ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

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紹介:三瓶清朝『みんなが知らないネパール―文化人類学者が出会った人びと』(5)

5.低カーストはキリスト教に向かわないか?
ネパールは宗教が生活に深く根付いた社会であり,人々がどの宗教を,どのように信仰するかは,ネパールの動向を知る最も重要な指標の一つである。この点について,本書では次のように述べられている。

「ヒンズー教的カースト制度を嫌う低い階層のカースト(民族)は,マルクス主義か仏教かに向かうだろう,逃げるだろうことは簡単に想像できる。現在のところ,なぜかキリスト教には向かっていない。」(181)

ここで著者が挙げている選択肢のうち,ネパールの低カーストや少数民族の人々がマルクス主義,とりわけ毛沢東主義に向かうことは,ネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)が1990年民主化後しばらくすると彼らの支持を得て急成長し,人民戦争(1996-2006年)を戦い,優勢裡に和平に持ち込み,戦後新体制に参画するに至ったことを見れば,すでに疑いようのない事実である。ただし,ネパールのマルクス主義や毛沢東主義はネパール独特のものであって,日本で一般に理解されているそれらの主義とは大きく異なるが,この点については別の機会に議論することにしたい。(仏教改宗については,いまのところ私には不明。)

では,キリスト教はどうか? 本書のもとになる現地調査は2001年8~9月であり,原稿完成は2016年3月下旬のことである。この時点での,低カーストの人々は「キリスト教には向かっていない」という分析は,どこまで妥当であろうか?

キリスト教は,1990年民主化を転機に,ネパールで低カーストや少数民族の人々を中心に信者を増やし始めた。2011年国勢調査によれば,キリスト教徒は全人口の1.14%となっており,すでに日本の1%(2012年)を上回っている。低カーストではサルキの4.3%,サンタル/サタルの6.1%がキリスト教徒だし,少数民族ではタマンの3.6%,ライの5.3%,チェパンの25.6%がキリスト教徒になっている。

しかも,2011年国勢調査のキリスト教徒数は過少報告とされており,実際にはキリスト教徒はすでに3~7%,あるいは2~3百万人にのぼるとさえいわれている。いまやキリスト教系メディアでは,「キリスト教徒急増国」がネパールに言及する際の格好の枕詞にさえなっている。教会は全国に約1万2千あるといわれているし,キリスト教系政党も先の国政選挙に立候補者を出した政党を含め数政党ある。これをどう見るか? 相対的にはキリスト教はなお弱小勢力なので,評価は難しい。

ネパールにおけるキリスト教の動向については,これまでに幾度か紹介したので,ご参照いただきたい。
 ・キリスト教とネパール政治(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10)
 ・改宗勧誘・宗教感情棄損を禁止する改正刑法,成立
 ・「宗教の自由」とキリスト教:ネパール憲法の改宗勧誘禁止規定について
 ・キリスト教政党の台頭
 ・タルーのキリスト教改宗も急増
 ・キリスト教絵本配布事件,無罪判決
 ・改宗勧奨: 英国大使のクリスマス・プレゼント
 ・国家世俗化とキリスト教墓地問題

■ネパール:成長世界最速の教会(Nepal Church Com)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/06/22 at 15:34

インドはネパールの真の友人たれ:SD・ムニ(1)

ネパールの2017年選挙は,インドでも非常に関心が高く,多くの記事や分析がネット上にあふれている。左派連合大勝によるネパールの赤化,反印親中政権成立へ,といった一面的・感情的な記事が多いなか,SD・ムニのこの長文記事「ネパールの支配的勢力となった左派連合」は,バランスの取れた選挙分析であり,印政府への提言も冷静な現実的なものである。
S D Muni, “Left Alliance Now a Dominant Force in Nepal,” The Wire, 16 Dec 2017.

