ネパール評論 Nepal Review

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制憲議会選挙2013(28):反対投票の権利

制憲議会選挙では,バイダ派(CPN-M)を中心とする33党連合が,選挙実施に反対する一方,次善の策として,「反対投票(negative voting)」を認めよ,と要求していた。選挙に出ている政党や候補者に対し,「反対」の票を投ずる権利だ。この「反対投票」の要求は,結局,拒否され,33党連合は選挙拒否に回った。

1.ネパール最高裁「反対投票」実施命令
ところが,この「反対投票」問題は,NGO「反テロ・反汚職キャンペーン」が最高裁に「公益訴訟」の形で訴え,その判決が1月5日,下された。

原告NGOは,「反対投票」を認めない現行選挙制度は,暫定憲法前文,公民権法,世界人権宣言第19条・21条(3),市民的及び政治的権利に関する国際規約第1条に反する。それゆえ現行制度を改正し,反対投票を認めるべきだ,と訴えた。

この訴えに対し,最高裁(K・シュレスタ判事,P・ワスティ判事)は,反対投票の権利を認める判決を下した。報道によれば,判決要旨は下記の通り(Himalayan Times & Nepalnews.com,5 Jan)。

現行選挙制度では,有権者は「最悪の候補者の中から一番ましな者」を選択することしかできない場合がある。「反対投票」制度を採用すれば,有権者は,立候補者全員か,あるいは特定の候補者のいずれかに対し,「反対」の意思表示ができる。

「反対投票」は有権者の権利であり,これにより有権者は腐敗やテロの防止の観点から,好ましくない立候補者の当選を防止できる。政府・選管は,次の選挙(国政・地方)から,反対投票を実施すべきである。

これは原告NGOの全面勝訴だ。しかも,この判決はNK・ウプレティ選管委員長にも歓迎された。彼は,選挙法を改正し,「反対投票」を採用したいと語っている。

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 ■ネパール最高裁/選挙管理委員会

2.インド最高裁「反対投票」実施命令
「反対投票」は,すでにかなりの国で,何らかの形で採用されている:米(ネバダ州),仏,ベルギー,スウェーデン,スペイン,フィンランド,ギリシャ,ブラジル,チリ,ウクライナ,コロンビア,バングラデッシュなど。(日本でも議論が始まっている。) そして,それに加えて,ネパール最高裁判決に大きな影響を与えたのが,インド最高裁の「反対投票」実施命令判決である。

インド最高裁は9月27日,選挙管理委員会に対し,「反対投票」の採用を命令した。判決によれば,立候補者を拒否する権利は言論・表現の自由の一部であり,またこの「反対投票」は有権者の政治参加意欲を高めることにもなる。「民主主義の生存には,適切な国政を担う最善の人々を選ぶことが不可欠だ。」「多くの有権者がNOTA(None Of The Above 投票すべき候補者なし)に投票すれば,それは政党に対し,よりよい候補者を選択させる圧力になる。反対投票は選挙を制度的・体系的に変えていくだろう。」(Times of India & The Hindu, 27 Sep,2013)

このインド最高裁判決を,ネパール最高裁判決はほぼ踏襲している。

140107a ■インド最高裁

3.「反対投票」の危険性
しかし,繰り返し述べてきたように,ネパールの選挙制度は,現行でも極めて複雑であり,莫大な金と時間を消費する。現行制度でも運用し切れてはいない。それなのに,さらに複雑な制度を追加しようとする。なぜか?

