ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

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震災救援の複雑な利害関係(12):支援食品「牛肉マサラ」

パキスタンのネパール救援物資の中に「牛肉マサラ」があったとして,大問題になっている。

ネパールの食習慣の難しさは,私自身,骨身にしみて思い知らされたばかりだ。この2月,インドの影響の強いタライのある町の大衆食堂で昼食をとったときのこと,たまたま朝食の残りのゆで玉子を持っていたので不用意にそれを食べたら,その食堂がベジタリアン(菜食主義)であったため,ひどく叱責された。表示は見当たらなかったし,外人でもあるが,だからといって許されはしない。それくらい,食習慣はネパールでは重要なのだ。(参照:平和のハトと,ハトを食うヒト

ちなみに,ネパールにおける牛殺しは,1990年以前は全財産没収のうえ死刑,1990年改正法でも12年の禁固刑。牛殺しは,なお大罪である。

150531b■パキスタンの救援物資(NDMA)

1.インド人派遣医師の告発
パキスタンが「牛肉マサラ」を救援物資として送ったことを告発し,激しく攻撃しているのは,ネパール人というよりは,むしろインドのヒンドゥー保守派とメディアであり,そしてなぜかイギリス・メディアも尻馬に乗り,それを煽り立てている。

発端は,どうやらMail Today(India Today)の4月29日付記事「われわれはパキスタン救援物資には触れていない」[g]と30日付記事「パキスタン,ネパール地震被災者に牛肉を送る」[a]のようだ。記事概要は以下の通り。

4月28日,ビール病院に救援派遣されていたインド人医師何人かが,救援物資を受け取りにトリブバン空港に行った。
B. Singh医師
「われわれは,空港でパキスタンからの救援食品を受け取るつもりだったが,携行食パックをみると,その中に『牛肉マサラ』の小袋が入っているのがわかった。・・・・われわれは,パキスタンからの救援物資には手を触れなかった。」[a]
  *携行食(MRE: Meals Ready to Eat),調理済み即席食品
  *牛肉マサラ(Beef Masala):マサラ牛肉カレーのようなものか?

匿名インド人医師
「地元の人々のほとんどは,食品の中身には気づかなかった。もし知っていたら,食べなかったはずだ。・・・・パキスタンはネパールの宗教感情を,牛肉マサラを送ることにより傷つけてしまった。ショッキングだ。ことの重大さを,パキスタンは考えなかった。」[a]

150531c■パキスタンの救援物資(NDMA)

2.NDMAとPANA
救援物資を送ったのは「パキスタン国家防災管理庁(NDMA: National Disaster Management Authority)」。NDMAは4月28日,パキスタンの陸軍・空軍および外務省と協力し,C-130輸送機でテント,毛布,医薬品,食糧,そしてこの携行食パックをカトマンズに送った。[a]

携行食パックを製造したのは,PANA Force Foods。軍隊用携行食や災害用非常食を主に製造販売している。[a] PANAのHPをみると,携行食や非常食の写真付き宣伝が出ている。様々な商品があり,たとえばチキン・マサラ,マトン・マサラ,牛肉ハリーム,牛肉ニハリなど。「牛肉マサラ」そのものの宣伝はなかったが,この商品一覧からして,あって当然,何ら不思議ではない。[a]

Mail Todayは,救援食品パックの写真を掲載し,ラベルに「非売品」,「ポテト・ブジア」そして「牛肉マサラ」と表示してあったと書いている。状況からして,「牛肉マサラ」があったのは,おそらく事実であろう。

150531e■PANAの食品宣伝

3.パキスタン政府の釈明
パキスタン政府は,当初,「牛肉マサラ」を送ったことを否定した。
T. Aslam(パキスタン外務省報道官)
「このことは承知していない。・・・・食品輸送は私の責任ではない。救援物資は国家防災管理庁が送ったものだ。」[c]

