキルを持つ団体が、結婚支援NPOや行政担当者、市町村の結婚推進員等の結婚応援者のスキルアップのためのセミナーを行うとともに、関係者間のネットワークの強化を進める。
広島県】結婚に向けた行動促進、企業内の推進役によるサポート。 会員登録制による直接的な意識啓発により自らの行動を促進するとともに、企業内の推進役によるサポート、サポーター同士の交流を行う。
富山県】企業との連携による結婚支援の取組。 結婚希望男女の情報を一元化し、効果的なマッチングを行うとともに、県と企業との結びつきが強いという強みを活かし、企業の人事担当者を対象にした従業員に対する結婚支援のノウハウ等のセミナーや、企業からの推薦を受けた結婚希望者等を対象としたセミナーを行う。
徳島県】企業、団体、県人会等とのネットワークの構築。企業・団体、在京、在阪の県人会、地域のNPO、農協、漁協等のネットワークを構築し、従業員や会員等に対する、地域の実情に応じた未婚男女へのマッチング支援、情報提供、相談対応等を行う。
静岡県】大学生による大学生のための少子化対策(恋愛、結婚等)。大学生が、同世代の大学生のために、恋愛や早期の結婚を意識させるための企画から実施までを一貫して行う。
埼玉県】未婚者に対するライフデザイン構築の支援。 未婚者を対象に、結婚や家庭を持つことの意義を啓発するとともに、妊娠・出産・育児等に関する正しい知識の普及を行うことで、受講者がライフデザインを構築できる支援を行う。
愛媛県】成婚に至ったモデルなど好事例の取りまとめ、発信 独身者及び婚活支援者向けの講座を開催するとともに、これまで県の結婚支援センターの事業で蓄積された事例から、成婚に至ったモデル、独身者への好アドバイス等の事例の取りまとめ及び発信を行う。
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[引用者コメント]
最高学府の大学生の恋を公権力が支援。手引きされなければ,恋もセックスも出来ない! それで大学生?
②「マッチング」はカタカナ英語。世間では,イヌネコを掛け合わせる場合などにもよく使われる。
③「結婚希望男女の情報を一元化」。こんなことにまで公権力が関与してよいのか?

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/09/23 at 17:40

万人監視国家,ニッポン

『世界』5月号の公募グラビア,佐藤淳平「監視」が不気味だ。監視カメラが,駅でも,団地でも,歩道でも,店先でも,ベンチの上からも,公園の木陰からも,そして,どこかわからないが,そこからも,人々を常時監視している。

東京都内には,街頭「防犯カメラ」が,警察設置195台,自治体設置4959台もあるそうだ。市民は,プライバシーより「安心,安全」を重視し,もはや慣れっこになっている。が,「防犯カメラ」の防犯効果は,実際には,まだ実証されていないという(p.303)。人々は,漠たる不安に駆られ,効果も定かでない「防犯カメラ」設置に走っているのだ。

プライバシー(privacy)とは,「自由な私生活」ないし「私生活の自由」のことであり,public,つまり「公開」「公共」の反対概念だ。換言するなら,私生活の自由(見られない権利)があってはじめて,公的領域(見る権利,見せる権利)があるのであり,公共は公共だけでは存立しえない。

そもそも,人間にとって本当に大切なものは,隠されてある。信仰もストリップショーも,隠されてある「」や「秘所」がなければ,存立しえない。隠すために見せ,見せるために隠す。隠すもののない者は,もはや人間ではない。カミかヒトだ。

それにもかかわらず,いまや日本の国家や社会は,監視カメラ設置で住民の「私生活の自由」を根こそぎ剥奪しようとしている。愚かなことだ。自らの存立根拠を,自ら取り除こうとしている。

そもそも「防犯カメラ」が欺瞞的だ。正しくは,「監視カメラ」,あるいは「スパイカメラ」または「盗撮カメラ」と表現すべきだ。日本は,古来,言霊の国。人間らしい「見られない自由」「隠れる自由」を取り戻すためにも,ことばは,それ本来の意味で誠実に用いられるべきであろう。

▼巷にあふれる「防犯カメラ」(Google)
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谷川昌幸(C)

Anand Aditya ed., Civil Society-State Interface in Nepal

11月末、本書の出版披露の会に招かれたが、風邪気味のため欠席してしまった。日本語ではあるが、ここで紹介し、ご招待のお礼に代えたい。

▼Anand Aditya ed., The Civil Society-State Interface in Nepal: Renegotiating the Role between the Private and the Political,Sanepa, Nepal: Pragya Foundation and Friedrich Ebert Foundation, 2011.