大義名分は,もちろん人々の多様な意見の正確な代表。しかも,最新ピカピカだから,導入への援助も期待できる。腐敗した政党や政治家は困るかもしれないが,それをのぞけば,誰も損はしない。

が,そんな虫のいい話は絶対にない。 「反対投票」を追加すれば,選挙にますます金と時間がかかり,選挙破産となりかねない。外国が無際限に援助してくれればよいが,それは期待できないし,そもそも時間の援助は無理だ。

そして,もっと根本的な問題は,「反対投票」だから,当然,選挙は対抗相手を蹴落とすための運動に傾き,罵詈雑言,ヘイトスピーチのたぐいが激化する。しかも,ネパールはいま包摂参加・アイデンティティ政治バンザイの世相だ。これで社会が分解しなければ,奇跡といわざるをえない。

むろん,ネパールはまだ共同体的秩序が健在であり,すぐには社会分解とはならないだろうが,新製品には初期不良がつきもの,欧米諸国や日本に十分習熟運転させてから慎重に取り入れても遅くはあるまい。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/01/07 at 17:16

違憲選挙と「法の番人」としての最高裁

[1]

棄権は危険だが,現状では投票よりはましだと考え,昨日は投票所で選挙区・比例区とも投票拒否を宣言し,最高裁国民審査にだけ参加した。

むろん国民審査も,無印を信認と見なす,姑息な投票方法を採用している。それは,無知な国民には難しい裁判のことなど判りはしないから,無印を信認と考えてやるのが国民のためだとする,鼻持ちならぬ法曹エリート主義によるものだ。

[2]

法は,他の文化圏と同様,日本でも,権威が創り下々に下賜されるものであった。最高の権威はいうまでもなく神だから,法は神が創り人間に啓示されたものである。

しかし,神は人間の理性を超越した絶対者,あるいは悠久の歴史とともに在る者だから,神意としての法を下々の庶民が直接読み,解釈し,適用することは不可能である。そこで,神法を職業として学び,解釈し,庶民に伝える特権的身分が生まれた。それが,法曹である。だから司法は,伝統的に,良くいえば温情主義的・父権主義的であり,実際には度しがたい愚民観に立っているといわざるをえない。

[3]

最高裁国民審査も,こうした父権主義ないし愚民観に立つものではあるが,それでも昨今の政治状況を見ると,残念ながら,われわれは「×」印または無印投票によりこの国民審査には参加し,もって司法への期待を表明し,その助力を仰がざるをえない事態に立ち至っていると考えざるをえない。

われわれは,自分自身のために,自らへりくだり,司法を立てる。法曹を神意の解釈者だとおだて,エリート意識をくすぐり,「法の番人」としての聖職・天職(Beruf, profession)を思い出してもらうのだ。

裁判官は,時の政府にも,ときどきの「民意」にも服従するものではない。神聖な「法」にのみ耳を傾け,「法」を客観的に解釈し,時の政府や「人民」に法の真意=神意を示す。それが法曹中の法曹たる裁判官の使命だ。

[4]

日本国憲法も,こうした観点から,裁判官の独立を宣言している。「すべて裁判官は,その良心に従ひ独立してその職務を行ひ,この憲法及び法律にのみ拘束される」(第76条3)。

ここでいう「良心」や「独立」が,神の前のものであることはいうまでもない。人は,神にのみ従うとき,はじめて他人への依存から脱却し,自由・独立たりうる。裁判官は,首相や大臣にも国民にも服従しない。「国民の声」も「天の声」ではない。「天の声」は,個々の裁判官がそれぞれ神と直面し無心に(良心をもって)耳を傾けるときにのみ,聴き取れるものなのだ。

[5]

いまの日本は,神頼みと誹られようと,裁判所なかんずく最高裁判所に期待せざるをえない事態に立ち至っている。われわれは,裁判官が日本国憲法を通して語りかける神の声を聴き取り,国民に伝えてくれることを願っている。たとえば,違憲状態での選挙は無効であると,おそらく神は語られるのではないか? 特権的「聖職者」たる裁判官には,その神の声を聴き取り,われわれに伝えてほしいのだ。

むろん,こうした司法への期待は,世俗民主主義にとっては不幸なことだ。民主主義が正常に機能していないからこそ,われわれは非民主的機関たる司法に依存せざるをえないのだ。民主主義の時代においてもなお,司法に大きな特権が与えられているのは,このような非常事態に対処するためだ。いまこそ司法は,その本来の崇高な任務を果たすべきである。