しかし,この説明を,パキスタン政府はすぐ訂正する。
T. Aslam(パキスタン外務省報道官)
「携行食セット内のそれぞれの袋に,英語とウルドゥ語で食品名が記載されており,誰でも食べるか否かを選択することができる。どちらの言語もネパールでは理解される言語だ。ネパール当局が,この携行食を必要と考え,輸送機に優先的に最大限積み込み送ることを要請したのだ。」[d]

パキスタン大使館
「パキスタンは,苦難の中にあるネパールのヒンドゥー教徒友人たちが何を大切にしているかを,よく承知している。パキスタンの私たちは,ネパールの兄弟姉妹に寄り添い,すべての宗教を尊重しており,したがってネパール人の信仰や価値観を侮辱することなど思いもよらないことだ。・・・・一つの大きな食品袋に,様々な食品を入れた22の小袋が入れてあり,これで朝・昼・夕の3食をまかなうことができる。使用されている肉は,牛肉ではなく,水牛肉である。しかも,肉を食べたくなければ,それの入った小袋を取りのけ,食べないこともできる。」[f]

以上のように,パキスタン側の説明は二転三転し,不手際が目につくが,事実はおそらく「水牛の肉のマサラ」携行食を送ったということであろう。あるいは,不注意で「牛の肉のマサラ」を送ってしまったのかもしれない。

もし前者であれば,全く問題はない。たとえ後者であっても,牛肉料理は以前から高級ホテルやレストランなどで提供されているそうだから,今回の件をことさら厳しく糾弾することはできないはずだ。

カトマンズポストによれば,ネパール政府も,パキスタン大使館の上記説明を了承したという[f]。

150531a■パキスタン国家防災管理庁

4.インドからの非難攻撃
ところが,インドのヒンドゥー保守派や商業主義メディア,あるいはスキャンダル好きの英メディアは,事実関係をよく確かめもせず,ネパールに「牛肉マサラ」を送ったとしてパキスタンを攻撃し続けてきた。

Independent UK
「パキスタンは,ヒンドゥー教信仰の厚い国民に牛肉入りの食品を送るという,たいへんな文化的過ちを犯した。」[b]

O. Hosable(RSS幹部)=Independent UK
「これはきわめて無神経な行動で,糾弾されるべきだ。」[b]

K. Adhikari(ネパール保健大臣)=Mail Today, India
「パキスタン政府には,ネパールの文化や宗教を無視しないでいただきたい。そのような食品を送る前に,ネパールの宗教や文化のことを考えてみるべきだ。」[g]

Kavita(カトマンズ市民)=Mail Today, India
「たとえ気づかなかったとしても,牛肉マサラを食べてしまったら,パシュパティ寺院には行けない。ネパールでは牛を礼拝しているのだ。」[g]

Ashok(カトマンズ市民)=Mail Today, India
「パキスタンは,謝るべきだ。ネパールでは牛は食べない。いまは非常時,それを利用することは許されない。」[g]

インドにも,もし「牛肉マサラ」が送られていたとしても,それは単なる手違いにすぎないであろうとか,このたいへんな震災非常時をパキスタン攻撃に利用すべきではない,といった冷静な意見もあるにはあるが,圧倒的に声が大きいのは,やはりパキスタン非難攻撃の側。あげくは,こんなトンデモナイ,とばっちり非難攻撃さえ出始めている。
Sakshi Maharaj(BJP議員)
「ラフル・ガンディが,牛肉を食べ,身を清めることなく,神聖な寺院(Kedarnath)に参拝した。だから地震が起きたのだ。」[h]
 
珍説ではあるが,The Times of Indiaが報道し(原記事未確認),それが各紙に転載され,拡散している。ラフル・ガンディーはインド会議派の副総裁であり,当然,会議派はカンカンになって怒っているが,この種の感情的煽動は冷静な説得ではなかなか止められない。それだけに,かえって恐ろしい。