SD・ムニは,「防衛研究分析センター」(ニューデリー)名誉研究員,ネルー大学名誉教授。主な研究分野は国際関係論,安全保障論,南アジア地域研究。印ネパール学の権威の一人。ネルー大学,シンガポール国立大学,バナラシ・ヒンドゥー大学などで研究・教育にあたったのち,駐ラオス印大使など重要な外交実務も担った。「地域戦略研究所」(コロンボ)創立メンバー。主要著書(ネパール関係ほか):
 ・Foreign Policy of Nepal, 1973(2016)
 ・India and Nepal: A Changing Relationship, 1992
 ・Maoist Insurgency in Nepal, 2003(2004)
 ・India’s Energy Security, 2002
 ・Creating Strategic Space: China and Its New ASEAN Neighbours, 2003
 ・India’s Foreign Policy: The Democracy Dimension, 2009

以下,ムニの上記ネパール選挙分析記事の要点を紹介する。


 ■SD・ムニ(防衛研究分析センターHP)/『ネパールの外交政策』表紙/『ネパールのマオイスト反乱』表紙

—–<以下,ムニ記事要旨>——————————-

1. 左派連合の勝因,NCの敗因
2017年国会・州会選挙では,統一共産党(CPN-UML:UML)とマオイスト(マオイスト・センター,CPN-MC:MC)からなる左派連合が大勝,国会(連邦議会)下院の圧倒的多数派となり,州議会でも7州のうちの6州で強固な第一党となる見込み。選挙前夜急造にもかかわらず,左派連合が大勝できたのは,なぜか?

(1)党首のカリスマ。UMLのKP・オリとMCのPK・ダハル(プラチャンダ)は,ともに雄弁で,政治的機知に富み,強力な組織を持ち,統率力も豊か。カリスマを持つ2党首が,「ネパール人民に安定,平和,繁栄を実現すると訴えた」こと。

(2)UMLとMCは,人民戦争で激しく敵対していたので選挙協力は実際には難しいのではないかとみられていたが,選挙が始まると予想以上に協力がうまく出来たこと。

(3)NC党首の不人気。現議会第一党で政権党のコングレス党(NC)は,党首SB・デウバ首相の弁舌が貧弱で,左派連合のNC批判に効果的に反論できなかった。

(4)NC選挙キャンペーン作戦の失敗。NCは,選挙戦を通して,左派連合は全体主義だと非難攻撃したが,まったくの的外れ。UMLやMCは,これまでに党内から極左を排除する一方,政権担当も経験,民主化し他党との権力分有の術を学び取ってきた。

また,NCはUMLがマオイストと組むことを批判したが,選挙直前までは,NC自身がマオイストと連立しており,これも説得力はまるでなかった。

その一方,NCは開発計画についてはほとんど触れず,また自党による開発成果も十分には訴えられなかった。

(5)NCと他の諸党との選挙協力の失敗。NCは,左派連合に対抗するため,マデシ系や他の非共産党系諸党との選挙協力を試みたが,いずれも失敗。

(6)マデシ系諸党は,いくつかの選挙区で予想以上に善戦したものの,いつもの分裂・乱立に陥り,結局,左派連合の大勝は阻止できなかった。

(7)国民民主党(RPP)など,立憲君主制ヒンドゥー教国家への復帰を唱える諸党の惨敗。多くの党幹部が落選し,比例区でも3%以下となり全国政党の資格喪失。

2.ネパール人民の選択は「新しいナショナリズム」
左派連合の大勝は,ネパール人民が「共産主義」を選択したことを意味しない。選挙で示されたネパール人民の意思は,「新しいナショナリズム」である。

「この新しいナショナリズムは,政治の安定と平和,速やかで総合的な開発,そしてインドに対する正当な権利の主張の三つを柱としている。」「新憲法を採択したネパール人民は,いま秩序と安定と開発を求めているのである。」

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/01/06 at 15:25

ネパール下院選,各党獲得議席

ネパール連邦議会下院選挙は,11月26日と12月7日の2回に分けて実施された。投票率66%。開票も完了し,各党の獲得議席数がほぼ確定した(比例制割当議席が一部未確定)。

[政党]:[獲得議席(小選挙区+比例制)](12月18日現在)
統一共産党(CPN-UML):121(80+41)
コングレス党(NC):63(23+40)
マオイスト(CPN-MC):53(36+17)
RJP-N*:17(11+6)
SSF-N*:16(10+6)
:5(5+0)
 (注)下院議員定数275(小選挙区165+比例制110)
  *マデシ系政党

この選挙では,初めに小選挙区の当選者が確定し,そこで左派連盟(UML,マオイストなど)が大勝したため,「赤色圧勝」,「親中政権へ」など,刺激的なタイトルの記事が多数書かれた。しかも長文が多い。過熱報道といってもよいだろう。

その後,比例制の開票が進み,ここではNCがUMLとほぼ同率の得票率となったため,報道はやや沈静化したが,それでもなお依然として多い。それだけネパール政治がいま注目されている証左とみてよいだろう。