[6]

ところで,こうした司法への期待という点では,いまの日本は,ネパールとよく似ている。ネパールでは,民主的暫定憲法はつくられているものの,憲法通りの政治が行われておらず,多くの重要問題が最高裁に持ち込まれ,審理され,次々と裁決が下されている。門前払いや,統治行為論による逃げはない。

たとえば,「公益訴訟(public interest litigation)」も広く受理されているし,最近では2012年5月,議会任期延長を違憲と裁決し,議会を解散させてしまった。非民主的な最高裁がこれほど政治に深く関与することは決して「民主的」ではないが,たとえ非民主的であろうと,憲法が定めている以上,最高裁はその憲法にのみ従い,粛々と裁決を下さざるをえないのである。その意味では,ネパールの最高裁は,不幸なこととはいえ,良く機能しているといってもよいであろう。

日本の最高裁は,いまこそネパール最高裁のこの勇気を学ぶべきである。憲法上の位置づけは異なるが,いずれの最高裁も法を通して語りかける神の声を聴くことを天職としていることに変わりはない。「違憲状態」の選挙は違憲であり無効であるというのが神の声なら,民の声も政府の声も無視し,神の声にのみ従うべきである。

それが特権的法貴族たる裁判官の義務である。予言者は荒野に叫ぶもの,世に受け容れられないことを恐れてはならないだろう。

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 ■ネパール最高裁/ネパール弁護士会館

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/12/18 at 00:08

空港問題も最高裁へ: 司法積極主義への甘え

トリブバン国際空港(TIA)の管理運営をインドの開発投資会社IL&FSに委託する件に関し,3人の弁護士が最高裁に差し止め請求を提出した。競争入札がなく,また長期的には国益に反するという理由。

このところ,ネパールでは,何でも最高裁だ。正統な権力は最高裁だけだから仕方ないとはいえ,先の制憲議会任期延長禁止命令など,本来なら議会が決定すべき政治的な事柄ですら,なんでもかんでも最高裁に持ち込まれる。

もともとネパールは司法積極主義(judicial activism)であり,国民は,たとえ具体的な事件がなくても,気にくわない法律や命令・決定の違憲性を最高裁に訴えることができる。

いわゆる「公益訴訟(public interest litigation)も広く認められている。作為,不作為による権利侵害で訴えることができるのだから,その気になれば,何でも,いつでも最高裁に提訴できる。訴訟天国。弁護士も儲かる。

日本のように司法消極主義(judicial passivism)をとり,訴えの利益がないといって門前払いしたり,高度な政治行為だといって議会・政府に丸投げする(統治行為論)のはもってのほかだが,ネパールのように何でもかんでも最高裁というのも,いかがなものか。

最高裁は,非民主的・保守的な機関であり,既存の正統な法体系の保守が本来の任務だ。その最高裁が,立法・行政の行うべき統治行為を一人あるいは数人の判事で判断する。うまくいくはずがない。議会消滅の異常事態とはいえ,困ったことだ。

1995年,私は最高裁に出かけ,アディカリ首相(共産党)の議会解散の違憲訴訟判決を見学した。首相は定められた手続きに従い議会解散を宣言したのであり,私は当然,合憲と思い,周囲の友人たちにもそう述べた。ところが,判決は違憲。最も政治的な首相の議会解散を,最高裁が違憲と裁決し,すでに解散していた議会を再開させたのだ。びっくり仰天。

いまの最高裁は,制憲議会延長を違憲と裁決したが,巷では,無議会政治から脱却するための議会復活論が急浮上している。で,もし議会復活となったら,最高裁はどうするのだろうか? 認めるにせよ認めないにせよ,ご都合主義の感は否めない。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/07/06 at 19:05