ネパール評論 Nepal Review

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停電体験学習はネパールへ

このところ日本では,電力不足・停電を脅しに,原発再稼働がさかんに唱えられている。4月から関西に転居しているので,若狭の原発再稼働は切実な問題だ。
 ■ネパール大使館,大阪に退避

第一の論点は,文明生活のために原発リスクを取るかどうか? これは本物の問題だ。減少したとはいえ,交通事故死は年5千人だが,そのリスクを取って日本人は文明の利器,車を運転している。確率から言えば,原発事故の危険性の方がはるかに低い。風力,太陽光などで当面まかないきれないなら,文明生活維持のためには,原発リスクを取るのは当然だ。

しかし,もし電力浪費の文明生活を断念するなら,原発は不要だ。これが第二の論点。そもそも夜を昼のように,夏を冬のようにする文明社会が異常なのだ。夜は暗く,夏は暑いもの。そう観念するなら,原発は廃止すべきだろう。

実際,停電なんて,たいしたことはない。要は慣れ。幾度も論じたように,ネパールでは停電は日常茶飯事。停電になっても,どうということはない。乾期だと8~18時間停電となるが,それでも人々は平然と,ごく普通に生活している。これこそ,健全社会のあるべき姿だ。

修学旅行はネパールに行こう。現地での停電体験学習は,人工飼育された不健康な日本の子供たちが自然を取り戻すための,日本では得がたい貴重な機会となるであろう。

●関連記事
停電16時間の革命的意義
電力神話からの脱却,ネパールから学べ
停電資本主義
現代の失業と不幸,前近代の無失業と幸福
原発報道,朝日とネパリタイムズ
唯我独尊の九州電力と皆様のソフトバンク
早川教授訓告処分は大学自治の自殺行為

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/05/12 at 19:56

カテゴリー: 社会, 経済, 教育, 文化

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東電から他社へ,電力購入先変更

昨日,発電と送電を分離すれば,九州電力以外の発電会社からの電力購入が可能となり,九電は倒産に向かうと書いた。今日の朝刊を見ると,東京では,城南信金が電力購入先を東京電力から他社(PPS)に切り替えるという。

九電や東電を「市場」に引き出し,退場させるには,これが最善の方法。個人でも,電力購入先が自由に選択できるようになるまでは,最大限自然エネルギーやガス自家発電などに切り替え,電力会社依存から脱却する努力をすべきだろう。

実は,この方法は,すでにネパールでは一般化している。停電となれば,蓄電池や自家発電装置に切り替える。地方では,小規模水力・風力・太陽光発電も普及しつつある。まだまだコストが問題だが,日本のような独占電力会社依存ではない。その限りでは,日本よりはるかに健全だといえる。ネパールで出来て,なぜ日本ではできないのか?

「脱原発」の城南信金、東電と年内で電力契約解除  新規事業者に切り替え
 ・・・・城南信用金庫は2日、東京電力から電力を購入する契約を年内いっぱいで解除すると発表した。東電福島第1原子力発電所の事故を踏まえた「脱原発」の取り組みの一環。来年1月以降は、天然ガスなどで発電する新規電力事業者のエネットから電力を購入する。・・・・・・・・(日本経済新聞電子版 2011/12/2)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/12/03 at 10:47

カテゴリー: 社会, 経済

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電力神話からの脱却,ネパールから学べ

昨日,九州電力の全面広告を批判したが,同じような印象を持った人も少なくないらしく,朝日新聞も今日の朝刊で「なぜ5%?」と疑問を投げかけている。

 朝日新聞2011.12.02

しかし,そこは朝日,大企業広告に依存しており,こわごわ批判,節電5%の根拠が薄弱というに尽きる。こんな議論なら,九電は,その気になればいつでも電力不足にできるわけで,簡単に論破されてしまう。停電がイヤならもっと節電せよ,それがイヤなら原発を認めよ,という恫喝だ。(競合発電会社があれば,この手は使えないが。)

