ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

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百党斉放のネパール地方選挙

今日5月14日は,前後2回に分けて実施予定のネパール地方選の前期投票日。
 ●前期選挙 5月14日
  選挙実施州:第3,4,6州
  市町村数:283  有権者数:496万人
 ●後期選挙 6月14日
  選挙実施州:第1,2,5,7州
  市町村数:461  有権者数:910万人

今日投票の前期選挙は,カトマンズなど大都市が含まれているが,自治体数も有権者数も後期選挙に比べ,はるかに少ない。また,後期選挙地域は,インド国境沿いのタライや少数民族問題を抱える山地が多い。このような選挙方法の採択には,有力諸政党の政治的思惑が絡んでいるように思われる。

それはそれとして,選管発表の投票用紙を見ると,まさに百花斉放ならぬ「百党斉放」,さすが「何百もの花からなる我ら」を国歌とするネパールだ。このような「百党斉放」をどう見るか? 多文化包摂の理念への前進か,それとも政党に名を借りたコネ利権の露骨な政治的解放か? 成り行きが注目される。

▼地方選投票用紙(選管HPより)

 ■カトマンズ/カスキ


 ■ドラカ/ナワルパラシ

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2017/05/14 at 12:43

カテゴリー: ネパール, 選挙, 政党

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紹介:名和克郎「近現代ネパールにおける国家による人々の範疇化とその論理の変遷」

これは,名和(編)『体制転換期ネパールにおける「包摂」の諸相』(三元社2017)の第1章(p35-87)。近現代ネパールの憲法(広義)が原典資料にもとづき明快に分析・評価されており,私にとっては特に憲法史・憲法思想史の観点から大変興味深く読むことができた。以下,私見を適宜交えつつ,要点を紹介する。

1.集団的権利⇒個人的権利⇒集団的権利
この論文では,ムルキ・アイン(1854)から2015年憲法に至るネパールの広義の憲法が,D・ゲルナーの「集団的権利から個人的権利へ,そしてまた集団的権利へ」(同名論文2001)という図式を手掛かりとして分析・評価されている(p39,79)。すなわち――
 ・1854年ムルキ・アイン=「ヒエラルヒー的なカースト基盤モデル」
 ・1962年憲法=「開発的な文化均質化モデル」
 ・1990年憲法~2015年憲法=「多文化的な『異なっているが平等』モデル」

この図式は,ネパール憲法(国制constitution)の展開を俯瞰する場合,たしかに極めて明快で魅力的である。

2.ムルキ・アイン
「ムルキ・アイン(国の法)」は,ジャング・バハドゥル・ラナ[クンワル」が1854年に制定した法律。163項,1400ページからなる成文大法典で,国の在り方を決めているという意味では広義の憲法(国制constitution)である。このムルキ・アインについて,著者はこう評価している。

「国家のヒンドゥー性が強調され,全国統一のカースト的ヒエラルヒーによってネパールの全住民を不平等な形で一つの法の下に位置付けたこの法律[ムルキ・アイン]は,しかし,国境により閉ざされた一つの領域内に住む人々を統一的に支配しようとする点で,近代的な性格をも併せ持っていた。」(p77)

たしかに,ラナ宰相家統治は,ムルキ・アインによる統一的領域国家支配という意味では近代的であった。一方,ムルキ・アイン自体は,刑罰等の一部合理化はあるものの,大部分は伝統的ヒンドゥー法や既存の様々な社会慣行を整理し法典化したものであり,内容的には前近代的・封建的である。このムルキ・アインに基づくラナ家統治は,1951年まで続く。これを,全体として,どこまで近代的と評価するか?

また,この論文では,ラナ家統治末期から1962年憲法までの憲法についてはほとんど触れられていないが,憲法史的にはこの間にいくつかの憲法が制定されたことも無視できない。

1948年の「ネパール統治法(1948年憲法)」は,6編68か条の堂々たる成文憲法で,二院制議会や裁判所など近代的統治制度を定め,人身の自由,言論集会の自由,信仰の自由,法の前の平等,無償義務教育など近代的な諸権利をネパール市民(国民)個人に保障している。この憲法は,ラナ家統治崩壊から王政復古に至る政治的混乱のため,事実上,施行されなかった。

