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ネパール不動産バブル,日本人もビックリ!(5)
5.不動産価格に日本人もビックリ
ネパールの不動産価格高騰は,ネパリタイムズ記事が批判するように異様であり,これには地価上昇に慣れているはずの日本人も驚いている。たとえば,こんな記事がある――
▼miyachika「ネパールに移住するなら知っておきたい,年々高騰し続けるネパールの土地事情」miyachikaのネパール暮らし,2016/11/23日
▼ネパール民宿 Katunje Diary「だから言ったじゃないの♪♪」2018/01/31
▼ネパール民宿 Katunje Diary「カトマンズで家を探す義弟」2018/01/23
▼ネパール民宿 Katunje Diary「カトマンズの土地転がし」2018/03/26
▼宮本ちか子「地価が異常な上昇をし続けるヒマラヤの見える都市で、家を持つために大家になる」R.E.port, 2020/2/1
たしかに,このところのネパール不動産価格の高騰は異様であり,私自身,驚きを禁じ得ないが,その一方,振り返ってみると,すでに前世紀末頃には,カトマンズ盆地の不動産はかなり割高となっていた。その頃,これは不動産バブルであり,いずれ破裂するに違いないと危惧した記憶がある。
ところが,それから早や四半世紀たつというのに,不動産バブルは膨らみ続け,一向に破裂しそうにない。
これでは,たとえ不動産ローン金利が12%,あるいはそれ以上であっても,借金して不動産を買ったものが勝ちと多くの人々が考え,不動産投資に走るのも分からないではない。
不動産バブルはいつかは破裂するだろうが自分はその前に売り逃げられる――ネパールの不動産投機家たちも,かつての日本の同業者と同様,そう楽観視しているにちがいない。
■建設中の「カトマンズ・ビュータワー」。29階建高層ビルとなる予定だが,反対も多い(Rising Nepal,2020/12/02)
谷川昌幸(c)
紹介:安倍泰夫『ネパールで木を植える』(5)
5 大震災と森林による生活安全保障
ネパールでは,10年に及ぶ人民戦争が2006年に終結,2008年に連邦民主共和制となり,2014年には制憲議会と政党内閣が成立した。ネパールが,この民主的新体制の下で生活の安定・開発促進へと向かい始めた矢先の2015年4月,ゴルカ地方を震源とする大地震が発生した。
この地震の被害は,死者8964人,被災者500万人余など,甚大であった。建物も,民家だけでなく寺院,学校,ビルなど,多くが全壊・半壊の大被害を受けた。
著者の植林事業地域でも,震源地が近かったため,甚大な被害が出た。トリスリ・バザールの町は崩壊,「植林センター」をはじめ村々の家屋の多くも倒壊した。が,植林した森は無事であった。
村人たちは,備蓄食料が失われてしまったので,森に植えたマンゴーやパパイヤの木の実を食べてしのいだ。森にはまた,水や再建用資材もあった。
「大地震で家が壊れても,森は不死身だった。根はしっかり土をつかまえ,水を保持する。泉が湧く。・・・・生長した木を使って被災者用の仮設も作られた。植林の効果は着実に現れている。」(300頁)
日本でも,森林は,つい数十年前までは,村の生活基盤の一つであった。私の村でも,炊事用・暖房用のマキ,家屋新築・改築用木材,キノコ用ホダ木,売却・収益用木材など,ほとんどすべて自分たちが植林し育てた私有林や共有林から取ってきていた。そして水も田畑には山からの流水を,また自宅用には井戸水か,裏山の湧水をパイプで引き込むかして,使用していた。
もしあの頃,日本の山々がネパールのようであったなら,村の生活はネパールのそれと大差なかったであろう。水不足のため農業は過酷であり,子供であった私も,遠くの川まで毎日,灌漑用や飲用の水を汲みに行かされていたに違いない。
『ネパールで木を植える』を読むと,「外材」を無尽蔵であるかのごとく輸入し使い捨てにしている今の日本人の暮らし方が,自然に反し,「持続可能(sustainable)」ではないことがよくわかる。
日本の山々は緑豊かなように見えるが,現実には,山林の多くは手入れされることなく放置され,荒れるがままである。日本の山林も危機にある。本書は,私たち自身の日本の山々のことを考えるためにも,読まれるべきである。
■イラム(谷川2015/01/28)
谷川昌幸(C)
世界でいちばん美しい村,大阪上映
「世界でいちばん美しい村」が,大阪の「第七芸術劇場」(淀川区十三)で,6月17日から上映される。石川梵監督らのトークショーも予定されている。詳しくは,同劇場HPをご覧ください。
●第七芸術劇場 http://www.nanagei.com/
世界でいちばん美しい村
「ネパール大地震で壊滅した村が、悪戦苦闘しながら復興を果たそうとする姿を捉えた感動のドキュメンタリー。貧しくともいつも笑顔のアシュバドル一家、村を支える一人の看護婦、神秘的な風習、ヒマラヤの大自然を舞台に繰り広げられるさまざまな人間模様を捉える。」(公式HPより)
谷川昌幸(C)
倉吉の趣のある町並みと震災
鳥取県の倉吉は,2016年10月21日の「鳥取中部地震」で震度6弱の揺れに襲われ,大きな被害を受けた。その倉吉に「鳥取復興割」を利用して行ってきた。
倉吉は初めて。なかなかユニークな町で,こんな壁画が表通りにドーンと描かれている。
この近くには,白壁土蔵の並ぶ「重要伝統的建造物群保存地区」があり,趣がある。古い建物が多いため,白壁などにかなりの地震被害が出ていた。