これではダメだ。われら善良なる日本人民にとって,本当は,停電なんか,ちっとも怖くはないはずだ。1,2時間停電しようが,半日停電しようが,たいしたことはない。

ネパールを見よ。16時間停電でも,人々は平気で生活してきた。びくびく停電を心配する金満日本人より,はるかに心平穏であり,幸福だ。

日本人は,電気なしには生きられないと刷り込まれ,信じ込まされているだけ。こんな電力神話など,停電大国ネパールに行けば,たちまち霧散する。人々を不安に駆り立てている電力神話の金縛りが解け,心の平和が快復される。

節電5%の過不足が問題なのではない。粉砕すべきは電力神話なのだ。いまこそ,停電大国ネパールから,電力依存脱却を学ぶ秋である。

【参照】
停電資本主義
停電16時間の革命的意義

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/12/02 at 11:17

カテゴリー: 社会, 経済, 文化

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日ネ首相の権力欲

ネパールのカナル首相と日本の菅首相が,ますますあい似通い,政治家らしくなってきた。

[1]

カナル首相(UML)は,党内基盤が弱く,最大政党マオイストの要求を丸呑みして支持を取り付け首相に選出された。当初は,マオイストの操り人形と酷評され,短命と見られていた。5月28日の制憲議会(CA)任期切れに際しても,「挙国政府のめどがついたら」辞任すると約束し,かろうじて任期を3ヶ月延長することが出来たにすぎない。

カナル政権はもともと弱体であり,辞任まで約束したので,与党UMLも野党コングレス党(NC)もカナルはすぐ辞めるだろうと期待していた。ところが,どっこい,カナル首相は「挙国政府のめど」を口実に,いつまでも辞めない。どうして彼は権力をいつまでも維持し続けることが出来るのか?

一つには,カナル首相がマオイストの本音を鋭く見抜いているということ。CA解散・選挙になれば,マオイストは,現有議席からの大幅減は避けられない。苦しい人民戦争を戦い,ようやく手にした議員の地位と諸特権がすべて失われてしまう――これがマオイスト議員たちの偽らざる本音であろう。

カナル首相は,マオイスト議員たちのこの保身心理を見透かし,マオイストに対する自分の立場を徐々に強化しつつあるように思われる。もはや,操り人形とはいえない。

また他方では,最大野党のNCも,口だけは勇ましいが,実際には党内派閥抗争で政権打倒どころではない。抜きんでた有力な首相候補も見あたらない。

カナル首相は,与野党のこのような実情を見抜き,巧妙に政権を維持し強化してきた。なかなか,したたか。政治家らしくなってきた。

[2]

このカナル首相とよく似てきたのが,菅首相。こちらも,辞任をほのめかしながら,一向に辞めようとはしない。

菅首相は,民主党が解散を何よりも怖れていることをよく知っている。解散・総選挙になれば,民主党議員の相当数が再選されず,おいしい議員諸特権を失ってしまう。保身が先に立ち,解散が怖くて,菅首相を辞めさせられないのだ。

一方,野党自民党も内輪もめばかりで,これといった有力首相候補はいない。ちまたでは,小泉純一郎氏か,小泉ジュニアかなどといったジョーク半分,本気半分の床屋政談が流布する有様だ。

菅首相は,民主党や自民党のこの内実を見抜き,政権維持を図っている。

しかも,菅首相には,脱原発の風が吹き始めた。この風をうまくとらえることが出来れば,政権は再浮上,菅首相の人気もうなぎ登りとなり,21世紀初期の名宰相として歴史に名を残すことさえ夢ではなくなってきた。

[3]

政治家にとって,権力欲は本性だ。菅首相が本物の政治家なら,「政権に恋々」とか「権力にしがみつく」とかいって攻撃されても,蛙の面に水,まったくこたえないだろう。いやそれどころか,むしろ内心では「よくぞいってくれた」と奮い立ち,さらに権力欲を募らせることにさえなるだろう。

