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キリスト教牧師に有罪判決(2)
1.ネパール法の宗教規定
ネパールにおいて,宗教の在り方は,憲法と刑法により次のように規定されている。
(1)ネパール憲法(2015年)
・ネパール国民(राष्ट्र, nation)は「多宗教(複数宗教)」(3条)。
・ネパール国家(राज्य, state)は「世俗的(धर्मनिरपेक्ष, secular)」(4(1)条)。「『世俗的』は,古来の(सनातनदेखि, since ancient times, from the time immemorial)宗教・文化の保護および宗教的・文化的自由を意味する」(4(1)条)。
・すべての人は自分の宗教を「告白し,実践し,守護する自由」を有する(26(1)条)。
・宗教の自由の行使において,「何人も,公共の福祉・良識・道徳に反する行為,または他の人をある宗教から別の宗教に改宗(धर्म परिवर्तन, convert)させる行為,または他の人の宗教を妨害する行為を行ってはならないし,また行わせてもならない。そのような行為は法により処罰される」(26(3)条)
ネパール憲法は,以上のように「宗教の自由」を認めているが,その一方,その自由には「世俗的」と「改宗」の語による大きな限定が付されている。
「世俗的」の方は,国家による古来の宗教の保護をも意味する。したがって,もしこの側面が強調されるなら,ネパールは伝統的ヒンドゥー国家に限りなく近いことになる。
また,宗教を変更(改宗)させることが,このような無限定な形で禁止されてしまえば,宗教にかかわること,あるいは宗教者がかかわることは,なにも自由には出来ない恐れがある。そうなれば,それは,布教の法的禁止と,事実上,同じことになってしまいかねない。
(2)刑法(制定2017年,施行2018年)
ネパールの刑法(刑法典)は,憲法に基づき,宗教に関する刑罰を次のよう定めている。
・寺院・聖地等への加害の禁止(155(1)条)。違反は,3年以下の禁錮および3万ルピー以下の罰金(155(2)条)。外国人の場合は,刑期終了後7日以内に国外退去(155(3)条)。
・会話,文字,図画,サイン等により他者の宗教感情(धार्मिक भावना)を害することの禁止(156(1)条)。違反は,2年以下の禁錮および2万ルピー以下の罰金(156(2)条)。
・他者の古来の(सनातनदेखि)宗教を故意に害することの禁止(157(1)条)。違反は,禁錮1年以下または/および1万ルピー以下の罰金(157(2)条)。
・他者を改宗させる(धर्म परिवर्तन)ための一切の行為の禁止。違反は,5年以下の禁錮および5万ルピー以下の罰金。外国人の場合は,刑期終了後7日以内に国外退去(158(1)(2)(3)(4)条)。
刑法では,以上のように,憲法の一般的な宗教関係規定が,より詳細かつ具体的に罰則付きで明文化されている。
したがって,もしこれが宗教活動の規制に向け厳格に適用されれば,言論,出版,集会から社会・教育事業などまで,あらゆる活動が,宗教にかかわるとみなされると自由には出来ないことになってしまう。規制当局にとっては,まことに使い勝手のよい刑法ということになる。
(3)自由権規約(国際法)
ネパールは,「自由権規約(市民的及び政治的権利に関する国際規約)」を1991年に批准しており,したがってネパール国家にはこれを遵守する義務がある。
自由権規約は,思想,良心,宗教について第18,19条で次のように定めている。
・すべての者は思想,良心,宗教の自由への権利を有する。
・何人も単独で又は他の者と共同して,公に又は私的に,礼拝,儀式,行事及び教導によってその宗教を表明する自由を有する。
・何人も宗教選択は自由であり,宗教的強制は受けない。
・宗教の自由は,公共の安全等,必要な場合にのみ,法律により制限される。
・表現の自由は,口頭,手書き,印刷,芸術形態など自ら選択する方法で行使できる。
ネパールの憲法と刑法の宗教規定は,先述のように正当な人権としての宗教的自由を不当に制限するための法的根拠とされる恐れのあるものであり,したがって,もし仮に現実にその方向での解釈・運用に傾いていくならば,それは国際社会のこの自由権規約に抵触することになってしまうであろう。

谷川昌幸(C)
“We-perspective”の再構築: Dev Raj Dahal
1.We-perspective
ネパールにとって、”we-perspective”の再構築は、知識人や政治家が目を向け、誠実に取り組むべき重要課題である。日本とは逆だ。
日本人にとって、「われら日本人」は本性であり、何かことが起こると、一気に顕在化し、他を圧倒し、それ一色となる。たとえば、昭和天皇崩御前後の日本。思い返すたびに、ゾォーとし寒気がする。「一億総自粛」、誰が命令したのかよくわからないのに、自粛の雰囲気に反することは、一切できない。戦後民主主義など屁みたいなもので、総自粛全体主義が全国隅々まで遍く支配した。日本人は、世界に例を見ない恐ろしい民族だ。
2.国民統合以前のネパール
ところが、ネパールでは「国民主権」や「国民統合」がいくら叫ばれようが、内面化された「国民」意識は生長しない。1990年と2006年の「人民運動」も、諸集団のエリートによる「大衆動員」の性格が強かった(異論もあるが)。ネパールには、近代的な「国民意識」はまだ存在しない。