以下では,今回の選挙に関する記事のうち興味深いものをいくつか選び,順不同で紹介する。

 ■小選挙区大勝UMLのホームページ

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2017/12/19 at 00:03

カテゴリー: マオイスト, 選挙, 政党

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サハナ・プラダンさん,死去

サハナ・プラダン(सहाना प्रधान)さんが,2014年9月22日,亡くなられた。87歳(1927/7/11-2014/9/22)。集会で何回かお見かけしたが,直接,お話ししたことはない。それでも,亡くなられると,一方的なものとはいえ,同時代的なネパールとのつながりがまた一つなくなってしまい寂しい限りだ。

サハナさんは,ネパール共産主義運動の最初期からの女性リーダーの一人。17歳で反ラナ闘争に参加し,1947年には「ネパール女性同盟」に創立メンバーの一人として参加(議長はガネッシュマン・シンの妻マンガラデビ・シン)。また1951年頃には女性参政権運動に参加。そして,1954年,ネパール共産党結成メンバーのプシュパ・ラル・シュレスタと結婚した。

1978年のプシュパラルの死後は,プシュパラル派をバックに活動し,反パンチャヤット闘争では何回も投獄されたが,コングレス党のガネッシュマン・シンらと協力し,1990年,パンチャヤット王政を打倒し,立憲君主制の政党政治を実現した。生涯にわたって,ネパールの共産主義運動と女性運動の中で重要な役割を担い続けてきた。
  ・統一左翼戦線(ULF)議長,1990
  ・CPN-ML議長,1978-2002
  ・CPN-UML中央委員(2003-?)
  ・通産大臣(1992-03)
  ・女性・子供・福祉大臣(1996-67)
  ・外務大臣(2005,07-08)。2007年外相として訪日。

140926a ■葬儀報道(Rising Nepal, 24 Sep)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/09/26 at 16:52

ネパールの職種別給与と経済成長率・インフレ率・預金金利

1.経済成長率とインフレ率
アジア開発銀行によれば,今年のネパールの経済成長は4.5%,インフレは10%になるという(Republica, 7 Mar)。インフレの主要因は食糧。

2.預金金利
一方,銀行の預金金利は以下の通り(定期,3月9日現在)
 Nepal Bank
 3か月=3.50%,6か月=4.00%,1年=5.00%,1-5年=5.50%
 Nepal SBI Bank
 1-3か月=3.50%,3-6か月=4.50%,6か月-1年=5.50%,1-2年=6.00%,2-3年=6.25%,3-10年=6.25%
 Himalayan Bank
 3か月=3.00%,6か月=3.75%,1年=4.50%,2年以上=5.50%

3.職種別給与(1ルピー=1.06円/3月9日)
▼公務員以外の職種=給与(ルピー/月,2014年3月9日現在)
 Food /Hospitality / Tourism / Catering=8,000
 Construction / Building / Installation=12,000
 Banking=18,333
 Legal=19,424
 Human Resources=20,000
 Administration / Reception / Secretarial=21,583
 Customer Service and Call Center=25,000
 Marketing=30,000
 Engineering=33,333
 Electrical and Electronics Trades=34,800R
 Information Technology=35,933
 Sales Retail and Wholesale=37,833
 Accounting and Finance=39,688
 Executive and Management=44,050
 Architecture=50,000
 Health and Medical=50,000
 (http://www.salaryexplorer.com/salary-survey.php?&loctype=1&loc=151)

▼公務員職種=給与(ルピー/月,2013/14年度)
 President= 109,410
 Vice President=78,560
 Prime Minister=56,200
 Chief Justice=53,580
 Speaker of the House=48,950
 Deputy prime minister=47,410
 Supreme Court justice=44,330
 Minister=44,330
 Deputy Speaker=44,330
 Chief of opposition=44,330
 Chief Whips=44,330
 State Minister=42,010
 Head of Constitutional body=42,010
 NPC Vice-chairman=42,010
 Assistant Minister=41,080
 Parliamentarian=40,160
 Chief Secretary=39,700
 Secretary=37,390
 Joint Secretary=31,730
 Under Secretary=27,610
 Section Officer=24,900
 Peon (first)=12,120
 Chief of Army Staff=39,700
 Lieutenant General=38,540
 Major General=37,390
 Brigadier General=33,259
 Colonel=31,040
 Lieutenant Colonel=28,535
 Boys=8,370
 IGP(Nepal Police)=37,390
 AIG=37,390
 DIG=32,340
 SSP=30,580
 SP=28,535
 Recruit=11,800
 IGP(APF)=37,390
 AIG=37,390
 DIG=32,340
 SSP=30,580
 SP=28,535
 Recruit=11,800
 Secondary I(Teachers)=31,730
 Secondary teachers II=27,610
 Secondary teachers III=24,900
 L Secondary I=25, 890
 L Secondary II =24,900
 L Secondary III=19,370
 Primary I=24,900
 Primary II=19,370
 Primary III=17,980
 Primary IV=15,030
 Primary V=14,020
 (注)公務員総数:約37万人[国軍95,000;武装警察31,000;警察67,000;教員88,000;上記以外の公務員89,000](ekantipur, 2013-08-03)