パキスタン「牛肉マサラ」問題も,非常時暴動など,下手をすると大事件の引き金になりかねない。理性ではなく感情の問題だから,制御が困難。

5.ネパール官民の冷静な対応
パキスタン「牛肉マサラ」問題について,ネパールの官民は,驚くほど冷静に行動してきた。スキャンダル好きのネパール・メディアも,インドや英国のメディアのように騒ぎ立てていないし,政府も慎重に対応している。

カトマンズポスト「牛肉食品告発,パキスタンは否定」[f]は冷静な記事だし,そこで伝えられているネパール政府の対応も政治的に妥当なものだ。

ネパールの人々は,どの種の宗教原理主義とも距離をとってきた。敬虔な宗教的社会でありながら,他者の宗教には比較的寛容であった。また政治的には,ネパールには中国や欧米といったカウンターバランスがあり,ヒンドゥー原理主義への抵抗が,インドよりもむしろやりやすいのであろう。

しかし,震災復興は前途多難,あれやこれやの過激主義の感情的煽動がいつ人心につけ込むかわからない。そのようなことがないことを,切に願っている。

[参照資料]
[a] Astha Saxena,”Pakistan serves beef to Nepal earthquake survivors,” Mail Today,New Delhi,29 [updated 30] Apr 2015.
[b] Kashmira Gander,”Nepal earthquake: Pakistan sends beef masala to feed survivors in the Hindu-majority nation,” Independent.UK,30 Apr 2015.
[c] “No beef content in food dispatched by Pakistan to Nepal,” http://tribune.com.pk/story/878414/earthquake-relief-did-pakistan-serve-beef-to-hindu-majority-nepal/
[d] Astha Saxena, “Nepal earthquake: Pakistan ducks after beef relief blunder,” Mail Today,New Delhi, 30 Apr 2015.
[e] Jim Hoft,”OUTRAGE IN NEPAL After Pakistan Sends Packaged Cow Meat as Disaster Relief,” 30 Apr 2015.http://www.thegatewaypundit.com/2015/04/outrage-in-nepal-after-pakistan-sends-packaged-cow-meat-as-disaster-relief/
[f] “Pakistan denies beef food allegations,” kathmandu Post(Ekantipur),2015-05-01.
[g] Astha Saxena,”‘We did not touch the Pakistani aid’: Quake-struck Nepal launches inquiry as Pakistan sends ‘beef masala’ to country where cow slaughter is banned,” Mail Online India(Mail Today, Daily Mail UK),29 April 2015. http://www.dailymail.co.uk/indiahome/indianews/article-3061416/We-did-not-touch-Pakistani-aid-Quake-struck-Nepal-launches-inquiry-Pakistan-sends-beef-masala-country-cow-slaughter-banned.html
[h] “Rahul’s ‘impure’ visit to Kedarnath caused Nepal earthquake, says Sakshi Maharaj,” 28 Apr 2015.http://www.firstpost.com/politics/rahuls-impure-visit-to-kedarnath-caused-nepal-earthquake-says-sakshi-maharaj-2215456.html

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2015/06/02 at 11:39

シバ・セナ、リパブリカ社襲撃

ヒンドゥー原理主義「シバ・セナ・ネパール」のメンバー30~50人が、12月20日午後、スンダラのリパブリカ(ナガリク)事務所を襲撃、社員に暴力をふるい、編集室に放火しようとした。ビレンドラ元国王の家族財産不正問題に関する記事への不満が理由らしい。

警察が出動し、マダブ・プラサド・バンダリ書記長ら13人を逮捕、ハヌマンドカの拘置所に拘置した。

宗教紛争は難しく、先行き予断を許さない。大事にならなければよいが。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/12/20 at 21:21

カテゴリー: 宗教

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宗教と「表現の自由」:ヒンドゥー教冒涜事件

1.信仰と「表現の自由」
世界ヒンドゥー協会(WHF)のネパール急進派・ヘムバハドール・カルキ(Hem Bahadur Karki)派が,9月11日カトマンズ市内の画廊に押しかけ,ヒンドゥーの神々を冒涜したとして,画家マニシュ・ハリジャン(Manish Harijan)を殺すと脅迫した。