政治家にとって権力欲は本性だから,菅首相が権力に恋々としようが,政権にしがみつこうが,それは問題ではない。われわれ人民にとって,いま冷静に考えるべきは,菅首相を辞めさせれば,それは原発維持を願う政財界体制派の思うつぼ,決して現在および未来の人民の利益にはならないということである。

[4]

要するに,いまの「世論」は人々の自然な意見ではないということ。実際には,政財官学エスタブリッシュメントがメディアを総動員して世論をねつ造し,菅おろしを図っているのだ。玄海原発やらせメール事件では,「九電が組織ぐるみで世論を操作していた実態」が明らかになった(毎日7月15日)。しかし,これはあまりにも稚拙,小規模だったため発覚したにすぎない。菅おろし世論はスケールがちがう。いまの「菅おろし」世論は,日本中の政官財学があうんの呼吸で一体となってメディアを使い,合唱させ,巧妙に創り上げたものである。人民は,その空気の中にいてその空気を吸っているので,それが人為的・意図的に創られたものであることに気づかないのだ。

われわれ人民は,たとえば仮にドイツの空気の中に立ってみて,自分たちがいまどのような空気を吸っているかを反省してみるべきだ。そうすれば,いま菅首相を辞めさせるよりも,むしろ菅首相をおだて,もっともっと「政権にしがみつかせ」,その権力欲を利用して,脱原発の大事業を達成させてやるほうが,人民の利益になることが分かるであろう。

そして,もしめでたく脱原発への方向転換が実現されたあかつきには,菅首相には大勲位の名誉を授与する。政治家のもう一つの本性は名誉欲だから。大勲位が始めた原発に,大勲位が幕を引く。これこそ,歴史の弁証法的発展である。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/07/15 at 12:56

カテゴリー: 政治

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震災後日本の無責任と自己犠牲

1.祖国愛と自己犠牲の崇高さ
震災・原発事故で示された日本人の「勇気」と「自己犠牲」は世界中の人々を驚かせ,ハーバードのサンデル教授も,前述のように,それを特別講義で取り上げ,コミュニタリアニズム(共同体主義)のモデルとして賞賛した。

今回の大震災や原発事故のような未曾有の危機に際し,多くの日本人が驚嘆すべき「勇気」と「自己犠牲」を示してきたことは事実である。昨日もテレビが,地震直後,中国人研修生20人を真っ先に高台に避難させ,自分は津波に呑まれ亡くなってしまった女川町の男性の勇敢な行動と,それに対する中国からの感謝と賞賛を紹介していた。東日本大震災では,このような本物の「勇気」や「自己犠牲」が多数みられたという。私は,日本人の一人として,彼らを心から尊敬し誇りに思う。

また,福島原発事故でも,被曝の危険を顧みず,現場に踏みとどまり,あるいは現場に入り,事故拡大防止のため懸命に努力されてきた多くの技術者・作業員の方々の「勇気」と「自己犠牲」にも心から感謝し,日本人として彼らを尊敬し誇りに思う。

人間が自分の家族や地域(近隣),あるいは祖国を愛するのは自然なことである。そして,それらが危機に陥れば,生命を賭しても救いたいと思うのが,人情である。右翼はもちろん,リベラルも左翼も、これは否定しない。家族愛,郷里愛,祖国愛の無い人は,生命を賭してわが子を守ろうとする野の小鳥にすら劣る。人間,いや動物ですらない。キリストやガンディーのように敵まで愛するのは難しいとしても,家族や同胞を愛せないような人は,人間失格である。