FOREWORD
PREFACE
FROM SUBJECTS TO CITIZENS: Civic Transformation in a Captive State –Anand Aditya
THE ENLIGHTENMENT TRADITION OF NEPAL: Can the Civil Society Grasp It? — Dev Raj Dahal
ROLE OF CIVIL SOCIETY IN THE PEACE PROCESS IN NEPAL — Anjoo Sharan Upadhyaya and Hemraj Subedee
THE CIVIL SOCIETY-STATE INTERFACE — C. D. Bhatta
PEACE POLITICS AND CIVIL SOCIETY IN NEPAL: The Space to Mediate the Fault-Lines — Tika P. Dhaka!
MULTI-TRACK APPROACHES TO PEACEBUILDING IN NEPAL: Public Morality as an Issue in the Future Civil State — Tone Bleie
CHALLENGES OF CITIZENSHIP BUILDING IN NEPAL — Yubaraj Ghimire, journalist
CHALLENGES TO TRANSITIONAL JUSTICE IN NEPAL: The Role of Civil Society — Julius Engel
REIEECTIONS ON CIVIL SOCIETY — Shambhu Ram Simkhada
RESULTS OF OPINION POLL ON CIVIL SOCIETY IN NEPAL: 2011 — Pramod R. Mishra

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ネパールでは、王制→立憲君主制(1990-2007)→民主共和制(2007-)という体制移行が20年余の短期間に行われたため、民主共和制の基盤となるはずの市民社会の形成がそれについて行けなかった。

この事態を憂慮したのが西洋諸国の援助関係者である。彼らはネパール側に強く働きかけ、様々な援助やセミナーを通して市民社会(Civil Society)を育成しようとした。

その結果、たとえば市民社会の中心となるNGO(非政府組織)は、本書によれば、下図のように激増した。これは1999年までの統計だが、その後もNGOは増加しており、いまやネパールは世界有数のNGO大国といってもよいであろう。

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 ■ネパールの公認NGO数(8頁)

しかし、問題がないわけではない。市民社会は、編者アディチャによれば、「公的(public)」なものであり、「市民個々人の私的領域と政府の政治的領域の間のギャップを架橋すること」(序文)を任務としている。換言すれば、それは、私的・個人的でもなく、政治的・国家的でもないものである。

問題はここにある。1990年民主革命以前のネパールは、まだ近代以前であり、そこには明確な私的領域も明確な政治的領域もなかった。それは公私未分化の封建社会といってよいだろう。この社会は、公私未分化であるから、その限りでは、一見「市民社会」のようでもある。

したがって、もしそうであるならば、この公私未分化の伝統的社会関係を「市民社会」の中に滑り込ませることもできるのではないか? あるいは、換言するなら、西洋諸国の現代の市民社会論は近代市民革命を経て成立したものだが、それを棚上げし、ネパールに現代市民社会論をそのまま持ち込むと、それは、前近代的なネパールの人間関係や社会関係に「市民社会」という新しい衣を着せ、それらを温存することになるのではないか? 

先述のように、ネパールはNGO天国であり、おびただしい数のNGO、PPT(Public Private Partnership)、Cooperativeなどがあるが、運営の実態をみると、多くが前近代的なものといわざるをえない。ネパールの市民社会論は、西洋諸国の市民社会論者が何を言おうとも、まずはこの自らの組織の現実を直視することから始めるべきであろう。

この観点から見ると、本書の議論もやや物足りないが、それでもいくつか注目すべき議論は現れ始めている。たとえば、Tone Bleieはこう述べている。

「個人の権利と集団の権利のバランスが大切である。」(158頁)
「内面化された個人の良心こそが公的道徳を育成する。」(161頁)
「近代以前にはカーストが社会集団とアイデンティティの基礎であったが、これがいま、原初的民族アイデンティティや民族ナショナリズム・アイデンティティに置き換えられつつある。」(166頁)

つまり、前近代的カーストを既存の民族や他の社会集団によって置き換えてみても、何ら問題の解決にはならないということである。

ネパールには、公式統計によれば、カースト/ジャーティが100以上ある。それぞれが多かれ少なかれ独自のアイデンティティを持つ社会集団である。そうした状況の下で、もし個人の主体性、個人の内面化された独立の良心、個人の固有の権利といったものが棚上げされ、個人と国家の中間の「公的領域」とか「市民社会」を主張すれば、既存のカースト/ジャーティなどがNGO、PPT、Cooperativeなどといったものに衣替えし、実態はあまり変わらないまま存続するであろうことは明白である。

ネパールの市民社会論は、近代市民革命の理念を軽々と飛び越え「超克」するのではなく、そこに愚直に立ち返り十分に「内面化」した上で、それを基礎に自らを再構築していくべきであろう。迂遠かもしれないが、市民社会の成熟にはそれしか道はあるまい。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/12/28 at 21:07

カテゴリー: 政治,

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