「表現の自由」は世界的に確立された権利であり,ネパール暫定憲法第15条でも明確に保障されている。カルキ派によるハリジャン脅迫は,「表現の自由」への暴力による攻撃であり,それ自体,許されるべきものではないが,一方,「表現の自由」も無制限ではなく,他の自由や権利を侵害しないための規制ないし権利間の調整が避けては通れないこともまた事実である。

これは,今回のような宗教との関係においては,特に難しい,やっかいな問題となる。人が熱心に,誠実に信仰すればするほど,信仰対象は神聖なものとなり,みだりに論評してはならないもの,タブーとなる。一方,表現は,様々な形で隠れているもの,隠されているものを顕わにすることをもって,その本質とする。したがって,宗教についても,信仰により信仰対象が神聖化されればされるほど,表現はそこに関心を持ち,秘密の暴露ないし顕在化への意欲をそそられることになる。

これは,本質的な対立である。不可知なもの,あるいは知るべきではないものへの心情的な「不合理な」信仰と,タブーをタブーであるからこそ暴こうとせざるをえない世俗的な「合理的な」表現の自由とは,結局は,両立しないと考えざるをえない。

2.イスラム教と「表現の自由」
現在,信仰と「表現の自由」が最も激しく対立しているのが,イスラム教に関してである。『悪魔の詩』(1988)事件では,著者ラシュディはホメイニ師により死刑宣告を下され,いまでも330万ドルの報奨金がかけられている。日本語版訳者の五十嵐筑波大学助教授は1991年,大学内で何者かに殺害されてしまった。

2005年には,デンマーク紙掲載のムハンマド風刺画がイスラム教冒涜とされ,デンマーク大使館などが襲撃された。

そして,この9月には,アメリカで制作されたムハンマド風刺映像がネットに掲載され,世界中で大問題になっている。中東,東南アジアを中心に世界各地で反米デモが拡大,リビアのベンガジでは米領事館が襲撃され,米大使が殺害された。戦争にすらなりかねない深刻な事態である。

そのさなか,フランスでもムハンマド風刺画が雑誌に掲載され,激しい反フランス・デモが世界各地で勃発,フランス政府は,在外公館や仏人学校の閉鎖に追い込まれている。

信仰と理性,聖なるものへの服従とタブーなき批判の自由――これら二者は,いずれも人間存在にとって不可欠のものであり,いずれがより根源的,より重要ともいえない。比重の置き方は人それぞれ,生き方の問題というしかない。イスラム教と「表現の自由」の対立は,その人間性の根源にある問題の現代における最もラジカルな顕在化であり,解決は容易ではないと覚悟せざるをえない。

3.ヒンドゥー教と「表現の自由」
この問題がやっかいなのは,火をつけやすいこと。すぐ火がつき,飛び火し,類焼する。ヒンドゥー教も例外ではなく,ネパールでは先述のハリジャン脅迫事件が起こった。きっかけは,彼の絵画展:

■マニシュ・ハリジャン「コラテラルの出現」 シッダルタ絵画ギャラリー(カトマンズ)8月22日~9月20日

(Siddhartha art gallery HP)

「コラテラル」とは難しい表現だが,何かに何かが加わり何かになる,何かが起こる,という意味だろう。展示作品のうち11作品が,ヒンドゥーの神々を西洋風に戯画化したもの。猿神ハヌマンが酒を持っている作品もある。

(Kathmandu Contemporary Arts Centre HP)

(Kathmandu Contemporary Arts Centre HP)

(The Radiant Star HP)

これらの作品は,たしかに,あまり上品とはいえないが,それほど過激ではない。正直,私には,これらの作品の良さがよく分からない。が,それは趣味の問題。ハリジャン自身は,これらの作品は「グローバル化の諸相を通して,東洋と西洋の文化を融合させること」を意図したものだと説明している。