2.祖国愛の詐取
しかし,である。人間社会の難しさは,この家族・地域・祖国への自然な愛が,社会では巧妙に詐取されてしまうことが少なくない,という点にある。国家や企業には、危機対処の職責にある人々が選任されている。彼らは,危機の際,自ら決断し,行動し,その結果に対して責任を取らなければならない。ところが,社会で危機対処への無私の「勇気」や「自己犠牲」が賞賛され始めると,彼らはそれに便乗し,あるいは自ら積極的に煽り立て,そうすることによって,決断し行動するという自らの当然の職責をぼかし,責任を回避するようになる。「自己犠牲」は,崇高な無私の自発的行為から,社会的賞賛により陰湿に強制される擬似自発的行為へと成り下がってしまうのだ。

さらに恐ろしいことに,家族・地域・祖国のための「自己犠牲」は自然な愛による自発的行為だという賞賛が繰り返されると,「自己犠牲」を強制されている本人ですら,それを「強制」とは感じなくなり,自分の自発的行為と思い込んでしまう。為政者や企業幹部,あるいは社会多数派にとって,これほど都合のよい状況はない。

これに対し,もし,たとえば原発事故処理への出動を職責に基づき命令し強制すれば,命令権者には明確な責任が生じる。誰が,誰に,どのような条件で,原発事故処理作業をさせるのか? それが危険な作業であれば,命令権者は、当然,合理的で妥当な労働条件を明示し,同意(informed consent)を得た上で,作業を命令しなければならない。命令権者と労働者の権利義務は明確となる。

ところが,実際には,そうではないらしい。原発事故処理への出動を,勇敢な「自己犠牲」と賞賛することにより,命令権者は「命令」ないし「強制」の事実を隠微な形に希薄化していき,危険きわまる劣悪な労働条件での作業を技術者や作業員に「自発的に」引き受けさせることに成功したようだ。隠微・陰湿な命令権者は,たとえ技術者や作業員に被害が出ても,崇高な自発的「自己犠牲」を理由に,たいした補償もせず,責任を免れるにちがいない。

3.「無責任の体系」としての震災後日本
かつて丸山眞男は,天皇制国家を「無責任の体系」と呼んだ。それと,どこが違うのか? 天皇制国家は,家族への自然な愛を国家へと拡大し,国家のために死ぬことを賛美した。そして,国民もそれを信じたとき,為政者はそれを最大限利用し無数の国民を国家のために殺したのである。自発的愛国心により自らお国のために生命を捧げたのだから,為政者には責任はない。一億総懺悔!

福島原発処理では,そしてそれよりも分かりにくくはあるが震災・津波被害処理においても,原理的ないし構造的には同じ「無責任の体系」が出来つつあるのではないか?

4.「死ぬ」倫理と「殺す」論理
しかし,再び「にもかかわらず」といわざるをえない。家族・地域・祖国への愛は,国家や企業,あるいは社会多数派に詐取されがちだが,にもかかわらず,それがわれわれのうちに自然なものとして内在していること,そしてまたそれは決して無用・無価値であるわけではないこと,これは確かである。丸山眞男はこう喝破した。

「『国家のために死ぬ』というのは個人倫理の立場であり,政治は戦争においてそれを『国のために殺す』行為に転換させるのです。そうした『政治』の苛烈な法則,政治次元の独立性が一切容認された上で,なおわれわれはヨリ高次の意味で政治における倫理的契機について語らねばなりません。いかなる万能の政治権力もその前に頭を垂れなければならない客観的な倫理的価値があり,それを全く無視して存続することは不可能です。」(「政治学入門」244-5頁,強調原文)

政治家が市民に国家社会への貢献を要求しうるのは,政治家が責任倫理を自覚し,自らの判断と責任の下に,委ねられた権力を行使する場合のみである。それは「無責任の体系」の下での、隠微・陰湿な「自己犠牲」の強制とは,対極にあるものである。政治的には,それは合理的であり,市民には支配に服従する政治的義務がある。

しかしながら,それでもやはり政治においては「強制」の契機が払拭しきれず,権力による国家貢献命令は倫理的には正当化しきれない。それは,つねに家族・地域・祖国への自然な,純粋に自発的な愛の倫理により,批判されなければならない。