1951年王政復古後,新体制移行のため1951年暫定統治法(暫定憲法)がつくられ,そして1959年には公式にはネパール初の「ネパール王国憲法(1959年憲法)」が制定された。この憲法は,立憲君主制,二院制議会,議院内閣制など民主的な統治諸制度を定め,国民個人に,人身の自由,言論・出版の自由,集会の自由,財産権,平等権,自らの古来の宗教への権利など多くの権利を認めている。多くの点で近代的・民主的な立憲君主制の本格的な正式憲法であったが,残念なことにこの憲法も翌年(1960年)の国王クーデターにより1年余りで停止されてしまった。

なお,宗教,民族,カースト,性などによる差別の禁止は,1951年暫定憲法も1959年憲法も規定しており,またネパール語を国語とすることは1959年憲法が規定している。

このように,1962年憲法制定以前に相当程度近代的な成文憲法が制定されていたこと,またそのような近代的な憲法をつくりつつも,他方では前近代的・封建的なムルキ・アイン秩序を温存していたこと――これをどう評価するか? 憲法史的には,大いに関心のあるところである。

3.1962年憲法
1960年クーデターで全権掌握したマヘンドラ国王は,1962年,非政党制パンチャーヤット民主主義を理念とする「1962年憲法」を制定した。この憲法につき,著者はこう評価する。

「1962年憲法においては,ネパールがヒンドゥーの国家だという条文は存在するが,ジャートの違いに関するいわゆるカースト的な規定が全て姿を消し,全く逆に宗教,人種,性,カースト,民族による差別の禁止に関する条項が現れているのだ。」(p52)

「1950年代から1960年代前半にかけて,ネパールの法のあり方は根本的に変化した。ジャートによる扱いの差異は法律から消滅し,代わって国王とネパール語,ヒンドゥー教を中核とする国民国家ネパールの発展が目指されるようになった。そこで想定されたネパール国民は,ネパール語を話すヒンドゥー教徒たる平等な臣民であった。」(p56)

1962年憲法が,国王・国語・国教による強力な国民国家を目指していることは明らかである。中央集権的開発独裁。しかし,その一方,多言語・多民族のネパールでネパール語を国語と定め,特有の社会構造を持つヒンドゥー教を国教と定める憲法が,どこまで「個人の権利へ」(ゲルナー)を志向していたかについては,疑問が残る。

4.1990年憲法
1990年民主化により成立した「1990年憲法」は,著者によれば「画期的なもの」である。

「この憲法においてネパール史上初めて,ネパールの国民の民族的,言語的多様性がヒエラルヒー的合意抜きで明確に認められ,少数者の言語的権利が条文の中で具体的に示されたからである。」(p60)

しかし,そう評価しつつも,著者は,1990年憲法では依然としてヒンドゥー王国であり,西洋近代的な「信仰の自由」,ないし「個人が宗教を選択すること」は想定されていない,という留保をつけている。このことは,他の自由や権利についても,多かれ少なかれ言えることであろうか。もしそうなら,これは宗教以外の領域でも重要な意味を持つ指摘である。

5.2007年暫定憲法から2015年憲法へ
マオイスト人民戦争後,彼らの要求の相当部分をうけいれ制定された「2007年暫定憲法」と現行「2015年憲法」につき,著者はこう述べている。

「2007年暫定憲法では,ネパール国内の多様な人々の範疇が,『包摂』の対象として明確に現れることになった。こうした方向性は,2015年憲法においても基本的には引き継がれており,『包摂』は連邦共和制国家ネパールの主要原理の一つとなった感がある。」(p78)

こうして「包摂」が憲法の基本原理となれば,当然,包摂を求め「集団範疇の細分化」や多重化・多元化が進んでいく(p74-79)。これをどう評価するか?

また,すでに紹介した部分と一部重複するが,次のような指摘も重要である。
 
「宗教=dharmaについては,出自に基づく集団に帰属することが長く前提とされ,他人を改宗させることが禁じられてきたことから,『個人的権利』への十全な移行は一度も生じなかったと言える。そして興味深いことに,ジャナジャーティの運動家の多くは,ヒンドゥー教の強制には強く反対する一方,宗教=dharmaを集団的なものとする基本的発想を,多くのヒンドゥー達と共有してきた。自らの社会的文化的独自性に基づく集団的な権利の主張にとって,ネパールの宗教=dharma概念は確かに適合的ではある。」(p78-79)