ところが,WHFカルキ派は,これらの絵画をヒンドゥー教冒涜だと激しく非難し,ギャラリーに押しかけ,ハリジャンを殺すと脅し,展示責任者のサンギータ・タパ学芸員に対しても,絵画を焼却しあらゆるメディアを通して謝罪をせよと脅した。

騒ぎが大きくなったので,カトマンズ警察が派遣され,郡長官の命令によりギャラリーを閉鎖させ,ハリジャンとタパを呼びだし,事情聴取した。警察は,逮捕せよというカルキ派の要求までは容れなかったが,ハリジャンとギャラリーの「表現の自由」を守るという明確な態度もとらなかった。

その結果,ハリジャンとタパは,展示2作品(どれかは不明)を撤去し,今後はそのようなヒンドゥー教冒涜絵画は展示しないという文書に署名してしまった。彼らは,ヒンドゥー右派とその意をくむ行政当局の圧力に屈服せざるをえなかったのである。

4.形式的「表現の自由」擁護論の限界
このハリジャン脅迫事件が起こると,ユネスコ・カトマンズ所長のアクセル・プラテ氏が「表現の自由」を尊重せよ,との声明を出した。芸術作品が,たとえ宗教や倫理の価値観に反することがあろうとも,それを理由に暴力をもって反撃することは絶対に許されない。解決は,「自由な議論」によるべきだ,というのだ。

ネパリタイムズ社説(#623, Sep21-27)も同じ立場をとる。表現の自由は,他の自由や権利を侵害してはならないが,その限界は文化ごとに異なる。考慮すべきは,国家の安全,社会の調和,名誉毀損,ポルノ規制などだが,いずれにせよ暴力による脅迫や検閲は認められない。

「マニシュ・ハリジャンに描く自由を認める一方,それにより感情を害されたと感じる人びとには非暴力で抗議する自由を認めなければならない。民主主義では,感情を害されたからといって,殺すと脅すことは許されない。国家は,暗殺脅迫者ではなく,芸術家をこそ守るべきである。」(Nepali Times,#623)

これよりもさらにハト派に徹しているのが,今日の朝日社説「宗教と暴動・扇動者を喜ばせない」(9月26日付)。社説は,「言論の自由があるといっても,特定の宗教に悪意をこめ,はやして喜ぶ商業主義は,品のいいものではない」といいつつも,「他者による批判を自らの尊厳への攻撃と受けとめ,宗教をたてに暴力に訴える。狭量な信徒が陥りがちな短絡が,今回の暴徒たちにもうかがえる」と述べ,言論の自由・表現の自由を寛容に認めている。

こうした「表現の自由」を守れという主張は至極もっともであり,非の打ち所のない正論である。特に,強者の側が弱者の「表現の自由」を力により制限しようとする場合には。しかし,問題は,こうした正論が現代においては多くの場合,形式論ないし高尚なお説教あるいは精神論にとどまり,ムハンマド冒涜の場合と同様,ヒンドゥー教冒涜の場合にも,それだけでは対立の解決にはあまり役立たないという点にある。

そもそも「表現の自由」を定めた世界人権規約第19条にも,ネパール暫定憲法第15条にも,多くの留保がつけられており,それらを利用すれば,「表現の自由」は必要な場合にはいつでも制限できる。ムハンマド冒涜やヒンドゥー教冒涜に抗議している人びとは,彼らの重要な自由や権利が侵害されているのに,国家や国際社会は,形式論理のきれい事を言うだけで,そうした留保条項を使って彼らの権利や自由を本気で守ろうとはしていないと考えて怒り,やむなく実力行使に出ている,といえなくもない。自由や権利の形式的な保障は,つねに社会的強者の側に有利である。

朝日社説は,この問題を脳天気に棚上げしている。社説は,表現者側に「品」や「心得」を求めるだけで,「表現」による被害の具体的な救済については何も語っていない。

しかし,「言論の暴力」というように,「表現」も暴力であり,また暴力には直接的暴力だけでなく間接的な構造的暴力も含まれることは,いまや常識である。構造的暴力としての「表現」暴力の規制を自主的な「品」や「心得」に丸投げしておきながら,一方的に,直接的暴力による自力救済を上から目線で声高に断罪してみても,説得力はない。