また寺院でも,山門や墓所など被害は大きい。民家や事業所ビルなどは,地域や建物により被害状況は大きく異なる。地盤や建物の構造によるのだろう。
倉吉の震災復興は,豪雪の冬が終わるこれから本格化するのであろう。ユニークで趣のある町,倉吉。一日も早い復興を願っている。
谷川昌幸(C)
ネパール震災チャリティバザー ムスムス
谷川昌幸(C)
観光客,本当に少ない
地震後3か月たつというのに,観光客は本当に少ない。オフシーズンにはちがいないが,それにしても往きのタイ航空はガラガラだったし,カトマンズやパタンの観光地にも外人観光客はほとんどいなかった。中華街と化しつつあるタメルにも,中国人客はごく少ない。噂では,地震被害のほとんどなかったポカラ方面でも,観光客は激減だそうだ。これでは,観光業者は大打撃をまぬかれないだろう。
これは風評被害。震災復興のためにも,安全なところへの観光はもっともっと宣伝してしかるべきであろう。ネパール激励観光ツアー「ネパールで散財しよう!」。これは正常な経済活動であって,一方的な援助に伴う不愉快な副作用はない。大いに遊んで,そのことが結果的に震災ネパールの復興に寄与することになる。
谷川昌幸(C)
中国プレゼンス,震災支援で急拡大
ネパールにおける中国のプレゼンス(存在感)が,急拡大している。小中学校に行くと,以前は「こんにちは!」などと声をかけられたが,いまでは「ニーハオ」だ。街には中国製品があふれ,あちこちで中国企業が工事をしている。
そして,それにダメ押ししたのが,震災救援活動。どこにいっても中国政府援助の青テントや「中国紅十字」の白テントが張られている。公園はむろんのこと,路地にも民家の庭にも中国援助テントはある。(個人購入中国製テントもあるかもしれないが,見ただけでは区別できない。)とにかく,ものすごい数。
援助国,援助団体などの間で援助地域割りがなされているのかどうか知らないが,首都圏を見るかぎり,メッセージは一目瞭然。中国は,目に見える形で,被災したネパールの人々を全力で支援している,ということ。
震災後のテント緊急援助は有効で,中国の支援は高く評価される。と同時に,その中国の震災救援作戦は,政治的にみても実に見事であり,羨望を感じざるをえない。なにはばかることなき大国のおおらかなふるまい――日本にはとうてい真似はできまい。
谷川昌幸(C)
仮設教室で憲法授業,ネパールの生徒たち
震災で校舎が損壊したネパールの学校では,テントや竹製の仮設教室をつくり,急場をしのいでいる。テントにせよ,竹を柱と壁に使用した竹製教室にせよ,寒暑,風雨などに十分対応できず,また音も筒抜けなので,授業はやりにくい。日本では想像もできないほど劣悪な授業環境だ。
そのような学校の一つが,カトマンズのスリョダヤ校。地震で本校舎が全壊,別棟の小さな数教室を除き,全教室を失った。そのため,USAID等のテント提供を受け,校庭にテント仮設教室をつくり,そこで授業を続けている。
そのスリョダヤ校で,先日,憲法制定議会の2議員を招き,いま最終段階にある新憲法をテーマに,特別授業が行われた。私は参加できなかったが,同校FBの写真からは,生徒たちが出席議員や先生たちを前に,盛んに意見を述べている様子がうかがわれる。
全壊校舎跡のテント教室で,祖国の未来を託す新憲法について存分に議論する――なんと健気なことか!
ひるがえって,日本。冷暖房完備の快適な教室。雨も吹き込まなければ,蚊や蠅に悩まされることもない。ネパールの生徒から見れば,天国のような日本の学校で,いまどのような教育が行われているのか? どのような教育に変えようとされているのか? 日本で,憲法や国家の基本問題について,先生や生徒たちが自由に学び議論する権利は保障されているのか?
スリョダヤ校には,長年にわたって交流のある仲間たちと一緒に,ささやかながら再建支援を行っている。(参照:ネパール 震災支援 ムスムス)
谷川昌幸(C)
マチェガオン付近の震災,散策にさして支障なし
23日午後,暇つぶしにマチェガオン付近をぶらぶらしてきた。下記のコース。
キルティプル⇒⇒バトケパティ⇒⇒ドゥドポカリ⇒⇒マチェガオン⇒⇒タウケル⇒⇒サルヤンスタン⇒⇒キルティプル
ちょっと長いが,特にドゥドポカリ~マチェガオン間は,乾季にはマナスルやランタンの山々が見えるし,カトマンズ市街方面の景色もよい。山麓沿いの,車もバイクも少ない絶好の散歩コース。
数日前から天候が変わり,初秋のような爽やかな風。途中の茶店でお茶を飲んだりしながら,のんびり半日を過ごした。
この小路沿いにも古いレンガ積みの家屋があちこちにあり,山麓の風景とよくマッチしていたが,地震でかなり倒壊してしまった。特に,古い村であるマチェガオンには,レンガ造りの趣のある家が多かったが,地震で相当数が倒壊した。残念だか,自然には手向かえない。
マチェガオンからタウケルに向かって緩やかに下っていく小路からは,両側にレンガ工場が見える。特に情緒があるのが,乾季の花と霧の季節,いつまで見ていても飽きない。
ところが,そのレンガ工場の煙突が,地震で折れてしまった。これでは情緒半減。レンガ工場は,半壊煙突でも震災後復興のためフル操業,周囲にはレンガ山積みだ。この景気なら,煙突など,すぐ直すだろう。
環境上問題もあろうが,霧に霞むレンガ工場の煙突は,菜の花の田園によく似合う。
【参照】
カトマンズ市街の震災「軽微」,観光支障なし(2015-07-16
震災深刻
谷川昌幸(C)
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