著者は,この論文をこう結んでいる。ゲルナーは,多文化的な「異なっているが平等」モデルに「未だ実現されておらず,おそらく実現不可能な」という形容詞句をつけたが,「これはやや拙速な表現であった。・・・・ネパールの事例もまた,西洋的範疇を逸脱した変則的な例外としてではなく,様々な地理的歴史的制約のもとに展開しつつある一つの現在進行形の挑戦として,捉えられるべきである。」(p79)

多文化主義的「包摂」を前提とすると,これはネパールの「挑戦」の妥当な評価であろう。ただ「近代主義者」としての私としては,いまのネパール憲法論における「個人の権利」の理論的基礎づけの弱さが,どうしても気なる。自己規律なきエゴの主張は,事実として,いたるところに蔓延してはいるのだが。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2017/05/06 at 21:23

紹介:名和克郎「体制転換期ネパールにおける『包摂』の諸相」

これは,名和(編)『体制転換期ネパールにおける「包摂」の諸相』(三元社,2017年)の序章(p1-43)。ネパールにおける「包摂」の問題が簡潔に整理されている。以下,興味深く読んだ部分を中心に,紹介する。
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「包摂(サマーベーシーカラン)」は,英語inclusionの訳語として21世紀に入ってから普及した新語だが,2006年以降,「『包摂』概念と全く無縁でいることは,ほぼ不可能」となった(p4-5)。

「包摂」は,パンチャーヤット時代の「統合」とは決定的に異なり,「多様な人々を,その多様性を消し去ることなく,その一員とすることを含意」し,紛争後のネパールでは「表立って反対することの困難な,プラスの価値を帯びることとなった」(p14)。

一方,「包摂」は,「包摂される単位の明確な設定を要請する」。それは,包摂を要求する周縁的な諸集団から,それらに対抗しようとする伝統的上位身分の人々にまで及んでいる(p14-15)。

しかし,「注意すべきは,王制廃止後,国の統一的シンボルの欠如が指摘される状況にあっても,ネパールにおける『包摂』を要求する議論において,ネパールという枠組み自体が疑われることは極めて少ないということである。『包摂』は『包摂』される対象の存在を前提とするのであり,『過度の包摂への取り組みがネパールの統一性を損ない,国家を分裂させる』と主張するのは,ほぼ常に,自らを主流社会の側に位置づける人間である」((p18)。
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以上が,「序章」の中で特に興味深く思われた部分の私なりの要約である。この部分を読んだだけでも,「包摂」をめぐる問題状況が,よくわかる。

ただ,私としては,ここでは直接触れられていないが,「包摂」を実現する制度の問題が気になる。包摂する際,社会諸集団の「自治」を制度的にどこまで認めるか? 連邦制との関連でしばしば要求されているように,もし「自決権」や「分離権」まで認めるなら,そうした形での包摂への取り組みが「国家を分裂させる」恐れは十分にあるとみてよいのではないだろうか?

■NEFIN・HPより

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2017/04/16 at 21:25

カテゴリー: ネパール, 民族

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紹介:名和克郎(編)『体制転換期ネパールにおける「包摂」の諸相』

編者によれば,本書は,立憲王国から連邦民主共和国への体制転換期(2006~2016年)のネパールの社会動態を,「包摂(サマーベーシカラン,inclusion)」を鍵概念として多角的に分析したもの。全体の構成は,以下のようになっている。

●名和克郎(編)『体制転換期ネパールにおける「包摂」の諸相 言説政治・社会実践・生活世界』三元社, 2017年3月17日刊,592頁,6,300円

▼帯の内容紹介
「多民族・多言語・多宗教・多文化性を前提とした連邦民主共和制に向けた転換期のネパールを生きる人びとの歩み、その主張と実践がおりなす布置を「包摂」を梃子に明らかにすると同時に、「包摂」をめぐる現象を民族誌的状況(生活世界)の中に位置付け、「統合」から「包摂」へと転換した「民主化」のいまを描きだす。」