5.天皇冒涜に堪えられるか
日本人の多くは,朝日社説もそうだが,ムハンマド冒涜やヒンドゥー教冒涜に激昂し激怒する人びとを狂信的とか原理主義とかいって冷笑するが,それは事件が今のところ余所事,他人事だからにすぎない。

しかし,近時の情勢からして,天皇が風刺の対象とされるのもそう遠いことではあるまい。天皇・皇后や他の皇族が,不道徳に,エロチックに,あるいは下劣にカリカチュア化され,メディアで弄ばれるようになったら,日本人はどうするか? あくまでも冷静に表現には表現で,言論には言論で,などと高尚なことをいっていられるだろうか?

たぶんダメだろう。日本人の多くが激昂し,天誅を下せなどと,わめき始めるに違いない。

ムハンマド冒涜事件もヒンドゥー教冒涜事件も,決して他人事ではない。言論には言論で,などといったわかりきった形式論理のオウム返しではなく,「表現の自由」が他の自由や権利と対立した場合,具体的にどうするかを,自分の問題としてもっと真剣に考え,取り組むべきであろう。

【参照資料】
Nepali Times, Sep.12 and Sep.21-27,2012
ekantipur, Sep.12, 2012
UCA News, Sep.13, 2012
The Radiant Star, Sep.15, 2012
Kathmandu Contemporary Arts Centre, http://www.kathmanduarts.org/Kathmandu_Arts/KCAC12-mann.html
Siddhartha art gallery, http://www.siddharthaartgallery.com/cms/index.php

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/09/26 at 20:47

憲法制定手続きの改正

バブラム内閣は4月19日、暫定憲法第70条を改正し、憲法制定手続きを簡略化することを決定した。5月27日の新憲法制定期限に間に合わせるため。

現行第90条は、民主主義原理主義により超理想主義的な憲法制定手続きを定めている。いつものことで、こんな観念論など、実行不可能だと思っていたら、案の定、面倒なので改正し、簡略化するという。いつもの、「立憲主義」「法の支配」を空文化する最悪のパターン。

改正案によれば、新憲法案は制憲議会出席議員の2/3の賛成で可決成立する。国民投票も不要。まぁ、こんなところが現実的であろう。

* Rising Nepal, Apr19

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/04/22 at 10:17

カテゴリー: 議会, 憲法

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イスラム固有の権利

西洋の無責任な包摂参加原理主義・連邦制原理主義のせいで,アイデンティティ政治の危険性がますます高まってきた。

短い記事だが,リパブリカ(2012-3-22)によると,ネパール・マドラサ連合は,イスラム固有のアイデンティティを認め,新憲法にムスリムとしての権利を書き込むよう要求している。

彼らによれば,ムスリムは「マデシ」ではない。新憲法は,ムスリムをムスリムとして認め,政府諸機関等にすべて人口比に応じたムスリム枠を設定すべきだという。

マドラサ連合は,もしこのムスリムの要求が認められなければ,街頭に出て抗議活動を始めると警告している。

これは,警戒すべき動きだ。そもそも宗教は神々のものであり,歴代のネパール統治者は最大限の慎重さをもって扱ってきた。それは,たしかに差別抑圧の構造化・内面化の側面をもつ。しかし,だからといってパンドラの箱を不用意に開けてよいということにはならない。

にもかかわらず,パンドラの箱は,包摂参加原理主義・連邦制原理主義によって開けられてしまった。まず飛び出したのが仏陀。仏教は,王政打倒のシンボルとしてさんざん利用され,いまや準国教の特権を享受している(「ルンビニ観光年2012」をみよ)。が,そんな仏教革命共和国がいつまでも続くわけがない。ヒンドゥーの勇敢な神々が反撃を始めるだろうし,キリスト教の神も勢力を急拡大している。

そして,いまイスラムの神も,声を上げ始めた。彼ら,ムスリムの要求は,包摂参加民主主義の原理からすれば100%正当であり,認められて当然である。とすれば,クリスチャンは,ヒンドゥーは,・・・・どうなるのだろうか?