▼生活費(カトマンズとその近郊:単位ルピー)
 石油類(3月9日現在,http://www.nepaloil.com.np/Selling-Price/13/):
     ガソリン125/L;ディーゼル100/L;灯油100/L;プロパンガス・ボンベ1本1470
 コメ: 68/Kg
 ミルク: 51/L
 タマゴ: 111/12個
 リンゴ: 140/Kg
 トマト: 44/Kg
 アパート(寝室1):市内8527/月,市外4175/月
 (http://www.numbeo.com/cost-of-living/country_result.jsp?country=Nepal)

4.悪性インフレと共産党の責務
以上の経済指標を見ると,名目所得はかなり上昇しているが,高インフレで食糧を中心に物価上昇が続き,庶民の生活は苦しくなってきていると思われる。

ネパールは,最近はカトマンズとその周辺にしか行っていないが,すでにガソリンやホテル代は日本と同等以上,私学授業料,本代など教育費も急上昇している。食糧など生活必需品が値上がりしており,大多数の庶民にとっては低成長と高インフレの最悪シナリオだ。

これは,ネパール共産主義にとっては,真価が問われる事態だ。このところネパールの共産主義諸党は,目先の「民族」感情利用に走り,人民分断に加担してきた。が,このような戦略では先がない。

ネパールの共産主義は,国内の力関係という点で評価すれば,議会制民主主義国のなかでは世界最強といっても過言ではない。いまこそ原点に立ち戻り,「万国の」とはいわないまでも,少なくとも「ネパールの労働者・農民よ,団結せよ!」と檄を飛ばすべきではないだろうか。

140309c140309b
 ■カトマンズ:2013年11月

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/03/09 at 14:31

カテゴリー: 経済

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ロイ『民主主義のあとに生き残るものは』(2)

2.「民主主義のあとに生き残るものは――2011年3月13日に予定されていた東京講演」

(1)

この予定講演において,ロイは,「民主主義と自由市場はいまや一つの搾取する有機体に統合され」(10頁)てしまったと述べ,資本主義の走狗となった民主主義を徹底的に批判している。

ロイによれば,人間は,現在だけを生きる動物でもなければ,未来を見通す預言者[神]でもない。「そのことが人間を,獣でも預言者でもないという,不可思議な中間の生き物にしている。」(11頁) 人間は,預言者たり得なくても,ある程度の「長期的な視野」は必要としているのである。

ところが,近代の民主主義は,「私たちの最大の愚かさ,つまり近視眼を反映している」(10-11頁)。「民主主義は,・・・・私たちの希望や祈りにすぐに応えてくれる聖なる解答,個人の自由を守り,私たちのきりのない夢を養ってくれるもの」であり,したがって今日の民主主義政府には人間にとって不可欠の「長期的な視野」は期待できないのである(10頁)。

かくて,近視眼の民主主義は,人びとの刹那的な物質的富への欲望のため地球を荒らし,「文明」を発展させてきた。「現在,『文明』が自らの経済を動かそうとする方法は資本主義であり,近代の強力で『文明化された』社会が自らの社会および政治を運営する方法が民主主義である。この二つこそは,近代の人間社会が究極の願望としてきたものと言えるだろう。」(11頁)

(2)

これをインドについて見るならば,近代の民主主義は,たしかに「封建主義とカースト制度の重荷で腐りつつある旧弊な社会」をかき混ぜ,古来の不平等のいくつかを破壊した。しかし,その結果生みだされたのは,「濃縮クリームの薄い層」と「たくさんの水」であった(26頁)。「クリーム層」は有産階級であり,彼らが形成するのが富裕な「インド市場」。「おおくの水」は,搾取され,見捨てられる周縁の人びと。