5.理念型としての隣人愛と祖国愛
父母には子への無私の愛がある。生命を賭してわが子を救ったという事例は枚挙にいとまない。近隣や祖国への愛は,それほど直接的ではないであろうが,理念型としては純粋な隣人愛や祖国愛はあり得る。イエスの隣人愛やガンディーの祖国愛はそうしたものであろう。もしそうした愛ですらすべて否定してしまえば,人間は野獣にも劣る悪魔的怪物になりはてる。問題は詐取であって,家族愛・隣人愛・祖国愛そのものではない。

「国のために死ぬ」と「国のために殺す」――この慄然たる深い宿命的葛藤を見ようともしないサンデル教授の震災特別講義は,政治哲学として、どう評価されるべきだろうか?

参照1:サンデル教授と震災後日本の「秩序と礼節」
参照2:「時代も事情も異なるが、東電本社と、未経験の危機と闘う現場に、「大本営と前線」の落差が重なる。きびしい使命にもかかわらず、伝え聞く作業従事者の処遇はずいぶん酷だ。・・・・現場と国民に対して欺瞞の大本営であるなかれ。東電だけではない。菅政権への気がかりは、より大である。」(天声人語,2011-4-22)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/04/23 at 12:53

サンデル教授と震災後日本の「秩序と礼節」

M.サンデル教授の「白熱教室」が人気で,何回か観たが,これは大学の授業というより,むしろ「テレビ伝道」である。

サンデル教授の討論は,本物の問題を見据えるのではなく,巧妙にそれを回避するか棚上げにし,その上で自説のコミュニタリアニズム(共同体主義)に議論を誘導していく。一,二回観ると,安心を得たい人は癒やされサンデル礼賛に向かうが,少しでもマユにツバする不信心者には討論の手の内が見え,興ざめし,二度と観ようとはしなくなる。

16日のNHK「M.サンデル特別講義:大震災後の世界をどう生きるのか」も、ひどかった。教授は,東日本大震災・福島原発事故後の日本では,アメリカや他の国のようにパニックにはならず,略奪や便乗値上げもなく,人々が「秩序と礼節」「自己犠牲と静かな勇敢さ」をもって行動したことを,ニューヨークタイムズ(3月26日)などを引用し,「日本人の国民性に折り込まれた特性」として絶賛した。

たしかに,震災後の日本人のそうした行動が,外国人ジャーナリストを驚かせ,世界中に賞賛をもって報道され,人々を感動させたことは事実である。サンデル教授は,これをコミュニタリアニズムの好個の事例としてとらえ,予定を変更して特別講義で取り上げたのである。

いうまでもないことだが,震災後,パニックになり略奪や買い占めが起こるより,「秩序と礼節」や「自己犠牲と静かな勇敢さ」をもって行動する方がよいに決まっている。それはそのとおりであり,その限りで正当に評価されるべきだが,しかしサンデル教授の議論の仕方や海外報道への日本人の反応には問題が多いといわざるをえない。

第一に,震災後の日本人の行動をコミュニタリアニズムの範例とするサンデル教授の見立てはあまりにも皮相であり,およそ学問的でも「哲学的」でもない。第二に,外国ジャーナリズムやサンデル教授の「日本人的行動」賞賛を見聞きし,得たりとばかりに「日本人の国民性」の優秀さを喧伝するのはあまりにも軽薄であるばかりか,危険でもある。

震災後日本人は,なぜ「秩序と礼節」「自己犠牲と静かな勇敢さ」をもって行動したのか? 理由はいくつかあろうが,日本人として反省すべきもっとも本質を突いた問いは,東京の出席者の一人が,言葉を選びつつ発した次のような疑問であった。

日本には,非日常のとき,「権利があっても行使できないと感じさせる状況」,「ノー」という権利があっても,それをいわせないような雰囲気,つまり「コミュニティーによる自己犠牲」の強制が生じやすい。福島原発事故処理に動員された「勇敢な人々」のなかにも,そのような人がいたのではないか?