▼目次
序章 体制転換期ネパールにおける「包摂」の諸相――言説政治・社会実践・生活世界/名和克郎 
第1章 近現代ネパールにおける国家による人々の範疇化とその論理の変遷/名和克郎 
第2章 ネパールの「カースト/民族」人口と「母語」人口――国勢調査と時代/石井溥 
第3章 国家的変動への下からの接続――カドギのカースト表象の展開から/中川加奈子 
第4章 ガンダルバをめぐる排除/包摂――楽師カースト・ガイネから出稼ぎ者ラフレへ/森本泉
第5章 ネパール先住民チェパン社会における「実利的民主化」と新たな分断――包摂型開発、キリスト教入信、商店経営参入の経験/橘健一
第6章 何に包摂されるのか?――ポスト紛争期のネパールにおけるマデシとタルーの民族自治要求運動をめぐって/藤倉達郎
第7章 そこに「女」はいたか――ネパール民主化の道程の一断面/佐藤斉華
第8章 テーマ・コミュニティにおける「排除」の経験と「包摂」への取り組み――人身売買サバイバーの当事者団体を事例に/田中雅子
第 9 章 ストリート・チルドレンの「包摂」とローカルな実践――ネパール、カトマンドゥの事例から/高田洋平
第10章 乱立する統括団体と非/合理的な参与――ネパールのプロテスタントの間で観察された団結に向けた取り組み/丹羽充
第11章 「包摂」の政治とチベット仏教の資源性――ヒマラヤ仏教徒の文化実践と社会運動をめぐって/別所裕介
第12章 移住労働が内包する社会的包摂/南真木人
第13章 多重市民権をめぐる交渉と市民権の再構成――在外ネパール人協会の「ネパール市民権の継続」運動/上杉妙子 
第14章 現代ブータンのデモクラシーにみる宗教と王権――一元的なアイデンティティへの排他的な帰属へ向けて/宮本万里

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2017/04/12 at 10:42

カテゴリー: ネパール, 民族

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プラチャンダ訪印と憲法改正問題

プラチャンダ首相が9月15-18日,インドを訪問した。初の外国公式訪問。訪印中の両国会談では,経済協力や防衛治安協力も取り上げられたが,注目されたのは,やはり憲法改正問題。

モディ首相:「首相閣下の賢明な指導の下,包摂的対話を通して多様な社会のすべての人々の要望を受け止め,憲法をうまく施行されていくに違いないと,私は確信しています。」(*1)

プラチャンダ首相:「ネパール国民選出の制憲議会による昨年の憲法公布は,歴史的な成果であった。わが政府は,すべての人々の参加をえてネパール憲法を施行していく真摯な努力を続けてきた。/タルー,マデシ,ジャナジャーティのことを真剣に考え彼らの正当な要求に応えなければ,新憲法施行の環境は整わない。/民族,言語,カースト,階級に違いはあっても,ネパールの国家と国民を統一していかなければならない。/もし人々を統一できなければ,政治危機が拡大するだろう。」(*1,4)

これらネ印両国首相の発言を見る限り,ネパール憲法については,評価がほぼ一致しているように見える。しかも,インド側は,慎重に,こう念押しさえしている。

V・スワラップ印外務省報道官「憲法制定はネパールの国内問題だ。われわれは,そこに介入したことは決してない。何が最善かを決めるのは,ネパール国民である。」(*4)

しかし,非公式の場では,マデシの要求する憲法改正をめぐり,かなり突っ込んだ議論があったといわれている。ネパール側が印政府に対しネパール憲法「歓迎」の表明を求めたのに対し,印政府はこれを拒否したとも伝えられている。もしそれが事実なら,憲法改正が依然としてネ印間の懸案として残っているということになる。(*5)

そうした中,ネパールでは憲法記念日(9月20日)が祝われたが,報道を見る限り,あまり盛り上がらなかったようだ。国家構成の基本たる憲法について評価が鋭く分裂している現状は,政治的に健全な状態とは到底いえないであろう。

160924■在印ネ大使館HP

*1 KALLOL BHATTACHARJEE, “Nepal constitution, a historic achievement: Prachanda,” The Hindu, September 17, 2016
*2 Shubhajit Roy, “Involve all in implementing Constitution, India tells Nepal,” The Indian Express, September 17, 2016
*3 NAYANIMA BASU, “Nepal’s Constitution amendments dominate Modi, Prachanda talks,” The Hindu Businessline, Sep 16, 2016
*4 “Never Been Prescriptive In Nepal’s Constitution Making: India,” NDTV, September 16, 2016
*5 Ram Khatry, “Report claims PM Narendra Modi refused to “welcome” Nepal constitution,” southasia.com, 17 September 2016

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/09/24 at 16:22

NC党役員,それでも包摂不足の批判

コングレス党(NC)新役員は包摂的選挙で選出されたが,デワン・ライ氏らは,それでも包摂不足と批判している。
 * DEWAN RAI, “Congress puts marginalised communities on the margins,” Kathmandu Post, Mar 15, 2016