これが、インドの民主化であった。インド政府は,IMF,世界銀行,アジア開発銀行などの支援を受け,民主主義のための改革,つまり「構造調整」を進めた。水資源,電気,通信,医療,住宅,教育,交通といった基本インフラの市場開放,私有化が推進され,その結果,おおくの人びとが土地や資源を奪われ,絶望的な貧困へと追いやられていった。

たとえば,鉄1トンあたり,企業は政府に60セントを払って採掘権を取得し,110ドルの利益を得る。この利益の一部により,企業は票,政府高官,判事,新聞,テレビ,NGO、支援機関などを買収し,開発へのさらなる「民主主義的」支援を得るのである。

(3)

インドの民主主義にとって,進歩=改革=開発に抵抗する住民は,いまや民主主義の敵である。とくに武力闘争を続けるマオイストは「国内治安への脅威」であり,政府は治安部隊,警察,特殊部隊などを動員し,容赦ない掃討作戦を繰り広げている。アメリカは民主主義のためにイラク,アフガンなどで戦争し,インド政府は民主主義のために自国住民と戦争をしている。

かくして民主主義はいまや「空虚となり」,「意味を失ってしまった」。民主主義を支える諸機関は,住民にとって「危険なものに変化してしまった」(10頁)。もしそうだとするなら,その「民主主義のあとに生き残るもの」はいったい何なのか?

(4)

ロイによれば,「それは資本主義と帝国主義の覇権に協力した場所や人びとからではなく,それに抵抗したところから生まれてくる」(40-41頁)。

インドには,「消費の夢によってまだ完全には植民地化されていない人たちがいる。・・・・インドには,1億人ものアディヴァシ[森の先住民]の人たちがいまだに生存している」(41頁)。

「資本主義がそのただなかに非資本主義社会を認めざるをえなくなる日、資本主義が自らの支配には限度があると認める日、資本主義が自分の原料の供給には限りがあると認識する日、その日こそ変化の起きる日だ。もし世界になんらかの希望があるとすれば、それは気候変動を議論する会議の部屋でも高層ビルの建ち並ぶ都会にもない。希望が息づいているのは、地表の近く、自分たちを守るのが森や山や川であることを知っているからこそ、その森や山や川を守るために日ごとに戦いに出かける人びとと連帯して組む腕のなかである。」(41-42頁)

かつてジョン・ボールは,「アダムが耕しイブが紡ぐとき,いったい誰が領主であり紳士だったのか?」と問いかけた。ロイの市場民主主義批判は,ジョン・ボールの夢に連なるものである。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/09/04 at 20:59

ポストモダン資本主義とマオイスト:ジジェク「ポストモダンの共産主義」

暑気払いに,ジジェク「ポストモダンの共産主義」(筑摩新書2010年)を読んでみた。偉い人らしいが,暑中にはちょっと重く,よく分からない。以下,何となく分かったかな,という部分のみ。

本書の中のポストモダン資本主義に対する具体的な批判の部分は,よく分かる。

現在も進行中の金融危機は,人間の行動を決めるユートピア的発想がいかに抜きがたいものかを示している。アラン・バディウは簡潔にこう記した。

“一般市民は「理解」しないといけないのだろうか? 社会保障の不足を埋め合わせることはできないが,銀行があけた莫大な金額の損失の穴を埋めることは必須であると。厳粛に受け入れねばならないのか? 競争に追われ,何千人もの労働者を雇う工場を国有化できるなどと,もはや誰も想像だにしないのに,投機ですっからかんになった銀行を国有化するのは当然のことだと。”

この言説は一般化するべきだろう。われわれはエイズ,飢餓,水不足,地球温暖化などと闘っているとき,問題の緊急性は念頭にありながらも,しじゅう考えあぐねたり,結論を先送りしたりしてきたようである。

だが,こと金融崩壊に関しては緊急行動が絶対条件だった。大至急とてつもない金額を集めねばならない。・・・・パニックは必至だから,大惨事を防ぐために国境を越え,党派を超えた協調を即刻確立し,世界の指導者どうしの遺恨はひとまず忘れねばならなかった。・・・・

そして忘れてならないのは,莫大な金額がつぎ込まれた先は明らかに「現実の」または具体的な問題ではなかったことだ。市場の信頼を回復するため,つまり国民の考えを変えるためだったのだ! (137-138頁)