3.ポストモダン批判
現在のネパールの混乱は、この近代的国民意識未成立の国にポストモダン包摂民主主義を持ち込んだところに、根本的な原因がある。したがって、ネパール平和再構築には、この点への反省が不可欠であるが、最近になって、ようやく、そうした観点からの議論が見られるようになってきた。たとえば:
■Dev Raj Dahal, “Condition of Politics and Law in Nepal,Opening Democratic Discourse for Conflict Resolution,” AAMN Research and Policy Brief: 08, 2012
4. われわれ意識と共同善
「一般に、”制憲運動”においては、市民とリーダーたちは、個別利害を棚上げにし、包摂的な”われわれ意識(we-perspective)”を持つことにより共同善を制度化する。主権者たる国民は、リーダーたちに対し、”われわれの観点(we-perspective)”を採ることを義務づける。」(Dahal)
5.ニスカム・カルマと普遍的公共性
「ネパールの法制度は、ニスカム・カルマ(無私的行為義務)に基づくネパール社会の伝統と、人権・民主主義・公共性の普遍的基準の間で、バランスを取らなければならない。この二つの間には、・・・・構造的な対立はない。」(ibid)
「ところが、ネパールのポストモダン主義者たちがいま主張しているのは、民族・階級・地域・人種を絶対視する政治であり、そうした政治は、ネパールの歴史的進歩発展を否定し、ネパール人を主権的国民ではなく、社会諸集団や利益諸集団に分解し、そして結局は、ネパール人から国民性と普遍的人類帰属性を奪うことになるものである。」(ibid)
「公共的な法・教育・学問は、単一アイデンティティ決定論に基づく原理主義を抑制する能力と、大衆に向け公共性の理性的構築を訴えかける力をもたなければならない。不平等是正は、アイデンティティ問題にまで極端化させることなく、また社会的協力や平和的共存を困難とするほどまでに硬直化させることなく、政策的解決をはかられるべきである。」(ibid)
6.ポスト・ポストモダンの政治
この論文は、かなり難解であるが、主にハーバーマスに依拠しながら、アイデンティティ政治によりズタズタに分断されつつあるネパールを、一つの近代的、あるいはより正確にはポスト・ポストモダン「国民」として再構築しようとする新しい試みの一つとして注目される。
谷川昌幸(C)
マオイストの憲法案(3)
第1編は総則的な「序(Preliminary)」。憲法,主権,国民,国家,国語,国旗,国歌,国章が定義されている。
(1)憲法(第1条)
憲法が国家の最高法規。それはよいが,このマオイスト憲法案の最大の特徴の一つが,憲法の本質を完全に誤解していること。
憲法は,マオイストの嫌悪する中世封建制の頃から,権力を制限し人民の権利を守ることをもって本質としてきた。憲法を遵守すべきはまず国家権力の側なのだ。ところが,マオイスト憲法案では,むしろ人民の側に憲法遵守義務が課せられている。
「この憲法を擁護し憲法に従い責任を果たすのは,すべての人の義務である。」
権利よりも義務を優先させるのが,マオイスト憲法案の特徴。日本の改憲論者は,ネパール・マオイストに教えを請うべきだろう。
(2)国民国家(第3条)
「多民族,多言語,多宗教,多文化であり,かつネパール国民の独立・統合・国益・繁栄を希求しそれらへの忠誠の絆で結ばれているすべてのネパール人は,全体として,国民(the Nation)を構成する。」
これは暫定憲法と同じ。願いは分かるが,アイデンティティ政治を煽りつつ,国民統合を唱えるのは,火をつけながら消し回る(マッチポンプ),あるいはアクセルを踏みながらブレーキを踏むようなものであり,綱渡り的冒険である。
国家国民(the state nation)と国内諸国民(nations 諸民族)の関係が,整理されていない。
(3)ネパール国家(第4条)
「ネパールは独立・不可分・主権的・世俗的・不可触民禁止・全包摂的・社会主義志向・共和的・多国民的な国家である。」
あふれるばかりの盛りだくさん。特筆すべきは,やはり社会主義。人民民主主義だから,社会主義を目標として掲げるのは当然だ。
(4)国民の言語(第5条)
ネパールで話されている母語はすべて国民の言語。「国民の諸言語を平等に保護し奨励し発展させることは,国家の義務である。」
これも願いは分かるが,実際には不可能だ。そもそも少数民族自身が母語教育など希望していない。少し余裕ができれば,競って,敵性言語の英語を習わせているではないか。
本気で母語教育を目指すなら,英語帝国主義を粉砕し,資本主義を放棄すべきだ。英語学校乱立を放任しながら,母語教育など,笑止千万。
(5)国旗(第6条)
「ネパール国旗は多民族・多言語・多宗教・多文化・多地域の特徴をもつ連邦構造を表現するものとする。」
どこまで本気か? 偶像崇拝宗教と偶像否定宗教を一つの国旗に表現することなど,不可能だ。できもしないことを憲法に書き込んではいけない。
谷川昌幸(C)
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