ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

Posts Tagged ‘内戦

紹介:安倍泰夫『ネパールで木を植える』(4)

4 内戦下で試される意思と胆力
『ネパールで木を植える』では,1998~2015年の事業が主に描かれている。この期間には,マオイスト紛争(1996-2006年),王族殺害事件(2001年),大震災(2015年)と大きな出来事が続き,ネパールは大混乱,人びとの生活は困難を極めた。そうした状況下で外国人が支援事業を継続するには,事業への強い意志と並外れた胆力が不可欠だ。

特に難しく危険であったと思われるのが,マオイスト紛争渦中での事業継続。

マオイスト紛争(人民戦争)は,内戦でありゲリラ戦であった。そこでは,当然ながら,戦闘地域・非戦闘地域の区分も,敵・味方の区分も,はっきりしない。ある村が昼間は政府支配下,日没後はマオイスト支配下ということもあったし,親族や友人・知人が政府側とマオイスト側に分かれてしまったり,あるいは誰がいずれの側か疑心暗鬼に捉われてしまったりすることもあった。そうした状況下で,外国人もつねに試されている。誰を信じ,どう事業を進めていくか? これは難しい。

著者の植林事業地域も,内戦の「戦場」となった。交戦,狙撃,脅迫,リンチ,拷問,監視,検問,地雷埋設,「人民裁判」,住民拉致・思想教育,マオイスト徴税,等々。

そうしたなか,著者も危険な事態に幾度も陥った。国軍の厳しい検問を受ける一方,マオイストに狙われているともうわさされた。事実,数十人のマオイスト・ゲリラに取り囲まれ,灯油をかけられ,焼き殺されそうになったことさえあった。文字通り「命がけ」である。

それでも著者は,植林事業を継続した。ネパールの人々にとって植林は絶対に必要であるという大原則は堅持しつつ,実際の事業運営においては,その場,その場で驚くほど柔軟に方法を調整し,交渉を重ね,着実に事業を進めていった。

たとえば,情報漏れの危険を避けるため,マオイストについては「太郎」,「次郎」といった暗号名を付け,スタッフと話しをしていたし,マオイストからの「徴税」についても交渉をギリギリまで詰め負担することにした。まるでスパイ映画,このようなことが現実に行われていたとは,にわかには信じがたいほどだ。

そして,マオイスト幹部「太郎(ヒラナート・カティオラ)」に夕方,呼び出され,尋問されると,地域住民のための植林の大切さと,その事業が日本の子供たちの牛乳パック集めにより長年支援されてきたことを心を込めて理路整然と説明した。この著者の説明を「太郎」は黙って聞いていたが,徐々に表情は穏やかになり,明言はしなかったが,事業は黙諾されることになった。外国NGOが脅されたり攻撃されたりして次々と撤退していく当時の危機的状況を考えると,これも驚くべきことである。

このように,マオイスト人民戦争のような混沌としたゲリラ戦のさなかでの行動には,いついかなる時でも,日本では想像もできないほどの緊張を強いられる。

私も,その頃のある日の夕方,郊外の村からカトマンズに戻る途中,「ナガルジュンの森」沿いの峠で検問に引っ掛かり,小銃を突き付けられたことがあった。全く初めての経験であり,心臓が止まるかと思うほど恐ろしかった。

また,別のときには,バクタプルの近くでバンダ(ゼネスト)に巻き込まれ,乗っていた車が棍棒と投石で襲われた。車を運転していた知人は猛スピードで逃げ,危機一髪,脱出することが出来た。このようなことは,人民戦争中は,いたるところで見られたのである。

著者の植林事業は,そのような困難な状況下でも継続された。著者の意思と胆力の強靭さには,誰しも驚かされざるをえないであろう。

200206f ■マオイスト拠点の一つであったゴルカの村(谷川2009/03/19)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2022/02/09 at 10:24

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。