たしかに,このところ日常化した大企業救済や金融機関の金利操作・インサイダー取引などを見ると,市場の自律,自由,公平,効率などは真っ赤なウソで,市場や大企業こそが国家によって維持され保護されていることがよく分かる。自由市場は,労働者,農民,中小企業の保護を削減し,大企業,大金持ちの保護を強化していることが,ますます明白となった。

現在の世界的な経済危機は,大企業こそが国家保護を受けていることを白日の下にさらしたが,しかしジジェクによれば,これにより左派支持が回復すると考えるのは「無邪気な期待」であり「危険なほどに近視眼的だ」。

むしろ人種差別的なポピュリズムがわき上がり,さらなる戦争が勃発し,第三世界の最貧国の困窮が深まって,あらゆる社会で富裕層と貧困層の格差が大きくなるだろう。(36-37頁)

市場原理主義は,そもそも「ユートピア全体主義」であり,自由市場の失敗は,市場そのものではなく,その不徹底――国家介入がまだ多すぎた――にあると考える。

資本主義それ自体に非はない,実行の過程で歪曲されたものが破綻しただけだ・・・・。(39頁)

市場原理主義は,市場の失敗を、市場の失敗として認めない。それは,破滅まで突き進まざるをえない。それが歴史の客観的傾向である。

現代の市場原理主義,あるいはポストモダン資本主義は,本来,私有化してはいけない三つのコモンズを私有化してしまう。
  (1)文化のコモンズ:生活のデジタル支配
  (2)外的自然のコモンズ:環境破壊
  (3)内的自然のコモンズ:遺伝子操作
人間は,これらのコモンズを奪われ,ついには,いわばアガンベンのいう「ホモ・サケル(剥き出しの生)」とされてしまう。(154-157頁)

このポストモダン資本主義の客観的傾向,人間のホモ・サケルへの転落を止められるのは,もはや「純粋な主意主義」あるいは「歴史的必然に対抗する自由意思」(254頁)だけである。

“状況にまったく希望がもてないからこそ,労働者と農民の努力を10倍にまで高めて,西ヨーロッパ諸国とは異なるやりかたで文明の基本的必要条件を創造するチャンスが与えられるのではないか。(レーニン)”(254頁)

たとえば,ボリビアのモラレス政権,ハイチのアリスティド政権,そしてネパール・マオイスト

彼らは,反乱ではなく「公正な」民主的選挙によって権力の座についたのだが,ひとたび実権を握ると(少なくとも一部には)「非国家」的にその力をふるった。党・国家の代表ネットワークを飛ばして草の根の支持者たちを直接に動員したのだ。

彼らの状況は「客観的」に見て,望みがない。歴史の大きな流れに逆行していて「客観的傾向」には頼れない。せいぜい急場をしのぐしか,絶望的な状況でもできることをするしかないのだ。にもかかわらず,このことが彼らに特異な自由を与えてはいないだろうか。

・・・・これらの国の(歴史の法則や客観的傾向)からの自由が,創造的実験のための自由を支えているのではないか。彼らは政治活動において,支持者たちの集団意思だけに依拠できるのである。 (254-255頁)

彼らは,いかなる困難にも立ち向かう覚悟を固めている。二十世紀のコミュニズムに幻滅して「そもそもの始まりからはじめ」,新しい土台の上にコミュニズムを再構築しようとしている。敵からは、危険なユートピア主義者とけなされながらも,いまなお世界の大半をおおっているユートピア的な夢から実際に目覚めたのは彼らだけだ。二十世紀のへのノスタルジーではなく,彼らこそわれわれの唯一の希望である。(257頁)

歴史の法則や客観的傾向は,いまや人民の味方ではない。ジジェクによれば,破滅を免れない市場原理主義からの救いは,本来のコミュニズム(共産主義)しかない。

恐れるな,さあ,戻っておいで! 反コミュニストごっこは,もうおしまいだ。そのことは不問に付そう。もう一度,本気でコミュニズムに取り組むべきときだ!(258頁)

たしかに共産主義はプラトン以来の伝統ある思想であり,現存した社会主義が失敗したからといって,思想そのものが破綻したわけではない。

ここで特に興味深いのは,ジジェクが,ネパール・マオイスト――少なくともそのある部分――を,本気でコミュニズムに取り組んだモデルの一つとしていることである。これまで,このような観点からのマオイスト分析はなかった。見落としか,それとも過大評価だろうか? 

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/07/19 at 20:21