慎重に言葉を選びつつ語られたのは,このような問いであった。これは、日本人としては聞きたくない,重い問いである。そのためか,この発言は誰かによって遮られたらしく,途中に不自然な編集が施されているように見えた。

大きな問題が生じると,日本では社会の同調圧力がかかり,個人は当然の「自由」や「権利」を行使できなくなる。その結果,責任を負うべき人々への責任追及も抑圧され,一致団結「全体責任」とされ,国家総動員体制が自然にできあがってしまう。「頑張れニッポン!」の連呼。震災後,日本のマスコミは異様な「全体主義的」雰囲気にとりつかれていた。

震災後日本人の行動は,「日本人の勇気と美徳」ではなく,本質的には,そのようなムラ社会的同調圧力によるものではないか,という問いかけである。

これこそ,問われるべき本物の「哲学的」問いであったにもかかわらず,サンデル教授(あるいはNHK?)は,はぐらかし,話題を別の方向に向けてしまった。自分の議論にとって都合が悪くなると,「転進」するのがサンデル流らしい。

次に,やはり東京の出席者の一人が,震災後日本人の行動は,日本が多民族国家ではなく,国家全体が一つのファミリーのようなものだと感じられていたからだ,と答えた。これも日本人としては見過ごすことのできない重大発言である。これは,日本を一つの家族と見なした戦前の天皇制国家(家族国家)の考え方そのものである。これに対して,サンデル教授は,そこに「多様性の欠如」というマイナス面もあるのでは,と指摘はしたが,それでおしまい,すぐ他の方向へと「転進」してしまった。

サンデル教授の「転進」作戦は,具体的で切実な問いにたいしても用いられる。東京の出席者の二人が,原発の場合,原発設置のリスクを負わされる人・地域(福島)と、その恩恵を受ける人・地域(東京)が別だという問題がある,と指摘した。これは日本では以前から幾度となく問われてきた問題であり,逃げられない本物の現実的問題である。原発は東京や大阪に建設せよ! ニューヨーク,ロンドン,パリ,北京・・・・みな同じことであり,普遍性をもつ問題でもある。ところが,この逃げられない本物の具体的な問題ですら,サンデル教授ははぐらかし,逃げてしまう。

サンデル教授の「白熱教室」は,本物の重要問題ははぐらかしつつ,それでもやはりコミュニタリアニズムは正しいという漠たる印象を参加者・視聴者に与えることを目的としているように思われる。

欧米のように、個人主義の強固な伝統があるところでは,コミュニタリアニズムを対抗思想として「テレビ伝道」することにもそれなりの意義があるであろうが,個人主義の伝統が希薄で,いまだムラ的コミュニタリアニズムが「国民性に折り込まれた特性」となっている日本では,サンデル教授のようなコミュニタリアニズム「テレビ伝道」は危険である。

日本人の「秩序と礼節」「自己犠牲と静かな勇敢さ」を外国メディアやサンデル教授が絶賛し,それを見た日本人が「日本人の国民性に折り込まれた特性」を再発見し,有頂天になり,その再生産強化に再び邁進する。サンデル教授のおかげで,そんな悲喜劇がこれから始まりそうな気がする。

 160207

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/04/17 at 17:53

カテゴリー: 社会, 人権

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原発報道,朝日とネパリタイムズ

1.朝日社説と空母同乗レポート
朝日社説はたいてい読むに耐えないが,3月23日の「放射性降下物 長い闘いを覚悟しつつ」は珍しく出来がよい。

これまで政府,東電,いわゆる「専門家」たちは,この程度の放射能では「直ちに健康には影響はない」と耳にタコができるほど繰り返してきた。が,そんなことは国民誰もが知っている。そんなことを心配している国民は,一人もいない。問題は,被曝による長期的影響,あるいはセシウム137のような長く残存する放射性物質による被曝の影響だ。誰も心配していない被曝の直接的健康被害について「安全だ」と繰り返せば繰り返すほど,政府,東電,「専門家」への信頼が失われていく。