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/03/23 at 09:37

毛沢東主義vsキリスト教vsヒンズー教

[1]

ネパールの混乱は、深層では、むしろ宗教にある。11日のekantipurをみると、マオイストのプラチャンダ(ダハール)議長がナクサライト(印マオイスト)のネパールでの訓練を必死になって否定している、そのすぐ横に、キリスト教会が黄金色の宣伝を出している。この場所は、アメリカ国務省の定位置だが、そこに今度は米系キリスト教会の宣伝がでているのだ。(記事連動広告であろう。)
 

[2]

たしかに近代民主主義は近代キリスト教(プロテスタント)によって生み出されたものであり、相補関係にあることは事実である。その意味では、アメリカ国務省とキリスト教会が交代で前近代的偶像崇拝や非民主的政治を批判し、“無知蒙昧なネパール人たち”を啓蒙し彼らの神に目を向けさせようとするのは、きわめて合理的なことであり、当然といってよいかもしれない。

しかし、こんな無神経なことをもし日本でやったら、余計なお世話だ、Yankee, Go Home! となることは、まず間違いない。だから、もちろんアメリカもそんな馬鹿なことはしない。にもかかわらず、ネパールでは堂々とやっている。ネパールは馬鹿にされているのだ。

[3]

ekantipurの画面を見ていただきたい。「宗教はアヘン」と信じるマルクス主義者、「革命は銃口から」と唱える毛沢東主義者の右横で、Global Media Outreach というキリスト教団体が、「神を信じるものは救われる」と説教している。クリックしてみると、本部はアメリカ。こんな取り合わせは、日本なら喜劇だが、ネパールでは悲劇。悲愴感がつきまとう。それだけ、ネパール社会の亀裂は深いのだ。

いまの日本社会であれば、キリスト教会が「信じるものは救われる」と宣伝しても、大多数の日本人は「あっ、そう、それはすばらしいですね」で済ませてしまう。ところが、ヒンズー教が生活となっているネパールでは、そうではない。

[4]

そもそもヒンズー教とキリスト教は、歴史的に不幸な関係にあった。ヒンズー教は、イエス=キリストを神々の一人として受け入れようとしたが、キリスト教はヒンズーの神々を猥雑な偶像として唾棄し、ヒンズー教徒を改宗させ、彼らの神の絶対的支配の下に服従させようとした。しかも、キリスト教は経済的にも政治的にも圧倒的優位にある欧米諸国をバックにしている。キリスト教会には、金力と権力の後光が輝いていた。

ヒンズー教徒は、教徒として生まれるのであり、ヒンズー教に改宗の思想はない。これに対し、キリスト教、特にプロテスタントは、一切の伝統や慣習を否定し、絶対的な唯一の神への全面的改宗を迫る。他者、他宗教を無限に受容しようとするヒンズー教と、自己以外の他者を絶対的に拒否するキリスト教。こんな両極端の宗教が、いまネパールでは真正面から激突し始めているのである。

[5]

欧米や日本は、このような原理的対立の時代をすでに経てきており、一歩引いてみるだけの余裕がある。先進諸国のスレた現代人には、そのような原理的対立は、むしろ喜劇に見えてしまう。「 金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」(マタイ福音書19・24)。「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」(同5・3)。

ところが、ネパールではそうではない。マオイストは唯物論に立ち「宗教はアヘン」と信じ、「銃口から革命」を生み出そうとしている。その一方、大多数のヒンズー教徒は無数の神々を日々礼拝し、神々と共に生活している。その基本的事実を無視し、そんな初歩的なことも考慮せず、アメリカ国務省やキリスト教会は、無邪気に、一方的な原理主義的宣伝を垂れ流している。国務省もキリスト教会も、ネパールは彼らよりもはるかに長く深く重い文化の豊かな伝統を持っている、という事実を見るべきであろう。

[6]

日本でなら、もちろんかまわない。喜劇として、笑い飛ばされるだけだから。たとえば、はるばる欧米から和歌山県大地町に押しかけたシーシェパードのイルカ原理主義者たちに対しては、高々と聖書を掲げ、語りかけよう!