記事によれば,新しい党中央執行委員会の女性委員数は,以前の17人から14人に減少した。その14委員のうち,一般枠選出は一人だけで,他の13委員は留保クォータ枠から選出。憲法は女性議員33%を定めているのに,党女性役員は17%だけ。党では女性が周縁化されている,というわけだ。

また,マデシからは,マデシ住民の多い第2州を含め,州選出委員は一人も選ばれていない。このように,NCは「周縁化されているダリット,女性,ジャナジャーティおよびムスリムを代表させることに大きく失敗した」。

“マデシ住民多数州からはマデシを代表として選出しなければならない”――そうとも言えるし,そうでないとも言える。ここで,包摂民主主義の評価は分かれる。

160316■たしかに男ばかり(コングレス党FB)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/03/16 at 11:29

カテゴリー: 政党, 民族

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ネパール憲法,改正

ネパール憲法が1月23日,改正された(第一次憲法改正)。制定・公布・施行が2015年9月20日だから,4か月足らずでの改正。
 ▼立法議会(定員601,現議員総数596)
    賛成461
    反対  7
    欠席128

改正されたのは,第42(1)条,第84(5)(a)条,第286(5)条。改正後の憲法正文がまだないので正確ではないかもしれないが,新聞報道によると,主な改正は次の通り。

第42条 社会的公正への権利
 (1)[国家諸機関への比例的包摂参加の権利を保障。ただし,包摂単位となる帰属社会諸集団から「青年」と「先住民(アディバシ)」を削除し,15集団としたことの意味は不明。]
第84条 代議院の構成
 (1)(a)[「小選挙区は,「地理と人口」によってではなく,「人口」を第一に,「地理」を第二に考慮して,区画する。]
第286条 選挙区区画委員会
 (5)[選挙区は,「人口」を第一に,「地理」を第二に考慮して,区画する。また,各郡に,少なくとも1選挙区を割り当てる。]

この改正の結果,国家諸機関への社会諸集団比例包摂参加が強化され,またタライへの小選挙区議席配分が増加するとみられている。
 ▼タライ20郡=79~80議席
  丘陵・山地55郡=85~86議席

この第一次憲法改正は,比例的包摂をさらに一歩前進させたが,マデシ諸派にとっては不十分なものであり,とくにタライ2州の要求は完全に無視された。そのため,マデシ諸派は,第一次憲法改正文書を焚書にし,反憲法・反政府闘争の継続を宣言した。

他方,マデシ闘争を暗黙裡に支援しているとされるインド政府は,外務省スワラプ報道官が第一次憲法改正を「歓迎すべき前進」と述べ,一定の評価はした。しかし,おそらくこれは,訪中と訪印を天秤にかけているオリ首相への揺さぶりとみるべきだろう。もしそうなら,インドの「暗黙の」マデシ支援は続き,マデシ闘争も終息しないことになる。

ネパール憲法は,改正前でも十分に包摂的であったし,ましてや改正後はさらに包摂的となった。しかし,それでもなお,マデシや他の非主流派諸集団を満足させられない。包摂民主主義は,理念は美しいが,運用は難しい。ネパールは,本当にそれを使いこなせるのだろうか?

いずれにせよ,ほんの4か月前,制憲議会の圧倒的多数の賛成をもって制定した憲法を,その憲法による選挙もせぬまま,同じ議会,同じ議員が改正する。あまりに安易。朝令暮改! 憲法といえば,国家の根本法。それをコロコロ変えていては,憲法の権威が損なわれ,国家統治そのものへの信頼すら失われてしまうであろう。

[参照]
*1 KESHAV P. KOIRALA,”Nepal makes first amendment of its constitution four months after promulgation,” The Himalayan Times, January 23, 2016
*2 “Four months after promulgation, Parliament endorses first amendment to the constitution,” Kathmandu Post Report,Jan 23,2016.
*3 KALLOL BHATTACHERJEE, “India welcomes amendments in Nepal Constitution,” The Hindu,January 24, 2016.
*4 “INDIA SAYS AMENDMENT A POSITIVE DEVELOPMENT,” Republica,24 Jan 2016

 160125■Amit Ranjan,”Diversity and Inclusion in Nepal– Hot from Rubbles,” January 19, 2016 (MADHESI YOUTH,January 25,2016)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/01/25 at 18:44