これに対し朝日社説は,「放射能の影響は長い目でとらえる必要がある」と,当たり前のことを,勇気をもって指摘している。

「がんを起こす可能性は数年から10年以上の時間尺度で考えなくてはならない」。

要するに確率ないし蓋然性の問題。そして,これこそが,人々すべてが本当に心配していること。国民の誰一人として,ホーレン草を食べてすぐ被曝障害が出るとか,ガンになって死ぬといったバカなことを心配してはいない。朝日新聞は,国民の抱く常識的な疑問に常識的に答えた。さすが,保守本流の朝日新聞だけのことはある。

もう一つ,今日の朝日記事で出色だったのは,加藤編集委員の米空母同乗レポート。テレビ報道で,米空母が被曝を避けるため沖合に退避したといっていたが,それ以上の報道はなかった。まさか,と思っていたが,加藤レポートで本当だということが分かった。

レポートによると,空母ロナルド・レーガンは,福島原発から125カイリ(232km)の位置に退避している。ここまでが空母の接近限界。船も航空機も一切入れない「立ち入り禁止区域」は50カイリ(93km)。しかも,防護服で身を固め,ヘリに乗るときはヨウ素剤を飲む。

米軍の場合,核戦争訓練の要素もあるのだろうが,放射能に対する警戒は日本政府の比ではない。空母ですら入れない232kmとは,陸地ではどこまでなのか? 米軍将兵に比べると,日本国民は丸裸同然だ。それが世界唯一の被爆国日本の政府の被曝対策なのだ。

朝日社説と空母同乗レポートは,保守本流朝日新聞の常識(common sense)と良識(bon sens)を示している。さすが,朝日だ。当分,東電からの広告はないだろうが。

2.ネパリタイムズの被災体験レポート
ネパリタイムズ(#545, 18 Mar 2011)には,八戸在住のジェミナ・シェルパさんが被災体験レポートを寄せている。

レポートでは,大震災にもかかわらず冷静に行動する日本人の礼儀正しさや,災害準備の用意周到さが称賛されている。そして,その上で,こうコメントする。

「50基以上の他の原発を日本経済復興のために使い続けたいので,政府は[福島原発の]危険性を過小評価しているのではないか,と疑われている。」

「地震・津波・放射能の三重脅威と,2010年ハイチ地震における貧困・脆弱建築・災害無対策とを比較して,どちらがより恐ろしいとも言い難い。」

「最悪事態に備えること,そして[人災原因を創り出す]消費を抑制すること,これが必要なことを日本はわれわれネパール人に教えてくれた。」

著者のことはまったく存じ上げないが,バランスのとれた良いレポートだ。鋭く指摘されているように,これは天災であると同時に,近代都市文明の生み出した人災でもある。原発をつくるなら,東京湾岸,大阪湾岸につくるべきだろう。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/03/23 at 16:23

カテゴリー: 社会, 経済

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ネパール大使館,大阪に退避

ネパール各紙の報道によれば,ネパール政府は3月18日,東京の大使館を閉鎖し,大阪に退避させた。

在日ネパール人に知らせることもなく,電話を止め,館員率先して大阪に避難したそうだ。いかにもネパール的。(ただし,大使はまだ東京残留らしい。)ekantipur(19 Mar)はこう書いている――

「ネパール外務省筋によれば,・・・・他の国々の館員たちも東京から他の都市に避難を始めているし,また,もっと重要なのは,日本政府が,外国使節や公館に対し,放射能被曝の警告を出したことである。」

これは本当だろうか? 前半の,諸外国が自国民に退避を勧告しているというのは,周知の事実である。では,後半は?