「神は彼ら(人間)を祝福して言われた。産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」(創世記1・28)

「地のすべての獣、空のすべての鳥、地に這うすべてのもの、海のすべての魚は恐れおののいて、あなたがたの支配に服し、すべて生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう。さきに青草をあなたがたに与えたように、わたしはこれらのものを皆あなたがたに与える。」(創世記9・2-3)

みよ、神は「すべて生きて動くもの」を人間の「食物」として与えられた。クジラもイルカも、神が人間に与えられた「食物」である。これは全能の神の命令である。シーシェパードごときに、この神の命令を改変する力はない。大地に来るなら、キリスト教の神を殺してから来るべきだ。ニーチェなら、そうしたであろう。

日本の仏教徒や無神論者には、聖書を使ってイルカ原理主義を笑殺するだけの余裕がある。創世記の一節を看板やチラシに書き、イルカ原理主義者に見せてやるだけのカネもある。

しかし、われわれ日本人は、牛を神聖視する人々に向かって、「牛の偶像崇拝をやめよ」「神は牛を人間の食物とされた、牛を食え」とは、決していわない。日本人はその程度のたしなみは心得ているのだ。アメリカやキリスト教会にも、無神経によその国に手を突っ込み、引っかき回すようなことはやめていただきたいものだ。

▼キリスト教とヒンズー教の関係については、小谷汪之「キリスト教とヒンドゥー教」(『インド社会、文化史論』明石書店、2010年)が、この上なく鋭く、明快に分析している。必読文献。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2010/11/12 at 13:46

マオイストの中国詣で

谷川昌幸(C)

ネパール・マオイストが中国詣でをしている。

10月21日には,マオイスト軍幹部11人からなる訪中団が,9日間の「私的訪中」から帰国した。軍訪中団は,B.プン常任委員(軍担当)と妻OG.マガル,J.シャルマ議員(前副司令官),CP.シャルマ副司令官(PLA報道官)らからなり,ラサ経由で北京に行き,中国共産党幹部らと会見してきた。

その軍訪中団の帰国翌日(22日),今度はプラチャンダ議長と妻シタ・ダハル,KB.マハラ常任委員(外務担当)らが4日間の公式訪中に出発した。上海万博に出席し,中国共産党幹部や政府高官らと会見する予定という。

ネパール・マオイストがこのように次々と訪中するのは,なぜか? ジャー副大統領も訪中したので,マオイストだけではないが,それでもやはりマオイストの中国詣では目立つ。

もともとネパール・マオイストは,毛沢東原理主義であり,文革以後の鄧小平路線(社会主義市場経済)を修正主義と激しく非難していた。現在のインド・マオイストと同じ立場である。

これに対し,中国はネパール・マオイストを非難し,「マオイスト」「マオイズム」を使用するな,とさえ要求していた。犬猿の仲だったといってよい。

ところが,ネパール・マオイストは制憲議会選挙で大勝し,体制内に入り,アッというまに中国以上の「修正主義者」になってしまった。ネパール・マオイストの幹部たち,議員先生方は,資本主義粉砕など,もはや夢にも思っていないであろう。そのネパール修正主義マオイストが,中国修正主義マオイストに急接近しているのだ。

それはそれで結構なことだが,これに心穏やかでないのが,インド政府。ネ中接近を防止するため,あらゆる手段でネパール・マオイストへの圧力をますます強化していくのではないだろうか。

Written by Tanigawa

2010/10/23 at 21:06