日本に大恩のあるネパールの外務省である。まさか,ウソではあるまい。もし事実だとすると,日本政府は,自国民には「安全」を強調しつつ,外国人には危険だから用心せよ,と警告していることになる。

まさか,そんなことはあるまい。ネパールの人々が,聞き違いをしているのだろう。そう信じたいが,日本政府の福島原発情報ががどこまで信用されているかとなると,そこは疑問であり,ネパール政府にそう受け止められても仕方ない状況にあることは,残念ながら事実である。

それはそうとして,ネパール大使館の大阪移転が上策かと問われれば,そうともいえない,と答えざるをえない。

周知のように,福井には14(13)基もの原発が林立している(図1)。しかも,ここは地震の巣で,京阪神は風下。危険は東京の比ではない。確率の問題だから,リスク判断はもちろん個々人,各国政府に任せざるをえないが,基本的条件は十分考慮すべきだろう。

要は,神(自然)の声を聞くか日本国政府や福井県(図2参照)の声を聞くかである。これは信仰の問題であり,個々人が自分で判断せざるをえない。

▼追加1(3月23日)
ネパール・メディアは報道しないが,東京のネパール大使館は再開されたらしい。フォローアップしないのも,ネパール・メディアの特技。事実の確認が難しい。そのくせ,パラス元皇太子は発砲などしていない,という「面白い」記事を各紙が競って報道している。いかにもネパールらしい。

▼追加2(3月24日)
ネパール大使館の大阪(名誉総領事館)への退避はやはり本当らしい。東京でもある程度業務を継続するかもしれないが,事態は混乱しており,よく分からない。一時,大使館と連絡が取れなかったのは,被災ネパール人救援と大阪退避準備で手一杯だったからだろう(cf. Nepal Mountain News)。

朝日(3月21,24日)や読売(3月23日)によると,東京からの退避大使館は次の通り。
  大阪へ: ドイツ,スイス,クロアチア,エクアドル,ネパール
  神戸へ: パナマ
  広島へ: フィンランド

朝日(24日)によると,23日現在,東京の大使館閉鎖は27カ国にのぼる。そのなかでも,やはりネパールは素早かったようだ。朝日も「アジア地域ではネパールのみとなっている」と賞賛している。

匿名で,しかもタイトルが間違っているが,生々しく具体的なので,下記記事を転載した。ご参照ください。

Nepali Embassy in Japan shifted to Tokyo

Posted by nmn, Nepal Mountain News, Friday, March 18th, 2011

Nepali Embassy in Japan has been moved from Tokyo to Osaka amid fear that radioactive materials released after powerful explosion of a nuclear reactor in Phukusima Daiichi Nuclear Power Station could pose health threats.

According to Foreign Secretary Madan Kumar Bhattarai, all embassy staffers are due to reach Oshaka Thursday evening.

“The Nepali embassy will temporarily conduct its operations from Oshaka,” he said. Osaka is some 520 kilometers away from Tokyo.

The decision of the Ministry of Foreign Affairs (MoFA) to move the embassy to a safer place comes after Western countries including Britain started evacuating their nationals from Fukushima Power Station.

Likewise, concerns are high in China and among Japan´s neighboring countries after top United States nuclear official claimed that damage to the Nuclear Power Station was far more serious than Japan had acknowledged.

On Wednesday, Nepali embassy in Japan had rescued some Nepalis living in Phukusima area and brought to Tokyo. Likewise, another 52 Nepalis, affected by earthquake and subsequent Tsunami in Sendai area, have also been brought to Tokyo.

Asked if the government had any plans to evacuate Nepali nationals from Japan, senior MoFA officials said they do not have any such plans as yet.

“Now the rescued Nepalis are free to do what they think is right since there is no problem of mobility as it was in Libya. We presume that they would not have problems purchasing air tickets,” the official further said.

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図1 福井原発地図
>(http://www.geocities.co.jp/Technopolis/6734/img/ritti0049.pdf#search=’福井 原発 地図’より作成)

図2 福井県HP

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/03/19 at 11:49

カテゴリー: 社会, 外交

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